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【oujyujyu、小沢一郎は政治思想家】(金や立場を取り上げても、彼より優れた考え方と汗を用意しない限り無意味です)
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak39/msg/401.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2010 年 6 月 10 日 08:15:34: 4sIKljvd9SgGs
 


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小沢一郎は「絶対権力者、権力の亡者、金権政治家、壊し屋」?(世界の真実の姿を求めて!)
http://www.asyura2.com/10/senkyo88/msg/241.html
投稿者 明るい憂国の士 日時 2010 年 6 月 10 日 06:18:52: qr553ZDJ.dzsc

http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-954.html
2010-06-08

小沢一郎は「絶対権力者、権力の亡者、金権政治家、壊し屋」?


全ての全国紙、全ての地上波TVがまったく同じ論調で「祝・脱小沢」とやっていることの不気味さ、不条理さ、この状況をオカシイと思わないのか?日本国民!!(ツイッター投稿より)

多くの政治家の目標は首相になること、その目的を達成した政治家は第一線から去っていく。小泉、麻生、安倍、そして鳩山、新しい菅総理もそうなのだろう。
だが小沢は違うように思う。
小沢一郎は政治思想家。
自身の政治思想を、いつか日本社会が選択する日がくること。自身の政治思想を実現させる為に小沢は行動しているからだ、実現させるまで退かない。
そのことをマスゴミは権力の亡者と報道し、罵倒しているが・・・

小沢一郎の政治思想を日本で実現させるには小沢一郎だけでは不可能であり、次世代の政治家の育成が必要である。長期的な視点が必要である。
21世紀の日本の在るべき姿と歩むべき道筋を構想し、かつその実現を担い得る、志の高い若い人材を発掘、養成する。そのために、衆議院議員小沢一郎が「塾長」として小沢一郎政治塾を開き、人材を育てていこうとしている。
本当の政治家を育てようとしている政治家は他にいるのだろうか?
小泉、麻生、安倍、そして鳩山、新しい菅総理が政治塾を開かなくても、これからの日本を支える人材を育てていこうとしているのだろうか?

かって小沢は構想を現実のものとすべく自民党を立ち割った。金丸信が権勢を振るっていた時期、総理になろうとすればなれた。けれども、なにをするために総理をやるのか、いまなったとしてそれができるのか――という問いを発せずにはおれない。そこに、小沢の小沢たる所以がある。

ぶれない。迎合しない。愛想がない。袂を分かった政治家も少なくない。政治の理想をブルドッグの父佐重喜に、政治の現実はブルドーザーの角栄に学んだ。権力の裏の裏まで知り尽くす最後の政党政治家。

剛腕、リアリスト、壊し屋……多くの異名が授けられている。小沢が永田町を仕切るに長けたプロ政治家であることは疑いない。ただ、それは一面であって、もうひとつ保持してきたのは、日本の政治家には稀有の、〈思想〉を宿す政治家であったことである。そこに彼の政治的パワーの源泉もあった

「戦犯という名は勝者がつけたものだからさておいても、A級戦犯の連中、東条英機や板垣征四郎は岩手県人だけれども、外国からいわれる以前に、彼らを僕は許せない。生きて虜囚の辱めを受けずと教え込んで三百数十万を死なせた張本人じゃないか。靖国に祭られるべき存在じゃない。岸信介にしても戦後は仏を供養して過ごすべき人間です。僕がこんなことをいうとびっくりする人がいるんだが、本心、そう思ってるんだ」

少年期だった昭和20年代、田んぼと畑が続く農村地帯だった。父はあまり東京から帰らず、母、3歳上の姉との暮らしが続いている。

 代議士の子といえばお坊ちゃんを連想するが、着ているものも食物も近所の子と同じ。毎日、泥だらけになって「陣地取り遊び」に興じていた。みちはいわゆる明治の女。男の子は泣くな、いいわけするな、卑怯であるな、と古風な美徳を教え込んだ母だった。

 勉強ができて、相撲やスポーツも得意だったが、ガキ大将でもなければ喧嘩好きでもな い。小・中学の同窓生は「一ちゃん」をそう語る。シャイで、余計なことは口にしない――。そういう原質はいまも引き継いでいる。

青年期から小沢は読書家だった。

 どんな本を読んできましたか、という問いにあがった名を列記すれば、北一輝、ドイッチャー、マルクス、ウェーバー、ドイツ革命・ロシア革命・中国革命に関するもの、ドゴールやチャーチルの回想録……など。後年、好みは歴史物語に移っていった。先頃、鞄に入っていたのは半藤一利の『昭和史』。小沢はインテリゲントな人である。

 先の総選挙で落選したが、小沢チルドレンの一人、樋高剛は世田谷にある小沢宅で十年余、書生をつとめた。仕事のひとつに、塩野七生や司馬遼太郎の新刊本が出るたびに買いに出向くことがあった。夜、酔っ払って帰宅してからも小沢は本を開く人だった。小沢によれば、いまはもう酒が入ると寝てしまうということであるが。

 人はだれも本を自身に引き寄せて読む。小沢から伝わってくるのは、時代の大きな流れ、「興亡史」を読み取る読書である。

先の選挙で落選した民主党前代表代行の藤井裕久は、自民党分裂から民主党合流まで、終始、小沢と歩みを共にした一人である。大蔵省の出身。はじめて「小沢一郎」の名を刻んだのは官僚時代、田中角栄からである。何かの会合で角栄の言を小耳に挟んだ。

「小沢一郎というのはえらくなる。あれはそこらの連中とはモノが違う」

 角栄が小沢を格別に可愛がったことはよく知られている。夭折した長子の再来を小沢に見たからだともいうが、付随的なことだろう。角栄は小沢のもつただならぬ天稟を見抜いていたのだろう。

「オヤジ(角栄)は僕には何も隠さなかった。表も裏も私ごとも一切合財を含めて。いまもいえないことばかりですけれどもね……」

角栄の愛弟子は、角栄的世界からもっとも遠い思想を宿した政治家でもあった。小沢は反面教師としてもオヤジから多くを学んだはずである。

 角栄門下生のなかで、ロッキード裁判をすべて傍聴したのは小沢だけである。その理由については「情です」と小沢はいった。確かであろう。と同時に、裁判の全過程に接するなかで、ひとつの時代と権力の滅びの音色を耳にしていたはずである。

もっともエキサイトしたのは、竹下派・経世会の結成と自民党からの離党であったという。前者は途中から「オヤジとの闘争」となった。情においては忍びない。けれども、利害を調整処理することで済んだ角栄型の戦後政治は終わった。小沢は冷徹に見切ったのである。

 人はだれも相矛盾したものを自身のなかに持っている。小沢側近の一人は、小沢を「アタマは西洋人でカオとハートは土着日本人」と評したが、当たっている。この二つから敷衍して眺めると、小沢の節々の政治判断の多くは解ける。

先頃、藤井は政界引退を決め、まず小沢に告げるために赤坂の事務所に出向いた。「もう側にいて一緒に歩くことはできなくなりました」。そういうと、小沢は涙ぐんでいる。この十数年、藤井は小沢の涙を何度か見ている。

 情に流されて判断を誤ったことはありませんか――という問いに対して、「いくつかあったよ」と小沢は答えた。具体的には口をつぐんだが、小渕内閣時代、自自公結成などを指している。
 今も、角栄待望論を耳にすることがあるが、小沢は明確に否定する。オヤジは戦後のあの時期に求められた政治家であり、いま求められるのは土台を変える変革者であると。
情と理の使い分け、ときに明瞭でありときにくもる。そのときどき、「土着日本人」が前に出、また「西洋人」が前に出る。その矛盾のなかで小沢は生きてきた。

かつて小沢側近と呼ばれた人たちの多くが小沢のもとを去っていった。双方に言い分があるが、この点、融通無碍、包み込むような包容力をもった角栄とは対照的である。小沢の、対人関係における多分に不器用な部分に起因するものもあるが、根本的にいえば、思想とは反作用として峻別を併せもつものであって、思想政治家のもつ宿命である。

 いつまでたっても丸く≠ネらない。なれないのだ。最近も、古くからの自民党の友人にこういわれた。

「一ちゃん、いつまで書生のようなことをいってるんだ」

和子夫人の素顔は、ほとんど知られていない。一体どんな人物なのか。「和子夫人は、“内助の功”という言葉がピッタリの控えめな人です。ポッチャリ体形で、服装は質素。ブランド品を身につけることもありません。鳩山首相の幸夫人とは正反対のタイプですね。小沢邸での新年会でも、厨房を仕切るなど裏方に徹し、表には出てこない。人手が足りないときには料理を運んで来たりもしますが、自分から挨拶することもなく、すぐにいなくなってしまう。後になって“さっきの女性が奥さんだったの?”と驚く議員も多いそうです」(政治評論家・有馬晴海氏)

“お手伝いさん”と間違われることもあるくらい地味な印象の和子夫人だが、実はタイヘンな資産家だ。田中角栄の後援会幹部で、新潟県の大手ゼネコン「福田組」の経営者だった福田正氏の長女。上智大卒の才媛でもある。「英語がペラペラで、ダイアナ妃が来日した時は、通訳なしで話したそうだよ。頭がいいことをひけらかさないし、偉ぶらなくて感じのいい人だよ」


http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2006/ar20060127163706.html 

小沢一郎 思想政治家で終わるのか

AERA '06.1.23

ぶれない。迎合しない。愛想がない。袂を分かった政治家も少なくない。政治の理想をブルドッグの佐重喜に、政治の現実はブルドーザーの角栄に学んだ。権力の裏の裏まで知り尽くす最後の政党政治家。「総理にしたい人物」のランキングには必ず名前が挙がる。果たして、在野のまま「思想」に殉じてしまうのか。


小沢一郎が自民党幹事長に就任したのは1989年(平成元年)、海部内閣の下、47歳の日であった。以降の主たる肩書を追えば、新生党代表幹事、新進党党首、自由党党首、民主党代表代行ということになるが、激動続く平成時代、政局のキーマンだった。権力中枢にあって差配を振るったという意味では、竹下内閣での官房副長官時代も含めるべきかもしれない。ともあれこの二十余年、この政治家が永田町の震源であり続けてきた。

 剛腕、リアリスト、壊し屋……多くの異名が授けられている。小沢が永田町を仕切るに長けたプロ政治家であることは疑いない。ただ、それは一面であって、もうひとつ保持してきたのは、日本の政治家には稀有の、〈思想〉を宿す政治家であったことである。そこに彼の政治的パワーの源泉もあったのではないか。

 

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