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被爆体験を語り、反戦を訴える、 80歳・86歳・92歳の人達 !
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/4574.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2015 年 8 月 08 日 20:14:06: jobfXtD4sqUBk
 


被爆体験を語り、反戦を訴える、80歳・86歳・92歳の人達 !

戦争を起こすのは、為政者・権力者だ !

国民の99%は、悪徳権力者の犠牲者だ !

悪徳ペンタゴンに騙されないよう、気をつけよう !


T 被爆体験語り、反戦訴え !

宮崎市の長沼京子さん(86歳)

(www.the-miyanichi.co.jp:2015年8月6日より抜粋・転載)

 一瞬のうちに大勢の命を奪った広島への原爆投下から、6日で70年。
「周囲は死体であふれ、生存者も人間の形をしていなかった」。

被爆体験を語り続ける長沼京子さん(86)=宮崎市清水1丁目=の目には、当時の光景が今も焼き付いている。

戦後70年の節目を迎え、長沼さんはあらためて「『絶対に戦争を繰り返してはいけない』
と訴え続けたい」と力を込める。

(全文は6日付朝刊または携帯サイトで)

U 広島の被爆体験筆談で伝える、
札幌の中村治弘さん(92歳)

(www.yomiuri.co.jp/2015年08月04日より抜粋・転載)
 広島の爆心地から約1200キロ離れた札幌市で、被爆体験を筆談で伝え続ける男性がいる。

元軍人で原爆投下後、広島市の中心部に入って被爆した中村治弘さん(92)(札幌市西区)。

約15年前から語り部を始めたが、がんの発症を繰り返し、7年前には喉頭がんのため声を失った。

それでも、「唯一の願いは核兵器が
世界からなくなること」とペンに思いを託す。(岸下紅子)

 札幌市白石区にある「北海道ノーモア・ヒバクシャ会館」。2階の展示室で、中村さんがA4サイズのホワイトボードにぎっしりと小さな文字を書き込んでは、消していく。

 「ここに原爆が落とされました」「負傷者の収容所は歩き回ろうとする人、水をくれという人がうごめいていました」。力強い文字に原爆への怒りがにじむ。

 船舶整備教育隊として広島に配属されていた1945年8月6日朝、部隊の拠点でカメラのフラッシュのような光と爆風に襲われた。
爆心地から6・5キロ離れていた部隊では何が起きたのかわからなかった。
午後になると、負傷者が次々と運ばれてきた。

 約100人を収容したが、ほとんど治療もできず、ただ息絶えるのを見ているしかなかった。
数日後、小学生の息子を捜しに来た母親には「昨日、裏山に埋葬しました」と告げた。

 落胆しながらも「のたれ死んだと思っていた。ありがとうございます」と頭を下げるその母親の姿に、軍人として国民を守れなかった悔しさが募った。

 原爆投下後5日目と11日目には、知人を捜すため、爆心地近くに行った。

 戦後まもなく実家があった青森に帰ったが、仕事がなく、北海道の炭鉱で働いた。
周りは様々な事情を抱えた労働者ばかり。原爆について話す機会はなかった。

 退職後、将来の健康不安から被爆者健康手帳を取得し、98年に加入した北海道被爆者協会からの依頼で語り部となった。

 しかし、ようやく語ることに慣れた2000年、胃がんが見つかった。切除後の06年に再発。
完治すると、今度は喉頭がんと宣告された。4度の手術で命は助かったが、08年に声を失った。

 「もう人前には出ず、ひっそり生きていこう」と、病院のベッドでうなだれていた時、回診にやって来た主治医が手にしていたのがホワイトボードだった。「これを使えば、まだ伝えられる」と考えた。

 08年9月に退院後すぐに筆談で証言を再開。慣れると、スピードも上がった。
「半人前でもいい。ただ、あの時、助けることができなかった人の無念を伝えたい」。
昨年には大腸がんを患った。今も病院通いは欠かせないが、週に1度会館を訪れ、見学者に証言する。
命ある限り、ペンを握り続けるという。


V 何とも言えん光が襲ってきた !

大阪の飯田さん(80歳)、

広島での被爆体験語る !

(blogos.com:2015年8月6日より抜粋・転載)


 「被爆したことを60年近くだまっていました」と語るのは、大阪市住吉区の飯田清和さん(80)。小学校3年生の時、爆心地から約3キロ地点で、あの恐ろしくさく裂する光をみたと同時に被爆した。

そして、その後の惨状も目の当たりにしたが、語ることはできなかった。
最愛の妻にさえ、被爆の事実は長きにわたり隠していた。

そんな飯田さんだが、10年前から自身の体験を語るようになった。
そのきっかけは、大阪で広島に原爆を投下する前に試験的に落とされたという「模擬原爆」の事実を伝えるグループの活動を見たことだった。
大阪「模擬原爆」投下から70年 若者に語り継ぐ元教師の思い !
何とも言えん光が襲ってきた !
 1945年8月6日、飯田さんは広島市の舟入国民学校(現・広島市立舟入小学校)の3年生だった。当時は1、2年生が学校にいたがほかの学年は集団学童疎開のため学校におらず、飯田さんら10人ほどの3年生が下級生らにまじり運動場での朝礼に参加していた。

 同日午前8時15分、列の前にいた友人が「なんか光るもんが落ちてくる」と話し、自分も見上げた瞬間...激しい光がさく裂、同時に熱風が襲ってきた。

「前にいた子が光ってると言ったことは覚えているが、その後の記憶はほとんどないんです。
何とも言えん光が襲ってきた」。これはあの、恐ろしい原子爆弾が落とされた瞬間だった。

 学校は原爆ドーム(当時の広島県物産陳列館)から約3キロもない地点にあり、当時の木造校舎の屋根瓦などは吹き飛んだ。

飯田さんは、その落ちたときの光は覚えているが、その直後の記憶はほとんどないという。
「気がついたら校舎の土間にいたのを覚えているくらい。

校舎は半壊して、屋根瓦などが朝礼中の児童の上に落ちているなど、恐ろしい光景だった。
もちろん周囲は大混乱していたが、自分がどうして運動場から校舎に入ったなどの記憶はすべて吹っ飛んだのか、そこはなにも覚えていない」。

今でも覚えているのは、あの一瞬の光とその後の街の惨状、そして食べ物もろくにとることができなかった辛い思い出だった。

結婚から11年後、妻に被爆体験を告白
 それから16年後の1961年、飯田さんは大阪へ引っ越してきた。

しかし、大阪では自身が被爆者であることを一切話さなかった。
「放射能の恐ろしさを体験しているんで...それを口にすることはできなかったんです。
差別などもあり、結婚もままならん、そんな状況だったんです」

 後に結婚をしたが、妻には被爆したことを隠していた。
妻の両親や兄弟にも、ずっとそのことをだまっていた。
「被爆したという事実を話せなかったんです。

周囲でもそのことが知られて結婚がダメになったりとか差別があったんです。
そういうものなんですよ、被爆者というのは」

 だが結婚から11年後の8月6日、飯田さんが黙祷し手を合わせているところを妻に見られた。
そして妻に「お父さん、なんで手を合わせているの?」と聞かれた。

 「もうこれは、隠し続けることはできないな」と感じた飯田さんは、自分が被爆者であること、その時の体験をすべて話した。

すると妻は「お父さん、そんなこと最初から話してくれたらよかったのに。
(被爆のことなど)全然関係ないよ」と答えてくれたという。

語り部のきっかけ 大阪の「模擬原爆」知ったから
 原爆投下から約60年たったある日、テレビの報道で自身が住む大阪住吉区に隣接する東住吉区に「模擬原爆」が落とされていたことを知った。

これは戦後50年で米軍が資料を公開したことにより、広島・長崎に原子爆弾を落とす前、米軍の爆撃機が原爆投下後、自分たちが被爆しないよう飛行するため国内に49発落としたとされる爆弾だった。


 その模擬原爆が落とされた事実を伝えようと奔走する地元の人たちの姿を知り、東住吉区で開かれた「模擬原爆追悼式」にも足を運んだ。

その時「自分は広島で被爆しているのに、なにをしているんや」と思ったという。
 「私自身は爆心地の近くで被爆して、その惨状も知っている。それなのに、伝えたくないと思いこのことを話さなかったことを後悔した」と振り返る。

たった一つしかない命を大切にしてほしいですから
 それ以来、自らが被爆者であることを話し、ラジオやテレビに出演、そして幼稚園から大学まで、様々な場所で講演活動を行っている。

飯田さんの名刺には「忘れられない 忘れてはならない ヒロシマ被爆者
語り部 飯田清和」と書かれている。

 7月26日に行われた模擬原爆追悼式にも飯田さんは出席。
「もう語り部の平均年齢も80歳を超えてきた。
私は生きている限り、このことを伝えていきます。

そして、また来年、この場でお会いしましょう」とあいさつした。
 「たった一つしかない命を大切にしてほしいですから」。

若者にこれを伝えるとともに、命を大切にしてほしいという思いを込め、飯田さんはきょうも語り部活動を続けている。


 

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