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  北朝鮮問題:金正恩委員長は「植物状態」に…?「重病説」最新情報(上)
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投稿者 青木吉太郎 日時 2020 年 4 月 30 日 15:16:30: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 

 北朝鮮問題:金正恩委員長は「植物状態」に…? 関係者らが明かした「重病説」

      最新情報(上)

(gendai.ismedia.jp:2020年4月24日)

◆手術を受けて「植物人間化した」…?

北朝鮮の若き独裁者、金正恩(キム・ジョンウン)委員長が倒れた。後述する情報が事実なら、満36歳と3ヵ月余りの若すぎる「政治的な死」である。

「異変」を告げる第一報は、米CNNテレビが4月20日に流したものだった。

〈 北朝鮮の最高指導者、金正恩朝鮮労働党委員長が手術を受けて重篤な状態にあるという情報があり、米政府が状況を注視している。この情報を直接的に知る立場の米当局者が明らかにした 〉

世界中が新型コロナウイルスの惨禍に右往左往する中で、この突然のアメリカ発のニュースに端を発した情報戦が始まった。

韓国政府は「地方視察中のようだ」とコメントし、中国政府は「報道は知っている」と述べるにとどまった。ドナルド・トランプ大統領は、「確定した情報はない」とコメントした。当の北朝鮮は数日間、沈黙したままだ。

だが、「爆弾証言」が入ってきた。金正恩委員長は、手術を受けて「植物人間化した」というのだ。

ある中国の医療関係者は、私に次のような詳細な経緯を明かした。

「金正恩委員長は、地方視察に出かけている最中、突然心臓に手を当てて倒れた。同行していた医師団は、慌てて心臓マッサージを施しながら、近くの救急病院に搬送した。

同時に、中国に、『すぐに医療団を北京から派遣してほしい』と緊急要請した。中国は、北京にある中国医学院阜外医院国家心血管病中心と人民解放軍301医院の医師らを中心に、器材なども含めて50人近い派遣団を組み、特別機で平壌へ向かった。

ところが、中国の医師団を待っていては助からないと見た北朝鮮の医師団は、緊急の心臓ステント手術を行うことにした。執刀に当たったのは、中国で長年研修を積んだ北朝鮮の心臓外科医だった。

心臓ステント手術は、それほど難易度の高い手術ではない。最も重要な血管にステントを入れる施術自体は、1分くらいの時間で済ませられる。

ところが、執刀した外科医は、ものすごく緊張して、手が震えてしまった。かつ、金正恩ほどの肥満体を執刀した経験がなかった。それで、ステントを入れるのに、8分ほどもかかってしまったのだ。

その間に、金正恩委員長は、植物人間と化してしまった。中国の医師団が到着して診察したが、もはや手の施しようがなかった」

にわかには信じがたい話だが、この中国の医療関係者の証言が事実だとするなら、独裁者の「政治的生命」の最期は、かくもあっけないものだったのだ。

◆太陽宮殿の参拝を欠席

たしかに、「異変」はあった。

4月15日は、北朝鮮にとって最も重要な祝日「太陽節」である。金正恩委員長の祖父に当たる「建国の父」金日成主席が、1912年のこの日に誕生したため、北朝鮮の「主体歴」は、この年を「主体1年」と定めている。

そして金正恩委員長は毎年のこの日、側近たちを全員引き連れて、金日成主席と金正日総書記が眠る平壌郊外の錦繍山(クムスサン)太陽宮殿を参拝することを、国家の最重要行事と定めていたのだ。

ところが、今年の参拝に、本人が現れなかったのである。これだけで、大変な「事件」と言える。

他にも「異変」はあった。私は平壌のある旧知の外交官に連絡を取った。彼は、次のように述べた。

「確かに『異変』は感じていた。金正恩委員長が『100パーセント確実に出席した』と言えるのは、今年に入って2回しかない。

1回目は、1月25日の春節(旧正月)に、三池淵(サムジヨン)劇場で開かれた記念公演を鑑賞した時だ。この時は、すでに死んだとも言われていた叔母の金慶姫(キム・ギョンヒ)元軽工業部長(2013年暮れに処刑された張成沢党行政部長の妻)も登場して、われわれは驚いた。それ以降は、本当にいたかどうか分からない。

2回目は、2月16日の『光明星節』(父・金正日総書記の誕生日)に錦繍山太陽宮殿を参拝した時だ。その後、8回ほど朝鮮人民軍の視察を行ったと報道が出たが、本当に行ったかどうかは不明だ。

いまだから話すが、2月10日頃、平壌の順安空港に、特別機が降り立った。そこに乗っていたのは、2人のフランス人医師だった。うち一人はおそらく、金一族の主治医を長年務めるフランソワ・グザビエ・ルー医師(パリのサント・アンヌ病院の神経外科医)ではないかと思われる。金正恩委員長の健康が悪化したのだ」

その後、3月初頭にも、平壌で「異変」が起こる。この外交官が続ける。

「北朝鮮外務省から突然、『今後長く国を閉鎖する可能性があるので、大使館員を最低限にして、それ以外は至急、平壌を離れるように』という通知が出された。われわれ外交団が猛烈に抗議したら、『3月9日に、高麗航空特別便をウラジオストクに向けて出すが、これが最終便だ』と最終通告が来た。

それで、ドイツ、フランス、イタリア、スイスの4ヵ国が平壌の大使館を閉鎖し、外交官たちがこの便に乗って去っていった。外国のNGO団体なども含めて、総勢60名程度に上った。

だがこの時は皆、新型コロナウイルスの対策なのだろうと思っていた」

北朝鮮は、世界の160ヵ国あまりと国交を結んでいるが、いくら新型コロナウイルス対策とはいえ、60人もの外交官の追放というのは前例がない。この時から、来たるべき「有事」を警戒していたのではないか。

◆平壌全域に緊急事態命令・妹の与正を「後継指名」

4月になって、金正恩委員長の「動画」が最後に報じられたのは、4月11日に行われたという朝鮮労働党政治局会議の模様が、翌日に短く公開されたものだ。音声はないが、中央に鎮座した金正恩委員長が、何やら勇ましく部下たちに説いている。

私は、この朝鮮労働党政治局会議について取材する中で、一つだけ重要な金正恩委員長の「肉声」を伝え聞くことができた。それは、以下のようなものだ。

「わが共和国の最高指導者というものは、特別な人格的資質を備えていなければならない。それは、(朝鮮労働)党のエリートと人民大衆の双方から受け入れられるということだ。それにはもちろん、『白頭の血統』(金正恩ファミリーの意)という必要もある。

そうしたことを考え合わせた場合、今後、私の身にもしも何かが起こった場合、(金)与正が、わが共和国を統治していくものとする」

こうして、金正恩委員長の妹である32歳の金与正(キム・ヨジョン)が、「後継指名」されたという。

金与正は、2017年10月に、兄の正恩委員長を側で補佐すべく、党中央委員会政治局員候補に選出された。だが、昨年2月の「ハノイの決裂」と呼ばれた、トランプ大統領と金正恩委員長の2回目の米朝首脳会談の責任を取らされ、政治局員候補から外された。

ところが、昨年末に開かれた朝鮮労働党全員会議で、党第一副部長に昇格。さらにこの4月11日の朝鮮労働党製辱会議で、再び政治局員候補に返り咲いたのである。事実上のナンバー2に再び返り咲いたと言ってよい。逆に言えば、金正恩にとっては、か弱い妹しか、周囲に信頼が置ける「部下」がいなかったのである。

この重要会議の翌日、4月12日に、最高人民会議(国会)が開かれたのだった。当初は、4月10日に開くとしていたが、2日遅れた理由は不明だった。それは、金正恩委員長にとって、早急に「与正後継」を決め、かつ最高幹部たちを説得する時間が必要だったためかもしれない。

最高人民会議には、金正恩委員長は出席していない。また、何かの重要発表も行っていないが、人事に特筆すべきものがあった。金正恩委員長を除く13人の国務委員のうち、5人が入れ替わったのだ。脱落したのは、李洙墉(リ・スヨン)党副委員長や李容浩(リ・ヨンホ)前外相らである。昇格組は、李善権(リ・ソングォン)外相や金正官(キム・ジョングァン)人民武力相らである。これらは、「与正人事」だったのかもしれない。

そして、3日後の4月15日の「太陽節」、金正恩委員長は前述のように、錦繍山太陽宮殿の参拝も欠席したのである。

この直後から、他にも平壌で「異変」が起こり始めていた。前出の外交官が証言する。

「朝鮮人民軍のヘリコプターが毎日、平壌の上空を頻繁に低空飛行するようになったのだ。首都で不穏な動きが見られないか、偵察飛行しているのだ。

それから、市内の警備が突然、厳重になった。特に厳重な警備が行われているのが、平壌駅周辺で、平壌駅は封鎖に近い状態に置かれている。平壌と妙香山(ミョヒャンサン)を結ぶ列車は突如、運休になった」

思えば、祖父の金日成主席、父親の金正日総書記も、「突然死」している。

◆27歳で一国のトップに、父・金正日の教え

2011 年11月17日、金正日総書記が、69歳で突然死した時、後継者となった金正恩は、まだ27歳の青年だった。

内部的に「後継指名」されたのは、2009年1月8日、満25歳の誕生日の宴席だった。前年の8月に金正日総書記が脳卒中で倒れ、奇跡的に回復したものの、後継指名を急いだのだ。

この時、後継指名を受けた金正恩は、父親に向かってこう述べたという。

「わが国が目指す強盛大国建設は、政治・軍事・経済の3本柱からなっています。祖父は、主体思想でもって朝鮮労働党を掌握し、国の政治を発展させました。父上は、先軍政治(軍最優先の政治)でもって朝鮮人民軍を掌握し、国の軍事を発展させました。

私は、これら祖父と父上の革命の偉業を引き継いで、内閣を掌握し、国の経済を発展させてゆきたいのです」この発言を聞いた金正日総書記は目を細めて、こう答えたという。

「それでは正恩は、これから経済部門を担当しなさい。わが共和国の経済発展のために、大いに手腕を発揮してほしい。(張)成沢はよく補佐してあげなさい。

ただし一つだけ言っておく。(朝鮮労働)党は国の柱で、(朝鮮人民)軍は党の柱だ。そして軍の柱は、核兵器とミサイル兵器だ。

だから決して、核兵器とミサイル兵器を放棄してはならない。放棄した時が、わが国が米帝(アメリカ)に滅ぼされる時だ。このことだけは肝に銘じておくようにしなさい」

金正恩はこの日から、父親の元で後継者としての実践的な帝王学を身に着けるようになったのだった。

◆北京の占い師が言ったこと、顔に出ていた「悲劇を迎える相」

後継者としての金正恩が、公の席に初めて出現したのは、翌2010年9月30日のことだった。朝鮮中央テレビの特別番組で、人民服を着た恰幅の良い青年が、突如として金正日総書記の横に映し出されたのだ。それが金正恩、通称「大将」だった。

翌週の10月4日には、金正日総書記は正恩大将を引き連れて、ミサイル部隊(第851部隊)を視察。10月9日には、朝鮮労働党創建65周年の中央報告大会に、父子揃って出席し、その後、マスゲームを観覧した。翌10日には、金日成広場の主席壇で、やはり父子揃って軍事パレードを閲兵した。

若き日の金日成主席を思わせる溌剌とした「青年大将」は、内外に鮮烈な印象を残したのだった。

この時、私は北京に住んでいた。当時の中国外交部アジア司(局)に知り合いがいたので、突如現れた金正恩に関する話を聞きに行った。ところがその外交官からは、「正直言って金正恩のことは、われわれもよく分かっていないんだ」と言われた。おそらくその時点では、本当に中国も、金正恩について深く研究していなかったのだ。

金正恩について何か記事を書きたかった私は、中国外交部のある地下鉄2号線の朝陽門駅から、そのまま3駅北上して、雍和宮駅まで行った。雍和宮は、北京におけるチベット仏教の総本山で、その裏手に店を構える百発百中の占い師を訪ねたのだ。

私は占い師に、中国の新聞に初めて登場した金正恩の顔写真の切り抜きを見せて言った。

「この青年は、ある中国の近隣の大きな組織で3代目のボスになる人物なのですが、彼の将来性について占っていただけませんか?」

すると占い師は、膨れっ面をした若者の写真を鋭い眼光でしばらく凝視した後、ポツリと告げた。

「この若者は、ロクな死に方をしないね。その大きな組織というのが何なのかは知らないけど、その組織を拡大発展させることもできないよ。だって顔に『悲劇を迎える相』が、くっきり出ているもの」

あれから10年を経たいま思えば、その占い師の目は、やはり慧眼だった。

―この続きは次回投稿しますー


 

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