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   戦時中、迫害された人の訴え:捜査当局は、市民への監視を強める可能性大だ !
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/8115.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2017 年 5 月 28 日 18:47:05: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


捜査当局は、市民への監視を強める可能性大だ !

「共謀罪は廃案に…」  戦時中、特高に半殺しにされた被害者の訴え !

  17年超、自民党を全国支援・連立する、公明党の支持母体

   ・創価学会への戦時中の迫害・弾圧は ?

治安維持法による犠牲者等の状況は ?

作家・小林多喜二氏の闘いと虐殺は ?

米国の日本占領政策と戦後日本・自民党体制の真相 !


(www.nikkan-gendai.com:2017年5月12日より抜粋・転載)

◆杉浦正男氏:特高に治安維持法違反で逮捕され、

   激しい拷問と人権侵害を受けた !

 与党が強行採決を視野に成立をもくろむ「共謀罪」は「平成の治安維持法」と呼ばれる。多くの国民は治安維持法について歴史書で学んだことはあっても、どれほど人権を無視したヒドイ法律だったのか実感がわかないだろう。だが、かつて特高(特別高等警察)に治安維持法違反で逮捕され、激しい拷問と人権侵害を受けた人物がいる。
今年8月に103歳を迎える杉浦正男氏=船橋市=だ。

「共謀罪は治安維持法と同じ。絶対に成立させてはならない」と訴える杉浦氏にあらためて聞いた。

◆戦時中、どのような状況で逮捕されたのか ?

――いつ、どのような状況で逮捕されたのですか。

 1942年11月の夜、都内の家で妻と夕食を食べていると、突然、神奈川県警察部の2人の特高がやってきて、「聞きたいことがある」と外に連れ出されました。不安な表情で私を見つめる妻らに対し、特高は「なあに、すぐに帰れますから」と穏やかな表情で語っていたのですが、警察の建物内に入った途端、態度が一変しました。道場に連れて行かれ、「今、戦地では兵隊さんが命懸けで戦っているのに、貴様ら共産主義活動をしやがって。

国賊め。貴様らを叩き殺したっていいことになっているんだ」と5人の特高から竹刀でメッタ打ちされました。髪を掴まれて引きずり回され、半殺し状態です。この体験は今も忘れません。

◆どんな活動が治安維持法に触れるとされたのか ?

  ―どんな活動が治安維持法に触れるとされたのでしょうか。

 当時は第2次世界大戦が始まったころで、日本の支配階級は国民を戦争に動員するため、大政翼賛会や(労使一体の官製労組である)産業報国会をつくる一方、既存の労働組合を強制的に解散させていました。

私は当時、中小印刷業の労働者でつくる親睦団体「出版工クラブ」で活動していたのですが、当局はクラブを解散しないと幹部を逮捕すると脅してきました。しかし、解散しなかったために目を付けられたのです。

◆戦前の治安維持法と共謀罪の共通点はどこか ?

――治安維持法と共謀罪の共通点はどこでしょうか。

 当局が、都合が悪いと判断すれば、市民弾圧が容易に可能になることです。治安維持法は、大学への弾圧から始まり、労働運動、文化・芸能活動へと対象が広がりました。支配層にとって際限なく権限を拡大し、弾圧する武器になるのです。

しかも再犯させないため、との理由で刑を終えた人を再び獄中に閉じ込めた。そうやって、民主的な運動は、徹底的に抑え込まれ、苦しめられました。
あの悲惨な状況を繰り返してはなりません。

◆共謀罪が成立すると、どうなるか ?

――共謀罪が成立すると、どうなると思いますか。

☆違法の判断をする、捜査当局は、市民への監視を強める可能性大だ !

 法律ができると、それを実行する機関がつくられる。治安維持法でも、法律に触れるか触れないかを判断するのが、捜査当局になり、彼らは市民監視を強めました。共謀罪が成立すれば、かつての特高に当たる組織がつくられ、法律違反かどうかを(恣意的に)判断することになるでしょう。

また、共謀罪の規定には「実行に着手する前に自首した者は、その刑を軽減し、又は減免する」とあります。治安維持法にも同様の規定があり、国民同士が監視、密告するようになりました。

社会全体が、物言えぬ萎縮した雰囲気になったのです。多くの国民は、共謀罪の本質をよく知らないでしょうが、何としてもこの悪法を廃案に追い込まなければなりません。
これは治安維持法の犠牲者であった私の心からの願いです。

(参考資料)

  17年超、自民党を全国支援・連立する、公明党の支持母体

・創価学会への戦時中の迫害・弾圧は ?

   治安維持法等による国民の被害状況は ?


T 牧口初代会長・戸田理事長等への戦時中・軍部権力による法難

@ 地元有力者や政治家からの迫害

牧口には、“教育にかかわりのない者が権力にものをいわせて教育に口を出すべきではない”という、一貫した強い信念があった。

大物政治家は、前々から、それが面白くなかったようだ。そこで、地元有力者の意向を聞き入れ、牧口を左遷する。権力におもねらず、信念を貫こうとすれば、迫害という嵐が競い起こる。それに負けぬ強さを持つことこそ、改革者の条件である。

A 創価教育学会への国家権力からの迫害

創価教育学会の神社参拝拒否、神札の奉祀拒否の態度が、治安当局・特高刑事から監視されるようになった。起訴状によれば、牧口会長は、治安維持法違反と神宮に対する不敬罪で起訴されたことが記述されている。

国家神道を宗教の正邪のうえから謗法として戒め、勇猛果敢に折伏を進める創価教育学会を、戦時中の当局が看過するはずがなかったのである。戦時下にあっても、学会は折伏を展開し、入信に際しては神札などの謗法払いを厳格に行っていた。

そして、中国等への侵略戦争に反対し、国家神道を根本にした政府のあり方は間違いであることを主張して譲らなかったのである。

戦時中当時、創価教育学会は、会員数3000人ほどの、まだ小さな教団にすぎなった。
しかし、当局は、牧口常三郎が、国家、社会の建設のために「教育改造」を掲げ、その根本的な方途が日蓮大聖人の仏法にあるとしていることに、警戒心を強めていったようだ。

軍国主義政府に、創価教育学会を襲った。
創価教育学会の、あの神札の拒否が、弾圧を決定的なものにしたのである。
7月6日、牧口常三郎、戸田城聖らが逮捕され、翌年3月までには、創価教育学会の検挙者は21名にのぼった。

牧口はこの逮捕を、国家諫暁の好機であるととらえていた。
取り調べの場は、さながら折伏、弘法の観を呈した。

B日蓮正宗総本山は保身のため牧口会長を「信徒除名処分」!

戦時中、日蓮正宗・僧侶・小笠原慈聞(おがさわらじもん)は、自らが宗門の権限を握ろうとする策謀実現のために、宗門の維新を断行せよと、軍国主義・国家権力を楯にして、宗務院当局弾劾の叫びをあげていた。小笠原慈聞一派は、「不敬罪」で、大石寺を警視庁へ訴えていた。

この「小笠原慈聞の告訴」が創価教育学会への弾圧・投獄の発端となった。
日蓮正宗首脳は、昭和18(1943)年6月、ついに神札受諾を公的に徹底する方針を固め、それに頑強に抵抗していた牧口会長と創価教育学会幹部を大石寺に呼び、当時の法主・日恭の立会いのもと、創価教育学会も神札を祀るように命じた。

牧口会長はその受諾は、日蓮大聖人の仏法に背くものであると考えて、「神札は、絶対に受けません」と厳然と拒否した。

一方、日蓮正宗・宗務院は、弾圧を恐れ、国家神道に迎合し、御書の発行を禁止したり、勤行の御観念文を、天照大神を異様に尊崇したり、「皇国守護」の文言を入れる、など改変したりした。

牧口会長は、逮捕される一週間前、再度総本山・大石寺へ行って、教義改変の方針を変更するように厳重に抗議したが、総本山は聞きいれず、弾圧から身を守るため、逆に牧口を「登山停止」「信徒除名処分」にした。


C過酷な獄中でも国家神道・中国等への侵略戦争の誤り

  を正した、牧口会長等の信念 !

戦時中の獄中は、冬でも暖房・冬用の布団の差し入れを許されず、指も凍傷にかかるほど、極寒であった。冷蔵庫の中での生活のように寒かった。食事は、コウリャンの混じったご飯と塩水のような味噌汁・タクアン程度の粗食であった。 

そのような過酷な獄中で、70代の高齢の牧口常三郎は、いささかも節を曲げることなく、堂々と国家神道の誤りを正した。そして、昭和19年11月18日、73歳で、巣鴨の東京拘置所で獄死したのである。粗食で痩せ細った、戸田城聖は、獄中で看守等から4回激しい暴行を受けた。ある時は、狂気の看守から、麻縄をムチにして、背中を二十数回もなぐられた。

牧口の殉教、そして、牧口同様戦時下の過酷な環境・食事状況で、戸田の2年間に及ぶ不退転の獄中生活は、信教の自由のための権力との壮絶な戦いであり、創価学会が、日蓮大聖人の仏法の正法正義を守り抜いた永遠不滅の刻印となった。

U 治安維持法による犠牲者等の状況

−180回国会 請願の要旨−

(www.sangiin.go.jp より抜粋・転載)

新件番号 1035 件名 治安維持法犠牲者に対する国家賠償法の制定に関する請願
要旨  戦前、天皇制政治の下で主権在民を唱え、侵略戦争に反対したために、治安維持法で弾圧され、多くの国民が犠牲を被った。治安維持法が制定された一九二五年から廃止されるまでの二十年間に、逮捕者数十万人、送検された人七万五千六百八十一人、虐殺された人九十人、拷問、虐待などによる獄死千六百人余、実刑五千百六十二人に上っている。

戦後、治安維持法は、日本がポツダム宣言を受諾したことにより、政治的自由の弾圧と人道に反する悪法として廃止されたが、その犠牲者に対して政府は謝罪も賠償もしていない。ドイツでは連邦補償法で、ナチスの犠牲者に謝罪し賠償している。

イタリアでも、国家賠償法で反ファシスト政治犯に終身年金を支給している。アメリカやカナダでも、第二次世界大戦中、強制収容した日系市民に対し、一九八八年に市民的自由法を制定し約二万ドルないし二万千ドル(約二百五十万円)を支払い、大統領や政府が謝罪している。韓国では、治安維持法犠牲者を愛国者として表彰し、犠牲者に年金を支給している。日本弁護士連合会主催の人権擁護大会(一九九三年)は、「治安維持法犠牲者は日本の軍国主義に抵抗し、戦争に反対した者として…その行為は高く評価されなければならない」と指摘し、補償を求めている。

V 作家・小林多喜二氏の闘いと虐殺 !

 「蟹工船」「党生活者」などの作品で知られるプロレタリア作家、小林多喜二が、スパイの密告により東京赤坂の路上で逮捕されたのは1933年2月20日のことだった。それから7時間後の午後7時45分、彼は特高警察の拷問により絶命した。青黒く腫れ上がった死体の全身には無数の傷跡が残されていた。享年29歳だった。

 検察・警察は死因を「心臓マヒ」と発表。解剖を妨害し、通夜・告別式の参会者全員を検挙した。拷問による虐殺の事実を隠ぺいする一方、特高はその後の「横浜事件」など多くの弾圧で「小林多喜二の二の舞を覚悟しろ」という恫喝を行ない、拷問による「自白」デッチあげと転向強要を繰り返した。

 彼の最初の作品「一九二八年三月一五日」は、同年同日に強行された共産党員の一斉検挙=3・15事件を題材としたものだった。北海道で銀行員として勤務しながらプロレタリア文学運動に参加し小説を書き始めていた彼は、小樽での弾圧と拷問の実態を目の当たりにし、「この事こそ書かねばならない。書いて、彼奴等の前に叩きつけ、あらゆる大衆を憤激に駆り立てなければならない」と決意。

虐殺されるまでの5年間に、検閲や度重なる発禁処分と対決しながら多くの作品を発表し、労働者・人民に強いられた搾取と貧困、その中から決起する労働者の闘いに襲いかかる治安維持法弾圧の実態を赤裸々に暴露した。特高警察はこの闘いに恐怖し、憎しみを込めて数時間にわたる拷問を加え続け、彼を虐殺したのである。


W 米国の日本占領政策と戦後日本・自民党体制の真相 !

1 対米隷属自民党体制:

米国の支援をバックに自民党一党支配体制を構築 !

1)逆コースの占領政策:右翼・米国の支援で、対米隷属・保守政党の結成。
2)アメリカの資金提供等で長期政権を実現

2  米国による日本支配の手駒は、
  「戦犯」、「検察」、「マスメディア」 !

1) 逆コースの占領政策:戦犯を対米従属の政治家・官僚・マスコミ
     ・右翼の大物に復活させる

2)「CIAの対日工作員」が幹部になる、検察。東京地検特捜部の前身は、
    GHQ(米国)が作った組織。

3)日本の裁判所と裁判官の暗黒の実態

   最高裁は、裁判官を憲法違反の統制をしている。最高裁のウラ金とウラ取引
   日本の第一審有罪率は、99.9%(事実上世界一)の非民主的・異常な司法界。

   ちなみに先進諸国の第一審有罪率の平均は、約70%である。

   安倍政権は、人事権を使って、検察・裁判官を支配する、独裁政治を実行。

 

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