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≪悪魔とその手先にこれ以上騙されない為に!!広瀬 隆 著『パンドラの箱の悪魔』文集文庫 2004年刊からの抜粋≫
http://www.asyura2.com/10/senkyo86/msg/838.html
投稿者 Roentgenium 日時 2010 年 5 月 24 日 02:14:33: qfdbU4Y/ODJJ.
 


≪広瀬 隆 著『パンドラの箱の悪魔』文集文庫 2004年刊からの抜粋≫


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Roentgenium:今回は、広瀬 隆 著『パンドラの箱の悪魔』文集文庫 2004年刊(全350頁)から、特に興味深いと感じた部分を抽出しています。
前回取り上げた内容(苫米地英人著『テレビは見てはいけない―脱・奴隷の生き方』からの抜粋)にも通じる内容で、
日本国民の富が外資とその手先によってどのように巧妙に搾取されてきたか全体像がわかりやすく纏められていますので、経緯(いきさつ)を整理するのに役立つと思います。
多くの人に読んでいただきたい内容ですが、一部抜粋とはいえかなり長い文章ですので、三回に分けた連載?という形で転載させていただきます。

小泉純一郎や竹中平蔵とそのブレーン(売国“談合”マスゴミ、日本経団連=輸入戻し税、などを含む)らが巧みな詭弁を用いてどのようなエグい役回りを演じていたか、
その売国奴どもの正体を再度白日の下に晒し出して厳しく断罪してゆく入り口になれば、とも思います。

その一方で、最近、発言が危うくなってきている横粂某(小泉進次郎(CSIS)や前原・渡部・仙石のグループの子分にでもなりたいのか?あれで東大卒というから驚き)のような、
幼稚で薄っぺらで平和ボケのB層代表みたいなのっぺらぼうな国会議員が、増殖していくことも危惧しなければならない。
容易く「子どもたちの為に」といえば善人じみていて聞こえはいいが、議員自身の考え方が子ども(以下)で幼稚というんではあまりにお粗末でどうしようもないだろう・・・・
本来ならば、現在この国で、或いは世界で一体何が起きているのか、何が本当に問題なのか、それがわからない、或いは感じ取ることさえ出来ないようなレベルの低いアマチュア人材など、
売国奴同様、今の日本の政治に必要ないのだ。
必要なのは“日本の立場で政治を行う”本物のプロ政治家であり、一般庶民の為の政治だ。つまり、それは薩長勢力支配の政治ではない。米国従属の奴隷政治でもない。


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≪広瀬 隆 著『パンドラの箱の悪魔』文集文庫 2004年刊より抜粋転載 {第三話 妖しいダイヤモンドの輝き}≫

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%AE%E7%AE%B1%E3%81%AE%E6%82%AA%E9%AD%94-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%BA%83%E7%80%AC-%E9%9A%86/dp/4167425033

「(略)これと同じ構図でダイヤモンド社がコンピューターデータベースを使わせて、ロスチャイルド研究家の広瀬 隆を生み出しています。
あの膨大な情報量は個人ではなくデータベースのものである、と広瀬氏自身が昔の本(『ジキル博士のハイドを探せ データベース全地球取材報告』)でぽろっと書いています。
今はインターネットで情報の民主化が行われましたので随分と楽になりました。それでも米メディアの有料サービスには私も加入しています。
昔の作家は取材旅行も通訳付きで出版社の負担でやっていたのです。そういうことも私は書いておかなければ成りません。今はほとんどの場合、全部自前です。
何れにせよ、そういう風にして作家は“つくられていた”のです」

http://amesei.exblog.jp/11033250/


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(P.110〜125「第三話 妖しいダイヤモンドの輝き」)

■ラ・フォンテーヌの寓話『かしこい動物たち』

日本の経済崩壊が加速された98年は、次のように明け暮れた。

3月、かしこいはずの銀行家が金繰りに困っていた。
すると日銀総裁や大蔵事務次官をはじめとする金融危機管理審査委員会の委員たちは、「困っているなら、銀行に金をあげればいいだけだ」と、税金から大枚をプレゼントした。

その金をもらった銀行家たちは、使い道を知らなかったとみえて、建設会社(ゼネコン)や暴力団に横流ししたらしい。
金を受け取った彼らは、でっかいリゾート・ホテルや高層ビルを建て、海の上に橋をつくり、住民が「もういい」と言っても、必ず飛行場や高速道路までつくりあげ、
川があるとダムをぶったて、河口を見ると堰(せき)を建設し、干潟があるとすぐに埋め立てた。特に3月頃、失業者を使って、町中に穴を掘った。

その結果、過去6年間(→Roentgenium:92〜98年)で、緊急経済対策や円高対策と言って、66兆6000億円をつぎ込んだにもかかわらず、銀行家は金に窮していた。
そこで国は、もう一度救済しようとばかり、4月になって16兆6500億円を奮発した。合計83兆2500億円を使った勘定になる。

これで世の中がうまくいったわけではない。外国の投資家は、日本には金が余っていると読み、仲間を集めて相談した。
「日本の銀行は金利が低いから、金を借りて、それをアメリカやヨーロッパに持ってゆけば、利子が高いから儲かるぞ」と。「兜町で空売りすればいい」と。

空売りとは、東京証券取引所で取引されている株という紙切れを、銀行や保険会社から借り受けて、叩き売る行為である。当然その株が安くなる。
すると外国人投資家は、安くなったその株をもう一度買い集めてから、借りた銀行家に紙切れを返す。高い値段で売って、安い値段で買い戻すのだから、丸儲けであった。

その為、長銀(日本長期信用銀行)は困り果てた。空売りされて本当に紙切れのように安くなった紙が、自分の銀行の株だったからである。
前年には山一證券が潰れ、今度は「長銀が潰れる。長銀が潰れる」と、誰もが騒いだ。

外国人投資家はまた、株価操作という手品もしてみせた。
兜町で、株価を上げたり下げたりするゲームだ。値段が上がれば誰しも喜んで買いにくるが、下がれば誰もが売りにかかる。
したがって外国人投資家が買えば株価が上昇し、上昇したところで外国人投資家が売り逃げる。すると株価が急落するので、外国人投資家は再び安値の株を買いに転ずる。

この繰り返しが延々と続いた。大蔵省や日銀の幹部は、その度に株価を維持しようと大金をつぎ込んだ。
「国民の年金があったはずだ。財政出動だ」と言って、これまでと合わせて90兆円もの金を使ったのである。

しかしやはり外国人投資家にはとても勝てず、年金の資金がどんどん減ってしまった。
失業者が町じゅうに溢れ、「郵便局や銀行に金を預けておくとなくなるから、タンスか金庫に入れておこう」と買い物もやめ、日本人は金庫ばかり買うようになった。

それでも手を緩めない外国人投資家は、たちまち円高・ドル安にして、
「アメリカの国債をドルで買えば、高い金利がつくぞ」と日本の投資家を挑発した。日本人は、また騙されるとも知らずに、それを奪うように購入した。
その金でアメリカ人はますます金持ちになり、贅沢な生活を続けた。

やがて10月に入って長銀が破綻した。橋本政権を継いだ小渕政権は、長銀を国有化した後、緊急の経済対策として新たに23兆9000億円をばらまくことにした。
その為、バブル崩壊後の経済対策の合計額は、国家予算をはるかに超える107兆1500億円に達した。

銀行家はそれを見て安心したか、借金を取り立てるという自分の仕事をすっかり忘れたようだ。
ゼネコン関係のフジタと藤和不動産は借金を棒引きにしてもらい、暴力団の稲川会会長だった石井 進と懇意だった青木建設も借金を棒引きしてもらい、
長谷工は「4000億円をチャラにしてやろう」という気前のいい銀行家の一声で助かった。
日本人は、どれほど苦しくなっても、みなで助け合って生きてゆこうとする気概が人一倍強いのである。

そうこうするうちに12月に入って、日債銀(日本債権信用銀行)も、どかーんと音を立ててぶっ潰れた。
「なに大丈夫、また国有化してやればいいんだよ」と、大蔵大臣がにこにこして言ったものである。
日債銀は、昔から政商・児玉誉士夫と密着し、ワリシンという債権を28億円分も集めた金丸 信と柔道の寝業でよく遊んだことがあり、福島交通にも金を貸しっぱなしで、
実に幅広く交友関係があったが、すべて不問にされた。

しばらく帳簿をしまっておき、国民が忘れた頃に消費税を大幅に引き上げ、別の方法で巨額の税金を集めて、長銀や日債銀を救済するのだから、
国民が多少は怒らなければならないが、国民は至極冷静であった。
日債銀が国有化されたので、その株を1億2103万5000株所有していた日本生命保険は、一株の値段が158円だったので総額191億円も損失を出したが、
第一勧銀らと共に、いささかも慌てずにいたものである。

というのは、その他、むつ小川原原発、北東公庫、苫東開発、日本開発銀行、麻布建物、北海道拓殖銀行(拓銀)、みどり銀行など、
国民には到底数え切れないほどの救済資金が必要とされ、郵便貯金を使わなければならないほどになったのである。
高齢の政治家たちは、自分たちがそれほど長生きしないので、内心ではどうでもよくなっているとしか思えない。

しかしゼネコンたちの借金を棒引きにした後、銀行の火の車は、現在も続いている。(→Roentgenium:本書は2004刊行)
国から何度金をもらっても、ゼネコンや暴力団やリゾート開発の人間がそっと裏口にやってきて、「もう少し貸してくれ。くれんと騒ぐぞ」と言い続けているからである。
「実はもっと困っているんだ。また不良債権が増えて」
銀行は、いまだに高給で、ボーナスも退職金も年金も群を抜いている。が、町の人間は、いつまでもせっせと働き続けている・・・・・・


(二頁へ続く)

(一頁からの続き)


■財閥と富豪と億万長者と成金の違いは何か

そういう罪深い話だが、ラ・フォンテーヌの名作にも比べられる物語だ。ジパングの傑作寓話と呼んでもよい。
この物語が91年に我が国において朝夕の新聞に連載されて以来、週刊誌でも月刊誌でも取り上げられ、爆発的な人気で長く読み継がれてきた。

何故この寓話が読者に好評であるか、この物語の内部に潜むものが何であるか、という疑問を、日本の文学者も長いあいだ追求してきた。
過去幾多の世界的名品では、主人公がジャン・ヴァルジャンであったり、エドモン・ダンテスであったり、ダルタニャンであったり。ドン=キホーテであったり、ジュリアン・ソレルであったり、
みな生まれも境涯も性格も異にしているが、作家が一致して描いてきたのは、何物かに立ち向かう気概であった。

それに比べてこの寓話では、かしこい主人公たちが、外面的な行動においても、内面的な精神においても、いつまでも決起も高揚もせず、物語が終わるまでだらだらと惰性的な生活を続ける。
読者が苛立ちを覚えるほど物語が長くなった原因は作者になく、主人公たちが同じことを続ける純粋さにあることは、世界的に有名な話である。
えてしてそうした純粋さが、主人公をよく知る読者にとって最も深く印象に残るものである。その為、寓話の連載が人気を呼び、今日に至るまで寿命の長い作品として読み継がれてきたわけである。

すなわちこの文学的喜劇において舞台から浮かび上がる主題は、
「財閥と富豪と億万長者と成金の違いは何か」、「金融と経済を混同するジャーナリズム」、「資本主義が発展したあとの宴」という三点にある。

やはり誰もが指摘するように、最も罪深いのは、物語途中から登場し、外国からやってきて金を騙し取っていく人間たちであった。
この物語に、財閥と成金の違いが示唆されている。

今から四世紀も前の1968年に、アメリカ人のファーディナンド・ランドバーグが『富豪と大富豪』(邦訳、石川博友、福島正光、早川書房)という大部の本を出した。
原題は、“The Rich and the Super-rich”(リッチとスーパーリッチ)であり、人間世界の富の不平等がどれだけ酷いものであるかを、実に詳細な数字の調査によって明らかにした。
要するに富豪と金持ちは違う生き物である。

マリリン・モンローは、1950年から63年までの14年間でハリウッド映画界に2億ドルの興行収入を齎したドル箱女優だったが、彼女はどれほどの財産を持っていただろう。
ドル箱のはずのモンローは文無しのまま62年に命を絶ってしまい、友人たちに100万ドルを贈ると書いた遺言は、悲しい紙切れに変ってしまったのである。

当時、一年で100万ドルを稼ぐ映画スターは数えるほどだったが、彼らが独立プロを経営して、エージェントに10%、営業経費に10%、純益にかかる約50%の法人税などを支払って、
手元にようやく10万ドルが残ると、そこにまた約50%の税金がかかってきた。
彼女の人気が抜群であっても、その100万ドルを稼ぐ『百万長者と結婚する方法』や『紳士は金髪がお好き』という皮肉な題名の作品に、次から次へと出演しなければ生きてゆけないような世界にいたのだ。

しかし彼女が生きた時代には、既に5000万ドル長者が全米に数百人存在していた。それより少ない1000万ドル長者であれば、更にその桁違いの数がいた。
ところがモンローが1000万ドル貯めるには、34年間ヒット作を続けなければならなかったのである。
これら1000万ドル長者の資産は、ほとんど遺産相続によって生まれたものであった。

大富豪デュポン・ファミリーは、経済誌“フォーブス”によれば一族の子孫が86年時点で1700人にも達していた。
そのうち私自身が調べられるだけ調べて、デュポンという姓の人間で、正確に系譜を確認出来たのはわずか188人だった。
それがみな結婚によって家族を増やしていたので、姓が変わってもデュポン家の血筋にあたる一族は膨大な数に達した。
近親結婚や離婚・再婚・三婚など、あまりにも乱脈なデュポン家だが、アイルランドに発したギネス・ファミリーも、子孫は膨大な数に達している。

この42年間は、富豪にとってそろそろ孫が大きくなり始めた時期だが、家族が五人に増えても、5000万ドルあれば、その一人ずつが1000万ドル長者になっているわけである。
しかも彼らは、黙って銀行に預けるようなことはせずに、4%よりはるかに利回りのよいビジネスや証券類に投資して、重役室に坐りながら巨大な財産を元本に加えてきた。

日本では、99年当時、銀行の定期で100万円を預金した場合、大抵は年利0.12%だったので、42年後になっても、利息は5万1660円しかつかない。
これに税金がかかるので、100万円が42年経っても104万円になるだけだ。これでも複利計算かと疑いたくなる。
利子に期待するより初めから他の用途に使えば、42年あれば、誰でも4万円を楽々稼ぐことが出来る。
その為にタンス預金が増え、銀行の貸し金庫の利用者が急増し、家庭用の金庫が飛ぶように売れたのである。

富豪国家のアメリカでは、利率が4%から5%に上がるだけで、50年後には元本の11倍を超えて、1000万ドル長者が1億ドル長者になれる。これが本来の複利計算の世界である。

99年3月に、ニューヨーク証券取引所のダウ平均株価は初めて1万ドル台を突破し、5月には1万1031ドルの最高値をつけたが、そのちょうど10年前の株価を読者はご記憶であろうか。
89年1月には、わずか2100ドル台だったのである。10年間で5倍以上に膨れ上がってしまった。
利率が5%の預金であれば、10年後には元本の1.63倍、つまり163%になるが、富豪たちが投資してきた株式市場では、わずか10年で525%の利回りだったことが分かる。

かしこい日本人はどうだったか。
89年に日本がバブル経済の絶頂にあって浮かれていた時から、どん底の2003年4月まで、株価が5分の1に下落したのだから、投資家の利率は複利計算ではほぼマイナス11%である。
このように不愉快な計算は普通誰もしないが、毎年一割ずつ減ってゆくだけで、14年後には5分の1に減るのである。いや事実、投資家の期待を裏切って、5分の1に減ったのである。

国際金融マフィアの手口は寓話に示した通りだが、先程の簡潔な物語が、日本のジャーナリズムや銀行家のあいだでは、まだ充分に理解されていない。
これは寓話ではなく、数学で立証されるのである。

日本が恐慌状態に陥った98年の一年間、兜町における外国人投資家の売買額は、東京証券取引所の第一部で、2992億円の売り越しであった。
日本の金融機関はそれを「大した金額ではない」と言っているが、そこに大きな嘘がある。
確かに、外国人投資家の1年間の売買額を足し算と引き算で〆めたところで、時価総額200〜300兆円規模に達する東京証券取引所から2992億円減っても、さして意味はない。
問題は、数学においてもう一つの「時間」という次元を加えた計算、つまりスピード計算の手法にある。

誰のガソリンを使って、誰の自動車がスピードを上げられるかを考えてみればよい。
外国人が買った時に株価が上がり、外国人が売った時に株価が下がったという変化のプロセスに、その答えがある。

日本人の投資家が大いなる損害を受ける理由は、株価を上下させる主導権を誰が握っているかにかかってくる。
外国人投資家は、仕手集団と同じで、自分たちが値をつり上げた時に日本人が追随してくることを知っている。
彼らが小額でも投資すれば、そのあと兜町の株価は、日本人の追っかけ投資によってぐーんと値が上がる。
外国人が消費するエネルギーは少ないが、日本人のガソリンを利用してGMもフォードも自動車のスピードを大幅に上げることが出来る。
充分に日本人の大金が積み上がったところで、外国人が売り飛ばすのである。逃げ去る彼らの自動車は、労せずして満タンになっている。
値が下がれば、彼らはまた戻ってきて買いに入る。これを繰り返せば、外国人投資家の1年間の売買額の差し引きが例えゼロであっても、日本人には莫大な損失が出ているのだ。

委託販売されている株取引高の3分の1を外国人が動かしていた当時の日本では、
本来は、日本人が3分の2の資本力で株価を上下させなければいけないところ、株価の変化はまったく逆になっていた。
外国人の売り買いの後に追随して、株価が引っ張られてきた。日本の金融機関がまったく信用されていないからである。

その為、国が介入し、兜町でPKO(Pice Keping Operation)と呼ばれる株価維持の財政出動が繰り返された。
国が、三井・三菱・安田・中央などの信託銀行を代理人に使って、兜町に年金資金を投入しながら株を買いまくったが、98〜2002年に信託銀行の買い越し額は13兆円を突破した。
この中には信託銀行が自己資金で売買した額も含まれているが、その額は不明である。しかし信託銀行が買い越しであっても、小額なので、13兆円の大部分が国民の金であった。
その投資に対して、ごっそり国家が大損失を受け、国民の年金が崩壊したのである。

97年7月にタイの通貨バーツが暴落した当時、東京証券取引所の平均株価は、7月1日に2万175円であったのに、2002年12月の大納会では、8578円まで6割近く暴落している。
結論として、13兆円の投資をして、6割下落すれば、国民の年金が7兆円以上吹っ飛んだ計算になる。しかしそれも表面上の損失であった。

東京証券取引所の時価総額では、それどころではない金額が吹き飛んだ。
時価総額とは、上場されている全企業の発行株の総額であり、バブル経済絶頂時代の89年末には、東証上場株が611兆円を記録した。
ところが13年後の2002年末の時価総額は、247兆円まで減少した。13年間で、これも6割の消失、金額で360兆円以上が兜町の上場株式市場から消えたのである。
この数字の中に、次から次へと倒産した企業の大損害が含まれているのだ。360兆円とは、日本の国家予算の4〜5年分にも相当する金である。
しかもこれは、東証の大企業が受けた損害だけである。9割を超える中小企業が、株式市場と無関係のところでその余波を受けてきた。

働けど働けど、じっと手を見る日本人は、寓話を笑ってはいられない。その大金が海を渡ってアメリカ大陸や遠くヨーロッパまで運ばれたことを知っているからである。
このような成金の日本を笑う富豪の国アメリカでは、デュポン・ファミリーに子孫が1700人いても、余程おかしなことをしなければ、みな富豪になっているはずなのだ。
モントリオール・オリンピックでは五種競技のマネージャーを務め、アトランタ・オリンピックに向けてレスリング・チームをつくっていたジョン・E・デュポンが、
96年1月にオリンピック金メダリストを射殺して逮捕される事件があったが、この殺人犯はそれまで経済誌“フォーブス”で億万長者に数えられていたスーパーリッチである。

このように、一族の富豪がそれぞれ同時にそれぞれ同時に事業を手広くおこない、膨大な遺産相続人と実力を維持している場合に、初めて“財閥”と呼ばれる。
以下に、代表的な財閥として歴史的に有名なファミリーのいくつかを示すが、このうち、現在も当主が現役で活躍しているものは、既に数えるほどしか存在していない。


   ○ロスチャイルド (全世界の金融・石油・原子力・軍需・食品)
   ●オッペンハイマー (南ア・アフリカ全土を本拠とする貴金属・鉱山)
   ●グッゲンハイム (全世界の鉱山)
   ●ウォーバーグ (アメリカ・ドイツ・イギリスの金融)
   ●アスター (アメリカの不動産・ホテル)
   ●サッスーン (麻薬・アジア貿易)
   ●グンツブルグ (ロシアの金融・鉄道)
   ●パティーニョ (南米の鉱山)
   ○ロックフェラー (全世界の石油・軍需・原子力・食品)
   ○モルガン (全世界の金融・軍需・原子力)
   ○ノーベル (全ヨーロッパの軍需・化学・石油)
   ○ベアリング (イギリスの金融)
   ○ギネス (全世界の酒造・食品貿易)
   ○デュポン (北米大陸の化学・軍需)
   ○ジーメンス (ドイツの金融・電力・通信・工業)
   ○カーギル (全世界の食品・穀物)
   ○ヴァンダービルト (アメリカの鉄道)
   ○メロン (アメリカの金融・石油)
   ○ハリマン (アメリカの鉄道・金融)
   ○エッシャー (スイスの金融・工業)
   ○ロイド (イギリスの保険・金融)
   ○ヴィッカース (イギリスの保険・金融)
   ○アニェリ (イタリアの金融・軍需・自動車・工業)
   ○ヴァーレンベリ (スウェーデンの全産業)
   ○ジレ (フランスの化学工業)
   ○シュレーダー (ドイツ・イギリス・アメリカの金融)
   ○シュネーデル (フランスの軍需・原子力・鉄鋼)
   ○アンパン (ベルギーの金融・原子力)


名実ともに財閥を堅持しているのは、国際的なビジネス界のトップ企業を、200年近くにわたって当主が直接掌握しているロスチャイルド家と、その傘下のオッペンハイマー家、ギネス家ぐらいである。
●で示したグッゲンハイム家やアスター家などは、相互に結婚し合っているので、事実上のロスチャイルド財閥だが、それ以外の○もすべてロスチャイルド・ファミリーと密接不可分の資本提携を持っている。

日本には、かつて五大財閥として、三井、三菱(岩崎家)、住友、安田、古河が君臨していたが、現在これらの当主はほとんど実業界で活躍していない。
クルップやカーネギーは、巨万の富を持つ鉄鋼王だったが、継承者がなく財閥を形成することは出来なかった。
自動車王ヘンリー・フォードも、男の子孫を増やさなかったので財閥には至らず、いま四代目が復活しながら、富豪にとどまっている。
アルフレッド・ノーベルも本人には子孫がないが、兄弟一族でノーベル・ダイナマイト・トラストをつくりあげ、一時期、全世界の兵器製造に君臨したので、ここでは財閥に数えてある。

最近では、エクソン・モービルがロックフェラー財閥と言われるように、ロックフェラーの一族が直接に社長や会長を務めなくとも、創業者の事業を「会社」に受け継ぐ企業グループであれば財閥と称している。
では、彼ら創業ファミリーは単なる名目上の財閥であって、もはや前世紀の遺物であるかというと、とんでもない。
保有する遺産の大きさという点では、ロックフェラー家もメロン家もみな、超大富豪として健在である。ロスチャイルド家、モルガン家、ロックフェラー家などが世界的な美術館を支えてきた資産は、天文学的である。
また資産が豊かだっただけでなく、膨大な美術品のコレクションを所有した美的感覚にも極めて優れており、その感覚に“強欲”の二文字を持ち合わせた為に、財閥が誕生したのである。

賢明なる読者が、「自分は、美的感覚に優れ、もう少し生活が良くなってもいいぐらいの願望は持っている。しかもいまだに貧しいのは何故なのか」と、机を叩いておられるなら、それは、頭脳の回路に組み換えがあるはずだ。
強欲とは、我々貧乏人が抱く願望とは異質のものである。
モルガン家、ロックフェラー家、ロスチャイルド家は、「お金があればいいなあ。宝くじが当たるように」などと甘い願望を抱くことは決してない。
帳簿の最後の一桁まで正確に計算し、100%成功するように事業を進める、それが強欲というものだ。

こうした財閥ファミリーが持つお城のような邸宅に比べ、日本の銀行頭取たちの自宅を見ると、まるでラヴホテルである。
キンキラではあるが、それは物の価値を知らない日本人がつけた正札であって、億の金を出して買うような価値はない。
成金のサラリーマン銀行家と言われても仕方ない。長銀本店の不安定なビルの設計を見ればお分かりのように、あのような美的感覚では、銀行も破綻する。
   

(次回、三頁へ続く)

(前回、二頁からの続き)


(P.126〜148「第三話 妖しいダイヤモンドの輝き」)

■遺産相続人たちが望んでいる金塊の価値

では、世界的な超大富豪は、どれほどの金を隠し持っているのだろうか。
ジョン・D・ロックフェラー二世が1960年に死去した時、アメリカ人が驚いたことに、彼の資産はわずか1億5000万ドルしかなかった。
ところが彼はその日に備えて、別に巨額の信託ファンドを設立しておき、6人の子供がファンドの“収入”を受け取り、22人の孫が“元本”を受け継ぐようにしてあった為、
大富豪が一挙に28人も誕生してしまったのである。
ロックフェラー家がスタンダード石油ニュージャージー(現在のエクソン)のわずか一社に保有していた13%の持ち株だけで、64年時点の資産価値は26億ドルに達していたものである。
一族はこうした大企業を何十社も支配しており、表面上の資産だけで、六人の子供たちは、それぞれが6億ドル近くの遺産を相続したと言われている。
それらは株式順位で20位以内に入る大会社の資産だけを計算したので、他に隠されていた資産を含めれば、その何倍かになっていたはずである。

銀のスプーンを口にくわえて生まれるロックフェラー家やロスチャイルド家の人間と、自分の指をくわえて生まれてくる人間には、初めから酷い運命の違いがある。
こうした天文学的な遺産に守られる財閥と富豪のファミリーに対して、マイクロソフト社のビル・ゲイツたちは、まだ子孫を増やしていないので財閥でも富豪でもなく、
かつての発明王エジソンと同じように単なる瞬間的億万長者の“成金”である。バスケットボールのマイケル・ジョーダンや歌手のマイケル・ジャクソンが億万長者であるのと、意味は変わらない。

禁酒法を掻い潜って莫大な富をつくったケネディー家も、大富豪の避暑地フロリダでは最後まで富豪の仲間に入れてもらえず、「あれはただの金持ちさ」と言って馬鹿にされ、
石油王J・ポール・ゲティーは先代からの富があったのでかろうじて富豪の遊び仲間と認められ、アーマンド・ハマーは政商、アリストテレス・オナシスは海運王、トム・ワトソンはIBM創業一族にとどまった。

戦争に関わる金融と軍事という国家的な二大ビジネスに乗り出して初めて、財閥富豪に数えてもらえるのである。また金融界を支配したウォーバーグ家のようなユダヤ人富豪は、
アメリカでは一流のクラブに入会することが許されなかった。工業界と金融界は、それほど保守的である。

富豪一族は、その大半のメンバーの名前が経済誌にもあまり登場せず、南仏ニースやスイス、モナコ、避暑地フロリダ、一流クラブの会員名簿、ウォール街の顧客名簿などの排他的世界で知られ、
ヨーロッパではそこに貴族の爵位を持つ人間たちが結婚し合っている。それらを総合した資産は、誰にも計算出来ないほど巨大な金額に達している。
1920年代、60年代、そして現代へと、各時代別に分っている資料から私が概算しただけで、コンピューターがパンクしてしまいそうなのだ。

証券類をしっかり握って、ダウ工業平均株価に数えられる大企業の経営者を背後で操っているのが、豪邸に住まって、大した買い物もせずに案外地味な生活を装っているこの遺産相続人たちである。
それを我々が知る唯一の方法は、昔の財閥創業者から家系図を描いてみることである。全世界の大物資産家のほぼ4割は、私が自宅に坐っていても、この方法で所在を知ることが出来る。
モルガン財閥の男子継承者は消えたように見えるが、消えてはいない。
また、その女系家族が姓を変えて、いまどこにいるかを知れば、ホワイトハウスの誰を動かしているかということさえ推測出来る。
そしてしばらくすると、必ずその推測を裏書きする出来事が、歴史の記録や、海外の新聞記事の片隅に現われる。実業界や政界や役人の人事である。

その遺産相続人たちが最も恐れているのは、19世紀までに確立された先進国と後進国のー貧富の差が解消され、利息の国際的価値が低下することである。
利息の価値が低下すれば、遺産を維持出来なくなるので、ヨーロッパとアメリカの上流社会が金庫に持っている札束の価値が、円〜ドルのような為替レートの急変で目減りすることが彼らの恐怖ななのである。

我々は今、お札の価値というものは毎日の為替レートとともに変化するのが当然だと思い込んでいるが、金融取引きの価値を測る基準は、かつては“金銀ダイヤ”の絶対重量であった。
戦後の金本位制の基準では、重さ1オンス(31.1グラム)のゴールドが、35ドルと決められていた。

それが1971年8月15日に、ニクソン大統領が、「この基準をなしにする。今後はドルとゴールドの一定の交換はしないことにした」と発表したのである。
いわゆるこのニクソン・ショックによって、現在のような変動相場制になり、金融取引きの価値を測る基準が“ドル札”の紙切れに変わった。
その為、世界唯一の基軸通貨であるドルを発行するアメリカは、輪転機をまわせばいくらでも金をつくれる国になり、最近ではコンピューターの操作で変化する無茶苦茶相場制になった。
その為、極わずかのファンド・マネージャーの勝手で世界一の名門ベアリングが倒産したり、巨大なヘッジファンドが潰れたり、全世界の大混乱と貧困を招くに至った。

だからこそ今、「世界経済の支配戦略」と呼ばれるメカニズムは、ビジネス界だけでなく、その資産の受け皿である遺産相続人にとって、絶対の権力としてますます必要にされる存在になりつつある。
日本が調子に乗って頭を出せば、叩かれるのは当然である。

そうした現在の世界経済で、最も不思議なミステリーは、地球上にこれだけの金融不安が広がりながら、安定した資産の担保であるはずの“金価格”が、しばらく低迷した現象である。
したがって、これからの金価格がどのように変化するか、というところに、もう一つの起爆剤が潜んでいる。

98年まで続いた金価格の低迷と99年に入ってからの急落は、明らかに人為的な世界戦略と考えられる。
ゴールドの世界は、南アにある世界最大の金鉱会社アングロ・アメリカンを支配するオッペンハイマー家によって動かされ、その資本を握るロンドン・ロスチャイルド銀行が金価格をコントロールしてきた。
ところが南アの黒人差別(アパルトヘイト)が廃止された為。鉱山業への黒人の進出が許されるようになった。
これまで完全な独占を続けてきた白人支配層にとって、金鉱の利権が黒人の奪われることは許されない事態であった。

それでアパルトヘイト法に代わって、今度は資本の力によって黒人を再支配する為、オッペンハイマーたちの大手鉱山会社は、金の鉱山を苦しめて自分の傘下に収め、
ロスチャイルド財閥の鉱山だけが生き残るようにしたのが最近の動きである。
こうして金の採算コストを昔に比べて大幅に低下させ、それによって金価格を異常に低下させたのである。恐ろしい人間たちである。
資本の力とは札束(紙)であるから、基軸通貨のドル札を自由に印刷して、後は好き放題にゴールドを買い集めればよい。

かつてイギリス人のダイヤ王セシル・ローズが支配し、その名を国名にしたローデシアは、南アと同じように黒人差別が国際社会で許されず、80年にようやく白人政権が屈服して国名をジンバブエに変えた。
黒人に自由が与えられたはずである。ところが、現在も人口でわずか数パーセントの白人が経済の大半を握って“準奴隷社会”を維持している。
こうしたアフリカにおける民族の生存を賭けた葛藤が、上流社会における妖しいダイヤモンドの輝きと、金価格の裏に潜む凄絶な闘いを反映しているのである。

国際金融マフィアにとって、戦略物資は「金融」・「食糧」・「軍事」の三本の柱である。この金融に、石油やエレクトロニクスなどの基幹産業を含めて考えればよい。
食糧と軍事は、生命を直接左右するものなので、これらの一般産業とは本質的に異なる性格を持っている。

アジアが結束して通貨の価値を高めれば、金融世界の価値の基準をがらりと変えることが出来る。
ところがアメリカとヨーロッパの遺産相続人の資産を管理している国際金融マフィアにとって、それは都合の悪いことである。
その為、アジアの結束を妨害しながら、為替の暴落や株式市場の混乱を引き起こすことによって、絶えずアジアの金融支配を進めてきた。
99年のユーロ誕生で、通貨統一前にヨーロッパの富豪たちが資金をスイスに大量に移動するなど、新しい戦略が静かに動き出したのである。

既にアジアは、97年来の激動の為、韓国では2万社が倒産し、98年末には失業率が8%となり、IMFの圧力を受けて金融がめちゃくちゃになり、現金でなければ決済が出来ない社会になった、とに日本では酷評されてきた。
インドネシアやマレーシアなどアジア全土の経済を動かしてきた華商も資金が激減してしまい、生き延びるのに必死で、中国全土への投資も減ってきたと日本では言われてきた。
日本の銀行は香港から次々と撤退をはじめた。
こうして韓国や東南アジア全域が、IMFの融資によって金利の奴隷になりつつあるのは事実だが、その国際資本の力によって、中国の経済成長は衰えることなく伸び、
98年末における韓国での株の売買額が、ついに兜町の売買額を超えたのである。

国際金融マフィアの指令によって、ピンポイント攻撃を受けた日本だけが、アジアで取り残された裸の王様となったらしい。
しかし中国では、これからが大変である。国家も民間も深刻な財政危機の為、欧米に振り回されて、やがては日本と同じ地獄へ落とされる日が来るので、中国人は大量に金を買う時代に入った。
すべてのアジア諸国が、ウォール街の好みの色になるように配色されている。
アメリカとヨーロッパの富裕層にとって、そうした状況に追い込んでから有利な相場で為替レートを固定出来れば、アジアや中南米を奴隷同然にすることさえ可能である。
貧富の差が固定されてしまうからである。
ここから先は一つの憶測に過ぎないが、その為に、ドル〜金価格の準固定相場制が復活する可能性が残されている。
97年のタイの通貨暴落が引き金を引いたように、為替レートの変動によってアジアが大混乱したことを思えば、準固定相場制にはアジアにとっても重要な意味があるが、
誰が得をし、誰が損をするか、というタイミングにすべて左右されてくる。ヨーロッパの通貨統合で、国によって損害と利益が生じたのと同じである。

ヨーロッパでは、99年1月1日から通貨が統合されて“ユーロ”が誕生した。その交換比率は、1ユーロ=1.95583マルク=6.55957フランに固定されることになった。
つまりドイツ人とフランス人のあいだでは、1マルク=3.35385フラン(または1フラン=0.29816マルク)で交換される。
ところがその2日前(98年12月30日)日本の兜町で大納会が行われた時の為替レートでは、100円が1.43184マルク=4.75737フランであったから、1マルク=3.32255フランの比率であった。
通貨が統合された瞬間に、フランに対するマルクの価値が0.94%上昇したのである。わずか1%の変動でも、わずか1日で100兆円規模の為替取引きでは1兆円に相当する金額であるから、巨大である。

これまでも毎日このような通貨価値の変動はあったが、今度はドイツ人とフランス人のあいだでその比率が永遠に固定されたのだから、過去の交換比率とは意味の異なる損害と利益が国によって生じたことになる。
そのようにレートを動かして、最後に固定されたのは誰だったのか、という謎が生まれる。

可哀相なのは、ユーロに参加した11カ国のうち、イタリアのような金融劣等国であった。オペラと色の道とマフィアでは世界一だが、工業力ではドイツに大きな後れを取って、とても追いつけない。
ところが通貨価値を統一するとなれば、劣等生でも帳簿の上では優等生並みの点数がついていなければ、ドイツ人が損をするという理由でユーロから排除されてしまう。
そこでイタリアとしては、形式的な点数が高くなるように財政を切り詰め、立派な収支報告をつくったわけだが、裏では、その皺寄せを国民に背負わせなければならなかった。
あらゆる産業で首切りが横行する・・・・・・年金は当分支給されない・・・・・・このような状態で、さあヨーロッパの統合だ、祝福しようと言われても、国民はたまったものではない。
この統一で何かいいことがあったのか、誰が儲かったのだ、とイタリアの国民は憤懣(ふんまん)やるかたない。そこでイタリア人は、ドルを当てにしない賢明な道を選んだ。

謎はまだまだある。この通貨統合では、世界の金融センターであるはずのロンドン金融街(ロンドンシティー)が参加しなかった。
ロスチャイルド財閥によって動かされる金塊と、大富豪の為の銀行秘密口座を管理するスイスも参加していない。
この肝心の大物2カ国の姿が見えない為、結局は国際金融マフィアの総本山は、これからも自由に為替レートの世界を泳ぎまわるはずだが、そこにどのような取引きのトンネルがあるのか、
まだ誰にも分っていない。

過去の教訓としては、これに先立つ97年7月1日、香港が中国に返還された時には、全世界の投資家が血眼になって香港に投資し、香港の株式市場がとてつもない急騰を演じた出来事がある。
ところが、そのわずか4カ月後に大暴落が襲いかかり、国際金融マフィアが膨大なアジアの資金を海外に持ち去ったのである。

動きの中心には常に、国連のIMF(国際通貨基金)と世界銀行(国際復興開発銀行)という公的機関が存在し、
これがアメリカ中央銀行のFRB(連邦準備制度理事会)、大統領府であるホワイトハウス、ガットを受け継いだWTO(世界貿易機関)、国際金融の総本山であるスイスのBIS(国際決済銀行)、
ヨーロッパ経済統合の総本山であるフランクフルトのECB(ヨーロッパ中央銀行)などと連動しているかに見える。
しかしそれら公的機関はすべて、ウォール街とロンドン・シティーのファンド・マネージャーと、スイスの銀行秘密口座管理人と同じ金融人脈で構成され、同じ人間が流動しているに過ぎない。
まったく危険な一つの集団である。

≪特に、貧困国への融資を行うIMFは、日本の新聞にしばしば「アメリカの支配下にある」と書かれているが、IMFの投票権は点数制で、アメリカの26万点に対して、ヨーロッパ9カ国合計が60万点と2倍以上ある。
BISもまた、最も強大な権力を握る事務局は代々ヨーロッパの金融家におさえられてきた。事実上、姿の見えないヨーロッパ金融資本の支配下にあるのだ。≫

そのIMFの支配者フランスから、不思議なことに、アフリカのルワンダに大量の武器が輸出され、80万人虐殺という悲劇が展開された裏で、虐殺の責任者である過激派政権にフランスの軍事支援が行われてきたのである。
ここは昔から、リヴィングストンとスタンレーのアフリカ探検物語の舞台となった有名な土地で、ヨーロッパの金属財閥にとってタンガニーカ湖とヴィクトリア湖に至る最重要ルートを成し、
原住民の武器は斧と弓矢と槍であるはずが、いまやロケット弾と迫撃砲と機関銃で戦いが行われている。ツチ族やフツ族がこの近代兵器をつくったとでも言うのだろうか。

元々民族の対立がなかったこの地域に紛争が持ち込まれたのは、ベルギーが委任統治をはじめてからであり、ヨーロッパ人が少数部族のツチ族に王位と武器を与え、農民のフツ族を奴隷階級にしたことに原因があった。
その為、ベルギー領コンゴを支配した鉱山会社ウニオン(ユニオン)・ミニエールが誕生してから、金銀ダイヤとウランという最高級の鉱物資源をめぐって、知られざる百年戦争が今日まで続いてきた。
前述の財閥リストで最後に挙げたベルギーのアンパン男爵家が、その中心人物であった。
ベルギー領コンゴは71年にザイールと改名されたが、先年また昔の国名に戻り、コンゴ民主共和国と呼ばれるようになった。そこが、虐殺の続くルワンダの隣国である。

第一話“オリンピアの祭典”でソルトレーク・シティーの招致活動に絡むIOC委員の買収工作で登場したのは、更にその隣国の旧フランス領コンゴ共和国である。
99年1月に最高額の買収と報じられたのが、コンゴ共和国の観光スポーツ大臣でIOC委員のジャン=クロード・ガンガの収賄であった。
アフリカ諸国に大きな影響力を持つ彼らが、アメリカ・ヨーロッパとの貴金属密貿易で窓口になる有名な“スポーツ大臣”である。

旧ベルギー領コンゴ民主共和国と、その南に隣接するアンゴラは、ロスチャイルド〜オッペンハイマー財閥のダイヤモンド会社デビアスと、金鉱会社アングロ・アメリカンによって広大な鉱区のダイヤとゴールドが収奪され、ナイジェリア、南ア、ジンバブエと共に、石油も銅山もコバルトもウランも、みな一つの資本で動かされてきた。
コンゴの利権を支配してきたモブツ大統領に代わって、97年にゲリラ勢力のカビラ大統領が登場すると、北米大陸の企業群が新たに現地に入り込んで、代理戦争を展開しているのである。
アンゴラには、アメリカとヨーロッパの武器が大量に流れ込み、国連の武器と国連の武器が戦火を交えている。漁夫の利を占めるのは、G7の先進7カ国の企業である。

まったく、何故このアフリカにこれほど膨大な鉱物資源があるのかと思われるほど、全世界の鉱業を支える富が、これらの隣接する領土の地底に眠っている。
その豊かな富の量に比例して、人間が殺され、そこにIMFの資金が不思議な形で流れ込んでいる。
これらの紛争が、アフリカ人の為の闘いであるはずがない。彼らはそうした事情を知らない。
ここまで述べた国のうち、世間一般には南アの位置ぐらいしか知られていないが、地図を開いてみればお分かりのように、鉱脈が地底でつながって、ニュースではばらばらに起こっているかのように見える地域紛争が、一つの戦争を形づくっている。
これら鉱物資源は、公式の輸出量より“密輸による収奪”のほうがはるかに多い。それが、欧米で人権を謳っている先進国家のしていることである。

その鉱山のゴールド価格と為替レートの支配メカニズムが、日本の銀行株を売りまくった国際金融マフィアの掌中に握られていることは、現地のビジネスマンがよく知るところである。
日本の庶民や民間企業ではなく“国家が保有する金”は映画『007ゴールドフィンガー』の舞台となったケンタッキー州フォード・ノックスにあるアメリカの中央銀行(FRB)の地下金庫に保管され、相場全体が人質としてとられている。
日本の倉庫には金塊がない。日本だけでなく、ほとんどの弱小国が金塊を人質にしてとられ、これらの人質国のあいだの金取引きは、FRBの地下倉庫にあるそれぞれの国のブロックに入っている金塊を、台車で移動することによって成立している。

ところが最大の金取引きをする肝心の国際金融マフィアは、北米人とヨーロッパ人である。彼らのあいだで行われる金の売買は、バイヤー同士が直接会って行う相対(あいたい)取引きによってなされ、まったく不明の巨大な謎に包まれている。
日本の貴金属取引き商でさえ、その実情を知ることが出来ない秘密の世界だという。

97年にタイの通貨バーツが暴落してから、アジアは金塊を大量に売却し、それを誰かが買ったはずだが、バイヤーの正体は分っていない。
経済危機に襲われたロシアも、98年に大量に金塊を売却した。
一体それらは、何の目的で、どこに、どれほどの量が集められているのか。真偽は不明だが、一説では、現在の紙幣金融の力によって買い集められた膨大な金塊が、ぞくぞくとヨーロッパに集結しつつあるという。
それが大量に確保された段階で金価格が急騰すれば、一挙にゴールドの資本価値が高まり、これは大変な事態になる。しかも金価格を決定出来るのは、ロンドン・ロスチャイルド銀行なのである。

このような変化を眺めていると、一抹の不安がある。
これから、どのような交換比率でゴールドに対する通貨価値を固定するかという問題を主導するのは、貧困国でなければならないが、現実はそうならないはずである。
資本力の大きな者が決定権を握っているのだ。
ゴールドは、そうした危険な幻想を求める人の相場として、不気味な底力を秘め、実際にその動きが胎動し、アジアでも目聡い華商が金塊を買い集めている。

では、いつ金価格の変動が起こるのか。
それとも、証券マンが言うように、自宅の地下室に隠しておいてもまったく金利を生まない金塊は、ただの冷たく厄介な金属の塊りであり、もはや人類にとって投資の魅力がなく、金価格は死んだままに終わるのか。
と99年に書いた本書だったが、文庫版を出す2004年初めの金価格は、やはりロケットのように上昇した。99年の最安値から50%以上も高騰したのである。
すると今度は貴金属ディーラーが、「金価格はまだまだ上昇する」と、囃し立てる。
そうなると、基軸通貨がドルとユーロの二本立てになった今、価値の基準はどこに向かって進んでいるのか。


(四頁へ続く)

(三頁からの続き)


■金融と経済を混同するジャーナリズム

前述の寓話に登場した亡国における悲劇の大きな原因は、エコノミストの無責任さにあった。
現在ここまで述べてきた現象は、金融問題である。それと混同されているのが経済問題である。
相場に手を出さない人々に需要なのは、生活が保障されること、少なくとも生活を他人に乱されないことで充分である。
家族や友人と談笑し、同僚と人生を語らい、恋人たちが目を見つめ合い、商店街で機知に富んだ会話を交す、それ以上には何も必要としていない。
それが、生を活かす“生活”と呼ばれる経済問題である。ここに余計な金融投機が介入するべきではない。

ところが、国際金融マフィアによって操作されるダイヤモンド市場や、金価格や、為替レートや、証券投資や国債の相場が、日本の銀行経営に大きな影響を与えた。
その金融崩壊を未然に防止しようとする政府と役人の打つ手が、尽く(ことごとく)失敗してきた。
この失敗の責任を取り繕う為に、不安を煽る膨大な金融関連ニュースが流され、国民の貴重な経済生活を、深い傷の代償として差し出してきたのである。

毎年、年末になると予算案が決定されたニュースが流れる。これが決定された後、メディアはいっせいに“莫大な借金を背負った国家の暗澹たる未来”を批判する。
99年度末に国民の借金が600兆円になると騒いでいたのが、2004年度末には719兆円になると予測されるのだから、当然である。
これを人口で割れば、4人家族の標準世帯で2270万円の借金だから、日本人のほとんどの家庭は、預貯金より大きな税金をこれから国家や自分の住んでいる町から請求される運命にある。

≪問題は、その批判記事ではない。この予算案が決定される直前まで、同じ大新聞が政府の尻を叩き、“景気対策が手ぬるい”、“不況だ、不況だ”と書きまくってきた論理矛盾である。
一体、この賢いジャーナリストたちは何を望んでいるのか、私にはその意図を察することが出来ない。≫
ジャーナリズムに景気対策が手ぬるいと痛罵されたからこそ、政治家や財務官僚という生き物が、「巨大な借金をしなければならない」と追い詰められたのではなかったのか。
大新聞の賢い経済記者よ、国民のこの冷静な問いに、冷静に答えたまえ。
ギリシャの哲学者ピタゴラスが生きていれば、「汝よろしく沈黙せよ。さもなくば、沈黙に優れることを言え」と、一喝される話である。

≪18世紀、ドイツの物理学者で、啓蒙家でもあったゲオルク・リヒテンベルクは、1年間の新聞をまとめて読んだ後、次のように有名な言葉を語った。
「その内容たるや、50%が間違った希望であり、47%が間違った予言であり、3%しか真実はなかった」と。≫

いまの時代に、猫も杓子も濫用している“経済”の語源は、倹約と同義語である。その昔、浪費することを“不経済”と言い、節約することを“経済的”と言ったのが正しい使い方である。
ところがいつしか、ウォール街が日本人を“エコノミック・アニマル”と呼びはじめた時から、エコノミーの意味が“金儲け”に逆転してしまった。これはまったく誤用である。
人間は必要なものを買って、愉快に生きる以上に、金儲けなどしなくてよい。愉快に生きるのに金を浪費しなければならないと考えるのは、よほど人生体験に乏しく、想像力が足りないからである。

その経済という問題で、大国ロシアに、モリエールの喜劇を凌ぐ抱腹絶倒の時代が訪れた。
ルーブルが崩壊した98年秋のNHKの番組で、ルーブルの切下げに伴うロシア金融界の大破綻の経緯が描かれた。厳しい生活を送っているロシア人には申し訳ないが、それを見ているうちに私は笑ってしまった。
銀行がまったく機能しなくなった為、何と、20世紀末だというのに物々交換の時代に突入したそうである。

ロシアの工場には、物々交換の部署があり、そこで自社の製品(例えば自動車)をA社の製品(鉄)と交換し、更にそれをB社の製品(プラスチック)と交換し、次にそれをC社の製品(食料)と交換し、次にそれをD社の製品(重油)と交換して、ようやく工場労働者の食べ物と燃料が手に入るそうである。しかも給与は一切なし!労働者は、これらの食べ物や燃料をもらって家に帰り、生きている。
こうしてロシア全土で、物々交換が主流になりつつあるというのだ。

ところがこのようにして工場が運転されると、貨幣や紙幣という通貨が一切使われなくなるので、いくら働いて製品をつくっても、帳簿に売上げ金額が記入されなくなる。
すると、帳簿の上では利益が1ルーブルも出ない。
利益が出なければ、国はこの工場から税金を徴収出来ないので、税収が大幅に落ち込んで、国家財政が崩壊してしまったというのだ。

深刻なはずのドキュメントを見て腹がよじれるほど笑ったのは、その姿こそ、かねてから私が頭に描いていた“経済的国家の理想像”だったからである。
私がこれを理想とするのには、体験的な理由がある。

若い頃に工場エンジニアだった当時、遊休品と呼ばれる器具類の置かれていた倉庫があり、使い古したモーターなどが山のようにあった。
我々技術者は、それを集めてパイロットプラントを手作りで製作し、機械屋の設計の10分の1の予算で、日本のシェア9割を占める新製品を開発したこともあった。
具合が悪い装置は分解し、わずかに部品を交換すれば必ず直るものである。

退社して失業保険をもらいながら悠然と暮らした時も、自宅で必要な道具は、ほとんど自分の大工仕事や廃材利用でつくった。
電気製品・ガス・水道、何が故障しても至極簡単な初歩的作業であり、自分で分解修理出来、永遠に使えるからである。
電話まで屋内配線したところ、偶然に電電公社(現在のNTT)の職員が見つけて、
「電話の配線をするのは違法です。でも天井裏までよく、きれいに配線してありますね」と驚嘆まじりに文句を言われた。
「お仕事でもなさってたのですか」
「ええ、おたくさんのプッシュホン関連の開発の携わっていたので」
「何だ、プロですか」と、お目こぼしになった。

私の生活は、ロシアの工場と同じであった。いくら働いても帳簿の上では利益が1円も出ない家庭内労働によって、食費の他は、家系の出費をほとんどゼロに出来たのである。
外から稼ぐ金がわずかであっても、そっくり貯金出来るほど豊かであった。
オイルショックで日本中が不安を抱いていた当時、こうして社会からの不安がない自立した生活こそ、経済の真髄であることを内心で確信することが出来た。
最近は家事に怠け者になったが、現在でも金がないことに不安を感じないのはその為である。

90年にサダム・フセインが侵略した中東の産油国クウェートでは、
かつて偉い王様がロールス・ロイスを乗り回し、自動車の灰皿が一杯になると、「自動車を買い換えろ!」と命令した。まさかと思われるだろうが、これは本当の話である。
ところがこれを馬鹿にしている日本人が、道具類や自動車などをしばしば交換している様は、私の目には、その愚かな王様とほとんど変わらない浪費を続けているようにしか見えない。

あらゆる電気製品が、回路の一部が不良になっただけで“買い換え”を要求されている。毎年モデルチェンジが行われ、メーカーは古いモデルの交換部品をすぐに処分してしまう。
ちょっと故障しても、部品がないというだけの理由で、簡単に修理出来るのに廃品扱いされてしまい、膨大な富が廃棄物となって捨てられているのである。
このように無用な交換は、ドイツなどでは軽蔑されても、尊敬されることはない。アメリカやヨーロッパでは古いモデルであっても、交換部品をメーカーが大切に倉庫に保管してあるそうだ。

昔、ある人がロールス・ロイスの高級車で砂漠の真ん中に乗り入れたところ、故障して動かなくなった。
困った挙句に何とか自動車会社に連絡すると、驚いたことに修理工がヘリコプターで砂漠までやって来て、たちまち修理してくれた。
ドライバーが感激して、帰宅後にロールス・ロイス社に感謝の電話を入れると、「我が社の自動車が、そのような故障を起こすはずがありません。お間違いでしょう」
こう言われたという。ロールス・ロイス社のプライドを示す有名な逸話である。この話そのものが巧みな宣伝かも知れないが、それほど修理の文化が徹底しているには事実である。
日本のメーカーは、消費者に買い換えさせることに熱中するが、これほど不経済で、世界から後れている実業家はいない。
ワープロやパソコン業界における頻繁なモデルチェンジは、進歩したことによって受ける恩恵より、まだ充分に使える古いモデルが投棄される損害のほうがはるかに大きくなりつつある。

大学教授や科学者たちが「科学や技術の進歩はこれからも必要だ」と難しい論説を唱えたり、「ロケットで宇宙に出て新しい可能性を探るべきだ」という人間が氾濫し、膨大な予算を浪費しているが、
まず、基本的な家庭生活の為の科学や技術さえ活用していない日本社会で、何を言うかという気がする。
火星の探査より前に言うべきは、現在の生活技術を徹底的に見直すことである。主婦が何も知らないことにつけ込んで、消費文明が煽られ、
メーカーの都合で日本人の生活の知恵が失われて、家庭から際限なく電化製品のくずが排出されているのである。
人間の為の生活経済を、銀行界・金融界・産業界の混乱に巻き込むのは、方向違いの経済論である。

こうした日本に対して、物々交換という逆のシステムが巨大な国家ロシアで国ぐるみでしんこうしているのを知って、私は愉快でならなかった。
ロシアの国家崩壊を、多くの日本人は嘲笑して見ていただろうが、彼らのたくましさに、私は心底“乾杯の歌”を歌いたい気持ちであった。

もしこのメカニズムでロシアに餓死さえ出なければ、それが理想の国家である。勿論、ロシアの貧困を賞讃しているわけではない。
喜劇王チャップリンが言ったように、貧乏は美しくもなければ、魅力的でも教訓的なものでもない。実のところ、貧困とは、一度そこに陥れば抜け出すことが難しく、ただ辛いだけのものである。

北海道最北端の稚内(わっかない)市内の商店を訪れると、屈強な体躯のロシア人が大きな革ジャンパーを広げて公然と万引きするので困っていたし、
極東ロシアを見ると、自立経済が成り立つどころか、電気もガスも断たれる深刻さが続いてきた。
ソ連時代に残された膨大な借金を外国に返せなくなり、いつまでも「返済を待って下さい」と言い続けるようでは、実に根深い負債の重荷を感じさせる。
そのような国が核兵器を持ち、核関連の大量の科学者やエンジニアを管理出来なくなっているのは、大変な不安の種である。

が、ロシア人の家庭の倉庫には、至るところに物資が貯蔵してある。
寒い気候風土が食糧保存に適した冷凍国家である為か、政治家を信用出来ない用心深さの為なのか、自宅に山のように食べ物が貯め込まれているそうである。
金がなくても食べ物には一応困っていない。これは見物である。

このロシア経済が自立して成功すれば、地球を一変させる新ロシア革命になる。
家庭の物資だけではない。かねてからロシアでは、金融マフィアが国民の金を盗んでしまい、海外にその金を貯めるという“こそ泥経済”が横行してきた。
資源大国ロシアの貧困は、このような自家製の貧困である。海外から巨額の支援を受けても底が抜けている為、回復出来ないのだ。
ロシア通によれば、新生ロシアが誕生した91年から98年までに、支配層が1500億ドル(約17兆8500億円)の外貨をスイスなど海外数カ所に分散して隠してきた。

ドストエフスキーの『貧しき人々』を読めば、ロシアの貧困が今にはじまったものではないことがよく分かる。
金持ちというものは、貧乏人の苦しみを知りながら、その訴えが耳に入りそうになると急ぎ足で逃げてゆく卑怯者だと、彼は吐き捨ているように描写している。

ロシア人がよく知るべきは、何をするにも賄賂(わいろ)を払わないと認可されない国だということである。
賄賂好きは、1917年のロシア革命後に顕著に見られた現象であるから、ロシア人固有の体質なのだろうか。

ロシア人にはもっと特別な才能があるはずなのだ。
大リーグで98年に70本のシーズン最多ホームラン・ボールを競売にかけ、270万ドル(約3億440万円)で売った男はフィリップ・オゼルスキーである。
日米貿易摩擦で通商代表として日本から大金を巻き上げるのに余念なく活動してきたのは、シャーリーン・バーシェフスキーである。
クリントン大統領の●ックス・スキャンダルで活躍したのは、モニカ・ルウィンスキーだった。
ロシア人はアメリカに渡って、みんなこれほど大活躍してきたのだから、賄賂を請求する必要はないはずだ。

逆に言えば、現在のロシアでは、賄賂を払えば何でも認可される。
議会の投票、要人との面会、大学の入学、輸入品の関税、このあたりの手加減までは、どこの国にもあるのでほぼ理解出来る。
しかし、経営危機に陥った銀行の救済も、徴兵義務も、指名手配された犯罪者の手配や逮捕まで、ほぼ10万円から100万円の賄賂で、何事も有効に機能すると、“週刊ダイヤモンド”に書いてあった。
経営危機に陥った銀行を救済するかどうかという深刻な国家的大問題の判断に、賄賂が機能するという話には、読者もきっと驚いて言葉を失うに違いない。
「まったく、ロシアってのは、何という国だ!賄賂の額によって銀行の救済が決められるだとっ!」
しかしそう叫んだ後、我々は、今朝の新聞に先ほどの寓話が連載されている記事を読み返し、ぞっとして口をつむぐわけである。
りそな銀行は2兆円が投入されたお陰で救済され、足利銀行は救済されずに破綻した。何だ、日本と同じではないか、と。


(次回、五頁へ続く)

(前回、四頁からの続き)


(P.126〜148「第三話 妖しいダイヤモンドの輝き」)

■資本主義が発展したあとの宴

我が国では、どのようなことが進行してきただろうか。
98年4月の金融ビッグバンのスタートと同時に、アメリカのシティバンクのような外国の銀行にドルで預金された金は、ドル安になった為に、4月から年末までに12%も目減りしてしまったのである。
金利ゼロと馬鹿にされていた日本の銀行に預けたりタンス預金したほうが、少なくとも元本が減らないのだから、ずっと安全であった。
為替レートは変化する生き物だから、この日が来ることは分かっていたが、新聞や雑誌で経済指南役のエコノミストに煽られた人たちがシティバンクに押しかけ、むざむざ1割2分を毟り取られた計算である。
しかしそれは通帳の上の出来事であり、まだ損失を出したわけではない。

目減りしたドル預金を、わざわざドルが安い時におろさなければいいのである。再びドル高になる時が必ずやって来る。
まず99年のヨーロッパの通貨統合で、かなりの投資資金がアメリカからヨーロッパに移動して、ドルが一層下がるという見方がそちこちで聞かれたが、実際には大した変化はなかった。
統一通貨が流通しはじめたのは、さらに3年後の2002年1月1日からである。

円とドルの関係では、ドル高になる時期がやって来る。そうなればドルの預金者には、利息以上のものが懐に入るから、その日を待って入ればよいという考えもある。
ところがドルでアメリカの銀行に預金した日本人は、元々短期間の投機性にかけて預金したので、その日を待つ辛抱強さに欠けている。
日々の新聞記事に不安が高まり、ドルが更に安くなる危険性が強迫観念となって襲いかかれば、急いで預金をおろそうとする。

しかもその不安が、現実味を帯びてきた。
クリントン大統領が調子に乗って、公的年金資金を株式市場で運用する危険な政策を、99年1月の一般教書演説で提案したからである。
もし万一、投機市場でアメリカ人の年金が破綻すれば、日本の年金が破綻した比ではなく、全世界が大恐慌に見舞われることは間違いない。
これでは、1929年の運命を辿る。そう思っていたところ、ブッシュ政権となってから、エンロンとワールドコムが史上最大の連続倒産劇を演じ、巨額の年金損失を出した。
その後はアメリカ財政の破綻によって、ドルの急落に転じた。こうした不安が高まれば、日本人が急いでドル預金をおろす。ここで初めて損失を出すのである。

このストーリーに示される“損失と利益”は、興味深い現象である。金融界の事情に詳しいかどうかが“損失と利益”を決定するのである。
破綻した日本の金融機関が、いずれもそうであった。過去を振り返ってみれば誰もが知っているように、論理的には、破綻する投資がかなり前から分かっていたものが、傷を深くして、当然のように破綻しただけである。
傷が浅いうちに食い止められなかったのは、彼らが知っている金融の原則を忘れさせるほど、大きな不安が頭取や社長の頭をよぎったからである。

97年に破綻した北海道拓殖銀行の場合は、破綻した一因に洞爺湖畔(とうやこはん)の巨大なリゾート・ホテルが挙げられていたが、
そこに600億円を超える非常識な投資をした時点で、巨額の不良債権が生まれることは、素人目にもはっきり分かっていた。
しかもそのホテルは拓銀の破綻を決定づける最後の一撃であっただけで、それ以前に、他の融資で数十倍と言う無謀な投資を重ねていた。暴力団の関係者にも大金が流れていた。
経営者たちがこの道を途中で引き返さなかったのは、更に負債を大きくする危険性が高いという強迫観念に襲われ、不安が高まって無我夢中になって夜道を急いだ為である。

どのように時間を急いだかといえば、損失を出し急ぐことだったのである。決して、俊敏に対策を進めることではなく、不安に駆られて、借金を返してもらう為に追い貸し追い貸しを重ねてしまったのだ。
ついには融資が総額700億円を超え、経営破綻したこの豪華ホテルの価格が、99年3月の売却交渉では、わずか35億円で売りに出される悲惨な結末となった。
当時の経営者には、悪い企業に追い貸しすれば更に自分の立場が悪くなるという、金融の当たり前の筋書きさえ読めなかった。

多少の精神力があれば、不安を抱いて時計の針を進めることもなく、彼らの“すぐれた”頭脳を使って解決していたはずの処理である。
こうした時を知る物差しとしてカレンダーというものがあるが、ローマ時代における暦が、元々“借金の台帳”を意味するカレンダリウムと呼ばれていた語源を、日本の銀行家は知っておく必要がある。
それは、「毎月の最初の日に借金の利息を返済する」というギリシャ・ローマ人の習慣から名付けられたものであり、「30日毎にきちんと借金の利息を返済出来るように日々を送るべく、そこに返済スケジュールを書き込みなさい」と呼びかけているのがカレンダーである。
ダミー会社とのデートの日付を書き込む為にあるのではない。

銀行家が、そのカレンダーを急いでめくって勝手に時を進めれば、借金の返済額を加速度的に増やしてゆき、不良債権の断崖に自ら身を投じる羽目に陥る。
銀行家だけでなく、最近の日本人は慌て過ぎるが、慌てることと、作業を俊敏に進めることは、前者が失敗(損失)、後者が解決(無事)を意味するように、まるで次元の違う行為である。
不安を抱かずに落ち着いていれば、損失という化け物は自ら逃げ去ってゆく。

我々が不安を抱かずに生きるには、どうすればよいのであろうか。

19世紀の昔は、資本家の持つ富が圧倒的に多かったので、労働者と資本家の対立が鮮明で、貧しい人間の怒りが直截(ちょくせつ)であった。
資本家が日当たりのいい二階に住んで、労働者はすぐ仕事に出られるように一階に住んで騒いでいたものだ。そして地下室があって、そこにもずっと貧しい、光が当たらない闇の中にいた人も多い。
しかし現在では幸い、この建物には階段があることが知られ、誰もがその階段を上に上がりはじめた。
労働者にも、その何段目に自分がいるかを知る目安として、係長・課長・部長などの細かい階層がつくられるようになった。

そうして全世界の人間が次第に機械文明の恩恵を広く受けるようになって、一人ずつが、一段ずつ富の階段を上がってゆくと、
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のように、誰もが自分だけ上に上がればよいという考えに染まってきた。

この物語では、大泥棒の犍陀多(かんだた)が、極楽の蓮池の下にある地獄の底の血の池で、来る日も来る日も苦しんでいた。
お釈迦様がそれを見て、かつて蜘蛛を助けたことのあるこの男を助けてあげようと、銀色の蜘蛛の糸を地獄に垂らした。
それを見つけたこの男は、地獄から出られると思って糸をよじ登り、ふと見下ろすと罪人たちが後から後から登ってくる。
糸が切れるのを恐れた犍陀多(かんだた)が、「下りろ。下りろ」と喚いた途端に頭の上で糸が切れ、再び闇の地獄へ落ちていった。

全世界の構造もまた、国と国のあいだに同じような階段がつくられ、蹴落とし合っている。結果、何が起こっているだろう。環境問題が、その一つの象徴的なものである。
当初、有機野菜を買う人たちは、この階段をかなり上まで登った余裕のある人であった。本当に生活の苦しい人は、有機野菜の存在さえ知らなかった。
そこで我々は、この安全な野菜はどうもおかしいと気づきはじめた。誰もがものを言うようになり、野菜そのもののつくり方が、社会全体で変化し、改善されなければ、あまり意味がないと考えるようになった。

ところが、国境を越えると、そうした考えが薄まるものである。北朝鮮で苦しんでいる人はどうなのか、イラクで苦しんでいる人はどうなのか、と考えることが、我々にはほとんど出来なくなっている。
まず脳裡に思いつくのは、独裁者の金正日やサダム・フセインの存在でしかない。実際、怪しげな北朝鮮の潜水艦が韓国にやって来る。砂漠の地下工場で、化学兵器が製造されている。そうしたニュースが主流だからである。
独裁者がいれば、その国の国民は世界で最も苦しんでいる民のはずである。ほとんどの場合に、国民は責任者でなく、被害者である。ところがその被害者を、全世界がよってたかっていじめてしまう。
我々は、かつて蜘蛛を助けたことのある犍陀多(かんだた)であることを忘れ、仲間を蹴落とす犍陀多になっている。

今ある資本主義の反映が、人間の精神を一向に成熟させていないではないか。
頭の上で「下りろ。下りろ」と喚く銀行家の下から、糸をよじ登っている罪人が我々であるらしい。銀行家より上にいるのは、政治家という化け物である。
何故彼らが先を急ぎ、糸を切ってもろとも地獄へ落ちて我々を苦しめようとするのか、お釈迦様は、その理由を知っていた。

ヨーロッパでは、別の地獄がこう描かれている。

フランスの作家アルベール・カミュが『シジフォスの神話』を発表し、不条理の哲学を明らかにしたのは1942年のことであった。シジフォスとは、ギリシャ神話でパンドラの一族であるシシュポスをフランス読みした名前である。
シュシュポスは頭の良い男で、冥界の神々をだまして死を免れたが、最後には神の怒りを買って、地獄に落とされてしまった。
そこで待ち受けていたのは、大きな石を坂道の上まで押し上げる重労働の罰であった。しかもその重い石は、シシュポスが死力を振り絞って上まで運び上げると、その途端に下までごろごろと落ちてしまい、再び彼は石を上まで押し上げなければならなかった。
押し上げるとまた、下までごろごろと落ちてしまった。こうして永遠の重労働に服した男を、カミュは不条理の英雄と讃え、冥界の神々が与えた運命に抵抗する巨人としてその誠実さを謳ったのである。

――おお、地獄に落っこちた日本人は、何と謹厳実直なシジフォスばかりなのであろう。誰が損をし、誰が得をしているか、そんなことはどうでもよいのだ。これまでどおり、しっかり働きたまえ。誠実でありたまえ。
この笑い声に耐えることは、論理的に正しい行為であろうか。
そうではない。東京証券取引所における日本人個人の売買は、日本人の中でも大きな資産を有する富裕層に集中してきた。
多少の株を保有している人の場合、大半は、下降する一方の不況相場に諦めを持って、安値で売れない為仕方なく保有していただけの“貯蓄型”に落ち込んで、最近は、ほとんど取引きに関与していなかった。

99年3月になって、外国人投資家の記録的な買いが入ると、日本の投資家は一斉に売りにかかった。その1〜3月のあいだ、外国人が2兆4000億円も買い越すと、日本の個人投資家は6500億円近くも売り越した。
2003年にも、外国人が8兆円を買い越し、株価が1万円台を回復する中で、日本人は金融機関と個人の合計で4兆円も売り越した。
株価が上がったので、アメリカのガソリンで日本人が走った。ようやく日本人投資家も賢くなったのだ。しかし、ウォール街から運ばれたガソリンは、元々日本の財務省がアメリカの国債を買った為日本から流れた大金だという。

≪相場に深く関与してきた富裕層は、人口に占める比率では、5%にも達しないはずだ。したがって大半の日本人は、株の取引に参加していないが、国が増やした借金を消費税で支払ってあげる善良な人たちなのだ。
将来の値動きを予測する危険な“先物”取引きの場合には、その傾向が一層顕著であり、個人の売買額は、総取引額のうち1%にも達しない。
この先物が、デリバティブ(金融派生商品)としてロンドン・シティー、ウォール街、兜町から全世界を荒らし回ってきた妖怪である。≫

≪危険な取引きに参加したのは、銀行、保険会社、証券会社などの金融機関と、そこに売買を委託した国家(大蔵・財務官僚)である。
したがって我々ほとんどの国民は、外国人投資家による集団的インサイダー行為によって損害を受ける道理は存在していない。≫

≪実体経済に結びつかない国債ギャンブル金融と、国民の生活を支える経済は、明確に区別されなければならない。いずれまた大暴落が起こる。
ジパングの成功寓話に一喜一憂する時代には、そろそろ幕を引くべきである。
我々は、新しい哲学に祈念しよう。かくして初めて、若者たちの空想は、ひたすらに輝く未来を描くだろう。≫


(六頁へ続く)

(五頁からの続き)


(P.347〜350「本書の内幕としてのあとがき」)

■本書の内幕としてのあとがき

筆者は大変に気がかりなまま筆を措くことになった。余りに最後の落ちがおいしそうだったので、読者が本書の大部分の重要な内容を忘れてしまい、マグロ一匹と煮たイワシしか記憶に残っていないと確信するからである。
そこで、本書の内容を改めて列記しておく必要が出てきた。

第一話は、ワールドカップのチケットが消えた謎とオリンピックの権益である。
何故オリンピックの開催地の決定について、今頃になって、とんでもないスキャンダルが露顕したのか・・・・・・それは、日本人が知っていたはずの長野オリンピックの腐敗を、国を挙げて隠してきたからである。

第二話は、パキスタンとフランスを中心に、原水爆の謎に迫った。
何故全世界から原水爆がなくならないか・・・・・・それは、日本の電力会社がプルトニウムを生産するという悪い作業にうつつを抜かし、核兵器産業に資金をどんどん提供しているからである。

第三話は、財閥と富豪と億万長者と成金の違いを証明した。
何故日本人は金を盗まれやすいのか・・・・・・それは、日本の財界が金融と生活経済を混同して国民の金を犠牲にしながら、国民が黙っているからである。
財界人は、国際的な財閥の遺産相続人の存在をいつまでも認識せず、調査も解析もしていない。

第四話は、ホワイトハウスと大統領と女性スキャンダルの内幕を解剖した。
何故イラクへのアメリカの攻撃を日本政府が支持したのか・・・・・・それは、日本人が全世界に観光旅行をしながら、世界の国々の歴史をまったく愉しまず、知らないからである。
実は、アメリカの歴代大統領は、女によって動かされてきたのだ。

第五話は、氾濫する環境ホルモンの戦慄である。
何故ダイオキシンの汚染が止まらないのか・・・・・・それは、日本の中に怪しげな学者と文化人が徘徊し、業界のヒモになっているからである。

第六話は、第二の太陽と崇められた核融合の哀れな末路である。
何故核融合は失敗続きなのか・・・・・・それは、成功しないことが分かっているのに、嘘だらけの予算がつくからである。金を使わなければ、失敗せずに済むのである。

第七話は、食糧が貿易される危機的な国際情勢である。
何故日本人は外国の食べ物に頼るようになってしまったのか・・・・・・それは、日本の中に口先のうまい偽善者が多いからである。

第八話は、全世界にルネッサンスの気運が盛り上がり、宗教が見直されている状況である。
何故地球は悪循環に陥ってしまったのか・・・・・・それは、人間が本来持っている悪を、ジャーナリズムが悪として断罪せず、大衆や支配者に媚を売りながら、偽善的な愛情によって誤魔化すからである。

≪日本人の決定的な特質は、詐欺師に騙されやすいということなのだ。
日本人に決定的に欠けているのは社会性である。自分の子供たちに残す風景を思いやっていない。≫

我々人間には、強烈な我欲がある。それは自然で、大変に結構なことだ。しかし時には、己の人生と、己の利益や欲望を脇においてみようではないか。
社会性をすっかり失いはじめたのは、ごく最近の20年間である。
それまでの日本人は、玉石混淆(ぎょくせきこんこう)だったが、いまや国民の社会的な情熱に玉を見つけようとしても、至難の技となった。

≪この欠けている社会性を生み出すのが、ジャーナリズムの役割であるはずだ。しかし日々痛感するのは、ジャーナリズムにこと社会性が欠けているのではないか、と言う重大な疑いなのである。
ジャーナリストと称するならば、強い意思をあらわにして、身の引き締まるようなメッセージを国民に届けるべきであろう。
それは社会を見渡しても見つかるものではない。頭を使った時に、初めて体内から湧き出すものである。
最近では、巨悪(→Roentgemium:決して、特捜部や売国“談合”マスゴミと対峙している小沢幹事長のことではない)がごろごろしているにもかかわらず、それを徹底的に追求する情熱や怒りがまったく見られない。

それにしても、これだけ言いたいことを言いながら無事に本書が出版されたということは、彼ら編集者のほうが小生よりずっと狡猾で、高度な知恵が発達しているということになる。
その編集者と出版社と書き手の微妙な呼吸を、読者は読み取っていただけるであろう。

1999年5月21日    広瀬 隆


◆   ◆   ◆   ◆   ◆

◆   ◆   ◆   ◆   ◆


(全六頁完)


≪追記≫


◆   ◆   ◆


今日、2010年5月21日夜22時放送のテレビ朝日『報道ステーション』の中で、鳥越俊太郎氏が、検察審査会で出された議決文の内容に、「異様なものである」と異論を唱えた。
「各新聞報道や社説にも一通り目を通したが、異様であり、尋常ではない」と警鐘を鳴らしていた。
その勇気のある行動に、久しぶりに本当のジャーナリズムを、(わずかに残っている?)朝日新聞の良心を垣間見た気がした。

筑紫哲也氏が亡くなってから、このようにテレビで異論を唱える識者がいなかったことも事実であり、鳥越俊太郎氏自身も病気を抱えながらジャーナリストの誇りをかけての、少なからず意を決しての発言だっただろう。
おそらく、番組には、疑似右翼?のような連中からの抗議の電話などが殺到するかもしれない・・・・
しかし、今回嬉しかったのと同時に不安に感じたのは、故・筑紫氏や鳥越氏の意思を継いでゆけるような若手の人材がほとんどいないように感じられることだ。
万が一、鳥越氏がいなくなってしまった時、果たしてテレビで、このような発言を他の誰かの口から聞くことが出来るだろうか?

テレビ朝日には、以前の立ち位置に戻ってほしいという願いから連日、報道内容をチェックして、情報操作や世論操作がされている部分を細かく指摘して電話で伝える努力をしている。
以前はそれこそ日本テレビ放送網、TBS、フジテレビにも意見を伝え、批判を伝えていたが、無駄だということがわかったので、
今はほとんどマスゴミに関しては、テレビ朝日とBPOのみだ。その多くは批判であって、

例えば、今回の検察審査会の議決文についても、同じテレビ朝日でも夕方の『スーパーJチャンネル』ではその議決文を書いたのは、その一般市民たちだとしていたが、
鳥越俊太郎氏も『報道ステーション』の中で指摘したように、実はこの“尋常でない”議決文を書いたのは、自民党との癒着が深い米澤敏雄弁護士その人なのだ。
つまり、情報操作、世論操作をしているのだ。

[参考資料]
検察ファッショ戦慄の裏側 - ゲンダイ的考察日記 2010年5月1日
http://octhan.blog62.fc2.com/blog-entry-1405.html

小沢氏起訴相当の議決書全文(政治とカネ212) - 弁護士阪口徳雄の自由発言 2010年4月28日
http://news.livedoor.com/article/detail/4744217/

盲目の検察審査会、民意を叫ぶ狗ども - トニー四角の穴を掘って叫ブログ 2010年4月28日
http://d.hatena.ne.jp/Tony_Shikaku/20100428/1272467983

議決文全文を読んでもやはり論理的な評価は変わらない - 数学屋のメガネ 2010年4月29日
http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/52122022.html

小沢一郎が「起訴相当」となった理由 - 山口一臣の「ダメだめ編集長日記」 2010年5月7日
http://www.the-journal.jp/contents/yamaguchi/2010/05/post_95.html

また同番組(スーパーJチャンネル)内で、小沢幹事長の件をしつこく取り上げる際、「ウソの収支報告」という風にテロップまでつけて悪質な印象操作をしているが、
翻って、とんでもない嘘つきなのは報道を支配している売国“談合”マスゴミ自身である。

「マスゴミとカネ(官房機密費問題)」や特捜部からの偽リーク情報、テニアン島や東国原宮崎県知事の進退問題に言及しないことなど、数え上げれば切りがないが、
三つの“ある市民団体”の素性でさえ、いまだに明らかにしていない。
説明責任と言うのならば、その説明からまず始めなければ本当に理解は出来ないだろうし(施行された時期から見ても、強制起訴は小沢幹事長を追いやる為に設けたようなものだしね)べきだし、
政治とカネというならば、まず「マスゴミとカネ(官房機密費問題)」の疑惑について、自分たちの身の潔白を証明するべきだろう。

それは、検察や特捜部側にも言えることで、「警察とカネ(裏金問題)」やマスゴミへリーク情報を流し続けた問題、あまりに強引で暴走した感のある特捜部による小沢幹事長の狙い撃ちなど、
説明しなければならないことがたくさんあるはずだ。

また、韓国の哨戒艦沈没事件についても、韓国・米国側のそれぞれの中間選挙への思惑が絡んでいることにも本来であれば当然言及されなければいけないはずだが、
・・・・この事件が実は9.11や満州事変のようなことでなければいいが、とも案じている。

[参考資料]
韓国哨戒艦沈没事件〜本当は米原潜と衝突か? - ゲンダイ的考察日記 2010年5月13日
http://octhan.blog62.fc2.com/blog-entry-1423.html

情報操作ということでいえば言えば、テニアン島の普天間基地移設先立候補の報道がされなかったことや、
5月17日に、総務省から発表された日本郵政に関する検証報告(郵政民営化の実態を暴くもの)についてもまったく報じなかったことなどが、そうである。
無論、これはその一部に過ぎず、実際にそのようにして、本来国民、視聴者に伝えなければいけないことを伝えていないということが数多く見受けられる。

[参考資料]
総務省|日本郵政ガバナンス問題調査専門委員会報告書等の公表 2010年5月17日
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02ryutsu13_000022.html

ところで、以前から感じていたことだが、
『報道ステーション』や『スーパーJチャンネル』に観られるように、テレビ朝日は他局と比べても圧倒的に、小泉純一郎のブレーン、竹中平蔵のブレーンの出演が多い。
当然、そこには癒着や優遇なども感じられるし、船橋洋一夫妻の存在がそこに何があるかを暗示しているかのようでもある。

しかしながら、抗議の電話が少しは効いたのか、
先日5月20日放送内でのヘリで普天間、辺野古上空から島全体の実態を取材した内容(自分たちの勉強不足が恥ずかしいと言っていたが、そうして身を切ってそういう取材を試みたという点は立派だと評価したい)や、
今回の鳥越俊太郎氏の警鐘を鳴らした重要な発言は、本来、“第四の権力”の役割とはこうあるべきというものをわずかだが、見せてくれた気がする。
出来ればそこから光を見出したいのだが・・・・あまり期待しないほうがいいのかも知れない。
(テレビ朝日の意見窓口の対応そのものはとても真摯な対応をしていて、それだけは他局に比べてはるかに良い。フジテレビは特に酷く、仙石の事務所なみの対応だし、TBSも良くはない)


◆   ◆   ◆   ◆   ◆

◆   ◆   ◆   ◆   ◆


※この文章は、最初に山科ブログのコメント欄(下記URL)に投稿する為に作成したものです。

山科恭介 夢想弄翰 民主党国会議員150人激怒! 全て小沢のせいにしやがって!
http://kyosukeyamashina.blog62.fc2.com/blog-entry-357.html#commenttop

山科恭介 夢想弄翰 副島×岩上対談を再掲する (2010-05-02)
http://kyosukeyamashina.blog62.fc2.com/blog-entry-358.html#commenttop

山科恭介 夢想弄翰 ふとした疑問が社会を変える
http://kyosukeyamashina.blog62.fc2.com/blog-entry-359.html#commenttop

 

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