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脱落リベラルの会が結成?(反戦な家づくり)
http://www.asyura2.com/10/senkyo92/msg/299.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2010 年 8 月 12 日 11:28:55: twUjz/PjYItws
 

http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-916.html

2010-08-12(Thu)
脱落リベラルの会が結成?


脱落リベラルの会

 代 表   官から菅直人
 官房長官 泡狸
 幹事長   枝野幸夫
 副幹事長 ナメクジ幸夫
 担当大臣 千葉景子
 副大臣   辻元清美

まだまだ たくさん会員はいらっしゃるようだけれども、書いているだけで情けなくなるので、もうやめる。

自称リベラルが、なんでこうも易々と庶民の暮らしを裏切り、官僚に操られ、アメリカのポチになりさがるのか。
その答えは、おそらく安保にある。日米安保。

一昔前は、「反戦」の下の句は「反安保」ではなかったか。
ところが、今や「反戦」」に続くのは「頼安保」らしい。

1960年〜1990年くらいの約30年間は、なんやかんや言って、食っていける時代だった。
そして、アメリカもまだ「潰して食う」という選択を迫られていなかった。

しかし、冷戦が終わった90年代からの20年間で、日本は、なんやかんや言っていたら食い詰める国になってしまった。その背景は、アメリカが「収穫期」に入ったということ。

これまで家畜として、作物として太らせてきた日本を、収穫して食う段階に立ち至った。
ここに、これまでの国内政治の立ち位置がガラガラポンで崩れはじめた。

そのガラガラポンの口火を切り、いまでも手綱を先頭で引っ張っているのが小沢一郎だ。
日米中をはじめ、日本人が生きていく環境が激変している、という時代認識のもとに、政界をこねくり回しつつ、ついには昨年の国民運動的な政権交代にまで結びつけた。

一方で、小沢一郎は非武装主義ではない。むしろ、憲法を変えて、正規の軍隊を持つべきだという考えであると、彼のホームページを見ても、隠すとこなく読み取れる。
アメリカからの従属を脱するには、当然ながら日米安保のクビキから脱しなくてはならない。
そのためには、日本軍が必要だ、ということ。

これは、かのツイッター王であるフリージャーナリストの岩上安身さんが、さかんに主張していることでもある。
やっと、独自武装の話をできるようになった と感慨深げにツイートしておられた。

小沢一郎にしても、岩上氏にしても、独自武装を言う人たちの方が、国民の生活や権利を、本気で考えている、というのが、今この時の現実なのである。

ほんの少し前までは、リベラルというのは、金持ち優先の保守自民党に対して、庶民の味方になってくれる人 というイメージであったはずだ。
ところが、今、リベラルというのは、自らのリベラルというイメージを守るために、国民を裏切る存在になってしまった。

その原因こそが、先に述べた時代の大転換と、それに呼応した小沢一郎らの「独立保守」の台頭だ。
独立保守が、アメリカからの独立を主張するとき、リベラルはある選択肢を迫られる。

日米安保がなくなったあと どうするんだ?

いろんな言い方をしてみても、ゴリゴリと詰められると、結局は独自武装、つまり改憲して日本軍という小沢一郎らの主張を破ることはできない。
そこに、価値観の大逆転がおきる。
反戦のための、庶民の暮らしのためのリベラルだったはずが、リベラルの看板のためにアメリカにすり寄ろうとし始める。
戦争国家であり、庶民の暮らしから吸血鬼のように吸い取るアメリカに、自称リベラルがすり寄っていくのである。自分の看板を守るために。

日米安保がなくなったら、改憲→日本軍の流れに逆らえない。
それならば、いっそアメリカの奴隷でいる方が良い。
これが、自称リベラルが地獄の門番へとずり落ちていった鍵なのではないだろうか。


■■
ところで、少しここで落ち着いて考えてみたい。
小沢一郎にしても鳩山由紀夫にしても、ここが彼らの限界だと思われるが、武装=国軍という発想しかない。
闘志・岩上氏にして、やはりそういうイメージを持っておられる。

ここで疑問がいくつか出てくる。

@武装しなければ、本当に侵略されるのか。独立はたもたれないのか。

Aもし仮に侵略されるとして自衛=武装 という選択しかないのだろうか。

Bもし仮に武装しなければならないとして、それは国軍という選択しかないのだろうか。

@については、多くを語ることを要しないだろう。
侵略されることは、ほとんどないだろうけれども、絶対にないとは断言できない ということだ。

Aにかんして、まず思い浮かぶのは、マハトマ・ガンジーの名前だ。

ガンジーのことを知ろうと思うと、実に不思議なことに気がつく。
個人の伝記や自身の著作は いくらでも文献がある。
ところが、ガンジーの指導した「非暴力不服従」の運動がなぜ成功したのか、あるいは成功でなかったのか、そうした分析研究についての文献は、なかなか見つからない。
(ご存じの方は、ぜひ教えてください)

可能性は二つあると思われる。
一つは、「非暴力」という部分だけを理想化するために、実際以上にガンジーの運動を大きく描いたということ。
詳細に分析してしまうと、実は、これでは勝てない ということが分かってしまうので、物語は沢山あるが分析はない という推論。

もう一つは、非暴力不服従で勝利する要諦がわかってしまい、世界中の非抑圧国でこの運動が起きたらエライことだ、とアメリカをはじめ抑圧側の大国が研究を潰している。
ガンジー個人を神棚に祭り上げて、その実像に触れさせない という可能性。

いずれにしても、今、日本で必要な研究の一つは、ガンジーの運動がなぜ成功したのか、あるいは成功ではなかったのか、という検証だろう。
それなくして、自衛=武装 かどうかということを考えることはできない。

次にB。武装=国軍なのか、という問題。

軍隊というのは、武器をもった官僚だ。
銃を持たない官僚ですら統制できない、どころか手のひらに載せられているのに、武力を持った官僚が、民主主義の原則で働くのかどうか。
その可能性は、限りなくゼロに近い。

にもかかわらず、仮に武装して自衛しなければならないとしたら、それは武器をもった官僚=国軍でなくてはならないのか。

ここで想起すべきは、言うまでもなくレジスタンス運動だ。
フランスやベトナムもそうだし、勝利はできなかったけれども光州蜂起もそうだ。
現在のアフガンやイラクでも、その戦いは繰り広げられている。

レジスタンスは、非正規軍だ。ゲリラと言っても良い。
皮肉なことに、その背景には徴兵制がある。
徴兵制によって、一般国民が銃の扱いを心得ていることが、レジスタンスの下地になっている。

光州蜂起がまさにそうであったことは、よく知られている。
ベトナムに駆り出された元兵士が、市民軍として戦った。
逆に、徴兵による兵士は、光州市民を弾圧することに耐えられず、崩壊した。

このことは世界各国の支配層も分かっていて、だから徐々に徴兵制はなくなり、国軍は志願兵によるプロ集団と化してきている。
同胞である光州市民を襲ったブラックベレーのような。

究極の軍隊というのは、同胞を犠牲にしてでも、自分たちを守ろうとする。
その姿を、まざまざとみせてくれたのが、関東軍であり沖縄守備隊だ。
開拓民をあっさりと見捨てて、自分たちだけスタコラサッサと逃げ出した関東軍。
砲弾の雨の中、避難壕(ガマ)から住民をたたき出した沖縄守備隊。
あるいは、「おまえたちだけ死なせない」と特攻隊を送り出してノウノウと天寿を全うした将校ども。

これが、国軍の最終形ではないのか。
そうならないという保証は どこにあるのか。
そうなるという状況証拠は、現在の霞ヶ関に、星の数ほど転がっている。
国軍=武器をもった官僚組織である以上、今霞ヶ関で行われている高級官僚の自己保身大運動とおなじことがおきる と考えない方がオカシイ。

官僚の危険性を、誰よりも分かっているはずの小沢一郎が、なぜ軍隊だけは別物と考えてしまうのか。
官僚との戦いの最前線にいる、ジャーナリスト岩上氏が、なぜそこに気がつかないのか、私には分からない。

いずれにしても、もし仮に、非暴力不服従がまったく無力だとしたら、残された道はレジスタンスしかない。
これは、軍隊を認めることよりも、数段厳しい選択だ。
なぜなら、軍隊=官僚は代行してくれる組織だ。だからこそ権勢をほしいままにする。

しかしレジスタンスは自分が戦わなくてはならない。
官僚主義に反対し、なおかつ武装して侵略から自衛すべしと言う場合は、みずからがその先頭に立つ覚悟を問われる。
年齢性別に関係ない。80才のお年寄りでも、レジスタンスならば兵士として充分に戦えるのだから、「最近の若い者は」なんて言わずに、自分はどうか、という基準で万人が判断されたい。

ちなみに、私はどうか。
今現在の思いは、レジスタンスの可能性を保留した不服従運動 という可能性にかけたいと思っている。
軍事侵略の可能性は非常に低いと思いつつも、現在アメリカに「侵略」されているような被支配は受ける可能性は大だ。
だから、侵略なんてナイナイ と呆けたことを言うつもりはない。

いざというときに不服従運動ができること、そして、もし万が一それが暴力的に押しつぶされるようなことになったら、レジスタンスの戦いの可能性もあること、これは否定しようがない。正直、震えるほど恐ろしいけれども、否定することはできない。


■■
話を自称リベラルの連中に戻そう。

「市民派」菅直人を筆頭に、55年体制下であれば反権力とすら呼べるような顔ぶれが、こぞってアメリカに膝を折り、頭に「ネオ」をかぶるようになってしまった。

当面は、このエセリベラル勢力と、小沢一郎ら独立保守勢力の争いで日本の指導勢力は決まっていくだろう。
そして、私は、この限定された局面では、小沢一郎をやはり支持する。

改憲→国軍には全く賛成できないが、ここしばらくの趨勢を決める政治の世界では、小沢一郎が唯一の指導者だ。この現実から逃げ出して、鏡に向かって独り言をぶつぶつつぶやいても仕方がない。

脱落したネオ(エセ)リベラルの会の、裏会長は前原誠司という名前らしい。

八ツ場ダムの主なる工事を続行し、裁判で禁止された沖縄泡瀬干潟の埋め立てを、沖縄市長を取り込んで再開させ、米国さまの言うがままに傍若無人の「活躍」を続ける、ポチ前原をご主人様とあがめはじめる。
ポチのポチ ポチポチになり果てる。

前原は、脱落組ではない。最初から確信犯だ。生粋のエージェントだ。
転向脱落したものは、どんなに能力があろうが口が達者だろうが、確信犯に支配される。

その轍を踏まぬよう、反省・平和を望むものは、決心覚悟を固めなくてはならないのだろう。
 

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