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日本サッカーのシンボルマークは朝鮮・高句麗の国旗と同じだ!
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投稿者 まさおっち 日時 2010 年 8 月 11 日 08:33:52: 8kFKeflCe6SZ2
 

日本サッカーのシンボルマークの三足烏、韓国ドラマの大好きなぼくは、朝鮮が高句麗時代に天孫の象徴として崇めて、三足烏を国旗として他国と戦っていたのを知っている。あれれ、三足烏は言ってみれば韓国の古くからの象徴なのに、なんで日本サッカーのシンボルマークなのか?日本戦の胸のシンボルマークを観て韓国人は笑っていたんじゃないだろうか。疑問にもったぼくはちょっと調べてみた。そうすると、日本に初めてサッカーを紹介したのが中村覚之助さんで、その人の出身地が和歌山県の熊野。それで日本にサッカー協会ができた10周年の1931年(昭和6年)に、そこにある熊野神社の神鳥の三足烏(日本では・やたがらす)をシンボルマークにしたそうだ。やたがらすとは、日本神話で、神武天皇が東征の際に、熊野国から大和国への道案内をした烏とされている。ところが、朝鮮・高句麗が三足烏を天孫の象徴にしていたのはそれ以前のことである。そしてさらに遡ってみると、この三足烏は、中国・前漢(約2200年前)の古典「推南子」で、太陽の黒点を三本足の烏とみたてたのが最初と言われている。つまるところ、三足烏は「日の神」の象徴として、中国から朝鮮半島に、そしてさらに日本に伝わったものらしい。だから時代的にみて、大和朝廷の礎となったのは朝鮮・高句麗滅亡時の渡来人によるものという可能性もあるし、民主党小沢前幹事長が韓国の講演で「日本の天皇の祖先は朝鮮という説もある」と言って右翼から反発を食らったが、あながち当たっているかも知れない。いずれにしても三足烏は、高句麗の末裔が日本に来て、崇めていたのが、やがて熊野神社となり、和歌山の熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大神)が全国2000の熊野神社にまで広がったものと思われる。つまるところ四千年の歴史を持つ中国文明が朝鮮列島に文化をもたらし、さらに日本にも多大な影響を与えたわけで、韓国の時代劇ドラマを観ていると、日本古来の文化だと思っていたものが、似たようなもので沢山出てくる。まあ、アジアは一つ、ひいては世界は一つということでしょうか。ただ、昭和6年当時、サッカー協会の人もまさか朝鮮・高句麗の国旗が三足烏だったとは知らなかったので日本サッカーのシンボルマークにしたのでしょう。けれど国際化の今では、三足烏は高句麗の象徴・国旗として余りにも有名で、日本のシンボルマークとするのはいかがなものかと思いまするが・・。  

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コメント
 
01. 管理人さん 2010年8月11日 20:58:02: Master
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