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<コザ騒動から40年>響く威嚇発砲 ひるまぬ民衆/民衆蜂起の歴史から学べ(琉球新報)
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/691.html
投稿者 gataro 日時 2010 年 12 月 22 日 11:51:40: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10744185731.html から転載。

gataro-cloneの投稿
<コザ騒動から40年>響く威嚇発砲 ひるまぬ民衆/民衆蜂起の歴史から学べ【琉球新報】
テーマ:集団的自衛権、基地問題、海外派兵など

40年前の12月20日、米軍占領下のあまりの抑圧に耐えかね沖縄の民衆が「コザ騒動」を引き起こした。

これが「コザ騒動」が起きる直前の沖縄の様子(今を読み解く視座 1945ー1970オキナワから)。一体どの口で仙谷官房長官は沖縄の人たちに苦難を「甘受」してもらいたいと言うのだろうか!

<参照映像>

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http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-171361-storytopic-1.html
響く威嚇発砲 ひるまぬ民衆 きょうコザ騒動から40年(琉球新報)
2010年12月20日

 

(写真左)ブルース・リーバーさんが乗車していた陸軍MPの車両。怒りを爆発した民衆によって横転させられた=1970年12月20日、コザ市上地(当時)の軍道24号(現国道330号)
(写真右)ブルース・リーバーさん

 【沖縄】民衆の反米軍感情が爆発した1970年の「コザ騒動」から20日で40年を迎えた。当時、米陸軍のMP(憲兵)として交通事故の処理に当たり、騒動のきっかけになったとされる民衆への威嚇発砲を行ったブルース・リーバーさん(61)=米オハイオ州=が19日、沖縄市内のホテルで琉球新報の取材に応じた。自身の威嚇発砲が騒動のきっかけになったことにリーバーさんは「(命令した)少尉は早く退散させたかったのであろう。しかし強い怒りを持った人たちは威嚇発砲では退散しなかった」と自らの体験を生々しく語った。MP側からの初証言で当時の緊迫した状況があらためて浮き彫りになった。
 リーバーさんは「沖縄の人を傷つけることは全く考えていなかった」と言う。民衆が次々と米軍車両に火を放つ場面を目の当たりにし「沖縄の人が怒るのも無理がなかった。戦後、米兵たちは沖縄の人を『人間以下』に扱い、あまりにもひどいことをしていた」と振り返った。
 1970年12月20日未明、リーバーさんはゲート通り付近をパトロール中に無線で呼び出され、最初の交通事故現場に向かった。徐々に膨れ上がる群衆は何を叫んでいるのか理解できなかったが、顔の表情で憤慨しているのが明らかだった。群衆からは石や空き瓶などが自分たちを目がけて投げ付けられた。ウィリアム・ブルックス少尉の命令で、リーバーさんらは群衆を分散させるため、京都ホテル前で威嚇発砲した。リーバーさんは3発を発射。7〜10人のMPが一斉に行った威嚇発射でごう音が響き渡ったという。
 リーバーさんは「(威嚇発砲は)いい案と思わなかったが、少尉の命令で行った。しかし結果的には怒らせてしまった」と話した。
 リーバーさんはコザ騒動が40年を迎えるのをきっかけに10年ぶりに来沖した。(問山栄恵)

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http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-171407-storytopic-11.html
コザ騒動40年 民衆蜂起の歴史から学べ(琉球新報)
2010年12月21日

 基地の島・OKINAWAの現実はどれだけ変わっただろうか。「アメリカ世」の中で繰り返された米兵による人権侵害に対する、沖縄人の怒りが爆発したコザ騒動から満40年がたった。

 騒動の内実をさまざまな角度から検証し、今の沖縄に重ね合わせて意義を見詰め直す市民レベルの多彩な取り組みがなされ、深みを増している。沖縄戦後史で、米軍の圧政に対して実力を行使した唯一の大規模な民衆蜂起の意義は色あせず、今も多くのことを問い掛けている。

 なぜだろうか。

 沖縄の民意が軽んじられ、民主主義国家であるはずの日本の政治に反映されない状況が全くと言っていいほど、変わらないからだ。

 今年、沖縄の基地問題は激動した。9万人が結集して、普天間飛行場の国外・県外移設を求めた県民大会が開かれたにもかかわらず、民主党政権は一顧だにせず、名護市辺野古崎への移設に回帰し、日米で合意した。その後、県民に充満した思いは「悲憤」と「沖縄差別への告発」であった。

 4カ月後、夏の甲子園で、興南高校が春夏連覇を成し遂げた時、多くの県民が歓喜し、「シタイヒャー(よくやった)」と叫んだ。

 コザ騒動の現場でも発せられた言葉である。県勢の初快挙を通し、あくまで沖縄に基地を押し付けようとする日本政府と傍観している本土の人々に対する情念を交錯させた県民も多かっただろう。

 沖縄の基地重圧は、米軍統治下の人権侵害の歴史を縦糸に、爆音や米兵事件など、今も拡大再生産されている被害を横糸にした重層的構造になっている。

 40年前に米軍の圧政に向けられた怒りは、構造的な沖縄差別を温存する日本全体に矛先を変えつつあり、血脈のように息づく。政府はそれを見過ごしてはなるまい。

 騒動のきっかけとなった威嚇発砲をした米陸軍の元憲兵のブルース・リーバーさんは、過重な基地負担が解消されない状況を目の当たりにし、「なぜ第2のコザ騒動を起こさないのか」と語っている。

 日米合意の後の県民世論調査で、日米安保を「維持すべきだ」との回答はわずか7%に落ちた。沖縄の民意はいつ発火してもおかしくない。安保の名の下に一地域に犠牲を強いる悪循環を断ち、民意を反映した政治に立ち返ること。それが歴史が残した教訓だ。
 

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コメント
 
01. 2010年12月22日 13:22:00: ZRLzynP9rU
 沖縄の人々の苦悩を自分のこととして、沖縄の基地問題をどうするべきかを真剣に考えるべき時に来ております。
 いつまでもアメリカの保護国でいいのでしょうか、日本人としての意地も誇りもなく、唯々諾々としてつき従う、日本人とは、そんな情けない民族なのでしょうか。小生はそうは思いません。 このことはすべて人ごとに考える無関心さから来ていることだと思います。何時まで経っても騙され搾取され続けるだけです。目を覚まさねばなりません。

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