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  為政者に必要な最重要資質は、人格力だ !
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投稿者 青木吉太郎 日時 2021 年 10 月 02 日 11:48:18: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 

   為政者に必要な最重要資質は、人格力だ !

    岸田総裁・甘利幹事長のプロフィールとは ?

植草一秀氏ブログ「知られざる真実」
(第2948号:2021年9月30日)

1)自民党の党首選で、勝利したのは、岸田文雄氏だった !

9月29日に投票日を迎えた自民党の党首選。勝利したのは、岸田文雄氏だった。

党員票382票、議員票382票で行われた1回目の投票結果は以下の通り。
岸田文雄 国会議員票146票 党員票110票 合計256票
河野太郎 国会議員票 86票 党員票169票 合計255票
高市早苗 国会議員票114票 党員票 74票 合計188票
野田聖子 国会議員票 34票 党員票 29票 合計 63票

2)1回目の選挙で、過半数に達した候補はいなかった !

1回目の選挙で、過半数に達した候補はいなかった。1回目の投票でトップに躍り出たのは、岸田文雄氏だった。過半数を確保した候補がいなかったため、上位2者で決選投票が行われた。投票は、47都道府県1票ずつの党員票47票と国会議員票382票で行われた。
投票結果は以下の通りである。
岸田文雄 国会議員票249票 都道府県票 8票 合計257票
河野太郎 国会議員票131票 都道府県票39票 合計170票

3)岸田氏は、臨時国会で第100代内閣総理大臣に就任する見通しだ !

この結果、岸田文雄氏が、自民党総裁に就任し、10月4日に召集される臨時国会で第100代内閣総理大臣に就任する見通しである。
メディアは、河野太郎人気をはやし立てたが、河野太郎氏は大差で敗北した。
河野太郎氏は、国民は自分を総理に選出すると嘯(うそぶ)いていたが、国民の多数は河野氏敗北、岸田氏選出の結果を歓迎していると思われる。
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4)枝野代表と山本代表が共同歩調 !

 枝野幸男代表と山本太郎代表が共同歩調
所詮は、自民党の党首選であり、誰が選出されても大転換は起こらない。
しかし、各候補に差異がないわけではなかった。重要な2つの視点がある。

5)4人の候補者の主張には、重要な2つの視点がある !

第1は経済政策路線。2001年以降、自民党の経済政策路線の中核に新自由主義が置かれた。大資本の利益を極大化すること、そのために労働者への分配を極限まで圧縮すること。大資本のための経済政策運営が強行された。その結果として、日本は世界有数の格差大国に成り下がり、年越し派遣村のような惨事が繰り返された。これに対する基本路線が福祉国家路線。最適資源配分よりも所得再分配を重視する考え方と表現することもできる。
自民党政治の二大潮流である清話会(旧・福田派)と平成研(旧・田中派)はそれぞれが新自由主義経済政策と福祉国家経済政策を代表する政策集団だ。大平正芳氏の系列である宏池会は平成研に近い考え方を示してきた。

6)新自由主義経済政策路線を提示していたのが、河野氏と高市氏だ !

今回総裁選で新自由主義経済政策路線を提示していたのが、河野太郎氏と高市早苗氏である。
これに対して岸田文雄氏と野田聖子氏は福祉国家経済政策の主張を示していた。

7)首相の条件として最重要であるのが「人格」だ !

第2の視点は人格。首相の条件として最重要であるのが「人格」である。人格面で最重要であるのが「公私の分別」。安倍・菅内閣の最大特徴は「私の優先」だった。「公」よりも「私」を優先する。森友・加計・桜疑惑は、すべて安倍氏が政治に「私」を持ち込んだもの。菅氏も「公」の視点ではなく「私情」を軸に官僚人事を壟断した。
為政者に求められる最重要の資質が高邁な精神性、公の優先である。
この人間性、人格面での比較をすれば、岸田文雄氏と野田聖子氏の評価が高かったといえる。

(参考資料)

○岸田文雄・議員のプロフィールとは ?

(ウィキペディアより抜粋・転載)
岸田文雄(きしだ・ふみお、1957年7月29日生まれ。64歳。)は、日本の政治家。
早稲田大学法学部卒業。
自由民主党所属の衆議院議員(9期)、宏池会会長(第8代)、自由民主党広島県連会長[1]。
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、再チャレンジ、科学技術政策)、外務大臣(第143代・第144代)、防衛大臣(第16代)、自民党国会対策委員長(第52代)、自由民主党政務調査会長(第58代)、自民党たばこ議員連盟副会長などを歴任。血液型AB型。
◆経歴:
2013年10月3日、内閣総理大臣安倍晋三らとともに。
2013年4月15日、総理大臣官邸にて。左から外務大臣岸田文雄、内閣官房副長官加藤勝信、内閣官房副長官世耕弘成。
2013年11月20日、駐日アメリカ合衆国大使キャロライン・ケネディとともに。
2014年9月1日、インド首相ナレンドラ・モディとともに
◆出生:東京都渋谷区出身。本籍地は広島県広島市比治山町(現:南区比治山町)。父・岸田文武は広島県出身の通産官僚。岸田家は広島の一族であるため、一家は毎年夏に広島に文雄を連れて帰省し、文雄は広島原爆の被爆者たちから当時の話を聞いた[3]。岸田一族も多くが被爆し、死に至った者たちもいた[3]。
◆政界:1987年、長銀を退職して父・衆議院議員岸田文武の秘書となる[3]。岸田の父は口数が少なく、岸田は父の背中から多くを学んだ[11]。
1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧広島1区から自由民主党公認で出馬し、初当選[3][14]。父親と同じ宏池会に所属する。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い広島1区から出馬し、以後広島1区で連続8選[3]。1997年には若手議員の登竜門とされる党青年局長に就任した[3]。
2000年、派閥領袖の加藤紘一が起こした「加藤の乱」に血判状をしたためて参加。乱の鎮圧後は堀内光雄、宮澤喜一らから声をかけられ堀内派に属した[15]。
2001年、第1次小泉内閣で文部科学副大臣に任命される。2007年、第1次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、再チャレンジ、科学技術政策)に任命され、初入閣した[3]。続く福田康夫内閣でも内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、科学技術政策)に任命され、引き続き入閣。
2008年、新設された消費者行政推進担当、宇宙開発担当大臣を兼任[3]。福田康夫内閣 (改造)の発足に伴い大臣を退任し、党の消費者問題調査会長・道路調査会副会長兼事務局長、団体総局長に就任[3]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、広島1区で民主党の菅川洋を破り、6選(広島県の小選挙区で議席を獲得した自民党の候補者は岸田のみ。また、広島1区では初めて次点以下の候補者が比例復活した)。2011年9月、自民党総裁谷垣禎一の下、党国会対策委員長に就任し、野党自民党の国会対策を担い与党民主党との交渉を担った(2012年9月退任[3])。2012年10月、政界引退を表明した古賀誠から宏池会を継承し、第9代宏池会会長に就任した。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、広島1区で7選。
◆外務大臣:選挙後に発足した第2次安倍内閣では外務大臣として入閣し[注釈 2]、第2次安倍改
2016年4月、地元広島で開催されたG7外相サミットの議長を務め[20]、他のG7外相と共に広島平和記念公園を訪問。広島平和記念資料館を訪れた後、原爆死没者慰霊碑に献花を行う[21]。同年5月、バラク・オバマの広島訪問が実現した際にオバマに対して原爆ドーム、原爆の子の像、折り鶴などについて通訳を介さずに英語で説明を行う[22]。
参議院選挙後、同年8月に発足した第3次安倍第2次改造内閣でも留任。同年12月、安倍晋三の真珠湾訪問に同行する[23]。2017年1月6日、外務大臣在職期間が大平正芳を超え、戦後の外務大臣としては歴代2位[24]、専任の外務大臣としては歴代最長となる[25]。

○甘利明議員のプロフィールとは ?

(ウィキペディアより抜粋・転載)
甘利明(あまり・あきら、1949年8月27日生まれ。72歳。)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)、自由民主党幹事長(第49代)、さいこう日本代表。
労働大臣(第65代)、経済産業大臣(第7・8代)、内閣府特命担当大臣(規制改革)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策)、通商産業政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣)、衆議院予算委員長、自由民主党政務調査会長(第54代)、自由民主党財務委員長、自由民主党行政改革推進本部長、自由民主党選挙対策委員長(第6代)、自由民主党税制調査会長等を歴任した。
戦国時代の武田氏の重臣で知られる甘利虎泰の子孫である[1][リンク切れ][2][出典無効]。元衆議院議員の甘利正は父
◆来歴:
世界経済フォーラム年次総会にて欧州委員会委員(通商担当)ピーター・マンデルソン(奥左)、スイス連邦参事会参事(連邦経済省担当)ドリス・ロイトハルト(奥右)と(2007年1月28日)
5か国エネルギー相会合にてアメリカ合衆国エネルギー長官サミュエル・ボドマン(右)と(2008年6月7日)
プラナルト宮にてブラジル連邦共和国大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ(右)と(2008年7月2日)
神奈川県厚木市生まれ(現住所は大和市中央林間3丁目[3])。神奈川県立厚木高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。
1972年、ソニーに入社したが1974年に退社し、父・甘利正の秘書に転じる。
1983年、正が政界引退を表明したため、代わって第37回衆議院議員総選挙に旧神奈川3区から、父の地盤を引き継いで新自由クラブ公認で出馬し、初当選。
1986年、新自由クラブの解党に伴って同党の所属議員の多くが自民党に復党し、甘利も自民党に入党した。自民党入党後、中曽根派に入会。1989年、通商産業政務次官に就任。
1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い神奈川13区から自民党公認で出馬。選挙区では新進党新人の冨沢篤紘に1,751票差で敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活した。
1998年、小渕内閣で労働大臣として初入閣し、また、年金問題を担当する国務大臣も兼務した[注 1]。同年、それまで所属していた旧渡辺派を退会し、山崎派の結成に参加。
2000年、党財務委員長に就任。2004年、衆議院予算委員長に就任。2005年、党政務調査会長代理に就任。―以下省略―


 

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