★阿修羅♪ > 戦争b5 > 148.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
ETV特集 よみがえる戦場の記憶〜新たに見つかった沖縄戦の映像(NHK教育 6月27日午後10:00)
http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/148.html
投稿者 gataro 日時 2010 年 6 月 21 日 14:12:01: KbIx4LOvH6Ccw
 


http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10569329090.html から転載。

2010-06-21 13:24:28
gataro-cloneの投稿
ETV特集 よみがえる戦場の記憶〜新たに見つかった沖縄戦の映像【NHK教育】
テーマ:戦争責任(歴史)

1945年6月23日、沖縄の地上戦は組織的戦闘が終結した。「沖縄慰霊の日」となった6月23日以後、戦争と平和、米軍基地問題をテーマにした番組が計画されている。注目すべき番組に6月27日放映の「ETV特集 よみがえる戦場の記憶〜新たに見つかった沖縄戦の映像(NHK教育 6月27日午後10:00)」がある。

========================================


 

写真:読谷村・1945年4月2日 米軍上陸直後に撮影
(写真左:伊波トミさん、“集団自決”から逃れる為に隠れていたガマ(壕)から出てきた直後に撮影された。 )


左写真:
包帯を巻いた少女・・・
今回の取材で戦争孤児の、ひとりの女性である事が解った。
その女性は、孤児院で名前をつけられ、今、自分の本当の名前を探し続けている。
(1945年6〜7月ころ 沖縄市の野戦病院で撮影)


65年前、住民を巻き込んだ激しい地上戦が戦われた沖縄。その戦場を記録した600本の新たなフィルムが見つかった。沖縄県公文書館の調査で、多くのフィルムが米国立公文書館に眠っている事がわかったのだ。1980年代に沖縄1フィート運動の会や沖縄県公文書館などが収集した350本のフィルムは、沖縄を記録した映像の一部に過ぎなかったのだ。NHK沖縄放送局は、3年前から沖縄戦を記録した全てのフィルムの収集を続けてきた。

新たな映像の中には、これまでなかった日本軍の秘密兵器の映像や、“戦争孤児”の学校、そして多くの沖縄の住民たちの姿が記録されていた。沖縄戦資料の研究を続けてきた琉球大学の山内栄さんは、フィルムはアメリカ軍が記録や宣伝の為に撮影していたと言う。しかし、戦後65年たった今、映像は、人々が封印してきた戦場の記憶をよみがえらせようとしている。

その瞬間に何が起きていたのか?フィルムに写っている人を探す為に、沖縄各地で上映会を行った。多くのフィルムが見つかった事は、沖縄で大きな波紋を広げた。 誰にも語れなかった家族の“集団自決”。名乗り出せなかった“戦争孤児”としての過去。そして戦場での悲劇を乗り越えようとする人々。 フィルムは、戦場の記憶を呼び起こすとともに、戦後の生きざまをも浮かび上がらせた。沖縄戦を記録した未公開の600本のフィルムをたどり、写された一人一人の沖縄戦と戦後の人生を見つめる。

-------------------------------

生々しい事実、全国の方に
 沖縄放送局の宮本英樹プロデューサーの話

 「ETV特集」で入手したフィルムは未編集で無音でした。「読谷村」などと記されたわずかなキャプション(説明文)をたよりに、県内で何回か上映会を開いたところ、住民から「あれは○○さんだ」「あの時はこんな状況だった」と新しい事実が生々しく判明してきました。「集団自決」「避難壕(ごう)の状況」など今まで誰にも話せなかったことを証言してくれたのです。

 また今まで公開されている写真の中には、住民が米軍を歓迎しているという説明がなされているものがありましたが、前後に撮られた動画と住民の証言から、それは米軍が意図的にしたてたもので、決して歓迎していたわけではないことも明らかになりました。65年たってもまだまだ分かっていないことが多くあるのだと実感しました。

 また「アメリカ海兵隊」で追った海兵隊は沖縄県民にとって塀の向こうのブラックボックスでした。何をしているのか分からない。逆に海兵隊の側から見てもそう。そこで実際に内部で取材して一人一人の兵士の発言から実態を中立的にとらえようとしました。見てもらって判断してもらおうと考えています。よく言われる「抑止力」の役割を果たしているのか。全国の人や政治家に見てもらいたいですね。

(*上記は「しんぶん赤旗」6月21日付のテレビ・ラジオ欄から転載)

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2010年6月21日 16:50:47: FqDvXxU8vI
海軍の人間魚雷を沖縄で訓練してた。
大戦末期に沖縄に半島出身従軍慰安婦が居た理由は其れ。
半島系女性名が最終的に平和の礎に刻まれた筈。
紆余曲折はあったけどね、遺族が嫌がるとかの。
軍隊は大抵往生際が悪く、其れで負け戦の被害を甚大にする。

02. 2010年6月21日 19:43:21: B3gDfGJKyI
>>01コメント氏に捕捉、沖縄戦当時、半島出身者で男性は「軍夫」、女性は「慰安婦」として多数存在した。苛烈な地上戦を生き延びた半島出身者の多くは復員したが、中には戦後久しく沖縄で「春をひさいでいた」女性達も存在していたことが、判っている。

 沖縄守備隊第32軍壊滅後の敗残日本兵の実態、組織あっての「戦闘詳報」が記録するわけでもなく、防衛省戦史研究室が追跡しない実相は、恥ずかしくて表沙汰にできるものではない。沖縄側も事を荒立てたくないこと分らないのか。(身内の恥なのだから) (沖縄レポート)

 


03. 2010年6月27日 13:28:45: GjczTvLZAm
沖縄に観光に行った時に、ひめゆり部隊が集団自決や攻撃で亡くなった洞窟や沖縄戦で戦死した都道府県別の慰霊碑を見ました、万座毛に行く途中には、嘉手納基地の横も通過しました、国際通りには、米軍払い下げの軍用品の店がたくさんあったのを記憶しています、今考えれば全て繋がっているのですね、

戦後生まれの当方には、想像ができませんのでこの番組を(DVD化)して、沖縄に米軍基地が集中しすぎている事について、もう一度よく考えたいと思います。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 コメントの2重投稿は禁止です。  URL紹介はタイトル必須
ペンネームの新規作成はこちら←
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 戦争b5掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 戦争b5掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧