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仙谷由人に見る民主党の遷移
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投稿者 桜下村塾 日時 2011 年 2 月 06 日 14:34:29: UejcDbuLc72s.
 

2009年衆議院選挙における民主党の政権交代は、戦後日本の自民党と霞ヶ関官僚による国政運営がいよいよ行き詰まり、新しい理念と方法による日本再建を国民が求め、民主党のマニュフェストを支持したものだった。しかし、その新しい国造りの先頭に立った鳩山由紀夫(元総理)と小沢一郎(元幹事長)は官僚の反抗とリーク、それを恣意的に報道する大手マスコミによって足を引っ張られ、僅か9ヶ月の短命で辞任に追い込まれた。その後を継いだ菅直人政権は、消費税増税をはじめ2009年マニュフェストと異なる政策に奔走し、政権交代を支持した国民を唖然とさせている。
この民主党の遷移を、その主役の一人である仙谷由人という政治家を通して俯瞰しようと思う。

http://bsw2.blog118.fc2.com/


学生時代の仙谷由人は、東大で全共闘の新左翼系極左運動にのめりこんでいた。戦後復興がほぼ達成され、新しい日本が高度経済成長に向けて加速を始めようというこの頃、多くの若者たちがそうであったように、仙谷由人も戦前世代の政治家が作ろうとする社会や大学のあり方を問う全共闘運動に共感し、反体制の立場に立っていた。
だが、彼は本気で「世界同時革命」とか、実力で労働者中心の政府を作らなければならないという当時の学生運動の理論を信じていたわけではなかったし、そうしたことが実現できるとも思っていなかった。
マルクス・レーニン主義、毛沢東思想等の革命論を議論していた周りの学生運動のリーダーたちは、やがて企業に就職し、それまで熱く語っていた主張を捨て去って、社会人として体制に順応していくのを見て、すでにその運動の滑稽さを悟っていた。
「現実的」であることを強く意識できる冷徹な頭脳を持つ仙谷由人は、一方で若さゆえの理想に過ぎない学生運動を見透かし、一方で大きな見識も示さずに政治活動をしている国会議員も馬鹿にして、要するに、社会に背を向けるように孤高に身を置き、冷ややかに世の中を見ていた。
そのため、学生運動家にしては珍しく在学中に司法試験に受かり、卒業後は弁護士の道を歩むことになる。彼が弁護士の道を選んだのは、企業に入って体制に組み込まれるよりは、なんらかの形で反体制的に生きていくのがいいだろうとの思いからで、弱い人達のためになるような活動をしようと自己を合理化したからだった。「現実的」であることを重視する姿勢は、仙谷由人が政治家としての道を歩み始めてからも要所要所で認められる。
学生時代に社会主義イデオロギーに傾倒していた仙谷由人が、日本社会党から政治家の道に進んだのは、きわめて当然だったが、日本社会党は社会主義イデオロギーの原理主義者か、政権与党の自民党に対する「何でも反対」の批判勢力の集まりであり、本気で政権を獲る覚悟もなければ国政全体をデザインする構想力も、政治の実行力も無かった。それはかつて彼が軽蔑した全共闘運動と同じ空しい組織であり、一年生議員でありながら早速仙谷由人は社会党を現実的に政権を担える党に脱皮させるべく「ニューウェーブの会」を立ち上げ、社会党内の同士を募るとともに自民党若手との交流を開始した。

しかし、仙谷由人の政治家人生は順風とは行かなかった。1993年、宮沢改造内閣への不信任案が可決され、解散総選挙となった第40回衆議院議員総選挙で落選してしまったのだ。
「現実主義」者である仙谷由人は、自分に投票しなかった選挙民を馬鹿な愚民と見切り、街頭で主義主張を民衆に訴える選挙手法は無駄だと悟った。それ以降、彼は地元の組織造り、企業団体の取り込みを熱心に進め、自民党候補者以上の自民党的な選挙態勢
を整えて政界に復帰した。

2002年2月、仙谷由人に更なる転機が訪れる。彼は胃がんを患い、入院・手術を受けたのだ。生きるか死ぬかという境を彷徨った仙谷由人は、残りの人生の時間の短さを実感し、政治家として何を成し遂げられるか、という人生の集大成を意識し始めた。
仙谷由人が病気と戦っている頃、民主党は小沢一郎率いる自由党と合併、政界は二大政党制に向けて大きく動き出していた。退院した仙谷由人は旧さきがけメンバーの集まる政党内会派「凌雲会」の代表に就任する。

2003年、民由合併の責任を取る形で鳩山由紀夫が代表職を辞し、菅直人が党代表に返り咲くと、仙谷由人は民主党「次の内閣」(ネクストキャビネット)の「経済財政大臣・経済戦略会議座長」 に就任し、菅民主党の司令塔になった。
新自由主義に邁進する小泉政権に対峙する最大野党として、民主党は小泉政権の巨額の国債発行、新規の大型公共事業の着手、地方分権の停滞などを厳しく批判し、それらの主張が後の2009年マニュフェストに収斂していく。仙谷由人もこれらの主張に全面的に賛成の立場であり、さらに日本がアメリカの世界戦略に唯々諾々と従っていく国家になる可能性に危惧し、彼の大きな政治的関心である憲法改正に重ねて、アメリカに唯々諾々として付き従わないような「国のかたち」を憲法問題として提起することの重要を訴えた。外交に関しては、アメリカとの距離感と中国・韓国、アジアとの距離感を外交政策にどう位置づけるかのバランスを重視し、反中国とか反共親米でもない、という立場を鮮明にしていた。

だが、仙谷由人にとって、そうした理想論をベースにした民主党の考え方が現実的なものとは思っていなかった。日本の危機的財政赤字や経済発展を続ける隣国中国の脅威に対する安全保障などの「現実」を前に考えると、民主党の政策は絵に書いた餅にすぎないことが分かっていた。
しかし、こうした民主党政策を国民が支持し始めており、政権を奪い取るためにはこれを利用しない手は無い、というのが仙谷由人の本心であった。まずは政権交代を実現して、権力を掌握すること、それが仙谷由人の政治人生の集大成のために絶対必要だったのだ。

その仙谷由人にとっての最大の脅威が民主党代表の小沢一郎だった。小沢一郎は、民主党のマニュフェストや政策が決して実現不可能な理想論とは考えていない。もちろん、すべての政策をマニュフェストの通りに実行できないことは分かっているが、それらに修正を加えつつ、大きな方向性としては彼が一貫して主張している「普通の国」、すなわち米国依存から脱却し、官僚主導から政治主導に転換するという大きな国の作りかえに向けて国を動かす力を持った政治家だと分かっていた。

小沢一郎が政権交代に向けて連日地方行脚を繰り返して選挙の地盤固めをしている間、政策通の仙谷由人は着々と霞ヶ関官僚と接触し、政権奪取後の自身の権力基盤造りを始めていた。こうした組織作りが政治家としての力となることは地元徳島での落選から学んでいた。
一方、財務官僚は自民党政権危うしと見て、民主党とのパイプとして仙谷由人との関係を強めようとしていた。財務官僚の主張はこうだ。
「民主党の政策は決して間違えてはいないと思います。小泉政権の行き過ぎた市場主義を是正して、国民福祉の充実に力を入れることは国民の広い支持を得るでしょう。ただ、現在の国の財政事情は本当に危機的なのです。この財政再建を焦眉の急としてやらなければ、如何なる政策も実現はできません。」
「小沢代表の安全保障に対する考え方が危険です。日米安保を基盤とした緊密な日米関係、それによる米国市場への輸出が今日の日本の基本構造です。これを大きく変更した場合、日本の外交は多くの問題にぶつかり、米国市場は日本製品への規制を強め、為替も円高に大きく振れて日本の外交、経済構造が破壊されてしまいます。」
「まず消費税増税による安定財源の再構築をし、その上で年金や福祉の制度改革など民主党政権の理想を実現する政策をどんどん行っていくのが正しい順番でしょう。それを実現、実行した政治家は後世に名を残すこと間違いありません。」

今でも仙谷由人の個人ホームページの「政治理念」には「地球市民」や「友愛」が謳われている。社会党から一貫してリベラルの立場で歩んできた仙谷由人の経歴からすれば、これらの主張は不自然ではなく、むしろ政権交代後の鳩山政権の理念とも共通する
部分が多い。東アジア共同体についても、仙谷由人は早くから民主党内の議論をリードしてきた立場だ。
しかし、そのような左翼的な理想主義は仙谷由人の仮面に過ぎない。彼にとって選挙民などは頭の悪い愚民に過ぎず、大きな国際情勢や国の安全保障、経済政策などTVの評論家の話を聞いてああだこうだと言っているだけで、その責任を負う重さや覚悟など理解できるはずもないのだから、適当に綺麗な言葉で飾って置けばよい、ということだ。
彼の本当の素顔は、革命家(理想主義者)の仮面をかぶった功利主義者なのだ。仙谷由人に聞けば、情勢の変化を汲み取って機敏な行動をとることは頭の良い人間にしかできないことであり、それが「現実的」なのだ、情勢の変化を考えずに理想に向かって突き進むのは無能のあかしでだ、と言うだろう。しかし、情勢の変化に従い、己の立つ位置をくるくる変える生き方は主体性のない功利主義に他ならないのだ。

2010年6月の鳩山首相辞任による菅直人内閣の発足と仙谷由人の官房長官就任以来、菅・仙谷政権の外交・安全保障・財政金融政策は、鳩山・小沢路線を捨て自民党路線に急旋回した。この短期間の民主党の豹変に、国民は唖然としている。
2009マニュフェストは棚上げされるかその実行を断念し、選挙前には一言も議論されなかった消費税やTPPに血眼になり、あろうことか自らが打倒した前政権の経済司令塔だった与謝野馨を経済閣僚に迎え、さらには検察や検察審査会の捜査、議決の正当性が疑われる中、小沢一郎に離党や議員辞職をしつこく要求する醜い党内粛清など、いったい何があったのかと訝るばかりだ。
この今の民主党政権および民主党執行部の危うさこそ、仙谷由人を中心とする凌雲会(前原派)の危うさなのだ。

仙谷由人が会長を務める凌雲会は前原誠司や玄葉光一郎等の松下政経塾卒の保守、枝野幸男らのリベラル等多士済々の人材を抱えている。さらに、仙谷由人は民主党屈指の保守野田佳彦とも親密な関係を築いている。社民党より左から自民党より右の保守までの無原則的な連携こそが凌雲会の特性である。目的を実現するためには立場をころころ変え、仲間も裏切り使い捨てる、この合理主義又は功利主義を本質とする凌雲会という権謀術数家に占められた現民主党政権は、国民不在のマキャべリスト政権といえるだろう

前の菅内閣の「陰の首相」と呼ばれる仙谷由人官房長官の実像に迫ろうと、「仙谷由人研究」を連載した産経新聞の記者は、取材後記として以下のように語っている。

「取材を進めるうち、周囲から「正義漢」とみなされ、反権力を標榜して全共闘運動に入ったはずの仙谷氏が、いつしか権力に執着していく姿が浮かび上がった。」

 

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