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いわし しめなわ おにはそと ― 節分
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投稿者 あやみ 日時 2012 年 1 月 29 日 15:11:09: oZZpvrAh64sJM
 


つれづればな http://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-72.htmlより転載
- 2012/01/29(Sun) -

さて、まもなく節分がやってくる。節分とは父親が豆をぶつけられる日ではない。

立春、立夏、立秋、立冬は「節」とよばれ、それは新しい季節を迎える日でありその前日が「節分」であった。季節の変わり目に入り込む邪鬼を追い払う儀式である追儺(ついな)の風習が飛鳥時代から奈良時代初期にかけて中国から暦学とともに伝わり宮中行事として定着した。日本では春の始まりである立春が特に大事にされ、その前日には炒り豆を撒いて鬼を追い払う行事が「節分」という名で今も残る。明治の改暦後に正月をはじめとするあらゆる行事が西暦に直された中でこの節分は古い暦に基づいて今も続いている。

明治以前、我が国では新月から新月を一ヶ月と考え、新月が月初め、満月を月中、次の新月の前を晦日として数えた。そして立春に一番ちかい新月が「正月一日」であった。

ここで今では考えにくいことが起こる。その歳によって、節分が正月の前であったり後に来たり或いは同日になったりするのだ。これは一ヶ月を月の満ち欠け(月の公転周期)で勘定しているのに対して「節」が太陽の運行(地球の公転周期)から導き出されているために起こる。我々には不可解だが当時にしてみれば当たり前であった。

炒り豆を鬼に投げつける風習、これは日本にしかない。生の大豆をわざわざ炒り豆にするのは、逃げ出した鬼の怨念がふたたび芽を出さぬようにとの願いがあるという。この念の入れようがまた日本らしい。
この宮中行事は平安時代には庶民にも広がり今に受け継がれている。そして家の門口に「柊鰯(ひいらぎいわし)」を飾った。

柊の小枝に先に焼いた鰯の頭を刺しそれを注連縄につける。豆撒きの影に隠れ忘れられたかのように見えるが、いまでも節分にこれを飾る地域もある。

参考:門守りのサイト―柊鰯 


鰯のにおいに誘われた鬼が門に近づくと柊の葉に目を刺されて退散するというこの柊鰯、最古の記録は平安時代の「土佐日記」に「小家の門の注連縄の鯔の頭と柊」とある。鰯ではなく鯔(なよし=ぼら)であるが同じ役割を果していたと考えていいだろう。
鯔は成長につれて名前が変わる出世魚、目出度いとされたために門にかざられたというが、それが何故いわしに変わったかは解っていない。鰯の古語がなよしという鯔の別名だったという説もある。ただ、この日記の日付けは承平五年(935年)元日となっている。

その昔、元日と節分は別ではありながらも一つの流れの中にある行事であったことが伺われる。またその流れの延長には上弦の月の人日の節句(七草)、満月の小正月が待っている。いま伊勢神宮で売られる正月の注連飾りには蜜柑やウラジロといっしょに柊の枝がついている。柊鰯も注連飾りもその役割はともに春の始まりに穢れが入り込むことを防ぐ「さかひ」であることを思えば繋がりがあって当然なのかもしれない。


「さかひ」(仏教でいう結界)は、人の生きる俗世界のうらみ、わざわい、やまい、くるしみ、なやみという穢れが入ることのできない聖域を作り出し、そこに神を迎え入れる場をしつらえるためにある。動詞「さく(放く、離く、裂く、割く)」に意味を限定する接尾辞がつき「さこふ(境ふ)」となった。さらに名詞に変化したのが「さかひ(境)」である。寺社の「境内」とはそういった場で、鳥居や山門という「さく(柵)」によって俗界と別けられている。

神社仏閣にかぎらず日本の建築にはこの「さかひ」が意識が随所に見られる。例えば茶室は聖域とみなされ、そこに至るまでには露地をぬけ蹲踞(つくばい)で清めをおこない、にじり口をくぐるという段階を踏まなければならない。
また家屋においても玄関を境に床が高くなり、人は履物をぬいでそこを上がる。外の湿気や汚れから家を守るための日本の屋づくりに起因することだが、やはりここでも穢れを防ぐという考え方に通じる。
外から内へ、廊から間へ、間から間へと違った場に入る時には一呼吸おいて意識を変えるのが作法であった。敷居を踏みつけてズカズカと入り込むのはよろしくない。襖や障子が閉まっているときは「隔絶」を意味し、問わずに外から開けてはならぬという不文律があった。几帳やついたて、屏風の向こう側もむやみに覗くものではない。

入るものすべてを跳ね返すものであってはいけない。商売をしていれば福の神にも客にも来てもらわなくては困る。門を硬く閉ざしてしまえば商売にならず逆にあけすけでは何が入り込んでくるか知れたものでないし福も客も散ってしまう。そこで重宝したのが店舗と街路を仕切る「暖簾」であった。店の銘を染め抜き、暖簾がでていれば「商い中」の合図でもある。店の中と外では暖簾に視界を遮られながらもお互いの気配は感じることができる。客は店の賑わいに誘われ、くぐって入ればほんのひと時その領域にとらわれの身となる。

塩は手っ取り早く穢れを祓う便利なものだった。腐敗を防ぐ効果に古くから神性を見出していたからだ。家や店の入り口には普段から盛り塩をし、いまいましい客を追い出したあとにはあてつけがましく塩をまいた。


柊鰯や注連飾りは一年のうちの特別な時期、そのときに限って現れる神様を迎え入れ、そのときを狙って入り込もうとする鬼を締め出す装置であった。


はて鬼とは、である。
絵に見る赤鬼・青鬼の姿は仏教の羅刹や夜叉の影響で出来上がった図像であり、物語の鬼は娘にも老婆にも変幻自在、しかしその本質は人の心の中にあった。死者がこの世に残した恨み、生きたものの妬み、嫉み、尽きることのない欲、犯した罪への悔恨、失うことへの恐れが具現化したものであった。幕末まで国を閉ざし外の国から攻められることが殆どなかったともいえる我が国にとって己の敵はまた己の中にあった。鬼退治は未知なる敵に戦いを挑んでいるのではなくあくまで人の世の穢れとの戦いであった。桃太郎に泣いて謝る鬼の大将や豆をぶつけられて逃げ惑う鬼たちの姿に親しみを覚えるのもそのためである。
古代、朝廷にまつろわぬ(恭順しない)存在を「蝦夷」「隼人」「土蜘蛛」などとよび神武天皇やスサノオ、ヤマトタケルらがこれを追討したと記紀に書き記されている。歌舞伎や能、昔話にのこる鬼退治譚の原型はここに求めることができる。そのまつろわぬものたちが棲むところは銅や鉄の採れる山であることが多いのについてはまた別の機会に書いてみたい。


これらの「さかひ」は人と霊の決め事であって実際は吹けば飛ぶようなもの、霊を懼れぬ者の攻撃には抗いようがない。悪意あるものは霊威を懼れず、したがって「さかひ」などは気にならない。踏みつければよい。家々に土足で上がり乱暴狼藉をはたらき火をかけて逃げてゆく。
明治の頃、糠の成分が脚気に効くことを指摘した農学者の鈴木梅太郎を学会は笑った。曰く「鰯の頭も信心からだ、糠で脚気が治るなら小便を飲んでも治る」と揶揄したという。近代思想と科学技術に毒された者からみれば鰯の頭などは取るに足らない迷信でしかなかった。


近代以降、日本は富を得る傍らとてつもない穢れを呼び込んでしまった。やり方が拙かった。外の国に向かい門を開けるときに、何一つ「さかひ」を用いなかったがために百鬼がなだれ込んで来た。近代の思想は資本主義経済と手を組んで我々の欲を煽り、膨れ上がった欲は鬼となって襲い掛かる。人に道を誤らせ、妬みを呼び、この世は嘘と疑いで溢れかえる。科学技術は利便と汚染を同じだけもたらした。もはや今こうなると鰯はおろか鯨の頭を吊るしても足りない。


おにはそと ふくはうち
懼るることを知るうちは
鰯の頭 鬼をも避けん



 

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