★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6 > 5273.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
自民党体制の先祖・ 戦前の日本政治の闇を象徴する黒幕とは ? (第7回)
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/5273.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2015 年 12 月 11 日 17:54:12: jobfXtD4sqUBk
 


『日本の本当の黒幕』

自公政治家・NHK等が隠す、自民党体制の先祖たちの戦前の国家権力の真相 !

(第7回)

テロによって政治を変えようとする動きが

  本格化していって、その黒幕にいたのが、田中光顕だった !


(www.snsi.jp/tops/kouhou/1690 より抜粋・転載)

「1399」鬼塚英昭(おにづか・ひであき)氏の『日本の本当の黒幕』(下)を読む。戦前の日本政治の闇を象徴する田中光顕(たなか・みつあき)という怪物を知る。
それは現在の日本政治を支配するヤクザたちを知ることでもある。
2013年9月1日、副島隆彦を囲む会の中田安彦(アルルの男・ヒロシ)です。
今日は2013年9月1日です。
◆維新の志士・田中光顕(たなか・みつあき)
★田中光顕への対応を誤ると、田中がやけっぱちになっていろいろなことをやりかねない !
★田中光顕は、三菱財閥や頭山満などの右翼の大物とも接点を持っている !
★田中光顕・宮内大臣をしたほどの男が「ヤクザ」とつながっていた !
★田中光顕の権力の源泉が、「三菱財閥」とのつながりにある !
★岩崎家には、田中光顕に贈るベき相当額の年金が家憲によって定められていた !
★宮内大臣を辞めた後の田中光顕が、右翼の大物の頭山満とも近くなった !
★財閥経営にも表と裏があって、裏の汚れ仕事を
引き受けたのはヤクザであり任侠である !
★田中光顕は、血盟団事件の実行犯である井上日召とも深い関係が有る !
★井上日召は、田中光顕に「謀反」をやるつもりであると話したことを書いている !
★田中光顕は、5.15事件や2.26事件の首謀者の助命嘆願をしていた !
★井上日召や小沼正が田中光顕の部下で合ったことは確かだ !
★井上日召は、国柱会の創始者・田中智学に敬服していた !
★田中智学は田中光顕にも影響を与えている !
★田中光顕は、ボスである山縣有朋が失脚した後もカネに不自由していない !
★田中光顕は、三菱の代理人として政界におけるフィクサーではないか ?
★田中光顕は、静岡県に2つの別荘を持っている !宝珠荘と古谿荘だ !
★東京都文京区・護国寺にある田中光顕の墓
★田中光顕は暗殺を恐れた、暗殺するに足りる秘密を抱えているから !
★実は、明治天皇は孝明天皇の皇子ではない !
◆『徹底的に日本歴史の誤謬を糾す』
◆『日本の本当の黒幕』:(上)102ページ:
★「明治天皇すり替え説」に関連する記述だ !
★イギリスの外交官が、「孝明天皇が暗殺された」ということを日記に書いた !
★長州の忍者部隊やそれと結んだ岩倉具視が孝明天皇を暗殺する可能性はある !
★明治維新というのは、どこの馬の骨かわからない若者を明治天皇にすり替えた ?
★鹿島昇は、睦仁と、明治天皇の身体的特徴や性格のあまりにも違う点を指摘した !
★田中光顕は、その期間に様々な「宮中の秘密」を見聞きした !
★田中光顕は、「宮家の縁談に骨折ったことは数限りない !
★田中光顕は、その期間に様々な「宮中の秘密」を見聞きした !
★田中光顕は、島津侯爵家の姫を久邇宮家に斡旋した !
★大正天皇の后である貞明皇后=九条節子の選定にも田中光顕が関わった !
★当時の日本の社会は、田中光顕によって支配されている !
★鬼塚英昭氏の主張:田中光顕は「皇室ゴロ」だ !
★「昭和宮中某重大事件」:田中光顕が仕掛けた牧野グループに対する権力闘争 !
★宮中の牧野グループや西園寺に対する、田中光顕のスキャンダル攻撃があった !
★国本社は、平沼騏一郎が設立した右翼団体で、戦前に思想弾圧を行った !
★田中光顕と頭山満、平沼騏一郎がともに連絡をとりあっている関係 !
★暴力団の元締めが、国家権力の中枢を支配していた !
★右翼暴力団を使って田中光顕はすきあらば牧野伸顕を暗殺しようとしていた !
★陸軍内、海軍内も軍閥化が進みつつあった !
★田中光顕は、皇道派の側に立って、昭和維新を断行するのを支援していた !

以上は前6回投稿済みです。以下はその続きです。


★牧野伸顕が 田中光顕の軍門に降って、枢密院議長に、右翼の平沼騏一郎が

   選任された !

 一木宮内大臣を失脚させるだけではなく、田中光顕は新聞を利用して、「内大臣廃止論」を発表している。牧野内大臣への権力闘争である。
鬼塚氏は牧野が二・二六事件で暗殺されなかったのは、田中との権力闘争において、牧野が軍門に降ったからだとしている。

その根拠として、枢密院議長人事において、西園寺が推した一木元宮内大臣(一九三四−三六)の後任に、右翼の平沼騏一郎が一九三六年三月に選ばれたことを上げている。


★右翼団体を動かしながら、宮中の枢要なポストを廃止しろと、言ってきたり、

   田中光顕は非常に恐ろしい人物だった !

 牧野や西園寺にとって、右翼団体を動かしながら、宮中の枢要なポストを廃止しろと、言ってきたり、息のかかった、平沼を押し込もうとした、田中光顕は非常に恐ろしい人物だっただろう。

 鬼塚氏は、田中光顕が右翼を使って宮中の乗っ取りを画策していることについて、『西園寺公と政局』(一九三四年十二月三〇日)の記述を根拠としている。この日の日記には、「例の国家改造運動、即ち田中光顕とか内田良平とか頭山満などを看板にしてやる右傾の大合同の合理的国家改造運動」の話が出てくる。

この中には大本教も入っており、この運動が「宮様内閣」を作る運動であることが述べられている。鬼塚氏は以下のようにこの日記の記述を更にわかりやすく解説する。
(引用開始)


★二・二六事件は、「右傾の大合同」による宮様内閣(秩父宮首班)を

    目的としたものだった !

 この運動が二・二六事件へと発展する。あの事件は、青年将校たちの反乱と見るべきではない。「右傾の大合同」による宮様内閣(秩父宮首班)を目的としたものだった。
田中光顕は、大日本生産党総裁並びに黒龍会主幹の内田良平、そして玄洋社の頭山満と内々に通じあい、大本教も含めた「右傾の大合同」の合理的国家改造運動を進めていたことが、この『原田日記』から理解できる。
『日本の本当の黒幕』(下)252ページ:(引用終わり)


★大本教という新興宗教も田中光顕の道具だったに過ぎない !

 要するに、2・26事件を「青年将校の思い」という視点で見ると大きく本質を見誤るということだろう。
大本教という新興宗教も田中光顕の道具だったに過ぎない。
明治維新のすべてを知る男、田中光顕は、宮中への影響力を保とうと、右翼団体まで動員して国家改造をしようとした。
明治維新の立役者が、昭和維新の黒幕でもあったという身も蓋もない話である。
感情的に暴走した若者をクーデターに駆り立てるのが黒幕の仕事である、ということを私はこの鬼塚本によって再確認した。


★テロによって政治を変えようとする動きが本格化していって、

  その黒幕にいたのが、田中光顕だった !

 世界大恐慌が始まる前後から、日本の政治に軍閥というものが入り込んできた。
これは軍隊における権力闘争の派閥であるが、同時に、それ以外にもそれぞれのシンパというものがいたということで、テロによって政治を変えようとする動きが本格化していって、その黒幕にいたのが、宮中を追い出されて、一時西園寺との権力闘争に敗れた田中光顕だったということである。そして、田中光顕は三菱マネーで動いていたという。


★三菱の岩崎一族の加藤高明やその外相の

    幣原喜重郎のような「対英米協調派」だった !

 そこで私はわからなくなったのだが、三菱といえば、もともと三菱の岩崎一族の加藤高明やその外相の幣原喜重郎のような「対英米協調派」ではなかったのか。
なぜそのような三菱が田中光顕を放っておいたのか。

鬼塚氏はこのへんの日本の権力闘争と大きな世界権力構造のつながりについてあまり説明しない。
というより、鬼塚氏は太田龍門下だから、ここはロスチャイルド黒幕説なのだ。

しかし、私は、それは一面的な見方であり、ロックフェラーとロスチャイルドの大財閥の闘いがあったと思う。
アメリカにおいても、1921年の外交問題評議会設立後しばらくするとロックフェラーの影響力が強くなっていくということを私は『世界を動かす人脈』などの自著で立証したから、鬼塚氏のロスチャイルド史観にはかなり違和感がある。

しかし、そのことは、国内勢力論だけを主に論じたこの『日本の本当の黒幕』を読んでいく際にはあまり支障にならななかった。
 現段階における私のこの問題に対する回答は、以下のようになる。 


★三菱とロックフェラー巨大財閥という

    関係はたしかに戦前においてもあった !

 三菱―ロックフェラーという関係はたしかに戦前においてもあっただろう。
しかし、アメリカのロックフェラー財閥といえども、日本に満州利権を独占させるつもりはなかったに違いない。
もともとアメリカが、太平洋進出したのは最終的には中国市場の門戸開放を果たさせるためだった。

 ところが、日本が行った大陸外交はアメリカの権益を脅かすものだった。
古くは、ハリマン財閥との満州鉄道日米共同経営の話を、小村寿太郎外相が蹴ったという事実がある。

日露戦争の終戦の仲介をアメリカのセオドア・ルーズベルトが行ったのも、日本を入り口に満州地方の権益を獲得し、当時の覇権国であったイギリスに対抗する狙いがあったのだと思う。

ハリマンの共同経営提案を日本が蹴った後も、1909年には米国務長官が「満州鉄道中立提案」というのを行っている。
 この時点で、日本の大陸政策と門戸開放主義を中心にする、アメリカ極東政策が、対立を始めており、日本が関東軍による、1931年の満州事変のより、満州国建国を目指すようになり、日本政府のコントロールが効かない状態になっていった。

翌年には、第一次上海事変が起きて、これも英米を含む列強の権益を脅かした。
満州事変に関するイギリスのロスチャイルド系のリットン卿による報告書は、日本に融和的なものであったが、日本はこれを受け入れなかった。

その後、日本は1933年に国際連盟を脱退して孤立化を始める。

―この続きは次回投稿します―

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
ペンネーム登録待ち板6掲示板  
次へ