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孤族の国の私たち
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/280.html
投稿者 tea 日時 2011 年 1 月 10 日 23:24:38: 1W1IXELjjF6i2
 

孤族の国の私たち 
http://www.asahi.com/special/kozoku/
• 動かぬ体 細る指 外せぬ指輪「孤族の国」男たち―11 (1/6)
• 自殺中継 ネットに衝撃 「孤族の国」男たち―10 (1/5)
• ひきこもり抜けたくて 「孤族の国」男たち―9 (1/4)
• 最後に人とつながった 「孤族の国」男たち―8 (1/3)
• 聞いてもらうだけで 「孤族の国」男たち―7 (1/2)
• 少女のような目の母と 「孤族の国」男たち―6 (12/31)
• 彼は無表情だった 「孤族の国」男たち―5 (12/30)
• 39歳男性の餓死 「孤族の国」男たち―4 (12/30)
• 失職、生きる力も消えた 「孤族の国」男たち―3 (12/27)
• 還暦、上海で婚活したが 「孤族の国」男たち―2 (12/26)
• 高齢化と単身化が都市を襲う「2020/30年問題」 (12/26)
• 孤独死、40代から高リスク 東京都監察医務院調査 (12/26)
• 家族に頼れる時代の終わり 「孤族の国」(12/26)
• 55歳、軽自動車での最期 「孤族の国」男たち―1 (12/26)
• 孤族の国の私たち 朝日新聞紙面で連載スタート(12/26)


社会のかたちが変わっている。恐るべき勢いで。

 家族というとき、思い浮かべるのは、どんな姿だろう。父親、母親に子ども2人の「標準世帯」か、それとも夫婦だけの世帯だろうか。今、それに迫るほど急増しているのが、たった1人の世帯だ。「普通の家族」という表現が、成り立たない時代を私たちは生きている。

 外食産業、コンビニ業界、インターネットなどにより、昔と比べて一人暮らしは、はるかにたやすくなった。個人を抑え込むような旧来の人間関係から自由になって、生き方を自由に選び、個を生かすことのできる地平が広がる。

 だが、その一方で、単身生活には見えにくい落とし穴が待ち受ける。高齢になったら、病気になったら、職を失ったら、という孤立のわなが。血縁や地縁という最後のセーフティーネット、安全網のない生活は、時にもろい。

 単身世帯の急増と同時に、日本は超高齢化と多死の時代を迎える。それに格差、貧困が加わり、人々の「生」のあり方は、かつてないほど揺れ動いている。たとえ、家族がいたとしても、孤立は忍び寄る。

 個を求め、孤に向き合う。そんな私たちのことを「孤族」と呼びたい。家族から、「孤族」へ、新しい生き方と社会の仕組みを求めてさまよう、この国。

 「孤族」の時代が始まる。


家族に頼れる時代の終わり 「孤族の国」

2010年12月26日18時20分

 あの出来事は、日本に住む1億2700万人のごく一部の人々に起きたことだった。だが、足元の地面が崩れ落ちていくような感覚を味わった人も多かったはずだ。

 住民票や戸籍という紙の上だけで生きる「所在不明高齢者」が全国で見つかった。大阪で実の母親が2人の子を餓死させた。各地の高齢者が次々と熱中症で世を去った。

 いま、この国で、何かが起きている。

 ■増え続ける「独居で未婚」

 今年、国勢調査が行われた。結果が発表されるのは来年だが、研究者たちが注目しているのは単身世帯率と未婚率の増加だ。今回の調査で、1人世帯が「夫婦と子どもからなる世帯」を上回るのは確実視されている。

 単身化は今後、さらに勢いを増す。みずほ情報総研の藤森克彦主席研究員は著書「単身急増社会の衝撃」で20年後の日本の姿を描いた。50〜60代の男性の4人に1人が一人暮らしになり、50歳男性で3人に1人は未婚者……。単身化自体は個人の自由な選択の結果であり、否定すべきことではない。その半面、高齢の単身者は社会的に孤立し、様々なリスクに無防備になるケースが多いのも事実だ。

 単身化に加え、雇用が崩壊し、地域共同体の輪郭が薄れ、家族の中ですら一人ひとりが孤立している。

 同時に、極端な高齢化と人口減少も進む。600万人を超す「団塊の世代」の高齢化により、生産年齢人口(15〜64歳)が減り続ける「下りエスカレーター」の時代。グローバル化とデフレで、格差・貧困社会化も深まっている。

 東京23区では毎日、平均10人が孤独死する。「社会が壊れるスピードの方が速く、何をしても追いつかないとすら感じる」。孤独死や自殺、貧困の問題に取り組む僧侶、中下大樹さん(35)の実感だ。

 ■成長のツケ 男性に顕著

 今の姿は半世紀前に宿命付けられていた。

 「集団就職列車で東京に向かう日。列車が走り出したら、ホームをお袋が懸命に走ってくるんです」。90代の母を介護する60代の男性が語った思い出だ。

 戦後、地方から都市部へ流れ込んだ大勢の若者たちは「金の卵」と呼ばれ、懸命に働き、消費にも励み、団地という新しい住まいで夫婦と子ども2人の「標準家庭」を築いた。終戦直後のベビーブームで生まれた「団塊の世代」が成人する頃、日本に高度経済成長の花が咲いた。

 都市部の集合住宅で家電製品に囲まれて住む核家族はいわば、高度成長が導いた生き方だった。半世紀がたった今、その団地やアパートで孤独死が頻発する。戦後の人口急増や都市への大移動は経済成長に必須の条件だった。それが裏返しとなり、負の要因となって社会を覆っている。

 日本だけの問題ではない。やはり後発の新興経済国として急成長を遂げている韓国、中国などアジア諸国の未来の姿でもある。日本社会は、この変化の先頭を走っている。

 経済成長に過剰に適応したとも指摘される人生のかたちは、男性によりはっきり表れている。首都圏有数の大規模集合住宅・常盤平団地(千葉県松戸市)の自治会長として孤独死予防センターを設立した中沢卓実さん(76)は言う。「日本の男性は働くことしか知らない。退職したら家に閉じこもり、ないない尽くしになる。あいさつしない、友人ない、連絡しない……」

 会社という「疑似家族」に人生の大半を委ねることができた世代は、まだいい。不安定な雇用に直面する若い世代は、人生前半で働く場から排除され、仕事と結婚の扉の前でたじろぐ。

 ■意識と政策変えるとき

 ここで、立ち止まって考えたい。いま起きていることは、私たちが望み、選び取った生き方の帰結とはいえないだろうか。目指したのは、血縁や地縁にしばられず、伸びやかに個が発揮される社会。晩婚・非婚化もそれぞれの人生の選択の積み重ねだ。時計の針を逆回しにはできない。

 問題なのは、日本が「個人を単位とする社会」へと変化しているにもかかわらず、政策も人々の意識も、まだ昭和/高度成長期にとどまっていることではないか。精神科医の斎藤環さんは「日本は『家族依存社会』だ」と言う。国が担うべき仕事、社会保障などを家族に押しつけてきた、という意味だ。家族が「孤族」へと姿を変えた今、このやり方は通用しない。

 「個」を選んだ結果、「孤」に足を取られている。この国に広がっているのは、そんな風景なのだろう。誰もが「孤族」になりうることを前提にして、新しい生き方、新しい政策を生み出すしか道はない、と考える。

 高齢社会化が一段と進む2020年。単身化がより深く広がる2030年。日本社会がかつて経験したことのない20年が目の前に続いている。残された時間は、決して長くはない。(真鍋弘樹)


55歳、軽自動車での最期 「孤族の国」男たち―1
2010年12月26日3時14分

駐車場に止めてあった軽自動車の中から男性の遺体が見つかったのは、6月25日のことだった。3カ月間、放置されていた車のドアミラーには、ツタのような植物が絡みついていた。

 神奈川県逗子市の公園の一角。駐車場の前は県立高校、隣には保育所がある。毎日、高校生や親子連れら数百人もの人が車の前を行き来していた。だが、犬を散歩させていた近所の男性が「臭いがする」と通報するまで、警察や市に連絡はなかった。

 後部座席に敷かれた布団で寝たまま、遺体はすぐに身元が分からないほど腐乱していた。DNA型鑑定で身元は特定できたが、遺体の引き取り手がおらず、逗子市が火葬して遺骨を預かっている。

 佐藤正彦さん、享年55。なぜ、このような最期を迎えたのか。引き取り手のない「行旅(こうりょ)死亡人」として官報に記された以前の住所を訪ねた。

 木製の窓枠がきしむ、2階建ての古いアパートだった。昔からの住人は、借金の取り立てが佐藤さんのところに来て、部屋を荒らしたのを覚えている。2001年ごろ、佐藤さんは荷物を残したまま、姿を消す。部屋の玄関に積まれたままのスポーツ新聞には、求人欄に印がつけられていた。

 さらに、本籍地の秋田県北部へ。佐藤さんが育ったトタン張りの実家は窓が割れ、人は住んでいなかった。約10キロ離れた場所に住む姉(62)を探し当て、話を聞いた。4人きょうだいの末っ子だった佐藤さんは1970年に地元の中学を卒業するとすぐに上京し、働きはじめたという。地方の若者が職を求めて大量に都市に移り住んだ時期である。

 その後、実家への連絡は途絶えた。親の葬儀にすら出なかった佐藤さんが出し抜けに姉の元に現れたのは、昨年の夏だった。事前の連絡もなく、東京で亡くなった兄の遺骨を携えていた。郷里での滞在は、わずか3日。菩提(ぼだい)寺で納骨を済ませ、再び軽自動車で帰っていった。

 姉が仕事や住まいを尋ねても、決して答えることはなかった。

 兄の勤務先だった都内の塗装店を訪ねると、佐藤さんの生前の姿がおぼろげに浮かび始めた。

 上京後も4歳上の兄を頼り、時にお金も借りていたという。一つの職が長続きしない弟に困りながらも、兄は連絡がつくように携帯電話を買い与えていた。

 「弟は上京した当初は国鉄関連の溶接工として働き、収入もよかった。でも目をけがして転職せざるを得なかったんです」。塗装店主は、そう兄から聞かされた。

 その兄が昨年3月に亡くなると、佐藤さんはエアコンが壊れた軽自動車で、兄のお骨を郷里に届けに向かった。片道約700キロの道程、兄の骨と二人きりで、何を考え続けたのか。その胸中を知る人は、いない。

 佐藤さんの生存が最後に確認できたのは、兄の死の約1年後の今年4月9日。神奈川県警によると、姉に電話をかけた記録が残っている。「ご飯を食べるお金にも困っている」。姉が「私も困っている」と答えると、電話は切れた。司法解剖の結果によると、軽自動車の後部座席で生涯を終えたのは、その直後。病死だった。

 生活保護を受けて暮らす姉は「弟を迎えに行きたいけれども、逗子まで行くお金も力もない」と話した。県警はもうひとりいる姉にも連絡を取ったが、「縁が切れているので」との返事だった。

 郷里に残る墓には、墓石がない。目印となるのは、佐藤さんが兄のために立てた卒塔婆(そとば)と、姉が今年の墓参りで並べたコップ酒や缶ジュースだけだ。佐藤さんの遺骨は今、そこにはなく、逗子市郊外の遺骨安置所に眠っている。

 「終(つい)のすみか」となった軽自動車は、市役所が業者に頼み、処分をした。(中井大助)

■街のアパートで一人また一人

 開け放しの共同玄関は、昼間でも暗い。目をこらすと、男物の靴ばかりが並んでいるのが見えた。靴を脱いで上がると、冷たく、湿ったような感触が足の裏に伝わる。

 東京都北区の2階建てアパートの一室で6月、50代とみられる男性が遺体で見つかった。死後8カ月経っていた。

 商店街の外れにあり、スピーカーは一日中、歳末福引の案内を流している。呼び込みをする八百屋の店先で、買い物客が世間話に興じる。

 2階の廊下には、前日の雨漏りでできた水たまりがあった。その奥に、部屋がある。「今でも時々においが漏れてくる。いい気持ちはしないけど、もう慣れたよ」。案内してくれた隣の部屋の住人(63)がいう。

 遺体の周囲には、食べ物のゴミや酒の空き缶、たばこの吸い殻が散乱していたという。部屋からは生活音もほとんどせず、人を避けるように暮らしていた。

 このアパートでの孤独死は、今回が初めてではない。「ここに住んで20年だけど、記憶にあるのは4人くらいかな」。10年ほど前には、今回と同じ部屋で高齢の男性が亡くなった。開いたままのドアから寝ている足が見え、「暑いから開けてるのかな」と思っていたら、翌日になっても同じ格好だったという。

 アパートが建ったのは昭和30年代、半世紀ほど前だという。そのころは家族連ればかり。共同台所を囲み、みな銭湯に通った。「改築して台所を中に作ってから、中のことがわかんなくなっちゃったね」と長年管理をしてきた男性(76)はいう。元々、管理人としてここに住んでいたが1年半前、転居した。「住んでれば気づいただろうけど」

 隣のアパート兼店舗も、同じ頃に建てられた。ここでクリーニング屋を営む店主は振り返る。「昔はどちらのアパートも家族連ればかりだった。表で子どもが遊んでいてにぎやかだったよ」

 単身男性ばかりの今、誰が住んでいるかすらわからない。店舗の上のアパートでも数年前、男性が孤独死し、数カ月後に見つかった。「すぐ上でも気づかないもんだね」と店主は天井を見上げた。

 十数年前、近くに大型スーパーができ、通りの店は次々に姿を消した。店先で話しこむ客も減った。豊かになり、求められるものは変わった。

 亡くなった男性は10年ほど前に入居したという。偽名だったため、当初は身元がわからず、「行旅死亡人」として、区が火葬した。その後、身元はわかったが、生前語っていた本籍地や年齢とは全く違っていた。

     ◇

 首都圏の大規模団地で11月上旬、死後3カ月以上経った男性(79)の遺体が見つかった。遺族に依頼された遺品整理会社「あんしんネット」の作業に同行した。

 部屋に一歩入ると、防臭マスクを通してすら強烈な異臭が鼻を突く。昭和40年代の団地に典型的な2DKの間取り。ちゃぶ台には、食べかけのご飯やみそ汁がそのまま残っていた。

 居間として使われていた南側の部屋が最期の場所だった。食事をしている途中に倒れ、そのまま亡くなっていた。床に広がるおがくずのような茶色い粉は、皮膚や体液が乾いて固まったものらしい。カレンダーには7月10日まで斜線が引かれていた。

 第一発見者の長女(52)夫妻は、団地から車で1時間ほどのところに住んでいる。

 男性は山形県出身。サラリーマンで、70歳まで現役で働いていたが、2年前に妻を亡くし、あまり出歩かなくなった。「けんかでも相手がいた方がいいな。一日口きかないの、つらいな」という言葉が、長女の耳に残っている。

 それでも、同居の勧めにはなかなか応じず、ようやく説得し、家を改築しているところだった。「商売や引っ越しで忙しくて」。もっと早く連絡していれば、早く改築を始めていれば――。長女は後悔の言葉を重ねた。

 10棟以上の建物に囲まれた公園で、日が暮れるまで、子どもたちの歓声が響く。スーパーや八百屋、医院まで併設されている。発見時、ポストには郵便物があふれ、テレビはつけっぱなしだったが、男性の死に気づいた人は誰もいなかった。

 市民が当たり前の生活を営む場所の一角で、人知れず孤独死が発生する。そんな時代を、この国は迎えている。

 管理事務所は、一人暮らしだということも把握していなかった。発見前日、隣人から「虫が増えた」と苦情が入ったが、ポストに「対処してほしい」と書いた紙を入れただけだった。

■苦しみの末路に目を向ける

 何カ月も誰にも発見されない、孤独な死。団地や古いアパートがその現場となることが多いのは、一戸建てなどに入居できない中高年単身者の受け皿となっているからでもある。さらに、そこにも住めない人たちが、車や路上で暮らし、ひとり死んでいく。

 彼らは生前、他人とのつながりを拒絶するように、閉じこもって暮らしていることが多い。では、自ら選んだ結果といえるのだろうか。

 「あんしんネット」の石見良教さんは、最近、高齢者の部屋を片づける「福祉整理」に力を入れている。認知症や体力の低下でゴミを片づけられず、不衛生な状態で暮らす高齢者がいる。「助けを求めることもできない人たちに目を向けてほしい」という。

 悲惨な孤独死が問題なのは迷惑だからではない。それが、孤独な人間の苦しみの末路だからだ。そこに目を向けることが、いま多くの人が抱える生きづらさを和らげる一歩にもなる。(仲村和代)


還暦、上海で婚活したが 「孤族の国」男たち―2
 雲を突くような銀色の摩天楼、101階建ての「上海環球金融中心」がかすんで見える。目的のホテルは、高層ビル群から離れた裏通りにあった。生鮮市場や小売店が雑然と並び、不用品を集めるリヤカーが、ベルを鳴らして通り過ぎていく。

 今年還暦を迎えた岡山市の男性は2年前の11月、上海に来た。かび臭い廊下の奥まった一室に、現地で集められた女性を次々に招じ入れた。

 今度こそ。男性は強く念じていた。今度こそ妻を――。

 婚活を本格化させたのは50代半ばから。若いころ心に決めた相手がいたが、思いを打ち明けられずに終わった。今も写真を大切にしている。その後、父から継いだすし屋の借金返済に追われ、同居の母親が他界したときには、未婚のまま50歳を過ぎていた。

 結婚紹介業にはいくつ登録したかわからない。登録料を納めたのにそれきり、ということもあった。

 中国人を妻に、と考え始めたのは4年前のこと。

 「あなたの年では日本人は難しい」。岡山市内のホテルで、ある業者からファイルを見せられた。中国人女性の写真とプロフィルで50人分はある。ニーハオぐらいしか知らないが、他に選択肢はない。

 最初に紹介されたのは、日本在住の「チョウ」という39歳の女性。日本人男性と離婚していた。初めて会った日に食事をして、もう一度会った後に婚姻届を提出した。念願の夫婦になるのに要したのは、わずか2日間。

 だが、業者に150万、女性に30万円支払って得た結婚生活は、すぐ破綻(はたん)した。婚姻届を出したその日に大阪で働くと出て行った。1カ月後に帰ってきたが、結局、生活を共にしたのは5日ほどだ。

 どんなに手を尽くしても、日本人でなくても、伴侶が見つからない。家業の手伝いや後継ぎを望むわけではない。老いゆく自分の世話をし、みとってくれる相手が欲しいだけなのに。

 伴侶を求めて国の外へ目を向ける男たち。外国籍の女性を選ぶ日本人男性は年間3万人前後。そのうち、中国人が約1万2千人と最も多い。

 上海のホテルで、男性は2日間で約20人と「見合い」し、「リュウ」という38歳の女性を選んだ。決め手になったのは、仲人役として同行した在日中国人女性の言葉だった。「服が派手じゃない。あの人はまじめよ」

 だが、その女性も来日後20日間で姿を消した。生活費として5万円を渡した2日後。2度の「結婚」に費やした金はおよそ450万円。蓄えのほとんどをはきだした。

 自分は孤独死するかもしれないと覚悟している。死後に備えるノートを買った。親類の連絡先や保険証書類の保管場所を記し、遺影用の写真をはさむ。遺体は献体するように書き留めてある。

 20年ほど前からコイ釣りにのめり込み、暇な日はぽつんと糸を垂れる。孤独には慣れた。が、寂しくないといえばうそになる。(井上恵一朗)

■赤い糸、今日も見つからなかった

 午後3時過ぎのファミリーレストランで、千葉県市川市の39歳の男性は、その日初めての食事だという中華定食をゆっくりと口に運んだ。温かいものを期待して頼んだが、出てきたのは冷たい料理。「おかしいなあ」。独りごちて、スープをおかわりした。

 最後の仕事を辞めて1年10カ月がたつ。専門学校を卒業後、非正規も含めて10近い仕事を経験し、いずれも短期間で辞めた。自宅アパートにはテレビもない。空の冷蔵庫、電気ポット、カセットコンロ、ちゃぶ台の上のパソコン、それがすべてだ。

 「普段の生活すらみすぼらしいのに、婚活なんて無理。収入のない自分は、そもそも勝負のラインから外れちゃってます」

 結婚相手探しをする前に、諦める。自ら、線を引いて。そんな男性が増えている。

 この男性が人とのつながりの大切さを痛感し始めたのは最近だ。20代半ばまではゲームセンターに通うお金があればそれでよかった。気軽に食事に行くような友達もいないのは、「自己責任」かもしれない。でも、もう戻れない。

 時々、出会いを期待してインターネットのオフ会に顔を出すが、女性が出てくることはほとんどない。姉と妹は、20代で出産した。「あの時、気づいていれば」。仕事や子どものことがつづられた同年代のブログを見て、ため息をつく日々だという。

 5年たっても10年たっても、自分が結婚できる状況にあるとは、とても思えない。「どう考えても、まともな人生にはもう返ることができないんです」

     ◇

 年末のある日。貸し切りになった新宿駅近くのレストランに、50代から70代の男女が集まり始めた。女性の服装はそれぞれに趣味が感じられる着こなしだが、男性はほぼ一様にスーツとネクタイだ。

 午後1時半、店を貸し切った中高年限定の婚活パーティーが始まると、一人の男性があいさつに立った。「ここに来るようになってだいぶたちますが、赤い糸はどこかにいってしまって見つかりません。来年こそいい年に」

 そう、婚活という言葉ができる前から伴侶さがしを続け、20年以上になる。川崎市に住む原泰浩さん(76)が妻を胃がんで亡くしたのは、38歳のときだった。

 「おなかに固いしこりがあるの」と打ち明けられ、触ってみると卵大の塊が。診察を受けると「余命半年」と宣告された。娘が小学生、息子は2歳半でおしめも取れていなかった。それからの人生、子育てと仕事の両立で、白刃の上を歩いているようだった。

 子どもが大きくなってから、中高年専門の結婚紹介団体の先駆け、「太陽の会」に登録した。月に1度の会に出席し、20人以上の女性と会話をする。200回以上は出席しただろうか。会で次々とカップルが誕生しても、自分の赤い糸は見つからなかった。

 「太陽の会」は、住民票と戸籍謄本を会に提出しなければならないなど、厳格な運営方針で知られる。最近、後発業者が急増しており、「高齢婚活希望者は、年2割は増えている感触」と坂本達児・東京本部代表は言う。

 だが、ブームといっても意識には男女差がある、と原さんは感じる。女性は生活の支えを求める人が多いが、男性は寂しさが理由では、と。

 仲のいいカップルを見ると自分が惨めに思えて、観光地への足も遠のいた。次第に日が短くなってきた人生の残り時間、70代後半を迎えて欲しているのはただ、優しさだ。

 会話が盛り上がるのを横目に原さんはこの日、パーティーを早めに切り上げた。今年春から飼い始めた雌のシバイヌの不妊手術のために。

 今日も、これは、という人は現れなかった。死ぬ間際に「おまえがそばにいてくれて幸せだった」と言えるような人が欲しいだけなんだが。

 「やはり、孤独死かなあ」

     ◇

 北上山地の中腹に広がる岩手県住田町は人口6千人余、面積の多くを山林が占める山村だ。この町役場に、担当者しか全容を知らない、という極秘のファイルがある。

 町が始めた結婚支援事業に登録をする町民のリストだ。

 この事業の目標は「5年で結婚10組」だったが、これまでの成婚例はゼロ件。最大の誤算は、登録した十数人が全員、男性だったことだ。

 登録者たちはみな、自分がリストに載っていることが周囲に知られることを恐れている。そのため、町役場は、保秘にかなりの気を使う。

 町の人口は30年前と比べて約3割減った。高齢化率は、今年10月現在で38.6%と、県内で3番目に高い。町内の未婚者を対象にした調査では、3人に2人が「結婚を希望しているが、出会いや紹介を待っている」と答えた。

 「年間2組ぐらいだったら簡単だと思っていたけれど、甘かった」。相談員の佐々木忍さん(65)は失敗を認める。出会いの場を設けて男女を引き合わせても、先に進むことがほとんどない。

 町内で、独身男性はすぐに見つかる。町立スポーツセンターの管理人を務める吉田次男さん(60)も、そうだ。

 町を離れていた30代のころには結婚を考えた女性もいたが、相手が岩手に住むことを嫌がった。病気だった母の面倒をみるために仕事を辞め、故郷に帰ってきて20年。下の世代に、同じ境遇の男性がどんどん増えている。

 町議の高橋靖さん(55)も独身だ。過疎化の方向性に一石を投じたいと町議選に立候補し、初当選したのは2001年。10年近くこの問題に取り組んで、一つだけわかったことがある。特効薬はない、ということだ。(仲村和代、真鍋弘樹、中井大助)

■未婚でも不安感じない社会に

 孤独死と隣り合わせの時代。寂しい最期を迎えたくないと、婚活に励む男性たちがこれほど多いことに驚く。結婚年齢の上限は、もはや無くなったようだ。

 未婚、晩婚化が進んでいても、人々の結婚願望が衰えたわけではないと感じる。かつて地域や職場の世話焼きが男女の仲を取り持ち、親が決める見合い結婚も多かった。それがいまや、結婚相手探しは恋愛市場での自由競争が原則となった。

 経済力や容姿、性格……。様々な条件が合致しなければ、なかなかゴールにまで至らない。不安定雇用と低収入のために二の足を踏む若者や中年男性が多いのも無理はない。「おれも孤独死かな」。20代でそんな言葉をもらす若者さえいる。

 出会いの場を広げることはもちろん大切だ。男女のすき間を埋めるように「婚活ビジネス」が広がる。

 それでも単身化は進むだろう。未婚で生涯を送る「孤族」たちが不安を抱えずに生きていける、そんな社会であってほしい。(井上恵一朗)


失職、生きる力も消えた 「孤族の国」男たち―3

2010年12月27日21時45分
師走の朝に訪ねた浜松市内のハローワークは、54台ある求人検索機がすでに満席だった。やっと空いた端末で、ある男性の条件を入力する。

 61歳、フルタイム、派遣、木材加工、勤務は浜松周辺――。結果は「該当する求人件数 0件」。勤務地を静岡県全体に広げて、どうにか「2件」になった。

 その2社に電話してみた。

 「資格や免許はない? いろんな工場を転々? そういう人が一番困るんだよ」

 「老眼になると労災が怖い。体力も落ちる。正直言うと60歳超えると無理ですね」

 ため息が出た。彼も、同じだったろう。

 工藤均さんが自ら命を絶ったのは、汗ばむ陽気の残る10月中旬の昼すぎだった。

 「もう疲れた。仕事もないし、金もない」。か細い筆跡で遺書を記し、ひとりで22年間暮らした木造アパートのベランダにロープを掛けた。東名道のインターに近く、工場や住宅が混在する地域。裏のアパートに住むベトナム人工員が第1発見者だった。

 「安すぎる。生活保護と変わらない」。派遣会社を去ったのは5月半ば、誕生日の翌日。60歳を超すことを理由に1200円から850円への時給引き下げを通告されていた。年金保険料を納めず、何とか確保してきた手取り月17万円が、約3分の2になる。

 自らハンドルを握って、派遣先に社員を送り届けるという社長は作業着姿で取材に応じた。「賃下げは、派遣先の建材工場の要求だった」「280円の牛丼もある。食っていける額だ」と言い、工藤さんをこう評した。「強気でプライドが高い。辞めても、若い時のように次があると勘違いしていたんだ」

 確かに、次はなかった。(西本秀)

■働きたい、人とつながりたい

 6月、アパート前に白いセダンが止まったままなのを心配して、上階の男性が工藤均さんの部屋を訪ねた。

 「仕事が見つからない。自分も安い部屋に移りたい」

 ふさぎこんだ工藤さんは、男性が市営住宅の抽選に当たったと聞き、しきりにうらやましがったという。

 7月、貧困相談に乗る市民グループと面会し、生活保護受給を勧められる。だが、車の処分が必要と聞くと申請を拒んだ。グループの落合勝二事務局長は、「年金も預金も家族もない。彼には車が唯一の財産だった」とみる。

 最後の失業手当、約10万円を受け取った9月。落合さんの目には、身長160センチほどの工藤さんがもっと小柄に見えた。生活保護に代わり住宅手当を提案したが、「頼れる人も頼られる人もいない身。どうなったっていい」と投げやりに断った。

 仕事が見つからず、生きるプライドも奪われていく。

 10月に入り、失業手当もほぼ使い切ったのだろう。近所の主婦(63)は、泣きはらした顔でアパートに帰る工藤さんに気付いた。野菜を譲ったこともあったが、その日は声をかけそびれた。「あの時、話しかけていれば……」

 リーマン・ショックが直撃した製造業の街、浜松では、2009年の自殺者が前年から2割増えて165人になった。中高年を中心に、男性が8割近い。

 クリスマスの夜。「温まってください」。浜松駅前で失業者らにスープを配った日系ブラジル人団体「エスペランサ(希望)」の河内オスバルドさん(58)は、失業者が自殺に追い込まれる日本が不思議でならない。ブラジルの10万人あたりの自殺率は日本の5分の1以下。「私たちは食べものと一緒に、声をかけて言葉を配る。助ける、助けられる、に遠慮はいらない」

 青森に生まれ、両親のいない工藤さんに、遺体の引き取り手は現れなかった。市役所が火葬し、遺骨を預かった。

 手放すのを拒み続けた車は所有権が宙に浮き、いまもアパートの駐車場に放置されている。最後まで仕事を探していたのか、助手席には運転用の黒いサングラスと一緒に、求人情報誌が置かれていた。

     ◇

 働きたいのに、働けない。働き盛りであるはずの30〜50代の男性が、もがいている。

 元編集者、55歳。待ち合わせの駅に、着慣れたスーツ姿で現れた。15年ほど勤めた業界紙が昨年10月に倒産。勤めていた時と同じリズムを保ち、家を出るという。

 100社に書類を送り、面接まで行けたのが3社。若い頃は、引く手あまただった。時代は急激に変わった。

 生きていけないんじゃないか、という不安だけではない。働くことで社会の一員になっているんだ、と思う。とにかく、働きたい。

 元出版社員、40歳。大手企業を辞めた「即戦力」だが、勤めた会社が次々に倒産したり、部署がなくなったり、と不運続きだ。給料は安くてもいいから、長く勤められる会社。求めているのはそれだけなのに、決まらない。

 求人は昔と比べると両極端だ。とても高いスキルが必要か、逆に単純作業で誰でもいいか。「ちょっと何かができる」という中間層は、どこに行けばいいのか。お金じゃなく、人から信頼されて働けることが楽しいのに。

 大学院卒、31歳。塾講師のアルバイト以外は経験なし。弁護士を志し、旧司法試験に6回挑戦した。30代半ばで就職活動するよりは、と法科大学院への思いを振り切った。

 もうすぐ年賀状の季節。同級生から、近況が届くだろう。家を買った。子どもができた。そんな一方で、勤めた会社が倒産し、再就職先もつぶれた友人がいる。まるで、人生はくじ引きのよう……。

 仕事を失うことで、収入以外に失うものが確実にある。彼らは今日も面接会場へと向かう。

     ◇

 その部屋が自分の唯一の居場所であるかのように、22歳の男性は座っていた。

 アパートの一室。壁には美少女アニメのポスターやカレンダー、雑誌や漫画本が積み上がる。自分が好きなもの、自分を拒否しないもので、周囲にバリケードを築こうとしているかのようだ。

 昨年、うつ病の診断を受けた。離婚した親の援助も受けられず、21歳の若さで生活保護を申請した。

 最後に働いたのは、巨大な冷蔵庫の中だった。くるぶしまで届く分厚いコートを羽織り、手には軍手。冷凍された弁当の食材を指定された数だけ振り分ける。次第に足先がしびれ、感覚がなくなる。時給は1千円。

 翌朝のボードに、食材の数のミスが張り出される。また自分だ。「一緒だと仕事にならない」と同僚。「簡単なことなのに」と上司。遠回しに解雇を宣告された。

 高校を卒業し、郷里の岩手県から上京してアニメ・ゲーム制作の専門学校に進学したが、希望の職にはつけず、非正規労働を繰り返した。宅配便の荷物の仕分け、日雇い派遣、風俗情報誌……。だが、なぜか、何をやっても人より遅い。いつも追われるように職場を去る。生きる資格がない、と社会から宣告されたような気がする。

 思えば小学生の頃から、同級生に近づいただけで「バイ菌」と逃げられた。過去をさかのぼっても、いい思い出は見当たらない。唯一の例外は高校生のとき、県で俳句大会の1位になったこと。22年の人生で、あのころが最も輝いていたと思う。

 今でも、俳句雑誌に投稿を続けている。〈どこまでも向かうあてなき冬野かな〉

 今、定期的にしているのは、ブログに思いを書き込むことだけ。人とつながりたい、と画面が叫ぶ。

 「一生、結婚なんて考えられない。生活保護がなければ路上生活か自殺しか……」

 この年末はしばらく部屋から出られず、1日1食、白米やインスタントラーメンだけで過ごした。100円ショップで買った壁時計は、12時55分を指したまま動かない。「途中で止まって。まるで僕の人生のようですね」(西本秀、仲村和代、真鍋弘樹)

■最後の命綱失うと転落は深い

 人はなぜ働くのだろう。生活のため。食べるため。それだけか。「社会の役に立ちたい」。出会った失業者の多くが生きがいを求めていた。

 自殺した浜松の男性も、ただ食べるためなら生活保護で済む。でも受給を拒否した。自殺は「孤立の病」と呼ばれる。失業をきっかけに、社会につながっているという感覚が消え、生きる意欲を奪われてしまったのか。むしろ社会の側が、彼を拒否したのだと、取材して思った。

 取りかえ可能な非正規雇用が広がり、「必要とされている」という手応えが得難くなっている。就職難で社会の入り口で門前払いされた若者は、結婚から遠ざかり、「孤族化」に拍車をかける。家族や地域のきずなが細れば、仕事が最後の「命綱」となり、切れた時、転落は深い。

 浜松のハローワークで出会った59歳の男性は半年間、失業状態が続いていた。「選択肢がない」とこぼして、「首相の言った、一に雇用、二に雇用、三に雇用の約束はどうなった」と語った。(西本秀)


39歳男性の餓死 「孤族の国」男たち―4

2010年12月30日22時35分

たたきの先の障子を開けた警察官が声をあげた。

 「あっ」

 まさか――。60代の家主の女性は怖くて家のなかをのぞく気になれない。

 「やせている人ですか?」

 警官から聞かれてけげんに思った。独居の借り主はがっちりした男性のはずだ。高校時代はラグビー部員だった。

 月2万5千円の家賃が滞り始めて4カ月。消費者金融の取り立てもきていた。行方をくらましたと思っていた。

 まだ39歳。死んでいるなんて思いもしなかった。

 冷蔵庫は空。棚にしょうゆと油の瓶があるだけだった。医師の死体検案書に〈摂食の形跡無し〉と記載された。

 その借家は、トタン張りの平屋建て。さびて赤茶けていた。師走の風に、玄関のサッシがカタカタと鳴る。

 裏の借家の初老の女性は、男性と話したこともないという。真っ暗だった家で人知れず死んでいたと知ったときはふるえがとまらなかった。

 「なるときはあんなになるのかと思って。餓死では死にきらん。餓死では」

 この死が報じられた当時、家の前に来て涙を流す女性を見た。「『いい人だった』と聞いて、そんな人やったんやなって」と同情を寄せた。

 昨年4月、北九州市門司区で起きた餓死事件。男性は、いま37歳の私と2歳しか違わない。健康面に問題を抱えていたわけではないという。前年11月まで働いてもいた。

 そんな男性が、飢えて、死んだ。心象風景を探る取材を始めた。

■「たすけて」言い出せぬまま

 餓死した39歳の男性が育った家は、借家から数百メートルの場所で床屋を営んでいた。

 祖父母と両親、兄との6人暮らし。親族によると、父親は借金が原因で行方不明になった。祖父母が死に、兄は大学進学を機に家を出た。男性も県外で働いた時期があったが、実家に戻った。未婚で、母親が5年前に亡くなってからは一人暮らしだった。

 仕事は不安定だった。専門学校を出て富山県の会社に就職。だが1年ほどで退社して福岡県内の会社に入り、2001年からは居酒屋などの飲食店を転々とした。少なくとも6店に勤めたが、いずれもアルバイトだった。

    ◇

 最後に勤めた居酒屋チェーン店を今年10月に訪ねた。人の入れ替わりが激しく、当時のスタッフはいなかった。当時の店長(32)は熊本市の系列店にいた。男性は10〜20代のアルバイトに交じって、調理場の仕事を黙々とこなしていたという。辞めた理由は借金。取り立てが来ると迷惑をかける、と自ら切り出した。

 同じ時期に半年間、掛け持ちで働いた食堂では、「自分の店を持ちたい」と周囲に希望を語ることもあった。

 無職で迎えた昨年の元日。男性を招いた家があった。保育園から一緒だった元同級生宅。その同級生の帰省に合わせて呼び、みんなで刺し身や煮物をつついた。

 元同級生の母親(61)は振り返る。「ちょっとやせたなって思ったんよ。でも『恋でもしよる?』ってたわいのない話をして、いつもと変わらんようだった」

 仕事の近況を尋ねたときは、働いてます、と答えていた。

 昨年3月20日ごろ、男性から電話があった。

 「おばちゃん、風邪ひいて何も食べてないんよ」

 「ならお弁当でも作ってあげる」。もち米を使っておこわを作り、卵焼きを詰めて車で来た男性に渡した。

 「あれが最後の食事やったんか……。助けて、と一言いってくれれば何かできたかもしれんのに。それが腹立たしくて」。涙声になった。

 元同級生と男性は同じ専門学校に通い、同じ飲食店でアルバイトをした。陽気な元同級生は接客。物静かな男性は調理室。元同級生は、気に入られた客の誘いで東京の会社に就職した。以来、正社員として働き、妻子もできた。「何かにつけて得な人とそうでない人と、あるんかね」。しみじみと母親は言った。

 この土地には、隣近所で助け合う心が残っていた。気さくなこの母親に接し、なぜ、との思いが強まった。

    ◇

 〈たすけて〉

 平仮名で書いた紙の切れ端が入った封筒が男性の部屋に残されていた。

 宛先に書かれていたのは母方の叔父(66)。駅に近いマンションで暮らしている。

 「逃げたと思ってた。餓死とは意外やった。できるか? 40前の男が食えないまま閉じこもって死ぬなんて」

 叔父の言葉は辛辣(しんらつ)だった。

 「誰も悪くない。本人の責任」

 男性の家族が借金問題を起こすたびに親族が尻ぬぐいをしてきたという。男性の収入は少なく、同居する母親の月8万円の年金と叔父らの資金援助が頼りだった。「完全なパラサイト」と断じた。

 「もう、情けないよ……」

 叔父は高卒で地元のセメント会社に就職。「粉まみれになってがんばった」と言う。「金を稼げるならなんちゅうことはなかった」。いまなら3Kと言われる職場だ。先輩後輩、社内の人間関係でつながっていた。簡単に辞めていく人間はいなかった。そうして定年まで勤めあげた。

 叔父にとって、おいっ子は歯がゆい存在だったろう。

 男一人なら生きていける、と母親が病死したあとは援助をやめた。

 男性が飲食店を掛け持ちで働き始めたのはこの後だ。

 食堂の時給680円、居酒屋800円。午前8時から日付が変わるまで働いて、月収は20万円に届くかどうか。

 二つの店と自宅とはほぼ一本道でつながっている。車検が切れた軽自動車で単調な道のりを往復する日々、何を考えていただろう。

 昨年1月、門司区役所に生活保護の相談に行っている。相談記録票には、飲食関係の正社員に限定して求職中と聞き取った内容の記載に続き、「相談結果の処理」の欄にこう書いてあった。

 〈39歳、健康体であれば何か仕事はあるはずである〉

 「幅広く探してみる」と男性は保護を申請せず帰った。

 男性を追い込む直接のきっかけとなった借金の理由は取材ではわからなかった。督促状は丁寧にクリップで束ねられ、6社から計150万円に上った。家に5台も残されていた携帯電話も謎だった。

 頼ったのは結局、親族。昨年2月に大阪にいる4歳上の兄に連絡して金銭的な支援を頼んでいる。叔父は兄からの電話で経緯を聞き、借金問題にはかかわらないように忠告したという。

 その兄に電話で取材を申し込むと、仕事で多忙だから、と断られた。もう一度かけても答えは変わらず、心境を聞くことはかなわなかった。

 未投函(とうかん)の叔父あての手紙。封筒の表書きがぴしっときれいな字で書かれているのに、〈たすけて〉の文字は弱々しかったという。

 出すか、出すまいか。

 命が尽きる寸前まで迷ったのではないか。

 弱い自分をさらけ出し、助けにすがってまで生きる。生き延びたとして、その先に希望があるのか――。電気が切れ、真っ暗な借家で煩悶(はんもん)するやせ細った39歳を想像した。

 叔父の言葉が、私の頭にこびりついている。

 「すがるところが無くなった。だから、死んだ」

 財布に残されていた現金は9円。叔父は、これもメッセージだと受け取った。

 「食えん(9えん)」

 菩提(ぼだい)寺のさい銭箱に投げ入れたという。

 私もやってみた。1円玉4枚と5円玉1枚。軽い硬貨が乾いた音をたてて落ちた。

■救いの手にすがる難しさ

 餓死した39歳の足跡をたどって見えてきたものは、孤立した働き盛りを支える「希望」の無さだった。

 正社員を辞めた時期にバブルが崩壊。職を転々とした男性の生活は、母親の年金や親類の援助で成り立っていた。「自分の店を持ちたい」と周囲に語っていたが、実際には蓄えと呼べるものは無かったようだ。若いころ交際相手がいたが未婚のままで母親と2人で暮らし、その母親を亡くすと、孤立無援になった。

 男性が最後に職を失ったのは、リーマン・ショックのあと。同じ時期に自動車工場を解雇された元同級生(41)は「ひとごとではない」とおびえていた。自分も親がいなかったら生活できなくなっていた、と。

 男性には、支え、支えられる存在としての家族がいなかった。だがほかに助けを求める先は無かったか。

 心配してたびたび様子を見にきていた家主、弁当を持たせた元同級生の母、生活保護の窓口……。すがってもいい、どこかで一言を絞り出してほしかった。(井上恵一朗)


彼は無表情だった 「孤族の国」男たち―5

2010年12月30日22時52
休み時間は、いつもひとりでいた。本を読むでもなく、携帯電話をいじるでもない。休憩室を出て、日当たりがいい場所に、ただ座っていた。

 茨城県つくばみらい市の工場に勤務する男性(44)は、昨年9月まで部下だった期間契約社員のそんな姿を、よくおぼえている。

 彼は、反物状のフィルムを梱包(こんぽう)し、ラベルを貼り付ける仕事をしていた。仕事は丁寧で、中高年の同僚7人と一緒に黙々と作業を続けていた。

 口数は少ないが、声をかけると丁寧に受け答えをする。女性たちが「お菓子、食べようよ」と誘うと、控えめに輪に加わるが、翌日にはまたひとりで、ひなたに座る。

 元上司は語った。「コミュニケーションが得意じゃないんだろうが、普通の青年だった。あんな事件を起こす人間とは思えない」

 12月17日の朝、JR取手駅前で、中高生らが乗るバスに包丁を持って乱入した。バス運転手の怒号と生徒たちの悲鳴。あごを切られた女子高校生のマフラーが血に染まった。切られたり殴られたりして、14人が負傷した。

 斎藤勇太容疑者(27)。工場を辞めた1年2カ月後、不特定多数の未成年にやいばを向けた。殺人未遂容疑で現行犯逮捕され、「人生を終わりにしたかった」と供述した。

 茨城県警によると、斎藤容疑者は高校を卒業した後、半年ほど予備校に通った。だが大学には進まず、10回ほど職を変える。3年前に母親を亡くし、年金暮らしの父と同居していたという。昨年、工場との契約が切れた後は職に就かず、自宅にこもっていた。

 県警の捜索時、部屋にはテレビやパソコンといった、外界とつながる道具が一切なかった。高校時代に好きだったという本も一冊もなく、友人、知人とつながる携帯電話も持っていなかった。

 取手駅から約9キロ離れた同県守谷市内に、容疑者の自宅はある。事件の2カ月前、近所の60代女性が会っていた。

 髪を肩まで伸ばし、ぶかぶかの部屋着姿だった。一言も発しない。「中学生のころと、ずいぶん変わっちゃったな」と感じた。女性が何より驚いたのは、まったく表情が無かったことだった。

 つながりを断った1年2カ月について、斎藤容疑者は何も語っていない。事件の動機についても、弁護士に「表現しづらい」と話している。

 工場の元上司は思う。ひとりが好きなのだと思っていたが、実は違っていたのかもしれない。してやれることがあったんじゃないか。「でも、子どもたちを傷つけたのは許せない。しかりつけたい」

 弁護士を通じ、元上司がそう語っているのを知った斎藤容疑者は、こうつぶやいたという。「そんなふうに思ってくれている人がいるんだ」

■居場所を探す 宗教にネットに

 12月上旬、中国地方の大学で、大津市の会社員(36)が大学教員ら約40人を前にして、「大学におけるカルト勧誘」をテーマに講演をした。「大学に入ったばかりは、知り合いが少なくて寂しいですよね。ベンチで1人で座っている新入生が狙い目です」。「孤独を狙う」との文字を映し出したスクリーンの前で声を張り上げる。

 「僕もそういう人に声をかけました。例外なく話を聞いてくれました」。自らがしたことへの後悔がこもる。

■家族より濃い血

 1993年に大学に入学したが、遊ぶことばかりに熱心な同級生に違和感を持った。入試を終え、新しい目標も持てない。話し相手が欲しくなり、前年、受験を前に大学を下見したときに声を掛けられた「人生を考えるサークル」に電話をした。

 講義の選択方法や試験対策を丁寧に教えてくれる。飲み会や食事会、合宿が頻繁に開かれる。サークルが新興宗教の偽装だと分かった後も、キャンパスの外にある「部室」に通い詰めた。少し年上の東大生が、教義をマンツーマンで教えてくれた。まるで兄のよう、いや「家族より濃い血」が流れていると感じた。

 教団で生きていこうと決心した。4年生で大学を中退。「なぜだ」と父は激怒し、母は泣いた。昔の自分のような大学生を、今度は自分が「兄」になって勧誘し、100人以上を誘い込んだ。

 お布施集めにも奔走した。「保険も解約したし、もうだいぶつぎ込んだ。もう出せるものは……」。土下座して号泣する高齢女性を「地獄に落ちますよ」と脅し、50万円をむしり取った。

 認められて本部職員となり、ネット対策を担当した。教団を攻撃するサイト運営者を、告訴すると脅す日々。「おまえ、変わっちゃったな」と言われたくなくて、教団の外にいる知り合いを避け続けた。

 そんなある日、ふと疑問がわいた。なぜ、教団職員の残業代が支払われないのか。なぜ、教団の会長に絶対服従なのか。なぜ、会長はぜいたくな生活をしているのか。外部の人たちが言うことの方が、正しいのでは……。

 12年間在籍した教団を去ると、孤独が押し寄せた。家族より濃いつながりのはずの仲間から、ぱったりと連絡が来なくなった。就職はしたが、同僚との付き合い方が分からず、3回転職した。教団に入る前よりつらい。まるで、焼け野原に一人でたたずんでいるように。

 孤立感から抜け出せたのは3年後。結婚して子どもが生まれ、家を建てた。同じ年齢の男性が送っている生活を、自分も営めるようになったと思えたときだった。

■サイトの有名人

 かき入れどきの土曜だというのに、店のシャッターは閉じていた。朝方までソファでパソコンを操り、そのまま眠ってしまったのだという。

 兵庫県の阪急沿線、駅前に続く通りの一角で、男性は小さな洗車店を営む。だが、実際は休業状態。週1度、食料を買いに出かけるほかは、店舗2階の自室にこもってインターネットに浸る。

 自分のことを「僕」と呼び、眼鏡の奥で人が良さそうに笑う34歳には、ネットの世界にもう一つの顔がある。「bureno(ブレノ)」。動画サイトでは、ちょっとした有名人だ。

 「スパイの子」「日本から出て行け」。画面の中で、日の丸や拡声機を手にした男たちが、ののしり声をあげる。今年8月、右派団体の幹部らが威力業務妨害容疑で逮捕された朝鮮学校前の街宣を、この男性が撮影した。

 ドラマのように軽快な音楽をつけて編集した「作品」はネットに投稿され、累計で数十万回もアクセスがあった。各地の街宣に同行し、投稿を繰り返していた男性は、団体幹部とともに逮捕されたが、「関与が薄い」として不起訴になった。

 「ブレノ」は、滑らかなカメラワークで「ぶれない」という意味を込めた登録名だ。自身の活動を、海上保安官が「sengoku38」の名で尖閣沖の衝突映像を流出させた事件とダブらせる。「日本はもっと怒っていい」

 自分の居場所はどこだろうか。いつも探してきた。

 小学生のとき両親が離婚した。父と母の家を行き来して育ち、小中だけで五つの学校に通った。捨ててあるラジオやゲーム機を持ち帰り、自宅で一人、分解して遊んだ。

 理系の専門学校を中退し、カプセルホテルのフロントなど職を転々とする。父が亡くなり、遺産を元手に、車の塗装剤の販売を始めたが失敗。洗浄水を特別な濾過(ろか)装置に通した現在の店も振るわない。「自分のこだわりは、世の中には分からない」と強がる。

 動画や書き込みを投稿する度に、引用、転載されていないかを確認する。取材の日に男性が検索すると、以前投稿した写真が17カ所からリンクを張られていた。「ちょっと少ないなあ」

 掲示板には、何百もの投稿が秒単位、分単位で届く。自分の発言に、ほかの人から反応がある時、男性の胸は弾む。一瞬一瞬の反応でいい。認められている、と思える。

 現実の社会で右派団体の撮影にのめり込んだのは、行く度に喜ばれ、必要とされたからだった。だが、会のメンバーの多くは、彼を「ブレノさん」と呼び、逮捕されるまで本名すら知らなかった。

 事業のため、生活のために取り崩してきた父の遺産は間もなく底を突く。最近の夕食は1キロ200円のソーメンを小分けして食べている。「愛国」にすがり、見ないようにしていた現実に目を向ける時期は、近づきつつある。

 本当は何をしたいのか、と聞くと、拍子抜けするほど普通だった。

 「中小企業でこの人がいると便利だなっていう人がいるでしょ。パソコンもサッと使えて、ホームページもチラシもつくれる。本当は、そうやって役に立ちたいんです」(鈴木剛志、西本秀)

■自分を追い込む若者たち

 茨城・取手事件の斎藤勇太容疑者について、彼を知る人を訪ねて歩いた。職場で一緒にお菓子を食べた女性は「あんなことをする子じゃない」と動揺した。元上司も「私たちが知っている斎藤君じゃない」と。

 これらの印象と、忌まわしい凶行との落差が胸につかえている。

 斎藤容疑者は、度重なる転職、失業、母の死などの苦境や不運をいくつか抱えていた。社会から切り離されていく間に、やり場のない怒りを心の中にため込んでいたのかもしれない。突然、爆発するほどに。

 新興宗教に10年以上を捧げた36歳。ネットにのめりこむ34歳。彼らの素顔は、まじめで少し不器用な青年だった。そんな若者たちが、時に日常に背を向け、自分を追い込む。

 社会から認められない。社会とつながっていない。そんな不遇感を募らせるのは彼らだけではないだろう。顔を上げて、すぐ近くに目を向けてみれば、自分はひとりではない、と気付かせてくれる誰かがいるかもしれない。(鈴木剛志)


少女のような目の母と 「孤族の国」男たち―6

2010年12月31日21時30分
 居間のかもいに、額縁入りの賞状が並ぶ。米寿の祝いなどに贈られた「寿状」は、亡父あても含めて3枚。94歳になるベッドの上の母を、静かに見下ろす。

 介護保険で、最重度より一つだけ軽い「要介護4」。週1の訪問入浴を済ませ、おぼつかない手つきでコップを口元へ。「あっ、こぼすよ」と慌てて近づく長男を、少女のように澄んだ目で見つめる。

 森谷康裕さん(66)は父が逝った10年前から、母里津子さんと2人きりで暮らす。東京都葛飾区にある築39年の木造2階建てで小さな食品雑貨店を営む。

 昨年、母の左太ももの骨折がわかったが「もう治せない」と医者に言われ、ほぼ寝たきりになった。耳が遠くなり、終日つけっぱなしのテレビの音も聞こえているかどうか。最近の会話は「今」と「過去」が入り乱れる。

 そんな母との生活を「自営だから良かった」と思う。お兄ちゃーん、と呼ばれれば、すぐ飛んでいく。親類の消息を問われても「あの人、もう死んじゃったでしょ」と耳元で何度でも正してやれる。

 いつの間にか居着いた猫が、ひだまりの部屋を通り過ぎていく。

 4人きょうだいの一番上だった森谷さんは、高校を中退して16歳で、両親の店を手伝い始めた。すぐにオート三輪を買い、毎朝6時に市場へ。父が作るきんぴらや煮豆は評判で、年の瀬になれば自家製の「お節」を買いに来る常連客を、親子3人でさばいた。

 30歳過ぎで見合い結婚したが、1年足らずで破綻(はたん)した。「サラリーマン家庭みたいに決まった休暇が欲しいと言われても、ね」

 時代は流れ、街は変わる。

 駄菓子の売れ行きが落ち、主婦は消費期限が表示されたパックの総菜を好むようになった。常連客は老い、店の前を通り過ぎる人々は向かいの駐車場付きスーパーへ吸い込まれていく。

 忘れられた孤島のような商店の陳列棚に品物は少なく、閉店セール最終日のようだ。

 森谷さんはほとんど外出せず、毎日3度の食事を作って母に食べさせ、おむつを替えて寝かしつける。独身の弟(58)が週2回は顔を出すが、妹たちはあまり来ない。「旦那や孫の世話で忙しいんだろう」。ため息がもれる。

 2人の時間は、10年前から止まっているかのようだ。だが、母は卒寿を過ぎ、自分も高齢者と呼ばれる年齢に達して、同じ病院に通う。10年後、一体どんな暮らしが待つのか、考える余裕はない。

 「車いすにさえ乗せられれば、日帰りでも連れ出してやれるんだけど」。そう言いながら、2年前の旅行の写真を手に取った。満開の芝桜を背にした母は、少し不安げに、こちらを見つめている。

■息子介護の本音 言えた

 残業を終えて帰宅すると、母は出走直前の競走馬のような目をしていた。明け方まで続く徘徊(はいかい)の前兆だ。「向こうに行ってろっ」。思わず頭をたたくと、みるみるうちに白髪が鮮血に染まった。急いで病院へ。「次は通報します」と医師は言った。

 数年前のことだ。

 鈴木宏康さん(51)は独身で、アルツハイマー型認知症を患う82歳、要介護3の母を介護する。川崎市の築30年を超す分譲団地の4階、3LKで2人の生活を続ける。

 電機メーカーの下請け会社を辞めたのは46歳。リストラ含みの配置転換で嫌気がさしていたとき、母の病状が悪化した。四六時中、部屋を動き回って、独り言を繰り返す。水道の蛇口は開けっぱなし。そばを離れられなくなった。

 最初はアルバイトに出るつもりだった。でも面接で「欠勤しないで」と言われれば諦めるしかなかった。昼間預かってくれるデイサービスの利用料を差し引けば、時給は実質275円。施設に入れる貯蓄もなく、母の年金で暮らそうと決めた。

 生活は想像を絶した。

 力任せに玄関ドアをたたき続ける母を部屋にとどめておけず、昼も夜も背後から追って、何キロも歩き続けた。たびたび行方不明になり、連絡を受けては連れ帰る。やむをえずデイサービスに預けた晩は、興奮して大暴れ。地域のケアマネジャーに愚痴をこぼすと「育ててくれた親でしょ」と言われ、心が折れそうになった。もう二度と行政には頼るまい、と決心した。

 たまに元同僚や友人から飲み会へ誘われたが、断った。苦しい胸のうちを訴えたところで何になるのか。そもそも母を置いて外へ出られない。周囲に壁を築き、2人だけで閉じこもるような日々。

 ボランティアの女性(63)が訪ねてきたのは、この頃だ。「気になる親子がいる」というケアマネらの訴えで、様子を見にきた。片時も落ち着かぬ母の横で、ふてくされてたばこを吸い続けていると、集まりに顔を出して、としつこく誘われた。足を運ぶうち、「本を書いたら」とすすめられた。

 2人きりの閉じられた空間に、少しずつ新しい空気が入っていく。

 日記を書いたこともないのに真夜中、パソコンに向かった。2009年、単行本「息子介護」を出した。つたなくも過激な表現で、孤立無援な日々に正気を失いかける心境をつづる。「自分自身の人権なんて言ったら、介護なんてできない」「日にいく度か心の中で殺すのです。お袋を」

 単行本は話題を呼んだ。同居の親をみる無職の独身男性の「本音」を聞きたいと、介護職や行政担当者らが続々とやってくる。介護関係者の会に誘われることも増えた。

 鈴木さんは気が向くと、母を連れて、そんな会に参加する。「キャバクラに行く方がいいに決まってます」などと憎まれ口をたたきながら。(高橋美佐子)

■「ごめん」2階に父の遺体

 2階に上がると、目の前の部屋の床には楕円(だえん)形のしみが広がっていた。北関東の新興住宅地の一角にある、築14年の木造戸建て。薄茶色のフローリングに広がるしみは周囲が黒く、中心部は白い。

 1人でここに住む男性(39)が7カ月間、父親の遺体を寝かせていた跡だ。

 「仏様だから、頭は北に向けて、こうやって、そっと布団の上に寝かせて……」

 丸刈りの男性は、遺体を布団に乗せた様子を、腕を広げて示した。刺繍(ししゅう)の入ったジャンパーにジャージーのズボン。家の中には、ゲームセンターで取ったぬいぐるみがいくつも飾ってある。

 2009年2月のある日。66歳の父親が心臓発作が起きたように苦しみ始めた、という。「心臓マッサージのようなことをして、発作が治まったのでよくなったと思って寝ちゃって」

 目覚めると、父は息を引き取っていた。呼びかけても、返事はない。

 「医者に診断書を書いてもらうためのお金もなくて、お葬式代もないし、家のローンも残っているし、もうどうにもならなくて」

 ほとんど使われていなかった一番きれいな部屋に遺体を寝かせた。毎日、「ごめんな、ごめんな」と声をかけ、顔を触り続けた。

 遺体と2人きりの生活が終わったのは、「父親の姿をみない」という近所の通報があったからだ。父の死後も年金を受け取っていたとして、男性は詐欺容疑で逮捕された。死亡を届け出ていれば保険でローンを返済できたことは、取り調べで初めて知った。

 「所在不明高齢者」の存在が明らかになった昨夏以降、この種の事件が各地で発覚した。首都圏の住宅地で、地方都市で、山村の集落で、同じことが起きている。男性の場合、生活の歯車が狂い始めたのは10年ほど前。母の病気が悪化したことが理由だった。

 当時は父、母、妹との4人暮らし。ローン返済には父親の収入が不可欠だったため、男性が仕事を辞めて看病や家事をした。さらに父が交通事故で大けがをし、両親の面倒をみなければならなくなった。収入は1カ月おきに振り込まれる、約30万円の年金だけになった。

 母は、06年冬に死亡。1年半たたないうちに、今度は妹が心臓の病気で亡くなった。国民健康保険料すら払えず、父親の容体が急変しても、医療費が心配で119番できなかった。

 「住宅ローンの保険のことを知っていれば」。猶予つきの有罪判決を受けて自宅に戻った男性は、家族3人の遺影が並んだ仏壇の前でそう語る。相談できる知人や親族はいなかった。父親が役所に頼ることを嫌がっていたので、公的機関にも駆け込まなかった。孤立に導かれるように、男性は年金詐取に走った。

 今、生活保護を受けている。就職のあてはない。将来どうするのか、日が暮れると考え込む、という。

 年を取っても親と同居している人は年々増え、収入は年金頼みということも多い。家族関係の研究を続けてきた、山田昌弘・中央大教授は「年金パラサイト」と表現する。

 「寄生」が、「介護放棄」になることもある。12月22日、津地裁の法廷に立った桐本行宏被告(57)は、そんな一人だ。

 「年金を半分あげる」と言われて母親と同居を始めた。だが数年後、ささいなことから対立。食事を運ばなくなり、さらには当時80歳の母の部屋が開かないよう、ふすまに釘を打った。母の死を確認した後も約1年半、年金をもらい続けていた桐本被告は詐欺のほか、保護責任者遺棄などの罪に問われている。

 「お母さん、ごめんなさい。愚かな息子です。恥ずかしく、情けないです。小学校の入学式の時につないだ手の温かさを覚えています。もしできるのなら、あのころに戻りたいです」。留置場で壁を眺めながら考えたという謝罪の手紙を弁護人が読む間、桐本被告は声を上げて泣いた。(中井大助)

■介護で引きこもり 防ぐ手を

 私の兄は44歳の独身サラリーマン。都内の実家に住んでいたが、最近一人暮らしを再開した。以前は「結婚して独立を」とせかした妹の自分が、ここ数年は、老いた両親のそばに兄がいる「安心感」に寄りかかってきたことに気づく。

 介護をする家族で最も孤立しやすいのが「高齢の親と同居する独身の息子」とされる。家事に不慣れで近所とのつながりが薄く、地域の見守りや緊急支援の対象からも外れてしまう。高齢者虐待のトップも息子で、夫や娘をはるかにしのぐ。

 「介護のせいで職を失ったのに、落後者という負い目に苦しむ」と春日キスヨ・松山大教授は警告する。介護する息子の「声にならないうめき」は、時に命を危機にさらす。

 老いた親と経済的に苦しむ子が、「家」という密室に引きこもるのを防ぐため、早い段階から他者がかかわる必要がある。「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」が、一昨年設立された。受け皿は、各地に生まれつつある。(高橋美佐子)


聞いてもらうだけで 「孤族の国」男たち―7

2011年1月2日22時43

きらきらと光る装飾がつけられたハンドルを握り、埼玉県の重機オペレーター、浅見真さん(39)は帰路につく。今日は電話しよう、そう思うと一日の疲れが和らぐ。

 祖母の作った夕飯を食べ、風呂に入って一段落してから、電話に手を伸ばす。相手は、有料の話し相手サービス「聞き上手倶楽部」。話を聞いてもらう。それだけのために10分千円のお金を払う。

 指名するのは、代表の菊本裕三さん(51)。顔は写真でしか知らない。会いたいわけでもない。でも、友達のような存在だ。いや、この世で自分のことを一番よく知ってる人かもしれない。

 最初の電話は4年前だった。高額請求を警戒して、プリペイド携帯電話でかけた。

 「離婚しました」

 「何で?」

 意外にあっさりと話せた。月に数度は利用するようになった。中身はもっぱら仕事の愚痴だ。会社はゼネコンの下請けで、リーマン・ショック以降、年収は半減し、社員も減らされた。不安が募る。

 「中間管理職みたいな立場なんすけど、現場の不満を上に伝えても何も変わらない。でも下からは突き上げられて、板挟みなんですよ」

 「職場で元気なのは外国人だけ。日本人は下向いて歩いてて指図聞くだけ。俺って、沈んでいく日本のど真ん中にいるんだと思うんです」

 「聞き上手倶楽部」の菊本さんは元美容師。客の話に耳を傾ける美容師ほどリピーターが多く、「聴く」大切さは身にしみて感じていた。うつ病の増加が話題になっていた2006年、「一歩手前で予防することができれば」と考え、サービスを開始。「話し相手のいない高齢者」を想定していたが、実際は違った。家族も友達もいて仕事もしている、まじめな人が多い。

 家族に何回も同じ話はできない。周りに聞いてもらえない。利用者から漏れるのはこんな言葉だ。

 顧客は数千人になり、同業者も増えている。事業は順調だが、半面、菊本さんは少し寂しさも感じている。「嫌なやつと思われたくない、うっとうしがられたくない、だから愚痴や悩みを言えない。もっと甘えてもいいのに」

 浅見さん自身、一緒に暮らす祖母や父との関係が悪いわけではない。肉体労働で鍛えた体にストリート系ファッション。友達も彼女もいる。でも、深刻な話はしない。愚痴をいうと雰囲気が悪くなる。「話しても仕方ないなって思うんすよ。自分をさらけだせる人、いないっすね」

 「10年後は大した楽しみもなく引きこもってるんだろうな。さみしいっていうより、すごくひとりなんじゃないかな。孤独死、するかもな」

 こんな話、身近な人には、したことがないし、サービスを利用していることはこれまで誰にも話していなかった。思いをはき出したら、翌朝、また現場に向かう力が湧いてくる。(仲村和代)

■赤の他人に救われた

 石油ストーブでほどよく暖まった畳敷きの部屋、60代の男性2人が、ちゃぶ台を前に向き合う。聞こえるのは、小さな声、そしてインコが鳥かごを揺らす金属音だけだ。

 「少しずつ進んでしまう病気ですから。1ページずつ、記憶を破っていくわけです」

 「はい」

 「私が夫であるかどうかも、わからない状況になっていくわけです」

 「はい」

 語り手は、千葉県船橋市に住む徳田利彦さん(67)。相づちを打っているのは同市の小柳嘉一郎さん(69)。2人は数カ月前まで、まったく面識のない赤の他人だった。

 傾聴ボランティア。高齢者ら悩みや寂しさを抱えた人の話し相手になる運動だ。自治体としては船橋市が初めて、9年前から始めた。ボランティアは現在286人、昨年度の訪問回数は3717回。

 勧められてボランティアを受け入れた徳田さんは、最初は懐疑的だった。初回は仕事の話題だけ。こんなことをして意味があるのか、と思ったが、ふと気が変わった。

 この人に話してみようか。自分のこと、妻のことを。

 「家内がアルツハイマーだとわかったのは7年前です。今思えば、20年近く前から始まっていたのかもしれない。家に帰ると、暗い部屋でひとり座り込んでいて。どうして気付いてやれなかったのか」

 話し始めると、次から次へと思いが湧く。92歳の母親も施設に入っていること。妻や母のことを相談したいが、息子たちも不況で収入が減り、それどころではないこと。

 「家内と夜中にドライブしました。死のうと思って、直線道路でスピードを出して、母さん、これでいいかいって。その時だけ家内は真顔で、いいよ、と言うんです。かえって踏み切れなかった」

 小柳さんは余計な口を挟まない。ただ話を聞くだけ、といっても簡単ではない。同市福祉サービス公社の40時間の講習を受けなければボランティアにはなれず、会話の内容には守秘義務が課せられる。

 「家内がこうなったのは、私のせいなんです。夫婦は空気のようなものと思い、ずっと無視してきた。家内を介護施設に入れてから、ひとりでいると、おかしくなってしまいそうになる。テーブルをたたき、泣きわめいて……」

 徳田さんは、自分の生きてきた道を語り始める。高校を卒業し、鹿児島から集団就職列車で上京したこと。転職を重ね、睡眠時間3時間で何年もがむしゃらに働いたこと。

 「人がつながりを失って、今のような世になったのは私たちに責任があるんですよ。がむしゃらに働いて、家族にいっぱい迷惑をかけて」

 小柳さんはただ、深くうなずく。同世代の男性2人。同時代を背負ってきたからこそ分かり合えることがある。

 徳田さんの顔に、次第に赤みがさしていく。(真鍋弘樹)

■話すことは生きること

 苦境にあるとき。悩みを抱えているとき。誰かに話しても、決して問題が解決するわけではない。それでも胸中を吐き出せば、心の荷物が軽くなる。

 家族が「孤族」へと姿を変えている今、話し相手の不在に悩む人たちは今後も増えていくだろう。ボランティアや有料の話し相手も、選択肢のひとつとなっていくに違いない。

 船橋市の傾聴ボランティアでは、話し手と聞き手のペアが7年間も続いたケースがあったという。人を固く結ぶのは、決して血縁や地縁だけではないのだ。

 話すことは、息をすることに似ていると思う。普段は意識をしなくても、人はこれなしには生きていけない。(真鍋弘樹)


# 最後に人とつながった 「孤族の国」男たち―8 (1/3)
 がん末期で入院を拒否し、一人暮らしをしている人がいると聞き、昨年10月半ば、71歳の男性の部屋を訪ねた。

 東京都台東区の山谷地区にある古い木造アパートの2階。畳の上の介護用ベッドに、男性がうっすらと目をあけて横たわっていた。

 「つらいよねー」。そう声をかけながら、看護師が胸に医療用麻薬を貼る。男性の表情が次第に和らいでいく。

 1日2回、看護師が訪問する。医師が適宜往診し、ヘルパーも1日3回。だが、その合間や夜間は一人きりだ。

 家族のいない、独居の人が自宅で最期を迎える。医療の見守りを受けつつ、たった一人で。そんなことができるのだろうか。病院に死を任せるのが当たり前の今の日本で。

 男性が病院から自宅に帰ってきたのは6月だった。

 口腔(こうくう)底がんが進行し、手術、化学療法、放射線治療ともできず。余命数カ月。気管切開、胃に管で栄養を直接入れる「胃ろう」。生活保護。病院からの受け入れ要請を受けて、地元で「あやめ診療所」を営む伊藤憲祐医師(40)は言葉を失った。

 がんは早期に発見されたにもかかわらず、手術のタイミングを逃していた。何度入院しても勝手に退院してしまう、という。もう、ほかに頼るところはない。

 山谷地区では、簡易宿泊所などに住んでいる日雇い労働者たちの高齢化が進んでいる。そんな男性たちに医療や介護を提供するNPOの訪問看護ステーションや介護サービスが、医師とチームを組んだ。費用は、生活保護の医療扶助などでまかなう。

 トラブルは、初日から起きた。入浴サービスを受けるとき、指定時間より早く自分で施設に来た揚げ句、待たされたと怒って帰ってしまったのだ。自分のペースを貫き、針を逆立てたヤマアラシのように、いつも周囲に突き刺さる。そんな人だった。

 男性は、半生をほとんど語らず、訪ねてくる親類や知人もいなかった。温泉とこけしで知られる宮城県の鳴子出身。生活苦で中学生のときから働きはじめたのだという。その性格から、人と群れずに生きてきたのだろう。

 その後も、「自己流」は続いた。看護師が訪問する時間にわざと外出する。胃ろうに入れる栄養剤に、自分で缶コーヒーや豆乳を混ぜる……。

 そんな身勝手の数々を、スタッフらはあえて受け入れ、休日さえつぶした。

 男性を担当した訪問看護ステーション「コスモス」看護師の平野智子さん(35)は、その理由を語る。「人を待つ」ということが今、医療の場で失われている。病院ではどうしても医療が中心になるが、在宅なら患者のこだわりを大切にできるはず、と。

■閉じた心 開いた医療ケア

 室温で氷がとけていくように男性は変わっていった。看護、介護が終わると、何度も手を合わせるようになった。病状が進み、会話が難しくなるとペンを握った。「すみません」「たすかります」

 その頃、ある高齢の女性が、部屋を訪ねた。50年以上会っていなかったという男性の姉(84)だった。

 本人は不義理を気に病み、身寄りのあることを隠していた。伊藤医師が説き伏せ、半ば無理やりに連絡をとった。

 「あなたも安心して、感謝を忘れずに最期を全うしなさい。私もすぐにいくから」

 姉は、肉親でなければ口にできない言葉を、ほほ笑みながら言った。義姉のはからいで親や兄と同じ墓に入れることも伝えた。看護師の目には、男性の表情がすっと楽になったように見えた。

 衰弱し、血圧が低下していく。それでも残された力を振り絞り、胸の前で手を合わせようとする。最期は、かすかに布団が動くだけになった。

 ありがとう、と。

 男性が亡くなったのは、10月末の深夜だった。朝、ヘルパーの渡辺博幸さん(47)が部屋に入り、いつも通りに声をかけながら布団をめくると、胸が動いていなかった。

 翌週、斎場に集まったのは医師、看護師、ヘルパー、姉と義姉、そしてボランティアの僧侶と記者の私。男性が残したのは、数十枚の写真と数枚のCD、腕時計、そして鳴子産のこけし二つ。

 男性は、みとる人もいない深夜、一人暮らしの部屋で、この世から去った。世間の尺度を当てはめれば、孤独な死だったのだろう。でも、たった一人で生きてきた男性は、死の直前に、大切な何かを取り戻したようにみえる。

 伊藤医師は言う。「人の死は点ではないんですよね。いい生が続けば、いい死になるんです、きっと。男性は、最後に人とつながった」

 ヘルパーのひとりは、男性が亡くなる数日前に見せた表情が忘れられない。

 部屋にあったビートルズのCDをかけると、男性は曲を口ずさもうとした。顔には、確かに笑みが浮かんでいた。

■山谷地区での試みに希望

 「人は誰でも死ぬんですよね。私も、あなたも」。男性の介護をしたヘルパーが、取材中、ふいにそう言った。

 そう、人は例外なく死ぬ。孤独死を恐れる人は多いが、死ぬ時は誰でも一人きりだ。孤族と多死の時代、「幸せな死とは何か」という問いの答えは、それぞれ自分でみつけるしかない。在宅死を望む人も、きっと増えるだろう。

 大切なのは、死の直前まで不安を取り除き、手を携えてくれる人の存在だ。孤立した単身男性が多く住む東京の山谷地区には、志を持った医療・介護関係者が集まっている。彼ら、彼女らの試みに希望をみたい。(真鍋弘樹)


ひきこもり抜けたくて 「孤族の国」男たち―9

2011年1月4日21時56
庭先で、マツが腰をひねり枝を広げる。奥には、どっしりとした瓦ぶきの家屋。その2階に男性の部屋はある。

 「僕がひきこもっているのは、父さんへの復讐(ふくしゅう)だ」。そう家族に訴え、30年間、社会と接点を持たずにきた48歳の男性が、昨秋、中部地方の専門病院に通い始めた。

 結婚して家を出ている姉によると、通院へ背中を押したのは、反発しながらも同居してきた80代になる父の死だった。「病院へ行こう」。1人になった男性に姉が促すと、素直にうなずいたという。

 対人不安から、会話は親類と医師に限られる。記者も、姉に付き添われて歩く姿を離れて見守った。病院へ送り、実家に食品を届ける姉は疲れ果てる。「世間から見ると大人。でも、自立はまだ」

 高校3年、最初は不登校から始まった。母の死、いじめ、進路選択などが重荷となり、思春期の心を閉ざした。

 「母さんが甘やかした」「卒業して就職しろ」。仕事中心で、亡くなった母に子育てを任せてきた父は、叱るほか接し方を知らなかった、と姉は言う。それが息子を逆上させ、時に暴力となった。

 一つの家に冷蔵庫が二つ。父子は別々に食事した。体面から家族で抱え込み、医師にも相談しなかった。「でも、父なりに弟を愛していた」と姉は思う。将来を案じ、年金保険料を代納し、貯金を続けた。スーパーの警備員など定年後も75歳まで働いた。

 ひきこもりの長期化に、当事者と家族が追い詰められている。国の推計で当事者は全国70万人。「親の会」の調査では平均年齢30歳を超す。

 関東地方の36歳の男性。大学になじめず、うつ状態になり自殺を図った。人と会うのが怖い。昨年から介護施設で週1回のバイトを始めたが、気分に波がある。取材後、携帯に電話してもつながらず、数日後に「落ち込んで、出られなくて」。67歳になる元高校教師の父の年金が頼りだ。

 大学院の時に就活に失敗した東北地方の29歳の男性は、30歳を前に自分で入院を決めた。同世代が仕事をこなし、結婚する時期。30代になると就職も難しくなるため、長期化させない治療の節目と言われる。「退院したら教員免許をとりたい」「まだ間に合うだろうか」。焦り、揺れる。

 出てくるのを待たず、専門家の医師が迎えに行こう。そんな試みがある。

■「おるかー」医師が迎えに

 「おーい、おるかー」。呼び鈴を押しても反応がない。和歌山大学そばのアパートの2階。玄関口で宮西照夫教授(62)が声を張り上げて20分たったころ、やっと開いた。

 師走の夕暮れ。無精ひげの男子学生(24)は湯船の中で寝ていたという。ベッドの枕元の壁には、「怠けたい自分に打ち克(か)て」と手書きの張り紙が掲げてあった。

 精神科医の宮西教授は、大学の保健管理センターの所長を務める。ひきこもる学生らの自宅を訪問してカウンセリングし、外出を促す独自のプログラムを実践。8割以上を復帰させてきた。

 男子学生は、留年を機に夏まで不登校を続けていた。復学後も1週間以上休むと、教授や友人が自宅を訪ねる。

 この学生の場合、一人暮らしのアパートを初めて教授が訪ねたのは昨年6月。呼び鈴を押しても反応がなく、ポストに手紙を残した。「元気か」「また来るよ」。それをくり返し、4度目の訪問となった7月、ドアが開いた。

 「最初は面倒くさいと居留守した」と男子学生。「でもこのままじゃダメだという思いが募ってくるタイミングがある。その時にノックされるとドアを開けられる」

 一方、両親から外に出るように言われると、心配かけてるな、申し訳ないなと、ますます落ち込むという。当事者や家族が問題を抱え込み、孤立する事例を見てきた宮西教授は、「行き詰まった親子に第三者が介入し、風穴を開けることが大事」と訴える。

 「宮西プログラム」には番外編がある。信頼を築き、部屋を出られると食事に誘うのだ。この日、床に座って1時間近くひざ詰めで語った後、別れ際に玄関口で学生の肩を抱いた。「今度、一緒にラーメン行こな」

■親も高齢化 態勢づくりを

 なぜか、ひきこもる人々の6、7割を男性が占める。進学や就職をめぐり、周囲が男性に寄せる期待の高さがストレスになっている、と専門家は見る。さらに、最近の不景気が社会復帰を阻んで長期化を招き、加えて就職難が新たに20、30代になってひきこもる高年齢層も生んでいる。

 親の高齢化も深刻だ。「全国引きこもりKHJ親の会」の奥山雅久代表は66歳。自身も末期がんを患い、長期化する当事者を支える制度実現を訴える。記事の48歳の男性のように、抱えてきた親が亡くなる事態はすでに始まっている。家族に依存しない態勢づくりが急務だ。(西本秀)

自殺中継 ネットに衝撃 「孤族の国」男たち―10

2011年1月5日21時29分
写真:インターネットで自殺中継した男性に対する書き込みを学生は悔やんでいる=仙波理撮影インターネットで自殺中継した男性に対する書き込みを学生は悔やんでいる=仙波理撮影

 男性の体が動かなくなった。画面の中で、ベランダの向こうの空だけが明るくなっていく。「これ、ガチ(本当)だぞ」「やべえ」。ニュースはあっという間にインターネット上に広がった。
連載「孤族の国」、過去の記事はこちら

 「来週自殺します」という予告が、ネット掲示板2ちゃんねるに載ったのは昨年11月上旬だった。予告した男性は自室にカメラを設置。生中継動画をネット配信し、書き込みを見ながら思いを語っていた。中継は最期の瞬間まで続いた。

 掲示板には、「どうせ死ねないだろ」「早くしろよ」と、匿名の書き込みが相次いでいた。24歳の男子学生も、その中にいた。

 興味本位で動画を見始め、同年代が泣きながら語る姿に、「これはやばい」と思った。学生も突然大学に行けなくなり、うつ病と診断されていた。手首に包丁をあて、痛みに耐えられずにやめた。八方ふさがりだった。

 画面の向こうで、その男性は語った。うつ病で休職中であること、大学時代の友人と離れて寂しいこと、容姿へのコンプレックス。ひとごととは思えない。「死ぬのはやめろ」。そう書き込み、朝まで中継につきあった。

 翌日、男性は「昨日は途中で寝ちゃってごめん」とまた配信を始めた。「死ぬ気ないな」。掲示板の書き込みはだんだん、あおる方向へ変化していく。「さっさと死ね」。学生もばかばかしく思って、何度か言葉を浴びせた。最期の映像を見ても、現実感はなかった。

 「あおったヤツは人殺し」。今度は掲示板に、そんな言葉があふれた。

 それから1カ月。取材に応じた学生は「書き込みと自殺の因果関係はないと思う」と話した後、続けた。「ほかの人があおってる中で『生きろ』と書き続けて、『空気を読め』っていわれるのが嫌だったのも事実。死ぬわけないって思ってた。でも、人が亡くなった以上、言い訳でしかない」

 2ちゃんねるは「習慣」だった。1日10時間以上パソコンの前にいたこともある。現実の友達とは違う、独特のつながり。出会いもあった。

 しかし、大学に行けなくなった時、真っ先に頼ったのは両親。相談すると、郷里から数時間かけて、すぐに駆け付けてくれた。大学の先生や友人も見守ってくれている。

 あの男性は、そんな存在に気づけなくなっていたのだろうか――。学生は事件を機に、ネット漬けの生活を卒業する決意をしている。

■救いと牙と 紙一重の空間

 自殺した男性も24歳。大学を卒業し、昨年4月から仙台市で働きはじめたばかりだった。上司は「ごく普通の職場の、ごく普通の青年」と語った。

 例年の倍以上の難関となった入社試験をくぐり抜けた。飲み会でも「がんばります」と明るかった。ところが5月末、突然「調子が悪い」と休みを申し出たという。

 「ゆっくり休むように伝え、親御さんとも連携してケアしていたつもりだった」。ショックを隠しきれない様子の上司は繰り返した。「自殺をあおるサイトがあるなんて、理解できない」

 男性の自殺の衝撃が、水紋となって同世代に広がる。

 事件の後、残された動画を見た神奈川県のフリーター(23)は「誰かに分かってほしい、かまってほしい。彼にとってその場所が、ネットだったんだ」と思った。

 17歳の頃から、生きる意味を見いだせずにひきこもった。何度も死を考えた。分かり合える人を求めて、ネットをさまよった。同じようにつらい人がたくさんいることを知り、少し、救われた。

 固定した人間関係が苦手だから、正社員にはなりたいとも思わない。親がいなくなって生活できなくなったら死ねばいい、と低い声で話す。

 それでも、一歩ずつ前に進もうと、もがく自分がいる。生活を立て直そうとする姿を連日、ブログにつづる。「4カ月くらい安定剤を断っている。がんばってるな、おれ」

 共感したいと願う人たちが誰かに寄り添ったり、時に傷つけたり。膨大な情報が飛び交うネットは、プラスにもマイナスにもなる、と思う。

 最近、派遣社員として販売の仕事をするようになった。いつもは昼夜逆転の生活だから昼間に働くのはつらいが、徐々に人前に出ることに慣れてきた。今なら、前向きな人たちとつながることもできるかもしれない。

 ネットでも、現実でも。

■つまづいてもやり直せる道を

 ネット上でどぎつい言葉を交わす彼らは、実際は礼儀正しく、まじめな若者たちだった。実社会でつまずき、自己否定の言葉を連ねる彼らを追いつめているのは何だろう。

 若者の生きづらさをテーマに取材をする渋井哲也さんは「少子化で子どもへの期待値が高まり、逃げ道がなくなっている」と指摘。小さな集団で育つ分、異質な人と対話する力が落ちていると感じる。

 周囲と同じ歩調で歩むことを求められ、一度つまずくと元の道には戻れない。その恐怖が、彼らを閉じこもらせているように感じる。何度でもやり直せる、そんな「空気」が必要なのだと思う。(仲村和代)


動かぬ体 細る指 外せぬ指輪「孤族の国」男たち―11

2011年1月6日22時12

ベッドを降りて5メートルほど離れたトイレへ歩く。引き戸を開けてまた数歩。便座に腰掛ける。「つえをつかんと行けた。治ったんや」。うれしさと同時に目が覚める。

 兵庫県西部の特別養護老人ホームに入所している男性(78)は、繰り返しこんな夢をみる。布団に横たわっている自分の右半身は、脳梗塞(こうそく)の後遺症で動かない。

 仕事も、遊びも。そんな半生だった。働いていた妻とはすれ違いが続き、1987年に離婚届を突きつけられた。早期退職して得た退職金と、自宅を売って作った計6500万円を慰謝料として渡した。

 それでも、遊び癖は直らない。転職してからも大阪の盛り場・キタで毎日のように飲んだ。スポーツクラブに週5日通い、悲惨な老後とは無縁と思っていた。

 5年前の春、カーテンを取り換えようとして上を向いたとき、頭の後ろに痛みを感じた。入院して1週間後に意識がなくなり、目覚めたのは2カ月後だった。

 話こそできるようになったが、つえがなければトイレにも行けない。食事以外は6畳ほどの自室にこもる。親しく話せる入所者はおらず、一言もしゃべらない日もある。

 離婚後も元妻とは連絡をとっていたが、病気になってからは途絶えた。「死んどると思っとるやろな。僕のことが新聞に載ったら、誰かが妻に伝えてくれますかね」

 入院しているうちに、私物は親類にほぼ捨てられた。残ったのは結婚指輪だけだ。やせた薬指には合わず、中指にはめている。半身不随になり、年老いた今になって切実に思う。妻がいたら、子どもがいたら、と。

 「指輪を外されへんのは、近くに妻がおったらなと思うからかな。結局、自分のことしか考えてない。勝手放題にしてきた僕への罰ですわ」

■死別の悲しみ分かち合う

 東京都心からJR中央線で約1時間半の山梨県上野原市。駅を囲むように広がる住宅街の一角に、武田繁男さん(64)は暮らす。

 家のことは妻に任せきり。休みの日は家でごろごろするだけ。当たり前だと思っていた生活は、4年前、妻の突然の死で終わりを告げた。あと半年で定年を迎えたら、2人で旅行を、と考えていたところだった。

 電車の中で泣きそうになる。誰もいない家でぽろぽろと涙をこぼす。おいしいものを食べると、「食べさせてやりたかったな」と思う。

 何より心残りなのは、感謝の言葉を伝えられなかったことだ。「優しい言葉、いえないんだよね、俺たちの世代は。だめだね」

 今、多くの時間を、縁側のそば、深緑の山並みを望むこたつで過ごす。左手に電話とパソコン、目の前にテレビ。手の届く範囲で、ほとんどの用が足りる。

 そこでほぼ毎日、欠かさずにするのが、メールの送信だ。宛先は、配偶者を亡くした人の会「気ままサロン」のメーリングリスト。

 〈一瞬に終わった一年。エスカレーターの駆け上がり、いつまで続けられるか。脱兎(だっと)のごとくいければ〉

 〈子供達(たち)は昨夜あわただしく帰京。よって、お一人様生活に戻りました〉

 ほぼ毎日、日常生活や気づいたことを取り留めなくつづる。パソコンの向こうにいる仲間たちが、話し相手の代わりになる。

 みな、同じような喪失感を味わっている。千葉県柏市の公平(こうへい)敏昭さん(70)は4年前に、東京都日野市の堀野博資さん(69)は10年前に妻を亡くした。深くて冷たい海の底にいるよう。そんな思いを、同じ境遇だからこそ安心して伝えられる。

 「男の方がめそめそしていますよ。カミシモつけて素直に気持ちを吐き出せないんだよね」と堀野さんは言う。

 時には顔を合わせ、共に過ごす。年末、平日の昼間、新宿のカラオケボックスで開かれた「気ままサロン」の忘年会には20人以上が集まった。東京都板橋区の井出弘明さん(74)が選んだ古い洋楽に、1人の女性が涙をぬぐった。

 「主人が好きだった歌で」

 「いやあ、女性を泣かせちゃったな」。井出さんはそういって、場を和ませた。

 井出さんも、家に帰れば1人。「行ってくるよ」と声をかけても、答える人はいない。ついでに買い物を頼まれることもない。かっこ悪いからと嫌がったネギだって、今なら買ってくるのに……。

 そんな気持ちを抱えるのは一人だけじゃない、そう仲間たちは教えてくれる。

 悲しみは決して消えない。でも、分かち合う友がいれば少しだけ、心が軽くなる。(鈴木剛志、仲村和代)

■つながりがあれば前向きに

 死別や離別で伴侶を失った人、そしてその人たちが過ごす時間は、長寿に伴って増えていくだろう。男性の場合、家事能力の低さが苦しみに拍車をかける。「孤族」の時代、よりよく生きるために、最低限の生活能力は必要だ。

 一方、喪失感は簡単に埋められるものではない。「残された者を最期まで気遣っていた夫や妻の思いをおろそかにせず生きよう。そのために仲間がいる」。気ままサロンの佐藤匡男代表の言葉だ。

 共感できる人とのつながりがあれば、伴侶と生きた時間をいとおしみながら、前向きに生きることもできるのだと感じた。(仲村和代)=第1部おわり


高齢化と単身化が都市を襲う「2020/30年問題」

2010年12月26日18時48
人口構成の急激な変化に伴って起きる「2020/30年問題」。元厚生労働事務次官の辻哲夫東大教授は、医療や介護など従来の仕組みを思い切って見直さなければ、「どの国も経験したことのない高齢者の急増が大都市圏を津波のようにのみ込み、お手上げ状態になりかねない」と指摘する。

 「2020年問題」は団塊世代の高齢化と「多死時代」の到来だ。20年代、団塊世代は後期高齢者になる。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、毎年の死亡数は150万人台に達し、出生数の2倍になる。高齢化率は30%を超す。

 「2030年問題」は未婚や離別、死別による単身世帯の急増によって起きる。特に単身化が進むのは、その時期に中高年となる団塊ジュニア前後の男性だ。60代で見ると、05年に10%だった一人暮らしの割合は30年に25%に。女性も50、60代で単身化が進む。男女合わせた全世帯で一人暮らしは4割に迫る。

 背景にあるのは未婚率の上昇だ。30年の時点で生涯未婚率は男性は3割に、女性で2割を超えるとされる。1990年生まれの女性の場合、3分の1以上が子を持たず、半数が孫を持たない計算だ。

 地方で先行する少子高齢化問題と異なるのは、団塊・団塊ジュニアという人口の塊が高齢化・単身化することだ。極めて多くの中高年の単身者が、都市部にあふれる時代が来る。人口研の金子隆一・人口動向研究部長は「ぬるま湯がじわじわ熱くなっているのに、目に見えて何かが起きないと危機感が広がらない」と警鐘を鳴らす。(西本秀)
孤独死、40代から高リスク 東京都監察医務院調査
2010年12月26日18時35
  
 孤独死や自殺の発生状況を東京都監察医務院が分析したところ、40代後半から60代の単身男性がとりわけ高いリスクを抱えているという結果が出た。単身 者の健康状態が悪化しやすいことは海外の研究では指摘されているが、国内で同様のデータを取っている自治体はほかになく、大都市圏の傾向を示す初の分析と して注目される。
 生涯未婚率は全国的に上昇を続けており、今後、この年代の単身男性は急増すると予測される。孤独死対策は65歳以上の高齢者を対象に検討されることが多いが、単身男性についてはより若い世代への目配りが課題と言えそうだ。
 東京23区内の死亡例について、金涌(かなわく)佳雅医師が中心となって分析した。孤独死には明確な定義がないため、「自殺や事故死、死因がはっきりしないケースのうち、自宅で死亡した一人暮らしの人」を対象とした。
 金涌医師らによると、孤独死は年々増え、1987年の男性788人、女性335人から、06年には男性2362人、女性1033人になった。平均すると23区で毎日約10人が孤独死していることになる。
 同じ孤独死でも男女の発生年代は明らかに異なる。女性は65歳を過ぎてから件数が増え始め、80代前半が最多。これに対し、男性は50代前半から急増 し、率でみると70代前半にピークとなる。亡くなってから発見までの日数も男女で差があり、06年の場合は男性が平均して12.01日と、女性の平均 6.53日の約2倍だった。また、男性の孤独死は、完全失業率が高い区や生活保護率が高い区で起きやすかったが、女性の場合はこのような相関関係がなかっ た。
 自殺については、05年の1554人を性別と「一人暮らしだったかどうか」で4グループに分けたところ、単身男性の自殺率が最も高く、特に40代後半から60代にかけて顕著だった。
 国勢調査によって単数・複数世帯の人口が算出できる05年の場合、単身男性の自殺率は10万人あたり46.60人と世帯を持つ男性(19.46人)の倍 以上だった。年代別にみると、40代後半から「10万人あたり60人」を超え、60代後半までこの高いレベルが続く。同じような傾向は90年、95年、 00年にもみられた。
 金涌医師は「40代から60代の単身男性に健康問題が表れる傾向が共通している」とし、この層を対象に調査を進めたり、対策を取ったりする必要があると 指摘。「リスクを把握するためには東京23区以外に住んでいた人や、病院など自宅以外の場所で亡くなった人も対象に分析すべきだが、日本ではそのような統 計がなく、把握が困難だ」と話している。(中井大助)

 

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01. 2011年1月29日 13:44:00: cqRnZH2CUM
きずなを買う 「孤族の国」家族代行―1【全文】

2011年1月26日13時24分

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写真緊急連絡カードを常に持ち歩く79歳の女性。手放すと不安になるという。「銭湯で倒れたら、私が誰だかわからないでしょう?」=名古屋市内、小玉重隆撮影

写真今月10日に91歳の誕生日を迎えた三田さん(左)。「きずなの会」の木村さん(右)から手書きのバースデーカードをもらった=名古屋市内の特養ホーム、小玉重隆撮影

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 倉庫にいくつもの衣装ケースが積み重なっている。名古屋市の鳴子団地の一角にあるNPO法人「権利擁護支援ぷらっとほーむ」。老人ホームで暮らす会員から預かった私物が保管されている。
「孤族の国」過去の記事はこちら

 親に買ってもらったドイツ製バイオリン、セピア色の結婚写真――。捨てられぬ人生の証し。でも、後に託すべき人がいない。そんな品々だ。

 その中に、布にくるまれた小さな位牌(いはい)が一つ。

 昭和27年2月 ○恵 2歳

 昭和24年4月 ○義 2歳

 刻まれているのは、幼くして亡くした我が子2人の名前だ。老人保健施設で暮らす女性(88)が「自分が死んだら棺(ひつぎ)に入れて」と預けた。

 車いすの入居者がテレビに見入る、施設の談話室。窓の外を見つめながら、女性が重い口を開いた。「栄養失調がもとで死んだ、2人とも。葬式費用もなくて」

 働かない夫から逃れ、33歳から1人で生きてきた。ほかに2人の子がいるが、ずっと音信不通だ。「もう他人」とあきらめている。

 ぷらっとほーむは、この女性の身元引受人だ。金銭管理や役所での手続きなどの委任契約を結んでいる。時折訪問して励まし、生活を支える。

 理事の篠田忠昭さん(80)が創立メンバー。原点には、民生委員として地域を支えた30年の経験がある。

 保証人を頼まれる。通帳を預かって、と頼まれる。孤独死も2人経験した。一人暮らしの高齢者を同時に24人、担当していた時期もある。「個人でハンコをついていたら責任を負いきれない」と痛感、会の設立を呼びかけた。

 昨年は元日未明から、会員の遺体を病院で引き取った。「もし活動をやめたら、この人たちはどうなるのか」

    □

 「ミタさんのご家族の方、診察室にお願いしまーす」

 昨年末、名古屋市の総合病院の待合室に看護師の声が響いた。白内障の治療を受ける三田富子さん(91)の家族に呼び出しがかかった。

 「はいっ」と勢いよく腰を上げた女性を、まわりは実の娘と思ったかも知れない。女性は、NPO法人「きずなの会」の生活支援課長、木村恵美子さん(64)。全国に約40人いる支援員のひとりだ。

 三田さんが5年前、腰の骨を折る大ケガで車いす生活になった時も、木村さんが施設探しや身の回りの世話に奔走してくれた。この日は車で病院に連れてきてもらった。

 夫とは20年以上前に死別。子はなく、同居の義妹も亡くなって独りになった。今は特別養護老人ホームの個室で暮らす。「天涯孤独だけど、私は運が良かった。100歳まで生きたい」

 昨年の大みそか。老人ホームに入居していた男性会員(73)が急性心不全で亡くなった。「危篤」の報を受けたきずなの会から支援員が駆けつけた。

 午後2時17分、死亡確認。会が死亡診断書を預かり、葬儀を手配した。喪主にもなり、火葬場で骨も拾った。

 「瞳孔は開いていますね」

 「心臓マッサージをまだ続けますか」

 ときに支援員は家族同様の確認を医師から求められる。

     □

 きずなの会本部は名古屋市内のオフィスビルにある。

 かすかに線香の香りが漂う。奥にある木製の棚に、会員の遺骨を納めた15センチ大の骨つぼが並ぶ。その数、58柱。大みそかに亡くなった男性の遺骨も今月5日、この棚に安置された。年2回の納骨式で永代供養墓に移す。

 「家族代わりに生涯、あなたを支えます」というのが会の看板だ。費用は180万円。第三者の弁護士法人に一括して預け、利用のたびに精算する。通院介助なら1時間2100円が引き落とされる。

 会員は全国に2400人。昨年だけで600人増えた。「40代で契約できますか」「独り身で不安」。相談は毎月200件に達する。

 家族の代わりに、NPOや業者が支えるサービスが名古屋を中心に広がっている。身元保証から生活援助、お葬式まで。血縁や地縁に頼れぬ「孤族」の国で、新たな命綱になるのだろうか。(清川卓史)

■肌身離さぬ一枚の「家族」

 6畳一間の木造アパート。名古屋市内に1人で暮らす女性(79)が、財布に入れて大切に持ち歩くものが二つ。

 ひとつは、若き日の美しい母の写真。すり切れた四隅をテープで補修してある。もうひとつは、名刺ほどの大きさの1枚のカードだ。

 赤い文字で電話番号。「24時間・365日受付」「緊急の場合ご連絡ください」と書かれている。身元引受人となっている「きずなの会」の緊急連絡カードだ。

 急病やケガのとき、支援員が駆けつけてくれる。深夜早朝を問わず出動する「緊急支援」サービスの料金は1回1万500円。

 「独りぼっちですから、他に頼るところはない。肌身から離したことはありません」

 地元の駅近くの料理店で70歳近くまで働き、生涯独身を通してきた。決まりかけた縁談もあったが、がんを患う母親をおいて結婚に踏み切ることはできなかった。

 「1人でいい、と心に決めて頑張ってきた。でも年をとると、1人は大変ね……」

 ケアハウスに入居する際に身元保証人が必要で、7年前に入会。昨年末、再びアパートに移ったときには、部屋の下見から引っ越し業者の手配まで、会が世話をしてくれた。1時間1050円かかる「一般支援」の一環だ。

 年明けの6日、寒さで体調を崩し、思わず担当支援員の携帯電話を鳴らした。「あまりに心細かったので、『お医者に行きます』と電話してしまった。昔はこんな性格じゃなかったのだけど」

 会の意思確認書で、延命治療は「希望しない」にマルをした。「最後に呼んでほしい人」の欄は空白のままだ。

 「最期のことも、お任せしてます。他人に迷惑をかけなければ、それでいい」

■行政のすき間埋める 増える事業者、期待と不安と

 家族に代わって高齢者の身元保証などを請け負う事業者は、名古屋で確認できただけで8団体。次第に存在感を増し、医療や行政の現場にも浸透しつつある。

 10年前に発足し、昨年、公益財団法人となった「日本ライフ協会」。東京・恵比寿の本部を、埼玉県越谷市の高齢介護課職員3人が訪れたのは、昨年11月のことだ。

 「支援内容について説明をうかがいたい」

 福祉の最前線で、お年寄りの身元保証や医療行為の同意が課題として浮上。協会の事業を調べにやってきた。「サービスを望む市民がいれば、今後は情報提供していきたい」と担当者。協会の関西統括本部(大阪市)にも、近畿の自治体から相談が月に数件寄せられるという。

 名古屋市のある区役所の職員は「一人暮らしや身寄りのない高齢者が増えすぎて、とても行政だけでは支えきれない」と言い切る。

 悪質商法の被害にあい満足な食事もできていない人。体調を崩しているのに保険証すらない人――。本人の代わりにお金の管理などができる成年後見制度はあるが、対象になるかどうか、すぐ判断できない人もいる。時間もない場合、信頼できるNPOに協力を求めることは実際ある。

 「行政は保証人になれないし、代わって医療費を支払うこともできない。NPOに行政のすき間を埋めてもらえれば、素早く対処できる」

 課題は、サービスの質が見えにくいことだ。適正な料金がいくらかもわかりにくい。悪質業者が交じっていたとしても、見分けるのは難しい。

 東京都の足立区社会福祉協議会は05年春から、家族代行業に近い「高齢者あんしん生活支援事業」を独自にスタートさせた。訪問見守り、金銭管理、入院時の保証人に近い支援などだ。信頼性は高いが、遺言作成など手続きに時間がかかることもあり、利用は35件にとどまる。

 担当者は「この件数でも支援は大変。一般論だが、全国展開して会員を大幅に増やして、本当にきちんと支援できるのか」といぶかる。

 心身が弱ったお年寄りは、親身な人に頼りがちだ。「だから悪質業者の被害にもあいやすい。第三者の目が入らないと危ないと思う」

■低所得者の依頼に苦慮 

 サービスを利用できるのは料金を払える人に限られる。いま多くの事業者が苦慮しているのが、生活に困窮した高齢者からの依頼だ。

 身寄りもお墓もない会員の亡きがらは、事業者の手配で火葬場に運ばれる。「半数はお骨を拾っていない」。ある事業者が打ち明けた。

 「焼骨はご処分下さるよう」と書かれた定型の申請書にサイン。火葬が済んだお骨は、斎場側の粉砕処分に任せているという。

 この業者の場合、納骨支援は「オプション契約」。骨を拾えば、お寺に納める費用や人件費で約10万円かかり、追加で支払う必要がでてくる。

 「ご本人に蓄えがなく、親類からも『骨は拾わないでいい』と言われたら、どうするか。うちが負担するわけにはいかない」と担当者。

 一方で、福祉的対応をとる団体もある。900人を超す会員がいる日本ライフ協会は、生活保護受給者向けプランを用意。通常は契約時に163万円を一括で預けてもらうが、これを3万円に抑え、残りは毎月1万円を支払ってもらう。

 未納があっても葬儀、納骨まで支援する。ただ、会の持ち出しが相次いだこともあり、生活保護受給者の割合は新規契約の15%以内とし、超えれば抽選にしている。事務局長の濱田健士さんは「とても全ての申し込みは受けられない」と言う。

 きずなの会は、01年のサービス開始当初は85万円だった契約時の預託金を2倍余に引き上げた。生活支援などサービス範囲を広げたためだ。

 一方、一括払いが難しい人には月5千円からの分割払いを認める。低所得層は会員の半数に達し、実際は未納のまま亡くなるケースが大半。不足分は、他の会員や相続人からの寄付金などを取り崩して対応しているという。

 地元の病院に勤める医療ソーシャルワーカーは危機感を強める。「借金があったりして身元保証業者との契約を断られるお年寄りもいる。今後、深刻な問題になっていくだろう」(清川卓史)

■「家族に頼れない」37% 朝日新聞社世論調査

 病気になったり年をとったりして誰かの手助けが必要になったとき、家族や親類に頼れるか――。朝日新聞社が15、16日に実施した全国世論調査(電話)で、37%の人が「頼れない」と答えた。「頼れる」は57%だった。

 「頼れない」と答えたのは男性33%、女性40%。「頼れない」と答えた人に理由を四つの選択肢から選んでもらったところ、「迷惑をかけたくないから」が72%で突出し、「遠くに住んでいたり、高齢だったりする」が17%、「頼み事ができる関係ではない」が6%だった。手助けが必要となった際に他人や業者に頼ることに「抵抗を感じるか」という質問には「感じない」が53%で半数を超え、「感じる」の40%を上回った。

 背景には、結婚しない人や離婚が増えて単身世帯が急増している現実がある。国立社会保障・人口問題研究所によると、単身世帯は2005年時点で全世帯の3割。それが30年には4割近くまで上昇する見通しだ。

 近くに家族がいれば何とかなるかもしれないが、総務省が08年に行った調査でさえ、高齢単身者の4割以上が子どもが片道1時間以上離れた場所に住んでいるか、子ども自体がいないと答えた。

 行政も財政難の壁に突き当たっている。「介護の社会化」を掲げてスタートした介護保険の費用は、今年度には7兆9千億円と10年で倍以上に跳ね上がった。掃除や洗濯などの生活援助を、軽度の人の場合は保険からはずそうという議論さえ起きている。

 「旧来の家族像は、高度成長のもと、男性の終身雇用を前提として築き上げられた」と北海道大学の宮本太郎教授(福祉政策論)。「この前提が崩れると案外にもろいものだ」と指摘している。(高橋健次郎)

■身内の役割、今はビジネス

 親の介護も子の世話も、先祖の供養までも、かつては多くの家族が当然のこととして担っていた。しかし単身世帯が増えた今、いざというときですら家族や親類に「頼れない」と感じている人が、4割に達する。家族の姿は大きく様変わりしている。

 いま私たちが生きているのは、地域社会の絆も薄れ、家族の中でさえ孤立しがちな「孤族」の国だ。とりわけ高齢化や貧困、失職により孤立のわなに足をとられる男性の姿を、連載の第1部で報じた。

 今回焦点をあてるのは、NPOや民間の「家族代行業」とも呼ぶべき新しいサービスの登場だ。親と離れて暮らす子ども世代に、「親孝行になる」と実家のお掃除パックを売り込む業界。塾通いに子どもだけで乗車できる子育てタクシー。昔なら身内に任せていたような役割が、今はビジネスになる。

 ゆりかごから墓場まで、誰かに家族の代わりを務めてもらわなければ、うまく生きていけない。日本はそんな時代に入ろうとしている。

 ただ、一歩道を踏み外せば利用者が不利益を被りかねない危うさもある。家族の働きが小さくなった分の空白を、誰が、どうやって埋めていけばいいのか。家族に代わって日々の生活を支えてくれる、新しい仕組みを第2部でみる。


親孝行請けます 「孤族の国」家族代行―2【全文】

2011年1月27日12時34分

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写真「親孝行代行サービス」を立ち上げた内海実さん(右)と妻茂野さん。屋号は「燦々(さんさ)村 南伊豆」=静岡県南伊豆町

 シワの寄った手でミカンが差し出される。お茶でも飲んでいけ、と勧められる。

 太平洋を望む伊豆半島南端。地元スーパーから商品を配送する仕事で、内海(うつみ)実さん(60)が山あいの集落を回っていると、お年寄りから声がかかる。配達先は、買い物が重くて持ち帰れない高齢者がほとんどだ。

 ぽつんと佇(たたず)む一軒家に、独り暮らす老女たち。世間話をしていると、5年前に亡くした故郷の母の姿が重なる。

 日本海に面した京都府舞鶴市。山あいの一軒家に、両親と兄、祖母の5人で暮らした。幼いころ、体が弱い自分に母が添い寝をしてくれるのがうれしかった。兄に続いて故郷を離れたのは20歳のとき。妻となる同郷の娘を追い、東京に出てきた。その後、祖母と父は他界。母は50代で独りになった。

 「次は、いつ来る?」。そう聞いてくる母の言葉に胸が痛んだ。だが、米軍横田基地のそばで始めた弁当屋が軌道に乗り、2人の子育てにも追われて、帰省できるのは年に1、2回。

 ある日、親類から耳打ちされた。「お母さん、訪問販売で何か買っているみたいよ」。深刻だと気づいたのは、70歳を過ぎて認知症の症状が出てからだ。帰省すると、家に見慣れぬ商品がごろごろしていた。磁気ネックレス、高級ふとん、健康マット。総額数百万円にのぼった。

 「人恋しくて、誰でも受け入れてしまったんでしょうね。でも、故郷に仕事はなく、簡単には帰れない。僕らの世代には、そんな人多いでしょう?」

 一人暮らしは25年。母は最期の数週間を兄の家で過ごし、80歳で逝った。

      □

 「あのころ、母を見回ってくれる人がいたら」「早く様子を知らせてくれていたら」

 そんな思いがよみがえったのは、母を亡くして間もなく、妻と静岡県南伊豆町に引っ越してからだ。人口は1万人に満たない。高齢化率は35%超。近隣の町も似たような状況だ。配達の仕事をしながら、「親孝行の代行サービスができるのではないか」と思いついた。

 子に代わって親を見守る仕組みだ。週1回約30分間、高齢者宅を訪ねる。親の様子は、離れて暮らす子どもにメールで報告する。その際、買い物の代行や郵便物の投函(とうかん)、自宅の照明器具取り換えなども請け負う。活動エリアは近隣1市3町。利用料は月額6千円。最近、会員募集を始めた。

■子どもからの贈り物

 総務省の推計では、子どものいる単身高齢者のうち3人に1人は、子どもが1時間以上離れた場所に住んでいる。親孝行に需要があると踏んだ民間業者は、すでに掃除や洗濯の代行を「親孝行プラン」として東京23区内で売り出すなど、親から離れて暮らす現役世代に照準を合わせている。

 埼玉県所沢市のニュータウン。一軒家に一人暮らしの越賀健(こしが・たけし)さん(79)が、生活支援業者カジタク(東京)の清掃代行サービスを利用したのは今月上旬。男性スタッフが訪れ、台所のレンジフードについた真っ黒な油汚れを2時間かけて落としてくれた。思わず「こんなに白かったのか」と苦笑いした。

 長女(44)がプレゼントしてくれた「家事玄人(くらうど)」というサービスだ。料金は1回1万2600円。台所か浴室の清掃など、どれか一つを請け負ってくれる。ティッシュペーパー大の箱が「商品」。全国のドラッグストアなど1500の店頭に並ぶ。箱の中のパスワードを会社に電話で伝えれば、スタッフが派遣される。昨春から約5400個が売れた人気商品だ。

 越賀さんは、元はエレベーター会社の営業マン。2人の娘は独立し、妻を6年前にがんで亡くして1人になった。「でも、気楽で楽しいよ」。囲碁にウクレレと趣味は広く、飲み仲間のお誘いも絶えない。家の掃除にまでは気が回らない。

 都心の広告会社に勤める長女は、休日出勤、徹夜の作業もしばしばだ。年に数回帰省できれば、まだいい。「親孝行できない後ろめたさがあった」

 長女は言う。「プロの手で家がきれいになって、私も気持ちをかたちにできる。両者が得するウィンウィンのサービスではないでしょうか」

      □

 南伊豆町の内海さんのもとには、問い合わせが増えてきた。正月に帰省した子ども世代が、国道沿いに掲げた看板に目を留めてくれたのだろう。

 周辺には過疎地が広がる。半数以上が高齢者の集落だってある。「仕事がない」と、子どもたちは都会へと出て行く。

 「このサービスがうまくいけば仕事が生まれ、地域が元気になってくれるかも」。親と子、地方と都市をつなぐ新しいビジネスモデルになる予感を、いま抱いている。

■孝行にもいろんなかたち

 親孝行と聞いて思い浮かぶのは、一緒に旅行に行ったり酒を飲んだり、そんなものばかり。ところが今回、日々の見守りも、家の面倒な掃除も、いろんなかたちがあるのだと知った。

 大阪で一人暮らしの私は、いま30歳。東京の両親は健在だが、帰省できるのは年1、2回。どこか後ろめたさがある。一度、親孝行代行をお願いしてみようかと興味を引かれた半面、他人の手に委ねることには少し引け目も感じた。感性が古いのだろうか。(高橋健次郎)

■朝日新聞世論調査 質問と回答

 朝日新聞社が15、16日に実施した全国定例世論調査(電話)のうち、「孤族の国」第2部「家族代行」に関連する質問と回答は次の通り(数字は%。小数点以下は四捨五入。質問文と回答は一部省略。◆は全員への質問。◇は枝分かれ質問で該当する回答者の中での比率。〈 〉内の数字は全体に対する比率)。

◆仮にあなた自身が、病気になったり年をとったりして、だれかの手助けが必要になったとき、家族や親類に頼れると思いますか。頼れないと思いますか。

 頼れる57

 頼れない37

◇(「頼れない」と答えた37%の人に)それはどうしてですか。(選択肢から一つ選ぶ)

 家族や親類がいないから2〈1〉

 遠くに住んでいたり、高齢だったりするから17〈6〉

 迷惑をかけたくないから72〈27〉

 頼み事ができる関係ではないから6〈2〉

◆仮にあなた自身が、病気になったり年をとったりして、だれかの手助けが必要になったとき、家族や親類以外の人や業者に頼ることに抵抗を感じますか。感じませんか。

 感じる40

 感じない53

 〈調査方法〉 15、16の両日、コンピューターで無作為に作成した番号に調査員が電話をかける「朝日RDD」方式で、全国の有権者を対象に調査した。世帯用と判明した番号は3380件、有効回答は2030人。回答率60%。


子の送迎 救う手 「孤族の国」家族代行―3【全文】

2011年1月28日12時0分

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写真親の代わりに保育園に迎えに来た「ぽっかぽか」のスタッフ=大阪市東淀川区、伊藤菜々子撮影

 金曜日の午後8時過ぎ。ランドセルを背負った小学4年と保育園児のきょうだいが家路を急ぐ。自宅マンションに通じる裏通りに、もう人影はない。

 大阪市東淀川区。2人は放課後をNPO法人「ぽっかぽか」の部屋で過ごした。家まで送ってきたのが、保育サポーターの森元多加子さん。薄暗い階段を一緒にあがる。子どもがランドセルに鎖でつないだカギを取り出し、玄関を開け、中に入るのを見届ける。母親は仕事でまだ戻っていない。

 「バイバイ」「おやすみ」

 カチャ。2人が家の中から鍵をかけた音を確かめ、森元さんはマンションを後にした。

 子育てを支える「ぽっかぽか」ができたのは6年前。保育園や習い事教室へ、親に代わって子どもを送り迎えする。他にも小学生を放課後に預かったり、育児サークルを開いたり。拠点はマンション1階に設けた「ハウス」。送迎の利用料は30分500円だ。

 会社員の山白尚子さん(32)は月1、2回、子どもの保育園への迎えで利用している。夫は通勤が片道1時間半。職場の責任者で夜遅くまで帰れない。双方の実家も遠すぎて頼めない。母親仲間も忙しい。

 大事な予定のある日、長女が保育園で熱を出したことがあった。「なんでこんな日に」。救いの神を求める思いで、インターネットで見つけていたぽっかぽかに電話をしたら迎えに行ってくれた。

 「ぽっかぽかは心の支え。なかったら今の仕事は続けられず、私も壊れてしまいそう」

     □

 立ち上げたのは、近くに住む助産師の渡辺和香(やすこ)さん(48)。15年前に助産院を開業、母親たちに接するうち、地域から孤立した「孤育て」に悩む姿を目の当たりにした。

 生後3カ月の母子訪問。マンションの一室で、「別の階に赤ちゃんがいるみたい。どの部屋か知りませんか?」と訴えるように尋ねる母親がいた。話し相手に飢えている様子だった。

 母親たちに「心配事なら、いつでも電話して」と言うと、かかってくるのは近所に聞けばわかるようなことばかり。「いい小児科を教えて」「うちの子は厚着か」。たいてい、夜遅くにかかってきた。

 まずは顔が見える関係をつくろうと、子連れの母親たちが月1回集まれる場を開いた。

 「急に熱を出した子を迎えに行ってくれる人がいたら」「自分が病気の時に買い物を代わりにしてくれる人がいたら」。母親たちの「あったらいいのに」を重ねたら、今のかたちになっていった。

■タクシー業界は商機

 こうした需要に、タクシー業界も商機を見いだしている。

 平日の午後4時過ぎ。京都大学近くの路地に止まったタクシーから小学1年の男の子(7)が降りてきた。放課後、学童保育で預かってもらっていた施設から約20分。運転手さん(60)に手を引かれ、奥にある英会話教室に入っていく。都タクシーの「子育てタクシー」だ。

 母親(43)は訪問看護師。帰宅は毎晩6時をまわる。会社員の夫が帰宅するのは夜中近く。家事、育児、仕事をこなす毎日の生活に余裕はない。

 ネットで、子ども1人で乗車できる子育てタクシーを知ったとき、「こんな便利なサービスがあるなんて」とうれしくなった。運賃は通常と同じ。この子の場合、月4回で6千円ほどかかる。

 高松市のNPO法人「わははネット」が2004年に地元タクシー会社に依頼し、運転手5人から始まったサービス。全国子育てタクシー協会も設立され、今では97社が加盟、約1100人の運転手が登録している。

 わははネット理事長の中橋恵美子さん(42)は、「共働きの増加や核家族化、地域社会の崩壊で母親たちは『孤育て』に直面している。子育てタクシーがこれだけ広がったのは必要とされる状況があるから。ぜいたく品ではなく必需品です」。

     □

 ぽっかぽかにとって意外なことがあった。活動を支える保育サポーターに約100人もの人が名乗りを上げてくれたのだ。

 活動で受け取る謝礼は内容や時間帯で異なるが、送迎なら30分350円。お金のためではない。「何か役に立ちたい」「外とつながりたい」といった主婦や学生がほとんどだ。

 主婦の木村美和さん(29)は「いろんな人に出会いたい」と思って加わった。福岡から夫の転勤で引っ越してきたばかり。誰も知らない状況から抜けだしたかった。1歳7カ月の長男を連れて週2〜3回、親子が集まる広場などを手伝う。「みんな子育ての悩みは同じなんだなあって、安心した」

 坂口敦子さん(69)は孫が3人いるおばあちゃん。女性だけで立ち上げ、活動している姿に心を動かされて加わった。「私も一緒にやって、元気をもらいたいと思った」

 母親たちの顔つなぎを始めて10年。渡辺さんは今、女性たちがNPOという器を通して、地域に新しい「縁」を結び直しているのを感じる。夜遅く、自宅に相談の電話が入ることは、もうない。(中塚久美子、田中京子)

■ビジネスの「絆」悪くない

 車にたとえるなら、ハンドルの遊びがない状態が今の子育て世代共通の苦しみではないか。仕事、育児、家事と綱渡り。私も、一歩間違うとどこへ落ちるのだろうかと不安になる。NPOを媒介として、新しい「持ちつ持たれつ」の関係を地域に築いていけないか。(中塚)

 私にも覚えがある。保育園が休みの間、息子をみてくれる人がなく、ベビーシッターに頼んだ。息子は親戚のお姉さんのようになつき、互いに子どもを預けあう友人ができるまで、助かった。ビジネスの「絆」も悪くないと思った。(田中)


ごみ・雪 公の出番 「孤族の国」家族代行―4【全文】

2011年1月29日12時25分

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写真スノーバスターズの一員として雪かきをする中学生たち。一人暮らしのお年寄り(中央)から笑みがこぼれた=岩手県八幡平市、川村直子撮影

 「市役所ですーっ」

 毎週火曜日の午後。帽子をかぶった「イケメンのお兄さん」の笑顔が、インターホンのモニター画面に映る。

 京都府宇治市で一人暮らしの藤岡嘉子さん(80)が、心待ちにしている時間だ。

 「ちょうど孫ぐらいの年。孫が来てくれたと思って、うれしくって」

 顔なじみの「お兄さん」は、宇治市役所の職員。一人暮らしで体が不自由なお年寄りの自宅まで足を運び、ごみを回収する専門スタッフだ。「ふれあい収集」と呼ばれる。

 通院などで留守にする日は、「お兄さん」に置き手紙。「風邪ひかんようにね、とか一言添えて。ごみバケツの内側に貼っておきますねん」

 玄関から門までの石段は11段。そこからごみ集積場まで約50メートル。若者なら目と鼻の先の感覚だが、藤岡さんにとって「ごみ出し」は苦行だった。

 「一歩歩いて一服、また一歩歩いて一服。ひざが痛くて往復に30分かかった日もある」

 3年前に夫を亡くして1人になった。でも、滋賀に住む長男が毎晩、体調を気づかって会社帰りに電話をくれる。長女は車いすを押して東京旅行に連れていってくれた。玄関には孫3人の大きな写真。離れてはいても、心の絆は切れていない。必要なのは、日々の暮らしを支えてくれる「手」だ。

     □

 宇治市が、ふれあい収集事業を始めたのは2009年春。利用者は約200人。今も月平均9件の申し込みがある。

 ごみが出ていない、声かけに反応がない――。収集先で異変を見つけたら、登録されている緊急連絡先に電話する。安否確認サービスだ。通報は多いと1日4、5件。単なる留守が多いが、風邪で寝込んでいた高齢者をいち早く発見したこともある。

 見えてきたのは、「玄関に出てくるのが精いっぱいという一人暮らしのお年寄りが、こんなにたくさんいるのか」と収集スタッフも驚く現実だった。

 話し相手を待ちわびるお年寄りとの世間話は、ときに10分、20分。呼び鈴を押してから玄関先に顔をだすまで何分間もかかる人もいる。効率で割り切れぬ仕事だ。ときに、お礼の手紙も届く。

 網の目のように地域を回るごみ収集スタッフが、家族代わりにお年寄りを見守る「目」となる。担当課長は「やりがいがあります」と言った。

■高齢者訪問 中学生も

 「おはようございまーす」

 1月半ばの日曜日。元気よくあいさつをした中学生4人が、大人がスコップでかき出す雪をソリで運ぶ。杖をついて玄関先に出てきたお年寄りが、「ありがてぇ、ありがてぇ」とつぶやく。

 奥羽山脈に抱かれた豪雪地帯、岩手県八幡平(はちまんたい)市の安代(あしろ)地区。10人の除雪隊が一人暮らしの高齢者宅でボランティアの雪かきを始めた。大雪の今年、軒先まで雪に埋もれていた平屋の家が、15分で姿を現した。

 見回る先は28軒。夫を亡くして10年以上前から一人暮らしの女性(86)は「自分の子にも、よう頼めんことをやってくれる」。長男と長女は県外で暮らし、度々の帰省は難しい。両足が悪く、立ち上がるのもひと苦労だ。「正月はひでぇ雪で、窓が割れるがど心配したよ」

     □

 過疎化に悩む「地方」にこそ、再び絆を育むヒントがある。

 安代地区は人口約5400人。高齢化率は4割を超える。雪はずしりと重く、年を重ねた体での除雪作業は無理だ。玄関が埋まれば家に閉じ込められ、古い家ならつぶされかねない。

 そんな事態を防ごうと、約15年前に地元の社会福祉協議会がつくったのが除雪隊「スノーバスターズ」だ。60代以上の近所の住民が中心だが、中学生もクラブ単位で参加する。福祉教育の一環だ。民生委員の情報や面談で、対象となる高齢者宅を決める。活動は週1回で無料。1月から3月まで続く。

 絆は求めて結ぶもの――。社協支所長でバスターズの川又登志子さん(56)が抱く思いだ。

 安代地区の出身。20歳で結婚したが、甲状腺を患って入院。退院後も耳鳴りやめまいに悩まされ、20代には家にこもっていた時期がある。「絆って、当たり前にあるものじゃないんだって気づいた」。34歳で社協の職員に。過疎化でほつれた地域の絆を、結び直そうと思った。

 「雪国の冬は大変よねー」。何げない問いに、お年寄りが思わぬ言葉を返してきたという。

 「バスターズで元気な子どもたちが来るのが楽しみ。3日前からわくわくして、3日余韻を楽しむ。だから1週間はあっという間。気づいたら春がくる」

 この日、バスターズがそのまま通り過ぎた家があった。近所の人が率先して雪かきを済ませてくれたらしい。15年たって、そんな家が増えてきた、と川又さんは笑う。

 「私の目標はね、バスターズの解散なんです」

■助け合い 確かな可能性

 「孤族の国」第2部では、NPOや民間業者による「家族代行」の動きに焦点を絞り、取材を進めてきた。ただ、家族の支えが弱くなって生まれた空白を、お金で買った民間サービスだけで埋められるはずはない。本来、こういう時代こそ公共の出番。期待を込めて、最終回は「公助」「共助」の現場2カ所に足を運んだ。

 ごみ収集も雪かきも、決して派手な取り組みではない。だが、そこには確かな可能性があると感じた。財政難の時代でも、公共にできることは、まだまだあるはずだ。「孤族」の未来を支える知恵と工夫を、私たちみんなで育ててゆきたい。(清川卓史、高橋健次郎)=第2部おわり


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