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朝ドラ:『あさが来た』の 大久保利通が暗殺された理由とは?
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/5392.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2016 年 1 月 01 日 15:12:55: jobfXtD4sqUBk
 


朝ドラ:『あさが来た』の大久保利通が暗殺された理由とは?

安倍・町村の派閥・自民党清和会の源流は ?


(historivia.comより抜粋・転載)


◆不平士族6名による暗殺で、 大久保利通死亡 !

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維新の三傑にも数えられる薩摩藩出身の維新志士・大久保利通。
維新の三傑のうちもっとも長く生き、明治新政府の発展に尽力した大久保でしたが、1878年に不平士族6名による暗殺という形でその生涯に幕を閉じました。
なぜ、大久保は暗殺されてしまったのでしょうか。


◆大久保利通の終焉の地・紀尾井坂

大久保が暗殺されたのは1878年5月14日、紀尾井坂でのことです。紀尾井坂は現在の参議院清水谷議員宿舎前の坂です。
霞が関の自邸を出て、明治天皇に謁見するため赤坂の仮皇居に向かっていたところでした。
乗っていた馬車から引きずりおろされ、惨殺された大久保の遺体の首に刺さっていた日本刀は地面にまで突き刺さっていたそうです。

16あった傷の半数は頭部に集中していたと記録されていて、「顔も見たくない」というような憎しみに似た恨みが感じられます。

その壮絶な現場を郵便制度の成立に尽力した前島密は「肉飛び骨砕け、又頭蓋裂けて脳の猶微動するを見る」と表現しており、明治新政府に対する不満を視覚的に受け止めることとなったのです。
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◆実行犯と黒幕は?

暗殺の実行犯は石川県士族の島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一・杉村文一、島根県士族の浅井寿篤の6人です。
うち中心となったのは島田一郎とされています。陸軍で中尉にまで昇進した人物でした。
こうした中で、黒幕は西郷隆盛の関係者ではないかという説があるそうです。

その理由は、島田らの暗殺予定のメンバーに川路利良の名前があったからでした。
島田らは大久保を含め明治政府の高官7人の暗殺を計画していました。
7人というのは、木戸孝允、岩倉具視、大隈重信、伊藤博文、黒田清隆、そして川路利良です。

木戸孝允、岩倉具視は維新を主導した人物であり、大隈・伊藤・黒田は内閣総理大臣も勤めた人物です。

それに対して、川路利良というのは一般にあまり知られていないのではないでしょうか。
川路は初代大警視(警視総監)を務め、「日本警察の父」と呼ばれた人物です。
確かに政府高官といえるかもしれませんが、他と比べると一歩及ばない気がします。

なぜ川路が暗殺対象者となったのか。西郷隆盛関係者を黒幕とする説では、その理由を川路が西南戦争前に西郷隆盛暗殺団を鹿児島に派遣したからと考えているようです。
Toshiyoshi_Kawaji

◆大久保利通・暗殺の理由は ?

暗殺犯である島田らが大久保を暗殺する際に持っていた斬奸状(暗殺する理由を書いた文書)にはその理由としておもに次の5点を挙げています。
国会も憲法も開設せず民権を抑圧している。

法令の朝令暮改が激しく、また官吏の登用に情実・コネが使われている。
不要な土木事業・建築により国費を無駄使いしている。
国を思う志士を排斥して内乱を引き起こした。

外国との条約改正を遂行せず国威を貶めている。
大久保が暗殺された1878というのは、1877年に起こった西南戦争で政府軍を指揮したばかりで、そうしたことが4に記されているものと思われます。


◆人望の厚かった西郷隆盛を敵にまわし、さらには自刃に追い込んだことで、

  地元薩摩からも冷たく評価されていた !

また、人望の厚かった西郷隆盛を敵にまわし、さらには自刃に追い込んだことで、地元薩摩からも冷たく評価され、近年まで地元への納骨すら避けられていたようです。

1873年から大久保が暗殺される1878年までというのは、大久保による独裁政治ともいわれる状況が生まれていました。

特に、征韓論をはねのけ、西郷らが下野することとなったことで、不平士族の不満はすべて大久保に向かっていたといえるでしょう。

暗殺理由として挙げられた事項を見ると、条約改正など大久保だけではどうすることもできなかったことも含まれており、内情をしらない”やっかみ”を一身に受けてしまった印象です。


◆独裁か、孤独か ?

1878年の明治政府は「有司専制」と呼ばれる寡頭政治がおこなわれており、その中心となった大久保の独裁色が強かったのは確かです。

しかしながら、1877年に木戸孝允、西郷隆盛という同志を失った大久保は孤軍奮闘していたのではなかったでしょうか。

決して顔色を変えることなく、冷徹に政治を推し進める大久保は内外に敵も多かったことでしょう。

そのオーラに圧倒され、周囲は意見することすらできなかったそうです。
大久保が暗殺時泣きわめきながら逃げ回ったという話がまことしやかにうわさされたことも、大久保に対する何者かの悪意を感じさせます。

しかしながら、大久保は暗殺された日の朝、福島県令・山吉盛典に「三十年計画」を語っています。

これは明治元年から30年までを「創業期」・「内治整理・殖産興業期」「後継者による守成期」の3期に分けたもので、自分は第2期まで力を注ぎたいと抱負を述べたそうです。

後継者が育つまでは、木戸や西郷らとともに作り上げた新政府を守り抜かなければならない。
大久保の「独裁」にはそんな思いがあったからではなかったでしょうか。

暗殺当日も大久保の懐には西郷からの手紙があったそうです。
そんな大久保を暗殺した黒幕が西郷隆盛の関係者だとしたら、あまりに悲しいことです。


(参考資料)

自民党清和会(安倍・町村の派閥)の源流。

(ブログ「心に青雲」より抜粋転載)

1)長州藩の正体(日本人が知らない「人類支配者」の正体)!

    欧州巨大財閥に徹底利用された長州藩 !

太田竜: 長州藩が幕末から平成の今に至るまで強固な支配体制を維持している理由は、日本の政治
では非常に異質な「忍者・諜報」機関が背後にいたということだと考えられるのです。
そんな国家は日本には他に存在しませんでした。

それは英国というかヴェネチアの国家に非常によく似ているのです。国家の中心が諜報機関なのです。そういうふうなシステムが毛利藩に継承されていきます。というのは長州をつくった毛利元就(1497〜1571)は最初は小さな勢力でした。

ところが、いまの中国地方10力国を支配するような大大名にのし上がったのです。
それはもっぱら諜報と謀略活動で大きくなったのです。豊臣秀吉も似ていますが、それとは違います。

そのような性質を持った毛利藩が関ヶ原の戦で負けて小藩になります。

しかし諜報機関は維持されて、「忍者集団」になります。そのトップが「上忍」で、「中忍」「下忍」などのシステムができあがります。

そういうシステムこそ英国の国家、諜報機関、秘密結社・フリーメーソンと非常に相性がよかったと思われるのです(笑)。そして公然と、孝明天皇を弑逆して息子の睦仁天皇も殺す、それを平然と行なうわけです。

しかも、すり替えして隠蔽しきるという、日本のなかでは異質な手段を用います。
そういうところでは、薩摩は長州の敵ではありません。グラバーの世話で長州の伊藤博文以下5人がロンドンに留学します。薩摩も同じようにグラバーを通じて続々とヨーロッパに留学して、そこでフリーメーソンになって帰って来た人物がたくさんいます。

しかし、権力の中枢は長州藩にあって、薩摩の方は、下位に過ぎなかったのです。
しかも、長州の諜報機関、忍者集団出身の権力中枢の連中は、薩摩を蹴落とすために「分裂させる」わけです。大久保利通(1830〜78)と西郷隆盛(1827〜77)を分裂させて、西郷派を一掃すると、薩摩の勢力は半分くらいなくなってしまいました。

さらにその次は、大久保利通を消してしまうのです。大久保を「暗殺」したのは島田一郎という加賀藩の人物でしたが、その動きは長州側が察知していて、彼を泳がせて大久保を暗殺させました。
だからその「主犯は木戸孝允と伊藤博文」なのです。これは鹿島さんが書いています。

そういう諜報と謀略能力は、長州のほうが日本の他の藩とか勢力に比べて段違いに勝っていたのです。

しかし、そういう諜報能力と謀略の力は英国のフリーメーソン、イルミナティのレペルと比べるとはるかに劣っているので立ち行かなくなってしまいます。


2) 西郷隆盛は、明治天皇すり替え事件を知っていた !

太田 薩摩の西郷隆盛は日本の侍の典型ともいえる存在です。たびたびフリーメーソンから誘われますが、西郷さんはそれを拒否します。そこで、言うことを聞かないために西郷さんを処分するようなシナリオが書かれて、実行されたのです。

西郷さんは孝明天皇弑逆事件の前後についても、「フリーメーソンの謀略」であるということを
知っていたのです。もちろん大室寅之祐のすり替えの真相も知っていました。


3)権力者が捏造した教科書的歴史

―学校・マスコミ・人気作家の教えた歴史―

西郷隆盛は、韓国・中国と協調して、西洋の横暴と戦う主張なので抹殺 !

(真相を述べた後)――長州と大久保一派がつくった歴史では「まったく逆」になっています。
「征韓論」論争がそれです。なぜ大久保と木戸の一派が、強硬に西郷を韓国に派遣することを阻止したかというと、単に彼らの考えではなく、背後に「英国・フリーメーソン」の支配と指示があったからなのです。

 つまり、フリーメーソン・イルミナティの東アジアに対する「基本的政策」は、数百年来、中国と日本と韓国の3つの国を、「絶対団結させてはならない」という基本方針があったからなのです。これはいまに至るまで変更されていません。

西洋に対して、この3カ国をそれぞれ分裂させてお互いに争わせ、殺し合いさせ、憎しみを掻き立てる、そういうふうに「分断する」というのが基本方針です。

  この方針を知っていた、西郷隆盛は、「自分は韓国に行ってよく話し合って、一緒に西洋と戦おう」と言いに行こうとしたのです。それができたら次は北京に行って、清国の政府とも話し合いたいと公言しています。 そんなことは絶対許さないはずです。

フリーメーソン・イルミナティからすれば、西郷隆盛はその当時におけるアジアのもっとも危険な人物だったのです。

「あらゆる力を行使して、西郷を潰せ」という彼らの命令を実行し、真実の歴史を隠したのが、フリーメンソンの子分・大久保利通と長州勢だったのです。

 

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