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中東諸国に走る社会的亀裂――リビア、バーレーンの大規模デモで何が起きるか:その他の記事
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投稿者 taked4700 日時 2011 年 2 月 27 日 12:28:28: 9XFNe/BiX575U
 

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中東―危機の震源を読む(72)
中東諸国に走る社会的亀裂――リビア、バーレーンの大規模デモで何が起きるか
2011/02/25
池内恵 Ikeuchi Satoshi
東京大学先端科学技術研究センター准教授

テレビ演説で健在ぶりを示したカダフィ(c)AFP=時事(AFP PHOTO/LIBYAN TV)
 エジプトの政権崩壊によって雪崩を打って波及する中東の激動は、まずペルシア湾岸のアラブ産油国の中で最も脆弱な君主制国家であるバーレーンに及んだ。首都マナーマ中心部の「真珠広場」を、エジプト革命の中心部となったタハリール広場になぞらえて集結したデモに対して、バーレーン政府は2月16日深夜から17日にかけて、治安部隊の実弾射撃で弾圧した。さらに治安を安定させるという名目で軍の戦車部隊まで首都中心部に展開し、鉄の弾圧を実行した。しかしこれはバーレーンの金融センターとしての信用を決定的に傷つける手法だった。
 インターネットによって弾圧が動画で中継・録画され広まっていく現代においては、公開の場での弾圧は政権にとっては自傷行為に等しい。国際的非難を受けたバーレーン政府は治安部隊を撤退させ、真珠広場は反政府抗議行動の場として定着した。2月22日のデモには10万人が集まった。バーレーンの国籍保持者は約50万人だが、そのうち5人に1人が集まるという極端な状態である。
 バーレーン王制の急激な崩壊は、同国に海軍第5艦隊の本拠地を置き、対イランの前哨地点としている米国にとっては極めて不都合である。隣国サウジアラビアにとっては、最大の石油産出地域の東部州に隣接するバーレーンの動揺は、東部州の多数を占めるシーア派少数派への影響からも看過しえない。バーレーンは当面、サウジの軍事的・経済的支援によるいわば「生命維持装置」付きで辛うじて存続する状態となるだろうが、スンナ派のハリーファ王家が、人口の70%の多数を占めるシーア派を差別的に支配する政策を改め、王族の政治的・経済的権限を大幅に割譲する改革を自らの手で実行できるか否かは、極めて不透明である。
 イエメンでは2月18日を「怒りの金曜日」として反政府抗議行動が激化しているが、サーレハ大統領は2月2日の次期大統領選挙不出馬と世襲否定以来、追加の妥協をせず、むしろデモ非難を強め、部族勢力の支持を集めようとしており、デモと政権の対決が部族間対立に転化しかねない危険を秘める。
ほとんど内戦状態のリビア
 そして北アフリカでは、リビアがほとんど内戦状態である。リビアはエジプトのナセル体制に感化されたカダフィ率いる青年将校が王制を打倒して1969年に設立した後発のアラブ共和制の体制であり、産油国でもあるが、奇矯な支配者カダフィの一家による専横は目に余り、不満は限界に達していたものと見られる。
 2月17日を「怒りの日」と設定して勃発したデモは、東部キレナイカ地方の諸都市で中央政府の統制を断ち切り、20日には首都トリポリに及んだ。カダフィ政権による弾圧は治安部隊による対応の域を越えて、戦闘機や戦闘用ヘリコプター、ロケット弾まで用いた軍事力の行使に及んでいると見られる。2月24日の段階で既に中央政府の統治が及ぶ範囲は首都トリポリの中央に限られているようだ。1つの焦点は西部と東部に跨る、リビアの石油生産の77%を占めるスィドラ湾付近の一連の油田(As Sidra, Marsa el Brega, Ras Lanuf, Zuetina, Tobruk等)を、どの勢力が押さえるかだが、これらの油田の多くを押さえる複数の石油会社の要員が、中央政府からの離反を表明した。内務大臣や法務大臣、主要国大使、東部のトブルクの軍司令官といった、政権の中枢の要人からも離反が出ている。英国・米国はじめ、近年に回復した国際関係の多くを喪失したため、カダフィ政権の中・長期的な存続は極めて困難な情勢である。
 カダフィは周辺を傭兵を含む私兵で固めているとされ、そう簡単に造反や暗殺などには遭わないだろう。カダフィの護衛隊は、しばし国際会議の場ですら暴行に及ぶことで悪名高い。彼らはカダフィを差し出すぐらいでは国民から助命されないと覚悟し、徹底抗戦するだろう。またエジプトのように軍がまとまってカダフィに辞任要求を突きつける状況にも、ましてやそれをカダフィが受け入れる蓋然性もない。そうなると、徹底抗戦しつつ、隙を見て亡命といった道筋が考えられるが、カダフィの亡命を受け入れる国は限られる。一部報道では、22日にカダフィの5男ハンニバルの嫁を乗せた飛行機がベイルート空港で、23日にカダフィの娘アーイシャを乗せた飛行機がマルタで、着陸を拒否されて引き返したという報道もあった。後にアーイシャは国営テレビで脱出を試みたことを否定している。 【リンク】
 そもそも言動が不規則で、マフィアやテロ組織や無法者集団とつながりを持つカダフィの存在は、受け入れ国側に重大な治安上の不安をもたらしかねない。裁判も処刑もできずに長期間カダフィ一家とその取り巻きを抱え込むという事態を容認する可能性がある国は、これまでにカダフィが資金供与をして手なずけてきたアフリカ諸国を中心に、一部の発展途上地域しかあり得ない。
 むしろ国よりも、反政府組織などにかくまわれる可能性の方がまだ高いかもしれない。22日のテレビ演説で「殉教するまで戦う」と絶叫したカダフィだが、数日姿を現さなくなれば亡命説が浮上するだろう。すでに英国のヘイグ外相は21日、カダフィのベネズエラ亡命説を報道陣に流し、後に否定するという失態を演じた。
 カダフィが血の弾圧でトリポリを死守したとしても、東西分裂で内戦あるいは膠着状態となるため、カダフィ側の国際社会への復帰は困難である。紛争激化によってリビア産原油の産出が減り、世界の原油市場は高騰している。同様の石油産出減がアルジェリア、そしてサウジアラビアなどに及べば、影響は計り知れない。
 西部のトリポリ近郊の油田をカダフィが傘下に収め続ける場合、どこの国がその石油を買うのか、その資金で内戦がどう発展するのか、問題になるだろう。アフリカの内戦・紛争では「血のダイヤモンド」が問題になったが、ここでは「血の石油」となるのだろうか。
サウジが揺らぐ可能性も
 アラブ世界の状況は、すでに決定的に変化している。生じている現象の中核部分は単純である。要するに「デモをして政府批判をしただけで射殺されるのはおかしい」という当然の人権意識が、アラブ世界の新世代に育っていたということである。エジプトの革命の過程で、衛星テレビ、インターネットやツイッターで18日間にわたり発信された膨大なスローガンは、各国の新世代の政治意識に具体的な言葉を与えた。数十万人単位でデモを動員することが、政権崩壊につながるという実例をチュニジアとエジプトで「見てしまった」ことは、アラブ政治を質的に変えた。 【“The Arab world at a tipping point?”】
 かつてであれば、治安部隊による弾圧をほのめかすだけで国民は黙っただろう。しかし現在はむしろ逆で、国民を撃ってしまうことこそが、政権の権威と正統性を決定的に損なう。国民が批判を公然と口にするだけで、政権存亡の危機と受け取ってしまう政権は、しょせんそれだけの基盤しかない、という現実が露わにされつつある。政権にとっては勝ち目のないチキンゲームを強いられる状況が当面続く。
 サウジアラビアは先手を打って、公務員給与の引き上げ、住宅・結婚・起業への超低利融資の大幅増額など、巨大なばらまき策を発表した。 【リンク1】 【リンク2】
 アブドッラー国王は昨年11月にニューヨークへ出国し、2度の手術を経て、モロッコで療養中だったが、急遽帰国した。その際、バーレーンのハマド国王はサウジのアブドッラー国王をリヤードの空港で迎え、両国の宗主国・従属国としての関係がはっきりした。しかしもちろんサウジとて盤石ではない。富裕国であるはずのサウジに、実は貧困層とスラムがあることが、ここ2年ほど、サウジのメディアでさえちらほら報じられるようになっており、国王が気を配っていることを示さねばならないほど、深刻になりかけていることが想像される。貧困の問題と地域間格差や宗派間差別、そして初代アブドルアジーズ国王の孫世代に王位を継承する過程での対立が結びつけば、サウジも揺らぎかねない。
 サウジは1950年代から60年代初頭に、エジプトのナセルら自由将校団が称揚したアラブ民族主義の波を受けた。その時は、西洋化志向のリベラル派王族が出現し、王族間に亀裂が生じかけた。しかし伝統派が米国の支援を受け、リベラル派を退けた。立憲君主制への改革を唱えた「自由プリンス」の代表格タラール・ビン・アブドルアジーズ王子は政治から排除され、社会事業に専念した。その息子ワリード・ビン・タラールが、世界有数の富豪・投資家として知られる。サウジが揺らいだ時、イスラーム主義過激派やシーア派少数派を軸とした混乱シナリオがまず危惧されるが、グローバル経済に目を開いた「経済系王族」と、ジェッダを中心とした経済・文化活動で先進的なヒジャーズ地方が、前向きな改革要求で結びつくようになれば、新たな展開が生じるかもしれない。しかしこれはかなり先の話になる。
 アルジェリアでは、ブーテフリカ大統領が2月3日に、19年間続いてきた非常事態令の解除を表明し、2月23日に内閣が実際に非常事態令を解除した。しかしこれらの施策で国民の不満が収まりデモの圧力が打ち止めになるとは、到底思えない。
体制の「壊れ方」を左右する4つの論点
 現象を巨視的に見れば、あたかもグローバル・メディア上に「政治市場」が成立し、「政治リスク」の高い国家が順にアタックを受けて価値が暴落しているような状態である。「リスク」要因とされるのは、@経済的自由化に政治的自由化が伴っておらず、A世代・階層・宗派・民族・部族等による社会・経済的断層が深まっている、といった点だろうか。
 アラブ諸国では@とAはほぼすべての国が抱え込んだ問題である。エジプト政変の実例を克明に観察したアラブ諸国では、インターネットで口火を切って大規模なデモを行ない政権の打倒を最初から要求に掲げて圧力をかける抗議行動は、すでに各国の政治プロセスの最重要の要素として定着したと考えていい。今後しばらくの間、アラブ諸国の政治は、大規模デモを軸として、その圧力が社会と政治のどの断層に亀裂を生じさせるか、体制が崩れるなら「どちらの方向に」崩れるかが焦点となる。すなわち求心力のある民衆勢力が生じてとりあえず国民社会の統合が維持されるか、国民社会の中の宗派・民族・部族等の分断が進み相互の紛争に至るかの、分かれ目である。
 そして多くの国で権威主義的・専制的な現体制が大幅な改革あるいは退陣を迫られる場合、新たな安定への移行過程と、新体制の受け皿がどこにあるのか、各国の中で、そして米国はじめ国際社会が、必死に模索する時期に入る。
 
 各国の政権に大規模デモの圧力がかかった時、政権はどう反応するか。そもそもデモはどのように結集し、何を標的として、どのような手段で抗議を行なうのか。そして政権が回復不能なほどのダメージを受けるか、あるいは崩壊した後に、統治主体の役割を誰が引き受け、どのように統治するのか。
 これらは、各国の政治・経済・社会状況によって異なるに違いない。必ずしも、エジプトやチュニジアと同じようにはならないだろう。ただし、最も厚みがあり文化的主導性があり、社会の「地力」というべき安定的基盤がある(と筆者は信じる)エジプトでの移行プロセスは、各国がやがては取り入れていく「モデル」となり得るので、注目が必要だ。
 体制の「壊れ方」そして移行過程とその帰結を左右するカギとなるのは、次の4点であると考えている。
(1)中間層の厚みと成熟度
(2)国民統合の度合い
(3)政軍関係のあり方
(4)米国や国際社会との関係
(1)中間層の厚みと成熟度
 政権に対する異議申し立てが、的確に秩序だって行なわれるか否かは、中間層の存在に由来するところが大きいと思われる。
 ここで中間層として想定する人たちは次のようなイメージである。大学卒業以上の、ある程度高度な教育を受け、技術者や会計士や弁護士、ジャーナリストといった専門的職能を持つ。企業や官庁で給与を受けて生活し、活字媒体やインターネットによって外部世界との情報のやり取りもある。
 そしてこの階層が一定の政治意識を持ち、市民社会の諸団体が組織され、活発な議論を交わすメディアが存在する場合は、政治的民主化の担い手となり得る。これを言いかえれば、中間層が存在するにもかかわらず、政治参加の回路が開かれていない場合は、政権に対する不満がどこか別の経路で、すなわち反体制抗議行動のデモとして表出される可能性が高まるということである。
 エジプトはこの中間層の発達と成熟という点で、アラブ世界で最も進んでいると思われる。これは伝統的にエジプトが持つアラブ世界の中での文化的な主導性に由来するものの、中間層による市民社会活動への支援は、米国のセカンド・トラック外交(政府以外の主体による外交)の主要な要素でもあり続けてきており、エジプトでの革命は、米国の「草の根民主化」支援の成果と解釈することもできる(それを陰謀論的に理解するのは短絡だが)。
 それに対して、湾岸の産油国や、リビア、イエメンなどで同様の中間層は育っているだろうか。ここには一定の疑問符が付く。バーレーンやリビア、そしてサウジアラビアのような産油国では、収入面では中間層に属す層は厚いものの、石油収入のばらまきに浴しているだけという性質もあり、教育や文化的な質の高い中間層であるかどうか、疑問がある。ただし中間層の成熟がここ数年で進んだという可能性は否定できない。急激な人口増加と世代交代が、社会の内実を変えている可能性もあるからだ。反政府抗議行動が、新たな年代・階層の台頭に裏打ちされたものであれば、長期的には安定する新体制確立に向けた真の「革命」となるだろう。現在起きている変化がそこまでの深い根拠を持ったものなのか否かは、リビアやバーレーンで高揚したデモ・抗議運動の今後の展開によって、明らかになる。
 イエメンは1人当たりGDP(国内総生産)も950ドル程度と低く、国民の4割以上が1日2ドル以下で暮らす貧困層である。インターネットへの接続ができるのも国民の10%程度と見られており、エジプトや湾岸産油国と同等の社会条件があるとは考えにくい。しかしイエメンでは、チュニジアとエジプトの例から急速に学習しつつあり、タワックル・カルマン(Tawakkul Karman)のような、既存の野党・反体制勢力とは異なる、市民社会運動に根差した人物が反政府抗議行動の指導者として頭角を現している。
 すなわち、つい近年までの状況では、必ずしもこれらの国で中間層が拡大して成熟しているとはみなされていなかったが、慎重に事態の進展を見詰めながら、その認識を改める必要もあるかもしれない、というのが適切な現状認識だろう。新体制への受け皿作りの過程で、中間層の成熟が促進される(あるいは分裂して崩壊する)という展開も考えられる。いずれにせよ、各国で今すぐに現政権にとって代わる指導層が輩出する受け皿が存在するとは、前提にしない方が良い。
(2)国民統合の度合い
 中間層の存在と密接に関係しているのは、国民統合の度合いである。地域や民族、部族や宗教・宗派によって社会が分断され、共通の国民意識と求心力が存在しない場合、デモの勃発が政権を揺るがし統制が緩んだ場合、「政権対国民」というきれいな対立図式に発展せず、地域や部族や宗教・宗派単位で分裂した「国民対国民」の内戦的状態に陥りかねない。
 エジプトの場合は、エジプト国民としてのナショナリズムが以前から定着しており、部族的紐帯の影響力は、シナイ半島など辺境地域を除いて弱い。今回のデモではそれが大いに称揚された。エジプト・ナショナリズムに結集することで、年代・階層を越えた団結がなされ、政権打倒後も一定の自生的秩序が保たれている。デモに対する暴徒の暴力や、一時横行した略奪も、むしろ政府側が行なったものとして理解されている。
 人口の1割程度のコプト教徒が宗教的少数派として存在し、その身分には不安定や差別の要素もあり、今年の新年のアレクサンドリアの爆弾テロで、宗教共同体間の紛争激化が危惧されていたところでもあった。しかし今のところ、エジプトのイスラーム教徒とキリスト教徒はムバーラク政権という「共通の敵」に対抗する「エジプト国民」として協調した。これは1919年や1952年の革命においてもみられた現象である。
 この条件が、まさにバーレーンでは欠けており、人口の7割を占めながら従属的地位に置かれ疎外されたシーア派の感情がデモを覆っている。弾圧による死者を悼む声は「フセインよ! フセインよ!」という、スンナ派による弾圧で倒れたイマーム(預言者ムハンマドの血を引くシーア派の宗教指導者)の名を叫ぶものだった。宗派による社会の分断のラインに沿ってデモが生じている要素があり、政権批判が宗派間対立をもたらしかねない危険性がある。
 リビアではデモはまず東部キレナイカ地方で広がった。デモが一致した国民意識に基づくものなのか、地域間対立や部族間対立に主に根ざすものなのかは、現在のところは判定し難い。従来の認識では、リビアは部族と地域による断層が深く、カダフィ一家こそがそれらの異なる勢力を巧みに分割統治してきたものと考えられてきた。いかに奇矯で不道徳な一家であっても、リビアを分裂させず安定させ、石油輸出を絶やさない、ということでカダフィ政権は英国・イタリアをはじめとした西欧・米国から黙認され、最近は珍重されてきた。
 イエメンの場合も、1990年に統一した南部の再分離・独立運動や、部族による分断が、デモで政権が揺れる中で顔を覗かせている。
 ただしこのような部族・宗派・地域による内戦の危険性は、中間層の拡大と成熟次第では緩和されるものであり、一定程度割り引いて考えておく必要もある。カダフィの次男サイフルイスラーム・カダフィは2月20日のテレビ演説で、まさに、エジプトとは違って、リビアではデモで政権が崩壊すれば部族間の内戦になるだけだ、と警告した。これは国民と国際社会に対する「内戦シナリオ」による脅しであり、政権が自らの有用性を主張するための言説に過ぎない可能性がある。ベンガジはじめ東部で発生した内乱が西部とトリポリに及んで国民が解放され独立する、というリビアの建国神話をなぞって各勢力が糾合していくか、あるいは東西の地域間対立が全面に出るか、進展は予断を許さない。現在は反乱軍が西部の多くの都市を制圧し、24日にはトリポリのさらに西に位置する都市アッ=ザーウィヤで激しい攻防戦が行なわれていると報じられているが、これが国土の統一をもたらす戦闘の一環なのか、果てしない局地戦の始まりなのか、現時点では判断し難い。個別の部族の武装勢力間の入り乱れた紛争に発展すれば、カダフィ政権に歯向かって国外追放されていたイスラーム主義過激派の流入・展開にも注意しなければならない。
 地域や宗派や部族による社会的亀裂を越えたナショナリズムへの統合が進むか否かが、各国の反体制抗議運動の今後の展開を見る上での重要なポイントであることは疑いを容れない。
(3)政軍関係のあり方
 政権が大規模デモによって崩壊の危機に瀕し、退陣要求を退けるには国民に銃を向けるしかないという状況に追い込まれた時、軍がどう動くかが事態の帰趨を決定づける重要な要因であることは、チュニジア、エジプトのいずれでも明らかになった。政軍関係の重要性は、その他の国の今後の展開でも、同様に重要になってくるだろう。
 エジプトの場合、軍は理念の上でも、実態でも「国民軍」としての性質がある。将校クラスはエリートの士官学校を出た秀才で、末端の兵士は各地から徴兵されてくる。1952年の自由将校団クーデタを担ったのは当時の新興中間層で、地方の名望家の出身者が多かった。土着の中間階層が、外来の貴族階層を放逐して打ち立てた現体制の中核で、軍はエジプト社会に根を下ろしている。
 この条件は多くの国で当てはまらない。湾岸産油国では軍は「政権の軍」であり、支配部族の兵力という根幹はそう簡単に改まらない。サウド家に顕著なように、王家・首長家は「征服王朝」であり、潜在的に軍の銃は国民に向いている。また、バーレーンやリビアやアラブ首長国連邦(UAE)のように、支配家族の支持基盤が十分に兵力を備えるほど人口的に規模が大きくない時、国民から将校や兵士を動員して国民軍として組織していくのではなく、外国人を傭兵として雇ったり帰化させて登用するケースがある。これらの軍はいっそう、政権と一蓮托生で、デモの圧力に徹底抗戦しかねない。
 カダフィ政権の場合は、意図的に軍や親衛隊の部隊を分断し、相互に競わせてきた。軍の各勢力は部族に由来し、軍の統一性に欠ける。そのことが、早期に東部地域の統制が取れなくなった理由だろうが、首都の政権の崩壊と受け皿となる政権の成立には障害となる要因だ。関係正常化の過程で英・米で「開明派」ともてはやされてきたカダフィの次男サイフルイスラームと、近年急浮上しカダフィの国家安全保障補佐官となった4男ムウタシムの背後にそれぞれ別の軍部隊がつき、対抗関係があるとも言われる。
 反体制勢力はカダフィがアフリカ諸国から傭兵を導入して弾圧に用いていると非難している。傭兵導入だけでなく、カダフィはアフリカ諸国の反体制勢力に資金や武器を供給して介入してきており、政権崩壊後の亡命先としても、欧米やアラブ諸国が拒否した場合は、アフリカの反体制勢力に加わるという可能性は捨てきれない。激動の中東情勢を日夜分かたず見つめる合間の、ちょっとした息抜きの想像に過ぎないのだが、変幻自在に国民と国際社会を翻弄してきたカダフィにとって、アフリカの奥に姿を消し、いわば「義経伝説」となることが、1つの望ましい最後なのではないかと思う。
 カダフィという存在は、隣に生きていて活動していると非常に迷惑だが、遥か彼方で生きているか死んでいるかわからない存在となると、どこか懐かしさを感じさせる存在なのではないか(多数の人命が失われる事態に不謹慎だが)。英・米との関係改善のため、近年「猫を被っていた」カダフィが、22日の75分もの演説で、口汚い罵り言葉と反米・反イスラエルを連呼する様子を見て、リビア大使を務めたことのあるイギリスの老外交官は半ば嬉しそうに「昔ながらのカダフィだ!(vintage Qaddafi !)」とコメントしていた。24日の国営テレビ演説では今度はデモをアル=カーイダとビン・ラーディンに扇動されたと主張するなど、常軌を逸した発言を繰り出しているが、しかしカダフィは通常でもこの程度の発言はしていたため、特に心境の変化があったかどうかは分からない。リビア政治にはカダフィ個人の奇矯な性格を含め、統一性のない社会の独特の要素があり、他のアラブ諸国と同列に論じることは適切ではないかもしれない。むしろ形態としては、サブサハラ・アフリカに多い、部族間の内戦とそれに伴う難民流出というパターンに似ている。
(4)米国や国際社会との関係
 そしてこれらの要素を、事態の展開を見詰める米国政府も、克明に追いかけているだろう。米国はイスラエルを除けば、中東の諸国と強い価値的・精神的な紐帯はない。それは、このような激変期には、意外に簡単に政策変更をしかねないということである。状況次第で同盟国の政権を簡単に見離しかねないことは、エジプトのムバーラク政権への態度を1月末に急速に転換したことでも明らかである。
 米国は中東に次のような戦略目標を持っている。@イスラエルの安全、Aサウジ、湾岸アラブ諸国、イラク、イランの石油、Bエジプトやスーダンやイエメンでの対テロ作戦、Cイラン反米政権の封じ込め、特に核兵器開発阻止、Dこれらを担保するためのエジプトの安定、といったものである。
 例えばバーレーンは対イランの橋頭堡という意味で不可欠であることは確かであり、急速な崩壊は望まないだろう。しかしもしバーレーンがシーア派主導の民主的な政体になるとすれば、それはイランの反体制勢力に影響を与えざるを得ない。現在の激動する中東情勢の中では、むしろ「逆シーア派ドミノ」でイランの政権を追い詰めることすら1つの選択肢として浮上する時期が来るかもしれない。
 イエメンのサーレハ政権の対テロ作戦への協力についても同様で、サーレハ政権の存在がかえってテロリズム勢力の跋扈をもたらすという認識に達すれば、米国は意外に簡単に政権支持を撤回すると考えておいた方がいい。明らかに、米政権は大規模デモを基調として動く中東の現場の動向を見ながら、これまでの同盟国との関係を精査している。サーレハ政権はデモと米国の視線の双方から、強い改革圧力に晒されて、政権維持を図ることになる。
 世界経済上、サウジアラビアが最重要なのは言を俟たない。サウジアラビアがそう簡単に揺らぐとは、多くの専門家が考えていないが、今回の中東の革命の連鎖は、ほとんどあらゆる専門家の予想を覆してきた。米国にしても、サウジアラビアが石油を安定して供給できないほど混乱すれば、サウド家の支配を無理に支える理由はどこにもない。逆に、イラン、イラク、バーレーン、そしてサウジアラビア東部州までの「シーア派の弧」を民主化して新たな同盟国とするような可能性も(ここまで来るとほとんどSFのような事態であるが)、10年の将来を視野に入れれば、あり得ない話ではない。ここのところの、たかが2カ月ほどで生じた変化の大きさからいえば、それほど荒唐無稽でもない想定である。

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http://www.fsight.jp/print/10247

中東―危機の震源を読む(70)
ムバーラク最後の一日──加速するグローバル・メディア政治
2011/02/16
池内恵 Ikeuchi Satoshi
東京大学先端科学技術研究センター准教授

告別の辞を述べる機会もなく辞任することになったムバーラク前大統領(c)AFP=時事(AFP PHOTO / EGYPTIAN TV)
 エジプトでは急速に事態が進展し、2月11日にはムバーラク大統領が辞任してエジプト政治は暫定的な軍政に移行した。全権を掌握した国軍最高評議会は2月13日に憲法を停止し、議会を解散。6カ月を目途に、新憲法を制定し、議会選挙と国家元首の選出を終えて、文民政府に権限を移譲する意思を発表している。1月25日に始まった反政府抗議行動は、18日間のデモで、ムバーラク政権を崩壊させた。
これは革命なのか
 アル=ジャジーラやBBCやCNN、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの速報、そしてツイッターやフェイスブックを用いた現地からの発信で、世界中が見守る中、盤石と見られていた権威主義体制の権力が崩壊する過程が逐一報じられ、体制が「壊れる」過程が詳細に分析された。
 これが真の「革命」と言えるかどうかは、後の歴史家が判定するしかない問題だが、少なくとも、民衆のデモによってアラブ世界最大の国の政治権力者を放逐したという事実は重大である。インターネットを駆使しつつ、エジプト特有の多様な社会階層のそれぞれに合わせて、ビラや口コミや壁の落書きなどまで使い情報を伝達して大規模な群衆を集め、最高権力者に圧力をかけた政治の形態は、今後中東地域だけでなく、世界の権威主義体制への反体制運動にさまざまなインスピレーションを与えるだろう。先進国の社会運動・政治運動にも新たなきっかけを与えるかもしれない。
 同様の事象が同様の形で周辺諸国や類似した政体の諸国に、すぐに波及すると断定する必要はないが、新しい形の大規模な民衆蜂起によって、既存の体制を倒すことができるという認識が、チュニジアとエジプトの実例によって定着した。
 軍政移管を当面は多くのエジプト国民が歓迎し、反政府デモは鎮静化したが、民主化の進展如何によっては、またデモが再発する可能性がある。また、反政府抗議運動の側も、デモの最高潮の時期には、エジプト国民としてのナショナリズムを刺激して、さまざまな年代や階層の参加者を結集することに成功したが、今後この団結が維持されるとは限らない。経済政策についてだけでも、公務員や公営企業の労働組合を中心に、社会主義的政策に戻すよう求める勢力と、ムバーラク一族や政治家・軍産複合体の不当な干渉や独占なしに自由な市場経済化を求める勢力と、正反対の志向性を持つ勢力が混在している。早晩思惑の違いが表面化する可能性は高い。
 また、エジプトに世界が注目し、反応した18日間は、衛星テレビとインターネットが連動したグローバル・メディア空間で進展するイベントとしての国際政治の可能性が、十全に展開した期間でもあった。オバマ政権の対エジプト政策の急速な転換は、グローバル・メディア空間の政治に懸命に対応し、自らも働きかけた結果である。
 日本が、独特の旧弊なメディア体制や、外国語読解力・発信能力の欠如によって、ここに乗り遅れていることは、後に、日本の政治的・経済的衰退を象徴する決定的な事例として思い返されることになるかもしれない。
注目すべきアラブ諸国の「政−軍」関係
 アラブ最大の国エジプトで政権転覆が起こったことは、周辺地域に多大な影響を及ぼしていくだろう。
「軍の動向が帰趨を決する」ということは以前から多くの論者に指摘されていた。 今回のエジプトでの事態の進展を受けて、注目が集まるのは各国の「軍−政権」の関係である。大規模なデモによる圧力がかかった時、エジプトの場合は「軍と政権の間が割れた」。そして軍が大統領に退任を迫った。しかしだからといって、他の一見同様の体制の国で、同様のデモが生じた時に、同じ結果が出るとは限らない。チュニジアのように、軍が大統領のデモ鎮圧命令を拒否したことによって政権が崩壊した場合も、エジプトとは異なり、軍が統治全体を引き受ける展開には、今のところなっていない。
 これは国家形成の過程で軍が果たした役割や、現に占めている社会・政治的な地位が異なることから生じていると思われる。チュニジアの場合は民族主義者がフランスと戦って独立して以降に、国軍がいわば単なる1つの官庁として設立されたのに対し、エジプトの場合はオスマン帝国を形式的に宗主国としていたところに、アルバニア系の軍団がやって来てムハンマド・アリー朝を建てた。その外来の支配者・貴族階層の下に、土着のエジプト人将校が育ってきて、外来の支配層を排除することによって1952年に新体制を設立した。旧体制の王族・貴族の特権を、青年将校たちが奪い取って置き換えたのが現体制である。現在の体制の根幹に軍が最初から位置していた。ムバーラク政権時代に、軍が閣僚ポストを占める割合は低下し、政治の表面には出なくなったが、社会的ステータスや、経済的利権と特権は維持してきた。
 また、現体制の成立後に、軍が国民に銃を向けたことがあるか否か、という「軍−国民」の関係も国によって異なる。エジプトでは1952年のクーデタやその後の統治でも、軍を国家の独立の礎ととらえ、国民の誇りの源泉として位置づけてきた。国民に銃を向けるような場面はこれまで生じていない。これに対して、シリアやイラクなど、軍が国民に恒常的に銃を向けてきた(あるいは軍以上の軍事力を持つ大統領親衛隊が存在してきた)国では、反政府抗議運動が高まった時、エジプトのように、軍と国民がナショナリズムの感情で一体となって衝突を回避するという方策は用いられないかもしれない。むしろ軍は政権と一体のまま、国民との間に亀裂が走る可能性が高い。それでもなおかつ民衆が蜂起する時は、最初から決死の覚悟で軍・大統領親衛隊にぶつかっていくことになる。またシリアのように軍を少数派のアラウィー派が支配し、それを通じて国を支配するという構造の場合、「軍−軍」関係が問題になり、むしろ軍の中に亀裂が走るのかもしれない。
 また、エジプトの場合、アメリカの軍事援助によって戦力やステータスを得ている軍であるからこそ、アメリカの手綱が効いたとも言える。シリアやイランなど、アメリカの支援なしに存立している軍には同様の影響力は行使できないだろう。
 今後のアラブ諸国の民主化の過程では、この複数の次元の「政−軍関係」が鍵となっていくだろう。
「最後の一日」に何が起きたか
 今回のエジプト革命が特に目まぐるしく展開したのは、2月10日夕方から11日夕方にかけての一日である。
 2月10日の夕方にはすでに国軍最高評議会がムバーラク抜きで開催され、声明第1号を発出しており、軍政移管の過程が始まっていた。しかしその夜、オバマ大統領はじめ世界中が待ち受けたムバーラク辞任演説は、ムバーラクが辞任を拒否するという「世紀の肩すかし」に終わった。おそらく直前に原稿が差し替えられたか、本人が肝心な部分を読まなかったのだろう(その後のエジプト紙『アフバール』の報道では、息子のガマール氏が直前に演説を書き換えさせたということになっている)。
 しかしこれは大統領の当事者能力の欠如を強く印象づけ、自ら墓穴を掘った形となった。この演説が事態を改善するどころか、いっそう民衆の怒りの火に油を注ぎ、エジプト国軍の体面を傷つけ、オバマ政権を激怒させたからである。翌朝には、民衆のデモはもはや抑えがたい状況と見られた。
 最も困ったのはエジプト国軍だろう。権力の空白の出現の阻止、治安維持の最後の切り札としての軍政移管をすでに発表してしまっているのに、肝心の大統領が演説でそのことに一言も触れない。見かけ上は二重権力、あるいは権力の空白が生じていることになる。軍は国民に対しては威厳を保てないと共に、米国からの信頼は落ちる。
 この時点でエジプト国軍の選択肢は3つであったと思われる。@群衆が大統領宮殿に突入するのを黙認する。A軍自らがより直接的な手段で大統領に引導を渡す。B既に国軍の権威も失墜したと受け止め、大統領と一蓮托生で群衆を弾圧する。
 結局、軍はAを選び、@の可能性も大統領にちらつかせつつ退任を迫ったものと見られる。大統領宮殿の付近に配備されていた軍の部隊は、すでに2月10日に大幅に撤退させていた。有刺鉄線は張られたままで、衛兵が若干名残っていたものの、群衆が強行突破を図った場合、押し留めることは不可能だっただろう。群衆が大統領宮殿の窓から見えるような距離にまで達する状況を作り出して、軍は大統領に改めて退任を迫ったようである。
 2月11日の午後、もはや告別の辞を述べる機会もなく、ムバーラクはヘリコプターでシャルム・エル・シェイクに去った。前日にムバーラクから一部の大統領権限を委譲されたはずのスレイマーン副大統領を飛び越して、国軍最高評議会に全権が委譲された。スレイマーンは前日にムバーラクを適切にコントロールできなかった責任を問われて失墜したものと見られるが、諜報部門を掌握している彼には、いずれ何らかの限定的な役職が与えられるかもしれない。
 シャルム・エル・シェイクの宮殿に移送されたムバーラク大統領は、一時深い昏睡状態に陥ったとされる。移送する際に一定の強制措置や、薬物の投与などが行なわれたのかもしれない。しかしそれよりも、ついに任を解かれ緊張が解けて、人事不省になったのかもしれない。高齢で重病をいくつも抱え、通常の感覚からはすでに職務遂行が困難であったはずのムバーラクは、強靭な精神力で最重要の職責の瞬間だけ「生き返る」かのような生活を、すでに長期間続けてきた。「余人をもって代え難し」という状態は、次代の政治指導者となり得る有能な人材を次々と排斥し、凡庸な息子ガマールに世襲させようとする自らの行ないがもたらしたものだが、ムバーラク個人に権力を集中させる権威主義体制の下で、ムバーラクが大統領の職務を懸命に遂行してきたことは確かだ。
 何度も死線をさまよう大手術を受けたムバーラクの体力・気力はすでに限界に達していたに違いない。なおも権力にしがみついたムバーラクにとって、息子に世襲させたいという私利私欲と、「自分がいなければエジプトにも中東地域にも秩序が保たれない」という公的使命感は、渾然と分かち難いものになっていたのではないだろうか。
 おそらくムバーラク大統領の最後の半日には、オバマ政権からエジプト国軍の首脳に対してこれまでにない強い圧力がかかったに違いない。その中では年13億ドルのエジプト軍への軍事援助の見直しすらほのめかされた可能性がある。CIA(米中央情報局)長官が議会でムバーラク辞任を自信を持って断言し、オバマ大統領が演説で「エジプトの歴史が変わるのを目撃している」と告げてしまった後に、ムバーラクがなおも辞めないと演説して、世界の最高権力者の顔に泥を塗ったのであるから、ムバーラクの辞任は「時間の問題」であると見られた。
グローバル・メディアと政治
 しかし問題は、この「時間」が、たった「半日」であったことだ。これは今回のエジプトの政変の特徴を顕著に表わしている。衛星放送とインターネットが連動して、リアルタイムで状況の進展が世界に伝えられ、それに対して米大統領も半日単位で認識と政策を改め、反応する。その反応がまた即座に現場にフィードバックされ、事態の展開を加速する。
 主軸となったのはアル=ジャジーラとBBCやCNNなどのアラビア語と英語の衛星放送だった(アル=ジャジーラには英語チャンネルもあり、今回の報道で国際的な知名度と信頼性を確立した)。これらが競って革命を実況中継する中、一般エジプト人はもちろんのこと、ジョン・シンプソンやクリスチャン・アマンプールからトマス・フリードマンまで米国・英国の著名ジャーナリストが続々とタハリール広場に到着し、ツイッターで即座に発信する。それが衛星テレビ上にもすぐに反映される。衛星テレビはインターネットで(多くは無料で)公開されており、世界中で手に取るように現場の状況が分かると共に、反応も世界で共有され、現場に伝わっていくのである。
 米国の政策転換の過程も、かつてであれば数十年後に外交史家が史料をひっくり返すまで判定できなかったものが、今では即座に関係者から有力ジャーナリストが聞き取り、ブログやツイッターで広めて公然の事実としてしまう。
 エジプト革命の意義は、グローバル・メディアを最重要の要素として組み込んだ政治が、十全に展開されたという点だろう。周辺アラブ諸国やイランなど中東諸国への波及が議論されるが、単に地域的な問題としてではなく、グローバルな情報空間と政治空間の変容という普遍的な現象の、最先端の事例として認識するべきだろう。
変化を見極め即応したオバマ政権
 日本の報道では、オバマ政権の対応が「ブレた」あるいは「後手に回った」という論調が多かったのだが、これは疑問である。日本の論者の理解が「ブレた」「後手に回った」だけだろう。単にエジプトの状況が良く分からないので、辛うじて知識のある米国について論及しただけなのかもしれない。大人げないかもしれないが、やや詳細に問題の所在を記しておく。
 もちろん、「今辞めろ、すぐ辞めろ」とだけオバマ政権が公に言うはずがない。それでは全くの内政干渉であり、むしろムバーラク政権の態度を硬化させ、「外国の介入」批判で反撃され、エジプトの現地情勢を悪化させる。国際的な批判も浴びただろう。
 しかしオバマ政権は1月28日のデモをムバーラク政権が押さえられなかった時点で転換して以来、一貫して明確に2つの選択肢を提示していた。1つは、「今期限りの退任・世襲なし」すなわち「9月の大統領選挙でムバーラク自身と息子ガマールが立候補しない」という「最低ライン」である。これはケリー上院議員の1月31日付「ニューヨーク・タイムズ」紙への寄稿 で詳細に展開してある。
 もう1つの選択肢は、「もし9月まで現政権が民主化を進める意思がないか、安定を保てないのであれば、早いうちに辞任せよ」というものである。辞任が明日になるか、1週間後になるか、1カ月後になるかは、状況次第としか言いようがない。これを見極めるための情勢判断のプロを、NSC(米国家安全保障会議)や国務省やCIAに雇い、シンクタンクに夥しいアナリストがいるのである。ムバーラク政権側の施策が功を奏しているように見えてくると前者にやや傾き、しかし政権側の民主化の意図に疑問が生じ、デモの勢いが増す状況が見られると、後者に舵を切る。これは「ブレ」ではなく当然の情勢判断である。そもそも1月25日に始まったデモのもたらす決定的な変化を見極め、1月末に政策変更を終えて新たな理論武装を整え、ケリー上院議員の論稿という形でメディアにも発表しておくという対応の速さ、周到さは、超大国のなせる業としか言いようがない。これでも「後手に回った」と評する人は、地球上のいかなる意思決定の速い組織や国に属しているのだろうか。
 米国の「ムバーラク政権」に対する姿勢は変わったものの、「エジプト」に期待するのは、「エジプトの安定と、中東地域に安定をもたらす」ことである点に変わりはない。ただし、1月28日以降の情勢判断から、「民主化なしに安定は達成されない」という認識に明確に切り替えた。そしてこの変化を「不可逆」とする認識を、オバマ政権は、オバマ大統領自身とその報道官、クリントン国務長官、ケリー上院議員の発言や「ニューヨーク・タイムズ」紙寄稿の論稿で、明確にしていた。その上で、「民主化に移行しながら安定をもたらす」のであれば、最大限9月までいてよい、という立場である。同盟国の元首や支配層といえども、米国が命令して従わせることはできない。だからこそ、「安定」や「民主化」といったコンセプトを提示して、その枠内で状況をコントロールし、可能な限り望ましい方向に他者を動かしていく。これこそが外交政策だろう。
 そもそもエジプト現地の情報源をほとんど持たず、米国の大手メディアや通信社の情報を遅れて手にし、政策メッセージの意味するところを読み解けずに報じた挙句、「ブレた」「後手に回った」と報じる日本の既成メディア・評論家は、この「コンセプチュアルな思考」というものが全くできないのではないか、という疑いを禁じ得ない。
国際政治の変化から取り残された日本
 困ったことに、日本はエジプトを発信源に欧米や全世界が巻き込まれたグローバル・メディア空間の国際政治から取り残された、ほぼ唯一の先進産業国だった。取り残されているという現実認識すら、政治やメディア業界のエリートの間にも乏しいところが深刻である。
 確かに、日本とエジプトの間には7時間の時差があり(エジプトが7時間遅い)、今回は主に現地の夕方から夜(日本の夜から明け方)にかけて重要な進展があったため、日本の新聞は現地の夕方に起こったことを、最終版の一部を差し替えて伝えるのがやっとだった、という事情は斟酌すべきだろう。
 しかしそもそも世界の一流紙はすでにウェブ中心の報道態勢に切り替えている。ウェブ版に逐次最新記事をアップロードしていき、印刷する瞬間に最新の情報を編集して紙面にしている。それによって速報性を競い、読者の信頼を奪い合っている。ウェブでの信頼性と人気の競争を勝ち抜いた後に、利益が得られるという読みがある。ところが日本の大手メディアは、依然としてインターネットを敵視・忌避するか、あるいは単に適応できていない。従来からの、深夜に小刻みに版ごとに最新情報を差し替えて行くという、さして意味のない作業で人員が疲弊している。
 今回は、軍政移管からムバーラク辞任までが、3連休と新聞休刊日に重なったため、ただでさえ乏しい日本のメディアの国際報道は、いっそう手薄になった。テレビは、NHKが2月11日のムバーラク辞任の直後に臨時ニュースで解説し、責任を果たしたものの、民放はまともに反応しなかった。日曜日の1時間のニュース特集番組ですら、エジプト問題をほとんど報じず、大相撲八百長問題や小沢一郎問題に終始した。
 新聞では、2月10日から翌日にかけての、軍政移管からムバーラク辞任拒否、一転しての辞任という目まぐるしい展開についていけなかった腹いせなのか、オバマ政権の「エジプトとのパイプの細さ」を批判する、といった八つ当たりの言動も見られた。むしろ米国の大手メディア以外の情報源を持たない自らの情報のパイプの細さを猛省すべきであろう。
 全世界が共有したエジプトの政変のドラマを、大多数の日本人は共有しなかった。このことは今後の日本人の国際社会での地位に(ただでさえ低い地位に)、深刻な影響を与えるのではないかと危惧する。大げさに書いているように見えるかもしれないが、想像してほしい。例えば2001年に9.11事件があったことが、「夜だったから」「祝日だったから」といった理由で報じられなかった国があったとしよう。その国の子供たちはどう育つだろうか。リアルタイムで世界の変化を見詰め、新たな世界に目を開かされながら育った外国の子供たちに、伍していけるだろうか。国際社会の動きを理解し、自ら行動するための基本的な前提や感覚を共有していないことは、重大なハンディとなる。大手メディアに属するエリート社員たちが、停滞し老化した意思決定過程の改革を怠り、連休を安楽に寝て過ごすことが、将来の日本人が国際舞台で立ち遅れることに手を貸しているかもしれない。それぐらいの想像力を持ってほしいものである。
 
 続けて掲載する予定の原稿では、前回の「エジプト革命日録」 の続編として、ムバーラク政権崩壊と軍政移管の過程を日録で記す。
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http://togetter.com/li/104873

amnkLibya
参考:水川青話「国連はウルトラ警備隊じゃない」 http://bit.ly/ej2FbD
Sat Feb 26 2011 03:51:26 (Japan Standard Time) webから
参考:中東・エネルギー・フォーラム「カダフィ派・反カダフィ派・態度不明確派に別れるリビアの主要部族の現状」 http://bit.ly/fJOYfc
Sat Feb 26 2011 03:49:18 (Japan Standard Time) webから
参考:Foresight「中東諸国に走る社会的亀裂 リビア、バーレーンの大規模デモで何が起きるか」 http://www.fsight.jp/print/10270
Sat Feb 26 2011 03:48:10 (Japan Standard Time) webから
ただし、カダフィが外国人の傭兵によって東部の反政府デモの鎮圧を行ったことは、「リビア人vs外国人部隊&カダフィ政権」という構図をもたらしてしまいました。 このことで、キレナイカ地域にシンパシーを持たない人々や政府内部に対しても、現政権に対する拒否感を植え付けてしまったといえます。
Thu Feb 24 2011 05:28:22 (Japan Standard Time) webから
そのような文脈においては、「内戦」(国内において対立した勢力によって遂行される武力を用いた紛争)という表現はある意味で正しいでしょう。
Thu Feb 24 2011 05:22:34 (Japan Standard Time) webから
恐らく現在、東部を除いてそれほど情勢の悪化していない地域では、部族や地域的な勢力が、水面下の交渉や駆け引きを繰り返していると思われます。誰と組み、どの関係を強化すれば得策なのか。政府との関係を遮断するのか、維持するのか。どうすれば今後、政治的・経済的な利権を維持・拡大できるのか。
Thu Feb 24 2011 05:19:47 (Japan Standard Time) webから
トゥアレグ族の反政府的な姿勢に関しては昨日のTweet通りですが、情勢混乱に乗じた利権獲得・拡大の意図が見え隠れします。 つまり両陣営(特にカダフィ側)に対して、「タダでは味方しない」と宣言しているわけです。そしてこれはトゥアレグに限らず、他の部族に関しても同様だと思われます。
Thu Feb 24 2011 05:08:39 (Japan Standard Time) webから
このようなリビア南部フェザーン地域の独自性、自立性は、少なくとも現在までのリビア情勢に対する静観の姿勢と無縁ではないと思われます。
Thu Feb 24 2011 05:05:30 (Japan Standard Time) webから
フェザーン地域を拠点とする部族勢力は、地中海沿岸都市の勢力が及ばない砂漠地域、さらには南接するマリやチャド、ニジェールなどに影響力を有しており、このことは結果としてリビア政府の国内統治に大きく寄与しているわけです。
Thu Feb 24 2011 05:01:16 (Japan Standard Time) webから
「セブハから革命が始まった」と書かれた看板。セブハにて撮影。 http://yfrog.com/h2j7c9j
Thu Feb 24 2011 04:54:54 (Japan Standard Time) Yfrogから
そのため現在に至るまで、セブハとフェザーン地域はカダフィにとって特別な場所のようです。ジャマーヒーリーヤ革命を宣言(1977年)したのも、カダフィと同志達の考える新しい社会体制について述べられた『緑の書』(昨日の演説でも読んでいました)を執筆(1978年)したのもセブハです。
Thu Feb 24 2011 04:53:18 (Japan Standard Time) webから
カダフィは砂漠に囲まれたセブハで少年期を過ごしながら自身の思想を深めていきました。中学生の頃から、彼はエジプトのナセルの革命思想とアラブ民族主義に出会い、政治活動に参加するようになります。学校で友人達を誘いデモ活動を行うこともあり、頭脳明晰で成績は常に優秀であったようです。
Thu Feb 24 2011 04:48:13 (Japan Standard Time) webから
ちなみに、カダフィ親子が生活していた家「ダール・ムアンマル」は、今もセブハの街中に保存されています。 http://yfrog.com/h68leej 土造りの非常に質素なもので、体育用具置き場?程度の大きさです。
Thu Feb 24 2011 04:38:49 (Japan Standard Time) webから
セブハに保存されているカダフィの生家 http://yfrog.com/h68leej
Thu Feb 24 2011 04:37:27 (Japan Standard Time) Yfrogから
シルテの遊牧民であったカダフィの父親も仕事でセブハを訪れる機会は多かったこと考えられます。当時のカッザーファ族は貧しく、社会的地位も低かったのですが、教育の価値というものを心得ており、カダフィの両親は自身の食を切り詰めて息子をセブハの学校へ通わせたといわれています。
Thu Feb 24 2011 04:34:47 (Japan Standard Time) webから
そもそもカダフィ親子がシルテから800kmほども離れたセブハへ移住した経緯には、両都市の間に築かれていた交易の歴史が関係しています。サハラ砂漠北部のオアシスであるセブハからはナツメヤシやアフリカの産品を、遊牧民の拠点となっていたシルテからは家畜をそれぞれ売買していたわけです。
Thu Feb 24 2011 04:33:31 (Japan Standard Time) webから
では、地中海沿岸の小都市シルテの出身であるカダフィが、どのようにしてフェザーン地域(の部族勢力)に接近することになったのか。それは少年時代のカダフィの家族が、シルテから南部の都市セブハに移住したことをきっかけとしています。
Thu Feb 24 2011 04:31:29 (Japan Standard Time) webから
弱小部族の出身であり、トリポリとベンガジという二大地域勢力に、東西から挟まれているカダフィは、南部に位置するフェザーン地域と手を結ぶことで政治基盤の確立をはかってきたわけです。
Thu Feb 24 2011 04:26:53 (Japan Standard Time) webから
この地域は地中海沿岸部とは地理的に隔たっていたこともあり、古来よりフェニキアやローマ帝国といった地中海文明勢力に支配されることなく、砂漠の都市・遊牧民としての文化を維持してきました。 昨日概説したトゥアレグ族もその一つです。
Thu Feb 24 2011 04:25:26 (Japan Standard Time) webから
で、南部フェザーン。リビア一国だけを見ていては分かりづらいですが、フェザーン地域はサハラ砂漠の北端に位置し、各地のオアシスは、歴史的にサハラ砂漠の南北の文化圏、アラブ世界、さらに地中海を結ぶ交通・貿易の要衝としての役目を担っていました。
Thu Feb 24 2011 04:19:43 (Japan Standard Time) webから
これは今に始まったことではなく、カダフィが革命後に政治基盤を固めるまで、この地理的な不安定性は常に付きまとっていました。ベンガジは革命政権に対して敵対意識をむき出しにし、トリポリは弱小部族出身のカダフィに対して非協力的…そこでカダフィが活路を見出したのが、南部フェザーンでした。
Thu Feb 24 2011 03:49:28 (Japan Standard Time) webから
ただし、シルテがトリポリとベンガジという2つの大都市に挟まれている点に注意すべきです。今後トリポリと周辺の都市がカダフィと現政権の支配下を離れた場合、シルテ(とそこを拠点とするカダフィの一族)は東西から挟み撃ちに遭ってしまうわけです。しかも北は地中海で、南はサハラ砂漠です。
Thu Feb 24 2011 03:45:21 (Japan Standard Time) webから
さらに、シルテはUNESCOとアラブ連盟によって、2011年の「アラブ文化都市」に定められています(これまでは全てアラブ諸国の首都)。 これはシルテがカダフィの故郷であること、近年のリビアの急速な発展が影響していることは明らかです。 http://bit.ly/c9y5an
Thu Feb 24 2011 03:39:49 (Japan Standard Time) webから
2010年の秋にも、シルテでアラブ連盟とアラブ・アフリカサミットが開催されています。 http://bit.ly/bXOMNY http://bit.ly/erD5CL
Thu Feb 24 2011 03:32:11 (Japan Standard Time) webから
トリポリとベンガジに挟まれてシルテという町があります。ここはカダフィの出身部族カッザーファ族の拠点であり、左側の勢力図を見ても、この街がカダフィの支配下にあるとされています。小さな町で人口も少ないにもかかわらず、カダフィの故郷として、大きな会議施設などが設置されています。
Thu Feb 24 2011 03:24:56 (Japan Standard Time) webから
余談ですが、2009年に放送されたNHKスペシャルのドキュメンタリー企画『沸騰都市』の特別編「沸騰都市のそれから」では、ドバイから建材や労働者がリビアへ渡っていく様子が描かれていました。 http://bit.ly/6LG3wB
Thu Feb 24 2011 03:17:35 (Japan Standard Time) webから
首都トリポリには当然ながら政治・経済機能が集中しています。 経済の停滞しているUAEのドバイから建設資材や労働者を大量に受け入れており、中東・北アフリカにおける次なる発展の舞台として、未開発の豊富なエネルギー資源、広大な国土のインフラ需要が世界中から急激に注目を浴びていました。
Thu Feb 24 2011 03:13:50 (Japan Standard Time) webから
次に、西部トリポリタニア。トリポリタニアとはギリシャ語で「3つの都市(ポリス)」を意味し、紀元前から地中海沿岸部には都市が建設されていました。現在の首都トリポリの地下には、フェニキア、古代ギリシャ、ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国などの遺跡が埋まっているといわれます。
Thu Feb 24 2011 02:58:39 (Japan Standard Time) webから
反カダフィのポスターを掲げる人々。真ん中の人が掲げているメガネのおじいちゃんは、かつての国王であるイドリース・サヌーシー。 http://bit.ly/h4k4ls
Thu Feb 24 2011 02:45:37 (Japan Standard Time) webから
イタリアのリビア侵攻、植民支配に対する抵抗運動のリーダーであり、 リビア独立の父として尊敬されているオマル・ムフタールも、ベンガジの出身です。このことは、当然ながらキレナイカ地域の人々のプライドの源泉となっています。 http://bit.ly/fRorJO
Thu Feb 24 2011 02:31:51 (Japan Standard Time) webから
まず、東部キレナイカ。 リビア王国の首都であったリビア第2の都市ベンガジを中心とした、反政府勢力の牙城です。キレナイカもベンガジも、恐らく1週間前までは日本で知っている人など極めてわずかであったと思いますが、あまりにも不幸な形で有名になってしまいました。
Thu Feb 24 2011 02:11:50 (Japan Standard Time) webから
先程紹介した23日時点でのリビアの勢力図に、リビアの地域区分を合わせてみました。これを切り口に、情勢の概説をしてみたいと思います。 http://yfrog.com/h6vg14j
Thu Feb 24 2011 02:06:05 (Japan Standard Time) webから
参考:Situation in Libya as of 23rd Feb 2011, showing areas of regime control vs. liberated areas. @iyad_elbaghdadi http://yfrog.com/h3un88j
Thu Feb 24 2011 02:00:29 (Japan Standard Time) webから
恐らく今後もリビア情勢は大きく変動するでしょうし、一刻も早く現地の情勢が安定することを切望してやみませんが、「独裁政権vs無辜の民衆」「民主化」「狂人カダフィ」という言葉に踊らされていると、表層的な捉え方しかできないということは確かです。
Thu Feb 24 2011 01:55:27 (Japan Standard Time) webから
まず、反政府運動に対する武力を伴う鎮圧がきわめて苛烈なものであり、多数の死傷者が出たことに、国民がアレルギー反応を示したという点。政府の対応には当然ながらカダフィの判断が伴っており、ベンガジでの蜂起そのものとは異なる部分でカダフィ個人への批判が高まったと思われます。
Thu Feb 24 2011 01:55:10 (Japan Standard Time) webから
また昨夜からの繰り返しになりますが、地域主義と部族主義にもとづいたベンガジでの局地的な反政府運動が、なぜ首都を含めたリビア全域に広がり、政府高官や外交官の辞職・離反などに結び付いたのか?これは時間をかけて分析する必要がありますが、現時点では以下のように捉えています。
Thu Feb 24 2011 01:54:45 (Japan Standard Time) webから
繰り返しお断りしておきますが、他の多くのリビア関連のTweetと同様、独断と偏見、不確定な情報にもとづいていることがあります。また、恐らく多くの人にとって「親カダフィ」「親リビア政府」のように思える内容も多いと思います。
Thu Feb 24 2011 01:53:30 (Japan Standard Time) webから
カダフィの演説から一夜が明けました。昨夜に引き続き、ささやかながら変動するリビアに情勢を捉える上で有意義と思われる情報を提供したいと思います。(基本的に、速報や緊急情報は掲載しません)
Thu Feb 24 2011 01:53:01 (Japan Standard Time) webから
参考:中東・エネルギー・フォーラム「国内東部地方の反政府デモの抑制に全力を傾注していると思われるリビアのカダフィ政権」 http://bit.ly/fZnokD
Wed Feb 23 2011 03:46:30 (Japan Standard Time) webから
参考:msn産経ニュース「カダフィ氏、テレビ演説「殉教者として国導く」」 http://bit.ly/fCksaN
Wed Feb 23 2011 03:37:07 (Japan Standard Time) webから
また、リビア東部や旧王家の人々がリビア政府から完全に排除されていたわけではなく、予算配分など様々な形で懐柔政策が取られてきた面もあります。カダフィの側近であり、またカダフィの現夫人の妹婿であるアブドゥッラー・サヌーシーは、名字の通り旧王族のサヌーシー族の出身です。
Wed Feb 23 2011 03:08:56 (Japan Standard Time) webから
今回のベンガジやトリポリでの反政府デモへの対応でも、かなり早い段階でヘリや戦闘機が出動していますが、それはリビア空軍とカダフィとの前述の関わりが関係していると思われます。とはいえ、マルタへ空軍機が亡命するなど、現時点ではその統制は大幅に乱れているようですが。
Wed Feb 23 2011 02:38:23 (Japan Standard Time) webから
結果として、カッザーファ族の出身者が政府・軍部の主要なポストを多く占めることとなります。例えばリビア空軍の高官ポストは、カッザーファ族の出身者にほぼ独占されています。そしてこの配置は、幾度かの反体制運動やクーデターを鎮圧する上で非常に役立つこととなりました。
Wed Feb 23 2011 02:36:02 (Japan Standard Time) webから
しかしカダフィが政権を掌握し、同時に彼が様々な抵抗勢力から狙われる立場に立ったことで、彼が信頼を置くことのできた数少ない人々が、同じ部族の出身者でした。 ここから、弱小部族に過ぎなかったカッザーファ族出身者の政府や軍部の重要ポストへの登用が始まります。
Wed Feb 23 2011 02:34:45 (Japan Standard Time) webから
カッザーファ族は首都トリポリから500kmほど東にある地中海沿岸の町、シルテを拠点とする小規模の部族です。家畜の遊牧を生業とする彼らは社会的、経済的地位も低く、またトリポリとベンガジの間に位置しているために、大部族による略奪の脅威に常にさらされていました。(半世紀前の出来事です)
Wed Feb 23 2011 02:29:59 (Japan Standard Time) webから
ここで、カダフィの出身部族、カッザーファ族(Qadhafa, 「カダドファ族」など発音・呼称にいくつかのバリエーションは見られるが、同一の部族を指す)について触れておきたいと思います。
Wed Feb 23 2011 02:22:10 (Japan Standard Time) webから
そして、革命の同志達の部族的出自が、これらリビア最大規模の部族との連合を可能なものとしたのです。この部族連合政策は、弱小部族の出身であるカダフィにとって非常に重要なものであり続けました。つまり両部族の離反は、カダフィとリビア政権にとって極めて大きな打撃であることが分かります。
Wed Feb 23 2011 02:13:42 (Japan Standard Time) webから
1969年の革命直後、カダフィを中心とする新政権にとって何よりも重要だったのは、新たな部族連合を創設することで、サヌーシー旧王朝を支持して革命に抵抗していたリビア東部キレナイカ地域の巨大な部族から革命を保護することでした。
Wed Feb 23 2011 02:10:58 (Japan Standard Time) webから
マガーリハ(Magariha)族も、南部を中心としてリビア全域に広がる、リビアの主要な部族です。革命当初から長年にわたり、カッザーフィーの右腕として政府の要職を務めたジャルード(Abd al-Salam Jalud)の出身部族です。
Wed Feb 23 2011 02:08:52 (Japan Standard Time) webから
カダフィの高校の同級生であり、革命の同志であるムヘイシ(Umar al-Moheishi)も、ワルファッラ族の出身であり、革命政権の中枢にいましたが、政治的理念の違いからカッザーフィーと袂を分かち、1975年には反革命クーデターを企てたとして粛清されています。
Wed Feb 23 2011 02:02:18 (Japan Standard Time) webから
次に、ワルファッラ族ですが、彼らは民族ではなく、「部族」です。つまりアラビヤ語を話すアラブ系の人々で、単純に言えば親族集団です。彼らはリビア東部を主たる拠点としており、リビアの主要な部族として伝統的に高い社会的・政治的地位を保持してきました。
Wed Feb 23 2011 01:56:45 (Japan Standard Time) webから
そのため、他国で社会問題化しているトゥアレグ族による過激な反政府活動、権利要求のための蜂起というものは、リビアにおいてはほとんど顕在化することはありませんでした。(当然、現在見られるように、潜在的問題としては常にリビア政府にとって「火種」であり続けていたわけですが)
Wed Feb 23 2011 01:47:22 (Japan Standard Time) webから
トゥアレグ族に関する概説を続けます。彼らはどの国においても経済的、社会的に疎外されており、それが前述の略奪や反政府活動につながっているわけですが、僕の確認する限り、リビアにおいては住居や車、定期的な生活保障などを与えられ、少なくとも経済的に困窮している状況にはありません。
Wed Feb 23 2011 01:41:39 (Japan Standard Time) webから
現在の演説放送でカダフィが着ている服、これはリビアの伝統的な衣装ですが、このタイミングとシチュエーションで、この衣装を身に付けることには、当然ながら意味があると思われます。また、彼の演説も、意図的かどうかは不明ですが、リビア方言の強いアラビヤ語です。
Wed Feb 23 2011 01:35:59 (Japan Standard Time) webから
ちなみに現在(2月23日、AM1:25)、Al-Jazeera Eng.でカダフィの演説がストリーム放送されています。http://english.aljazeera.net/watch_now/
Wed Feb 23 2011 01:29:18 (Japan Standard Time) webから
参考:AFPBB「仏首相「アルカイダとは戦争状態」」 http://bit.ly/9J70qC
Wed Feb 23 2011 01:23:05 (Japan Standard Time) webから
参考:AFPBB「反政府闘争を活発化させるサハラのトゥアレグ人」 http://bit.ly/eBAR8q
Wed Feb 23 2011 01:22:47 (Japan Standard Time) webから
トゥアレグ族は時に略奪や反政府活動を行い、時には観光や仕事で砂漠地域におとずれる外国人を誘拐し、外国政府相手に身代金を要求するなどしているようです。また、近年目立った動きを見せている「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」にも大きく関与しているようです。
Wed Feb 23 2011 01:20:34 (Japan Standard Time) webから
まず、トゥアレグ族(Tuareg)ですが、彼らは他の勢力とはやや性質を異にします。彼らはアラブ系ではなくベルベル系の遊牧民族であり、主にアルジェリア、マリ、ニジェールを中心に生活する200万〜300万人ほどの少数民族です。http://bit.ly/h3D2wR
Wed Feb 23 2011 01:19:06 (Japan Standard Time) webから
未確認情報ですが、UAEの放送局Al-Arabiya等によれば、トゥアレグ族とマガーリハ族がワルファッラ族同様に反体制側についたといわれています。この3つの勢力は現代リビア、そして今後のリビア情勢を見る上で極めて重要ですので、概説させて頂きたいと思います。
Wed Feb 23 2011 01:07:17 (Japan Standard Time) webから
また、現在リビアで起きている状況を鑑みるに仕方のないことかもしれませんが、Twitter上で流れる「涙が止まらない…」「世界のため!」「人類のため!」「心が震えた」「良心が…」といった表現にも違和感を覚えます。
Wed Feb 23 2011 00:39:58 (Japan Standard Time) webから
「昨日だと思いますが」「誰かの言葉」「RTされて」「控えてないけど」という不確定要素の羅列・・・しかもその内容は、「カダフィは狂っているので、民衆が武装蜂起して、攻撃しても驚くべきことではない」という極めて過激なメッセージ。
Wed Feb 23 2011 00:30:26 (Japan Standard Time) webから
「リビアに関しては、昨日だと思いますが、「平和的抗議行動からの無血革命は絶対に無理。相手は狂人なので民衆の側は武装しなければならない」という誰かの言葉がRTされてきていました(控えてないけど)。民衆の側が攻撃を加えているという情報があってもびっくりしないでください」
Wed Feb 23 2011 00:27:50 (Japan Standard Time) webから
・・・と留保しておいたところで、例えばTwitterでは、こんなツイートが流れて、拡散されているわけです。(注:原文のまま。ツイートした人の名前は伏せます)
Wed Feb 23 2011 00:27:24 (Japan Standard Time) webから
繰り返しお断りしておきますが、他の多くのリビア関連のツイートと同様、独断と偏見、不確定な情報にもとづいていることがあります。また、恐らく多くの人にとって「親カダフィ」「親リビア政府」のように思える内容も多いと思います。
Wed Feb 23 2011 00:26:09 (Japan Standard Time) webから
続) この視点に立てば、リビアを独裁的(arbitrary)で自由の欠如した、束縛と恐怖によって支配者への服従を強制する社会だと見ることは誤りなのである。 ――John Davis “Libyan Politics: Tribe and Revolution”(拙訳)
Wed Feb 23 2011 00:16:01 (Japan Standard Time) webから
続) しかしリビア人(その多くが西側の評価を、最低でも一部に関しては真実だと認めている)は、決してリビアをそれだけの国だとは見なしていない。彼らは苦しんでいると同時に、政治的、精神的、文化的な自由のために奮闘している。
Wed Feb 23 2011 00:15:36 (Japan Standard Time) webから
引用: リビアを単純にその政治形態から捉えると、リビアという国は、暴政が敷かれ、国民は自らの権利をはく奪され、支配者は敵対する者を追い求め、国境を越えて彼らに暴力的な死をもたらすような国であるかのように見える。
Wed Feb 23 2011 00:15:10 (Japan Standard Time) webから
そしてリビアという国を「魔王の支配する地獄のような国」「無力な人々が抵抗もせず苦しみ続けてきた国」と捉えること自体、その社会や現地で生活している人々を間接的に貶めている、ということも忘れないで頂きたく思います。
Wed Feb 23 2011 00:11:29 (Japan Standard Time) webから
くれぐれも、「狂った独裁者カダフィvs正義と平等と平和を求める民衆」という一面的な構図に陥らないで頂きたく思います。そんなに単純なものであるはずがない。実情は、もっとずっとドロドロしている。
Wed Feb 23 2011 00:07:17 (Japan Standard Time) webから
個人的な感覚ですが、国営テレビが政府のプロパガンダに用いられているのと同様、既にTwitterとFacebookは情報戦のツールになっています。死傷者数をふくらませ、「正義を求める無辜の民の声」を紹介し、「狂った独裁者」の悪行を並べ立て、「カダフィが国外逃亡した」と煽る・・・
Wed Feb 23 2011 00:05:56 (Japan Standard Time) webから
乱暴な表現になりますが、「魔王カダフィがリビア政府全てを牛耳っていた」というようなドラクエ的発想からは、何も見えてこないどころか、極めて歪んだリビア像しか引き出しません。
Tue Feb 22 2011 23:56:33 (Japan Standard Time) webから
話が逸れましたが、1969年の革命以降のリビアを振り返ってきても、政府と人々は決して対立、弾圧、抵抗の関係にあっただけではありません。オイルマネーや政治的権益の配分をめぐり、時には「共犯」の関係を持つことも多かったのです。この点に関しては機会があれば詳述したいと思います。
Tue Feb 22 2011 23:35:49 (Japan Standard Time) webから
報道されている通り、リビアにはブラック・アフリカや隣国のチュニジアやエジプト、南アジア諸国から多くの出稼ぎ労働者がきてブルーカラーの仕事を請け負っていますが、リビア人の外国人労働者に対する差別意識は極めて強いと言われます。
Tue Feb 22 2011 23:30:23 (Japan Standard Time) webから
リビアでは前述の通りオイルマネーによって、生活必需品は非常に安く保たれています。ミネラルウォーター1.5リットルのボトルが20円、フランスパンが5本で100円など。基本的に生きていくのに困ることはありません。教育費もほぼ無料のため、肩書きだけは大卒の人間があふれています。
Tue Feb 22 2011 23:24:02 (Japan Standard Time) webから
恐らく今後も情勢は大きく変動するでしょうし、リビアに多くの友人を持つ身としては一刻も早く現地の情勢が安定することを切望してやみませんが、「独裁政権vs無辜の民衆」「民主化」「狂人カダフィ」という言葉に踊らされていると、表層的な捉え方しかできないということは確かです。
Tue Feb 22 2011 23:13:36 (Japan Standard Time) webから
国家が資源から得た利益の適切かつクリーンな分配、行政サービスや法律の有効な機能、イスラームにもとづいた社会モラルの浸透、経済的格差の解消などは、単純に「民主化」「カダフィ退陣」の延長線上にあるものではなく、民主化を達成すれば自動的に達成され得るものでもありません。
Tue Feb 22 2011 23:10:11 (Japan Standard Time) webから
ここで一つ考えておくべきことは、リビアの反政府側に立つ人々は、「なぜ」カダフィ政権を打倒しようとしているのか、アラブ諸国の人々は、反体制運動を通じて「民主化」を達成したとして、その先に何を求めているのか、という点です。
Tue Feb 22 2011 23:08:00 (Japan Standard Time) webから
参考:Newsweek 「打倒カダフィ」血のシナリオ http://bit.ly/efZfAq
Tue Feb 22 2011 22:53:50 (Japan Standard Time) webから
また、政権が動揺する中で、「もはやカダフィ/個人による独裁の時代ではない」という風潮は確実に高まっているでしょう。この点に関しては、これまで大きな動きこそなかったものの、リビア政府内部でもある程度の共有はなされていたと思われます。
Tue Feb 22 2011 22:51:25 (Japan Standard Time) webから
リビア国内、もしくはリビア人からのものだと思われるTweetを眺めていると、「リビア国民のために」「国のために一致団結して…」といった表現がよく出てきます。裏を返せば、これはそのような枕詞によって反体制側の団結心と正当性・正統性を高めようとしている・・・という見方もできます。
Tue Feb 22 2011 22:50:14 (Japan Standard Time) webから
繰り返しになりますが、ベンガジに対する鎮圧があそこまで苛烈であったのも、前述の通りトリポリの現政権とベンガジの間に潜在的な対立・対立意識が根強く残っていたためだと思われます。
Tue Feb 22 2011 22:42:18 (Japan Standard Time) webから
まず、反政府運動に対する武力を伴う鎮圧がきわめて苛烈なものであり、多数の死傷者が出たことに、国民がアレルギー反応を示したという点。政府の対応には当然ながらカダフィの判断が伴っており、ベンガジでの蜂起そのものとは異なる部分でカダフィ個人への批判が高まったと思われます。
Tue Feb 22 2011 22:29:44 (Japan Standard Time) webから
では、地域主義と部族主義にもとづいたベンガジでの局地的な反政府運動が、なぜ首都を含めたリビア全域に広がり、政府高官や外交官の辞職・離反などに結び付いたのか?これは時間をかけて分析する必要がありますが、現時点では以下のように捉えています。
Tue Feb 22 2011 22:20:38 (Japan Standard Time) webから
参考:al-Quds al-Arabi紙「リビア、懸念すべきシナリオ」 http://bit.ly/eeGXQI
Tue Feb 22 2011 22:08:31 (Japan Standard Time) webから
参考:中東・エネルギー・フォーラム「リビアで発生した反政府デモ」 http://bit.ly/glipR6
Tue Feb 22 2011 22:07:22 (Japan Standard Time) webから
また反体制運動の目的は政治権力の奪取/奪還であり、隣国エジプトのムスリム同胞団のように何らかのイデオロギーを実現するための運動ではありませんでした。リビア国内のイスラーム勢力についても、旧王制の母体となったサヌーシー教団以外には、反政府運動を行った例は確認されていません。
Tue Feb 22 2011 22:00:32 (Japan Standard Time) webから
これまでリビアでは何度か旧王制を支持する勢力や地方の有力部族が台頭し、反体制勢力として現政権を脅かしましたが、彼らの勢力基盤は特定の地域や部族に根ざしており、全国規模での広がりを見せたことはありませんでした。
Tue Feb 22 2011 21:59:08 (Japan Standard Time) webから
このワルファッラ(Warfalla, Werfella)家は、現在のリビアでの反体制運動の先陣を切り、反カダフィ姿勢を鮮明にしている模様です。
Tue Feb 22 2011 21:55:39 (Japan Standard Time) webから
主要な例としては、1993年、有力部族のワルファッラ(Warfalla)家によって引き起こされたカダフィ暗殺計画があります。反乱の理由は、ワルファッラ家メンバーの政府と軍部への部族出身者の登用において、彼らが到底満足し得ない冷遇を受けたというものでした 。
Tue Feb 22 2011 21:50:48 (Japan Standard Time) webから
そしてリビア東部の人々は、革命直後から現在に至るまで、現政権に対して決して無抵抗であったわけではなく、様々な形で抵抗を試みてきたわけです。
Tue Feb 22 2011 21:47:40 (Japan Standard Time) webから
これ、現在のカダフィ政権の話じゃありませんよ。カダフィと同志達が打倒した王国政府のことです。そして繰り返しますが、当時ベンガジは王族や有力者の基盤として繁栄の極みにあったわけです。
Tue Feb 22 2011 21:38:31 (Japan Standard Time) webから
1962年、在リビア米国大使館からケネディ大統領宛に秘密メモが届けられています。「石油による巨額な収入が見込まれているにもかかわらず、王族たちは、行き当たりばったりの大浪費と公金横領に目がくらんで、たちまち現金不足に陥り、結局、我々のところに泣きついてくることになる」
Tue Feb 22 2011 21:36:10 (Japan Standard Time) webから
油田が発見されると、旧王制は国際石油資本と結びつくことで、王政存続の経済的基盤を獲得しましたが、その利益は王族と一部の有力者に独占され、国民は石油利益の恩恵を受けることができませんでした。
Tue Feb 22 2011 21:34:52 (Japan Standard Time) webから
王制時代、リビア社会は教育に見放され、独立後数年経っても住民の90%以上は文盲であり、ほんの一握りのリビア人が大学か職業訓練施設で勉学の機会を与えられたに過ぎませんでした。教育制度が真に発展するのは1960年代の石油発見後です。
Tue Feb 22 2011 21:32:56 (Japan Standard Time) webから
このように、リビア東部における一部の特権階級が政治権益を操ることで、その利益を享受することのできない大多数の国民は、体制からの疎外感を強め、それが1969年の革命の支持に結びつくことになったのです。現政権におけるベンガジ・リビア東部の疎外には、このような背景があるわけです。
Tue Feb 22 2011 21:29:31 (Japan Standard Time) webから
1960年に世界銀行は、リビアの経済発展の障害は、公職への任命に関する一般的傾向として、しばしば個人の実績よりも個人的親交や部族のつながりが重視されることであると報告しています。これも現政権とほぼ同じですね。
Tue Feb 22 2011 21:27:58 (Japan Standard Time) webから
当時の首都はベンガジ、つまり現在反政府運動が最も激しい都市におかれ、リビア東部を拠点とする有力部族が政府高官となったわけですが、政治の実権を握った王族と一部の有力者は、彼らの支配力と権益の維持のため、政党や議会を禁じました。つまり現政権と全く同じことをしていたわけです。
Tue Feb 22 2011 21:25:15 (Japan Standard Time) webから
WW2後の1951年、リビア西部のトリポリタニア、東部のキレナイカ、南部のフェザーンの3つの自治州から構成されるリビア連邦王国が独立します。当時はまだ石油も発見されておらず、独立したものの先進国の援助なしには国家財政を運営していくこともできないような北アフリカの最貧国でした。
Tue Feb 22 2011 21:21:01 (Japan Standard Time) webから
では、カダフィが1969年に革命を起こす前のリビアという国がどのようなものであったのか、概説します。
Tue Feb 22 2011 21:18:42 (Japan Standard Time) webから
さらに、そのようにして文脈から切り離され「アラブの狂犬」「狂った独裁者」とレッテル付けされた「カダフィ大佐」の動向をリビア人全体の表象として捉えてしまうと、そこからは極めて一面的なリビア像しか描かれ得ないと考えています。
Tue Feb 22 2011 21:11:38 (Japan Standard Time) webから
いまや「カダフィ大佐」の名と切り離してリビアを語ることはほぼ不可能であるほどに、カダフィと現代リビアが結びついているのは事実ですが、カダフィ個人をリビア社会の“突然変異分子”や”悪性腫瘍”として、彼自身が抱える文脈から切り離して捉えることはできません。
Tue Feb 22 2011 21:10:57 (Japan Standard Time) webから
参考:世界経済のネタ帳「リビアの一人当たりのGDPの推移」http://bit.ly/dXU4Pf
Tue Feb 22 2011 21:06:43 (Japan Standard Time) webから
しかし以下のグラフを見て頂ければ、それが真実からかけ離れている、ということが分かるかと思います。「リビアの一人当たりの購買力平価ベースのGDP推移(1980〜2010年)」http://bit.ly/hqK2cV
Tue Feb 22 2011 21:04:16 (Japan Standard Time) webから
で、某ハッシュタグを眺めていると、例えば以下のようなTweetが流れて、拡散されているわけです。(注:原文のまま。ツイートした人の名前は伏せます)「リビヤはアフリカ最大の産油国/最高のGDP、PP。にもかかわらず国民の3分の2は貧困層の一日$2以下の生活水準。」
Tue Feb 22 2011 21:00:28 (Japan Standard Time) webから
政府は民衆の側からの自発的な組織と発言を厳しく禁じる代りに、オイルマネーによって家、自動車、病院、工場など国民が必要とするものを整備し、民衆の生活は確実に向上しました。教育制度も整備され、授業料は無料となったために識字率は大きく上昇したといわれます。
Tue Feb 22 2011 20:56:32 (Japan Standard Time) webから
カダフィとリビア政府は弾圧によってリビア国民を苦しめてきただけではありません。カダフィが断行した石油産業の国営化と石油価格のつり上げは、国家収入を劇的に増加させました。革命前の5年間の石油収入合計は約6000億円であったのに、革命後の5年間の合計は2兆円となったのです。
Tue Feb 22 2011 20:53:51 (Japan Standard Time) webから
80年代に顕在化した米国との対立も、結果的にカダフィによる支配の正統性を高め、権威の確立に貢献したといえます。野田正彰は、リビア国民の間に「世界最大の国アメリカにこれほどまでに叩かれる国もまた、偉大に違いない」という「取り入れ」の心理機制が働いていたと述べています。
Tue Feb 22 2011 20:49:45 (Japan Standard Time) webから
「指導者に特別な思考能力や実行力があるということは別にして、普通指導者の性格構造は、彼の主張を受け入れるひとびとの特殊な性格構造を、より端的にはっきりと表していることが多い。指導者は、その支持者が既に心理的に準備している思想を、よりはっきりと率直に述べているのである」E.フロム
Tue Feb 22 2011 20:46:52 (Japan Standard Time) webから
砂漠で生まれ育ち、幼い頃から遊牧民の伝統とイスラームの教理に従って生活し、成長するにつれ旧王制の腐敗と外国勢力による搾取を糾弾し、ついには若くして革命を実行したカダフィ青年は、当時のリビアの人々が強い共感を得る要素をふんだんに兼ね備えていたといえます。
Tue Feb 22 2011 20:45:17 (Japan Standard Time) webから
例えばJETROは1981年の報告書で、「カダフィは「北アフリカの空隙地帯」「存在しない国」と言われていたこのリビアから、まさしく存在する国家を作り上げ、リビア人に地域主義や部族主義よりも一国の国民としての感情を優位に立たせることに成功した 」と述べています。
Tue Feb 22 2011 20:43:35 (Japan Standard Time) webから
ただし、チュニジア同様リビアも国民の5割近くが25歳以下であり、つまりリビア国民のほとんどは、カダフィによる弾圧の嵐が吹き荒れ、国連や欧米による経済制裁によって物資が困窮していた時代を経験していません。
Tue Feb 22 2011 20:41:15 (Japan Standard Time) webから
実際、近年では09年のNYでの国連総会における演説や「テント騒動」、WikiLeaksで暴露されたような言動に代表されるカダフィの「予測不能」な振る舞いに、リビア国民自身が辟易していたのは確かでしょう。
Tue Feb 22 2011 20:38:43 (Japan Standard Time) webから
とはいえ、革命から間もない70年〜80年代には、「ジャマーヒーリーヤ思想」に代表されるラディカルな思想を国民に押し付け、思想統制や焚書を行い、多くの政治犯や亡命者、さらには革命の同志までもを処刑したことも事実です。
Tue Feb 22 2011 20:33:53 (Japan Standard Time) webから
カダフィ個人に対する国民の評価はどうでしょうか。オイルマネーのバラ撒きのおかげもあり、ベン・アリやムバーラクのように、国民の貧困を改善しないままカダフィと家族だけが富を私物化しているという批判は、国内ではそれほど聞かれません。
Tue Feb 22 2011 20:29:08 (Japan Standard Time) webから
ちなみに、先日も群衆に対して政府側が攻撃ヘリや戦闘機を用いて攻撃したといわれますが、これは恐らくカダフィにとって、同族の多い空軍が最も信頼のおける部隊であったためと予測できます。
Tue Feb 22 2011 20:23:42 (Japan Standard Time) webから
現在では、当然ですが1969年と比べて体制もより強化され、中央集権化され、軍事設備も高度化されています。特に空軍と情報機関の高官にはカダフィと同族の出身者が多いため、トリポリやベンガジといった大都市での反体制運動に対し、その鎮圧は徹底的になされています。
Tue Feb 22 2011 20:21:36 (Japan Standard Time) webから
この国土の広さと人口の少なさは、全国規模での反体制行動が多くの困難と破壊を伴うことを示しています。1969年にカダフィが同志達とクーデターを起こした時も、トリポリとベンガジの両方で同時に蜂起したことが成功の要因となっています。
Tue Feb 22 2011 20:19:47 (Japan Standard Time) webから
軽く補足情報。チュニジアの国民人口:1030万人、国土:16万平方q、人口密度:63人/平方q。エジプトの国民人口:8300万人、国土:100万平方q、人口密度:83人/平方q。リビアの国民人口:640万人、国土:180万平方q、人口密度:3人/平方q。
Tue Feb 22 2011 20:13:48 (Japan Standard Time) webから
参考:マーサー社の『2010年世界生計費調査 都市ランキング』によると、リビアのトリポリは中東で最も物価が低い(世界186位)とのこと。http://bit.ly/al0Vj4
Tue Feb 22 2011 20:08:09 (Japan Standard Time) webから
リビアは現在でも社会主義的な経済システムを引きずっており、食料品や生活必需品は大抵政府によって価格統制がなされているため、非常に安価で購入できます。ガソリンは1リットル当たり約13円と日本の10分の1ですし、教育費もほぼ無料です。
3:02 AM Feb 22nd webから
またリビア政府は、豊富なオイルマネーと少ない国民人口、かつての社会主義体制の名残から、各家庭に対し、失業中の成人男性の数に応じて月ごとに手厚い補助金を与えている(いた)と言われています。
2:37 AM Feb 22nd webから
つまりリビアの失業率の高さは、「職がない=働けない」のではなく「働きたくない」若者の多さに起因していると言えるため、失業率が暴動の引き金となったわけではないことが分かります。
2:33 AM Feb 22nd webから
リビアだけでなくアラブの産油国全般で見られることですが、肉体を酷使する重労働はアジアやアフリカからの移民に任せ、英語や専門知識も持たないままにホワイトカラーの仕事を求め、就職もせずに日々を送る若者がほとんどです。 日本の糞ニートと同じですね。
2:32 AM Feb 22nd webから
その背景には、高い失業率、物価の高騰と貧困率の増大などによる国民の不満がありました。翻ってリビアを見てみると、確かにリビアでも高い失業率が問題となっていますが、リビアには国民が600万人程度しかおらず、国民の5分の1に当たる約100万人が公務員として国に雇用されています。
2:29 AM Feb 22nd webから
ご存知かと思いますが、チュニジアでの暴動の発端は、地方都市での若者の焼身自殺です。その様子を移した動画がFacebookやTwitterによってチュニジア全国に広まり、文字通り革命の着火剤となったわけです。
2:28 AM Feb 22nd webから
話が前後しますが、ベンガジ、キレナイカ地域(リビア東部)における反政府運動が旧王制へのノスタルジーを一定の拠り所としているという思いは、暴動の現場にひるがえる旧リビア王国の旗を見て一層強まりました。http://bit.ly/g9m8Yy http://bit.ly/f1TKzS
2:26 AM Feb 22nd webから
13日〜22日、カダフィの発言に関連し、リビア主要都市において、市民が無人の新築住宅を不法占拠する動きが発生。この問題は数日中に解決。 15日、カダフィ指導者のチュニジア国民向けTV演説。17日、カダフィ次男に近いリビア・プレスは、リビア軍を批判する記事を発表。
2:11 AM Feb 22nd webから
1月10日 政府、食料品に対する税の撤廃を発表。 13日 カダフィ、セブハにおける政府会議に出席し、「リビアには充分な家が建設されており、家がない国民はこれらに住むことが出来る」と発言。
2:08 AM Feb 22nd webから
では、首都トリポリの反政府運動の性格はどのようなものなのか?現時点での動きに関してはリアルタイムに確認してもらうのがベターだと思うので、隣国チュニジアでの反政府運動と同時期の、1月半ばに起こった騒動について概説します。
2:06 AM Feb 22nd webから
ただし、ベンガジの人々も、自身の立場を正当化するためのレトリックとして、「カダフィの独裁に対して立ちあがれ」「この国は腐敗している」「正義と民主化を!」といったメッセージをたくさん流しているわけです。
2:02 AM Feb 22nd webから
つまり、ベンガジでの暴動は、単純に独裁的・非民主的な体制に対する抗議と民主化の要求というよりは、発展の集中するトリポリに対する不満、リビア東部を拠点とする部族勢力の政治的台頭の思惑などが、「民主化」の看板を借りて顕在化している状況だと考えた方が適切だと思われます。
2:00 AM Feb 22nd webから
2006年2月に起こったムハンマドの風刺画騒動(http://bit.ly/i9I5cI)に対する抗議デモが、最終的には体制批判に転じたように、首都トリポリの発展を前にして、ベンガジには政治的・社会的不満がたまっていたようです。
1:59 AM Feb 22nd webから
だからこそカダフィとその同志達は、1969年の革命が成功した際に首都をリビア西部沿岸のトリポリに移したわけですが、それ以来ベンガジではリビア政府に対する不満がたまっているといわれています。
1:52 AM Feb 22nd webから
ベンガジは、1969年のカダフィによるクーデターの後に首都がトリポリに移されるまで、リビア(当時はリビア王国)の首都でした。当然、当時の王族やリビア東部の大部族、イタリアの植民地政策に抵抗した英雄を輩出したイスラーム教団の政治的・社会的基盤が非常に強かったわけです。
1:51 AM Feb 22nd webから
何から手を付けばいいのか分かりませんが、まずは騒乱の最も激しいベンガジという都市とリビア東部地域について説明します。
1:46 AM Feb 22nd webから
あと、この世には「ニュートラル」「客観的」な情報は存在しないと思いますが、恐らく多くの人にとって「親カダフィ」「親リビア政府」のように思える内容も多いと思います。
1:46 AM Feb 22nd webから
最初にお断りしておきますが、他の多くのリビア関連のツイートと同様、独断と偏見、不確定な情報にもとづいていることがあります。
1:44 AM Feb 22nd webから
リビア情勢がだいぶ緊迫してきて、それに伴って情報が錯綜している感があるので、ささやかながら情報を提供したいと思います。
1:41 AM Feb 22nd webから
名称 amnk
 

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