投稿者 愚民党 日時 2010 年 2 月 04 日 01:18:45: ogcGl0q1DMbpk
(回答先: 森田童子/録音盤「風さわぐ原地の中に」東京カテドラル教会聖マリア大聖堂録音盤 投稿者 愚民党 日時 2010 年 2 月 04 日 01:14:04)
東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤
新しい朝にぼくは何処で、そしてどんな想いで、この一枚のアルバムを聴くのだろうか。
ぼくたちが 初めて、大聖堂でのライブ録音を実現した。
(早稲田大学音楽プロデュース研究会)
1978年11月 アルバムレコード ポリドール 発売
1979年12月28日だった。その日は勤めていた印刷会社の御用納めだった。
ほとんど掃除と整理などをして終わりだった。昼はに帰れる半ドンだった。
課長や同僚に「よい年を」などとあいさつをして、わたしはビルの地下室にある印刷工場から
外に出ると、そのまま近くのジャズ喫茶店に入った。新宿ロフトでの森田童子のコンサート開演
まではまだ時間があった。ジャズ喫茶を出て神保町の古本屋街をぶらぶらした。
そして御茶ノ水駅から新宿に向かう電車に乗った。その頃、印刷工でありながらわたしは
職場の人がそうしたようにサラリーマンの背広、コート姿で通勤していた。
新宿ロフトに着いたら受付に「森田童子を支持する会」の人がいた。
黒い男子学生服を着た短い髪の早稲田の女性だった。
早く来たので前の方に座れた。舞台前から入り口に伸びる端にある木製長いすだった。
森田童子はもしかしたら明治大学駿河台講堂の一番前で聞いていた、自分を覚えていて
くれたのかもしれない。しかしそんなことはないだろうと思った。
「さよならぼくのともだち」の後にアンコールとして歌う
ロック調の「風さわぐ原地の中に」がわたしは好きだった。
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風さわぐ原地の中に 森田童子
風さわぐ 原地の中に
俺とお前が
涙ぐんで 立っているヨ
まるで 記念写真みたいにサ
なつかしい故郷 目の前にして
丁度
ひと昔前と おんなじで
お前十七 俺十九の春だった
あばよ チマよ
俺とお前が
街から街を 流れたヨ
都会の夜の まぶしさに
眠るのも忘れて 遊んだヨ
丁度
すっからかんの文無しは
お前十七 俺十九の春だった
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俺とお前は 幼なじみのように
いつもふたりだった
二つ年下のお前は
とてつもないことを 考えついては
俺を 有頂天にした
そして
まわりの歯車と 合わない
俺たちの 気づいた時
二人はもう 若くはなかった
今 もう 二人でしかやってゆけない
俺とお前が ここにいる
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帰れるものか あの娘のいる街へ
お前 地道にやれるというが
気ままに 生きた俺とお前が
帰れるはずが ないじゃあないか
丁度
根無し草の泣き虫は
お前十七 俺十九の春だった
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不思議な時間感覚の歌である。
「若さをみんなで」という詩を読んだのは1970年の春だった。
僕たちの魂はすでに老人ではないか?
というおのれとおのれの世代への鋭い省察。
ゆえに「若さをみんなで」とは同世代への希求がこめられている。
群馬県の高校生詩人。朝日ジャーナルか何かの雑誌に掲載された詩を
よく討論していた文芸部の女子高校生がガリ版印刷に転載して配ってくれた。
川べりで焼身自殺した同世代の詩だった。
わたしたちは1970年で時間はスットプしたまま、
心はすでに老人だったのである。これが引き潮の世代感覚でもある。
ある意味で1970年の時点で老人になっていた。
または老人に憧れていたのかもしれない。
老人になったら1970年を語れることができるかもしれないと。
1977年の秋、故郷から逃亡したわたしは
池上のアニメーション会社でマンガを描いていた同世代に出会った。
彼のアパートは蒲田駅から羽田空港行きの電車に乗って降りる街にあった。
そのアパートに遊びに行き、わたしは彼が描いたマンガを見せてもらった。
揺り椅子の老人が語りだす物語だった。その心情を自分は同意した。
「幼い老人」は大友克洋「AKIRA」でも出現している。
わたしのなかで幻想女が明確にあらわれたのは確か1977年の春だった。
その芽ばえは1974年ごろからあった。
4畳半のアパート、裸電球の下でわたしはふたりに分離したのだ。
そしてわたしは幻想女と心で対話するようになってしまった。
わたしの魂は分裂をとげたのである。
わたしは両性動物となり
心の領域には男と女がいた。そしていつも会話していた。
1977年の7月だった。
わたしはそれを他人に悟られないように振舞っていた。
ひとりの国境を越えたとき人は両性になるのだろうか。
なぜか「風さわぐ原地の中に」には自分に合っている時間軸の歌なのである。
1979年の最後に新宿ロフトで森田童子の歌を聞いたわたしは
それから家に帰り、北海道への旅の準備をした。
大晦日、1979年12月30日に出発した。
上野駅始発深夜0時過ぎ鈍行列車、東北本線で山形駅へ、そして奥羽本線へ乗り換えた。
北海道の旅10日間有効の青春キップだった。
日本海ルートから青森へ入るのが好きだった。
そして4時間かけて津軽海峡を渡る連絡船に乗る。
津軽海峡冬景色。道東から最北をめざした。
石川啄木とともに旅する「北帰行」という同世代の小説があった。
ふと めざめた 奥羽本線
ふと めざけると乗客も変わっていました
向こうに家が見えます
きっと正月の準備をしているのでしょう
列車は吹雪の中へ
共同体に破れ いまだ見ぬ自我を求めたとき
おまえはいなかった
待っていたのは さびしいひとり旅だった
原生林を越え砂浜に
道東の海から国後島が見えた
浜辺には朽ち果てた船
それは森田童子「グッドバイ」レコードの裏にあった
廃船の光景だった
童子よ 内なる優しさの孤独のなかで 君の歌を聞く
明日 オホーツクの海岸を北上する
北海道を旅する青春たちは電車の中
誰もが無口で
無言で会話していた
前に座る旅人は新聞を読み終えると
無言で静かに見知らぬわたしに渡すのだった
わたしも無言でそれを受け取り新聞を読みはじめる
瞳で会話をしていた
それが北帰行の旅人だった 冬景色 誰も無口
そしてボロボロだった
バスの中にはフランス人の文学者の卵がいた。
オホーツクの海を見ながら緑色のペンでノートをとっていた。
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わたしは老人になった
70年代の記憶がすこしづつ消えていく
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よくわたしは夢をみた。それは渚のシーンだった。
一匹狼が海に吼えていた。
あなたに会いにきました。あなたはいつも心の部屋に住んでいました。
初老の男がとうとう言葉を押し出した。
そんな・・・
初老の女が唇をふるわせた。
わたしはもう歌っていなんです。
歌はもう・・・
30年前にやめたんです。
でも・・・あなたの歌はおれのなかで今でも生きています。昨日のように・・・
初老の男の声はふるえていたが力があった。
何故、歌わなくなったんですか?
何故、突然ライブハウスから消えたんですか? あの年の冬・・・
渚に波の轟音がおしよせる。
それは・・・
初老の女はうつむいた。
ようやく、あなたを探し当てたんです。
30年かかりました・・・
いつか出会えると信じていました・・・
老人になって、あなたと渚を歩く夢を
なんどもなんどもみました。
初老の男のほとばしる思いは記憶の重力だった。
でも・・・あなたが生きていてよかった・・・本当によかった・・・
初老の男の頬に涙の河がふたすじ流れる。
わたしは・・・
初老の女が言った。
歌えなくなってしまったんです。
いつもあなたが熱い視線でわたしを射すから・・・あなたのまなざしが怖くなってしまったんです・・
・
それは・・・わたしのからだを溶かすほどの威力だったんですもの・・・
からだが溶けて歌えなくなってしまったんです・・・
それで歌はやめました。
それが初老の女からの初老への男への答えだった。
初老の男は愕然とした。
そんな・・・
その男のつぶやきはさきほどの女のセリフだった。
波は高揚し砂にすんでいく、そのくりかえしの渚、21世紀の晩夏、夕暮れの空を染める潮騒、いつま
でも初老の男と女は渚の歌を聴いていた。
夢だった。
朝、起きると夢はザーザーと夢の記憶装置が初期化され、消えてしまう。
「ああ、また消えてしまう」とわたしはいつも落胆のため息をついていた。
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一匹狼が海に吼えていた。
http://plaza.rakuten.co.jp/masiroku/diary/?ctgy=6
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