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 自民党は、公明党との協議で、意図的に マッチポンプを繰り返している !
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/5334.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2015 年 12 月 21 日 18:56:06: jobfXtD4sqUBk
 


安保法制でゆらぐ公明党の平和の理念(4)

──森田実×中島岳志

自民党は、公明党との協議で、意図的にマッチポンプを繰り返している !

公明党の支持母体・創価学会・牧口初代会長・戸田理事長等への

戦時中・軍部権力による迫害・法難


(www.kinyobi.co.jp: 2015年7月16日3:25PMより抜粋・転載)

集団的自衛権の行使容認を含む戦争法案(安全保障関連法案)が7月16日午後の衆院本会議で、与党などの賛成多数により可決され、衆院を通過した。
憲法が骨抜きにされてしまう危険性をどう考えるのか。
自民党と連立している公明党は「平和の党」としての存在感を示しているのか。2015年4月17日号に掲載した緊急対談をネット公開する。


◆安保法制見直し派が優勢

◆森田さんと中島さん政権離脱論も

◆公明党が出している文章には、曖昧にごまかして
解釈の余地を持たせている部分がある !

◆実は、閣議決定の前に、公明党と創価学会内から
政権離脱論が出ていた !

以上は前3回投稿済みです。以下はその続きです。

◆自民党は、つり上げた要求を最初に出し、

最終的に譲歩したように見せかけるやり方です !

あるいは意図的にマッチポンプを繰り返している !

中島: 自民党は高めの球を投げて、その落としどころを探るやり方を取っています。
つり上げた要求を最初に出し、最終的に譲歩したように見せかけるやり方です。
公明党は、その手法にはまっている。
あるいは意図的にマッチポンプを繰り返している。「歯止めになった」という演出ができるからです。

昨年の閣議決定前、自民党は砂川判決と芦田修正論をセットでもってきました。
砂川判決は米軍基地を合憲と認めた(注4)もので、芦田修正論は、侵略以外の戦争が認められるという解釈の余地を憲法9条に付したものです。

9条の第1項には侵略戦争はしないという旨が書かれていて、第2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」としています。

砂川判決と芦田修正論をつなげると、憲法は侵略戦争をするための戦力保持・行使を禁じているだけで、個別的自衛権も集団的自衛権も禁じていないと解釈できる。
これに山口さんなどが強く反発し、落としどころとして1972年見解が出てきた。
でも、ここにもさまざまなほころびが生じています。


☆完全に自国防衛から離れた集団的自衛権

だが、公明党は明確な批判を避けている !

閣議決定の直後、安倍さんは、ホルムズ海峡の機雷除去はできると、発言したり、岸田文雄外相は、米軍に対する武力攻撃は、「新三要件」(注5)に当てはまる可能性が高いと言っています。

つまり、「米国が攻撃を受けたら一緒に闘います」ということです。
完全に自国防衛から離れた集団的自衛権ですが、公明党は明確な批判を避けている。


☆公明党が自民党に寄りすぎれば、学会員の支持は受けにくくなる !

森田: 今後は、日米ガイドラインとそれに基づく法律作りが勝負になってくる。
ここで「頑張れよ」と言いたい。
公明党が自民党に寄りすぎれば、学会員の支持は受けにくくなる。
今後の選択肢として、創価学会は公明党からもっと自由になるべきだとも思っています。


☆公明党は、創価学会に厳しい権力や勢力に

抱きついていくという傾向がある !

中島: 自民党がかつて池田名誉会長に対する証人喚問を要求したことがありました。
公明党は政治的に圧力をかけられたこうした歴史があるので、創価学会に対して厳しい態度を取る権力や勢力に抱きついていくという傾向がある。

昨年、大阪で起きた現象も同じです。大阪都構想をめぐって公明党と対立した橋下徹大阪市長が、都構想に協力しない場合は、次期衆院選で公明党が議席を持つ大阪府内の二つの選挙区に自身と松井一郎大阪府知事が対抗馬として出馬する意向を議会で示した。

これに対し公明党は、都構想についての住民投票を認める選択をしました。


☆このままでは、公明党をさらに自民党

の懐に入っていくようにさせるだけ !

森田: 公明党は、かなり甘く見られ始めています。「どこまででも付いていく」なんてことが新聞にも書かれてしまう。

支持者はやりきれないですよ。
こんな状態を阻止するためにも、公明党と創価学会を孤立させてはいけないと僕は思います。
このままでは、公明党をさらに自民党の懐に入っていくようにさせるだけ。
平和を希求するひとりの人間として、私たちは公明党を引き戻さなければならない。


☆自民党の懐に入っていく事に、末端メンバー

の悲痛な声をたくさん聞いてきました !

中島: 僕は、創価学会のみなさんは本当にこれでいいのかと訴えたい。
創価学会は牧口常三郎という初代のトップが獄中死して、そこから「平和」の理念を掲げてきた。

このままでは、平和運動を進めてきた創価学会および公明党の多くの人の人生が否定されてしまう。

末端メンバーの悲痛な声をたくさん聞いてきましたが、公明党幹部が、米国追随の集団的自衛権に邁進すれば、人生と信仰をかけて抗議してほしい。

いっしょに立ち上がってほしい。それが「人間革命」の王道なのではないでしょうか。

(注4)「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。
したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない」との判決が59年に最高裁でくだされた。

(注5)武力の行使の「新三要件」。昨年7月に閣議決定した日本が武力行使をする際に満たすべき要件。「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」
「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」。

まとめ、写真/渡部睦美・編集部

(2015年4月17日号、一部敬称略、おわり)

(参考資料)

牧口初代会長・戸田理事長等への戦時中・軍部権力による迫害・法難

@ 地元有力者や政治家からの迫害

牧口には、“教育にかかわりのない者が権力にものをいわせて教育に口を出すべきではない”という、一貫した強い信念があった。大物政治家は、前々から、それが面白くなかったようだ。
そこで、地元有力者の意向を聞き入れ、牧口を左遷する。権力におもねらず、信念を貫こうとすれば、迫害という嵐が競い起こる。それに負けぬ強さを持つことこそ、改革者の条件である[1]。


A 創価教育学会への国家権力からの迫害

創価教育学会の神社参拝拒否、神札の奉祀拒否の態度が、治安当局・特高刑事から監視されるようになった。起訴状によれば、牧口会長は、治安維持法違反と神宮に対する不敬罪で起訴されたことが記述されている[2]。

国家神道を宗教の正邪のうえから謗法として戒め、勇猛果敢に折伏を進める創価教育学会を、戦時中の当局が看過するはずがなかったのである。
戦時下にあっても、学会は折伏を展開し、入信に際しては神札などの謗法払いを厳格に行っていた。

そして、国家神道を根本にした政府のあり方は間違いであることを主張して譲らなかったのである。
当時、学会は、会員数3000人ほどの、まだ小さな教団にすぎなった。

しかし、当局は、牧口常三郎が、国家、社会の建設のために「教育改造」を掲げ、その根本的な方途が日蓮大聖人の仏法にあるとしていることに、警戒心を強めていったようだ。

軍国主義政府に、創価教育学会を襲った。学会の、あの神札の拒否が、弾圧を決定的なものにしたのである。
7月6日、牧口常三郎、戸田城聖らが逮捕され、翌年3月までには、学会の検挙者は21名にのぼった[3]。
牧口はこの逮捕を、国家諫暁の好機であるととらえていた。
取り調べの場は、さながら折伏、弘法の観を呈した[4]。


B日蓮正宗総本山は保身のため牧口会長を「信徒除名処分」!

戦時中、日蓮正宗・僧侶・小笠原慈聞(おがさわらじもん)は、自らが宗門の権限を握ろうとする策謀実現のために、宗門の維新を断行せよと、軍国主義・国家権力を楯にして、宗務院当局弾劾の叫びをあげていた。小笠原慈聞一派は、「不敬罪」で、大石寺を警視庁へ訴えていた。

この「小笠原慈聞の告訴」が創価教育学会への弾圧・投獄の発端となった[5]。

日蓮正宗首脳は、昭和18(1943)年6月、ついに神札受諾を公的に徹底する方針を固め、それに頑強に抵抗していた牧口会長と創価教育学会幹部を大石寺に呼び、当時の法主・日恭の立会いのもと、創価教育学会も神札を祀るように命じた。

牧口会長はその受諾は、日蓮大聖人の仏法に背くものであると考えて、「神札は、絶対に受けません」と厳然と拒否した[6]。

一方、日蓮正宗・宗務院は、弾圧を恐れ、国家神道に迎合し、御書の発行を禁止したり、勤行の御観念文を、天照大神を異様に尊崇したり、「皇国守護」の文言を入れる、など改変したりした。

牧口会長は、逮捕される一週間前、再度総本山・大石寺へ行って、教義改変の方針を変更するように厳重に抗議したが、総本山は聞きいれず、弾圧から身を守るため、逆に牧口を
「登山停止」「信徒除名処分」にした[7]。


C過酷な獄中でも国家神道・侵略戦争の誤りを正した、牧口会長等の信念 !

戦時中の獄中は、冬でも暖房・冬用の布団の差し入れを許されず、指も凍傷にかかるほど、極寒であった。冷蔵庫の中での生活のように寒かった。
食事は、コウリャンの混じったご飯と塩水のような味噌汁・タクアン程度の粗食であった[8]。 
そのような過酷な獄中で、70代の高齢の牧口常三郎は、いささかも節を曲げることなく、堂々と国家神道の誤りを正した。

そして、昭和19年11月18日、73歳で、巣鴨の東京拘置所で獄死したのである。

粗食で痩せ細った、戸田城聖は、獄中で看守等から4回激しい暴行を受けた。ある時は、狂気の看守から、麻縄をムチにして、背中を二十数回もなぐられた。

牧口の殉教、そして、牧口同様戦時下の過酷な環境・食事状況で、戸田の2年間に及ぶ不退転の獄中生活は、信教の自由のための権力との壮絶な戦いであり、創価学会が、日蓮大聖人の仏法の正法正義を守り抜いた永遠不滅の刻印となった[9]。


[1] 聖教新聞2012年5月24日号3面。
[2] 宮田幸一監修・第三文明社編『牧口常三郎獄中の闘い』第三文明社2001年、35〜38頁。
[3] 池田大作『人間革命第11巻』聖教新聞社1992年、314頁。
[4] 前掲書『人間革命第11巻』、315頁。
[5] 池田大作『人間革命第6巻』聖教新聞社1971年、185〜187頁。
[6] 前掲書『牧口常三郎獄中の闘い』36頁。
[7]  前掲書『牧口常三郎獄中の闘い』24~36頁。
[8]  前掲書『牧口常三郎獄中の闘い』46〜47頁。
[9] 前掲書『人間革命第11巻』、318頁。

 

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