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日本の政治家はなぜ国際会議に出ると意見が言えなくなってしまうのか?他国を領導していく気概を持たずに脊髄反射的に思考が停止
http://www.asyura2.com/10/senkyo83/msg/658.html
投稿者 TORA 日時 2010 年 4 月 04 日 09:32:24: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu213.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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日本の政治家はなぜ国際会議に出ると意見が言えなくなってしまうのか?
他国を領導していく気概を持たずに脊髄反射的に思考が停止してしまう。

2010年4月3日 土曜日

新書大賞受賞 内田樹 「日本辺境論」
http://www.bk1.jp/product/03180112

◆「辺境」という呪縛 4月1日 藤堂 安人
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20100329/346348/?ST=management&P=1

内田氏によると、それは「私たちの血肉になっている」ということだから、かなり強い影響力があると見ているようだ。中でも特に考えさせられたのは、日本語の構造そのものに「辺境性」が影響しているという指摘だ。

 原日本語にはもともと音声しか存在しなかったと言われているが、漢字が入ってきたときに、それを正統な言葉(真名)とし、もともとあった音声言語を「仮名」として隷属的な地位に退かせたというのである。そして、漢字(真名)は男性語として正統な位置を占める一方で、土着の言語である仮名は、生の感情や生活実感などの「本音」を表現するという役割を果たすに至った。

 外から来た漢字に正統の位置を明け渡す、というところに「辺境性」がよく表れているが、面白いのは「仮名」という日本土着のものを組み合わせることによって、現実の生活者としての日本人が理解できる概念として「翻訳」する機能を果たしているという指摘である。確かに、どんな学問体系でも一通り日本語訳が出され、日本語しか使えなくともある程度のところまでは理解でき、日本語で議論できるようになっている。

 これに対して、清末の中国ではこれまで中国語になかった概念や熟語を新たに語彙に加えるということに抵抗感があり、外来語は音訳によって取り込んだものの中国語の意味体系に変更を加えることはしなかった。これが、西洋の近代化にキャッチアップするのが遅れた一因になっているという。

 外のものを「正統」の位置に置きつつ、日本独自のものをうまく組み合わせるという二重構造をとることは、日本の典型的なキャッチアップ戦略ともいえそうだ。

 例えば、日本が西欧の科学技術にキャッチアップできたのは、近代的な機械の中に、日本が伝統的に持っていた道具を使いこなす技能を上手く生かしたからだという見方がある(以前のコラム)。これは、欧米由来の資本集約型のものづくりを担当する大企業と、それを補完する意味での労働集約型のものづくりを担当する中小企業という二重構造にも表れている。こうしたケースを見ても、外来からのものに「主役の座」を明け渡すという辺境人としての潔さがうまく働いているということのようだ。

 ただ、ここで考えなければいけないのは、この辺境人としての特徴は、キャッチアップ段階にあるときには有効に働くが、そこから脱して自らが新しいものを作り出さなければならないときには、逆足を引っ張ってしまうということである。こと製造業についてみると、「辺境性」に基づいたキャッチアップ戦略はなかなか通用しにくい時代になってしまった。前述したように「辺境性」が日本人の血肉になっているとしたらかなり厄介な問題である。

「日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る。ほとんど脊髄反射的に思考が停止する。あたかも、そのようなことを日本人はしてはならないとでも言うかのように。」(p.89)。

 こうしたことから、内田氏は「こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです」と言うが、少なくとも製造業ではそうした考えの先に展望が拓けるとは筆者には思えない。

 「辺境性」に基づくキャッチアップ戦略を超えて、世界を動かすメッセージや世界標準を自ら生み出す方向にマインドセットを変えていかないと、「日本」が存在できる領域はどんどん狭くなっていく。(後略)

◆日本辺境論 2009年11月15日 基本読書
http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20091115/1258287763

「成立過程がない」日本のことを内田樹先生は「虎の威を借る狐」という言葉で表現しています。たとえばぼくたちのほとんどが「日本の二十一世紀の東アジア戦略をどうすればいいか?」などと外国の人から問われても、即答することができません。「自分の意見」を聞かれても答えられない。どこかの社説に書かれていることや、テレビでわめき散らしているような自称知識人の方々が言っていることをそのままコピーして言う事は出来るでしょうけれど、やっぱり「自分の意見」はいえない。

それは「そういうこと」を自分自身の問題として考えたことがないからです。そういう難しいこと、政治やら日本の在り方みたいなものは、国の偉い人や頭の良い人が考えればいいと思っている。リバタリアン的には「クニガキチント症候群」とでもいいましょうか。こういう「難しいことは偉い人が考えればいい」というまるなげの日本人性というものは「リバタリアン宣言/蔵研也」に詳しいです。それはすっとばして。

 そういう他人の意見をさも自分の意見かのように言うことしかできないから「虎の威を借る狐」ということになってしまう。「あなたはどうしてそういう意見を持ったのですか?」と言われても、狐たる日本側としては答える言葉を持たない。世界の現場で日本人が陥っている現状はまさに↑のような問いにまったく答えられていない状況ということは普通にニュースを見ているだけでも十分よくわかる。

海外から日本がナメられているとよくいわれますが、その理由は日本がダメだからというよりかは上記のような「意見の根拠」がないことによるネゴシエーション不可能性の問題なのではないかと本書ではいいます。ある論点について「賛成」にせよ「反対」にせよ、どうして「そういう判断」をしたのか、自説を形成するに至った過程を語れる人とだけしかぼくたちはネゴシエーションできないのです。

なぜなら「過程を語れない人」というのは、「なぜそうなっているのか」がわからないので「状況を変えることが出来ない」からです。虎の真似をしている狐に「ちょっとあなたにとっても不利益だから獲物を取りすぎるのやめてくれませんか」と言ったとしても、狐はなぜ虎が獲物をその分量とっているのかわからないのでどういう答えも出すことが出来ないのです。だから日本は海外と「ネゴシエーションすることができない」


(私のコメント)
国際会議などにおける日本代表は借りてきた猫のようなおとなしい存在であり、持論をとうとうと述べるような日本代表は例外的だ。言葉の問題もありますが、大きな国際会議では通訳も付くから言葉の問題ではないのだろう。岡田外務大臣もG8の国際会議の共同記者会見では一言の発言機会も与えられなかった。日本の宣伝広報係としては首相や外務大臣が一番のスポークスマンなのですが国際会議では影が薄い。

もっとも首相も外務大臣も1年足らずでクルクル代わってしまっては発言しろと言っても無理なのかもしれない。それに比べるとフランスのサルコジ大統領などは国際会議などでも言いたい放題ですが、演説させておけば1時間でも2時間でも自己主張し続けるような代表が日本にはいない。日本人の国民性なのだろうか?

一般の外国人と日本人との話にしてもどうしても受身になりがちで、外国人から意見されてもNOと言うと反論しなければならないので面倒くさいからYesと答えてしまう。中国人にしても韓国人にしても反日的な意見をぶつけて来ても日本人は聞くだけで反論はしないことが多い。そもそも議論の訓練も学校ではあまり教えない。

「日本辺境論」と言う本は読んではいないのですが、日本人が自己主張しないのは日本という国が辺境にあると考えているからだろう。それは中国が国の名前からして世界の中心と言う意味との対比で日本が辺境にあると考えてしまうのだろう。しかし世界地図で見ればアメリカ、ロシア、中国に囲まれた真ん中に日本は位置している。

このような超大国に囲まれていると自分の立場をはっきりさせておかないと超大国にもみくちゃにされて振り回されてしまう。今までならアメリカが圧倒的なパワーを持っていたからアメリカの従属国として振舞っていればよかった。日本は外交と防衛はアメリカに丸投げしていた。しかし最近はアメリカの衰退を感じさせる出来事が相次いでいる。

鳩山政権がインド洋の給油や沖縄の普天間基地問題でNOと言い始めたのもその象徴ですが、アメリカ軍はイラク戦争やアフガニスタン戦争で手一杯であり、北朝鮮が核実験やミサイル実験をしても金正日に舐められて何も出来ない。中国に対してもチベット問題やウイグル問題には沈黙している。これでは日本がアメリカに基地を提供していても意味がない。

しかし鳩山首相や岡田外相がアメリカの政府高官にこのような事が言える筈もなく、はっきりしない態度でアメリカ当局をイライラさせている。日本は21世紀のアジア戦略をどうするかなどと言う意見を聞いても言える人は僅かしかいない。「株式日記」では日本が将来的に世界の覇権国家になるだろうと書いても否定的な意見ばかりが返って来る状態だ。それは日本が辺境にある国家と言う意識があるからだ。

「海外から日本がナメられているとよくいわれますが、その理由は日本がダメだからというよりかは上記のような「意見の根拠」がないことによるネゴシエーション不可能性の問題なのではないか」と「日本辺境論」では書かれているそうですが、岡田外相がG8の記者会見で日本の立場を何も発言しなかった事からも裏付けられる。

政治家だけを責めても意味がないのであり、学者、文化人、芸術家、ジャーナリストなど日本を代表するような人たちでも外国に向かってメッセージを発することは極めて希だ。日本語の文字にしても漢字を受け入れて何とか文字として日本語が書けるようになりましたが、カタカナやひらがなは漢字から派生したものだ。それに対して日本語では海外に発信しても分かる人がほとんどいない。だから何も発言していないと思われてしまう。

最近ではインターネットの普及で海外からどんどん英語などで情報が入ってきますが、日本から英語で情報を発信することはあまり行われていない。受け入れるばかりで発信することが無いから辺境的立場になってしまうのだろう。日本人は英語が苦手で話せないから世界に日本語を普及させて日本語を世界の公用語として認めさせるのも一つの手ですが、日本人はそうすることに対しても否定的だ。

日本語の会話自体は難しいものではないのですが、漢字の読み書きが外人には難しくさせている。先日もビートたけしの番組で外人同士が日本語で討論していましたが、外人でも日本語が達者な人が増えてきました。それに対して日本人はエリートクラスの人でも英語が話せない人が多く、留学して英語が出来るようなっても日本に帰って来て数年もすると忘れてしまう。

中国は中華意識が強くて外来文化に対して適応力は少ない事が近代化に遅れた原因ですが、今ではアメリカに大量の留学生を送っている。それに対して日本はアメリカへの留学生が大きく減っている。唐の衰退と共に遣唐使を打ち切ったようにアメリカの衰退と共に遣米使も少なくなっていくのだろう。このように辺境国家は中央の国家とのつながりを強めたり弱めたりして内と外との調和を図っていくのだろう。

アメリカがかつて言っていたグローバルスタンダードや新自由主義や市場原理主義は欠陥が明らかになり、アメリカ自身も社会主義化が進んでいる。金融立国戦略も破綻して製造業の復活を図っている。日本はもっとも成功した社会主義国家と言われていましたが、日本こそ世界の手本になりつつあるのではないだろうか? 


 

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