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「岩手日報」は故江藤淳先生の墓前に土下座し、謝罪したのか?(山崎行太郎「毒蛇山荘日記」、6.24)[後講釈の憂鬱]
http://www.asyura2.com/10/senkyo89/msg/233.html
投稿者 南青山 日時 2010 年 6 月 25 日 04:02:34: ahR4ulk6JJ6HU
 

「岩手日報」は故江藤淳先生の墓前に土下座し、謝罪したのか? それとも間違いは何もないと思っているのか?
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100624

一地方新聞のこととはいえ、新聞社の顔ともいうべき「社説・論説」のコーナーにおいて、江藤淳先生の著書・論文の「引用」と「解釈」をめぐって、「無智・無学・無教養」を絵に書いたような、あまりにもお粗末な、記者たち(論説委員)の勉強不足を露呈してしまった、初歩的な「捏造事件」を引き起こした「岩手日報」だが、その後、「岩手日報」には抗議が殺到していると言う噂も聞かないではないが、それはともかくとして、その後、訂正記事なり謝罪記事なりを何らかの形で出したのだろうか。それよりも、僕は、江藤淳先生の墓前に土下座し、謝罪すべきだと考えるが、捏造記事の執筆者である宮沢徳雄とその記事を天下に晒した「岩手日報」の連中は、どう考えているのか。何事もなく、頬かむりして済ますつもりなのか。
さて、読者からのコメントで知ったのだが、江藤先生の小沢一郎論「帰りなん、いざー小沢君に与う」を収録した『月に一度』を『小沢君、水沢へ帰りたまえ』と改題し、詐欺師・屋山太郎の解説つきで復刊した新刊本の書評が、「週刊ポスト」に載っているらしいが、筆者は佐野真一ということだが、予想通りというか、版元の思惑通りというか、「小沢一郎批判」に沿った書評になっているらしい。
佐野真一は、沖縄に関しても、沖縄ブームに便乗するかのように、「沖縄を美化する作家や評論家が…」と、婉曲的に大江健三郎やその他の左翼系の沖縄論を批判するかのような、思わせぶりな内容の著書を刊行したばかりだが、『東電OL殺人事件』に象徴されるような通俗読み物ライターらしく、つまり、所詮は毒にも薬にもならないような「通俗大衆小説的メロドラマ的ナラティヴ」に依拠する物書きだから、何を書こうと別に関心もないが、今、まさに渦中にある「小沢一郎」に対して、どう書いているのかには、佐野真一の物書きとしての立ち位置を含めて、僕も関心がある。
さて…。「週刊ポスト」を「立ち読み」(笑)してきたが、やはり、文学青年崩れの甘ったれた三流通俗ライターの分際で、「政治家・小沢一郎」を見下したかのような横柄な語り口で、上から目線で大法螺を吹いているではないか。笑止である。そもそも結果が分かってから「解説」や「論評」をするのは「後講釈」であって、批評ではない。こんなことを言っ(書い)ている。

「闇将軍の条件というと、いろいろありますけどね。一つは『住まい』、家屋敷や構えも、私は重要だと思う。角栄の目白御殿は、立地といい有象無象を問わず呑み込む佇まいといい、まさに闇将軍の住まいでしたよ。対して世田谷・小沢邸は立派は立派だが、どうも凡庸なんだな。人を引きつけない、来る者を選ぶ家という気がする。」
「…キングメーカー角栄は、金を集め人を集める天才だった。重要なのは、金は人に配るためにあったことだ。小沢の場合はその肝心の『人』がいない。彼の地元・岩手は原敬や鈴木善幸など政治家を多数輩出した。なかでも後藤新平がいい言葉を残している。『金を残して死ぬものは下、仕事を残して死ぬものは中、人を残して死ぬものは上』だとね。」
「・・・ところが小沢は裏切られるのが怖いのか、前原や枝野ら反小沢を遠ざけ、金は残せても人は残していない。つまり後藤の言葉を借りれば政治家として下か中どまりで…」

というような調子で、馬鹿も休み休み言えばいいものを、バカ丸出しの例えどおりに、水戸黄門的な政治漫談的弁舌を、批評的緊張感もなく垂れ流している。「溝に落ちた犬はたたけ」という大衆的ルサンチマンの捌け口的な「小沢一郎批判」のレベルの低さには、「佐野真一が特別寄稿」と名うっている宣伝文句が泣くというものである。「特別寄稿」という見出しを出しているにもかかわらず、こんな「文学青年崩れの甘ったれた三流通俗老い耄れライター」しか捕まらなかったのか。おまけに、最後にこんなことまで言っている。

「比較的御しやすいと思った鳩山から最後の最後に予想外の怪力で抱きつかれて心中させられたあの解任劇には、それこそ玉川上水で太宰治を心中に踏み切らせた山崎富栄の悪女ぶりを思い出したなあ(笑い)」

今時、太宰治や山崎富栄を持ち出してくるとは・・・。さすが、「文学青年崩れ」の甘ったれた三流通俗老い耄れライターだけのことはあるなあ(笑い)。
さて、僕が、佐野真一なる物書きの存在を知ったのは『東電OL殺人事件』であるが、そのあまりにも通俗的な「文学青年崩れ」的なロマンチシズムにうんざりしたことを覚えている。たしか「東電OL」でありながら、売春婦に身を窶し、そして渋谷の貧しい外人アパートの一室で殺されていた女性の心の闇を説明するのに、坂口安吾の『堕落論』の中の有名なフレーズ「生きよ、堕ちよ」を使っていた。太宰治に坂口安吾とくれば、誰でも手の内が見えすぎると思うはずである。以後、満州関係の『甘粕正彦・乱心の曠野』等、書店ではよく見かけたが手に取ったことはない。
三島由紀夫は推理小説がきらいだったらしいが、実は僕も推理小説が嫌いなのであるが、それは「答えの分かっている問題」、つまり「結論が出てしまった問題」に興味がなかったからだ。しかるに佐野真一の書くものは、ことごとく「結論の出ている問題」を「後講釈」的に物語る類いのものばかりである。批評も思想も何もない。書くものがことごとく水戸黄門的な、陳腐なメロドラマになるはずである。
要するに、ちょっとまともな物書きならば、小沢一郎を批判・罵倒するとしても、小沢一郎が実権を握っている時にやるだろう。こういう陳腐なメロドラマしか書けない通俗ライターは、小沢一郎が復権し、政界の最高実力者に返り咲いたら、今度は、一斉にゴマスリを始めるか、あるいは我関せずとばかりにひたすら沈黙を守り通すことだろうなあ・・・(笑い)。

(南青山コメント)
きちんと読んだわけではないのだが、まわりの評判から佐野真一はもう少しまともな物書きと思っていた。
どうやら私の目が節穴だったようで、小沢一郎を語るのに太宰はないだろう。
たしかに後講釈なら何とでも言える。
後講釈が有効だとしたら、それは真摯な、そして地道な掘り下げ以外にない。
ネットの時代にマスメディアの真価が問われているが、それは個々の書き手も同様だ。
いい加減なことを書いていては、このようにすぐに厳しい批判に晒される。
ある意味当然のことではあるのだが。  

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