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総理大臣の起訴は無効 「首相を起訴することは可能か?〜憲法75条の解釈を巡って」 Because It's There
http://www.asyura2.com/10/senkyo93/msg/709.html
投稿者 韃靼人 日時 2010 年 9 月 02 日 15:13:24: XfUHcQiPmEZmc
 

http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-2104.html#comment3678

Because It's There


首相を起訴することは可能か?〜憲法75条の解釈を巡って
2010/08/29 [Sun] 19:06:03

小沢一郎氏が民主党代表選に立候補することを表明し、しかも小沢氏が代表となるだけの支持が集まっている反面、検察審査会の議決次第では強制起訴される可能性があります。そこで、新聞各社が、「現職の首相は起訴される可能性があるのか」という問題について、記事にしています。


1.この問題は、憲法75条の解釈問題であり、最近では、岡田克也外相は8月20日昼の記者会見で、「起訴される可能性のある方が首相になることには、わたし自身は違和感がある」と批判したことを巡って問題となっています。

「首相派反撃 民主党代表選  小沢氏出馬けん制
2010年8月21日

 岡田克也外相は二十日の記者会見で、「起訴される可能性のある方が代表・首相になることには、私自身は違和感を感じている」と述べ、小沢氏が検察審査会の結論次第では強制起訴となることを理由に、小沢氏出馬の動きを強くけん制した。」(東京新聞平成22年8月21日付朝刊【スコープ】)

(1) 岡田外相の発言は、憲法75条上間違った内容だったのですが、東京新聞など報道機関はその発言を肯定的に扱い、憲法75条上、間違いであるとの指摘はしていませんでした(「「起訴の可能性ある人に違和感」と岡田外相発言〜岡田外相は、政治家を辞めて憲法を学ぶべきでは?」(2010/08/20)参照)。しかも、報道機関は、間違いを指摘するどころか、岡田外相の憲法に無知な発言を引用して、盛んに対立候補擁立自体を阻止するような批判を繰り広げていたのです。

「社説:小沢氏擁立論 民主党の勘違いに驚く

与党の代表選は実質、首相を選ぶ選挙だ。言うまでもなく小沢氏の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件はまだ決着していない。小沢氏が強制的に起訴される可能性がある検察審査会の議決が今秋に控えている。首相に就任すれば野党は連日、この問題で攻め立てるだろう。果たしてこれまで一度も国会の場で事件の説明をしていない小沢氏が乗り切れるだろうか。国会は直ちに動かなくなる公算の方が大きい。」(毎日新聞 2010年8月22日 東京朝刊)


「民主党代表選―なんのために戦うのか 

  政治資金では、いまだに国会で何の説明もしていない。検察審査会の判断次第では強制起訴の可能性も残る。
 けじめをつけないままの立候補は、民主党政権からの民心のさらなる離反を招くだけだろう。」(朝日新聞平成22年8月21日付朝刊「社説」)


(2) ところが、驚くべきことに、報道機関は8月26日に至り、訂正記事を掲載するなどの反省をすることなく、事実上、岡田外相の発言が間違いであるという内容の記事を掲載しているのです。岡田外相の発言を引用して煽りたてた記事は一体、何だったのでしょうか。実に恥知らずな態度といえます。(憲法75条の問題を除いたとしても、岡田外相の発言は、無罪推定の原則を無意味にするものですから、妥当でないことは明らかだったのです。)

「社説:民主党代表選 大義欠く小沢氏の出馬

しかも、小沢氏自身を東京第5検察審査会が一度「起訴相当」と議決しており、2度目の議決次第では強制起訴される可能性がある。憲法の規定により閣僚の訴追(起訴)には首相の同意が必要とされ、首相の起訴も自身の同意が必要とみられる。「推定無罪」が原則とはいえ、こうした問題に直面しかねない小沢氏は首相候補として適格性が問われる。各種世論調査で小沢氏が要職に就くことに世論の風当たりがなお強いことは当然である。」(毎日新聞 2010年8月27日 東京朝刊)


「◆首相は起訴されないの?

 ◇憲法上、本人同意が必要 職務を考慮、在任中は時効停止

 なるほドリ 小沢一郎・民主党前幹事長の代表選への立候補が取りざたされてるね。確か検察審査会が政治資金規正法違反の疑いで審査しているはずだけど、仮に代表選に勝って首相になったら、審査会で「起訴すべきだ」と議決されても起訴できない可能性もあるんだって?

 記者 憲法75条には「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない」という規定があります。訴追とは起訴のことです。この規定は国務大臣の職務の重要性をかんがみたとされ、内閣の一員に対する起訴は最大限慎重になされるべきだとの考えに基づくとされています。首相も国務大臣に含まれるとの解釈が有力で、首相を起訴するためには本人の同意が必要になると考えられているのです。

 Q もしも本人が同意しなかったらどうなるの?

A 同意がないまま起訴すると、起訴の手続きが無効となる可能性があります。ただし、これはあくまで在任中の話です。75条には「これがため、訴追の権利は害されない」とも書かれています。この部分については、首相や国務大臣の在任中は同意がなければ起訴されないものの、時効が停止され、退任と同時に起訴が可能になるとの解釈が有力です。」(「質問なるほドリ:首相は起訴されないの?=回答・三木幸治」(毎日新聞 2010年8月26日 東京朝刊))


 このブログでは一度触れた問題ですが、報道機関は事実上、訂正を図ったとはいえ、相変わらず記事には間違いがあり、またしても読者に間違いを流布しています。そこで、「現職の首相は起訴される可能性があるのか」という問題について、再び論じてみたいと思います。

2.(1) 「現職の首相は起訴される可能性があるのか」という問題は、憲法75条に関する解釈問題ですから、まず憲法75条を引用し、その趣旨について触れておきます。

「日本国憲法第75条(国務大臣の訴追への内閣総理大臣の同意) 

 国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。」


 イ:このように憲法75条は「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない」と規定し、国務大臣を訴追するには首相の同意が訴追の効力要件であって、同意のない訴追は無効とするものとして、刑事訴追(逮捕勾留も含む)に関して捜査権限を制限しています。

憲法75条では、「国務大臣」という文言はありますが、「内閣総理大臣」という明示がなく、内閣総理大臣を訴追できるか否か明文上、明確ではありません。そこで、ここにいう「国務大臣」のなかに内閣総理大臣が含まれるのか否かという点と関連して、「現職の首相は起訴される可能性があるのか」が問題となっています。


 ロ:もし、憲法75条がなかった場合、検察権はいつでも――日本が危機的になるような経済問題、大災害、社会問題が発生していようとも――国務大臣を起訴できることになります。内閣の構成員たる大臣の訴追は、内閣の総辞職に追い込みかねませんし、その結果、社会情勢によっては日本を危機的な状況へ追い込む結果になりかねないのです。典型例ともいうべき事件として、戦前に起きた「帝人事件」を挙げることができます。

「帝人事件」は、戦前におきた贈収賄事件に関して、現職の大臣2人、大蔵省の次官・銀行局長など16人が逮捕され起訴された事件です。新聞は捜査機関側のリークを報道して世論を煽り、それを妄信した国民は政党政治に不信感を抱き、起訴とともに、新聞報道に煽られた世論による批判が、斎藤実内閣総辞職の原因となりました。結局は全員無罪となったのですが、結果は、二・二六事件、日中戦争、太平洋戦争へつながり、破滅の道へ突き進んでしまったのです。

こうした事例でわかるように、憲法75条は、こうした検察権による内閣の職務遂行への干渉を排除し、内閣の安定性・継続性を確保するなど内閣の統一性を保つことにあるのです(戸波「憲法(新版)」(ぎょうせい、平成10年)403頁)。言い換えれば、本条の目的は、一方において、国務大臣の職務の重要性に鑑み、それに対する訴追が最大限に慎重になされるべきことを担保することであり、他方において、内閣の統一性の担い手としての内閣総理大臣の閣内における優越的地位を確保することにあるのです(宮沢=芦部補訂「全訂日本国憲法」(日本評論社、1978年)589・590頁)。


 ハ:「帝人事件」は、でっち上げの事件であり、自白を強要した事件であり、捜査機関側のリークを新聞が垂れ流し、世論がリーク報道に踊らされてしまった事件でした。では、日本国憲法下において、恣意的な検察権の行使はなくなったのでしょうか? 自白を強要した事件はなくなったのでしょうか? 検察リークをそのまま報道することはなくなったのでしょうか? 検察リーク報道をそのまま信用するような市民はいなくなったのでしょうか? 

これらすべての点において問題がなくなったのであれば、もはや憲法75条は不要になったといえますが、悲しむべきことに、すべての点において、今に至っても戦前と全く変わらないというのが実態なのです。しかも素人集団である「検察審査会」による、感情的な強制起訴まで認めるようになった現在、恣意的で軽率な起訴権行使がなされるのですから、法制度上、戦前よりも悪くなったといえるのです。

(2) では、こうした現職の首相は起訴される可能性があるのでしょうか。

 イ:内閣総理大臣を起訴すれば、内閣すべての職務遂行が停止しかねず、国務大臣を訴追する以上にその内閣を破滅に追い込む可能性が高いのです。

そうだとすれば、検察権による内閣の職務遂行への干渉を排除し、内閣の安定性・継続性を確保するなど内閣の統一性を保つという憲法75条の趣旨からすれば、内閣総理大臣こそ、よりその地位を保障されるべきであるといえ、現職の首相は起訴される可能性はないということになります。要するに、明示はなくても、憲法75条の趣旨からすれば、当然に現職の首相は起訴される可能性はないのです。


 ロ:より広い視点で考えると、行政権は内閣に属すると定め(憲法65条)、憲法上、国民主権を採用し、国民が政治問題について内閣に委ねるとした以上は、政治問題はあくまで国民が判断する問題であって、検察権によって政治が左右されるべきではありません。

とすれば、憲法75条は、国政の決定はあくまでも国民が最終的な決定権を有するという国民主権に沿った規定であって、帝人事件を反省し、検察権による干渉を排除して、検察権によって国政が左右されることを防ぐ規定であるといえます。そうだとすれば、憲法75条を規定し、国民主権を採用した日本国憲法では、内閣総理大臣は在任中、当然に、訴追されないことを意味するという結論になるわけです。


 ハ:また、単純に考えても、憲法75条によれば、一般の国務大臣は、首相の同意がなければ訴追されないのですから、国務大臣を任命する者という最も大きな権限を有する者は、国務大臣よりも十分に保護されるべきですから、内閣総理大臣が訴追されるという結論は、論理的に不合理です。(この理由により、正確には、法解釈上は、憲法75条にいう「国務大臣」には内閣総理大臣を含まない、ことになります。)


 ニ:こうした理由から、通説的見解は、憲法75条にいう「国務大臣」には内閣総理大臣を含まず、内閣総理大臣は、その在任中は、内閣総理大臣の同意を問わず、内閣総理大臣が「刑事訴追(公訴提起)」を受けることがないと解しているのです。憲法75条の趣旨、国民主権、憲法75条の論理解釈からして、現職の首相は起訴される可能性はないという、通説的見解は揺ぎ無いものといえます。


3.現職の首相は起訴される可能性があるのか否かに関しては、宮沢=芦部補訂「全訂日本国憲法」(日本評論社、1978年)585〜590頁が明快ですので、それを引用しておきます。

「本条は、国務大臣がその在任中、内閣総理大臣の同意なくしては、刑事訴追を受けない特典を有することを定める。

〔1〕「国務大臣」の意味については、第66条〔5〕を見よ。

 ここにいう「国務大臣」が、内閣総理大臣を含むかどうかは、問題である。

 (イ) この「国務大臣」は、内閣総理大臣を含むと解することもできる。

 もしそう解するとすれば、内閣総理大臣は、自分の刑事訴追に対し同意を与えることを求められることになる。しかし、内閣総理大臣が自己に対する刑事訴追に同意を与えてそのまま在職するというようなことは、実際問題として、ほとんど考えられず、多くの場合かならずやその同意を拒否するであろうから、本条にいう「国務大臣」は内閣総理大臣を含むと解しても、含まないと解しても、実際の結果は、あまりちがわなくなる。

 したがって、むしろ、本条にいう「国務大臣」は内閣総理大臣を含まない、と解するのが、正当である。

 それは、しかし、内閣総理大臣の訴追については、本条が定めるような特典が全然みとめられない(内閣総理大臣に対する訴追にはなんの制限もない)というのではなくて、反対に、内閣総理大臣に対しては、他の国務大臣に対してよりも強い保護が認められる、すなわち、内閣総理大臣は、その在任中は、刑事訴追を受けることがなく、また逮捕されることもない特典をみとめられる、という意味である。この特典は、本条の文字ではっきり定めているところではないが、本条の精神から生ずるところであり、したがって、その根拠はどこまでも本条にあると見るべきである。内閣総理大臣にこういう特典を保障することによって、内閣が軽率な訴追によってその地位を動かされることのないようにしよう、というのが、その狙いである。
 
 (ロ) 内閣総理大臣にかような特典をみとめる必要があるかどうか、は十分問題であろう。しかし、これをみとめることによって、さして大きな弊害も考えられないようである。内閣総理大臣は、たえず国会のコントロールのもとにあり、特に衆議院はいつでも不信任決議によって内閣をたおすことができるのであり(内閣は、衆議院を解散することができるが、解散もつまり期限附の総辞職にほかならない)、しかも内閣総理大臣の地位を退けば、この特典は失われるのであるから、この程度の特典をみとめることは、それをみとめることに積極的な理由があるかどうかは、少し疑わしいが、それをみとめたからといって、さほど実際に困るような結果をもたらすことは、ないだろうとおもわれる。

 皇室典範は、「摂政は、その在任中、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない」(皇室典範21条)と定めている。内閣総理大臣の特典を右のように解するとすれば、それは、摂政にみとめられた特典とまったく同じものとなる。

 1954年(昭和29年)9月、衆議院の決算委員会は、内閣総理大臣吉田茂を、憲法第62条により、証人として呼び出したところ、吉田茂は、はじめは公務多忙を理由とし、後には病気を理由として、出頭に応じなかった。そこで、決算委員会は、議院証言法(昭和22年法225号)第8号により、吉田茂を告発した。しかし、吉田茂が内閣総理大臣を辞するまでは(吉田はその年12月に退職した)、彼を起訴することは、本条によって、不可能だったわけである(翌年に至り、事件は、起訴猶予となった)。」

「〔4〕 「訴追」とは、検察官が公訴を提起することをいう。

 「訴追されない」とは、その者について有効に公訴が提起され得ないことをいう。したがって、かりに国務大臣に対して公訴が提起されたとしても、本条の定める同意がなければ、裁判所は、「公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき」に当るとして、公訴を棄却しなくてはならない(刑訴法338 条)。

 (イ) ここにいいう「訴追」が、文字どおり、控訴の提起のみを意味し、それにさきだつ捜査の段階における逮捕および勾留をも含まないと見るべきかどうかは、問題である。

 先例は、逮捕はここにいう「訴追」に含まれず、したがって、その場合は、本条の適用はないものと解し、1948年(昭和23年)9月、芦田内閣のとき、栗栖国務大臣がなんら内閣総理大臣の同意を経ることなしに、逮捕された例がある。

 この先例は、おそらく不当と見るべきであろう。「訴追」は、その文字どおりの意味においては、逮捕や勾留を含むとはいえないだろうが、本条が、刑事訴追の前に国務大臣を保護している趣旨からいって、ここにいう「訴追」は、逮捕や勾留をも含むと解するのが正当であろう。けだし、国務大臣に対して公訴を提起することは、かならずしもその国務大臣の身体を拘束することを意味しないのに対して、逮捕や勾留は、その身体の拘束を目的とするものであり、内閣の立場からいえば、その閣僚に対して、公訴を提起されるよりは、その閣僚の身体を拘束されるほうが、はるかに直接に困る場合が多いからである。したがって、国務大臣の身体の拘束を伴わないかぎり、捜査に必要があるときは、国務大臣に対し、その出頭を求めて、取り調べることもできるし(刑訴法198条)、また裁判官の発する令状により、差押・捜索または検証をすることもできる(ただし、身体の検査は、身体の拘束を必然的に伴うから、除く)(刑訴法218条)が、逮捕や勾留は、内閣総理大臣の同意がないかぎり、許されない、と解すべきだろう。

 (ロ) かように解するときは、さらに次の問題が生ずる。国務大臣は、現行犯の場合でも、内閣総理大臣の同意がなくては、逮捕できないか。

 あまり実益のある問題とはおもわれないが、本条の趣旨からいえば、現行犯の場合でも、内閣総理大臣の同意がなければ、逮捕できない、と解すべきであろう。本条の狙いは、どこまでも、内閣総理大臣の意見によらずに、その内閣の国務大臣がその職務を正常に執行することが妨げられるような状態が発生することを予防するからである。

 (ハ) 本条にいう「訴追」は、かような意味であるから、裁判官に対する公の弾劾手続において行われる罷免の訴追(64条〔2〕)とは、性質がちがう。」

「〔6〕(イ)本条の目的は、一方において、国務大臣の職務の重要性にかんがみ、それに対する訴追が最大限に慎重になされるべきことを担保することであり、他方において、内閣の統一性の担い手としての内閣総理大臣の閣内における優越的地位を確保することである。

 前の点についていえば、各国務大臣に対する訴追の可能性を内閣総理大臣の同意に依存させることは、それだけその訴追が慎重になされるべきことを担保することになろうし、また、後の点についていえば、それだけ内閣総理大臣の各国務大臣に対する統制力を強めることになろう。

 (ロ) 本条に定めるような特典を国務大臣および内閣総理大臣に対してみとめることに、十分な理由があるかどうかは、いささか問題である。逮捕のような身体の自由の拘束については、国務大臣に対してこの種の特典をみとめることも、国会議員にみとめられる不逮捕特典とくらべてみて、理由がないではないといえるが、公訴の提起について、この程度まで国務大臣を保護する必要があるかどうかは、疑わしい。

 本条の実際的な存在理由を考えるに当たっては、訴追、ことに公訴の提起がだれによってなされるか、を考える必要がある。公訴の提起が、多かれ少なかれ内閣から独立に、内閣の意志にかかわらず、なされる制度のもとにおいては、本条の存在理由――もしそれがあるとすれば――が、大きいといえよう。これに反して、公訴の提起が内閣の意志に基づいてなされる制度のもとでは、国務大臣に対する公訴の提起を内閣総理大臣が拒否する必要のある場合は、ほとんど生じないだろうからである。

 この点については、憲法は、なんら特に定めるところがなく、すべて法律の定めるところにゆずっている。現行検察庁法は、法務大臣が、一般に(ただし、個々の事件の取調または処分については、検事総長をつうじて)、検察官を指揮し得ることをみとめている(検察庁14条)から、国務大臣に対する公訴の提起が、本条により、内閣総理大臣がその同意を拒否することによってはじめて抑えられる、というような事態は、まず実際には起こりそうもない。そういう場合は、そこまで行く前に、すでに法務大臣の指揮権によって抑えられているだろうからである。この意味において、すくなくとも現行法のもとでは、本条の存在理由は――公訴の提起に関するかぎりは――かなり小さい、とおもわれる。」


(1) ポイントとなるのは、憲法75条の趣旨の重要性です。すなわち、本条は、<1>国務大臣の職務の重要性に鑑み、検察権による内閣の職務遂行への干渉を排除して、国務大臣に対する訴追が最大限に慎重になされるべきことを担保したのです。そして、<2>明治憲法下では、内閣総理大臣は他の国務大臣と対等であり、「同輩中の首席」にすぎなかったため、内閣総理大臣の立場が弱すぎたために、戦争に突き進む勢力に対抗できなかったという反省に基づいて、内閣の統一性の担い手としての内閣総理大臣の地位を強化したのです。

こうした憲法75条の趣旨の重要性からすれば、<1>憲法75条にいう「国務大臣」には内閣総理大臣を含まず、内閣総理大臣は、その在任中は、内閣総理大臣の同意を問わず、内閣総理大臣が「刑事訴追(公訴提起)」を受けることがないという結論になり、<2>条文上、「訴追」のみを挙げていても、「逮捕・勾留」までも含めることにしているのです。そして、<3>特に、公訴の提起・逮捕勾留について、多かれ少なかれ内閣から独立して、内閣の意思にかかわらずに、なされる制度であれば、内閣の継続性を守るため本条の存在理由は大きい、ということになるのです。

(2) 毎日新聞は、「首相も国務大臣に含まれるとの解釈が有力で、首相を起訴するためには本人の同意が必要になると考えられている」(「社説」「質問なるほドリ:首相は起訴されないの?=回答・三木幸治」(毎日新聞 2010年8月26日 東京朝刊))としています。

 イ:しかし、国務大臣を任命する者という最も大きな権限を有する者は、国務大臣よりも十分に保護されるべきですから、内閣総理大臣が訴追されるという結論は、論理的に不合理です。ですから、通説的見解は、本条の趣旨より、首相の同意の有無を問わず、当然に現職の首相は起訴される可能性はないとしているのです。

正確には、法解釈上は、憲法75条にいう「国務大臣」には内閣総理大臣を含まないことになりますが、本条の趣旨は、内閣総理大臣の地位をより強化するものである以上、「国務大臣」には内閣総理大臣を含むか否かを問わず、内閣総理大臣の同意をとわず、起訴できないのです。

毎日新聞は「首相も国務大臣に含まれるとの解釈が有力」としていますが、その解釈は多数説ではありませんし、「首相を起訴するためには本人の同意が必要になる」との見解も多数説ではありません。


 ロ:これに対して、朝日新聞や東京新聞は妥当な見解を紹介しています。

「この規定の対象となる『国務大臣』に首相自身が含まれるかどうかは学説が分かれている。ただ、『含まれないとしても憲法の趣旨からすれば当然、首相在任中は起訴されないという解釈になるのだろう』と法務省幹部は語る。」(朝日新聞平成22年8月27日付朝刊38面)


 「首都大学東京法科大学院の富井幸雄教授(憲法学)は「憲法上、首相は訴追できない」とする見方だ。「そもそも憲法75条の解釈でも意見が分かれる。憲法75条の趣旨として、内閣の一体性を守るために総理大臣に特別な地位を与えていると考える。そこが戦前の憲法と大きく違う。内閣の命運は国会にあるのが大前提。仮に首相を訴追できるとしたら、検察の権限で、内閣を崩壊させることができることになる」という。」(東京新聞平成22年8月27日付「こちら特報部」25面)


毎日新聞は相変わらず間違いを撒き散らしていますが、朝日新聞だけは正解に達したようです。もっとも、岡田外相は、首相になった後、あたかも刑事訴追を受ける可能性があると危惧した発言をしていますが、そうした危惧は憲法上、あり得ません。憲法をまるで理解することなく、憲法を無視した発言を繰り広げることは、国益上、有害であって不当です。そうした愚かな発言よりは、毎日新聞の記事は真っ当でしょう。


4.仮に、小沢氏が代表選に当選し、指名を受けて首相に就任した場合において、仮に東京第5検察審査会が小沢氏を「起訴すべきだ」と判断した場合、起訴は可能でしょうか。「国民の代表でもある検察審査会の出した結論は、検察当局の判断とは性質が異なるため、強制起訴は可能だ」との見方もあるようですので、検討してみたいと思います。

「小沢氏が首相になった場合、憲法上は起訴困難か

 憲法75条が設けられたのは、検察当局による不当な圧迫を避け、国務大臣の身分を保障することで内閣の一体性を保つためだとされている。このため、検察関係者の中には、「国民の代表でもある検察審査会の出した結論は、検察当局の判断とは性質が異なるため、強制起訴は可能だ」との見方もある。」(2010年8月26日17時41分 読売新聞)


(1) この読売新聞が引用した見解のポイントは、<1>検察権による起訴と、検察審査会の強制起訴とは、性質自体が異なる「起訴」であって、<2>検察審査会による「強制起訴」には憲法75条の趣旨が及ばないというものです。

しかし、この見解は妥当なのでしょうか。直接の記述はありませんが、2つの文献を引用しておきます。

 イ:asahi.com(2010年5月3日4時37分)

「〈憲法記念日 竹崎最高裁長官、会見の主なやりとり〉2010年5月3日4時37分

 憲法記念日の会見で、竹崎博允最高裁長官との一問一答(一部略)は次の通り。(中略)

 ――裁判員制度と同時に改正された検察審査会制度で、早くも2件が強制起訴された。裁判所としてどう取り組んでいくのか。

 検察審査会はあくまで起訴の基準をどうするかであって、今まで(検察が起訴を独占する)起訴便宜主義で運営されてきたのを違った形で国民の感覚を反映させられないかというのが検察審査会制度。しかし、有罪、犯罪事実を認定する裁判所の判断基準がそれに乗って変わるかというのは全く無関係の問題だと思っている。これは検察審査会が起訴した事件だから、この程度で有罪にしてもいいという問題とは違う。」

 ロ:宮沢=芦部補訂「全訂日本国憲法」(日本評論社、1978年)590頁

 「本条の実際的な存在理由を考えるに当たっては、訴追、ことに公訴の提起がだれによってなされるか、を考える必要がある。公訴の提起が、多かれ少なかれ内閣から独立に、内閣の意志にかかわらず、なされる制度のもとにおいては、本条の存在理由――もしそれがあるとすれば――が、大きいといえよう。これに反して、公訴の提起が内閣の意志に基づいてなされる制度のもとでは、国務大臣に対する公訴の提起を内閣総理大臣が拒否する必要のある場合は、ほとんど生じないだろうからである。」

最高裁長官は、「検察審査会はあくまで起訴の基準をどうするかであって」、検察官の起訴独占主義を見直しただけの話にすぎないとしています。そうだとすれば、検察権による起訴と、検察審査会の強制起訴とは、(基準が違うだけで)性質は同じであって、性質の異なる「起訴」ではないのです。もちろん、検察審査会による強制起訴の場合の有罪認定も、証拠裁判主義が等しく適用され、通常の起訴による有罪認定と変わりはないのです。

また、特に、公訴の提起・逮捕勾留について、多かれ少なかれ内閣から独立して、内閣の意思にかかわらずに、なされる制度であれば、内閣総理大臣の地位を強化し、内閣の継続性を守るためには、本条の存在理由は大きいのです。とすれば、検察審査会による議決は、内閣の意思に関わらずになされる制度なのですから、検察審査会による強制起訴こそ、「本条の存在理由」が発揮され、憲法75条の趣旨が及び、当然、内閣総理大臣は起訴できないといえるのです。

もちろん、事実上、補助弁護士や事務局による影響があり、検察権を含めた捜査機関の意向が及ぶ場合もありますので、その場合は、憲法75条が予定している事態といえます。また、検察審査会では、一般的に感情的になりがちなことは公知の事実といえますが、「感情論」むき出しで――証拠裁判主義や無罪推定の原則は頭の中から抜けてしまったまま――起訴相当としているのです(「小沢一郎氏「起訴相当」と議決、陸山会事件で検察審査会〜検察審査会は「陶片追放」制度と化してしまったのでは?」(2010/05/05)参照)。

このように、軽率な起訴が多発しかねない現状では、内閣を強化するという憲法75条の趣旨はより妥当するように思われます。一般市民が、「検察審査会」という兇器で、内閣を危機に追い込み、社会不安を増大しかねません。検察審査会のメンバーは、日本が自滅の道を突き進まないように自戒するべきです。


(2) このようなことから、「<1>検察権による起訴と、検察審査会の強制起訴とは、性質自体が異なる「起訴」である」という内容は妥当でなく、「<2>検察審査会による「強制起訴」には憲法75条の趣旨が及ばない」という内容も妥当ではありません。

したがって、「国民の代表でもある検察審査会の出した結論は、検察当局の判断とは性質が異なるため、強制起訴は可能だ」との見解は、憲法75条の趣旨をまるで理解していないものであって、著しく妥当ではないのです。


5.仮に東京第5検察審査会が小沢氏を「起訴すべきだ」と判断した場合、公訴時効はどうなるかについて紹介しておきます。

「◆首相は起訴されないの?

 ◇憲法上、本人同意が必要 職務を考慮、在任中は時効停止

 Q もしも本人が同意しなかったらどうなるの?

 A 同意がないまま起訴すると、起訴の手続きが無効となる可能性があります。ただし、これはあくまで在任中の話です。75条には「これがため、訴追の権利は害されない」とも書かれています。この部分については、首相や国務大臣の在任中は同意がなければ起訴されないものの、時効が停止され、退任と同時に起訴が可能になるとの解釈が有力です。

 Q じゃあ検察審査会の議決はどうなるのかな。

 A 東京第5検察審査会は今年4月に小沢前幹事長について「起訴相当」の議決を出し、その後、検察による2度目の不起訴処分を受けて、第2段階の審査手続きに至っています。ここで議決すること自体には制約はないようです。審査会が再び「起訴すべきだ」と判断して「起訴議決」をした場合、検察審査会法によると裁判所が指定する弁護士が速やかに起訴(強制起訴)しなければなりません。ただし、検察審査会法よりも憲法が優先されるため、前幹事長が首相になっていた場合、指定弁護士が本人の同意を求めることになるとみられます。」(「質問なるほドリ:首相は起訴されないの?=回答・三木幸治」(毎日新聞 2010年8月26日 東京朝刊))

「小沢氏が首相になった場合、憲法上は起訴困難か

 憲法75条は、国務大臣在任中は首相の同意がないと起訴されないとしているだけで、その間は時効の進行が止まり、辞職後に起訴が可能になると理解されている。このため、検察審査会が起訴議決した場合は、大臣退任後、裁判所が指定した弁護士が、議決に基づき起訴すると考えられる。」((2010年8月26日17時41分 読売新聞))

(1) この公訴時効の問題について、宮沢=芦部補訂「全訂日本国憲法」(日本評論社、1978年)589・590頁を引用しておきます。

「〔2〕 「その在任中」とは、本条でみとめられる国務大臣の特典が、その国務大臣の地位にある期間のみ存在し、国務大臣の地位を退くとともに当然に消滅することを意味する。

〔5〕 「訴追の権利は、害されない」とは、本条でみとめられた特典は、国務大臣の地位に伴い、その在任中にのみ、存するのであり、国務大臣の地位を去った者に対しては、まったくみとめられず、しかも本条の特典がみとめられることによって、国家が犯罪を犯した人に対して有する訴追の権利そのものは、なんら影響を受けないことを意味する。

 本条の特典によって、訴追の権利がなんら影響を受けないことは、主として、その犯罪に関する公訴の時効期間が本条の特典によって影響を受けないこと、すなわち、その時効は、その罪を犯した人が国務大臣の任にある期間は、その進行を停止することにおいてあらわれる。

 しかし、このことは、かならずしも、国務大臣への就任とともに、その時効が進行を停止するという意味ではない。国務大臣就任後も時効は進行するが、その者についての訴追について必要な内閣総理大臣の同意が拒否されたときにはじめて、その進行を停止するのである。けだし、その同意の拒否によって、その事件に関して公訴を提起することが不可能な状態が確定するからである。その状態は、その国務大臣の退職によって、消滅し、そのときからまた時効は、その進行をはじめる。

 本条但書の趣旨は、要するに、その事件につき公訴提起が不可能な状態のあいだだけ、時効が進行を停止する、というにあり、国務大臣在任中でも、内閣総理大臣による同意が拒否されるまでのあいだは、国務大臣に対する公訴提起は不可能ときまった状態ではないから、時効は進行すると見るべきである。」


(2) 公訴時効に関するポイントは、「国務大臣への就任とともに、その時効が進行を停止するという意味ではない。国務大臣就任後も時効は進行するが、その者についての訴追について必要な内閣総理大臣の同意が拒否されたときにはじめて、その進行を停止する」ということです。

したがって、毎日新聞は、首相や国務大臣は「在任中は時効停止」するとしていますが、その記述は間違いなのです。もし、裁判所が指定した弁護士が、報道記事を読んで「在任中は時効は停止する」と勘違いして、在任中起訴の手続に入らなかった場合には、公訴時効は進行してしまい、後で公訴しても公訴は無効で終わることになります。おバカな弁護士も多いですから、そうした事態もあり得るのでしょう。

なお、民主党の渡部恒三元衆院副議長は8月21日、テレビ東京番組に出演し、9月の党代表選で小沢一郎前幹事長の擁立論が党内で強まっていることについて「首相になると検察は小沢氏を起訴できなくなる」として、「「小沢氏出馬は起訴封じ」であるといった発言をしています(産経新聞:2010.8.21 12:56)。

しかし、訴追できないのは「在任中」に限るのです。「その在任中」とは、本条でみとめられる国務大臣の特典が、その国務大臣の地位にある期間のみ存在し、国務大臣の地位を退くとともに当然に消滅することを意味するのですから、首相や国務大臣がその地位を失えば、訴追できるのです。ですから、「起訴封じ」のための出馬のようにいう渡部恒三元衆院副議長の発言は、明文上、間違っています。憲法75条の明文はともかく、渡部恒三元衆院副議長は、憲法75条の趣旨を本当に分かってうえで発言しているのでしょうか。(渡部恒三元衆院副議長の発言は、支離滅裂なことが多く、まるで痴呆症の症状がでている患者のようで見ていて悲しくなります。)


6.最後に。「郷原信郎さんのTwitter」を一部引用しておきます。

「今日午前10時から放映のBS朝日「激論!クロスファイア」(昨日収録)の中でも言っているように、小沢氏代表選出馬問題と検審問題とは関連づけるべきではない。私は小沢支持者ではないし、政倫審等での説明を行うことなく代表選に出馬することには反対だが、検審議決問題とは全く別問題だ(続く)
8:36 AM Aug 21st webから

(続き)陸山会不動産取得問題で第5検審が再度の「起訴相当」の議決を出す可能性は低いと思うが、仮に、それが出たとしても、「検察限りで終わらせるのではなく公開の法廷で決着すべき」という検審の判断に過ぎず、検察が「有罪の見通し」に基づいて起訴したのとは意味が異なる(続く)
9:05 AM Aug 21st webから

(続き)従来も、検審の起訴相当、不起訴不当議決を受けて検察が不起訴処分を覆して起訴した事例の有罪率は極めて低い。「推定無罪の原則」は有罪率99%を超える検察の起訴については事実上機能していないが、検審の「強制起訴」については絶対に守られなければならない。(続く)
9:06 AM Aug 21st webから

(続き)もし、検審で1回「起訴相当」の判断が出されたというだけで、その後検察が再度不起訴にしているのに、再度の「起訴相当」議決の可能性だけで、その被疑者は総理大臣になる資格がないとすると、11人の審査員の判断が、総理大臣のについての拒否権を持つことになる。(続く)
9:07 AM Aug 21st webから

(続き)それは、議会制民主主義を否定するだけでなく、検察審査会制度そのものを歪めることになりかねない。小沢氏が総理大臣をめざして代表選に出馬することの是非という政治的な問題と検察審査会の議決という司法の領域の問題とは切り離して考えるべきだ。
9:11 AM Aug 21st webから

昨日は明石での講演の後、新幹線で福岡に来て宿泊、今朝は陸路鹿児島に向かう。一昨日の浜松講演以降「ドサ回り旅芸人」のようなスケジュールが続く。その合間に「小沢氏の代表選出馬問題と検察審査会の議決を関連づけてはならない」と述べた連続ツイートに多くのフォロワーが注目してくれた(続く)。
8:30 AM Aug 23rd webから

(続き)こういう反応を見て、この国の社会にもまだ最低限の健全性が残っていることを感じる。私は、小沢氏の擁護者ではないし、小沢氏が現時点で首相をめざすことを支持するわけではない。しかし、そのこと是非については、堂々と政策論で臨むべきだ。(続く)
8:42 AM Aug 23rd webから

(続き)それを「検察審査会の議決の可能性」という議会制民主主義を否定する暴論で封じようとする一部の閣僚など民主党幹部の発言には、ただただ呆れるばかりだ。検察審査会が何を目的にしていて、どのように位置づけられるべき存在なのか、よく勉強してから発言してもらいたい(続く)
8:45 AM Aug 23rd webから

(続き)私も小沢氏の政策を支持してはいない。だからこそ、反小沢の人達に、検審議決などの反則技を持ちだすのではなく、小沢氏の政策のどこが問題で、なぜ首相にしてはならないのかを堂々と議論してほしい。政治家として日本の民主主義の歴史に対して恥ずかしくない発言をしてもらいたい
8:48 AM Aug 23rd webから 」

根本的に疑問を感じるのは、郷原信郎教授が述べるように、「検察審査会の議決の可能性」を持ち出すことによって、立候補の自由の阻止を図ったり、政策によって選択することから目を背けさせ、政党政治や議会制民主主義を否定しまう点です。私たちは、戦前に起きた「帝人事件」を反省して、破滅の道を歩むことを阻止するよう、憲法に種々の規定を設けた意義を忘れてしまったのでしょうか。

 憲法75条の解釈について色々と触れてきましたが、そうした解釈を知らなくても、現職の首相は起訴される可能性があるのか否かは、さほど難しい問題ではありません。というのは、行政権は内閣に属すると定め(憲法65条)、憲法上、国民主権を採用し、国民が政治問題について内閣に委ねるとした以上は、政治問題はあくまで国民が判断する問題であって、検察権によって政治が左右されるべきではないからです。誰もが分かり切った事柄であるはずです。

 言い換えれば、政治問題は、あくまで国民が選挙を通じて判断する問題であって、検察権によって政治が左右されたり、検察権といった国家権力などを使って国会議員の追い落としを図るべきではない――。 選挙によって、自民党から民主党を中心とした政権に交代できた以上、検察による浄化を念頭においた自民党政権時代の意識は捨て去るべきなのです。

 日本の政治状況が変わったことが分からず、自民党政権時代の政治記事であるかのような報道を繰り返す報道機関や、自民党政権時代の野党意識が抜けない政治家(民主党の前原氏、仙谷氏、枝野氏、岡田氏、野田氏)に影響されてはいけません。私たち市民は、いまの政治状況にあった判断を行い、決定するべきなのです。

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この記事へのコメント

ウルトラC
当人が起訴に同意するといったウルトラCがあるそうだ。裁判があるからといって、この件で国会で答弁しなくても済むだろうしね。まあ、それを言ったら、刑事訴追の虞があるからといって、拒否もできるか。
2010/08/30 Mon 09:54:10
URL | YO!! #-[ 編集 ]


>YO!! さん:2010/08/30 Mon 09:54:10
お久しぶりです。
コメントを幾つか頂いていますが、ともかく一つだけお答えします。


>当人が起訴に同意するといったウルトラCがあるそうだ

それはありません。
首相の場合は、同意の有無を問わず、当然、訴追できないとするのが通説です。憲法75条の趣旨、憲法75条の論理解釈、国民主権からして、その通説は揺ぎ無いものといえます。

憲法75条は、条文の位置づけからして人権規定ではないので、個人が、憲法75条の特典を放棄するというわけにもいきません。ですので、首相が「特典」放棄に同意しても無効ということになるでしょう。

ですから、仮に何らかの形で同意を得たとしても、憲法75条に反して違憲ですから、たとえ起訴されてもその公訴は無効であるとして、公訴棄却(刑訴法338条)となります。


同意を得るような事態にならないのは、首相だけでなく、実は、国務大臣の場合も同様です。

国務大臣が訴追される場合も、75条に関して、総理の同意などを含む法律上の訴追手続はありません。それは、憲法75条の趣旨は、訴追による内閣の職務執行への干渉を排除するものであり、その趣旨に沿った対応といえます。

また、検察による訴追の場合ですが、現行法上、法務大臣が検事総長に対する指揮権を発動することで(検察庁法14条)で、同意を得るような事態には至らないようにしています(宮沢「全訂日本国憲法」590頁、野中ほか「憲法U」181頁)。
(検察以外の訴追の場合には、より憲法75条の存在理由が大きいというのは、エントリーで書いた通りです。)

戦前の明治憲法には、日本国憲法75条のような規定はなく、だからこそ「帝人事件」のようなことが起きて、それを防ぐことはできませんでした。でっち上げの贈収賄事件で大臣を逮捕起訴→検察リーク報道→煽られた世論による内閣批判→内閣総辞職→戦争の道へとたどったことはよく知られた事実です。75条はそうした反省を踏まえた規定ですね。

ようするに、大臣や首相を起訴するようなことはあってはならないし、法律上、阻止する規定(検察庁法14条)もあるので、実際上、起訴できない仕組みになっているのです。ですから、「75条は閣僚の訴追を事実上、閉ざす規定」(郷原氏の発言「東京新聞平成22年8月27日付朝刊「こちら特報部」)なのです。

東京新聞以外の報道機関は、憲法75条の文言だけを見て、75条の趣旨や法制度全体をよく考えることなく、勝手な法解釈をするから、間違えるんですよね。マスコミは、間違いを流布するのは止めてほしいものです。YO!! さんも、マスコミ報道を鵜呑みにして「ウルトラC」があるなんて吹聴しない方がいいと思います。

それにしても、YO!! さんは相変わらずですね(苦笑)。
このエントリーは、首相は当然に訴追できないという点を、特に強調して書いているのですが、YO!! さんは、理解できなかったのですから。

振り返ると、YO!! さんはエントリー内容が理解できないコメントが多く、今回も同様です。もしかしたら、YO!! さんはアルツハイマーではないですか? 病院で一刻も早く検査した方がいいと思います。早く検査して薬を処方してもらえれば、幾分改善しますし、進行も止まることがあります。

2010/09/01 Wed 19:11:48 春霞

 

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