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税収不足も国民管理体制の強化の口実になりそうな今の政治状況、植民地化は進んでいる。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/304.html
投稿者 taked4700 日時 2010 年 12 月 04 日 02:26:50: 9XFNe/BiX575U
 

表示されている図は一番最後の引用記事である国民番号制についてのもの。


税収不足も国民管理体制の強化の口実になりそうな今の政治状況、植民地化は進んでいる。

 基礎年金の50%国庫負担ができそうになく、負担割合を引き下げ、不足分を積立金を取り崩して補うと言う案が出てい、安定財源は消費税だとされているようだ。また、国民番号制の導入が検討されている。消費税の還付などに使うと言うことらしい。また、証券税制で軽減税率の1割から本則税率の2割に戻す際に、少額投資非課税制度を導入して10年間元本300万円までは非課税にしようとしているようだ。
 しかし、おかしくないだろうか?基礎年金も厚生年金も共済年金も国民年金も財布は同じであるはずだ。会計制度として別会計になっているが基礎年金部分は同じであり、そうであれば、比較的余裕のある厚生年金や共済年金から基礎年金への特別拠出をやればよい。実際、健康保険制度ではほぼ同様なことをやっている。
 更に、消費税しか年金給付に安定財源がないとするが、本来、所得税の累進性を1973年当時のものへ戻せば、かなりの増収になり、消費税の廃止さえできるはずだ。また、少額投資非課税制度など導入するよりも、単に総合課税にして年収200万とか300万未満は非課税にし、同じく500万までは10%などにすればいいのだ。日本の証券税制20%というのはアメリカよりもずっと低い。アメリカは総合課税で大概の場合50%程度の課税になるからだ。
 かって高速道路無料化を謳って、その導入段階の施策としてETC装着車の無料化が行われたが、結局、事態はほとんど進展せず、このままでいくと、ETC装着車に対する追跡が可能になっているため単に行政による国民管理体制の強化に終わる可能性が高い。国民番号制も消費税の還付には役立つのかもしれないが、本来は所得税の累進性を元に戻せばいい話で、国民番号制導入により管理体制の強化、それも、植民地国家として国民を管理・監視する体制強化になってしまう可能性が高い。

 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2010113002000032.html
基礎年金 国庫負担下げ提案 積立金先食い 厚労省反発
2010年11月30日 朝刊

 基礎年金の国庫負担割合をめぐり、財務省は二十九日、二〇一一年度に限って割合を引き下げるよう厚生労働省に提案した。引き下げで不足する約二兆五千億円は年金の積立金で穴埋めする考えだ。だが、厚労省は積立金の活用に反発。税収が伸び悩み、新たな「埋蔵金」も見当たらない現状では安定的な財源確保は困難とはいえ、年金の積立金に手を付けることには「問題の先送り」との批判も多い。 (桐山純平)

 財務省案は、一一年度の国庫負担割合を現行50%から、〇八年度と同じ36・5%へ引き下げ、不足分は年金特別会計の積立金(百二十八兆円)を取り崩して補填(ほてん)する。一二年度以降は税制抜本改革で安定財源を確保し50%に戻したい考え。国庫負担割合を引き下げても、個人や企業が支払う保険料や年金給付額は直ちには変わらない。

 ただ、年金特会の積立金は将来の年金給付に備える財源だ。取り崩しで先食いすれば、中長期的には年金財政の悪化につながる恐れもあり、二十九日の協議では厚労省が強い難色を示した。

 政府は今年六月、国債費を除く歳出枠を約七十一兆円以下、新規国債発行額を約四十四兆円以下と、いずれも一〇年度当初予算並みに抑える財政健全化計画を決定。

 そのため、税収が大幅に回復しない限りは、マニフェスト(政権公約)など他の政策を大胆に削らないと、国庫負担50%を維持する財源確保は難しく、一一年度予算編成で最大の難題となっていた。

 財務省幹部は「安定財源は消費税以外に見当たらない」と話しており、民主党の参院選大敗で足踏みしている消費税増税論議が再燃するきっかけになる可能性もある。

 日興コーディアル証券の末沢豪謙チーフストラテジストは「新規国債発行という借金で賄わなくても年金の積立金を使えば、国の資産状況が悪化する点で変わらない」と批判。その上で「年金の負担と給付のあり方など社会保障の道筋を明示するべきだ」と政府に注文を付ける。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2010120302000026.html
証券優遇税制 存廃で調整難航
2010年12月3日 朝刊

 二〇一一年末に廃止する予定の証券優遇税制をめぐり、財務省と金融庁の調整が難航している。株式市場への悪影響を懸念し延長を求める金融庁に対し、財務省は廃止を貫く構え。二日に行われた副大臣級の協議も物別れに終わった。決着は、野田佳彦財務相と自見庄三郎金融担当相の話し合いに持ち越される流れだ。 (白石亘)

 「お互いの認識を明確にぶつけ合った。足元の経済状況に認識の差がまだある」。金融庁を担当する東祥三内閣府副大臣は二日朝、五十嵐文彦財務副大臣との協議を終えた後、こう語った。

 政府税制調査会は、上場株式の売却益などに掛かる税率を10%に軽減している証券優遇税制を、一二年一月から本則の20%に戻す方針だ。延長の要望は、一次査定でも「認められない」とされた。

 東副大臣は現在の日経平均株価は、〇八年九月のリーマン・ショック直前(一万二八三四円)の約八割にとどまると指摘。「税率を元に戻せば、投資家が引き揚げてしまう」と市場が活気を失い、景気をさらに冷やしかねないと懸念する。連立与党の国民新党も延長を求める。

 一方、財務省が強調するのは、優遇税制廃止と同時に導入を予定している「日本版ISA」(少額投資非課税制度)のメリットだ。新たに専用口座を開設すれば、上場株の譲渡益などを最大で元本三百万円まで十年間非課税にできる。

 財務省は、株式保有者の六割は保有額が三百万円を下回るとして「投資家の多くは、現在の軽減税率よりも税負担が軽減される」と主張。これに対し、金融庁は「メリットがあるのはこれから参入する投資家に限られる」と反論する。

 税制改正論議が大詰めを迎え、落としどころを探る動きもある。

 優遇税制の廃止を容認する代わりに、非課税枠の拡大などISAを拡充する案などが浮上。ただ財務省幹部は「こちらが譲る話ではない」との姿勢を崩していない。
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http://mainichi.jp/select/today/news/20101204k0000m020113000c.html
国民番号制:低所得者の負担軽減策も 消費増税時に
2010年12月3日 21時31分 更新:12月3日 22時20分

  政府は3日、国民一人一人に番号を割り振り、所得を把握しやすくする「共通番号制度」について、税務と社会保障の現金給付・サービスを利用範囲とし、13年度にも導入を目指すことを決めた。税と社会保障はかかわりが深く、番号制度を活用して税や社会保障の国民負担の公平性を高めるとともに、サービスの充実を図る。消費税を増税した際の低所得者の負担軽減策に使うことも想定しており、番号制度導入を前提に税や社会保障の抜本改革議論を進める方針だ。【久田宏】

 来週にも開かれる「政府・与党社会保障改革検討本部」で正式決定する。詳細な制度設計を詰めた上で、来年6月に大綱を策定、秋以降の法案提出を目指す。「着実に国民に理解していただけるよう慎重に進めたい」。番号制度について検討を進めてきた政府の実務検討会の事務局長を務める峰崎直樹内閣官房参与は、番号の利用範囲などを決めた3日の検討会終了後、制度導入には国民の理解が必要なことを強調した。

 政府は今年6月、制度の利用範囲について▽税務のみで利用する「ドイツ型」▽税務と社会保障分野に活用する「米国型」▽幅広い行政サービスに利用する「スウェーデン型」に3分類し、どれを選ぶか検討を重ねてきた。最も対象範囲の広いスウェーデン型が利便性も高いが、番号で共通管理する情報も多くなるためコストがかかるうえ、流出の際のリスクも高く、まずは米国型で導入してから将来的にスウェーデン型を目指すことにした。

 住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)を活用し、住民票コードとは別の新たな番号を国民一人一人に付与する。所管する組織として年金保険料と税を一体的に徴収する「歳入庁」の創設を目指す。

 国民にとって番号制度の最大のメリットは、さまざまな行政機関に分散されている所得や、年金、医療、介護などの情報を、番号によって一つに集約できることだ。

 例えば、現在は医療保険や介護保険、さまざまな福祉や育児、障害者サービスに関する情報は行政機関などで別々に管理されている。番号制度で情報を共通化した場合、すべてのサービスを対象に自己負担した金額を合算して、一定額を超えた場合は超過分を返還したり、所得水準に応じたきめ細かいサービスも可能になる。

 政府は、低所得者ほど負担感が増す消費税の逆進性対策にも活用する方針だ。例えば、消費税増税の際には所得税の控除制度を見直し、所得税を支払っておらず控除が受けられない低所得者には、現金を給付する「給付付き税額控除」の導入を検討する。

 一方で、番号制度は膨大な情報量を一つに集めて管理するため、情報が漏れた際のリスクも大きく、「プライバシー上、重大な問題が発生する」(日本弁護士連合会)との懸念も根強い。国民の理解を得るためには、プライバシー保護の強化策も大きな課題になりそうだ。

*6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<256>>


 

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コメント
 
01. 2010年12月04日 08:27:13: Pj82T22SRI
一部の高級官僚から生活保護世帯まで、上にも下にもフリーライダーが溢れる相互不信社会は
真面目に努力する人々を怠惰と不真面目な人に変え、社会全体が崩壊していく
悪貨が良貨を駆逐する

真面目が“バカ”を見る?! 日本社会の未成熟
“当たり前”をこなす人を大切にしない会社に未来はない

* 2010年12月2日 木曜日
* 河合 薫

真面目  評価  仕事  終身雇用  賃金  報酬  やりがい  有意味感  会社  ストレス  モチベーション  価値  世間  社会  上司  同僚  組織  トップ  現場  部下  能力  真剣勝負  働き方 

 私は工場(あるいは生産現場)に行くと、無性に感動する。取材の時だけでなく、講演会などに呼んでいただいた時も、可能な限り工場を見学させてもらうのだが、現場に足を踏み入れると決まって胸が熱くなるのだ。つい先日も、ある電力会社の発電所を取材させていただいたのだが、やはり同じだった。

 恐らく工場で働く人たちの実直なまでの真面目さに、心が揺さぶられるのだと思う。

 ひたすら頑固なまでに、彼らは決まった仕事を決まった時間に繰り返す。何事も起こらないように働くことが、彼らに課せられた最大の使命だ。だから、彼らは決められたことを、ミスのないように、徹底的に真面目にやる。彼らからは、「上司に評価してもらおう」とか、「いいところを見せよう」とか、「他人をおとしめてやろう」といった、卑しさや野心を微塵も感じることがない。

 「日本という国は、こういう人たちに支えられているんだよなぁ」とつくづく感じるのだ。

 多くの現場では、ちょっとした気の緩みが大きな事故につながることがある。つまり、彼らにとって真面目であることは生命線でもあるわけだ。だから余計に、彼らはひたすら真面目に、腹の底から真面目に働くのである。
真面目より不真面目がもてはやされる不思議

 ところが、世間では真面目であることは、必ずしも評価されない。「真面目だよね」と言われると、からかわれているような気分にさえなることがある。

 真面目すぎて、つまらない。
 真面目すぎて、融通が利かない。
 真面目すぎて、息が詰まる。

 そんな決してポジティブとは言えない言葉が続く。不良がモテ始める中学生くらいだろうか。真面目な人はバカにされ、相手にされなくなる。真面目さより、不真面目さ。真面目さより、テキトーさ。真面目はダサい、悪いのはカッコいい。真面目だった青年が、無理やり不真面目に振舞うようになることだってある。

 また、社会に出ると、「真面目さ」は、物事がうまくいかなかった時や、何か問題が生じた時の都合のいい言い訳になることがある。

 上司から評価されないのは真面目すぎるから、同僚に好かれないのは真面目すぎるから、組織で出世できないのは真面目すぎるから───。「僕が真面目すぎるのですよね」などと、自分を納得させるための手段に使う人もいる。

 でも、きっとそういう人は、本当は真面目なんかじゃないのだと思う。

 だって、本当に腹の底から真面目な人は、言い訳なんかしないし、真面目でいることは当たり前のことだから、わざわざアピールしたりしない。

 それに本気の真面目さは、人を感動させるエネルギーを持っている。だから、うまくいかないことの理由などにはならないはずだ。工場に行くたびに、私がひたすら感動するように、人の心を揺さぶる力が、真の真面目さ、にはある。

 そこで今回は、真面目であること、について考えてみようと思う。
真面目は真剣勝負の証なのに…

 「発電所の方たちは、停電を起こさないように、ひたすら毎日働きます。でも、そのことはなかなか評価されないんですよね」

 これは発電所内を案内してくださった方が語っていたことだ。

 日本の1世帯あたりの年間停電時間は10分未満で、これは世界的にもダントツに低い。それを支えているのが、高い技術力と、日々真面目にミスをすることなく、寡黙に働く工場の人々の努力だ。

 「真面目とは、真剣勝負である」との名言を残したのは文豪の夏目漱石だが、彼らの仕事はまさしく真剣勝負。

 「停電を起こさない」ためには、決められたことを真剣にミスなくやり続けるだけでなく、先を読む力、それに伴う行動力が必要となる。ロボットのように決められたことをやるだけでは、安定的に電力を家庭に供給することはできない。だから、ただひたすら「停電させない」ためだけに、真剣勝負を続けるのだ。

 ところが、停電しないことは、もはや当たり前のこととして、世間に受け止められている。そのため、社会でも、そして電力会社の社内でさえも、そのことが評価されることはない。

 確かに私たちも、「あ〜、あそこの電力会社は停電しないから、たいしたもんだ」などと評価することはないわけで、停電しなくて当たり前、停電するのは異常事態。そんな日常が出来上がっているのだ。

 しかし、そこで働く人にとって停電しないことは決して当たり前のことではない。そうならないために日々、汗を流す。なのに、その努力の評価はゼロ。

 どんなに99回、いや999回、いやいや99万9999回、何も起こらないように真剣勝負してきても、たった1回、何かが起きるだけで徹底的に非難される。何も起こらなかった99万9999回は完全に無視され、たった1回だけで下されるマイナス評価。その理不尽さを案内してくださった方は分かっていたのだろう。

 「救いなのは、今の経営陣の中に技術出身の方が増えてきました。やっと彼らのそういった努力をどうにか評価しようという試みが始まっているんです。僕も何度となく、この現場に来ているんですけど、彼らは頑固なまでに真面目です。現場は危険とも背中合わせですから、少しでも彼らがやりがいを持てるような評価制度になればいいと思っています」

 現場経験者、技術経験者が、ヒエラルキーの上にならない限り、現場の人たちの頑張りを正当に評価する仕組みが作られないというのも残念な話ではあるが、それが現実なのだと思う。
真面目な人は本当に扱いにくい人間か?

 以前、このコラム(イチローを評価しない会社の不条理)でも取り上げたことがあるが、世の中では、経営側の基準からしか現場を見ない。当たり前のことをやっている人たちの、「当たり前」にする努力を評価するのではなく、自分たちの評価基準に彼らを当てはめようとする。

 目に見えない力は無視される。目に見えない力に、本来、企業は支えられ、未来も築かれている“はず”。それなのに、ついついそのことは忘れ去られてしまうのだ。

 そして、最悪の場合には、自分たちの評価基準に合わない人たちを、“単なる調整弁”と考えたり、「努力が足りない」と非難したり、すべてを自分から見た世界観で評価する。

 人間、誰しも自分中心に物事を見る傾向があるけれど、何が企業の土台なのかを、その自己中心的な発想が忘れさせてしまうのだ。

 本来、真面目さは、すべての基本だ。そもそも今の日本があるのだって、実直なまでに真面目に働いてきた人たちのおかげである。

 ところが時代は変わり、真面目な働き手の象徴でもあった“会社人間”は、今や死語と化し、「クソ真面目」「バカ真面目」などというように、真面目であることは、“扱いにくい人間”と非難の的になることも増えた。
部品工場の部長がこぼした一言

 数年前、ある車の備品の生産現場を取材させていただいた時にも、ポロリと部長の方がこぼした一言があった。

 「現場の人たちの扱い方って、本当に難しいんです。絶対に自分たちの意見とか、方法とかを曲げないんです。例えば、会社としては採算が取れるかどうか、というのが大前提になりますから、やっぱりそこそこ妥協してもらいたい部分もあるわけです。でも、現場の人は絶対に曲げてくれない。こっちだって現場の言い分だって分かるから何とかしたいのは山々です。でも、どうやっても無理ってこともあるじゃないですか」

 「それで、こっちは最終手段として、“上の指示ですから、どうにかこの方針で考えてほしい”とリクエストするわけです。ところが、これがちっとも効かない。現場じゃない部下たちには、たいていはこの一言は最後の切り札になります。『上が言っているんだったら、仕方がない』と折れるんです。ところが現場の人はそうはいきません。彼らの言ってることも分かるだけに、難しい。ホントに骨が折れるんです」

 確かに、正論が必ずしも通る世の中ではないわけで、正しいことを主張すれば主張するほど、反発を食らうことだってある。

 だが、現場の人たちにとっては、社内の事情やら、社内の人間関係やら、力関係など一切関係ない。彼らにとって大切なのは、その製品を使ってくれている人、その製品のためにお金を払ってくれている人で、その『顧客への正義感』を社内事情で曲げることがない。これが、“オトナの事情”の邪魔になる、というわけだ。

 「結局、僕のような立場はトップと現場の板挟みになってしまって。自分でもそういう時に自分の力のなさを痛感するんです。サラリーマンですから、そこで、自分がどっちにつくか。この選択もなかなか簡単ではないですね」

 彼もまた、真面目ゆえに苦悩していたのだろう。

 そもそも、真面目に働くとは、どういうことなのだろうか?

 恐らく誰だって、自分の部下には真面目に働いてほしいと思っているし、真面目に働かない部下を評価しようなどと思う上司はいないはずだ。

 その一方で、それはあくまでも心情であって、お給料をもらっている社会人であれば、真面目に働くことは、いわば当たり前のことだからゼロベース。つまり、真面目に働くこと自体が評価されることはごくまれである。

 例えば、毎朝、決められた時間に休むことなく出社すること。これは社会人としては、当たり前のことである。ボランティアや、サークル活動をしているわけではなく、お給料をもらっているのだから、当たり前のことだ。

 当然ながら人間なので風邪だって引けば、病気にだってなる。休む権利は認められているのだから、高熱を押してまで出社しろとは、誰も望んでいないし、休みたければ休めばいいという考え方もある。

 でもだからといって、一日も休むことなく、遅刻もしない人を全く評価する必要がない、というわけではないのではないか。
皆勤だったが、褒められなかったCA時代

 だいたい、いかほどの人が、1回も遅刻することなく、一日も休むことなく出社しているだろうか? そんなにはいないはずである。

 私も国際線の客室乗務員(CA)をやっていたころ、4年間の勤務の中で、無遅刻・無欠勤だった。それは500人近くいるCAの中でただ1人だった。まぁ、もともと体力があって、元気だったし、時差をあまり感じない方だったから、皆勤を成し得たわけだが、そのことで一度たりとも評価されたことはない。むしろ「体力があるのね〜。意外と真面目なのね」とからかわれるのが関の山だった。

 休めば誰かに迷惑をかけることだってあるし、休むことで仕事に遅れが生じることだってある。特にシフト勤務では、自分が休めば、本来であれば休みだった人に代わってもらうことになる。つまり、無遅刻・無欠勤であることも、「自分の仕事を、自分に課せられた労働時間を、全うする」という側面からは、一つの“能力”と見てもいいのではないか。

 また、決められたことを、徹底的に実行すること。これも、「真面目に働く」ことである。

 人間は同じことを繰り返すと、飽きる。慣れて、手を抜くこともある。だが、真面目に働く人は、飽きることなく、手を抜くことなく、何度でも繰り返すことができる。

 本当は飽きることもあるだろし、手を抜きたくなることだってあるだろう。だが、真面目に働く人は、その欲求を封じ込める努力をするのだ。

 しかも、やっていることが昨日と同じのようでも、実際には、昨日とは全く同じなんてことはない。天気も違えば、働いている人の精神状態だって、体調だって変わるだろう。毎日使う機械だって、100%同じなんてことはあり得ない。油も減れば、車輪だってすり減るだろうし、機械が置かれている室内の湿度だって変わるはずだ。

 同じことをやるためには、そのわずかな変化を感じ取って対応する能力が求められる。

 結局のところ、どれだけ毎日、真面目に真剣勝負で取り組んでいるかが決め手となるわけで。同じことを続けるとは、いわば、同じことを続けられる環境を作り出す日々の努力なくして成し得ないことなのだ。

 ところが、これがまた理不尽なところで、決められたことをやることも当たり前なので、評価されることはない。

 毎朝決まった時間に、どんな天気でも新聞を届けてくれる新聞配達員の方を、誰が褒めるだろうか。

 「いつもの時間に届かない」とクレームをつける人はいても、「いつもの時間に届く」と褒める人はいない。

 中には、「同じことだけやっとけばいいんだから、楽でいいよな」などと、同じことを繰り返す真面目さをバカにするような心ない人も世間にはいるのだから、たまったもんじゃない。
当たり前すぎて見すごされたあるADの“真価”

 いずれにしても、真面目な働き方は、人の目につかない“能力”で、派手なことをしたり、上司の機嫌を取ったり、大きな仕事をする方がよほど目立つ。しかも、真面目に働く人にとっては、それはある意味、仕事への正義感なのだから、そのことを自らアピールすることもない。結果、多くの人に見すごされ、その価値が認められるチャンスも減ってしまうのである。

 私自身、ひょんなことから「真面目な働き方」をするスタッフを知り、驚いたことがあった。

 以前、テレビの番組をやっている時のことだ。たまたま忘れ物を取りに深夜のオフィスに戻った時、1人のアシスタントディレクターが部屋の掃除をしていたのに出くわした。

 「えっ、いつもこんなことまでやって帰ってるの?」と驚く私に、「はい」とだけ彼は答えた。

 「もう帰るんなら、車だから近くの駅まで乗っていく?」と私が聞くと、「いえ、明日の準備があるんで」と答える彼。

 「準備って何?」

 「いや、ニュースの項目表だけ渡されてもすぐに進行表に書き写すことができないので、明日、何があるのか、予定されているニュース項目をチェックしてから帰ります」と言った。

 私は彼と、この時に初めて話した。何しろ目立たない若者だったし、自分をアピールすることもめったになかった。口数だって少なかったから、彼と話す機会がなかったのだ。

 おまけに、彼の同期たちは、どんどん企画を出してディレクターに昇進していたので、彼は置いてけぼりを食った、完全に目立たない存在だったのである。

 しかしながら、夜遅くまで掃除をし、翌日の準備をする彼を知ってから、何となく彼のことが気になり始めた。彼の行動を見ていると、いろいろな発見があった。

 まず、彼は誰よりも早く毎日出社し、打ち合わせの机を掃除していた。しかも、打ち合わせの後は、必ず部屋を片付けていたし、オンエアが終わった後も、使ったものはすべてきれいに片付ける。

 おまけに彼が担当した時の番組の進行表は、決して上手な字ではないけれど、見やすくきれいに書かれ、誤字脱字が全くなかった。

 彼は、実に真面目に決められたことをミスなくこなし、誰もやりたがらない仕事を無言で文句一つ言うことなく、当たり前のようにやっていた。

 しかしながら、そんな彼を評価する上司は、誰もいなかった。いや、正確には評価するシステムがなかったと言った方が適切かもしれない。誰もが、アシスタントディレクターは雑用で、言われたことさえやっていればいいと思っている節があったし、できて当たり前という風潮があったように思う。

 実際には、その当たり前のことができていない人の方が多いのに……。完ぺきにできているからといって、認められることはなかった。

 そして、どんなに誤字や脱字が多かろうとも、どんなに遅刻をしようとも、どんなに片付けもせずにさっさと帰ろうとも、企画を出して上司にアピールした人が、真面目な彼を追い抜いていく。本当は、彼のように完ぺきに真面目に雑用をこなす人がいるからこそ、番組が滞りなく進行しているのに……。誰もがそのことが当たり前すぎて、見すごしていたのだ。
当たり前を当たり前にこなす難しさ

 繰り返すが、真面目に働くことは当たり前のことである。しかしながら、当たり前のことを当たり前にすることは実に難しく、実際に当たり前のことを当たり前にできている人も少ない。

 ならば、やはり当たり前に真面目に働いていることは、評価されるべきことではないだろうか。

 「真面目なだけで給料を上げることはできないよ」

 そういう人もいるかもしれない。

 「真面目にミスなく仕事をやることと、仕事ができることは違うしね」

 こう反論する人もいることだろう。

 ひょっとすると、終身雇用という制度は、腹の底から真面目な人への会社からの報酬だったのかも、などと思ったりもする。

 真面目な社員の存在は、会社の土台となる。その土台を大切にしない会社に未来はない。土台となる働き方をする人が「バカを見る」ような世の中は、悲しすぎる。

 賃金アップができなくとも、昇進させることができなくとも、真面目に働く人の存在に気づいてほしいと願うわけで。

 「ここで私がやっていることには意味がある。頑張ろう」。こう彼らが自分の存在と仕事に意義を見いだせるように、トップや、彼らを管理するホワイトカラーの人々は努力してほしいと思うのだ。
「頑張っているな」と一言かけるだけでもいい

 「頑張っているな」という一言でもいいし、「いつもご苦労様」と敬意を表すだけでもいい。

 彼らの真面目さを腹の底からリスペクトし、「1人の人間として尊重されている」と彼らが実感できるように、「あなたは会社にとって大切な価値ある人です」というメッセージを送ってほしい。

 「自分のやっていることは価値がある」という感覚は、「有意味感(sense of meaningfulness)」と呼ばれ、この感覚が高まると頑張るエネルギーが蓄積される。「困難は自分への挑戦で、これらに立ち向かっていくことに意味がある」と考え、前向きに対処できる。ストレスの雨に対峙する傘を引き出すためのモチベーション要因となるのが、有意味感という感覚なのだ。

 その真面目さがバカを見ないようにすることが、会社の強さになることだろう。

 ちなみに、今回訪問させていただいた電力会社では、無機質になりがちな発電所の外壁に、少しでも働く人たちが癒やされるようにと、自然とマッチするような木々が描かれていた。

 「あれって、木に見えますか? 珍しいんですよ。あんな風にカラフルに壁面がデザインされるのって」

 工場で働くスタッフの方が少しばかりうれしそうに語っていたのが印象的だった。彼らには、大切にしようというトップの思いが届いていたのだ。

 真面目は疲れる。でも、何かと要領のいい人が評価されがちな世の中だからこそ、頑固なまでに真面目たれ! と思うのであった。

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このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学

上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。

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著者プロフィール

河合 薫(かわい・かおる)

河合 薫博士(Ph.D.、保健学)・東京大学客員研究員・気象予報士。千葉県生まれ。1988年、千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。医療・健康に関する様々な学会に所属。主な著書に『「なりたい自分」に変わる9:1の法則』(東洋経済新報社)、『上司の前で泣く女』『私が絶望しない理由』(ともにプレジデント社)、『を使えない上司はいらない!』(PHP新書604)


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