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埼玉県 入間市でも小さなデモをやるぞ!
http://www.asyura2.com/10/senkyo100/msg/212.html
投稿者 天橋立の愚痴人間 日時 2010 年 11 月 22 日 15:47:15: l4kCIkFZHQm9g
 

大阪御堂筋デモの支援を頂いた田中のおっさん(デモ隊の脇でチラシを配り歩いていた)が地元埼玉でデモをやるらしい。
一人でもやると言っていたが、どうやら仲間も集まったようだ。
市民が訴える「大阪宣言」の会もこぞって応援するぞ。

まだ少し先の話ではあるが、田中のおっさんを頼むぞ。


人口10万の地方都市、入間でも、以下の通り「とーちゃんかーちゃん、じじばば」デモを行います。

どうか、よろしく。


●日時と場所

12/19(日)
彩の森公園(西武線入間市駅より徒歩10分)
12:30pm集合
13:00pm出発
丸井の前を通り、入間市駅。その後、国道299より入間川河川敷の市民運動公園(仏子駅へ徒歩8分)でさみだれ懇親の予定。

●発起人(11/22現在)

高杉晋吾(入間在住のジャーナリスト。77歳)
田中洌(入間在住、自営。67歳)
多智康雄(入間在住、読売新聞配達員。58歳)
大貫達雄(入間在住、元ホームレスで現在生活保護受給者。77歳)
伊勢元洋子(入間在住、スーパーのマネキン試食宣伝・派遣労働者。51歳)


●雨天決行。
にーちゃん、ねーちゃんも是非どうぞ。
子連れ、身障者も熱烈歓迎!●


問い合わせ、助っ人、参加者は

田中洌まで

〒358−0054
入間市野田712−3
04−2932−4828


公式ブログは「権力とマスコミの横暴を正し、人権を守る国民の会」入間支部http://blog.goo.ne.jp/uhi36845-002

 

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コメント
 
01. 天橋立の愚痴人間 2010年11月22日 15:55:55: l4kCIkFZHQm9g : PRpi15oE1I
大都市で騒ぐばかりが能じゃない。
小さな入間市へ全国動員をかけよう。

そんで入間市を根こそぎ仲間にしよう。
吃驚こかせてやろう。

それも大事な展開だ!

田中さんよ、受け入れ大丈夫か!


02. 2010年11月22日 16:12:51: FzQmk3ADdQ
選挙もデモも川上の小さな町からしましょう。
小さな町で千人のデモならニュースになります。

03. 2010年11月22日 16:27:24: tr272icZTM
小さな市民感覚の言動が国政を動かす起爆剤になる。

頑張ってください。


04. 2010年11月22日 16:38:02: z90EoDP2kQ
今大阪のデモの声聞いています。小沢真っ黒と聞こえます。 何とかして下さい。

05. 2010年11月22日 17:19:52: 71rUTPNrjE
天の橋立てさん
いつもありがとうございます。

全国に輪が広がってきますね。
最初は小さな動きでもやはり正しいことは
必ず人々に伝わります。
名もない市井の人々がネットで同じ目的で
集い行動する。

地殻変動は間違いなく起きています。
小沢氏がさらにパワーアップして
戻ってきます。


06. 2010年11月22日 18:36:15: suTTFOUbRQ
(大阪デモに参加して)
04さんの仰るとおり
「真っ黒」や「真っ白」では、道行く人は分かりづらいと思いました。
また、何のデモか分かりにくいのではと思いました。
「小沢さんに仕事をさせろ」「小沢さんは真っ白だ」コールだけで
よいのではと思いました。

「可視化」や「マスコミの偏向報道」をコールしたところで、
道行く方には余り理解してもらえないような気がしました。

なお、道行く人に「ビラ」を渡しているのを観察したところ、
殆どの方は、読んでくれていたように思います。

それにしても、大阪デモに参加して、僕も小沢信者ですが
僕以上に熱心な方が沢山おられ、感動した次第です。

今日のフジテレビで、次期首相に相応しい人に
小沢さんがトップでした。
やっぱり、ここにきて全国的なデモが効きつつあるような
気がしました。
入間市の皆さん、頑張ってください。



07. 2010年11月22日 20:13:45: U5Ili9YApU
北海道人です。
いけませんが応援しています。
関東周辺の方々、埼玉に集合し、ぜひとも小沢総理を実現させてください。
そして郵政法案を通し、派遣法を改正し、ネオコンを蹴散らし
亀井さんの成立させた『中小企業金融円滑化法案』期限を延期させてください。

08. 2010年11月22日 22:50:31: hBHSdPymeI
入間のデモが終わったら、次は浦和に進出してください。

09. 地には平和を 2010年11月22日 23:29:01: inzCOfyMQ6IpM : c1ZtIQim3w
田中さんはすごい人だ。大阪のデモの後二人で飲んだから言う。田中さんはホームレスに頼られるような人なんだ。心から尊敬する。私なんかネットでグチグチ書いて来ただけだ。言葉も大事だが行動でその人となりは分かるだろう。田中さんに兵庫県西宮市のデモを来年1月頃に開催する事を誓った。のび太君も協力してくれると昨日名古屋で言ってくれた。(のび太君勝手に書いてゴメンなさい。)大阪デモに参加してくれた方の中で西宮市に住んでいる方は是非協力して欲しい。小さくてもいい。手作りデモをやりましょう。デモをするという事の敷居を低くしよう。言いたい事があったらデモで訴えるという文化を作ろう。その内、面白そうだと思って若者も集まってくるだろう。15歳ののび太君はその先例だ。本当に有り難い事だ。デモをする時は連絡先を書いてもらえる用紙を用意しよう。書いてくれたらどんどんコンタクトを取って次の行動に誘おう。その中からスタッフになってくれる人も出てくるだろう。カンパも集めなきゃね。まずは各都道府県に支部を作ろう。それが終わったら各市町村に支部を作りガンガンにデモや集会をやっていこう。どんな趣旨でやっているかの文章も分かり易いものから作っていこう。それをビラにしてポスティングしていこう。デモとは別個にポスティング実行委員会も結成しよう。辻立ちができる人は辻立ちをしよう。辻立ちで訴える文章も全国の仲間と一緒に作ってそれを読んでもらっても構わない。その内自分のオリジナルの文章で語る人が出てくるだろう。競馬の開催日に阪急仁川駅で演説をやったら面白いだろうなあ。是非、やってみたい。リレートークもいいな。2人で対談形式にしているのをみんなに聞いてもらうのもいいだろう。みんなアイデア出してくれ。日本地図にデモの予定地や既に開催した所が表示されたら面白いだろうなあ。しかも拡大できたりなんかしちゃったら。時間の経過と共にそのスポットが増えていく動画を作れたら最高だろうなあ。明日はもんじゅに反対する集会とデモに参加します。大阪でありまんねん。ああ!忙しい!貧乏ヒマなし。ところで政府紙幣は貧乏人に配ってこそ効果的だろうね。政府紙幣を発行したらイイってもんじゃない。貧乏人に配ってこそ個人消費を伸ばし景気を回復させるだろう。

10. 地には平和を 2010年11月22日 23:40:10: inzCOfyMQ6IpM : c1ZtIQim3w
このデモを漫画で書いてくれる人はいないかな?発端からずっと経過を追っていくような漫画を現実からちょっと遅れて同時進行していくような漫画だ。それ自体がデモへの呼び水になるだろう。全国のデモを渡り歩く人物もその内出てくるかも知れない。デモだけでなくデモ後の打ち上げの様子やその後の活動の様子など今後運動をやっていきたいと思った人の参考になるようなものをネットに残していきたいと思う。

11. 2010年11月23日 00:34:02: k3sNTt83Vw
おおお、全国津々浦々らデモだね。

ぜひぜひ、いいお手本になってください。

それを、また広げましょう。



12. 2010年11月23日 01:34:40: w9nkulSXQQ
2さん
>選挙もデモも川上の小さな町からしましょう。

まさに小沢流選挙戦術ですね


13. 愚民党 2010年11月23日 01:37:21: ogcGl0q1DMbpk : nbhXgghyZc
埼玉県 入間市デモがんばってください。応援しております。

地には平和をさん。

「辻立ちで訴える」アイデアはいいと思います。デモ実行委員会が駅頭で宣伝活動。ひとりひとりが市民に訴える呼びかかる文章メモを準備してきて、拡声器で話す。ひとり5分から10分として、3人あつまれば15分から30分、それをまたくりかえす。

音声と言葉、演説による宣伝活動になると思います。素晴らしいと思います。

阿修羅での投稿内容がいよいよ駅頭へ街頭へ、人間の声となって波及していくわけです。

いま駅頭や街頭を歩く市民が待っているのは「説明してくれる論理的な言葉」でもあります。

各地デモの実行委員会が全国で駅頭街頭宣伝を展開したら、とてもパワフルです。
その場合、ひとりひとりが恥ずかしそうにちいさな声で、まず拡声器で話していくのです。誰でも文章メモがあれば、話せます。わたしの言葉として、読み上げるだけでもいいと思います。

その市井の人々の声は必ず駅頭街頭を歩く市民のか方々の心に届くと思います。

まさに「無名国民の声運動」であります。

地には平和をさん。

いよいよ小沢一郎選挙活動のイロハを、全国デモ各地の実行委員会が実現していくわけです。もはや民主党議員などにまかしておくことはできません。

小沢一郎選挙活動の鉄則である「辻立ち」を実現するのは今、市井の人々であります。

市井の人間の声「辻立ち」はひとりから開始されると思います。

地には平和をさんのごとく方法論を模索するのが市井の在野精神であります。

西宮でデモは必ず実現すると思います。応援しております。

わたしは現在、来年正月に実現する公演のため、何もお手伝いできません。申し訳ありません。

地には平和をさんは大阪と名古屋デモに参加されたことにより、堂々と公共とパブリックへの道を歩き出しました。その尊厳ある行進をわたしは尊敬いたします。


14. 地には平和を 2010年11月23日 09:12:09: inzCOfyMQ6IpM : VAFx814X5M
愚民党さん ありがとうございます。涙が出てきました。私はリアルでは小心者でシュプレヒコールを拡声器を使ってやるなんて初めてでした。手は震えていました。でも、大阪の実行委員会が用意してくれたシュプレヒコール集を読み上げるだけで良かったのでできました。途中で自分のオリジナルのシュプレヒコールも編み出しました。「検察審査会はあやしいゾ!」というものです。私のシュプレヒコールにみんなが応えてくれて本当に嬉しかったです。わざわざ私の方に駆け寄って来てくれて「小沢一郎に仕事をさせろ!」と言ってくれという方がいらっしゃったのでそれもやりました。今は小沢支持者とも協力してこの運動を盛り上げるべき所だと思っております。世論調査で小沢支持が上昇しているのもこのデモと無関係ではないと思います。マスコミもこの点だけは正直に発表しているのかなと思ってます。西宮デモは来年の1月ぐらいになるかと思っております。愚民党さんの近くでももしデモがあれば馳せ散じます。東京ですかね。その時にはお酒でも飲みたいなあと思ってます。長年の夢です。

15. 2010年11月23日 11:11:48: U5Ili9YApU
2度目の投稿です。
在野で市井・・の方たちのデモだからこそいいのですよね。
ネットの前で毎日毎日手をこまねいて怒り狂っている
無力で無名な、日々の暮らしでいっぱいいっぱいの一庶民。
もう我慢も限界で1人2人と勇気を奮って立ちあがって
今回の支持率の上昇には、きっと一役買っていると思います。

『思い』は行動に移すことこそ大事だと、心底思いました。
絶対地元のデモには、参加します。
ドシロウトの怒りの辻説法・・いいではないですか。
みんなでわたれば怖くない、絶対仙谷や菅や前原の演説より
人心を打つと思いますよ。(あの人たちには大和魂がないから)
全国の国を憂い、今の民主党首脳部に怒りを覚える市民の皆様
がんばりましょう、無名の庶民の底力を静かに見せましょう。


16. 天橋立の愚痴人間 2010年11月23日 11:43:24: l4kCIkFZHQm9g : PRpi15oE1I
「大和魂」

良い言葉を使っていただきました。
もしかして、糾弾サイトの私の投稿を見てくださいました ?。

そうです。
「大和魂」とは右翼の専門用語ではないのです。

その昔、源氏物語を書いた紫式部が始めて「大和魂」と言う言葉を使ったのです。

「大和魂」とは当時の青年貴族に対して、各々が政に携わるときの「心構え」として「大和魂」を説いたものであり、高潔な政治家の信条であるべきなのです。


17. 愚民党 2010年11月23日 12:12:42: ogcGl0q1DMbpk : nbhXgghyZc
地には平和をさん。
コメント返信ありがとうございました。

地には平和をさんのコメントを読みながら、目がうるおってしまいました。

地には平和をさん。わたしは子供の頃から小心者です。それでも生きてきました。
必ず会いましょう。そしてお酒を飲みましょう。

天橋立の愚痴人間さん。

「大和魂」と言う言葉を使った最初の文学者が紫式部であることを教えていただきありがとうございました。


18. 愚民党 2010年11月23日 12:39:54: ogcGl0q1DMbpk : nbhXgghyZc
天橋立の愚痴人間さん。


埼玉県 入間市でも小さなデモをやるぞ!

天橋立の愚痴人間さんがご投稿されたこの場所のスレッドとは関係がないのですが、あらかじめ謝罪しておきます。

わたしがひとりで企画し推進している来年正月、藤沢市民会館大ホールで開催する公演の台本の一部です。


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瑞穂の国、葦の原。

地図には載っていない増録の田園、夜の月光に群青の息。
増録とは第2次大戦敗戦後、豊田村の民が開墾していった山奥のちいさな盆地。豊田村は稗田(ひえだ)と呼ばれていた。古文書には伊勢神宮に奉納した「稗田御厨(ひえだみくりや)」という記述がある。

稗田の里には那須与一の兄である稗田九朗の館があった。源氏の軍に参戦したのは那須与一とその弟のみ、那須与一の兄たちである那須一郎から那須十郎までは平家軍に参戦した。稗田九朗とは平家軍に参戦した那須九朗のことである。那須九朗は平家が源義経によって<壇ノ浦「子午線の祀(まつ)り」木下順二戯曲>で壊滅したのち、那須一族の国に帰還。その後、稗田九朗と名乗って稗田の地に館を築き稗田の国をつくっていた。やがて那須家は、平家と源氏の内乱に勝利し征夷大将軍になった源頼朝鎌倉幕府の梶原軍によって攻められる。烏山城をめぐる那須一族と鎌倉幕府梶原軍との戦い、那須一族は敗戦し、滅んでいく。それは東北の都であった平泉が源頼朝鎌倉幕府軍により滅ぼされたことに通低する。木の下の根元から民の精霊。女の黒髪が物語る吾亦紅。民が育て上げた植物生命体の国。敗北の過程とは根源への旅でもあった。

稗田九朗の行方は知れず、やがて稗田の館も廃墟となる、那須与一は放浪の旅に出たという。越後には那須一族の末裔がいる。稗田は明治以降、豊田村と改名、稗田の館があった場所には今、田園に囲まれた湯泉神社がある。湯泉神社はスサノオ神の息子である大己貴命(おほなむち)神をお祀りしている。大己貴命は、天孫たち、つまり大和による統一神話とは対局の神として登場する。特に『出雲国風土記』に詳しい。そこに語られるのは農耕神としての姿である。大己貴命は出雲大社の祭神である大国主命の別名だが、大己貴命と表記される場合には、山岳と関係する事象を表していることが多い。 那須連山とその里には湯泉神社が点在し、稲の原は黄金の田園なるが葦の原は鵠沼であった。そこに双頭の蛇、双体系による<もうひとつの日本>がある。

古代矢板の高原山には蝦夷と呼ばれた縄文人の鬼怒一族がいた。高原山には黒曜石の工房があった。「大化の改新」で暗殺された曽我入鹿の父は曽我蝦夷である。曽我一族は関東から東北にかける豪族として古代大和連合政権の中枢を担っていた。そこにはすでに双体系による日本の原基が成立していた。中世から近世における天皇と幕府の関係も双体系による日本原基があり、動乱とはこの機軸の「揺れもどし」の姿でもあった。

パスカルは「人間とは考える葦」と定性したようだが、パスカルは葦が群生する沼のことは語らなかった。近代合理主義思想の先駆者デカルトが方法序説を朗読するシーンはフランス太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ)の主宰者アリアーヌ・ムヌシュキンが監督した映画「モリエール」に出てきた。当時のパリは道路にくそ小便を垂れ流していた。江戸の方が衛生環境は循環都市として整備されていた。1970年代の太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ)のことは、佐伯隆行「20世紀演劇の精神史」に詳しく書かれている。

葦が群生する鵠沼には小川が流れていない。よどみ沈殿する沼である。還流がない場所に思考は誕生しない。人間の心にも沼がある。よどみ沈殿し、それはおのれを封鎖していくはずである。湖は川が流れ還流している。湖は回路が開かれているが沼は回路が閉ざされいる。人間の心も回路が閉ざされれば怨念がこもった「どろどろ」の沼地となる。どろどろの底の沼地から浮かび上がるのは希望たる黄土の出会いと再会、邂逅還流アジアンである。生き延びてきたことは奇跡でもあった。人間はアジアの還流ある風なしには、やっていけないし、生存できない。

日本の田園地帯である田んぼとは、百姓による「水の入りと出」の還流高度コントロール技術の結晶でもある。水の還流技術によって黄金の稲は生成してきた。日本の象徴である「米」とは還流技術の象徴でもある。精神と心は沼に陥穽してはならない。精神と心の回路を閉ざしてはならない。それが「鵠沼に死す」のコンセプトであり、「鵠沼」への批評でもある。舞踏とは双体系身体による開かれた回路への文明批評でもあることをエピローグ舞踏は証明するだろう。

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19. 2010年11月23日 12:48:29: MiSM8OHaRY

時期が来るまで“全国動員”はやめて、今はじっと力をためよう。
その時が来るまで、待とう。
力がついてくると、不当逮捕・がさ入れ・起訴が襲いかかってくるぞ。
今は静かに、冷静に待つときだ。

舞いあがるな。
はしゃぐな。
落胆するな。
あきらめるな。

そして、いざ、そのときが来れば、全国動員“デモ”をかけて、国会を包囲し、さらに、全国津々浦々で、“いっせい”デモを敢行し、蜂の巣をつついたように、街頭へ飛びだし、戒厳令の弾圧を吹っ飛ばそう。

“その時”が、来たら、いっせいに立ちあがろう。
“その時”は、必ず来る!!


●埼玉のはずれより愛をこめて●



20. 天橋立の愚痴人間 2010年11月23日 13:12:39: l4kCIkFZHQm9g : PRpi15oE1I
>>19

引っ込め

ボケナス

どういう精神をしてるんだ!


わざわざ

罵声を浴びにくるとは


21. 天橋立の愚痴人間 2010年11月23日 13:25:30: l4kCIkFZHQm9g : PRpi15oE1I
愚民党 さんは劇作家のようです。
ブログへ行かせていただきました。
貴方が気に入りそうな御話を一つ。

http://www.kyudan.com/cgi-bin/bbskd/read.cgi?no=814&l=1-
[大和魂(日本の心のルーツを探る)]


日ユ同祖という考え方があります。「シュメールと日本、同祖」というのが精確だと思います。

楔形文字は表意文字と表音文字との組合せで、これは日本語と同じやり方です。そして文法も、”既知名詞+変化名詞+変化態様”というように、日本語と語順が同じです。

シュメールとは現在の南イラクのことです。そしてそこに北からヒッタイト族などがやって来た。そしてバビロニアなどの国家を建設してシュメールの文化をシリアに広めた。シリアとは、現在のシリア、レバノン、バレスチナ、ヨルダン、イスラエルを包括する地区です。シュメールはユダヤにとって先進文化地域だった。

楔形文字は、古代オリエント地区で東アジアにおける漢字と同じ役割を果たしていました。メソポタミアの共通文字だった。

シュメールには葦原が広がっていたらしい。日本もかつては”豊葦原の国”と呼ばれました。葦は筆(ペン)を作るために利用されます。粘土と葦の組合せが文を生んだ。「書く」とは引っ掻くと言う意味です。Grammarのグラムは刻むという意味。紙が発明されるまで、文字は刻んだり引っ掻いたりするしか記する方法が無かった。

シュメールの人々が東に移住し、インダス文明を築くなどしながら、南海伝いに日本までやってきた可能性は十分にあると思います。

ここまで遡れば十分でしょう。次には大和の国から見た太古の様相です。

黒潮は日本列島南方海上で対馬方面と高知方面に分かれる。対馬方面へ流れる海流に乗ると、船は九州北西部とか、或いは朝鮮半島南東部に行き着く。出雲地方もその中に含まれます。

紀伊半島もそういう意味で同じ人々が流れ着く場所でもある。そのせいか、熊野権現は出雲系の神様が祭られています。その他に、伊勢、伊豆、安房、鹿島(茨城県)など、いずれも黒潮と無縁ではない。

大和川を行き着くところまで遡ると飛鳥地方に至る。他方その先の山の向こうには、吉野を経て熊野があります。古代にそこでヤマト民とミナト民が出会ったとしても決して不思議ではありません。

このように想像すると、日本古代史は黒潮をキィ・ワードとしてヤマト民やミナト民(海民)の動向を中心にして再構築する必要があると言えるでしょう。

ヤマトとミナトという言葉が出てきました。

昔から日本にはヤマト(山門)民と、ミナト(水門)民がいました。それはそれぞれ陸民と海民だった。

陸民は大黒(大穀)様を信仰し、海民は恵比寿様を信仰していた。要するに陸民は生産の民で、海民は通商の民だった。それらが和合することにより生産と流通を円滑化させることに成功した。

むかし江戸は武蔵野国にあった。軍艦でも大和の姉妹艦として武蔵が建造されました。江戸がミナト(水戸)民の土地だったことは言うまでもありません。

むかしから、我が国は南方や朝鮮系の渡来人が多くいたことは、聖徳太子の時代にも秦氏、漢(あや)氏などが良く知られています。
上記に書いた流れの中に組み込まれるのでしょう

続く


22. 2010年11月23日 13:35:29: nbhXgghyZc
●埼玉のはずれより愛をこめて●さん。

そのときをまつのですか?

あなたが待つ「その時」とは他力本願です。永遠に訪れないでしょう。

親鸞も「他力本願」と語りましたが、それは主体思想が根元にあるのです。
大きな幹の根っこであり、地中に伸ばす根であります。

コツコツと行動していくしか道はないのです。


23. 2010年11月23日 15:11:52: U5Ili9YApU
天の橋立さま。

『大和魂』のルーツを教えていただき、ありがとうございました。
北海道在住のもと、B層^^のものです。
その後は永らくPCの前で、大失意の日々でしたが、
今回全国の皆様の、勇気ある行動に励まされ
絶対道北の地(できれば旭川で)デモに参加したい・・と思っています。
今はもうゴチャゴチャ言っている場合ではないです。
国の緊急・非常事態なので、各個人が誠意と信念を持って
静かに粛々と実行参加されるとよろしいかと。

いつかどこかでお会いできますように。


24. 天橋立の愚痴人間 2010年11月23日 15:51:44: l4kCIkFZHQm9g : PRpi15oE1I
ついでに「大和魂」の解説・

大和魂の語の初出は、『源氏物語』の『少女』帖とされている。大和魂の語・概念は、漢才という語・概念と対のものとして生まれ、和魂漢才と言うこともあった。漢才、すなわち中国などから流入してきた知識・学問をそのまま日本へ移植するのではなく、あくまで基礎的教養として採り入れ、それを日本の実情に合わせて応用的に政治や生活の場面で発揮することが大和魂とされた。

『源氏物語』が生まれた平安中期は、国風文化という日本独特の文化が興った時代であるが、当時の人々の中には、中国から伝来した知識・文化が基盤となって、日本風に味付けしているのだ、という認識が存在していたと考えられている。そのうち、大和魂は、机上の知識を現実の様々な場面で応用する判断力・能力を表すようになり、主として「実務能力」の意味で用いられるとともに、「情緒を理解する心」という意味でも用いられていた。

具体的に下記のような意味合いが示されています。

1 世事に対応し、社会のなかでものごとを円滑に進めてゆくための常識や世間的な能力。

2 特に各種の専門的な学問・教養・技術などを社会のなかで実際に役立ててゆくための才能や手腕。

3 外国(中国)の文化や文明を享受するうえで、それと対になるべき(日本人の)常識的・日本的な対応能力。やまとごころ。

4 知的な論理や倫理ではなく、感情的な情緒や人情によってものごとを把握し、共感する能力・感受性。もののあはれ。

5複数の女性を同時に愛してしかもすべてを幸福にしうる、艶福とそれを可能にしうる恋愛生活での調整能力。いろごのみ。

6 日本民族固有(のものと考えられていた)勇敢で、潔く、特に主君・天皇に対して忠義な気性・精神性・心ばえ。(近世国学以来の新解釈)

イメージからは随分と離れているようですが、これが原点のようです。
逆に考えれば上記のような風情が当時の日本にはあったと言うことになります。
紫式部が何を持って「大和魂」と言いたかったのか、もしかして 5番目の複数の女性を同時に愛する能力のことなのでしょうか。
それは後日「少女(おとめ)」の巻を手に入れてからの検証にしたいと思います。

いづれにしても、これは平安朝の貴族社会の様相です。
それまでに、我が国では聖徳太子が言われている「和を持って尊しとする」についても、怨霊伝説などにも言及しなければなりません。

先に源氏物語、少女(乙女)の帖で、初めて「大和魂」の言葉が文献に出てくるといいました。
その使われ方に興味がありましたので、これもインターネットの情報ですが、解りましたので掲載します。下記のサイトは源氏物語全文が読めます。現代語訳つきの懇切丁寧なサイトです。

http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/

源氏物語 乙女の帖

第二章 夕霧の物語 光る源氏の子息教育の物語

[第一段 子息夕霧の元服と教育論]

 大殿腹の若君の御元服のこと、思しいそぐを、二条の院にてと思せど、大宮のいとゆかしげに思したるもことわりに心苦しければ、なほやがてかの殿にてせさせたてまつりたまふ。

 右大将をはじめきこえて、御伯父の殿ばら、みな上達部のやむごとなき御おぼえことにてのみものしたまへば、主人方にも、我も我もと、さるべきことどもは、とりどりに仕うまつりたまふ。おほかた世ゆすりて、所狭き御いそぎの勢なり。

 四位になしてむと思し、世人も、さぞあらむと思へるを、
 「まだいときびはなるほどを、わが心にまかせたる世にて、しかゆくりなからむも、なかなか目馴れたることなり」
 と思しとどめつ。

 浅葱にて殿上に帰りたまふを、大宮は、飽かずあさましきことと思したるぞ、ことわりにいとほしかりける。
 御対面ありて、このこと聞こえたまふに、
 「ただ今、かうあながちにしも、まだきに老いつかすまじうはべれど、思ふやうはべりて、大学の道にしばしならはさむの本意はべるにより、今二、三年をいたづらの年に思ひなして、おのづから朝廷にも仕うまつりぬべきほどにならば、今、人となりはべりなむ。

 みづからは、九重のうちに生ひ出ではべりて、世の中のありさまも知りはべらず、夜昼、御前にさぶらひて、わづかになむはかなき書なども習ひはべりし。ただ、かしこき御手より伝へはべりしだに、何ごとも広き心を知らぬほどは、文の才をまねぶにも、琴笛の調べにも、音耐へず、及ばぬところの多くなむはべりける。

 はかなき親に、かしこき子のまさる例は、いとかたきことになむはべれば、まして、次々伝はりつつ、隔たりゆかむほどの行く先、いとうしろめたなきによりなむ、思ひたまへおきてはべる。

 高き家の子として、官位爵位心にかなひ、世の中盛りにおごりならひぬれば、学問などに身を苦しめむことは、いと遠くなむおぼゆべかめる。戯れ遊びを好みて、心のままなる官爵に昇りぬれば、時に従ふ世人の、下には鼻まじろきをしつつ、追従し、けしきとりつつ従ふほどは、おのづから人とおぼえて、やむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ちおくれて、世衰ふる末には、人に軽めあなづらるるに、取るところなきことになむはべる。


 なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ。


さしあたりては、心もとなきやうにはべれども、つひの世の重鎮となるべき心おきてを習ひなば、はべらずなりなむ後も、うしろやすかるべきによりなむ。ただ今は、はかばかしからずながらも、かくて育みはべらば、せまりたる大学の衆とて、笑ひあなづる人もよもはべらじと思うたまふる」

 など、聞こえ知らせたまへば、うち嘆きたまひて、
 「げに、かくも思し寄るべかりけることを。この大将なども、あまり引き違へたる御ことなりと、かたぶけはべるめるを、この幼心地にも、いと口惜しく、大将、左衛門の督の子どもなどを、我よりは下臈と思ひおとしたりしだに、皆おのおの加階し昇りつつ、およすげあへるに、浅葱をいとからしと思はれたるに、心苦しくはべるなり」

 と聞こえたまへば、うち笑みひたまひて、
 「いとおよすげても恨みはべるななりな。いとはかなしや。この人のほどよ」
 とて、いとうつくしと思したり。
 「学問などして、すこしものの心得はべらば、その恨みはおのづから解けはべりなむ」
 と聞こえたまふ。

次に訳文を掲載します。
 

 [第一段 子息夕霧の元服と教育論]

 大殿腹の若君のご元服のこと、ご準備をなさるが、二条院でとお考えになるが、大宮がとても見たがっていっらしゃったのもごもっともに気の毒なので、やはりそのままあちらの殿で式を挙げさせ申し上げなさる。

 右大将をはじめとして、御伯父の殿方は、みな上達部で高貴なご信望厚い方々ばかりでいらっしゃるので、主人方でも、我も我もとしかるべき事柄は、競い合ってそれぞれがお仕え申し上げなさる。だいたい世間でも大騒ぎをして、大変な準備のしようである。

 四位につけようとお思いになり、世間の人々もきっとそうであろうと思っていたが、
 「まだたいそう若いのに、自分の思いのままになる世だからといって、そのように急に位につけるのは、かえって月並なことだ」
 とお止めになった。

 浅葱の服で殿上の間にお戻りになるのを、大宮は、ご不満でとんでもないこととお思いになったのは、無理もなく、お気の毒なことであった。
 ご対面なさって、このことをお話し申し上げなさると、
 「今のうちは、このように無理をしてまで、まだ若年なので大人扱いする必要はございませんが、考えていることがございまして、大学の道に暫くの間勉強させようという希望がございますゆえ、もう二、三年間を無駄に過ごしたと思って、いずれ朝廷にもお仕え申せるようになりましたら、そのうちに、一人前になりましょう。

 自分は、宮中に成長致しまして、世の中の様子を存じませんで、昼夜、御帝の前に伺候致して、ほんのちょっと学問を習いました。ただ、畏れ多くも直接に教えていただきましたのさえ、どのようなことも広い知識を知らないうちは、詩文を勉強するにも、琴や笛の調べにしても、音色が十分でなく、及ばないところが多いものでございました。

 つまらない親に、賢い子が勝るという話は、とても難しいことでございますので、まして、次々と子孫に伝わっていき、離れてゆく先は、とても不安に思えますので、決めましたことでございます。

 高貴な家の子弟として、官位爵位が心にかない、世の中の栄華におごる癖がついてしまいますと、学問などで苦労するようなことは、とても縁遠いことのように思うようです。遊び事や音楽ばかりを好んで、思いのままの官爵に昇ってしまうと、時勢に従う世の人が、内心ではばかにしながら、追従し、機嫌をとりながら従っているうちは、自然とひとかどの人物らしく立派なようですが、時勢が移り、頼む人に先立たれて、運勢が衰えた末には、人に軽んじらればかにされて、取り柄とするところがないものでございます。

 やはり、学問を基礎にしてこそ、「政治家としての心の働き」が世間に認められるところもしっかりしたものでございましょう。


当分の間は、不安なようでございますが、将来の世の重鎮となるべき心構えを学んだならば、わたしが亡くなった後も、安心できようと存じてです。ただ今のところは、ぱっとしなくても、このように育てていきましたら、貧乏な大学生だといって、ばかにして笑う者もけっしてありますまいと存じます」

 などと、わけをお話し申し上げになると、ほっと吐息をおつきになって、
 「なるほど、そこまでお考えになって当然でしたことを。ここの大将なども、あまりに例に外れたご処置だと、不審がっておりましたようですが、この子供心にも、とても残念がって、大将や、左衛門督の子どもなどを、自分よりは身分が下だと見くびっていたのさえ、皆それぞれ位が上がり上がりし、一人前になったのに、浅葱をとてもつらいと思っていられるので、気の毒なのでございます」

 と申し上げなさると、ちょっとお笑いになって、
 「たいそう一人前になって不平を申しているようですね。ほんとうにたわいないことよ。あの年頃ではね」
 と言って、とてもかわいいとお思いであった。
 「学問などをして、もう少し物の道理がわかったならば、そんな恨みは自然となくなってしまうでしょう」
 とお申し上げになる。

(おわり)


正解は、大和魂とは「政治家としての心の働き」と言う意味で使われたようです。

複数の女性を愛する手練手管ではなくてほっとしました。
なお、前後の長文は、当時の教育方針として御照覧くだされば幸いに存知申し上げます。
 


25. 2010年12月20日 09:01:40: IK8egJelrk
天橋立、うるさいんだよ。

もう、君のやりたいことは知れているの。
みなさん、騙されてはダメですよ。


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