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妖怪千葉婆の黄泉がえりと死刑執行。心の死んだゾンビ内閣…。自らの良心や信念を殺しても、人は生きてゆけるのか。(瓶詰伝言)
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/581.html
投稿者 インビクタス 日時 2010 年 7 月 30 日 05:38:29: hgdWItVuGl3tY
 

http://binzumedengon.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-cad1.html
2010年7月29日 (木)

妖怪千葉婆の黄泉がえりと死刑執行。心の死んだゾンビ内閣の空虚な眼差し。自らの良心や信念を殺しても、人は生きてゆけるのだろうか。


人生の積み重ねのなかで、絶対に超えられない一線というものが形作られる。真っ暗闇の中でも進むべき道を指し示す羅針盤が出来上がる。
間違いを犯すこともある。自らに恥じる行いをすることもある。しかし、自らの良心や信念に従い、最後の一線を越えなければ、自分だけが知っている、自分への信頼感が損なわれることは無い。羅針盤に従い行った行為に対して生まれる自尊感情は生きる糧となる。

自らの良心や信念に反する行いは、魂の自殺行為に等しい。

もし僕の妻が脳死状態に至ったとしても、僕は脳死判定を絶対に受け入れないだろう。脳死肯定者から見れば、非科学的、愚かで頑迷な人間と見なされるだろう。しかし、肉親の死に目に遭い、死亡宣告直後の暖かい肌触り、納棺後のぞっとする肌の冷たさ、そのときの冷たさにこそ死を実感してきた者にとって、肌の暖かい、拍動のある肉体が死体であるという、科学的な知見を受け入れることはできない。これは信念の問題である。
まして、経済的な理由や自らの利得のために脳死判定を受け入れることは絶対にできない。たとえ、他に救われる人がいると説得されたり、社会の迷惑だ、利己的だと非難されたとしても。これは良心の問題である。
たとえ、職を辞し、蓄えが尽きて障害年金や生活保護に頼ろうとも、拍動の絶えるまで妻の死を受け入れることはしないだろう。最期を看取ること、それが僕の矜持である。
もし、脳死判定を受け入れるなら、僕は自らの魂を殺すことになる。その後の人生で、僕は間違いなく自死を選ぶと確信している。

僕は、脳死臓器移植と死刑制度廃止はまさしく政治家の良心と信念の問題だと考えている。
私人による殺人。その被害者へのヒステリックな同情。罪人に対する国家による殺人。その制度へのヒステリックな賞賛。
救われない幼子の命に対するヒステリックな同情。私的領域に土足で入り込み、殺人を称揚する新臓器移植法。その制度へのヒステリックな賞賛。
自らが殺人を幇助しているかもしれないという良心の恐れを、死というものに対する個人の信念を、法と権威によって払拭する国家制度。死刑と脳死移植。

その他にも、この社会には自らの良心や信念を捻じ曲げようとする政治力に満ち満ちている。一度、その良心や信念を捨て去れば、それまでの人生の価値が全て失われる。その先は屍としての人生しかない。
その力に抗い、生きる。その力に押しつぶされ、死ぬ。

千葉 景子の人生とは何だったのだろう。自らの信念も良心もかなぐり捨てて、死刑を執行した。晩節を汚すどころではない。今まで積み重ねてきた人生を、自ら、完膚なきまで破壊しつくした。そして、外形上は、恥じることも無く生きている。

すでに魂は死んでいたのだろう。黄泉の国からの生ける屍の招応。落選後の法相留任は、このための、妖怪千葉婆、ゾンビ復活の儀式だったのだろうか。かつては死刑廃止を推進する議員連盟に所属し、アムネスティ議員連盟の事務局長も勤めたという妖怪千葉婆が、自ら死刑を執行することに、ゾンビを操る勢力にとって大きな意味があったのだろう。

政治的信念、政治的良心を失った魂の自殺者たちの徘徊。何者かに操られるゾンビの饗宴。最も重要であるはずの予算、「日本復活枠」をコンテストで決めるという、政治理念の空白。

心の死んだゾンビ内閣の空虚な眼差し。

空恐ろしい異形の世界にようこそ。


 

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コメント
 
01. 2010年7月30日 06:19:41: AQqyLULhMc
元記事のタイトルどおりであるけれど、
あまりに見苦しい。

02. 2010年7月30日 07:26:37: DWTEzypC2o
千葉法務大臣は,自分の首を刑場で絞首刑
にしたようなもの、民主党には千葉に似通った
口唇でご自身に裏切る議員が何人いるのか?
千葉はアムネスティだつた。千葉はユダだつた。
管直人政権の異様さがまたでた。

03. 2010年7月30日 07:37:16: 7nuzzwxEBA
と云うか、閣僚の目が死んでいる。
その心が死体となった政権亡者は、屍に蛆がわき腐臭を漂わせている。
菅の目を見よ、矜持を失い仲間を裏切り支持した国民を蔑ろにしたその姿を。
背中は湾曲し、目は視点が定まらず光を失っている。
9月まで持つのかな。
がはははは

04. 2010年7月30日 07:39:35: ar0kP2pZvY
私も脳死による臓器移植医療に反対である。だから、その部分には賛同する。しかし、それと死刑の問題は、全く次元の違うものである。
私は死刑存置論者であるが、死刑制度の是非の議論と、今回の死刑執行とは分けて論ずるべきと考える。
現在の日本では、死刑は法律で定められた制度である。法務大臣は、死刑判決が確定した被告に対して死刑を執行する命令を下さなければならない、と法律に明記されている。これは法務大臣の義務なのである。
今回の法相の決定は、法律に則って行なわれたものであり、大臣として当然の処置である。
そもそも、死刑制度に反対の立場の人間を、死刑の執行を義務づけられている法務大臣に任命すること事態が誤りなのであり、また、当人も任命を拒否すべきなのである。

05. 2010年7月30日 10:04:16: D2Jo6d1xYg
>今回の法相の決定は、法律に則って行なわれたものであり、大臣として当然の処置である

この理屈の為に自民党政権で森法務大臣は無実であった疑いのる人の死刑を強行してしまった
罪の無い人間を一人でも処刑したのなら
その瞬間死刑制度は事実上崩壊したと考えるのが正しい
過去にも、そしてこれからも
無実の罪で死刑になる人は必ずいる
死刑制度存続のために、それらの人々は少数の犠牲として黙殺するのか

忘れるんじゃない、無実の人間が一人でも処刑されたのなら
死刑制度はそ時点で終わっているのだ
少数の無実の人間の犠牲は社会制度の為の許容範囲だとでも言うつもりか


06. 2010年7月30日 16:27:11: yMx7eAEsns
無実でありながら処刑された=謀殺 国家による人殺し 者が複数いる

だから現行犯で捕まった者以外は、まず執行してはならないであろう

取調べの完全記録などが実現しない限りは現行の捜査取調べは全く信用できない

その意味で現行犯以外は死刑にしても執行は避けなければ、執行は犯罪となろう


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