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 30年前、日航機墜落事故の真相は ?   長期自民党政権の深層と関係は ?
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/4543.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2015 年 8 月 03 日 14:39:54: jobfXtD4sqUBk
 


30年前、JAL123便 日航機墜落事故の真相は ?

対米隷属・政官業癒着・長期自民党政権の深層と関係は ?

(第1回)

(ugyotaku.web.fc2.comより抜粋・転載)

◆日航機墜落から生存者発見までの、 空白の16時間は ?

日航ジャンボ機墜落事故から30年。墜落から生存者発見までの16時間の間に何があったのか。
これまでに明らかにされていなかった事実が独自の取材が浮かび上がってきた。

未公開の内部資料、そして、関係機関の当事者たちの初証言から明らかになるのは、
救えた命は本当はあったのではないかという重い問いである。
「空白の16時間」が投げかける、日本社会が積み残したままの課題を見つめていく。

◆実は、墜落場所は早くからわかっていた !

 JAL123便を御巣鷹山に誘導した2機の自衛隊機の存在はこの件に関するマスコミ報道では完全に伏せられています。

しかし、この2機の自衛隊機を目撃した人物がいます。

  その人物とは、角田四郎氏といい、事故当日大月付近でキャンプをしていて目撃したというのです。後になって、角田氏は、JAL123便事件解明のため『疑惑/JAL123便墜落事故』という本を出しています。
 この本から、角田氏自身の目撃状況をご紹介します。

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★角田四郎氏:日航機を追うように、東へ向かう2機の自衛隊機を私は見た !

このとき私は日航123便を目撃していた。[山梨県大月市と神奈川県相模湖の中間地点の]東から南へ、南から西へ旋回しようとする地点である。18時42分頃になる。

  そして、44分か45分頃、ループ飛行を終えて東へ向かったであろう頃の日航機を追うように、東へ向かう2機の自衛隊機を私は見た。
その時また飛行機が見える。木の間に見え隠れしていたが、私は「エッ」と驚きの思いで立ち止まって見つめた。

しかし、今度はごく小さな機影で、北西に向かって夕焼けの中をどんどん小さくなってゆく。
「あれは、さっきの飛行機[JAL123便]じゃないな」と思い、ふたたびバンガローへの坂道を登っていった。この間5〜6分の出来事である。――角田四郎著、

『疑惑/JAL123便墜落事故』より。早稲田出版刊

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 2機の自衛隊機の目撃情報は、角田氏だけですが、防衛庁側は、これに対して何もコメントしていません。

 自衛隊機が、この付近の空を飛んでいても別に不思議ではないからです。
角田氏自身もあとでJAL123便の墜落を知って、自衛隊機とJAL123便とをはじめて結びつけたのです。

ところで、自衛隊機は、どのようにしてJAL123便の進路を変更させたのでしょうか。

自衛隊機は、無線で直接JAL123便と交信して旋回するよう指示したか、あるいは、航空基地を経由しての交信により横田基地に着陸しないよう伝えたはずです。

おそらくJAL123便の機長は、あくまで横田基地着陸を訴えたはずです。
機長が、当初「羽田に戻りたい」といったのは、羽田空港の方が、救急医療体制が整っているからです。いずれにしても、まともな着陸はできないと考えていたのでしょう。

しかし、機を完全にコントロールできないこともあり、この時点では、横田基地しか選択肢はなかったはずです。

とにかく、ボイスレコーダには、自衛隊機とのやりとりは記録されていないので、推測するしかないのですが、もしかしたら、自衛隊機の指示を拒否したことも考えられます。

★自衛隊機は、JAL123便の前方に出て、飛行進路を遮断するなど妨害した !

このことを裏付けるように、JAL123便は、横田基地に向けて高度を下げつつあったのです。
そこで、自衛隊機は、JAL123便の前方に出て、飛行進路を遮断するなど妨害し、埼玉・長野・群馬の県境の山岳地帯に向かうよう強引に左旋回飛行指示を出しているのです。

これに対して、JAL123便の機長は、あくまで「ターンライト」を主張して抵抗しています。

しかし、結局、横田基地から北方向に向かわされ、御巣鷹山に入っていくことになります。
この2機の自衛隊機の存在を肯定すると、JAL123便は、エンジンの出力調整によって何とか左旋回できたことになります。

★日航機は、何者かにミサイルなどで攻撃され、垂直尾翼を破壊された !

ここで奇妙なことは、JAL123便は何者かにミサイルなどで攻撃され、垂直尾翼を破壊された「被要撃機」になっているという事実です。

  この場合、既に述べたように、自衛隊による日本の防空上の規定では、スクランブルをかけられた領空侵犯機と同じ扱いになることです。

もし、領空侵犯機がスクランブルをかけた軍用機の指示に従わないときは、攻撃してもよいことになっているのです。

  このようにして、JAL123便は、2機の自衛隊機によって御巣鷹山のある山岳地帯に入っていくのですが、どのようにして墜落したのかについては、あとで明らかにするとして、墜落直後の状況について述べることにします。

墜落事故のあった1985年8月12日――私は今でも鮮明に覚えていますが、テレビでは、夕方から大騒ぎになり、安否を気遣う乗客の家族や知人が続々と羽田の日航の事務所に押しかけて、ごった返していたのです。

★JAL123便の行方はわからず、つねに日航側

の発表は「捜索中」の繰り返しだった !

しかし、JAL123便の行方はわからず、つねに日航側の発表は「捜索中」の繰り返しだったのです。私は13日の午前2時頃まで起きていて、テレビを見ていましたが、とうとう朝になるまでわからなかったのです。

 しかし、今となって考えると、これは実に奇妙な話なのです。というのは、JAL123便は墜落直後からその場所は特定されており、自衛隊機をはじめ、米軍機もその墜落地点の上空までは行っているからです。

★加藤絋一防衛庁長官は、当日夜、救難ヘリコプター

・バートル107で現場上空に飛んでいる !

  当時の防衛庁長官であった加藤絋一氏は、当日夜、救難ヘリコプター・バートル107で現場上空に飛んでいるのです。これを受けて防衛庁では、13日の午前0時5分から、緊急会議を開いています。出席者は、加藤長官以下、内局幹部、陸幕長、空幕長です。

ですから、加藤長官はそれ以前の時間に――午後9時頃ではないかと考えられますが、墜落現場の上空までヘリで視察しているのです。

しかし、少なくともそのとき、乗客・乗員の救助は行われていないのです。

 もちろん、その間テレビでは、相変わらず「捜索中」が繰り返されていたのです。
なぜ、発表しないのでしょうか。

★当日夜、墜落場所が特定できていたのに、なぜ、

いち早く救助に向かわなかったのか ?

なぜ、墜落場所が特定できていたのに、なぜ、いち早く救助に向かわなかったのでしょうか。

 こういう問いかけに防衛庁、政府関係者は完黙の構えです。

だからこそ、JAL123便の墜落事故に自衛隊が深くコミットしていたと考えざるを得ないのです。次章からは、もっと驚くべき事実を出していきます。

◆自衛隊はなぜ米軍の救助を断ったか ?

 1994年9月25日のことです。テレビ朝日「ニュース・ステーション」では、「米軍幻の救出劇」と題して、御巣鷹山日航機墜落事故関連の番組を放映しています。

1985年8月12日当日、沖縄嘉手納基地から横田基地に帰投中の米軍C−130輸送機は、関東南A空域にさしかかっていたのです。

そのとき、同機のマイケル・アントヌッチ航法士(ナビゲーター)は、横田基地からJAL123便の探索命令を受けたので、一帯を捜索した結果、午後7時30分前にJAL123便の墜落現場を確認しています。

番組では、マイケル・アントヌッチ航法士が次のようにいっています。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
あたりはちょうど夕暮れだったが、地面はまだ見える明るさでした。燻る機体も炎も見えた。
−――アントヌッチ航法士

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★米軍は、20分後には、正確な墜落場所の位置を横田基地に知らせている !

 米軍C−130のジョン・グリフィン機長は、JAL123便の残骸の上空600メートルで旋回飛行をし、横田基地からの位置を測定し、20分後には、正確な墜落場所の位置を横田基地に知らせているのです。

午後8時30分になって、横田基地からC−130に再び連絡が入り、「60キロ離れた米陸軍キャンプ座間から救難ヘリUH−1が、そちらに向かっている」と知らせてきたのです。
やがて救難ヘリUH−1は飛来し、乗員2人を下ろそうとして、木の梢から15メートルのところまで降下したのです。

★米軍機に、「直ちに基地に帰還せよ」という命令

が入り、救助せず、横田基地に帰還した !

そのときC−130に横田基地からいきなり「直ちに基地に帰還せよ」という命令が入ったのです。

しかし、ヘリは「救助に入りたい」――と連絡した。

これに対して、横田基地の司令官は「日本側の救助隊が向かっている。繰り返す直ちに基地に帰還せよ」と短兵急に帰還を命じたのです。

時刻は、午後9時20分――地上に降りかけていたヘリの乗員も再びロープを登ってヘリに戻り、救難ヘリも去っていったのです。

そしてC−130は、横田基地に帰還するのです。

★米軍・シルズ副司令官:このことは一切マスコミには話してはいけない」 !

横田基地で待っていたのは、第316戦術航空団のジョエル・シルズ副司令官――グリフィン機長が報告を終えると、シルズ副司令官は「良くやった。しかし、このことは一切マスコミには話してはいけない」といったといいます。

このヘリの音を生存者の落合由美さんは、聞いており、次のようにいっています。

★けれど、ヘリコプターはだんだん、  遠くに行ってしまうんです !

やがて真っ暗闇のなかに、ヘリコプターの音が聞こえたのです。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。
これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。

けれど、ヘリコプターはだんだん、遠くに行ってしまうんです。

このときもまだ何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。

―――――――落合由美さんの証言

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★日本側の都合による米軍救援活動中止要請が事実であることを報道 !

 このように、1994年9月25日の「ニュース・ステーション」は、日本側の都合による米軍救援活動中止要請が事実であることを報道しています。

何ということでしょう。米C−130は、午後7時30分に墜落場所を特定し、20分後には横田基地に正確な墜落場所を知らせているのです。

もちろん日本側にもその時点で伝えられています。

★テレビでは、次の日の朝まで墜落場所 を特定できていないと報道 !

それなのにテレビでは、次の日の朝まで墜落場所を特定できていないと報道しているのです。これは明らかに意図的です。加藤紘一防衛庁長官(当時)にいたっては、12日の夜に墜落場所の上空までヘリで飛来しながら救援を指示せず、次の日の朝まで放置したのです。

―この続きは次回投稿します―

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