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  7月29日:「黒い雨」裁判、全面勝訴 !広島地裁:84人全員を被爆者認定 !
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投稿者 青木吉太郎 日時 2020 年 7 月 31 日 17:27:56: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


 7 月29 日:「黒い雨」裁判、全面勝訴 ! 広島地裁:84人全員を被爆者認定 !

  米国による、日本への原子爆弾投下の深層・真相は ?

(www.jcp.or.jp/akahata:2020年7月30日)

広島への原爆投下直後に降った放射性物質を含む「黒い雨」を浴びたのに国の援護対象外とされた地域の84人が、広島県と広島市に被爆者健康手帳などの交付却下処分の取り消しなどを求めている「黒い雨」訴訟の判決が。7月29日、広島地裁でありました。

高島義行裁判長は、原告全員の交付却下処分の取り消しと、被爆者健康手帳の交付を命じるなど、原告全員の請求を認める判決を出しました。

 2015年に広島地裁に提訴した裁判は、5年に及ぶ間に16人もの原告が亡くなっています。

裁判所前に「全面勝訴」の幕が掲げられると、雨が降る中、待ち受けていた原告や多くの支援者らが拍手し、「やったー」と喜びの声を上げました。

 高島裁判長は、「黒い雨」は国が定める大雨地域にとどまらず、「より広範囲に降った事実を確実に認められることができる」とし原告全員が「黒い雨」に暴露したと認定。

その上で、放射性微粒子を含む「黒い雨」を直接浴びたり、「黒い雨」が付着した物に接するなどの外部被ばくに加え、放射性微粒子を含む「黒い雨」が混入した井戸水などを飲用したり、「黒い雨」が付着した食物を摂取するなどの内部被ばくを想定できると述べ、原告全員が被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当すると認めました。

 原告の砂池貢さん(88)は「よかった。長いこと掛かったが、あきらめずたたかってきて本当によかった」。本毛稔さん(80)も「大雨地域限定に納得いかず、陳述でも手製の地図などで訴えてきた。一緒にたたかってきた副団長の松本正行さん(故人)と一緒に勝訴を聞きたかった」と話しました。

○米国による、日本への原子爆弾投下

(ウィキペディアより抜粋・転載)

第二次世界大戦 > 太平洋戦争 > 日本への原子爆弾投下

日本への原子爆弾投下(にほんへのげんしばくだんとうか)は、第二次世界大戦の末期に当たる1945年8月に、アメリカ軍が日本に投下した二発の原子爆弾による空爆である。人類史上初、なおかつ世界で唯一核兵器が実戦使用された例である。

1945年8月6日に広島市に投下された原子爆弾については広島市への原子爆弾投下

1945年8月9日に長崎市に投下された原子爆弾については長崎市への原子爆弾投下をそれぞれ参照。

本稿ではこの2発の原子爆弾に併せて、投下されなかった3発目の原子爆弾について総論的に述べる。

◆被害者数:

広島:9万 – 16 万6千人死亡

長崎:6万 – 8 万人死亡

[1]千人死亡6 万 24 –全体:15万

◆原爆投下の理由

太平洋戦争における日本列島での上陸直接戦闘(ダウンフォール作戦、日本軍では「本土決戦」)を避け、早期に決着させるために、原子爆弾が使用されたとするのが、アメリカ合衆国連邦政府による公式な説明である。

1932年から日米開戦のときまで10年間駐日大使を務め、戦争末期には国務長官代理を務めたジョセフ・グルーは、トルーマン大統領がグルーの勧告どおりに、皇室維持条項を含む最後通告を1945年5月の段階で発していたなら、日本は6月か7月に降伏していたので原爆投下は必要なかったと述べている[2]。

アメリカのABCテレビが1995年に放送した「ヒロシマ・なぜ原爆は投下されたのか(Hiroshima: Why the Bomb was Dropped - Peter Jenning)」という番組では「原爆投下か本土上陸作戦しか選択肢がなかったというのは歴史的事実ではない。他に皇室維持条項つきの降伏勧告(のちにこの条項が削除されてポツダム宣言となる)を出すなどの選択肢もあった。従って、原爆投下という選択はしっかりとした根拠に基づいて決断されたものとはいえない」という結論を示した[3]。

原爆を日本に使用する場合、大きく分けて3つの選択肢があった。@原爆を無人島、あるいは日本本土以外の島に落として威力をデモンストレーションする。A原爆を軍事目標(軍港や基地など)に落とし大量破壊する。B原爆を人口が密集した大都市に投下して市民を無差別に大量殺戮する。

また、原爆を使用するにしても、2つの方法があった。(A)事前警告してから使用する。(B)事前警告なしで使用する。@の使い方ならば、絶大な威力は持っているがただの爆弾ということになり、さらにAならば大量破壊兵器、Bならば大量殺戮兵器になり、いずれも国際法に違反して、人道に反する大罪となる。しかしBと(A)の組み合わせならば、警告がしっかりと受け止められて退避行動をとることができれば死傷者の数をかなり少なくできる可能性があり、大量殺戮兵器として使ったとは言えなくなるかもしれない。

Bと(B)の組み合わせならば、まちがいなく無差別大量殺戮であり、しかもその意図がより明確なので、それだけ罪が重くなると言える。

この違いを、原爆を開発した科学者たちや、1945年5月31日に都市への無警告投下を決定した暫定委員会のメンバー、真珠湾攻撃の復讐を公言していたトルーマン大統領、彼とタッグを組んでいたバーンズ国務長官たちは非常によく理解していた。例えば、海軍次官のラルフ・バードはあとになって、自分は事前警告なしでの使用には同意しないと文書で伝えた[4]。

フランクリン・ルーズベルト大統領は1944年9月22日の段階で、実際の原爆を日本に使うのか、それとも、この国で実験して脅威として使うのかという問題を取り上げていた。同年9月30日には、アメリカ科学研究開発局長官のヴァネヴァー・ブッシュとアメリカ国防研究委員会化学・爆発物部門の主任ジェイムズ・コナントはスティムソン陸軍長官に「原爆は最初の使用は、敵国の領土か、さもなければわが国でするのがいい。

そして、降伏しなければ、これが日本本土に使われることになると日本に警告するとよい」と勧めた[5]。1945年5月、イギリスはアメリカに、日本に対して原爆使用前に警告を与えるべきであると文書で要望していた[6]。

レオ・シラードが、原爆と原子力利用について大統領に諮問する暫定委員会に大統領代理として加わっていたバーンズ(約1ヶ月後に国務長官となる)と、1945年5月28日に会見したときに得た「バーンズは戦後のロシアの振る舞いについて懸念していた。

ロシア軍はルーマニアとハンガリーに入り込んでいて、これらの国々から撤退するよう説得するのは難しいと彼は思っていた。

そして、アメリカの軍事力を印象づければ、そして原爆の威力を見せつければ、扱いやすくなると思っていた」という証言は、「アメリカはソ連のヨーロッパでの勢力拡大を抑止するために原爆を使った」という主張の根拠となっている[7]。

有馬哲夫によると、トルーマン大統領とバーンズ国務長官が、無警告で都市への原爆投下を強行した理由は、人種的偏見と真珠湾攻撃に対する懲罰と、原爆をもっとも国際社会(とりわけソ連)に衝撃を与える大量殺戮兵器として使用することで、戦後の世界政治を牛耳ろうという野心である[8]。

世界大戦後の世界覇権を狙うアメリカが、原子爆弾を実戦使用することによりその国力・軍事力を世界に誇示する戦略であったとする説や、併せてその放射線障害の人体実験を行うためであったという説、更にはアメリカ軍が主導で仕組んだ説があり、広島にはウラン型、長崎へはプルトニウム型とそれぞれ違うタイプの原子爆弾が使用された。豊田利幸はウランの核爆発が実験で確認できなかったためと推測している[9]。

◆原子爆弾投下都市の選定経緯

広島と長崎が原子爆弾による攻撃目標となった経緯[31]は、日本の各都市への通常兵器による精密爆撃や焼夷弾爆撃が続けられる中で、以下のようなものであった。

1943年5月5日 軍事政策委員会、最初の原子爆弾使用について議論され、トラック島に集結する日本艦隊に投下するのがよいというのが大方の意見であった[32]。

1944年11月24日〜翌3月9日 通常兵器による空爆第一期。軍需工場を主要な目標とした精密爆撃の時期。ただし、カーチス・ルメイ陸軍少将による焼夷弾爆撃も実験的に始められていた。

1945年3月10日〜6月15日 通常兵器による空爆第二期。大都市の市街地に対する焼夷弾爆撃の時期。

1945年3月10日 東京大空襲。1945年3月12日 名古屋大空襲

1945年3月13日 大阪大空襲、1945年3月17日 神戸大空襲

◆ポツダム会談でのトルーマン

1945 年4月12日のルーズベルト大統領の急死により、副大統領であったトルーマンが大統領に就任した。ルーズベルトの原子爆弾政策を継いだトルーマンに、「いつ・どこへ」を決定する仕事が残された。4月25日にヘンリー・スティムソンと、レスリー・グローブスがホワイトハウスに訪れ、原爆投下に関する資料を提出(しかしこの際トルーマンは、「資料を見るのは嫌いだ」と語ったという)。

1945 年4月中旬〜5月中旬 沖縄戦を支援するために九州と四国の飛行場を重点的に爆撃、大都市への焼夷弾爆撃が中断した。このため京都大空襲が遅れた[32]。

1945 年4月27日、第1回目標選定委員会(アメリカ政府には極秘に行われていた)で、

日本本土への爆撃状況について、第20航空軍が「邪魔な石は残らず取り除く」という第一の目的をもって、次の都市を系統的に爆撃しつつあると報告した。東京都区部、横浜市、名古屋市、大阪市、京都市、神戸市、八幡市、長崎市[32]。

次の17都市および地点が研究対象とされた。東京湾、川崎市、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市、広島市、呉市、下関市、山口市、八幡市、小倉市、熊本市、福岡市、長崎市、佐世保市。

1945 年5月10日-11日、第2回目標選定委員会、ロスアラモスのオッペンハイマー博士の執務室で、8月初めに使用予定の2 発の原子爆弾の投下目標として、次の4都市が初めて選定された[32]。

京都市:AA級目標。広島市:AA級目標、横浜市:A級目標、小倉市:A級目標

このとき以下の3基準が示された[32]。

直径3マイルを超える大きな都市地域にある重要目標であること。

爆風によって効果的に破壊しうるものであること。

来る8月まで爆撃されないままでありそうなもの。

1945年5月28日、第3回目標選定委員会、京都市、広島市、新潟市に投下する地点について重要な決定がされ、横浜市と小倉市が目標から外された[32]。

投下地点は、気象条件によって都度、基地で決定する。

投下地点は、工業地域の位置に限定しない。

投下地点は、都市の中心に投下するよう努めて、1発で完全に破壊する。

これらの原子爆弾投下目標都市への空爆の禁止が決定された。禁止の目的は、原爆のもたらす効果を正確に測定把握できるようにするためである。これが「○○には空襲がない」という流言を生み、一部疎開生徒の帰郷や、他の大都市からの流入を招くこととなった。

1945年5月29日、目標から外された翌日に横浜大空襲。なお、この横浜大空襲は、第3回目標選定委員会で横浜が目標から外されたから行われたものでなく、横浜に対して通常空襲を行うために、原子爆弾の投下目標から外したものと思われる[33]。

1945年6月1日、暫定委員会(委員長:ヘンリー・スチムソン陸軍長官)は、原子爆弾は日本に対してできるだけ早期に使用すべきであり、それは労働者の住宅に囲まれた軍需工場に対して使用すべきである。その際、原子爆弾について何らの事前警告もしてはならない。

と決定した[32]。なお原子爆弾投下の事前警告については、BBC(ニューデリー放送)やVOA(サイパン放送)で通告されていたという説もある[34]が、確認されていない。

この経過の中で、4つの目標都市のうち京都が次の理由から第一候補地とされていた[32]。

人口100万を超す大都市であること。日本の古都であること。

多数の避難民と罹災工業が流れ込みつつあったこと。小さな軍需工場が多数存在していること。

原子爆弾の破壊力を正確に測定し得る十分な広さの市街地を持っていること。

しかし、フィリピン総督時代に京都を訪れたことのあるスチムソン陸軍長官の強い反対[35]や、戦後、「アメリカと親しい日本」を創る上で、京都には千数百年の長い歴史があり、数多くの価値ある日本の文化財が点在、これらを破壊する可能性のある原子爆弾を京都に投下したならば、戦後、日本国民より大きな反感を買う懸念があるとの観点から、京都への原子爆弾投下は問題であるとされた。

1945年6月14日、京都市が除外され、目標が小倉市、広島市、新潟市となる。

しかし京都への爆撃禁止命令は継続された[32]。

1945年6月16日〜終戦まで、通常兵器による空爆第三期。中小都市への焼夷弾爆撃の時期。

1945年6月30日、アメリカ軍統合参謀本部がマッカーサー陸軍大将、チェスター・ニミッツ海軍大将、ヘンリー・アーノルド陸軍大将宛に、原子爆弾投下目標に選ばれた都市に対する爆撃の禁止を指令。同様の指令はこれ以前から発せられており、ほぼ完全に守られていた[36][32]。―以下省略―

 

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