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小沢キード事件はシオニスタンの差し金エージェントは誰「角栄−清玄の両田中の繋がり考改訂版」れんだいこのカンテラ時評834
http://www.asyura2.com/10/senkyo98/msg/304.html
投稿者 韃靼人 日時 2010 年 10 月 27 日 19:57:24: XfUHcQiPmEZmc
 

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れんだいこのカンテラ時評834 れんだいこ 2010/10/27 16:51

【角栄−清玄の両田中の繋がり考改訂版】

 田中角栄と田中清玄の関係についての希少な記述を得たので記しておく。「松岡正剛の千夜一冊」の「第千百十二夜【1112】2006年2月20日」の「田中清玄・大須賀瑞夫『田中清玄自伝』1993 文芸春秋」が次のように記している。

「田中角栄が首相になってからは、北海油田の開発参加権利をめぐって動いた。日本が北海油田に参加して開発して採取した石油をアメリカに渡す代わりに、アラスカのノースポール油田とBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)とエクソンが掘っている油田に日本を参加させろというスワップ方式の提案だった。BPのアースキン卿も賛同した。これは失敗した。事前に情報が漏れたためだった。田中はその漏洩が日本精工社長をやっていた今里広記だと睨んでいるようである。〔彼はもともと株をやっていたですからね。この話を利用して一儲けを企んだんですよ。株をやる奴は当時も今も考えることは同じですよ〕。田中はこうも言っている、〔日本には政治家はだめだけれど、財界人はいいという考えがあるけれど、これは間違いです。政治家と同じです。甘さ、のぼせ上がり、目先だけの権力欲。それを脱していない〕。田中が認めた財界人は、池田成彬、松永安左エ門、経済同友会の代表幹事をつとめて新自由主義を唱えた木川田一隆、大原総一郎、土光敏夫くらいなものだったようだ」。

 他にも「戦後経済史 あの時の真実」(日経社、1988年初版)に次のような記述がある。概要「田中清玄:インドネシアから石油を引いてくるのに駈けずり回っていた頃、『君は何か得るところがあるのか』、田中角栄さんはそう言ったな。『自分の活動で使った借金さえ返せればそれでいい』と言ったら、『うーん、それでいいのか。それにしても清玄さん、あんたは国士だなぁ。おれんところへ来るのは全部利権屋だ。何ぼ儲けるとか、そんなのばっかりだよ。俺はあんたのような人物を待っておったんだよ』と言っていた」。

 清玄の次のような角栄評が遺されている。「(田中元首相との付き合いを聞かれて)田中さんは確かに天才的な人でしたね。今日でも田中さんに対してはいい人だし、そもそも俺はあのと思っています。ただ惜しむらくは田中さんの周りには、知性のある人は一人もいなロッキード事件というのは、アメリカの差し金と信じているから、何とか名誉回復もしてあげたいかった。早大雄弁会の竹下や、金丸程度が関の山だ」。

 清玄と角栄の会話の一端が紹介されている。清玄が角栄に対して次のように鋭く財界批判している。概要「(三井物産の池田芳蔵を評して)財界人などといっても、この手合いはこんな程度ですよ。恥じということを知らん。あんな連中は利権の絡んだところ以外は、動きませんよ。同じ三井の池田だけど、成彬先生と芳蔵では全然違います。釣鐘に提灯だ。役人達はあんた(田中角栄のこと)の役所の両角良彦次官と小長啓一秘書官を除けば後はみんな敵側だ。商社に至っては、目先の利益で動くだけでとても話しにならん」。

 「それから俺はもう今里という人間は一切相手にしなくなった。彼はもともと株をやっていたですからね。この話を利用して一儲けを企んだんですよ。今と同じです。今里はその後死んだが、俺が財界そのものを信用しない理由はそれだ。それが吉田四天王の一人だよ。自分のことだけだ。日本の国には政治家はダメだけど、財界人はいいという考えがあるけど、これは間違いです。政治家と同じです。甘さ、目先だけの権力欲。それを脱しきらなければ、日本人は本当の意味で世界の人たちから尊敬されません。日本になりきり、アジアになりきり、宇宙になりきる、そういう人が今政界でも財界でも、求められているんじゃないでしょうか。三井の池田成彬さん、松永安左エ門さん、それとモンペルラン・ソサイエティーでいろいろご協力いただいた木川田一隆さん、大原総一郎さん、石油の時には土光敏夫さん。いずれも第一級のエコノミストでした。私がお付き合いいただいた財界人たちは、財界人であること以前に、いずれもまず人間として大変立派な人格者であり、また豊かな知性と優れた見識を持つ知識人でした。金を儲けさえすれば良しとする昨今の財界人とは全然違います。社会は豊かに、暮らしは質素にというのが土光さんのモットーでしたが、今それだけのことを実践している人が誰かおりますか。口で言うのは簡単ですが、実行してみせなきゃ」。

 これらによると、「田中角栄と田中清玄の良好な関係」ぶりが知れる。一回りも年長の田中清玄の方がへりくだっているようにも見える。あの人に媚びを売らない清玄がである。角栄の貫禄の凄さを窺うべきではなかろうか。

 れんだいこは、「田中角栄と田中清玄の良好な関係」は伏せに伏せられている裏史実とみなしている。両者の親密さの確認が何故に重要かと云うと、角栄政治の左派的傾向が立証されるからである。通俗的な理解では、日共が諸悪の元凶として角栄を叩きに叩き続けたので、「戦前来の正義の党」として共産党を素朴に畏敬する系譜の者から見れば、角栄ほど悪い奴は居ないと未だに洗脳されている者が居るのも致し方ない。しかしながら、「田中角栄と田中清玄の良好な関係」のプリズムを持ちこむと、角栄諸悪元凶説は途端に曇り始める。れんだいこの言を聞けば途端にガラス細工がもろくも崩れる如くになる。

 田中清玄は、戦後は民族系右翼として政界に暗躍した。専ら米奴系の児玉一派と対抗していた。この辺りを正確に知る必要がある。田中清玄とは何者か。彼は、戦前の「武装共産党」時代の日共委員長であり、弾圧に告ぐ弾圧で壊滅寸前の困難な時代に委員長を引き受け指導した。戦後は国士となり且つ資源系経済活動に活躍した。そういう中にあって60年安保闘争を領導したブント全学連運動に血が騒ぎ、良き理解者であり相談役ともなった。

 これに対し、その頃日共党中央を掌握していた宮顕一派は、60年安保闘争後狂ったように清玄批判を開始する。田中清玄を右翼の親玉として描き出し、「その右翼から資金を得ていたブント運動の非」を太鼓叩いて煽っていった。60年安保闘争を領導したブント全学連運動は人民史的財産であるが、これを叩くことに狂奔した。日共はこういう悪行を諸戦線で執拗に繰り返している。こういうペテンにやられる方もやられる方であろうが。

 日共史では福本時代、武装共産党時代、戦後の徳球時代が揃って否定的に記述されているが、れんだいこ史観では逆になる。福本時代は、マルクス主義の諸論説を日本左派運動が初めて土着化させようと自主的に営為し始めた時代であり、その水準も高かった。日本左派運動派には、これを下手に潰した後遺症が未だに続いており理論音痴となっている。武装共産党時代は後の党運動に重要な基盤となるタネを各所に扶植した時代であり党勢を正成長させている。戦後の徳球時代はGHQの思惑を越えて日本左派運動を名指導しGHQの強権干渉なかりせば国会内に戦後左派政権を樹立していたかも知れない時代であった。

 これらの時代こそ肯定的に総括されるべきである。ところが日共党史ではこぞって罵詈雑言されている。れんだいこ史観に照らせば罵詈雑言されるべき時代が称賛され、特に宮顕の功績が喧伝されていることになる。日共党史はかように肝心なところを逆さに記述する。本当の史実を知らされていないから、党員達はいかようにもゴマかされてしまう。つまり、下手に学べば学ぶほどバカになる仕掛けにされている。故に学ぶにも学び方が必要な時代になっていることを知らねばならない。今日の日共の惨めな逼塞の背景に、こうした変調指導が介在しており、これが党勢衰退の真の原因であるように思われる。そういう意味で疎かにできない。

 もとへ。田中清玄は戦前は武装共産党時代の委員長、戦後は真の民族系右翼として身すぎ世すぎした。この代わり者である田中清玄と田中角栄が妙にウマが合い地下で繋がっていたとしたら、どういうことになるか。田中角栄をも変わり者として見ようと云うのでは話にならない。田中角栄の左派的本質を認めるべきではなかろうか。

 一見、反体制側の委員長、書記長の肩書にある者ともなると左派的革新的に見える。一見、政権党の総裁であったり首相であったりすれば保守的体制的に見える。しかし、肩書を字面通りに受け止め評価するのは子供の能力でしかない。大人になると正しく勘繰ることができるようになる。れんだいこ史観では、種々の事情から政治が捩れており、人は種々にカメレオン化しているので名刺や肩書だけでは信を置くに値しないとみなしている。そういう訳で、人は言葉ではなく行いを見て判断せねばならないと心がけている。本質的なところで共産党委員長が反共的、体制側の政権党首が裏真実的に左派的と云うことは十分考えられると思う。子供の頭脳ではここが解けない。大人になっても同様の者は体だけが大人になったに過ぎない。老人といえども然り。

 れんだいこ史観に照らせば、「田中角栄と田中清玄の良好な関係」はカメレオン同志の左派系提携と見える。正確には左派系とか右派系とかどうでも良いところで成り立っている。そういう役に立たない西欧仕込みの仕分けではなく識別すれば、田中角栄と田中清玄は在地土着的ないわばン千年来陶冶され今日まで続いている縄文系頭脳の邂逅のように映る。これに対して、反角栄反清玄で口を尖らし悦に入る政治家の殆どが右派系であろうが左派系であろうがなべてシオニスタンのように映る。そう、日本政治は、民族系縄文系政治家と売国系シオニスタンが拮抗対立し続けて日々の政治史を刻んでいる。こう確認すべきではなかろうか。

 執拗に続く小沢キード事件、小沢どんに対する政治訴追、辞職運動も、この観点に照らせばたちまち透けて見えてくる話である。誰が口を尖らすのか、エージェントなのか、これを確認すれば良い。

 2010.10.27日 れんだいこ拝

 

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コメント
 
01. 2010年10月27日 20:59:46: D1XWFdv9ks
田中清玄の祖先は田中土佐として知られる会津藩家老田中玄清、そして田中角栄はご存知越後。 小沢一郎も水沢伊達藩。
幕末の「奥羽越列藩同盟」更に戊辰戦争以来、薩長中心の日本に抵抗してきたということでも共通していますな。 


明治の「藩閥政権」の中心が薩長で、それが以後の官僚勢力の中核になる。
そしてその官僚勢力が戦後保守の主流派である吉田派と岸派に繋がる。

因みに小泉のルーツは薩摩、安倍は長州、麻生は薩摩、そうして昨年、鳩山政権に対してクーデターの狼煙を上げた宮内庁長官の羽毛田は長州。


ーそういった視点から、近代の政治史を眺めております。

南部大統領と薩長政権 その4
http://www.asyura2.com/09/idletalk37/msg/190.html
近代政治史とは<統治>官僚と<代表>政治家の対立史
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/103.html

追記)
ところで、戦後、日本共産党で長いこと君臨してきた宮本顕治も野坂参三も長州、又その後を継いだ上田兄弟(耕一郎、不破哲三)は土佐。

単に偶然なのかどうか、、、


02. 2010年10月27日 23:50:01: co8v739Imc
れんだいこのカンテラ時評も01のコメントも、たいへん興味深い。

記事で紹介している「松岡正剛の千夜一冊[ママ]」を読むと、田中清玄についてのおもしろいことがさらにいろいろと書いてある。

松岡正剛の千夜千冊『田中清玄自伝』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1112.html


03. 2010年10月28日 01:14:45: NDyKszINsk
田中清玄氏は、別として、田中角栄氏は、権力で財力を築いた。

その角栄氏が、カネに綺麗な人を望むのは、おこがましい。

本末転倒だ。

きれいごとの話しですよ。


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