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安保法案、自公与党が採決強行の暴挙 ! 暴挙支援・公明党の大変質の経緯 ?
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/4468.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2015 年 7 月 21 日 22:07:17: jobfXtD4sqUBk
 


安保法案、衆議院で、自公与党が2回、採決強行の暴挙 !

暴挙支援・公明党の大変質の経緯・内幕は ?

自公連立の内幕・経緯について識者・政治家たちの主張 !

憲法違反・戦争推進・弱肉強食政策永続・報道機関弾圧・民意無視の自民党政治家は、

ナチス・戦犯の生まれ変わり ?

15年超全国支援・連立の公明党議員は同類 ?



T 衆院特別委員会、自公が採決強行の暴挙 !

(jipangnet.blog.fc2.com:2015年7月15日より抜粋・転載)

 安全保障関連法案は15日午後、衆院特別委員会で採決が行われ、自民・公明両党の賛成多数で可決された。
審議を締めくくる総括質疑の終了後、維新の党が退席し、民主・共産両党が抗議する中、与党が採決を強行した。

法案は16日にも衆院本会議で可決される見通しだが、安倍晋三首相は15日午前の質疑で「残念ながら、まだ国民の理解が進んでいる状況ではない」と認めた。

質疑で、首相は「必要な自衛の措置とは何かを考え抜く責任は私たちにある。批判に耳を傾けつつ、政策を前に進めていく必要がある」と述べ、採決の正当性を訴えた。

また、十分な審議が行われたとの認識も示した。

 一方、民主党の長妻昭代表代行は「国民の理解が得られていない中での強行採決は到底認められない」と批判。

共産党の赤嶺政賢氏は「審議は尽くされていない。審議を続行すべきだ」と主張した。


U 自公連立の内幕・経緯について識者・政治家たちの主張 !

自公連立の内幕・経緯識者・政治家の主張

(岩浪貞芳著『権力闘争の内幕』より抜粋・転載)

1)鈴木棟一氏の主張

@ 湾岸支援の90億ドルが国会を通るかどうかの鍵を握っていたのは公明党だった。
そこで、2月中旬、公明党への工作が集中した。
峯山のもとに党員からの手紙、ファックスが殺到していた。

その中には、賛成論者のものはほとんどなく、「90億ドルに反対してもらいたい」というものばかりだった。

下部からの突き上げとの板ばさみに、公明党議員のスタンスは大きく揺れていたのだった。
公明党の党是とも言うべき基本的主張は、「反戦・平和、福祉社会の建設」だった。

冬柴鐵三、日笠勝之、平田米男、大野由利子らのように、徹底的な平和主義者も多かった。
彼らはこう主張した。

「公明党は生命を尊重し、平和を追求する政党だ。その政党がいかなる形であれ、こうして武力行使にかかわるのは許せない。それが平和憲法の精神である」

このところ、公明党は都議選、参院選、衆院選と大きな選挙で3連敗していた。

前年の総選挙では57議席から46議席へ11議席の減だった。党内からこんな自嘲も聞かれた。
「砂利汚職、リクルート事件、明電工事件の3スキャンダルが影響した」いずれも矢野絢也前委員長ら公明党議員がからんだスキャンダルであった。

そして、統一地方選挙を前に、「4連敗ではたまらない。なんとかしなければ」との焦りがあった。

そのため、統一地方選挙では前回当選者より候補者を約200人減らすなど、徹底的な“守り”の選挙を展開したくらいだった。

そして、自民党と手を組むことで活路を見いだそうとする小沢一郎、市川雄一の名をとった「一市ライン」が、公明党を動かしていた。

この2人は、竹下内閣当時、市川公明党国対委員長、小沢官房副長官の間で国対の裏折衝をして以来のコンビである。

それまでの公明党は社公民による政権づくりを目指していたが、市川は党内でも「社公民路線をぶちこわした張本人」と言われていた。

市川の口ぐせは、「社会党と一緒になってなんでも反対していたら、社会党のうしろに埋没してしまう」というもの。

自民党と組み、公明党の主張を取り入れさせれば、存在をアピールできるというわけだ[1]。

A 1999年(平成11年)3月、金丸信元副総裁の三回忌が山梨県白根町であり、竹下、野中も出席した。竹下はすでに腰が痛くて乗用車を嫌い、列車で往復した。
このとき野中は「私もお伴します」と竹下に同行した。

このとき車中で野中は竹下の政局シナリオを伝授された、と伝えられる。

その1ヶ月後に竹下は入院し、このシナリオの実行者として野中の存在が確立したのだった。
1999年10月に自公連立が成立したが、これも竹下のシナリオだった。

すでにその2年前に竹下は公明党のドンである藤井富雄に、地域振興券のアイデアを示してこう提案した、という。

「公明党のほうから持ち出したらどうか」同じ年の6月、故正木良明公明党政審会長の葬儀で落ち合った竹下元首相は神崎武法公明党代表にこう提案した、という。

「これからはやはり自公だな」いずれも当時は新進党に組み込まれていた公明党を引きはがして、自民党政治を安定させる深謀遠慮であった[2]。

2)野中広務氏の主張

公明党との連立の呼び水になったのが地域振興券だったが、両党との間ではこの他にも、少子化対策について2000億円規模の1999年度補正予算を編成することでも合意している。

これは駅前保育所や企業内保育の充実を図る少子化対策で、冬柴鐵三幹事長から強い要請があったものだ。

こうした公明党への配慮や気配りが、連立に加わらない中でも国旗国家法、日米ガイドライン法などの成立について公明党が協力してくれることにつながったのである。

その意味では、まず実質的な連立が先にあって、その後に形式的連立が付いてきたというのが実態に近いかもしれない。

連立の相手としての公明党は、創価学会を支持母体にしているだけあって、考え方が1つで安定している。加えて数もある。そして小渕さんも秋谷栄之助会長をよく知っていた。
99年の7月7日の七夕のことだった。

小渕さんは小沢さん、さらに公明党の神崎武法代表と連続会談を行い、自自連立に公明党が加わって自自公連立になるとの基本合意を取り付けた。

神崎さんは当時、「日本の権力を正しい方向に導くためのも権力の中に入るのも1つの選択だ」と話すなど、連立に積極的に参加する方向になっていた。

これまで政教分離問題で批判してきたことについては、憲法に違反しないこと。
その解釈は今後とも変わらないこと。

そしてこれまでの自民党の公明党批判、創価学会批判には、情報や認識に偏りがあり、行き過ぎた攻撃があったことを認め、党とうして反省し、謝罪すること。

それを「政教分離問題についての見解」として文書化したのである[3]。 


3)魚住昭氏の主張

1994年末、市川雄一は小沢らと新進党を結成した。新進党は翌年7月の参院選で躍進したが、学会は宗教法人法の改正にからんで自民党の集中攻撃を受けて窮地に立った。最も恐れていた池田の証人喚問は辛うじて免れたものの、会長の秋谷栄之助が国会に参考人招致されたのである。

「そのころには自民党の反転攻勢にたまりかねた学会側が『市川がおっちょこちょいで馬鹿なことをやるから、こんなことになった』と言って彼を非難しはじめたんです。

市川というのは頭はいいけど、性格が激しく危ないところがありますからね。市川らに任せておいたら何が起こるかわからんというので、学会が直々に自民党との手打ちに乗り出した。その相手が一番手強い野中さんだった というわけです」

それにしても、なぜ学会はそれほど野中を恐れたのか。「まあ、理由はいろいろありますが・・・・・」と言いよどんだ後で、岡本が例を挙げたのは学会発行の『政教グラフ』に関することだった。

聖教グラフには、池田と外国要人などとの会見場面を撮った写真がたびたび掲載された。

「写真のバックには学会施設にあるルノワールとかマチスとかいった有名画家の高価な絵が写っているんですが、野中さんがそれを創刊号から全部調べ上げて、学会が届け出ている資産リストと突き合わせた。その結果、届出のない絵がいろいろあることが分かったというのです。

もちろん野中さんは直接そんなことを学会に言ってくるわけではない。なんとなく耳に入るので、秋谷会長は『野中は怖い、怖い』としきりなに漏らすようになったんです」
後に野中が自公政権作りを成し遂げた後、有力支持者の1人が「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と野中に聞いた。すると野中はこう答えたという。叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」と著書にしるしている[4]。


4)平野貞夫氏の主張

私が付き合った公明党・創価学会の友人の中には、立派な見識を持つ人たちがたしかにいた。この人たちが排除されたのはなぜか。そこに、新しい日本を創ることを犠牲にしてまでも、公明党・創価学会が護らなければならない問題があったからではないか。

では、それは何か。この解明がきわめて重要である。私が推察するところ下記、2つの問題がある。

@「密会ビデオ」問題

まず、創価学会が非自民改革路線から離れたきっかけとして、「密会ビデオ」問題があったことは明らかだ。

もう1つは、公明党が自民党政権に参加することに積極的になるのが、長銀・日債銀などをめぐる金融危機と同じ時期であり、そのとき政治の背後にあった何かである。

第1の問題、創価学会が改革路線から離れる直接のきっかけは、某暴力団との長年にわたる「抜き差しならない関係」を象徴するビデオテープの存在だった。このテープを材料にして、当時の自民党幹事長代理、野中広務さんは、新進党の旧公明党議員を通じて創価学会を「恫喝」したのだ。

 端緒となったのは、平成8年(1996年)1月に始まった通常国会である。この国会は、日本経済を奈落の底に突き落とした元凶である「住専問題」の処理をめぐり、大混乱に陥った。自民党のなりふり構わない行動に対して、当時の新進党は、予算委員会を「座り込み」という物理的抵抗で食い止めようとした。

そんな最中、事態打開に動いたのが、当時の幹事長代理だった野中さんであった。公明党の常任顧問の藤井富雄・東京都議らが某暴力団の組長と会い、反創価学会の自民党幹部4人の名前を挙げ、「この人たちはためのならない」といった・・・

こう推測される様子を写したビデオテープを手に入れ、それを材料にして新進党の旧公明党議員に住専処理での妥協を迫ったという。

このとき、野中さんは、某暴力団の組長に「働きかけ」を行い、創価学会との調整を行ったという情報があった。
上部団体の代表者と藤井都議が京都の高台寺近くの料理屋で会ったという事実を必死に追いかけていたジャーナリストのグループがあったが、残念ながら解明されていない。

しかし、私の耳には、「自公連立は某暴力団がきっかけをつくってやったようなものだ」という、某暴力団の内情をよく知る立場にいた人物の話が届いている。

この一件以降、新進党にいる旧公明党の一部議員と創価学会の一部の幹部が、自民党によって牙を抜かれ、高邁な理念と理想を棄て、堕落の阪を落ちていく[5]。

A 裏資金の隠し場所

もう1つ、公明党が、自民党政権に積極的に参加する動きをするようになった背景だが、その時期が金融危機と符合することが問題だ。

日本長期信用銀行(長銀)などの問題は、これらの金融機関が、日本社会のマネーロンダリングの「ブラックボックス」であったことにある。
この恩恵にあずかっていたのは経済界だけではない。
政界、とくに自民党の派閥、労働組合、学校法人、そして宗教法人に至るまで、「裏資金」を持つあらゆる団体が恩恵を受けていたので深刻であった。

私たちは、法的処理をすることで、日本の暗部を国民の眼前に晒すことを主張した。

しかし、労働組合を支持母体とする民主党と宗教団体を支持母体とする新党平和(旧公明党)は、自民党とともに「金融再生法」を成立させ、長銀等の法的処理を行うに至らなかった。

小渕政権は、野党の協力もあって金融危機をどうにか切り抜けるが、金融機関のあり方に対する国民の眼は厳しくなる。

これまでのように、「裏資金」を金融機関に隠しておけなくなったわけだ。

この時期、偶然とはいえ、新党平和(旧公明党)は、自民党政権への参加に積極的になる。これらの背景について、経済面からも政治面からも解明されていないことに、日本社会の不健全性が見え隠れする。

この2つの問題が、もし解明されるとしたら、自公政権の存在自体を国民は許さないだろう。

別の見方のをすれば、この2つの問題(「密会ビデオ」問題・裏資金問題)を国民の眼から隠蔽するために自公連立政権が続いていると、私は推測している[6]。

[1] 鈴木棟一『田中角栄vs竹下登C』講談社2000年、311〜315頁。
[2] 鈴木棟一『田中角栄vs竹下登C』講談社2000年、404〜405頁。
[3] 野中広務前掲書、102〜103頁。
[4] 魚住昭『差別と権力』講談社2004年、295〜296頁。
[5] 平野貞夫『公明党・創価学会の真実』講談社2008年、34〜36頁。
[6] 前掲書、36〜37頁。

 

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