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「税・社会保障改革」は“国のかたち”を問うこと 理念・基本原則に立ち返った青臭い議論が必要だ
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/697.html
投稿者 tea 日時 2011 年 1 月 19 日 12:10:53: 1W1IXELjjF6i2
 

理念・基本原則に戻るのも良いのだが、正しい経済原理と、複数のシナリオに基づく定量的なシミュレーションによって、どの戦略で最も国益が増大するか?どの階層に、どのような損得が発生し、それを補正する最もコストが低い政策は何か?を決定していく作業が最も、必要だろう


http://diamond.jp/articles/-/10809
【第125回】 2011年1月19日
原英次郎 [ジャーナリスト/ダイヤモンド・オンライン客員論説委員]


与謝野馨氏起用で臨む菅改造内閣の重要課題「税・社会保障改革」は“国のかたち”を問うこと 理念・基本原則に立ち返った青臭い議論が必要だ


 1月14日、菅政権が内閣改造を行った。改造の目玉の一つが、たちあがれ日本を離党した与謝野馨氏を経済財政担当大臣に任命し、税・社会保障制度の一体的な改革に取り組むことだ。平たく言えば、高齢化によって膨らむ社会保障費とその財源をどうするか、ということである。

 だが、税制・社会保障制度は、まさに「国のかたち」をなす礎石の一つである。要は、この国をどのような理念、基本原則で運営するのかが問われるのだ。

 日本はいま構造的な変化に直面しているといわれる。まず検証すべきは、構造変化への対処は、従来の枠組みの改革で対処できるのか、抜本的な改革が必要なのか、である。したがって、大切なことは、各政党がどのような構造変化に直面しており、それが税・社会保障にどのような影響を及ぼすと認識しているかということである。

 そこでここでは、日本が直面している構造変化とはどのようなものか、それがどんな課題を突き付けているのかを、簡単な数字をベースとしながら、いま一度整理してみたい。

人口減少高齢化・低成長で社会保障に
どのような問題が起こっているのか

 日本が直面している、最も重要な構造変化は人口減少・高齢化とグローバリゼーションであることに異存はないだろう。

 日本はすでに2005年から人口減少社会に突入している。これから人口減少と高齢化が、近代社会に入って、どの国も経験したことのないスピードで進む。

 人口減少・高齢化がもたらす最大の影響は、GDP(国内総生産)つまり経済成長率の低下である。これが税・社会保障に大きなインパクトを及ぼす。簡単に言えば、GDPは労働者の数の増加と生産性の上昇率(1人当たりの労働者がどれだけのモノやサービスを生み出せるか)によって決まる。例えば、生産性が変わらないとしても、労働者が1人から2人に増えれば、GDPは2倍になるし、労働者が1人のままでも、生産性が2倍になれば、GDPは2倍になる。

次のページ>> 現役3人で高齢者1人が、10年後には現役2人で高齢者1人に

 人口減少のなかでも、とくに問題なのは15歳以上64歳未満の世代層である生産年齢人口の減少と、65歳以上の高齢者の増加である。生産年齢人口と労働者数は同じではないが、ほぼ同じ動きをするので、生産年齢人口で考えてみよう。

 生産年齢人口は2010年の8129万人が、10年後の20年に7346万人(10年比9.4%減)、30年に6740万人(同17%減)となる(国立社会保障・人口問題研究所・日本の将来推計人口2006年12月による)。とくに団塊の世代が65歳以上に移行する11年以降の数年間は、毎年1%台半ばの減少率となる。

 わずか1%程度と感じる向きもあると思うが、生産性の上昇率は2000年〜2007年の平均で0.61%(経済産業研究所JIPデータベース2010年)なのである。つまり、これからも生産性の上昇が同じ程度だとすれば、1人当たりのGDPは横ばいないしは少しずつ増えるものの、GDP全体は少しずつ小さくなっていく。日本の1年間の稼ぎが減っていくのだから、税率や社会保険料率が同じであれば、その収入も同様に少しずつ減っていく。

 一方、生産年齢人口と65歳以上の高齢者人口の比率はどうか。2010年で前者の8129万人に対して、後者は2941万人で2.8対1。20年が7364万人と3590万人で2.1対1、30年が6740万人と3667万人で1.8対1となる。

現在は現役3人で高齢者1人を支えるが
10年後には「現役2人で高齢者1人」に

 最もわかりやすい年金で、この影響を考えてみよう。現在は現役労働者のほぼ3人で、年金をもらう65歳以上の高齢者1人を養っているが、10年後の20年には約2人で1人を養わなくてはいけない。

 ごくラフに計算をしてみよう。年金受給者は現役労働者の平均賃金の50%をもらうと仮定すれば、3人で1人を支えているわけだから、1人当たりの年金保険料率は50÷3で、給与の16.6%となる。20年には2人で1人を支えるので、50÷2で保険料率は25%。ちなみに50年では1.3人で1人を支えるので、保険料率は38%になる。

次のページ>> グローバリゼーションがもたらす日本的労働慣行の崩壊

現在、公的(厚生)年金は、04年の大改革で保険料率を同年の13.58%から、毎年0.354%ずつ引き上げ、18.3%になったところで固定する一方、年金は徐々に引き下げるものの、現役労働者の平均給与の50%を下回らないことになっている。

 両者を比べて分かることは、現役労働者1人当たりの所得(1人当たりGDP)が増えないなかで、年金の水準を現役労働者の賃金の半分にまで引き下げても、保険料率を18.3%で抑えることはできないのではないかという疑問である。

 そもそもなぜ、こうした給付水準と負担の問題が起こるかと言えば、日本の公的年金は、給付に必要な年金を事前に積み立てておく「積立方式」ではなく、現役の労働者が老齢層の年金を支払うという「賦課方式」だからである。さらに、仕組みとしては社会保険方式だから、財源は保険料であるにもかかわらず、基礎年金の2分の1を税で賄っているとろに、複雑さがある(税方式か保険方式かも基本原則に関わる重要な問題だが、ここでは論じない)。

 賦課方式なので、現役労働者数が減る場合に、年金の給付水準を変えないとすれば、労働者1人当たりの負担を増やさざるをえない。反対に負担を一定に保とうとすれば、給付水準を減らさざるをえない。賦課方式を採用している以上、突き詰めれば、対策はこの二つのどちらかしかない。つまり、現在の賦課方式を前提とする限り、今後も対策はこの両者の調整しか方法はない。

 医療保険、介護保険についても、仕組みは社会保険・賦課方式で、財源としては一部税金が投入されており、基本的には公的年金と同じ課題を抱えている。

グローバリゼーションがもたらす
日本的労働慣行の崩壊

 2番目のグローバリゼーションとは何かについては、さまざまな見解がある。代表的なものは、貿易の自由化、資本の自由化が世界規模で進み、モノやサービス、おカネが国境を越えて自由に動きまわるようなったこと、その運営のルールは、価格メカニズムをベースとした市場経済であるということだろう。

次のページ>> 長期雇用、年功賃金、企業別組合のメリットとデメリット

 現代のグローバリゼーションの特徴は、冷戦の崩壊によって、旧共産圏諸国を含む地球規模で市場経済が広がったということ、ICT(情報通信技術)の発展によって、瞬時に巨額の資金が地球上を動き回るようになったということである。このグローバリゼーションは、冷戦崩壊後、世界で唯一の超大国となったアメリカの価値観、経済運営のルールに主導されたものであったことも忘れてはなるまい。

 グローバリゼーションの負の側面が、08年に起こった世界的な金融危機と同時不況だが、グローバリゼーションの流れ自体は変わらない。むしろ世界同時不況後に現れた姿は、先進国の停滞と新興国の勃興であり、日本企業は世界の各市場において、新興国の企業と激しい追い上げにさらされ、劣勢を余儀なくされている。

 社会保障とのかかわりで、グローバリゼーションを考えてみるとすれば、重要なことは労働市場にもたらす影響である。

長期雇用、年功賃金、企業別組合の
メリットとデメリット

 日本的経営の3種の神器と言われていたものが、長期(終身)雇用、年功賃金、企業別組合だ(中小零細企業には当てはまらないケースも多い)。1970年代から80年代にかけては、この仕組みが企業に対する高い忠誠心を生み出し、日本企業の強さの秘密と称賛されていた。

 その特徴は二つに集約できる。一つ目は、主に年齢が上がるにつれて、賃金が上がるものの、若い時には生み出した価値よりも賃金が少なく、高年齢になると生み出した価値以上の賃金が受け取れる。このため労働者からみれば、同じ会社に長く勤めることで、メリットが享受できる。企業から見れば、若年労働者を安いコストで雇用できる。まさに、高年齢層よりも若年層が多いピラミッド型の人口構成にぴったりと合った雇用形態だったと言える。

 2つ目は「同一労働同一賃金」ではないということだ。同じ産業に属し同じような職務をこなしていても、賃金は企業ごとに異なる。産業が異なればなおさらである。企業ごとの賃金決定を支えていたのが、企業別の労働組合であり、労使ともに同じ船に乗り合わせている一体感を生み出した。

次のページ>> 年功賃金は社会保障の役割を果たしていた側面も

 これに対して欧米諸国の多くは産業別組合であり、産業ごとに、経理部のこの職務ならいくら、旋盤工ならいくらと最低賃金が決まる。したがって、職務が変わらない限り、賃金が上下することはない。

 長期雇用、年功賃金は、常に売り上げが拡大し、毎年多くの若年層を採用しなければ維持できない。そうしなければ、毎年、従業員の平均年齢が上がっていき、1人あたりの平均賃金が上昇してしまうからだ。

 だが、グローバリゼーションの進行によって、日本企業は内外の市場で激しいコスト競争に巻き込まれ、年功賃金を維持できなくなりつつある。業績の変動によって、適正な従業員数も変動するのは、当然のことであるにもかかわらず、基本的には長期雇用を前提にしており、解雇規制も厳しいので、従業員=正社員を解雇することができない。このため、企業は非正規社員のウエイトを高め、景気や業績変動に応じて、労働コストを調整する安全弁として使ったのだ。

年功賃金は資源の再配分が進みにくいが
社会保障の役割を果たしていた側面も

 欧米と日本の雇用形態を図式的に表すと、欧米の場合は産業ごとに決まった職務別賃金を払えない企業は収益力のない衰退企業であり、市場から退場せざるをえなくなる。職務別賃金は勤続年数とは関連していないから、労働者にとっても企業にとって、転職しやすい労働市場であるといえる。言い換えると、衰退産業から、成長産業への資源移動を進めやすい。

 これに対して日本の場合は、労働者にとってみれば、年功は同じ会社でないと評価されないし、企業としても職務給ではないので、中途採用者をどこに位置付けるかが難しい。このため転職しにくい労働市場であるといえる。グローバリゼーションが進み、日本の産業構造の転換が迫られているなかで、資源の再配分を進めにくい労働市場になっているといえる。

 社会保障との関連で言えば、実はこの年功賃金が、実質的に社会保障の役割も果たしていた側面がある。労働者のライフサイクルを考えると、結婚、出産、育児、教育と年齢が上がるにつれて、必要な出費が増えていく。年功賃金は、このライフサイクルに対応していたともいえる。

次のページ>> マニフェストを転換するのなら民主党は総選挙を行うのが筋

もし、労働の生み出した価値に対応する職務給中心の雇用形態に移行していくのであれば、出費の増加を賃金で賄いきれない労働者が、数が多く出てくる可能性がある。つまり、出産、育児、教育は、全くの個人の世界、自己責任と割り切っていのかどうか。さらに、衰退産業から成長産業へ労働者が移動するために必要な再教育コストどうするのか。そういう課題に直面するということなのである。

マニフェストを転換するのなら
民主党は総選挙を行うのが筋

 以上の現状認識を踏まえて、最後に税・社会保障改革の一体改革に際して、どのような課題に直面しているかをまとめてみよう。

 経済のパイ(GDP)が、せいぜい横ばいか減少することが最もありうべきシナリオだとすれば、国民全員を満足させる回答を得ることはできない。責任ある政治家であれば、まずそのことを国民にきっちり説明しなくてはならない。

 パイが限られているのだから、「だれから取り、だれに配分するか」について、利害対立がより先鋭化する可能性がある。その対立は世代間と高所得者対低所得の2軸が想定される。だからこそ、各政党はどのような国のかたちをめざすのかという理念と、再分配の平等に関する基本原則を明示する必要がある。

 グローバリゼーションを拒むことはできないとすれば、それは労働市場の仕組みを大きく変える可能性がある。社会保障というと、年金、医療、介護という主に高齢者者が対象となるものを想定しがちだが、出産、育児、教育も含めたライフサイクル全般を視野に入れ、どこまで自助努力を求め、どこまで公的部門が面倒をみるのか、である。

 パイが大きくならないなかでは、より「平等」に重きを置き、社会のつながりを取り戻すことを目標にするという国の運営もある。戦後の工業化の過程で、田舎から都会へ若者を呼び寄せた結果、日本の社会構造・家族形態は様変わりすることになった。

次のページ>> 理念と政策によって政界再編の端緒を開け

 世帯数は1980年の3582万世帯から2010年には5028万世帯へと、40%も増えた。この30年間の家族形態を比べてみると、なんと核家族は60%から57%へとむしろ比重を落とし、単独世帯が20%から31%と大幅にその比率を増やしている。大家族→核家族→単独世帯へと、家族のあり方が大きく変貌しているのである。そして日本社会はその変貌に適応した、新たな「つながり」を見出していない。

 紋切り型ではあるが、現代の若者は、内向きでチャレンジ精神、ハングリー精神に欠けるといわれる。現代の20代、30代の若者は豊かな日本で育ってきた。これは言い換えれば、今の大人たちが目指して来た日本が生み出した子どもたちなのである。

 彼らの特徴が争いを好まず、優しく、他者とのつながりを重視している点にあるとすれば、彼らが求めているものは、経済成長というモノや金銭で測れるものではないかもしれないのだ。

 もちろん、公的関与はできるだけ小さくして、自助努力に重点を置くという制度設計もある。それによって経済の活力を増し、経済のパイを少しでも大きくする方が、社会保障の持続可能性を高めるという考え方も、当然ありうる。

 そうしたことを踏まえたうえで、各政党が理念と基本原則の「旗」を打ち立てて欲しい。そしてその旗を掲げて、税・社会保障を争点に総選挙を行うべきだろう。とくに、政権党である民主党には、マニュフェストと根本的に異なる方向性を打ち出すのであれば、総選挙で再度、信を問うことが民主主義の正当な手続きというものである。

 そうすれば、国民は一人一人がどの旗を選択するのか、最も身近な税・社会保障という争点を通して、考える機会を持つ。もし、各政党内でも、旗を立てることができなければ、同じ旗を立てる者同士で集まり、政界再編へ突き進めばよい。税・社会保障の抜本的な改革は、国民一人一人が政治過程に参加する地平を開く、理念と政策によって政界再編の端緒を開きうるという二つの意味で、大きな意義を持っている。

(ダイヤモンド・オンライン客員論説委員 原 英次郎)  

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コメント
 
01. 無段活用 2011年1月19日 17:39:46: 2iUYbJALJ4TtU : PG1nqWSNAg
個人的には高齢化はあまり心配していない。年金をもらいながら働く、というスタ
イルが広まると思うからだ。働いて、それでも生計を維持できない人や、働くこと
のできない人に、必要な補助を与えればよい。このように考えると、実は、通常の
公的扶助と発想の根本は変わらない。「高齢」が議論の前提から、変数の一つに変
わるだけだ。平均寿命が80歳なのに、65歳で引退だと、余生は退屈だろう。

高齢者医療についても、すでにいくつかの自治体で実施されているような予防医療
を、全国的に水平展開することにより、病気にさせないことによって医療費を押さ
え込むという、テクニカルな問題に収斂すると思っている。

この国に、正社員と非正規社員(自営業者もこれに含まれるかも知れない)とい
う、2種類のシステムがあることは、問題をややこしくしている。勤労者の生活の
ステージに合わせて適切な賃金を手当てする、ということについて、正社員は企
業が行っているが、非正規社員は誰もしていない。だから、多くの非正規社員は
結婚・出産・育児というステージを組むことができない。

それを社会が行おうというのが、2009年マニフェスト路線であり、鳩山政権が打ち
出した「こども手当」「高校授業料無償化」だったと思う。その背景には高邁な
理想があったのだ。

既存勢力はこの路線を攻撃し、潰した。彼らに、これに対抗し得るような、別の
高邁な理想があったわけではない。単に、既得権益(=今の自分のカネと地位)を
守りたかっただけなのだ。

企業にはすでに正社員を抱える余力がない。企業は、かつてのように、従業員の福
利厚生まで手当てすることはもうできない。いずれ、そういったものも、社会が全
面的に抱えなければならなくなるだろう、その時、鳩山氏が行おうとしていたこと
が正しかったと証明される日が、来るのだと思う。


02. 2011年1月21日 13:06:10: cqRnZH2CUM
基本的に、自由貿易(国際分業)の利益を今後も享受しようと思うなら、企業の生産性を上昇させ、社会保障は消費税や個人からの徴税等によって支えるしかないだろう
また公的部門は出来る限り小さい方が望ましい

http://diamond.jp/articles/-/10845
第14回】 2011年1月21日野口悠紀雄 [早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授]
内需を増加させたいのなら、なぜ医療費を抑制するのか?
団塊世代による医療・介護支出の「スペンディング・ウエイブ」が生じてもおかしくない
 しばしば、「少子高齢化のために、国内市場が縮小するので問題だ」と言われる。自動車や家電製品、あるいは住宅について見れば、確かにそのとおりだ(注1)。たとえば、自動車の国内販売台数は、1996年に700万台超のピークに達してからはほぼ傾向的に減少を続け、2009年には450万台程度にまでなった。
 しかし、すべての財やサービスに対する需要が、高齢化によって減少するわけではない。高齢者人口が多くなれば、医療や介護に対する需要が増加す る。だから、団塊世代の高齢化による「スペンディング・ウエイブ」がこれから生じても決しておかしくない。80年代の末に不動産価格のバブルが発生した が、それは、団塊世代の住宅購入時期とほぼ重なっている。これからの日本で、医療や介護がバブルを起こしたとしても、決して不思議ではないのである。
 もちろん、医療や介護に対する需要は、自動車や家電に対する需要とは、いくつかの点で異なる性質を持っている。したがって、高齢者数が増えるからと言って、直ちに医療や介護の消費が拡大するとは限らない。それが以下で議論される問題である。
(注1)ただし、それが物価下落の原因だとするのは間違っている。物価動向は、需給ギャップに あまり影響されないのだ。このことは、経済危機で総需要が急激かつ大規模に減少したにもかかわらず、09年の消費者物価が上昇したことをみれば明らかだ。 物価(とくに製造業の製品)は、国際的な市場の価格によって決まる面が強い。90年代以降の物価下落は、基本的には新興国の工業化によってもたらされたも のである。
日本の医療費支出は少ない
 まず医療費を取り上げよう。
 【図表1】のA欄には、OECD諸国における総医療費のGDPに対する比率を示した。
次のページ>>日本の公的医療費の比率は、かなり高い

最も高いのがアメリカで、15.7%となっている。多くのヨーロッパ諸国で10%を超えている。日本は8.1%で、アメリカの2分の1程度だ。イギ リスでは、2001年までこの比率が5%台で、日本より低かった。このため、国民の医療に対する不満が高かったのだが、ブレア政権が医療費増加政策に転 じ、2004年ごろからかなり上昇した。その結果、現在では日本より高くなっている。
 仮に日本の比率をアメリカ並みに高めることができるとすれば、国内需要はGDPの8%近く増えることになる。「需給ギャップの存在が日本経済を停滞させている」としばしば言われるのだが、これだけの増加があれば、事態は大きく変わる。
 しかも、アメリカの高齢者比率は日本よりかなり低い。この点を考慮すれば、日本の医療費がもっと増えても、不思議はない。だから、国内需要はもっと増えるはずだ。もし、「内需不足が日本経済停滞の原因」というのであれば、これこそが日本の救世主になるはずではないか。
 つまり、「内需を増加させる」という観点からは、医療や介護の支出を増加させるべきなのだ。そして、「日本経済活性化のために、これらの支出を増 加させましょう」というキャンペーンが行われてもよいはずだ。これらの支出増を阻んでいる要因があるとすれば、それを除去すべきだ。
 ところが、一般には「医療費を抑制すべきだ」という意見が強い。しかし、一方で「内需を拡大しなければならない」と言い、他方で「医療費を抑制する」というのでは、まったく矛盾している。
日本の公的医療費の比率は、かなり高い
 医療費支出を阻害するひとつの要因として、公的主体の関与の大きさが考えられる。
【図表1】のB欄に示すように、総医療費のうち公的医療費の比率は、国によって かなり違う。最も高いのがスウェーデン、ノルウェイ、デンマークなどの北欧諸国で80%台、つぎがヨーロッパ諸国で70%台、スイス、イスラエル、韓国が 50%台、そして最も低いのがアメリカで40%台となっている。日本は81.9%で、北欧諸国並みの高さだ。
次のページ>>介護サービスは、「需要があっても供給が制度的に制限される」

日本とアメリカだけを比べれば、日本は公的医療費の比率が高く、アメリカは低い。そして、GDPに対する総医療費の比率は、アメリカで高く、日本で 低い。だから、公的施策の比率が高いために医療費が抑制されていると考えることができる。とくに、アメリカでは公的な医療保険がないために高額医療費に対 する制約が緩く、このために高度医療が発展しているのだと考えることもできる。事実アメリカは、高度医療の分野で世界をリードしている。
 もちろん、公的医療比率が高いのがよいのか低いのがよいのかは、さまざまな点から考えなければならず、簡単に結論を出すことはできない。アメリカ に公的医療保険が存在しないことが大きな問題だとは、しばしば指摘される。アメリカでは、公的医療支出は、高齢者・障害者(メディケア)と低所得者(メ ディケイド)に限定されており、全国民をカバーする公的医療保険は存在しない。このため、保険に加入していない人々が医療を受けられない場合がある。これ は、確かに問題だ。
 しかし、「公的施策のカバレッジが高い方がよい」と一概に結論づけることもできないのである。
 医療以外の分野でも、サービスが公的主体が関与する社会保障制度の枠内で供給されると、「需要があっても供給が制度的に制限される」という場合が考えられる。
 介護サービスは、その典型的な例だ。この分野の有効求人倍率が、現在の日本では例外的に高く、1倍を超えているのは、その何よりの証拠である。介 護保険制度の中で介護従事者の賃金が抑制されているため、介護従事者を確保できず、介護サービスに対する超過需要が発生しているのである。特別養護老人 ホームも、入居希望が供給を遥かに上回っている。それは、ホームの供給が需要に追いつかないことを示しているのだ。
 医療や介護の費用負担問題は、年金のそれとは性質が違う。年金は単なるトランスファーだから、増やしても減らしても、資源配分に影響が及ぶこと は、(少なくとも直接的効果としては)ない。しかし、医療や介護の場合は、「どれだけの労働力や資源をその分野に振り向けるか」「経済全体として、いかな る財やサービスを生産し、消費すべきか」という資源配分の問題とかかわっているのである。
 そして、資源配分の問題は、第1義的には、公的主体の関与の程度と大きく関連しているのである。医療や介護については、公的主体の関与が大きすぎ ることが、資源の最適配分を阻害している可能性がある。つまり、本来介護に投入されるべき人材と資源が、この分野に投入されていないのである。それは、内 需を減少させるという意味で日本経済全体の立場から問題であるばかりでなく、望まれているサービスが供給されていないという意味で問題である。
次のページ>>なぜ支出抑制が望ましいと考えられるのか


なぜ支出抑制が望ましいと考えられるのか
 以上で述べたことにもかかわらず、医療費についてはとくに、「抑制すべきだ」という意見が一般的だ。「医療費の上昇には歯止めがかけられなければならない。医療費は少ない方が望ましい」と考えられているのだ。それは、なぜだろう?
 第1の理由は、これらの支出が増えたところで、自動車産業や電機産業など、日本経済の中核をなす産業には直接の需要増加にならないことだ。だから、これらの産業を助けることにはならない。つまり、需要と供給のミスマッチが存在しているのである。
 しかし、日本経済が本来追求すべき目的は、自動車や電機製品の需要を増やして関連産業の生き残りを助けることではないはずである。新しい産業を生み出して、今後増加するタイプの需要に応えるべきだ。だから、必要なのは、ミスマッチの解消である。
 既存産業の枠内においても、ミスマッチ解消の可能性はある。例えば、電器産業が高度医療機器の開発と生産を重点的に行う、住宅産業が在宅看護のための受託リフォームを行うなどである(注2)。
 こうしたことは、すでに行われてはいるが、さらに促進させることも可能だろう。また、医療機器は、内需だけでなく輸出においても今後の成長が期待 できる分野だ。単に機器というハードウェアを輸出するだけでなく、医療ツーリズムという形でサービスを含めて輸出することも可能である(注3)。仮に政府が補助するのであれば、これまで行われたようなエコ家電とかエコカーという基準が不明確なものではなく、明確にこうしたものに限定することが必要だ。
「医療費を抑制すべき」と言われる第2の理由は、公的施策運営者の立場からの論理にある。つまり、「医療費が増えれば、公費や保険の負担を増やさなければならない。しかし、それは政治的な抵抗があって大変だ。だから、医療費を抑制しよう」ということである。
 確かに、医療費が増加すれば、その負担の割り振りは、政治的に難しい問題になる。現在論議されている後期高齢者医療は、まさしくこの問題だ。
次のページ>>公的医療保険の役割を縮小させる
 しかし、これは、国や地方、あるいは各種の健康保険制度がいかに負担を他に押し付けるかという問題であり、経済全体の資源配分の問題ではない。そ の問題が現実の行政や政治の問題として重要であることは疑いないが、こうした観点のみから議論を行えば、問題の本質を見失うことになる。
(注2)日本経済新聞(2011年1月18日)は、ソニーやキヤノンが、内視鏡やがん診断装置などの医療分野を拡大すると伝えている。2009年の世界の医療機器市場は23兆円で、新興国中心に今後の成長が望まれるとしている。
(注3)私は2004年から05年にかけてアメリカのスタンフォード大学に滞在したが、私が住んでいたアパートには、スタンフォード・メディカルセンターで治療を受ける日本人が何人かいた。
公的医療保険の役割を縮小させる
 すでに述べたように、アメリカに公的な医療保険がないのは、問題だと言われる。確かに問題である側面もあるのだが、仮に需要を増やす方がよいと考えるのなら、公的保険の役割を減少させる方がよい。
 もちろん、医療にしても介護にしても、需要は偶然の事情に大きく左右される。だから、保険は必要だ。しかし、保険は民間の保険会社が提供できる。実際、前回述べたように、公的保険でなければならない理由は薄弱だ。そして、現実にも、この分野に民間の保険が存在する。
 1980年代に、「医療費抑制」キャンペーンが行われたことがある。この時に問題とされたのは、「薬価差益」であった。医療機関は、健康保険組合 に対して、薬価基準どおりの薬剤費を請求する。しかし、実際には、医療機関は医薬品卸業者から基準薬価より安く医薬品を仕入れており、差額が医療機関の利 益になっているとの議論である。このため、「薬漬け医療」が行われ、薬剤費の無駄遣いが生じていると論じられた。確かに、こうした問題が存在するなら、無 駄遣いが生じているわけで、資源配分の観点からも問題だ。だから、医療費の抑制が必要である。
 しかし、この問題は、公的医療保険の運用がルーズであるために起こった問題である。医薬品の実際の流通価格を頻繁に調査し、薬価基準が高ければそ れを引き下げるべきだ。医療保険が民間主体によって行われていれば、この類のチェックは、綿密になされるだろう。なお、1986年に23.0%あった薬価 差率は、薬価切り下げによって低下し、2004年には6.3%になった。
質問1 医療・介護分野は、日本を支える新たな産業となる?
描画中...65.7%
なる
20.9%
ならない
13.4%
どちらともいえない



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