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イエス像は『旧約』預言からつくられた?
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投稿者 隣人 日時 2012 年 6 月 15 日 08:37:10: vTRc6NquZFvI6
 

(回答先: 〈福音書〉のユダヤ地理や年次はデタラメ?サンヘドリンの審理手順もおかしい? 投稿者 隣人 日時 2012 年 6 月 11 日 00:56:02)

>◆B−イエス像は『旧約』預言からつくられた?

 ヘブライ語聖書(旧約)の中にはイエスを連想させる記述が数多くあります。そのような預言はメシアが現われた際、
人々が見分ける助けとなりました。そして福音書の筆者はイエスが確かに聖書に預言されていた方であったことを
記しました。そのような預言には以下のようなものがあります。

  出来事 預言 成就

■ユダの部族に生まれる 創世記 49:10 ルカ 3:23‐33
■処女から生まれる イザヤ 7:14 マタイ 1:18‐25
■ダビデ王の子孫として生まれる イザヤ 9:7 マタイ 1:1 、6‐17
■エホバによって 、わたしの子 、と宣言される 詩編 2:7 マタイ 3:17
■人々は信じない イザヤ 53:1 ヨハネ 12:37 、38
■ろばに乗ってエルサレムに入城する ゼカリヤ 9:9 マタイ 21:1‐9
■親しい友から裏切られる 詩編 41:9 ヨハネ 13:18 、21‐30
■銀30枚で裏切られる ゼカリヤ 11:12 マタイ 26:14‐16
■訴える者たちの前で沈黙する イザヤ 53:7 マタイ 27:11‐14
■その衣のために人々はくじを引く 詩編 22:18 マタイ 27:35
■杭の上でののしられる 詩編 22:7 、8 マタイ 27:39‐43
■骨は1本も折られない 詩編 34:20 ヨハネ 19:33 、36
■富んだ人と共に埋葬される イザヤ 53:9 マタイ 27:57‐60


 さて、これらの預言によってイエス像が肉付けされ作り上げられていったとするなら、イエスの死後(西暦33年)の
それほど早い時期にまとめることができただろうかという疑問が生じます。福音書が書かれていた当時、かつて
イエスの言葉を聞き、その行ないを見、復活後の姿を目にした人たちがまだ多く生存していました。それらの人々
(敵対者も含め)は、福音書の筆者たちについて何も不正を指摘していません。

 歴史家マイケル・グラントによると、クリスチャン・ギリシャ語聖書の中の歴史的記述が始まったのは「イエスの死
後30ないし40年後」です。聖書考古学者ウィリアム・フォックスウェル・オールブライトは、「福音書はすべて西暦70
年以前に書き終えられており、またイエスの磔刑後20年以内に書き得なかったような事柄は何も含まれていない」
という、C・C・トリーの結論を引用しています。それらの書を記すことは「西暦80年ごろまでに」終了していた、という
のがオールブライト自身の見解です。他の人々は多少異なった推定をしてはいますが、「新約聖書」は第1世紀の
終わりまでには書き終えられていた、という点で大方の見方は一致しています。

 これは、福音書の叙述は単なる神話にすぎないという論議にとって大きな障害となります。神話ができ上がるに
は時間がかかります。古代ギリシャの詩人ホメロスによる「イリアス」と「オデュッセイア」などの叙事詩は、数百年を
かけて形成され、固定化されたとされています。オールブライトはこう結論しています。「我々が断言できるのは次の
点である。すなわち20年から50年というのはごくわずかな期間であり、イエスの述べた事柄の実質的な内容だけで
なくその具体的な言葉づかいにさえ、留意すべき改変を許すほどのものではない」。ゲーリー・ハーバマース教授は
さらにこう述べています。「福音書はそれが叙述している時代にごく接近しているのに対し、古代の歴史書は何世紀
も前に生じた出来事について述べている場合が多い。それでも現代の歴史家たちは、そのような太古の時代の出
来事についてさえその次第を見事にたどり出すことができている」。言い換えると、クリスチャン・ギリシャ語聖書の
歴史記述の部分には、少なくとも一般の歴史書に劣らぬだけの信ぴょう性があるということになります。初期キリス
ト教に関連した種々の出来事が起きてから、それらが書に記録されるまでの期間はたかだか数十年であり、確か
にこれは、幾つもの神話や伝説が形成されて広く受け入れられるほどの時間ではありません。

 また、その記述には目撃者の証言を扱っている箇所が多いという事実を考えてみると、上記の点はいよいよ真実
です。ヨハネによる福音書の筆者はこう述べています。『これ[イエスの愛した弟子]が、これらの事について証しし、
またこれらのことを書いた弟子である』。(ヨハネ 21:24)ルカによる書の筆者はこう述べています。「初めからの目撃
証人また音信に仕える者となった人々がわたしたちに伝えた」。(ルカ 1:2)使徒パウロも 、イエスの復活を目撃した
人々に関してこう述べました。「その多くは現在なおとどまっていますが、死の眠りについた人たちもいます」―コリン
ト第一 15:6。

 この点に関して、F・F・ブルース教授は次のような鋭い所見を述べています。「ある人々は、イエスの言葉や行動を
でっち上げと見るような書き方をしているが、そのような早い時期にそれを行なうことは決して容易ではなかったはず
である。そのころにはイエスの弟子たちがまだ多数各地にいて、どんな事が起きてどんな事は起きなかったのかを
思い出せたからである。……弟子たちとしては、あえて不正確な記述は(事実を故意に操作するようなことはもとよ
り)行なえなかったはずである。そのような事をすれば、誤りを暴き出そうとしている人々によって直ちに論ばくされて
しまったであろう。むしろ、初期の使徒たちの伝道における強力な点の一つは、聴き手がすでに知っている事柄に、
確信を込めて訴えることであった。彼らは、『私たちはこれらのことの証人です』と語っただけでなく、『あなた方も知っ
ているとおり』とも述べたのである(使徒 2:22)」。


>◆C−イエス伝説の〈神話モチーフ〉

>馬小屋での誕生は〈神話〉としか見なせないモチーフ

 家畜小屋での誕生というのはそれほど特別な出来事なのでしょうか。古代において旅人が家畜小屋で寝泊りする
ことはよくあったでしょうし、ありふれたこととは言えないまでも旅の途中の妊婦がそこで出産したこともありえたでし
ょう。それに、”馬=貴種性”とみなす騎馬民族の神話の影響というのであれば、イエスがエルサレムに勝利の入場
をされた際、馬ではなく、子ロバであったという記述もおかしなものです。(マタイ21:1-9)。

>マリアの〈聖霊懐妊〉も、やはり騎馬民族に顕著な「日光感精神話」の一変型だと見なせます。

 騎馬民族の神話がなぜ農耕牧畜民族のイスラエルにもたらされ受け入れられたかというのも疑問ですが、「日光
感精神話」なるものをわたしは知りませんので、ここはノーコメントといたします。

>ミトラスの復活を祝う冬至祭は、クリスマスの原型となったことでも有名です。

 12月25日にイエスが誕生したという記述は聖書にはなく、明らかに後代のものであり冬至の祭りに由来するという
のはそのとおりだと思います。

>イエスの誕生を三賢者が祝ったというのは、仏陀の誕生をアシタ賢者が祝った話に酷似してます。

 イエスの元を訪れた東方からやって来た人々が三人であったとは福音書にはありません。クリスマスの件といい
福音書を批評するのであれば批評文献だけでなく福音書そのものをきちんと読んでいただきたいですね。

   イエスが王ヘロデの時代にユダヤのベツレヘムで生まれたのち、見よ、東方からの占星術者たちが
  エルサレムに来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。わた
  したちは東方にいた時、その方の星を見たのです。わたしたちはその方に敬意をささげるために参りま
  した」。
 マタイ2:1、2。

  "賢者"とはありますが、原語のギリシャ語マゴイは、占星術者や魔術を行なう者を意味します(マジックの語源
でもある)。彼らが三人であったという根拠は何もなく、6世紀になってから、彼らは3人であったとされるようになり、
9世紀になって、ガスパー、メルキオール、バルタザールなる名前までがあてがわれるようになりました。しかし、
聖書は占星術や魔術を禁じていますので、福音書は彼らの訪問を特に誉れあるものとは記していません。


 高橋是清会さんご紹介のブログの記事に対する反論は以上としたいと思います。

 最後に聖書批評についてですが、ギリシャ語聖書(新約聖書)については世界の文学書の中で最もよく調査研究
された書物と言えるでしょう。過去300年ほどの間、ギリシャ語聖書に対しては単なる調査研究以上のことがなされ
てきました。それは他のどんな文学書より徹底的に解剖され、詳細に分析されてきたのです。
 歴史家のウィル・デュラントは、その点に関し次のように述べています「高等批評は、何とか問題点を見つけよう
とするあまり、真正さを判断する厳しいテストを新約聖書に当てはめた。それは、ハンムラビ、ダビデ、ソクラテスな
どの古代の名士百人でさえ、伝説の中にかすんでしまうほど厳しいテストである。福音書筆者たちは、偏見や神学
上の先入観があったにしても、単なる創作者であれば覆い隠してしまったであろう出来事を数多く記録している。
使徒たちが王国での高い地位を競って求めたこと、イエスの捕縛後に逃げたこと、ペテロが否認したこと……など
である。だれしも、このような場面について読めば,その背景となる人物の実在性を疑うことはできない」。
 同様に、S・オースティン・アリボンは自著、「ユニオン聖書便覧」の中でこのように述べています。「アイザック・ニュ
ートンは……古文書の優れた批評家でもあり、聖書を非常に綿密に調べた。この点に関する彼の結論はどうであっ
たか。彼はこう述べている。『わたしは[一般]世俗のどんな歴史書よりも、新約聖書に信ぴょう性の確かな証拠を見
いだす』。ジョンソン博士は、福音書の中に述べられている通りにイエス・キリストがカルバリで死んだという証拠の
ほうが、ユリウス・カエサルがカピトル神殿で死んだ証拠よりも多い、と述べている。福音書の歴史の真実さに対し
て疑問を表明する人に向かって、カエサルがカピトル神殿で死んだこと、あるいはシャルルマーニュ大帝が800年に
ローマ教皇レオ3世から西ローマ皇帝としての冠を授けられたことを信じるどんな理由があるか尋ねてみるがよい
……チャールズ1世がかつて存在し、打ち首に処せられたとか、オリバー・クロムウェルが彼に代わって支配者にな
ったなどということがどうして分かるのか。……アイザック・ニュートン卿は重力の法則を発見したとされている。…
…わたしたちはこれらの人々に関し上になされたすべての主張を信じている。それは、我々がその真実さに対する
歴史上の証拠を持っているからである。……もしこのような証拠を提示されても、なおかつ信じることを拒む人がい
るなら、我々はそのような人を愚かなほど片意地な者、または救いようのないほど無知な者としてさじを投げるであ
ろう。それでは、聖書の信ぴょう性に関して今や十分の証拠が提出されているにもかかわらず、まだ確信が持てな
いと主張する人たちについてはどう言えばよいであろうか。……頭ではなく、心に問題があると結論を下しても決し
て不合理ではない。彼らは自分の誇りを失わせ、自分の生活を変えなければならないような事柄を信じたくないの
である」。


          隣人でした
 

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