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資本主義の不安 ケインジアン対マネタリスト 貨幣数量説 終身雇用の合理性
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/751.html
投稿者 tea 日時 2011 年 1 月 23 日 22:16:28: 1W1IXELjjF6i2
 

池田氏は補助金すら否定する、経済効率市場主義に近い立場で、まあ将来的には悪くは無いのだが、
残念ながら、大衆社会において政治的に実現可能ではないことに対する認識が甘い気がする。
政治家ならともかく、評論家であれば原理主義者も社会において必要だからw
それはそれで良いのだろう。

理想的には、発展レベルの異なる利己的な主権国家が競合する状況での、
政治的に最低必要な社会保障と、経済の持続可能性に関する理論も欲しいが
なかなか難しそうだ。






池田信夫メールマガジン

(2010年10月4日?):「オンデマンド経済学講座」

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51669368.html" title="ケインジアン対マネタリスト" rel="bookmark">ケインジアン対マネタリスト






マクロ経済の問題は、特殊な術語が出てきて一般にはわかりにくいので、朝生でも田原さんに「むずかしい話はやめてくれ」などとさえぎられて話が深まらないが、本質的にはわかりやすい(そして経済政策の本質にかかわる)問題である。ここでは、なるべく専門用語を使わないで解説してみよう。



http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51669057.html>貨幣数量説が成り立つかどうかというのは経済学上の大問題で、私の学生のころ論争が行なわれていた。第1の争点は、1930年代の大恐慌の原因は何かということだ。これについてはケインズの「有効需要」説が通説だったが。http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301465.html>Friedman-Schwartzの記念碑的な業績によって、FRBが金本位制に固執して不況のさなかに通貨供給を絞ったことが原因だという説が有力になった。



第2の争点は、裁量的なケインズ政策がいいのか一律のルールがいいのかという問題である。これについては、裁量的な財政政策は無効だというフリードマンの主張がhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301038.html>自然失業率の理論として確立され、彼はノーベル賞を受賞した。この理論によってケインジアンは敗北し、思想的には非裁量的なルールによって運営すべきだというマネタリストが勝利した。



しかし問題は、その目標として何を設定するかだ。フリードマンは「マネーストックが年率k%で増大するように中央銀行が通貨供給量を調節する」というルールを提唱したが、このとき中銀がマネーストックをコントロールできるかどうかが焦点となる。1980年代に英米で行なわれた「実験」によれば、中銀の供給するマネタリーベースと市中に流通するマネーストックには安定した関係がないことが判明し、k%ルールは棄却された。つまりケインジアンもマネタリストも敗北し、80年代にこの論争は終わった。



これを受けて90年代から有力になったのが、インフレ目標である。これはインフレを抑制する目標としては機能するが、デフレをインフレにする手段はない。それを実現する方法として、中央銀行が「4%のインフレを15年続けると宣言する」という政策を提案したのがhttp://cruel.org/krugman/krugback.pdf>クルーグマンである。しかしこれには「中銀が無責任になることにコミットする」という難点があり、最近では彼はこの政策を放棄して財政政策の必要を主張している。



つまりケインジアン対マネタリストの論争の本質は、裁量かルールかということで、経済政策全般にも当てはまるのだ。個別の産業に補助金をばらまくターゲティング政策や、ゾンビ企業を救済するベイルアウト政策は、結果的には予想を変化させて企業の「甘え」を増長させ、経済を混乱させて不況を長期化する。



したがって予想可能なルールで政府や中央銀行を拘束し、民間はそのルールに従って行動すべきだ、という法の支配がインフレ目標の理念である。この点からいうと、リフレ派のいう「日銀が100兆円ばらまいてインフレにしろ」といった極端に裁量的な金融政策は、インフレ目標の思想に反する。



しかしこの種のルールには、それが適切かどうかを評価するルールがない、というメタレベルの難点がある。今回の金融危機では銀行の債務超過が最大の問題であり、これを解決するには、インフレ目標は何の役にも立たない。結果的に、FRBは従来のルールにこだわらないで銀行への資本注入と大幅な金融緩和を行なったが、それが正しいかどうかを判断するルールは存在しない。



現在の世界の金融専門家の大方のコンセンサスは、法的拘束力のないhttp://www.bis.org/review/r090923d.pdf>柔軟なインフレ目標が望ましいということだろう。平時には予想可能な物価上昇率を設けることで民間の経済活動がスムーズになるが、「有事」にはそんな機械的な目標を絶対視しないで機動的な金融調整を行なうべきだ。これは日銀やFRBが現に採用している目標であり、ベストとはいえないかもしれないが、経験的には妥当なところだろう。





http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51669057.html" title="貨幣数量説について*" rel="bookmark">貨幣数量説について*






http://twitter.com/#!/nagu_ryu/status/28689019864879104>ツイッターでややこしい質問があったので、ここで説明しておく(リフレを信じてない人は読む必要はない)。



私が何度も説明したようにhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51626688.html>マネタリーベースと物価に相関はない。これは高橋洋一氏も認め、ニコ生のときは「福井さんがもう少し長くやっていれば・・・」などと言い訳していたが、今度はhttp://diamond.jp/articles/-/10728?page=5>各国比較を出して、「世界各国の通貨量増減率と物価上昇率の関係をみると、相関係数は0.7程度とかなり相関がある(図4参照)」と書いている。



この図4は出所も国名も書かれておらず、「通貨量」とはマネーストックなのかマネタリーベースなのかわからないが、前者だと思われる。通貨統計でマネタリーベースが問題になることはまずなく、日本の場合は無相関なので飛び離れた値になるはずだからである。マネーストックと物価に(弱い)相関があることは、貨幣数量方程式として知られている。



MV=PY ・・・(1)



ここでMはマネーストック、Vは流通速度、Pは物価、YはGDPである。これは恒等式なので、Yを所与とすれば、Vが安定している場合には



M=P ・・・(2)



という関係が近似的に成り立つことがある。つまり物価がマネーストックで決まるという関係がある。しかし2000年代の日本では、図のように(2)式のような関係は見られず、むしろマネーストックと物価の変化は逆相関しているようにも見える。



http://livedoor.blogimg.jp/ikeda_nobuo/imgs/3/9/3990efda-s.jpg" width="498" height="330" border="0" alt="boj0122" hspace="5" class="pict" />



マネーストックと消費者物価の変化率(対前年同月比、%)

この原因は、ゼロ金利状態で資金需要が飽和したため、通貨供給が増えても資金需要が増えない「デフレの罠」に入ったためと考えられる。つまり(1)式で貨幣のマネーストック(M)が増えても流通速度(V)がそれを相殺するように減るため、結果として(2)が成り立たないのだ。しかもこれはマネーストックと物価の相関であり、何度も紹介したように(日銀の供給する)マネタリーベースと物価にはまったく相関がない。



数学科出身の高橋氏が、まさかこんな初歩的な統計を理解していないはずがないのに、http://twitter.com/#!/YoichiTakahashi/status/28618822621597696>「一般物価は中央銀行の出す通貨量で決まる」などという事実誤認を繰り返し表明するのは、モリタクと同じく政治的な意図によるデマゴギーといわざるをえない。老婆心ながら言っておくと、複数の元上司や元同僚から「高橋は昔は優秀だったのに、最近はおかしくなった」という嘆きを聞かされたが、私も元同僚として残念に思う。





http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51668002.html" title="資本主義の不安" rel="bookmark">資本主義の不安






http://www.amazon.co.jp/%E8%B3%87%E6%9C%AC%E8%AB%96%E3%80%88%E7%AC%AC1%E5%B7%BB-%E4%B8%8A-%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4480401148%3FSubscriptionId%3DAKIAIM37F4M6SCT5W23Q%26tag%3Dld-news12-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4480401148">http://ecx.images-amazon.com/images/I/417BNVD1GPL._SL160_.jpg" alt="資本論〈第1巻(上)〉 (マルクス・コレクション)" border="0" hspace="5" class="pict" align="left" />きのうのアゴラ連続セミナーでは『資本論』を読んだ。この準備のために、10年ぶりぐらいに訳本を読んだが、あらためてすごい本だと思った。といっても、昨今のマルクス本のように「プレカリアートの味方」だとか「人間疎外を告発した」とかいう話ではない。マルクスは、そういう凡庸な平等主義を否定していた。



一般には、マルクスの価値論はリカードの焼き直しだと思われているが、http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51486854.html>廣松渉も指摘するように、彼は価値実体論を疑い、あと一歩で労働価値説を否定するところまで行っている。たとえば等価形態を説明する部分には、有名な次のような叙述がある:
この人が王であるのは、ただ他の人々が彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。ところが彼らは反対に、彼が王だから自分たちは臣下だと思うのである。
これは「価値は距離のようなもので、一物の価値というのはありえない」とリカードを批判したhttp://www.eonet.ne.jp/~bookman/19seiki/bailey.htm>ベイリーの相対的価値論の剽窃なのだが、マルクスはベイリーを「俗流経済学者」として罵倒し、彼は労働価値説を理解していなかったのだという。しかし価値が王の地位のように主観的なものであれば、それが労働時間で決まるはずがない。http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292959.html>デリダが指摘したように、価値が「幽霊のような対象性」だと述べたマルクスと、労働価値説のマルクスは矛盾しているのだ。



マルクスは商品の「物神性」を論じ、その延長で貨幣の王に似た性格を論じる(これは岩井克人氏の『貨幣論』でよく知られているが、彼の議論はマルクスと宇野弘蔵の焼き直し)。貨幣はそれが貨幣と認められるがゆえに貨幣であるという同語反復的な存在だが、ふだんは人々は貨幣が王のように内在的な権威をもつと信じている。



ゲーム理論でいうと、これは共有知識の問題である。Aumannなどの厳密な基礎論によれば、ナッシュ均衡の存在する必要条件は、全員が他人の利得をすべて知っていることを全員が知っている・・・という完璧な共有知識である。貨幣が存在する状態は協調ゲームの均衡だが、誰かが「王様は裸じゃないか」と疑い始めると均衡は崩壊し、取り付けやハイパーインフレが起こる。



これはマルクスの恐慌論を理解する上で重要だ。恐慌の原因は「私的所有と社会的生産の矛盾」によってつねに過剰生産や過少消費が起こることだが、これは「恐慌の可能性を示すに過ぎない」とマルクスはいう。景気循環は市場で調整できるからだ。



しかし人々の貨幣への信仰が過剰になると、それがもともとトートロジーであるがゆえに「資産価格が上がると信じる人々が増えれば資産価格が上がる」という危険な正のフィードバックが発生する。これによってバブルとその崩壊する金融恐慌は、必然的かつ定期的に起こるのである。



マルクスの予言は、不幸なことに21世紀になっても正しいことが証明された。これは今回の金融危機で注目されたhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51476867.html>ミンスキーの理論とよく似ているが、マルクスはそれを単なる予想形成の問題ではなく、人々が人的非依存性のもとで分業する近代社会の本質的な矛盾だと考えていた。



伝統的社会では人的依存性によって互いをよく知っていた人々が都会に出てくると、彼らを結びつけるのは商品と貨幣によるく物的依存性だけになる。人々は互いに不可知のモナドになるが、かろうじて貨幣という神への信仰でつながっている。しかし神も王も貨幣もトートロジーなので、人々が取り付けに走ると、すべての銀行は破綻する。



スミスが明るくうたい上げた分業や市民社会の影の面を、マルクスはきわめて深いレベルで見ていた。貨幣は私的な分業によって分裂した近代社会の抱える根源的な不安を覆い隠す「イチジクの葉」であり、金融工学がいくら高度に発達してもそれを克服することはできない。だからバブルも金融危機も、また起こるだろう。それは資本主義の不治の病なのだ。




http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51666897.html" title="終身雇用の合理性" rel="bookmark">終身雇用の合理性






きのうのhttp://twitter.com/#!/munetomoando/status/27035209014710272>安藤至大氏の一連のつぶやきについて、ややこしい話なのでツイッターでは書けなかった点を少し補足。
長期雇用契約を結ぶ際に,使用者側は水準以上の人を雇っているはずです。採用に関しては広範囲の自由が認められているからです。しかし,その中に大活躍する人やうまくいかない人がいることは避けられません。
だから長期契約を守るために窓際族を抱えることも必要だというのは一理ある。http://www.economics.harvard.edu/faculty/shleifer/files/breach_of_trust.pdf>Shleifer-Summersは、敵対的企業買収は労働者に対する長期の「暗黙の契約」を破って彼らの企業への人的投資の成果を事後的に搾取することによって利益を上げるものだと論じた。



労働者は長期的に雇ってもらうことを前提にその会社でしか役に立たない企業特殊的技能を蓄積する。その技能が必要なくなっても経営者は解雇できないが、企業買収によって彼らを解雇すると企業の業績は上がる。これは「約束を破る」ことによって労働者の企業への投資を搾取するからだ。



このようなホールドアップが頻発すると、労働者は企業特殊的技能に投資しなくなり、生産性は低下する。終身雇用は、暗黙の契約を守ることによって労働者の人的資本への投資を促進するシステムと考えることができる。他方、それは企業特殊的技能が必要なくなってからも社内失業を抱えることによる非効率性をもたらす。



このメリットとデメリットのどっちが大きいかは、業務の性格に依存する。自動車のように部品の補完性が強くチームワークが重要な場合には、長期雇用によって労働者のコミットメントを強めることが重要だが、コンピュータのように工程がモジュール化されると、企業特殊的技能の重要性が低下するので、企業買収で約束を破ることが合理的になる。



だから自動車産業では今でも長期雇用が合理的なので、解雇規制を撤廃してもトヨタは正社員には終身雇用を保障するだろう。しかしすべての企業がそういう雇用慣行をとるのは非効率的である。特に情報産業ではソフトウェアとハードウェアの補完性はないので、たとえばアップルは工場をすべて売却してハードウェアはアジアで製造している。



「義理と人情」で窓際族の面倒をみる終身雇用という規範は、部品の組み合わせが複雑で漸進的な改良が頻繁に必要になる知識集約型の製造業では合理的だったが、そういう「すり合わせ」の優位はデジタル技術によって失われつつある。だから雇用契約の自由度を上げて契約を多様化すべきである。



これは政府が指導する必要はなく、現在の(法律および判例による)解雇制限を緩和すれば、雇用はおのずから多様化するだろう。だからhttp://twitter.com/#!/munetomoando/status/27054485771653120>安藤氏もいうように「整理解雇の要件は緩和というか合理化と明確化をすべきだ」というのが多くの労働経済学者の意見である。



 

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コメント
 
01. 2011年1月26日 22:02:31: 5OSV8Up776
マネタリズムなんだけどさー、あれってアメリカじゃどうなってんの?
ハーバードとかは変わらずニューリベラリズムだよねぇ。
ネオリベ教えている大学なんてあるの?
一時はシカゴ学派が隆盛でノーベル銀行賞なんかもとりまくって、それでマネタリズムだの何だのかんだのと有力になったわけだけどさ。
それでもアメリカ政府がマネタリズムの経済政策をとったことなんか全然ないよな?
FRBがフリードマンたちの言うことを聞いたのはほんの一時期で、せいぜい2〜3年で伝統的な金融政策にもどったよねぇ。
クルーグマンのエッセイとか読むと、マネタリズムは80年代の終わりには失笑のネタに成り下がっていたようなこと書いてんだけどさ。

ほんとのとこ、どうなの?

シカゴ学派って、日本の学者さまたちがありがってるようなものなのかい?
ってか、そもそもノビーって学者だったっけ?


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