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【小沢パッシングの政治的考察】 れんだいこのカンテラ時評701
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投稿者 韃靼人 日時 2010 年 3 月 29 日 12:29:05: XfUHcQiPmEZmc
 

れんだいこのカンテラ時評701 れんだいこ 2010/03/28 20:55

【小沢パッシングの政治的考察】

 2010年3月現在の政局に於いて、小沢パッシングが引き続きやまない。この背景をどう読みとるべきだろうか。誰か、これを的確に捉えられる者が居るだろうか。れんだいこは、れんだいこ史観を媒介せずには解けないと思っている。れんだいこ史観は、それほどに時代を捉えている。とまぁ自画自賛しておこうふふふ。れんだいこはこれまで何度か言及しているが再言及し公にしておく。

 小沢パッシングの背景には実は、戦後日本政治の二大基調即ち現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義配下の戦後系タカ派と、大東亜戦争敗戦後の戦後日本再建過程で台頭した在地土着的権力型の戦後系ハト派との抗争がある。前者を最も代表するのが中曽根−小泉派であり後者を代表するのが角栄−小沢派である。歴史の摩訶不思議なところで、角栄と中曽根、小沢と小泉は同年ないしはそれに近い。こう述べると、小沢パッシングの政治的背景は既に半ば回答されたようなものである。

 この観点からトレースすると、小沢パッシング派の震源地は国際金融資本帝国主義ということになる。太田龍史観によれば、ロスチャイルド派国際金融資本こそが司令塔と云うことになる。自民党は既に国際金融資本の走狗の巣窟になってしまっている。民主党内の約半数も誼(よしみ)を通じている。新聞テレビの報道系も然りで、言論大砲と位置づけられて呼応している。テレビに登場するコメンテーターの多くは言論売春派であり、為にする批判を性懲りもなく続けている。東京地検特捜部を先頭とする検察司法も然りである。なぜこういう現象が起こるのかというと、己の能力器量を弁えぬ自己顕示的立身出世主義による。そうとしか考えられない。俗に売国奴と云う。小沢を評する視角は実際にはもっと多義的であろうが、れんだいこは、上述の観点こそが核心であると思っている。

 中曽根−小泉派的シオニスタン政治には興味ないので割愛し、角栄−小沢派の在地土着的政治の真髄を確認しておく。小沢は衆知の通り角栄の一番弟子であるからして、小沢政治を語るには角栄政治を語った方が分かり易い。角栄政治とはどういうものだっのか、これを確認しておく。

 戦後日本は大東亜戦争の敗戦から始まった。当然のことながら、戦勝国側の国際金融資本は、戦後日本の籠絡を策した。戦後日本が国際金融資本に二度と立ち向かうことのないよう軍事、政治、経済、文化戦線にあらゆる仕掛けを施した。この限りで、右翼が云うところの民族主義基盤の喪失は当たっている。しかし、その右翼も過半は国際金融資本に金で久しく飼われている。これが戦後系右翼の実態である。児玉−笹川ライン系にその色が強い。暴力団系も然りである。

 他方、この仕組みながら、戦後日本は奇跡的な復興を果たし、続いて高度経済成長の波に乗り、自主国家の道を歩み始めた。1960年代後半がこれに当たる。全共闘運動の華やかな頃である。あれは日本型紅衛兵運動であった。裏で操っていたのは在地土着的政治派だったかも知れぬ。この頃のアメリカはベトナム戦争に足を取られ、国力を疲弊させつつあった。その間、日本はほぼ無傷で経済成長を謳歌しつつあった。日本の奇跡的な戦後復興を、ネオシオニズム派シオニスタンは日米軍事同盟のお陰と評しているが、れんだいこは違うと見立てている。戦後日本は、日米軍事同盟のくびき下にも拘わらず、その従属構造を突き破る勢いで目覚ましい発展を遂げたと評するべきではなかろうか。

 その政治は、1970年代初頭の田中角栄政権の誕生でもって頂点に達した。田中政権は、戦後日本史上初めて国際金融資本のコントロールの効きにくい政権として登場した。なぜなら、首相の角栄自身が在地土着生粋型の有能政治家であり、その政権ブレーンがことごとくその類(たぐい)であったからである。案の定、田中政権は就任早々日中国交回復に向かい、その勢いでソ連との経済交流にも向かい始めた。田中政権時代の日本は、日米同盟下ながらアジアの雄としての日本型共栄圏を形成して行く動きを見せていた。日本左派運動は、この動きを日帝の新たな海外侵略と評して批判的に捉える向きがあるが、色メガネが濃過ぎ過ぎよう。事実は、それほどまでに旺盛な経済活動をし始めていたと云うことであろう。経済進出は必ずしも帝国主義化するとは限るまい。

 田中政権時代、そういう外交外治のみならず国内政治においても日本列島改造政策で更なる国土の均衡的発展に向かいつつあった。今から思えば立派な都市と農村の共存政策である。間違っても地方切り捨てに派向かわない。貧富の格差も縮小傾向に向かい始めていた。更に世界が羨望する流通ネットワークを構築し始めていた。党人派系の角栄派は、官僚派の大平派と提携して政界をますます壟断しようとしていた。こうなるとコントロールの効かない日本が生まれることが必至であった。

 こう解けば、角栄政治が何故にパッシングされたのかはっきり見えて来よう。国際金融資本帝国主義&ネオシオニズム派は角栄の指導能力を恐れ、これ以上日本の台頭を許さない戦略を練った。田中政権は、立花隆−文芸春秋連合による金脈批判で狼煙を上げ、外人記者クラブでの執拗な追及で加速させ、フォード大統領訪日の儀式を経て退陣を余儀なくされた。しかし、角栄がその能力のしからしめるところ、その後も隠然とした権力を保持し続けたことにより、これを葬る戦略が練られた。こうしてロッキード事件が勃発する。

 では、角栄政治とはどういうものであったのか、これを確認しておく。れんだいこは、吉田学校系譜の政治のうち、特に池田−角栄−大平政治の流れを、日共、社会−社民、新左翼らの表見左翼と違い、本質的に左派政治と見る。つまり、丁度、日共の偽装左翼とは真反対になるが、自民党と云う保守系政党を基盤にしていながら本質的に左派政治を特徴していたと見る。政治のねじれであるが、政治が高等な故にこういう現象はまま起こり得ると思う。

 角栄政治の実際は、左派政治と云うよりも伝統的な大和王朝前に善政を敷いていたと思われる出雲−三輪王朝時代の大国主命政治になぞらえた方がよりピッタリする。角栄派は、はるか昔の大国主命政治を戦後日本政治史に具現化させようとした。それは、戦後憲法と相俟(ま)って馬力を増した。戦後憲法は、その制定過程でとかくの論議があるが、結果的に日本古来よりの伝統的合議制政治と調和しており、世界史上に稀なる秀逸な憲法足り得ている。角栄政治は、戦後憲法の指針する政治を誰よりも強く目指し、これを与党的責任政治の立場から遂行した。ここに角栄政治の白眉性がある。国内的には池田政治以来の高度経済成長路線を、国外的には日米軍事同盟のくびき下ながら国際協調路線を切り開いた。これを仮にハト派系自民党政治と命名する。

 ここに真っ当な歴史家が居れば、ハト派系自民党政治は絶賛されるべきものであった。日本政治史上稀なる在地土着的な左派系政治であり且つ責任与党政治であった。この政治は、吉田学校から出自し、池田政権を経て角栄政権の時に絶頂に達した。日本は「ツモローイズbP」の域まで成長発展した。これを、世界は日本型社会主義の成功と評価する向きがある。その後、ソ連邦、東欧社会主義が崩壊しても、社会主義の理想が崩れなかったのは、戦後日本の成功事例による。今失って分かることは、教育、登用、雇用、保険、年金、医療等々、これみな日本型社会主義の賜物ではなかったか。

 時の米国政権を牛耳っていたキッシンジャー国務長官は、日本のこうした自立化を許さなかった。当然、国際金融資本帝国主義奥の院の指令によるものであろうが、再度日本籠絡シナリオを組み立て直した。彼らの走狗と化し、日頃手なづけていた勢力を糾合総動員し、角栄政治の解体一掃に向かわせた。世にこれを対角栄金権批判、ロッキード事件と云う。これがまんまと成功し、以来、当時の保守本流主流派であった与党系ハト派が掣肘され始めた。

 この時、日本左派運動は左から呼応している。それは、日本左派運動も又国際金融資本帝国主義の走狗でしかないという裏舞台を垣間見せたことになる。もう一つ、日本左派運動各派は手前らの表見左翼ぶりが露見し無用の長物とされることを危惧したのかも知れない。特に日共が出張り続けたことが記憶に新しい。こう問う者が少ないが、れんだいこはこの見方に自信を持っている。

 その結果、角栄政治は、左右両翼から攻撃され続け、直接的には東京地検特捜部の法を曲げてまでの強権立件国策捜査によりはがい締めされ、公判闘争に耽らざるを得なくなった。ここに、国際金融資本の鉄の意思を見てとるのは、れんだいこだけだろうか。国際金融資本の思惑通りに三木−福田を経て1980年代初頭、中曽根政権が誕生し与党系タカ派の主流派時代へと転じることになった。そのなれの果てが森−小泉−安倍−福田の清和会政権であった。以降の日本の姿が今日の日本の姿である。このタカ派系譜によって、国債が刷り抜かれ、今日的惨状を呈していることも見ておく必要がある。角栄は、何度も大蔵大臣を務めているが国債発行に手を染めていない。この禁を犯したのは福田蔵相である。三木が加速させ、中曽根が今日の垂れ流しの遠因を作っている。軍事防衛費の流れもほぼこれに即応している。

 小沢は何故に執拗にパッシングされ続けるのか。既に述べた中に答がある。小沢は、失われたハト派系自民党政治の再興を夢見ている。ここに小沢の有能さがあり、ここに小沢パッシングの真因がある。こう窺うべきではなかろうか。してみれば、小沢パッシングはまさに政治そのものであり暗闘していることが分かる。政治資金規正法違反云々なぞ口実に過ぎず、小沢潰しの一材料に過ぎぬ。口をきわめてののしるコメンテータを見つけたら、売文売口芸者と思えば分かろう。

 その小沢は、1990年代半ば細川政権を樹立し、国際金融資本帝国主義の走狗政治に闘いを挑んでいる。但し、この時は内部瓦解させられた。以来雌伏20年、昨2009年政変で鳩山政権を樹立した。自民党の余りにもお粗末にして小粒な政治家ばかりという貧相化に助けられ、且つ直前の余りにもお粗末な清和会政治に助けられた面があるが、こたびは圧倒的な衆議院議席差となり勝利を呼び込んだ。昨年の衆院選は歴史の摩訶不思議の一つに挙げられるに値する。

 しかしながら、鳩山政権は、選挙前の公約を空証文化させつつある。それもその筈で、当の鳩山首相自体が国際金融資本帝国主義の御用聞きに向かっているのか、小沢政治と一蓮托生しているのか見定めがたいところがあり、これにより民主党政権を誕生させた人民大衆は困惑と失望を余儀なくされている。普天間基地問題その他その他で、まもなく鳩山政治の本質が露呈しよう。「トラストミー」が国際金融資本に対してのものか日本人民大衆に向けてのもかが否応なくはっきりしよう。

 この折柄、国際金融資本帝国主義は、次にどういう手を打ってくるのだろうか。もはや自民党は見限られた感がある。なぜなら、長年のシオニスタン化後遺症で総理総裁の器の者は居ない。そういう理由で、何とかして民主党の母屋を乗っ取ろうとする戦略に出てくる筈である。その障害になるのが小沢であり、小沢潰しのためなら何でもありの強権発動することは十分考えられる。目下進行形は、東京地検特捜部を使っての金権批判且つ政治資金訴追の動きである。しかし第一ラウンドは失敗した。次の手として、民主党内の走狗を結集させ小沢追放を執拗に策動しつつある。これに失敗すると次はどういう手で来るのだろうか。我々は固唾をのんで見守るしかない。これが小沢パッシングの政治的背景である。れんだいこはかく考えている。これを小沢政治論の基軸に据えたい。以上、簡略に説明しておく。

 しかし、こう捉えない評論家の一人に森田実が居る。このブント右派は昔もそうだったが今も変わらない。人と云う者は幾ら勉強しても知識を増すだけで、れんだいこも含め一度確立した観点はなかなか変わらないものだとつくづく思う。れんだいこ的には、同じブントでも、島さんなら生田さんならどう対応するのだろうかと思う。島さんはそこそこ生きたが、生田氏の変な死に方が気になってしようがない。それはともかく、ブントの頭脳が老いても意気盛んなのが面白い。若いころデモで鍛えたので今も健脚揃いだとかふふふ。

 2010.3.28日 れんだいこ拝  

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コメント
 
01. 2010年3月29日 14:58:01
 政治的主張以前に、こういう文章を書いてはいけないという、典型的な悪文例である。個人ブログゆえか、推敲の跡がさっぱり見受けられない。
 冗長なだけで「何がいいたいのかさっぱりわからん」史観の主である「れんだいこ」ブロガ―には、せめて(いいかね、せ・め・て・だぞ)最近阿修羅掲示板に掲載された、私から見て価値中立的と考えるカレル・ヴァン・ウォルフレンの論稿くらい目を通しなさい。そのうえで「れんだいこ史観」から事象に論及すれば良い。
 ふふふとちゃらけるのはそれからだ。
 私も太田龍とは栗原登一の頃からの付き合いだが、どうも良い弟子が育たなかったようだ。

02. 2010年3月29日 15:02:05
>私から見て価値中立的と考えるカレル・ヴァン・ウォルフレンの論稿くらい目を通しなさい。

  ↑
自分の目が節穴だと告白してどーするの?
バカなの? 老人ボケなの?


03. 2010年3月29日 15:39:08
日本右翼がバカで老人ボケなのは確か。
戦前以来ずっと、欲の為には国家を食い潰す。

04. 2010年3月29日 16:06:01
どうでもいいけど。

パッシング??? ⇒ bashing のことか? 老人特有の横文字発音。


05. 2010年3月29日 22:39:59
れんだいこ氏の主張は佐藤優が言っていることにも当てはまりますね。
日本の官僚が宇野経済学の影響で社会主義的経済の下地を知らず知らず選択したという。
ブントですか。個人的には去年平岡正明が死んだことのほうがショックでした。
サブカルに染まったオタク第一世代としては平岡の毒は刺激的でした。
あの文章にどれほどあこがれたか、《俺》という一人称から世界を横断してパッチワークのようにアジア、浪曲、革命、歌謡曲、ジャズ、座頭市、犯罪あらゆる事象を情勢とコラボしてあっちこっちに話が飛び妄想は広がりやがて《俺》という一人称に帰納していく香具師のような語り口。
一種の芸であり、オルガナイザーでありながら扇情家でもあり売文家でもあった(平岡正明は革命的契機を個人に見出してそれをあえて表出させることを躊躇わず、池田大作や金日成、毛沢東など今なら電波扱いされそうな人物を称揚した。平岡流儀にいうと永遠の左翼小児病ということになる)平岡のブントはぐれ鳥ぶりはいまだに政治音痴の私に多大な影響を与えてくれました。
森田翁にはなんら感じ入るものはありませんでしたが。

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