★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6 > 5125.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
真摯に歴史に向き合い、 心からの謝罪の意を表明したから、 アジア諸国と和解 !
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/5125.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2015 年 11 月 15 日 16:55:33: jobfXtD4sqUBk
 


村山首相達は、真摯な姿勢で歴史に向き合い、心からの謝罪の意を表明

したから、アジア諸国と和解 !

安倍首相の問題点は ?

米英中国などやマスコミが隠すが、日中戦争の発端を仕掛けた主体は ?


「植草一秀の『知られざる真実』」:2015/11/06より抜粋・転載
────────────────────────────────────

1)出版記念シンポジウム『検証「安倍談話」戦後70年・村山談話の歴史的意義』が開催 !

昨日、11月5日、東京永田町の憲政記念館で、出版記念シンポジウム『検証「安倍談話」戦後70年・村山談話の歴史的意義』が開催された。
https://www.youtube.com/watch?v=Sjn3SzL7JD0主催者挨拶  鎌倉孝夫・埼玉大学名誉教授
基調講演:浅井基文・元広島平和研究所長「内政・外交上の矛盾の固まりとしての安倍談話」
シンポジウムコーディネーター: 高嶋伸欣・琉球大学名誉教授、
「歴史を歪曲した愚作の典型・安倍談話」、

パネラー:田中宏・一橋大学名誉教授、「村山談話と似て非なるアリバイ談話」
天木直人・元レバノン特命全権大使、「わが国の安全保障を阻害する安倍談話」
最首悟・和光大学名誉教授、「戦争法実現の布石としての安倍談話」

シンポジウムに引き続き、出版記念会が、上原公子・元国立市長の総合司会により開催され、
村山富市・元内閣総理大臣、志位和夫・日本共産党委員長、吉田忠智・社会民主党代表などが挨拶した。


2)戦後70年、日本は平和と繁栄を守ってきた。なぜ変える必要があるのか ?

村山富市氏は、安倍政権が安保法制=戦争法制を強行制定したことを念頭に、「戦後70年、日本は平和と繁栄を守ってきた。なぜ変える必要があるのか。
そこに、法制に反対している国民と首相の考えに乖離がある」と述べた。

また、2016年の参院選について、「日本の方向は国民が決めるという意識を持ち、来年の参院選では『ほら、みたことか』となるよう期待している」と述べた。

シンポジウムのメインテーマである、20年前に、村山首相が発表した「戦後50年談話」=「村山談話」の「継承」については、「首相は、村山談話を継承すると言った以上、素直に継承すればいいのに、安倍談話は『ああでもない』『こうでもない』といっているだけだ」と述べた。


3)安倍首相は、村山談話を誠実に継承しない、従軍慰安婦問題は、

  『証拠がない』が本音、だから中国・韓国とうまくいかない !

日韓首脳会談が開催され、従軍慰安婦問題の解決が迫られている点については、「首相が『日本の責任だから解決したい、協力してください』といえば済むが、『裏付けがない』『証拠がない』ということが、首相の腹にあるから言えない。

だから、うまくいかない」と論評した。
村山談話では、「侵略」、「植民地支配」、「痛切な反省」、「心からのおわび」の文言を盛り込み、真摯な姿勢で歴史に向き合い、心からの謝罪の意を表明した。


4)村山首相は、真摯な姿勢で歴史に向き合い、心からの謝罪の意を表明した

  から、アジア諸国との和解が達成 !

このことによって、アジア諸国との和解が達成されたという事実がある。
これを蒸し返して、「ああでもない」、「こうでもない」とこねくり返した安倍談話は、百があって一利のないものである。

産経新聞は安倍談話について、紙面1面トップに「謝罪 次世代に背負わせぬ」の見出しで報道した。
産経新聞は、この紙面のコピーを掲載し、次のような見出しをつけた販売促進用の広報チラシを配布している。


5)戦争責任を一般国民に押し付ける安倍70年談話 !

「産経新聞は、謝罪外交の連鎖を 断ち切るよう 強く主張しています」
安倍70年談話が、「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。
あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」と表現した部分を絶賛している。
メルマガ第1283号:
「戦争責任を一般国民に押し付ける安倍70年談話」http://foomii.com/00050


6)国民同士の和解は、戦争犯罪人と一般国民とを峻別し、そのうえで

   実現させてきたものだ !

に記したように、戦後の戦勝国国民と敗戦国国民との和解は、戦争責任、戦争犯罪人を明らかにし、戦争犯罪人と一般国民とを峻別し、そのうえで実現させてきたものである。

謝罪をするのは、国民ではなく、為政者が、過去の戦争犯罪人の行為について、国を代表して、謝罪するものであり、国民が、自己の行為を謝罪するものではないのだ。

為政者は過去の為政者が犯した罪を直視し、そのことに対して、他国に対して事実を認めて謝罪する責務を負う。

安倍談話は、謝罪をするのは国民、すなわち、責任を負うのも国民との図式に立つ内容を示しているのである。


7)問題は、日本の主権者が、この政治の現実

   をどう捉えて、どう評価し、どう行動するのだ !

問題は、日本の主権者が、この政治の現実をどう捉えて、どう評価し、どう行動するのかである。
村山元首相が述べたように、2016年夏の参院選では、安倍政権与党を大惨敗に追い込むことが必要である。ちょうどこの日、鳩山友紀夫元首相が韓国で講演した。

過去に目を閉ざし、真実から目を逸らしたいと考える人々にとっては、耳に痛い発言を示した。

鳩山元首相は、安倍談話について、「評価される内容ではない。
侵略、植民地支配、反省と謝罪の言葉は盛り込まれていたが、文脈は、とても納得のいくものではない。

―この続きは次回投稿します―

(参考資料)

米英中国などやマスコミが隠すが、日中戦争の発端を仕掛けた主体は ?

蒋介石軍・日本軍に銃弾を放ったのは中国共産党工作隊(ソ連の子分)だった !


T.米英中国などやマスコミの  ウソ宣伝を見破ろう !

1、中国の主張・

「盧溝橋事件は日本が仕掛けた」への反論

中国側の文献が示す“中国共産党の謀略"説 

渡部昇一教授の主張:

 日中戦争の発端となった昭和十二(1937)年七月の盧溝橋事件は、中国では「七七事変」とも呼ばれ、教科書で特に詳しく記述されている。
自民党政権は、反論を国民に教育してこなかったし、国際的な啓蒙も怠ってきた。
中国・韓国は、自論を、徹底的に国民に教育し、国際的にも啓蒙を徹底的に数十年間実行してきた。

(1)中国の教科書記述 

中国人民教育出版社の「中学歴史教科書」は、こう書いている。

「1937年7月7日夜、日本侵略軍は北平(北京)西南の盧溝橋に進攻し、長い間からもくろんでいた全面的な侵華戦争を開始した」「7日夜、日本軍は盧溝橋北側で盧溝橋進攻を目標とした軍事演習を行った。

彼らは一人の兵士の失踪を口実に、苑平県城に入って捜査することを理不尽に要求し、中国守備軍に拒絶された。日本軍はすぐさま苑兵県城に向けて攻撃を開始した」(明石書店「中国の歴史」より)

 侵略の機会をうかがっていた日本軍が、兵一人の行方不明を口実に中国側に無理な要求を突きつけ、断られたため、全面的な侵略戦争に突入したという書き方である。

 東京裁判でも、元北京市長の秦徳純証人が同じような"日本軍挑発"説を主張したが、事実は全く異なる。 

日本では、戦後の実証的な研究により、最初に誰が撃ったか分からない「謎の発砲」があり、原因不明のまま偶発的に日中両軍が衝突したという「偶発」説が有力になった。(原因については、”歴史を考える1”を参照)

(2)冷戦終結後の研究で中国共産党の謀略が濃厚と判明 !

 盧溝橋事件について、最近の日本側の研究では、逆に、「中国側が事件を起こした」のではないか、という疑惑が深まっている。

 事件に詳しい秦郁彦氏は、最初の謎の発砲が中国軍側から行われたことをうかがわせる事実を、二十九軍の第三大隊長をしていた金振中の手記から突き止め、昭和六十二年十月、久留米大で開かれた国際政治学会で発表した。

金振中はその後、中国共産党軍に身を投じ、金振中の上官だった第百十旅団長の何基?も事件後、中国共産党軍に転じている。

 このころ、中国共産党北方局第一書記をしていた「劉少奇」は、北京の図書館に勤務しながら、地下工作を指揮していたといわれる。国民政府の第二十九軍にも、副参謀長の張克侠をはじめ、多数の共産党員やシンパが潜伏したことが、戦後の「中国側文献」などで判明している。

 また、事件直後、北京大学の構内と思われる通信所から延安の「中国共産党軍司令部」に宛てて、「成功した」という意味の電報が打たれた事実が、元日本軍情報部員の「証言」で明らかになった(平成六年九月八日付産経新聞)。

 当時、日本政府も、蒋介石総統の率いる国民政府も、「衝突を望んではいなかった」のである。

“衝突を望んでいたのは、旧ソ連のコミンテルンと中国共産党だった”のである。

真相はなお不透明な部分があるが、盧溝橋事件は、「中国共産党の謀略」によって起こされた疑いが極めて濃厚になってきている。少なくとも、日本軍が仕掛けたということは、「絶対にあり得ない」ことである。 

中国当局はまず、秦氏らが調べた中国側の文献をきちんと読み直すべきである。

2、銃弾を放ったのは中国共産党工作隊(コミンテルンの子分)だ !

(菅沼光弘元公安調査庁第2部長の主張)

1935年7月、コミンテルン第7回大会で、反ファシズム人民戦線戦術が採択され、各国共産党は、フランス、イギリスと手を結んでドイツ・イタリア・日本の全体主義・軍国主義と戦うことが、最大の目標になった。

蒋介石軍と日本軍を戦わせることで、国民党と中国共産党の国共合作戦略は、コミンテルンの指示通りの戦略だったのである。

盧溝橋事件の頃、中国共産党は、国民党との内戦で追い詰められ、逃避行(長征)の連続であった。

共産党が生き残る道は、日本と国民党が戦争になって、内戦を中止し、共産党と国民党が抗日統一戦線を作る方向に誘導する以外なかった。中国共産党の文献に記述されているように、
日中戦争誘導のため、盧溝橋の銃弾は、共産党・劉少奇が率いる工作隊が
放ったものであった。

したがって、かつて、毛沢東は、中華人民共和国の成立は、「日本のおかげだ」、
と言っていました。

アメリカと中国は、表面的には対立しているようでも、裏の情報世界では、もともと親密な関係なのです。日中戦争中、米国ОSS(CIAの前身)長官の命令で、ОSS幹部が延安の共産党根拠地に出向いて、対日戦争において、武器等を提供して支援していた(『この国を支配管理する者たち』201〜207頁、『誰も教えないこの国の歴史の真実』108〜112頁)のである。


3、日中戦争には英国・米国の謀略もあった !

副島隆彦・船井幸雄の主張:

国民党と共産党を和解させて、抗日統一戦線をつくらせ、日本を敗北させようとしたことは、
世界大恐慌後、景気大回復のため、世界大戦誘導を狙う、英国と米国の裏の戦略でもあった。

特に、米国は、英国を追い抜いて、世界覇権国になるという、英国に内密の戦略のため、大戦後・対ソ連との戦いのため、1930年代から、日本占領・支配・収奪を狙って、長期的に準備していた。

自民党体制(官僚機構・財界・マスコミ・御用学者・御用評論家も含む)は、アメリカが
裏から思い通りに支配するために、強力なアメリカ主導で作ったものである
(『昭和史からの警告』。



 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
ペンネーム登録待ち板6掲示板  
次へ