★阿修羅♪ > 雑談専用39 > 780.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
放射能は人の思考を止めるのか
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/780.html
投稿者 あやみ 日時 2012 年 2 月 15 日 00:21:19: oZZpvrAh64sJM
 

つれづればな http://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-74.htmlより転載

- 2012/02/14(Tue) -

ただの気違いを除いて放射能が安全だなど本気で考えてる人はいないと思う。
放射能が体にどのような影響をあたえるかは例え漠然とでも皆しっている。
家族が、自らが癌を患ったり、わが子が障害を抱えて生まれてきたり、病に鞭を打って働いてもその稼ぎがすべて治療に消えたり、そしてそのすべてを背負うことになるのを一体、どこの誰が望むというのだろう。

東日本大震災以来、いや原発事故以来、日本の家族や友人としばしば意見を交換したりネット上で世論を覗いてみたりするようになった。その限りでは、どうやら日本では放射能の話しを敬遠、あるいは拒絶しているかのように見える。
「お耳障りかとは思いますが」などと前置きをして友人達にメールを送り原発や日本のこの後の事を対話しようと試みた。事故当初は「かまって」貰えたが、秋以降はさっぱりである。目にはさやかに見えぬ放射能よりも目前の不景気の方が敵として認識しやすいのだろうか。


放射線について考えてみよう
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/attach/1314118.htm

文部科学省が小学生向けに作成した放射線に関する教材である。地方によってはこれによる授業がすでに始まっている。

小学生を相手に、放射能が恐れるに足りないものであるということを解りやすく強調している。
「こういう指針で教材を作れ」というお達しが政府から文科省官僚に、官僚から下っ端どもに出されるのであろう、その「指針」がたとえどういったものであろうと関係ない。忠実に、忠実に作成されてしまう。省庁とはそういう環境なのか、そこで勤務するためには人としての判断力も良心も売り渡さねばならない。いや、そこに入省するべく幼いころから努力された方々には売り渡す判断力すら備わらなかったと言って差し支えなかろう。


放射線って、何だろう?

放射線は、太陽や蛍光灯から出ている光のようなものです。
薄い花びらを明るいところでかざして見ると、花びらが透けて光が見えます。これは、薄い花びらを光が通り抜けるからです。
光と放射線の違いは、放射線が光より「もの」を通り抜ける働きが強いことです。
放射線は、色々なところから出ています。放射線がどのようなところから出ているか調べてみよう。

                                                   (放射線について考えてみよう より抜粋)

放射線が我々の体を通り抜けると害があることは書かれていない。それに我々は「もの」ではない。放射線が何処から出ているか知りたければ教えてやろう、福島第一原発だ。


放射線は、どのように使われているの?

放射線を使って、細菌の付いていないきれいなものにすることができることから、病院で使う注射器などに利用されています。
これは、放射線に「細菌を退治する働き」があるからです。
放射線は、色々なことに利用されています。放射線がどのように利用されているか調べてみよう。
                                                                (同ページより抜粋)

われわれは発芽せぬよう放射線で去勢したジャガイモを食べさせられている。体内の細菌も、細胞、組織、臓器、人間、すべて退治できる。その力を利用した最たるものが核兵器である。


日本の政府は徹底的におかしいのだが、そこだけを批判する気になれない。なぜなら政府は国家の縮図であるからだ。(選挙によって国民が選んだのだからという意味ではない。)
電気漬けの生活を求めているのは紛れもなく大多数の国民である。家庭での使用のみではない。電気をはじめとする資源の過剰な使用の上に成り立つような社会を作り上げてしまったのも国民である。人件費を削るための機械化、生産費を下げるための大量生産、流通をうながす過剰広告、過剰包装、画一規格、そのための流行、そのための使い捨て、そのためのゴミの山、そして原発…すべては国民が望んで受け入れたものである。残念ながらこの国民にしてこの政府がある。

「原発」が日本経済の心の臓だという大前提があり、それが事実であるかどうかとは別に大多数がそれを信じる上で、日本人は原発がなくなることによって今日までに築き上げた社会が瓦解することを恐れている。戦後の焼け野原を裸足で歩いていた日本人はものを作り外に売ることをしながら富を得た。石油のない我が国が外に頼らず工業製品をつくり続けるには原発が一番都合がいいと思った。
原発がなくなれば、それを舞台に繰り広げられる今の産業、流通、経済すべてが「幕」になる。困る。生きる指針をすべてここに向けていたのだ。学歴、職業、地位、結婚相手、子供の教育、住まい、投資、老後…人生設計の根幹であるこの価値観を打ち砕かれたのではいまさら何をよすがに生きてゆけばよいのかわからなくなる。                                            


だから、穢い廃棄物が残ろうと酷い事故が起ころうと原発を「必要悪」と思い込もうとしている。
さして原発を推進したいわけではないが脱原発には背を向ける。それが日本の胸の内、違うか。


放射線を出すものって、なんだろう?

「放射線を出すもの」は、放射性物質と呼ばれ、植物や岩石など自然のものに含まれています。
放射性物質を電球に例えると、放射線は光になります。
放射性物質は、放射線を出して別のものに変わる性質をもっています。
元の放射性物質は、時間がたつにつれて減っていき、その減り方は、放射性物質の種類によって違います。
始めに1000個ある放射性物質が4か月で半分の500個になる場合、1年たつと始めにあった放射性物質は何個になるか考えてみよう。
                                                                 (同ページより抜粋)

電気店で売っている電球に家庭で電気を流すと発熱、発光する。一方、天然の放射性物質に中性子を工業的にぶつけた時に核分裂をおこしてこれも発熱、発光する。ただし放射性物質は電気店では間違っても売っていないし家庭で核分裂をおこしたら間違いなく死ぬ。次元の違いすぎる例をあげて子供を騙すのは正しくない。そして半減期が二万年の放射線物質があるという大問題をよそに四ヶ月という例を出している。この教え方はサラ金の利用規約を思い出させる。


放射線を受けると、どうなるの?

放射線の利用が広まる中、たくさんの放射線を受けてやけどを負うなどの事故が起きています。また、1945年8月には広島と長崎に原子爆弾(原爆)が落とされ、多くの方々が放射線の影響を受けています。
                                                                 (同ページより抜粋)

やけどで済むのか、原爆の影響がどういうものか知らないとは言わせない。言わせてはならない。


放射線は、どうやって測るの?

学校内の色々な場所を測定器を使って測ってみると、場所によって放射線の量が違うことが分かります。
例えば、学校の教室や体育館などで測った放射線の量に比べ、石碑の周りで測ると高くなることがあります。これは、石碑の中に放射性物質が多く含まれているからです。                                        
                                                                 (同ページより抜粋)    
    

例えば原発が爆発を起こし空から放射線を帯びたものが降ってくれば教室や体育館の中より校庭の放射線量が高くなるだろう。わざわざ石碑を指し示して「放射線源はあくまで石碑の御影石に含まれるジルコン」と言い張るのは問題をそちらに追いやろうとしているからである。

このような文書を教材として作る側の者とはどのような人たちだろうか、それは日本の最高学府、あるいはその亜流で学んだ輩で、そこに辿り着くまでには幼い頃から「調教」を受けて育った。出題者の望む答えを「選択」出来るようになるための訓練を受けたのである。そこでは考える力など必要なく、逆に求められるのは瞬発力のようなもの、つまり出題者の意図を瞬時に汲みその答えを選択する力である。思考の方向性を一方に撫で付けられる。出題者と同じ思考に染まる。それが正解を出す近道だからである。もはやそうなれば出題者の望んだ答えが正しかろうと大嘘であろうと構わない、いや判断できない。冒頭でも述べたがそれを判断する能力が備わらないのは、こういった教育の賜物である。

この出題者とはそれほど特別な人たちかといえばそうでもなく、上で述べたような瞬発力を鍛え、それを得点という数値でより高く評価されたという違いがあるでけである。日本人みなが同じ道を通ってきた。かつて我々も、そして子供達がいま同じ訓練をされている。その中の一握りが官僚や学者に昇りつめ出題する側に立ち、そうでないものたちは自らを「負け組」などと称する。好きにすればよい。


放射線から身を守るには?

放射性物質が決められた量より多く入ったりした水や食べ物をとらないように気を付けたりするなど対策を取ることが大切です。
                                                                (同ページより抜粋)


原発を作り事故を起こしその収拾がつけられないうちに尚も原発を作ろうとする側の人たちによって決められた量など信用してはいけない。いけないが、信じたがる。
信じることで「経済大国日本」を継続できると思いたいからだ。人の思考を止めているのは放射能なのか、何なのか。


脱原発の是非を東京都民投票に問うための署名が行われ、その活動をされた方々は大変なご苦労をされたという。寒さとそれ以上に冷たい都民の態度に耐えて集めた署名は、石原慎太郎(敬称不要)によって積極的に無視されようとしている。


得点が足りず上級職につかなかった者でも思考は同じ方向へと流れるだろう。その流れに逆らう者を気味の悪い存在と捉え、攻撃せずとも無視を決め込む。

たとえば現代国語や英語の試験で自ら考えて解釈し回答すれば得点も成績も素晴らしく下がる。出題者の評価不能な回答は邪魔なだけで、早くねじ伏せておかないと自分の足場が危うくなるからである。理科や数学は一見そうはみえにくいが所詮は同じ、出題者の求める解析法を強いられている。ピラミッドの高さは三角関数などを用いなくても影と実体の長さの比を使うことで測れる。円の中心も角の三等分も紙切れを折ることで求められる。ピタゴラスやアルキメデスにいちいち証明をお願いする義理などない。

「君、数学のセンスはあるけど得点はとれないから安心しろ」
中学生だった筆者が数学の先生に頂いたお言葉。先生が何を仰りたかったかはその時すぐに理解した。先生にはおそらく教育のからくりが見えていたのだろう、現に数学も国語も成績は悪かった。このお言葉を励みに安心して生きていくうち気がつけば日本の社会の外にいた。

だからいま、偶然と当然が重なって我が子たちを日本の学校にやらずにいる。ともあれ支離滅裂な教材で放射能を楽しく明るいものだと思い込まされずに、そして大多数の日本人に望まれる思考を植えつけられずに済んだ。仮に日本にいてこの教材と対峙していたらどうしていただろうか、迷わず仮病で休ませるか、それでもダメなら学校を辞めさせるか。


おそらく出来ない。日本で安穏と暮らすためにはその判断力をかなぐり捨てなければならないからだ。
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2012年2月18日 15:11:32 : iAy02UuNHg
恐ろしい世の中になってしまったものです。この事態に至らせたのに誰も責任を
取らない。トップ二、三十人が死を持って償うべき事態だ。

  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 重複コメントは全部削除と投稿禁止設定  ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定 削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 雑談専用39掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 雑談専用39掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧