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保守の本懐 〜渡辺喜美、平沼赳夫、安倍晋三、鈴木宗男ほか連続インタビュー〜
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/899.html
投稿者 gikou89 日時 2010 年 8 月 07 日 22:09:07: xbuVR8gI6Txyk
 

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100806-00000301-gtwo-pol

「筋の通った保守の不在」こそ、
今日の政治が低迷する最大の原因ではないか……、
そう考えた筆者は“失われた保守”を探す旅に出た。

■鈴木哲夫(ジャーナリスト)


満開の桜の木々に囲まれた永田町。

4月なかば、国会議事堂のすぐ脇にある国会図書館を私は訪ねた。すでに絶版になった、ある本をじっくりと読みたいと思ったからである。
書名は『社会党との対話 ニュー・ライトの考え方』。著者は元首相の故・宮澤喜一だ。

同書が上梓された1965年当時、日本の政治は保守の自民党、革新の社会党という二大政治勢力が激しく闘い、文字どおり国論を二分していた。社会党がもっとも強かった時代でもあり、それを自民党が迎え撃つ構図だった。そのような中で宮澤は、「保守」について同著で次のように定義している。

「保守とは立ち止まること、立ち止まって考えることである」

この本を読むように私に勧めてくれたのは、明治大学政経学部の井田正道教授だった。
「保守という難しい概念を、これほどわかりやすく、こんなに平易な言葉で言い尽くした例はないと思う。宮澤さんの政治家としてのセンスと鋭さを感じる」
その宮澤によれば「革新」「保守」の考え方は、それぞれ次のようなものになる。

「(革新とは)現在ある社会に対して、なにかの疎外感をもっている人たちが、現状をつき破ればなんらかの改善が生れるだろう。つまり、まず現状をつき破るというところに重点をおく『考え方』である」

「(保守とは)ある不満を取り除こうとする結果、全体のバランスを崩さずに、その点だけの改善が可能なのか、あるいは、その点は改善されても逆に全体的には悪い効果が生れるのか―そこのところの見通しについてたえず考え、迷い、その果てに改革への決断をする場合もあるし、またしないですます場合もある」

こうした宮澤の論に触れて、私がもっとも驚いたのは、「保守」という概念が、守勢的な立場に拘泥するのではなく、むしろ「変えていくこと」「改革」を是としている点だった。

宮澤が説くのは、こういうことだ。
―合理性にのみ基づく改革には慎重であるべきだし、現状をつき破ることだけを目的とした改革は単なる破壊行為である。それに対し、保守が行う改革とは、立ち止まって考えつつ、必要に応じて実行していくものである。その時には、当然、過去の前例や伝統を考慮の基準としなければならないし、周囲の地域や人間関係に巻き起こす弊害も考えなければならない―。

私自身は、いわゆる「保守主義者」の思考の持ち主ではない。だが、宮澤の言うこの「保守論」には非常に強い共感を覚える。なぜなら、今の日本の政治にもっとも欠けている視点だと思うからだ。

小泉純一郎による構造改革は「合理性にのみ基づく改革」であった。また、「現状をつき破ることだけを目的とし」、既存の仕組みはすべて悪とみなして片っ端から変えようとしているのが民主党中心の現政権の真の姿ではないだろうか。だとするならば、今の日本の政界に「真の保守」と呼べる政党は存在するのだろうか。

■自民党は触媒になるべきだ

そもそも私が、なぜ「保守」というテーマに取り組んでみようと思ったのか。少々長くなるが、まずはその点についてきちんと述べておきたい。

きっかけは昨年8月の政権交代だった。
日本に政党政治が誕生して90年余、まさに初めてと言ってよいほどの本格的な政権交代だった。だが、私は一貫して、「今回の政権交代は『目的』ではなく、『手段』であるべきだ」と言い続けてきた。つまり、政権交代を「目的」で終わらせるのではなく、政界再編のための「手段」としなければならない―という意味だ。
1955年の保守合同以来、昨年の衆院選で敗れるまで、ずっと政権を担ってきた自民党。だが、単一の政党が長期的に政権の座に就くことで、政治に腐敗が生まれ、硬直化を引き起こしてきたのは周知のとおりである。

政権維持を至上命題とする自民党は、自らの中に右から左まで、それこそ新自由主義からリベラル、社会民主主義に到るまで、幅広く異なった理念を抱合し、「できるだけ多くの国民の声」を吸収できる仕組みを作り上げた。つまるところ、党内の諸々の勢力が内部で議論し、その都度結論を出しながら政権維持に努めた。そしてその結果が自民お得意の密室政治であり、その成れの果てが、自民を割って出た、今日の“小規模新党”の乱立であろう。

本来ならば、しっかりとした一方向の理念と、それに基づく政策を持った政党同士が、緊張感を持ちながら国民の面前で議論を闘わせ、選挙に勝利した政党が政権を獲るべきなのだ。その政権が国民の意に反すれば、もちろん別の政党が取って代わる。成熟した理念をはっきりと備えた政党が常に理念に基づいた政策を打ち出し、国民に政権政党選択の機会を与えなければならない。

私は必ずしも二大政党制にこだわる必要はないと思っている。たとえばこんな形も考えられるだろう。多くの党が国民の前で政策協議を行い、対立する2つの連立勢力ができあがる。「二大勢力制」と言ってもよい。国民はそこから政権を選択をする形になる。ただし、現状のように“理念なき政党の数合わせ”が続くようでは、政治は再び妥協に陥り、国民の信を取り戻すことはできないだろう。

だからこそ、私は今回の政権交代によって、何よりもまず、自民党が理念を練り直し、従来の寄せ集めのような政党ではなく、ひとつの方向と理念と政策を示す政党へと生まれ変わるべきだと思うのである。最大野党の自民党が率先して変化すれば、それが触媒の効果を起こし、民主をはじめとする他党もまたそれぞれの理念を見直すことになるだろう。なぜなら、対立軸の理念を明確にしなければ、これからの選挙は闘えなくなってくるからだ。

そこまで「政界再編」が進むことで、今回の政権交代は初めて大きな意味を持ってくる。これが私の意見である。

■綱領なき民主党


それでは自民党の現状はどうなっているだろうか。野に下った自民党の谷垣禎一総裁は、「自民党は保守政党であることをもう一度出発点にしたい」と宣言し、また、多くの自民党議員も異口同音に「我々は保守政党として出直す」と語った。これは、与党・民主党による現政権を「手厚い再分配型」の社会民主主義的政権と多分にイメージしてのことだろう。

だが、ここで私には多くの疑問が芽生えた。

自民党が民主党の対立軸として言い出している「保守」の中身とは、いったい何か。自民党が「保守」「保守」と主張するならば、なぜ平沼赳夫は自民を飛び出したまま、新たな政党を作り「自分こそ真の保守だ」と叫んでいるのか。

保守という概念を掲げた安倍晋三はなぜ道半ばで挫折したのか。自民党と袂を分かった鈴木宗男や渡辺喜美もまた「保守」を自負しているが、自民の「保守」とは何が違うのか。
さらに言えば、「保守」の考える経済政策とはどういうものか―という点も重要だと思う。

自民党の中で小泉純一郎は構造改革を推し進めた。だが、谷垣総裁をトップとする自民党の現執行部は、今年の党大会で市場経済政策について「自律と秩序ある」と、明らかに構造改革を後退させるような表現で加筆している。ならば、小泉構造改革は「保守」自民党としての政策だったのか、それとも「保守」ではなかったのか。

要するに、現在の自民党が唱える「保守」とは分かりにくいことだらけなのである。

もっとも「分かりにくさ」で言えば、民主党も似たようなものだ。
当初、マニフェストなどから想起された民主党の政策理念は社会民主主義的な色彩が強かった。ところが、未だにはっきりとは打ち出していない。それどころか、現在、鳩山民主党が事あるごとに唱える「新しい公共」なる概念は、「国民の自立を促す」という名目で「小さな政府」、さらには国家の役割が究極的に省かれた「国家解体」をも予見させるような、過度に自由主義的な傾向が強く、社民主義的マニフェストとの整合性が取れていないようにさえ思える。

驚くべきことに、そもそも民主党には政権与党となった今日に至るまで「綱領」が存在しない。綱領とは政党の政策・基本方針を示す、いわば党の根幹を成す部分であり、選挙ごとの公約であるマニフェストとは重みが違う。

かつて民主党のあるベテラン議員は私に「実は綱領は作れないのではなく、作らないんだ」と言ったことがある。自民党以上に“幅広い”考え方の議員が集まった民主党は、綱領で政策を決めた途端、バラバラになってしまうのが明白なため、「一致団結・非自民」という、きわめて曖昧な状態によって結束が維持されているのだという。

だからこそ、民主党は党内で異論の出そうな政策についてはほぼすべてといっていいほど議論を封印してきた。昨今の普天間の迷走も、郵政や高速道路をめぐる軋轢も、そのツケが一気に表面化したものだ。党として理念に基づく政策や方針がない以上、根本的な解決は程遠い。鳩山内閣の支持率が下がり続けるのも宜成るかなである。

ところが、では自民党に支持が戻るかといえば、まったくそんな兆しは見られない。
なぜか。前述したとおり、自民党もまた、明確な理念とそれに基づく政策を打ち出せていないからだ。

いま一度、繰り返しておきたい。

昨年の政権交代は単なる政権交代で終わらせてはならない。国民が文字どおりの「理念」「政策」で政党を選べるような形で政党再編、政界再編が行われてこそ、政権交代に意味があったと言えるのである。そしてそのために、日本の政界にとってもっとも必要な次の動きとは、「保守」という理念をはっきりと謳った政党の誕生ではないかと私は思うのだ。

それでは「真の保守」とは何なのだろうか。私は日頃から「保守」を主張する政治家に会って、あらためて彼らの意見にじっくり耳を傾けてみようと思った。「失われた保守を探す旅」だと言ったら気障すぎるだろうか。
「あるべき保守」の姿について、宮澤喜一の先見にあやかり、「立ち止まって考えて」みようと思ったのかもしれない。


■「たちあがれ」結党の舞台裏


「7月の参院選まで、準備期間を考えたら最低でも3ヵ月は必要。そう考えると旗揚げは4月。10人程度の新党にしたいと思っている」

2010年1月。私がキャスターを務めるテレビ番組でゲストに平沼赳夫を迎えた際、二人きりの静かな控室で彼は私にそう断言した。
「保守の旗を掲げなきゃならない。民主党政権では日本がダメになるのは明らかだ」
この時の“公約”どおり、平沼は4月10日、都内のホテルで、新党「たちあがれ日本」の結党会見をおこなった。

だが、悲願だったはずの保守政党旗揚げの晴れ舞台であったにもかかわらず、平沼の顔には希望や歓喜、あるいは満悦や意欲といった表情が浮かんでいなかった。いや、少なくとも私にはそう見えたし、平沼と親しい、ある自民党のベテラン議員も私とまったく同じ意見だった。

はたして何が起こったのか――。

実は、平沼が私に新党の“夢”を語ったのは、今年の1月で3度目だった。
話は5年前までさかのぼる。
2005年の、いわゆる郵政選挙で、小泉純一郎が争点に据えた郵政民営化に猛反対した平沼は自民党公認を外され、刺客候補を差し向けられる。選挙では勝利したものの、以後、無所属として政治活動を続けてきた。

その平沼が新党構想に初めて言及したのは翌2006年秋のことだ。
首相はすでに小泉から安倍に代わり、水面下では復党に向けた動きも進んでいた。だが、平沼が選んだのは孤立の道だった。

「なぜ復党しない道を選んだんですか」

私は率直に平沼に尋ねてみた。一対一の場で記者が体当たりで質問した時、政治家は胸襟を開いて堂々と答えるタイプと、あらゆる手段を弄して煙に巻こうとするタイプとに大別される。平沼は前者のタイプの政治家だ。
「今の自民党は健全な保守ではなくなった」
これが平沼の答えだった。
「郵政選挙の時のわだかまりがないと言えばウソになる。だが、問題はそれだけではない。要は、小泉改革という市場主義中心のやり方が明らかに間違っているということだ。自民党がこのまま市場主義優先でいくならば、それは私が考えている健全な保守ではない。良き伝統を守り、故郷の疲弊した経済を立て直すために、保守の旗を掲げて新党を作ることも視野に入れている」

当時首相だった安倍と平沼は「保守政治家」という点で気脈を通じていた。だが、平沼は結局戻らなかった。平沼の考える保守と、当時の安倍が率いる自民党の保守には厳然たる溝があったからだ。それは経済政策である。

言うまでもなく、小泉の構造改革路線の骨子は「官から民への移行」であり、「小さな政府」であった。経済は自立を第一義とし自由な市場主義へと転換を図った。

小泉から政権を引き継いだ安倍は、セーフティネットの拡充や「再チャレンジ」制度の提唱など、これに多少の軌道修正を加えたものの、それでも小泉路線は依然として自民党内の主流派にしっかりと根を下ろしていた。

デンマーク出身の社会学者で「福祉国家論」を唱えたことで知られるエスピン=アンデルセンは、先進国の政策体系を分類し、広義の「保守」を2種類に分けている。
この分類に従って、小泉の構造改革路線を「自由主義レジーム」、平沼が唱える理念を「保守主義レジーム」と考えるとわかりやすい。

「今の自民党の中にも、健全な保守に回帰すべきだという仲間は多い。彼らと話をしながら結集していく」
そのように語っていた平沼だったが、2006年暮れに脳梗塞で倒れ、一時は政治生命を危ぶまれる。だが、懸命にリハビリを続け、2007年5月に国政復帰を果たした平沼は、その後も保守新党への夢をあきらめてはいなかった。

2009年の初頭、私は再び平沼と言葉を交わす機会があった。
「保守の旗をもう一度きっちりと立てることが大事だ。政党を立ち上げるには現職議員5人を集めなければならない。今もいろいろと話をしているが、(5人が)難しければ、総選挙前に仲間で結集したい」

そう語った平沼は同年7月、城内実や小泉龍司ら同志とともに「平沼グループ」を結成、保守新党への第一歩を踏み出す。城内、小泉ともに郵政民営化をめぐって自民党と訣別し、当時は浪人生活を送っていたが、同年8月に行われた政権交代の衆院選で返り咲きを果たしている。

平沼の盟友で、常日頃から「保守」の理念を掲げる自民党の参議院議員・鴻池祥肇らが、非公式な会談で平沼新党への参加を承諾したのもこの頃だ。役者は確実に揃いつつあった。
 

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コメント
 
01. 2010年8月08日 00:31:58: AahseBnq26
平沼は小泉でも亀井でも小沢でもなく、ただ何もしない、保守政治家だ。ただ変化しないことを選択する。と思っております。

02. 2010年8月08日 01:19:20: FSyPN1ESQM
エスピン−アンデルセン氏の「福祉国家論」は、これですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%A5%89%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E8%AB%96

正確には4類型があって
・社会民主主義的福祉レジーム(民主党?)
・自由主義的福祉レジーム(みんなの党?)
・保守主義的福祉レジーム(たちあがれ日本?)
・家族主義的福祉レジーム(今の日本・自民党?)

また「グローバル化への適応については一般的に自由主義と社会民主主義が優れているとした。」とあります。
グローバル化に適応するなら、「民主・みんなの党」、適応しないのなら、「自民・たちあがれ日本」ということで対立軸をつくるなら分かりますが、「みんなの党・たちあがれ日本」で、「保守」はムリがあるのでは?


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