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ヴィーナス・プロジェクトと「最後の一厘」 …マルクスの唱えた共産主義論に酷似していて面白い。
http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/357.html
投稿者 新世紀人 日時 2010 年 12 月 30 日 01:21:56: uj2zhYZWUUp16
 

http://tamekiyo.com/documents/original/20101229.html

掲載2010年12月29日

ヴィーナス・プロジェクトと「最後の一厘」

このところカレイドスコープのハリマオ氏が、面白いテーマを取り上げておられる。少し複雑な内容なので、私の知能では完全に理解できないのであるが、「新世界秩序」あるいは「イルミナティ」は、本来、善のサイドなのではないかという仮説を検証しておられるのだと思う。邪悪な勢力は、現在の「旧世界秩序」を維持したいのであって、本当は「新世界秩序」を阻止したいのではないかと。

まず、「イルミナティ」という言葉は、イルミネーション(照明)という言葉があるように、光輝く者、あるいは光を浴びたものという意味である。エンライトメント(啓発)と同じ意味である。宗教の世界ではよくある表現であり、阿弥陀如来(アミターバ)も「無限の光を持つ者」という意味らしい。日本でも金光教とか崇教真光などある。どんな邪悪な人間でも、通常、自分自身が邪悪であるとは考えておらず、そのような光明に満ちた名前をつけたがることは不思議ではない。

それはともかく、「新世界秩序」については、実は私もどこが悪いのかと素朴な疑問を感じることがある。「新世界秩序」はブッシュの演説で有名になった経緯があり、ブッシュ家などの英米支配層が推進しているという意味で良いわけがないのであるが、ひょっとして面白い展開がありうるかとも思っているのである。

新世界秩序の問題点
例えば、世界共通の通貨であるが、以前は日本の製品が米国の産業を苦しめ、今は中国の安い製品が日本の産業を苦しめているように、為替レートの操縦こそが国際的な経済操作の強力な道具である。世界通貨になれば、当たり前だが、為替レートで世界の経済を操縦することはできない(なお、経済ファンダメンタルズを反映して市場で為替レートが決まっていると純朴に思っている人はいないと思うが、もしそうならそれは勘違いだ)。世界を支配する立場からすると、本当にそれが有利なことなのだろうか。

また、世界軍もそうだ。世界軍になれば、宇宙人などの仮想敵を無理矢理に捏造しないといけない。北朝鮮やイランとかなら、世界の人々も信じるかもしれないが、さすがに宇宙人では長く騙し続けることは難しいのではなかろうか。同様に、世界宗教に統一すると、宗教対立・紛争を演出することが困難になる。

それから、国際法というものが実にややこしいものであることはご存知の通りである。どっちの国の法律を適用するかとか、条約を優先するとか、実に複雑である。だが、こうした一般人にはとても理解できない複雑な法律・政治制度こそが、世界支配者にとっては便利である。弁護士など専門家にしかわからない状態にしておけるからである。その専門家も自分の狭い専門分野のことしか分からない。だが、世界政府になり世界の法律が大部分共通化してしまえば、分かりやすくなってしまう。国際機関もそうだ。今のようにどこまで国家主権を譲り渡しているのかよくわからない状態で、知らない内に(選挙によらない)国際機関が権力を握ってしまっていたという形態の方が都合が良いはずである。

このように考えると、世界政府への統合というものは、世界支配層にとって本当にメリットがあるのだろうかと疑問なのである。それとも、愚民化やマイクロチップなど技術的な裏づけがあって、よほど自信があるのだろうか。

ユートピア構想
その一つのアイデアが、ハリマオ氏が紹介している「ヴィーナス・プロジェクト」(ジャック・フレスコ氏の描くユートピア構想)であり、その宣伝活動であるツァイトガイスト運動(ピーター・ジョセフ氏)なのだろうと思う。

このヴィーナス・プロジェクトのサイト(http://www.thevenusproject.com/)を少し読んでみた。まずは非常に面白い提案だと素朴に思った。

このプロジェクトが描くユートピア社会では、最終的には、人工知能(コンピュータ)が世界を支配することになっている。その究極の価値観は、「自然環境の維持」であり、そのための「資源の最適配分」のようだ。人々は労働する必要はない。何か欲しいときは、ショールームのような場所で、望むものを伝えるだけで、全自動化された生産ラインが稼動し、家まで製品を届けてくれる。人間は芸術活動など好きなことだけして暮らせばよい。マネーは無くなり、望むものは代金なしにいくらでも手に入れることができるのである。そのように何でもタダで手に入る社会になると、人々の価値観もガラリと変わり、貪欲に物を貯めこんだり、やたらと欲しがらなくなるという。

こうした大胆な構想に対して重箱の隅をつつくような批判をしても無意味である。また、そんなものが実現できるはずがないという批判もやめておく。実現できるというポジティブな前提を置いた上で、ズバリ本質的な問題を指摘しておきたい。

それは、「人工知能のプログラムを考えるのは誰なのだ?」という疑問である。上記のサイトによると、現在の世界からの過渡期には技術者たちがプログラムを書くという。だが、究極的には、プログラムの改良も含め、すべて人工知能で自動化されると言っているのだ。だが、何らかの価値観がないと「改良」という発想自体がありえない。そうすると、何らかの価値観を事前にコンピュータに設定しておくはずだ。そうでないなら、民主的であれ独裁的であれ、人間が価値観を決めないといけない。つまり政府が必要になるが、政府はなくなるということだ。その価値観が「自然環境の維持」だそうだ。地球上に張り巡らされた環境センサー(地球規模の神経)で変動を把握し、自動的に最適な答をフィードバックするという。人間は「間違える」ので考えなくてよいと。

そうすると、どうなるだろう・・・。私は、いつかコンピュータが、「人間をゼロにする」という「最適解」を出す可能性があると思う。自然環境を最大の価値に置けば、人間がいないことが究極の答になるからである。違うだろうか? このプロジェクトは、テクノクラートというエリート支配を目指しているわけでないと否定はしているが、ただ単に恩恵を享受するだけという大多数の人間に存在価値はあるのだろうか。家族計画を「教育」することで過剰な人口増加を防ぐそうだ。

魂が抜けている
物質的な価値観しか持っていない西洋人が考えることは、これぐらいが限度なのだろうか。「仏作って魂入れず」という言葉があるが、まさにこのヴィーナス・プロジェクトは、魂(プログラムを書く意志)の抜けた箱(コンピュータ)を作ろうとしている。

もっと言えば、世界各地に遺跡が残っているように、現代人が持っている文明よりも遥かに進んだ文明が過去にもあった。それでも滅んだ理由は何なのだろうか。

また、聖書のエデンの園の話にあるように、もともと自然は、人間が働かなくても果物を実らせ、人間が生きていくのに労働も技術も必要なかったのである(つまり、ヴィーナス・プロジェクトがやろうとしていることを、自然はずっと昔に実現していたのである)。人間が働かないといけなくなったのは、「知能」を得たからである。それをさらに進めた「人工知能」で解決できるのだろうか。聖書的に言えば、「創造主」である「神」が作った以上のもの(生物以上のもの)を人間が作ることができるのだろうか。

ヴィーナス・プロジェクトを推進している人々には、もしかして自然や生命に対する畏敬の念が欠けているのではないかと思う。そこさえ補えば、ひょっとして素晴らしいものに化ける可能性はあると思う。このプロジェクトの描くユートピア(新世界秩序)が実現した後に、然るべき魂(プログラム)を入れることができれば・・・という意味である。

いずれにしても、これは面白いテーマだった。今後のハリマオ氏の更なる洞察に期待したい。

(参照情報)ツァイトガイストとビーナス・プロジェクトの描くユートピア

http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-294.html


(新世紀人コメント)
マルクスは生産力が飛躍的に高まった時に共産主義が到来するとして、「唯物論的」に論じたのであったが、この発想のネタ(種)は「エデンの園からの失楽園」から終末を迎える事により救済されるとする「救済論」であったと考えられるのだ。
つまり全くのユダヤ教的救済論理であった。
彼マルクスとエンゲルスが現存していたと主張した「原始共産主義社会」とは「エデンの園」の事であったろう。
エデンの園として象徴的に語られた実際の古代高度文明社会は存在していたと考えられる。しかし、それを破壊に至らしめたのも古代人であったろう。
その事を旧約聖書の創世記は象徴的に語っている。
さて、マルクスがどれ程本気に唯物論でもって救済社会としての共産主義社会の到来を期待できると考えていたのかは私には正直いって判断しかねるが、19世紀的人物としては本気で考えていた可能性が高いのではないのか?
そこでマルクスが金融資本の破壊活動の手先としてインチキ革命論をでっち上げたのではないかといった批判が出てくるのであるが、金融資本側の彼の利用は考えられるが彼自身は案外本気に考えていたのではないだろうか。
ユダヤ教的教養を備えていて学識が高かった彼であれば生涯にわたってのあのような学問的功績を上げることは十分に可能であったと考えられるからだ。
コンピューターは機械であって蒸気機関や原子力発電と変わるところはない。
故障もするし壊れることもある。
所詮、コントロールするのは人間の意志だ。
この意志の本体は心であって、それは捕らえる事は出来ないのだ。


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