★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK95 > 148.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
民主党代表選に見え隠れ 角栄待望論の幻影
http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/148.html
投稿者 gikou89 日時 2010 年 9 月 15 日 15:40:14: xbuVR8gI6Txyk
 

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100915dde012010004000c.html

民主党代表選をながめながら、気になっていた。「田中角栄」の幻影である。「政治とカネ」で幹事長職を退いたはずの小沢一郎さん(68)が事実上首相に名乗りを上げるや、師と仰ぐ角さんの愛娘、真紀子さん(66)が後押し。そして「剛腕」に期待する支持者の熱気……。そこには「角栄待望論」が見え隠れしていた。【鈴木琢磨】

 ◇「力ある政治家、いないから」 「カネに汚くても」風穴に期待?
 東京・神楽坂にあるレストランバー「空(そら)」。「角栄待望論ですか? あるんじゃないですか。マスコミだってそうでしょ。オヤジの演説のCD入り雑誌が出たりしてますから」。音楽評論家でもあるオーナー、田中京さん(59)が人なつっこい笑顔で迎えてくれた。母の故辻和子さんは角さんの愛した有名な神楽坂芸者。鼻の下のひげ、目元が往年の角さんそっくりである。

 その数奇な半生、父への思いは04年に出版した「絆−父・田中角栄の熱い手」(扶桑社)に書いている。京さんに聞いてみた。なぜ、ここにきて小沢さんが表舞台に立つことを決意したのか? カウンターでウイスキーを口に含み、しばし考えた。

 「うーん、永田町を見渡せば、力のある政治家は小沢さんしかいなくなりましたから。オヤジも、やれって言ったでしょう。あのダミ声で。回り道したけど、お前しかいない。お前が張り倒すしかないだろ、日本の将来をちっとも考えていない連中をってね」

    ■

 そんな師の声が聞こえたのだろうか? 昨年12月16日の角さん十七回忌の命日、小沢さんは新潟県柏崎市にある師の生家にいた。真紀子さんに導かれ、田中家の墓前で手を合わせた小沢さんは記者団に語った。「先生に負けないような政治家になるよう、今後も一生懸命、できる限り頑張りたい」。心中、期するものがあったのかもしれない。

 あれは93年の夏だった。父の後を継ぎ、真紀子さんが衆院選に初出馬した。取材で「角栄神話」いまだ滅びぬ旧新潟3区に入り、田中邸前をうろついていると、管理人がそっと招き入れてくれた。裏手にある田中家先祖代々の墓に案内し、傍らの小さな墓石に向かってつぶやいた。「正法さんです」。早世した長男だった。小沢さんと同じ年の生まれと知った。それゆえ、角さんは小沢さんをわが子のごとく見ていた、とも聞いた。

 「クリーンな民主党に戻したい」。しおらしい言葉を吐いて小沢さんとダブル辞任した前首相の鳩山由紀夫さん(63)が「総理にまで導いていただいた」と、あっさり恩返しを表明したのにはあきれた。思えば、鳩山さんも角さんの門下生のひとりだ。さらに仰天したのは応援演説に駆け回った真紀子さん。「クリーン、クリーンってクリーニング屋じゃないんだから!」。そんな真紀子節をにこやかに聞いている小沢さん。テレビでツーショットが映るたび、やりきれなくなった。

 クリーンといえば故三木武夫元首相が浮かぶ。「クリーン三木」精神を受け継いだ政治家に元首相、海部俊樹さん(79)がいる。クリーンが軽く扱われる現状にあぜんとしていた。「角栄待望論? やめてくれよ。仏教に<自性清浄心>なる言葉がある。よくないことをしようとすると、ちょっと待て、と踏みとどまろうとする心の声だ。政治は力なんだから、多少、カネに汚くてもいいといった考えがまん延しているのだろうか。政治家は心しないといけない」

    ■

 最古参の角栄門下生の思いはどうか? 小沢さんと同じ昭和44(1969)年に初当選した元首相、羽田孜さん(75)を衆院議員会館に訪ねた。2年前に脳血栓が見つかり、言葉と体が思うにまかせない。真新しい部屋には黄ばんだ角さんの大きな写真。72年の自民党総裁選のとき、ホテルニューオータニに陣取った角さんの選対本部に掲げられていたものだとか。「縁起がいいから、持ってきたんだ」

 一寸先は闇の永田町、時にたもとを分かつなど紆余(うよ)曲折はあったものの、小沢さんとは40年来の盟友である。「政権交代が実現し、衆院本会議場での首相指名のとき、よろけるぼくの手を引いて投票箱まで導いてくれた。そんなことをする男じゃなかったから。田中のオヤジさんがいたら、小沢に言ってただろうなあ。『とうとうお前の番が来たな』って」。その遠くを見つめる目がちょっとセンチメンタルに潤んだ。そして、こうもらした。「一番、小沢を可愛がっていたママが亡くなってしまったんだよなあ」

 ママとは、角さんの秘書で「越山会の女王」の異名をとった佐藤昭子さん。3月11日に他界した。享年81。病院に駆けつけた小沢さんは「ママ、長い間お世話になったね」と涙を流したと伝えられる。角さん没後1年の94年暮れ、佐藤さんにインタビューしたことがある。小沢さんを「いっちゃん」、羽田さんを「つとむちゃん」と呼び、「田中の思想、手腕を全部勉強してきた彼らが、お互いの力を持ちよって、国家、国民のためにひとつになって結束し、国民の負託に応えてほしい。それが私の唯一の夢です」。

 1冊の本がある。「泣かない小沢一郎(あいつ)が憎らしい」(同時代社)。小沢さんが羽田事務所に代表選出馬のあいさつに立ち寄ったとき、刊行されたばかりのこの本が話題になった。羽田さんの独白を交えた、いささか文学的においのする小沢論である。著者の世川行介さん(57)は自称、放浪作家。「日本中から罵詈(ばり)雑言を浴びせられては小沢一郎がふびんだし、同時代を生きる僕たちも情けなくて」。徹底した小沢擁護論だが、底流にあるのは見果てぬ夢を追い求める男のロマンである。

 市民運動上がりの首相、菅直人さん(63)は、いつしかリアリストとなり、大いなる理想を語らなくなった。片や小沢さんのキャッチフレーズは<僕には夢がある>。それが具体性を帯びていなくとも、いや帯びていないがゆえ、セピア色した昭和のヒーローがよみがえる。角栄政治は功罪相半ばしたはずなのに「数は力なり」の論理が肯定され、閉塞(へいそく)感に満ちた社会に風穴を開けてくれる、とブルドーザー型政治家の再来を求める。その風潮が危うくないか。

 悲壮な覚悟で出馬した小沢さんが首相の座を逃した。この酷暑の中の代表選で「角栄物語」はようやく終わりを告げたのか、はたまた最終章が幕を開けるのか−−。

==============

 ◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を
t.yukan@mainichi.co.jp

ファクス 03・3212・0279

毎日新聞 2010年9月15日 東京夕刊

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 コメントの2重投稿は禁止です。  URL紹介はタイトル必須
ペンネームの新規作成はこちら←  最新投稿・コメント全文ページ
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK95掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK95掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧