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[特別座談] "絡まった東北アジア情勢が招いた‘終わらない戦争’(12847字)
http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/210.html
投稿者 K2 日時 2010 年 6 月 27 日 05:23:35: NR9lZWHaSJ2ws
 

[韓国戦争60年特別座談]パク・ミョンニム,和田,カミングス‘13年ぶりに実現した座談’

http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/1192736.html

キム・ウェヒョン記者,チェ・ウォンヒョン記者

和田春樹日本東京大名誉教授とパク・ミョンニム延世大教授、ブルース・カミングス米国シカゴ大客員教授(左から)が23日、ソウル、西大門区,延世大サンナム経営館で‘韓国戦争60周年の意味と評価’を主題に開かれた座談会で話を交わしている。 キム・ギョンホ記者 jijae@hani.co.kr

25日‘冷戦時代’の頂点だった韓国戦争が起き60年をむかえる。冷戦という言葉は歴史の後方に消えたが、韓半島と東北アジアだけは例外だ。
<ハンギョレ>は23日夜、延世大サンナム経営館でブルース・カミングス(67)米国シカゴ大客員教授、和田春樹(72)日本東京大名誉教授、パク・ミョンニム(47)延世大教授など、韓-米-日の韓国戦争・韓半島問題研究分野権威者3人が参加した韓国戦争60周年特集座談会を開いた。3人は韓国戦争勃発原因と性格、東北アジア情勢に及ぼした影響、北韓政権の運命、南北関係の展望などに関して幅広い意見を交わした。

1997年‘3氏で学術会議をしてみよう’という和田名誉教授の提案が13年の歳月が流れ韓国戦争60周年を契機に結実を得た。


■座談者略歴

パク・ミョンニム

1986年 高麗大政治外交学卒
1994年 高麗大大学院政治外交学博士
2002年 延世大国際学大学院教授
2009年〜現在 延世大東西問題研究院東アジア協力センター所長・延世大大学院教授
主要著書:<韓国戦争の勃発と起源>、<東アジア平和体制の形成と展望>、<韓国1950:戦争と平和>等

和田春樹

1960年 日本東京大文学部西洋史学科卒
1985年 日本東京大社会科学研究所教授
1996〜1998年 日本東京大社会科学研究所長
1998年 日本東京大名誉教授
主要著書:<韓国戦争>、<金日成と満州抗日戦争>、<歴史としての社会主義>等

ブルース・カミングス
1965年 米国テニスン大卒
1975年 米国コロンビア大政治学博士
1987年 米国シカゴ大教授
1997年〜現在 米国シカゴ大客員教授
主要著書:<韓国戦争の起源>、<ブルース・カミングスの韓国現代史>、<金正日 コード>等

パク・ミョンニム(以下 パク) 近代以来、韓国最大の悲劇だった韓国戦争60周年をむかえる。60周年に開く今日の私たちの対談は特別な意味があると考える。冷戦時代、世界最大の戦争だった韓国戦争は、戦争行為は60年前に終わったとしても韓国民には相変らず生きている現実であるためだ。分断は相変らず続いており、当時の死亡者と負傷者の痛みも続いている。私たちがこの悲劇的苦難の意味をどのように理解するのかが、韓国と東北アジアの未来と関連してとても重要だと考える。

和田春樹(以下 和田) 韓国戦争は過去ではない。終わらない遺産として韓半島だけでなく、領域内すべてのアジア人に影響を与えている。韓半島内の唯一の政権になることを願う両側が行った特異な内戦だった。ソ連の機密文書解除後、今は誰も北韓が1950年6月25日に38度線を越えてきて戦争を始めたということを疑わない。一部では北韓の侵攻論がソ連の承認を受けたことだったと話したりもする。だが、米政府の文書を見れば、李承晩大統領もまた韓半島を武力統一したがったということを私たちは知っている。武力統一の試みは金日成が先に始めたが失敗した。続いて李承晩も試みたが失敗した。そして内戦は中-米戦争へと拡大し、結局 韓国戦争は東北アジア戦争になった。東北アジアの国々が皆参加し、すべての国の運命が深い影響を受けることになった。したがって私たちは、この戦争に注目しなければならず、休戦状況の真相を知らなければならず、現状況を抜け出す道を探さなければならない。領域内皆の義務だ。

ブルース・カミングス(以下 カミングス) 60年は長い時間だということを強調したい。例えば1850年に始めた戦争が1910年まで続いたといえば、これは絶対に一般的な場合ではない。また、韓国戦争は戦争というのは最初はどれほど簡単に起き、どれほど終わらせにくいのかをよく示している。戦争関係者の中で、中国の他には韓国、北韓と米国が全て解放されずにいる。米国側では戦争期間が1950-53年の3年間 続いたと見る傾向があり、1950年6月25日に戦争が始まったということには私も同意する。だが、この(戦争は)韓半島分断に関係した様々な苦痛が複合した事件だった。日本、長崎への爆弾(原爆)投下後、米国が深い熟慮もせずに38度線を引いたことが戦争の十分条件とは言えないが、この当時 戦争は十分に予測可能なことだったと考える。韓半島の分断が真の戦争の開始だったと考える。国境葛藤やゲリラ戦、政治葛藤、他の形態で戦いが続き、金日成が1950年にこれを終息させようと思った。しかし、米国が介入して今日まで影響を与える莫大な契機になり、中国も介入した。単に内戦が勃発し6月25日に戦争が始まったというよりは、段階があったと見る。いずれにせよ、戦争の主要参加者らが今日までこのように長く続くとは予想できなかっただろう。

パク・ミョンニム
米・ソ、分断国家を作り
何の平和条件も残さなず

和田
北韓が戦争を始めたことは明らか
李承晩政権も武力統一を望む

カミングス
冷戦が終わった後、南北対峙は継続
‘内在した分断体制’と関連

パク 北韓の急進的な軍事的統一意志が招いたこの残酷な戦争は流動的だった1948年の南北分断を53年終戦の時点には決定的に固着させ、天を突くような敵対理念を生み出した。また、南と北で独裁の土台を築き、軍事主義を強化させた。もちろん南北に各々団結と競争を通じた巨視的な発展の祈願を形成したのも事実だ。全てのものが破壊され人だけが残った社会として、2つの韓国に生命と平和に対する絶対的希望を植え付けたことも追加できるだろう。

カミングス それほど極端でなかった状況を極端に追いやった遺産が最も重要だと考える。1948〜49年には38度線を行き来することができた。北側政権は左派連立政府であり、南側はどんな連立政府と見るべきか分からないが、左派に対する弾圧が始まった時期であった。冷戦の初期段階と言える朝鮮戦争で、多くの惨状を体験した後、単純な分離ではなく手紙・電話も往来できず離散家族が生じる惨い分断がなされた。戦争には外勢が大きな影響を及ぼし、韓半島は冷戦の中心部となった。冷戦が終わり20年経つが、なぜ未だに韓国戦争が継続されているのかは説明が難しい。韓半島の終わらない戦争は、内在した分断体制と関係があるかもしれない。戦争が両側にものすごい軍事力をもたらした。北側の軍部はすでに強力な権力集団であったし、南側も61年クーデター以後 30年間軍事政権が続いた。これは明白な戦争の遺産であり、分断の長期化につながった不運な姿だった。

和田 戦争は植民支配の後、独立した統一国家を作ろうと思う希望から始まったもので自然だ。だが、結果は強力な2つの外勢による分断だった。8月15日 米国は分割占領を提案し、韓半島内に友好的な政権を樹立するため北側を維持したかったスターリンは直ちに同意した。その原因は韓半島の地政学的遺産、すなわち韓半島の混乱は周辺強大国らの敏感な関係により決定されるところにある。豊臣秀吉の侵略戦争、日清戦争、露日戦争が同じ脈絡にある。このことが、私が朝鮮戦争を‘第4次朝鮮戦争’と見る理由だ。南北の政権は領域内周辺の強大国から支援を受け樹立された。北韓はソ連、韓国は米国だった。南北は統一された独立国家を望んだが、これは周辺強国らの支援がなかったために実現されなかった。北韓はソ連の助けと支援なしには動くことができなかったし、李承晩もまた米国の支援と助けを期待した。当初からとても悲劇的な状況だった。韓半島の地政学的特性を盛り込んだ内戦は結局、領域内国際戦争、米-中間戦争に飛び火した。これがすべての悲劇の根だ。こういう関係をどのように断ち切るのか、どのように国際的干渉から韓国が独立できるのかが相変らず重要な課題だ。戦争は韓半島を災難に追い込み、内的葛藤を深化させた。南北の葛藤と敵対感の原因をどのように説明するべきか。共産党と非共産党のようなイデオロギーも一つだが、歴史的伝統もある。韓国が外勢影響圏から独立するとしても、南北間のこういう敵対感を解消することが大きな課題になるだろう。

カミングス もしスターリンが38度線を提案し米国が同意したとすれば、皆が立ち上がりスターリンを非難しただろう。事実、誰とも相談せずに分断を作ったの米国だった。韓半島でも英国でもソ連でもなかった。ディーン ラスク(当時 国務長官)が緯度38度に定めたのは、米国側にソウルを含めなければならないという理由だった。皆が知っているように韓国はとても中央集中化された国だ。フランスのパリや日本の東京のような所だ。米国としては利益だと考えた。ソ連は書類として残っているものはないが理解した。するとラスクはこれが韓半島内の将来の協力のために良いサインだと考えた。したがって米国は分断に対しとても大きな責任があると見る。ソ連もそれなりの責任があるが、米国が先に提案したのだ。韓半島分断はいわゆる信託(trusteeship),すなわち米国とソ連が互いに共に行う統治を追求したルーズベルト政策にも外れることだった。ルーズベルトの死後、これを拒否したことが分断の種となった。私はわが国(米国)が自らたてた原則によりわが国を評価する。スターリンの原則ではない。スターリンが韓半島分断を望んだり、よく分からないが韓半島全部を望んだと仮定することはできる。だが、米国がもう少し熟慮したならば、悪夢となってしまったこの現実を防げただろう。なぜなら、分断が決定されるやいなや1〜2週間で南北はそれぞれの同盟と共に政府樹立に出たためだ。米国側は本当に考えのない(thoughtless)政策だった。それだけに米国はこの分断を解決しなければならない責任があるが、米国指導者らはそのような責任感を全く感じていない。

和田 米国の原罪を探してみようという私の長年の友人ブルースの考えに同意する。 (笑い)

カミングス (笑い)原罪というよりは、何か別の方法を悩んでみることもできたという意味だ。韓半島だけではなかった。マッカーサーの一般命令第1号はベトナム分断、中国分断だった。日本軍が蒋介石軍に降伏する地域と、共産党に降伏する地域とで分離政策を展開したり、ホーチミン軍の北ベトナムと南ベトナムのように一般的な分離は戦後のアジアで大概はしばらく続いた現象でもある。

パク 戦争の起源を形成した南北分断を、米・ソがその種を提供したことは疑いの余地がない。彼らは38度線合意、分割占領、分断国家樹立を主導しておき、何ら平和と統一の条件も作らないままに去った。葛藤の起源を定礎したわけだ。とはいえ韓国の人々の責任も小さくない。彼らは世界冷戦を国内冷戦に、より一層激化させ、ワシントンとモスクワよりさらに葛藤した。千年単一国家の伝統が全く無意味な程に理念的敵対が大きかった。私は韓国人としてこの点が最も深く反省されなければならないと見る。葛藤の条件は外から与えられるが、平和の解決法は必ず内部でも共に探さなければならないためだ。

和田 日本側も同じだ。日本はポツダム宣言(降伏勧告)を受け入れたが、沖縄降伏直後に受け入れたとすれば、ソ連は戦後交渉に絡むことができず、如何なる要求もできなかっただろう。

カミングス 原子爆弾(投下)もなかっただろう。

パク 原子爆弾、ソ連進軍、日本降伏、一般命令第1号など、一連の事件配列を見れば理性の奸計(cunning of reason)と言うより、やはり神の奸計(cunning of god)ではないかと思う。この時間配列によって2次世界大戦に何の責任もない韓国が日本の代わりに分断された。東アジアでは日本が戦争責任で分断されなければならなかった。ヨーロッパでのドイツのように。

和田 仮に日本が継続して戦い、数百万日本人の犠牲を決心したとすれば、米国軍事力は日本本土攻撃に集中しただろうし、ソ連は韓半島に下ってきて釜山まできただろう。そうしたとすれば、韓半島は統一された状態で、東ヨーロッパ国家のような運命を受け入れなければならなかったかも知れない。そのような脈絡(降伏時点が適切でなかったという点)で、日本には大きな責任があると思う。

カミングス 同意する。米国が日本を占領する際には、他の有力な同盟国家、特にソ連の参加なしにまるごと占領した。結局、ある面で韓国は犠牲になったわけだ。いつだったか、ある学生がなぜ2次大戦後に日本は分断されなかったかと尋ねたが、私は返す言葉がなかった。

和田 ドイツは分断されたが、日本はそのまま一つに維持された。もっぱら韓国だけが苦労したわけだ。

カミングス 韓半島内の日本軍指導部は、ソ連がくるのが恐ろしくて米軍がはやく来ることを願いもした。

パク では主題を変えて戦後60年間の韓国、北韓を語ってみよう。北韓は戦後初期には韓国に先んじたが、結局 韓国に経済、国際関係、民主主義、人権、福祉などほとんどすべての面で逆転されてしまった。50年代の北韓優位、60年代の均衡、70年代の逆転、以後の南北格差の急拡大…。私はこれを‘歴史的逆転’と呼ぶ。韓国は市民社会の民主化運動と挑戦を通じ独裁をはね除け、自己矯正ができた反面、北韓の持続的な独裁、閉鎖と軍事主義が深刻な問題を抱いていたと見る。

“第2の韓国戦争を阻むには南側の意志が決定的”

和田 北韓の発展は疑う必要なしに国家社会主義に基づいていた。これらは共産党ナショナリストであり、イデオロギーはソ連共産党に近かった。初期効果は良かった。災難的な戦争後だったが、すべての力量と資源を経済開発に集中することができた。しかし、ソ連社会主義が終焉を告げた今日から振り返ってみれば、国家ソビエト システムは戦時には適合するが、平時にはまともに作動できない体制という結論に至ることになる。ソ・ドンマンの研究によれば、1961年北韓でも国家社会主義システムを考案し、60年代末の北韓政治システムも国家社会主義に基づいていた。私は‘遊撃隊国家’と呼ぶが、このシステムは人民の資源と力量を活用するには有効だったが、発展できるという能力を見せることには失敗した。反面、韓国の発展の根は資本主義であった。朴正熙政権以降は軍事政府が主導したが、国家社会主義にとても近かったと見る。だが、他の世界にも開放し、国際関係を通じて資本、資源、現物などを交流したという違いがあった。権威主義が主導するシステムという点では似ていたが、南側は経済的に発展することができた。この差が北韓を怒らせ、(対立)状況は悪化した。

カミングス 軍事的発展はとても重要だ。南側は軍事独裁だったが、開放されており米国影響圏下にあったのでとても速く成長した。北韓の場合には、1940年代末に作られた時から軍はとても重要な存在だった。ソ連ではなく一次的に金日成と一致する組織であり、戦争を経ながら巨大になった。基本的に北韓の司令官らは去る57年間、南側と再び戦う準備をしてきて100万を越える規模の巨大な軍を持つようになった。‘国家社会主義’は明らかに経済的状況を適切に特徴づける用語だが、北韓は伝統的な観点で軍が最も支配的な組織である‘軍事国家’だ。金日成主席の死後の‘先軍政治’はこれを明示したわけだ。共産主義、国家社会主義、労働党などのような全てのものを取りはらうことはできるが、相変らず軍部は相手にしなければならない組織だと考える。北韓に韓国戦争が残した最も奥深い遺産は地球上で最も驚くべき軍事国家の建設だ。北韓の未来、崩壊、指導部崩壊などを語る人々が多い。だが、さらに金正日、キム・ジョンウン、キム・ジョンナム全てが消えたとしても、巨大な軍組織が絶対権力を放さないだろうという点を理解しなければならない。これが北韓と東ヨーロッパ衛星国家の差異だ。東ヨーロッパ側は軍の規模が小さくソ連の支援を受けてきた。どのように扱うべきかはよく分からないが、そのような軍組織を整えた北韓が完全に崩壊する可能性は希薄だと見る。北韓の変化や韓半島統一、どんな想像をしようが北韓の軍部は巨大な難題であり問題だ。

和田 1960年代末、北韓は国家ソビエトに基づき特別な政治体制遊撃隊国家を構築した。国家社会主義と軍事国家が結びつき、その中心は労働党だった。労働党は人々が熱心に仕事をするよう、調達可能な資源を効率的に稼動するようにしたが、このシステムが悪化した。金日成主席の死後、金正日は体制を変え‘正規軍国家’を作りたかった。軍の士気を利用しながら組織化し、経済体制を変えようとした。ところが必要条件は開放だった。新技術と新資本を持ってこなければならなかった。南側の朴正熙式だ。金正日が南側システムを輸入したかった訳だ。

パク そうだ。朴正熙方式が変形され北韓に現れようとした側面だ。

カミングス 中国式でもある。

和田 金正日は日本と外交関係を結び、経済協力を得ようとした。2001年共同社説は‘現代的技術による経済開建’について書いた。新聞は‘新思考’の必要性に対する記事も書いた。労働新聞は“我々の親愛なる指導者は新思考のチャンピオン”と伝えもした。必要条件は開放だった。外部から技術と資源、資本を引いてくるということだった。しかし日本は裏切り、金正日は失敗した。結局、軍だけがまともに作動した。

パク しかし冷戦解体にも関わらず北韓は何と20年も生存してきている。彼らの経済破綻および危機とは違う次元での解釈が必要な問題だ。東ヨーロッパとは違い、ソ連の衛星国家ではなかったという点が最も大きな要因であり、中国の後援も決定的だ。もちろん米国との敵対や韓国との競争、内部統制も重要だったと見る。

カミングス 前に話したように、軍部は国家維持にとって巨大な要素だ。90年代後半以後、飢謹と飢餓などの局面で生存戦略に深く介入し一般人に大きな影響を与えただろう。米国との外交関係も極めて重要な要素だ。1994〜2002年の間、外交は成功的であるように見えた。核プログラム凍結で米国から食糧を、中国からもいろいろ支援された。最近も外交はとても効果的な生存手段だったようだ。だが、基本的に息子から孫へ権力が続く‘遊撃隊国家’指導者は、強い反米・反日ナショナリズム指向を見せ、絶対あきらめようとしない。(西ドイツに吸収統一された)東ドイツのように、南側に受け取られなくする。今月初めに任命された中心人物は全て80代で、これらの老人的リーダーシップ(geriatric leadership)は頭の中深く強いナショナリズムで武装したまま(体制を)あきらめない姿勢と要約される。彼ら自身だけでなく家族の皆が(体制を)あきらめれば忘れられてしまいそうに感じるが、これらナショナリストが20年間執権している原因ではないかと考える。

和田 強力なナショナリズムは北韓体制動力の秘密だと見る。

カミングス 同意する。

パク その点は両面的だ。体制団結-維持 と 体制孤立-破綻 の同時要因であるためだ。

和田 東ヨーロッパは反対だった。東ヨーロッパのナショナリズムは反ソ連・親西側だった。北韓としては強力な軍事組織と同時にナショナリズムに基づき経済を開放することが唯一の道だ。

カミングス 何故やらないと考えるのか? ベトナムのように開放するものの、継続して統制をという方式でも十分に可能ではないか?

和田 米国と日本が拒否するためだ。金大中-盧武鉉時期に韓国だけが助けようとしたが、米国や日本との関係なしで南側だけで助けると出てくることは望まない。吸収統一が恐ろしいためだ。韓国の経済力や民主的力量はとても高く、北韓としては恐れるに値する。

カミングス 中国も北韓を助けたがってきた。中国が北韓を助けるということは20年前から予想できた状況だ。中国はずっと助けてきたし、北韓が崩れないよう支えたバラスト(ballast)の役割をしてきた。ワシントンではこれに対して驚いている雰囲気だが、驚くことではない。中国は敵対的な勢力と国境をあわせることを願わず、(中国)軍部内強硬派は今でも北韓が好きだ。

パク 現存する社会主義国家3つが東アジアに位置(中国、ベトナム、北韓)というだけでなく、これらが全て国家形成過程で米国に相対し戦った全面的な反帝戦争を遂行したという共通経験があるという点は注目すべき現象だ。ヨーロッパの社会主義は全て滅びた。国家建設と維持の動力として社会主義よりは東アジア民族主義を再び見なおさせる点だ。民族主義は学問や現実では真に難解な問題だ。

カミングス これら全てが反植民主義ナショナリズムに基づき成立した国だ。東アジア共産圏で唯一崩れたモンゴルは衛星国家だった。根が違った。

和田 これら3ヶ国は全て米国に相対して戦った。ベトナムは勝ち、米国と関係が気楽だ。唯一、北韓だけが外側世界から断絶した。

カミングス 誰かが、なぜベトナムは米国と親しくなったのかと尋ねたことがある。勝ったためではないか。勝てば怒りも消え恨も消えるのではないだろうか。

パク 公式には南北は停戦状況だ。戦後最長の韓半島安保問題としての北韓の核問題や最近の天安艦事件と韓国の戦時作戦権転換問題論議を見れば、停戦体制の平和体制への転換はあまりにも必須で至急だ。私はそのための課題としてこの間、4つのことを言ってきた。北-米 国交正常化、南北和解協力と武器縮小、停戦協定の平和協定への転換、北韓の非核化と民主化などだ。真に難しい問題だが、韓半島平和のために私たちが必ず行かなければならない道だ。

和田 平和体制は米-中、そして南-北の問題だ。こういうプロジェクトは韓半島非核化とは別個でなければならないと考える。これを一緒にすれば、どんな解決策にも達することはできない。平和体制が構築され、関係正常化(北韓-日本)も必要で、南北和解も必要だが、これらすべてのことは別々に進行しなければならない。この内、南北間和解を成し遂げようとするなら、韓国、北韓の人々が韓国戦争の開始に対する共感を得なければならない。共感なしで和解は不可能だ。すべて武力統一を試みたが失敗したということを認め、再発してはならないという共感を作らなければならない。これが和解の第一歩になるだろう。

カミングス 窮極的に同意する。どれほどかかるかは分からないが、真の統一のために北韓の民主化が必ず必要だろうか。10年間 持続した金大中の和解政策は20〜30年間は持続するものとして考案された。経済協力、民間協力、学者交流などを続け、結局一つの国旗の下に一つの国を成し遂げるが、北側に一種の地方自治を許容する。40年後の最終段階には北側地域政府が民主化するという計画だ。これらすべてのことは可能で、10年前にはそちら側に動いていた。だが、北韓民主化だけを待っていて何もしなければ何も得ることはできない。完全な緊張緩和、米国との関係正常化、戦争終息、長期的和解などがなされるなどの脈絡の中でのみ可能だ。そうなると北側住民たち自らが南側のような民主化が必要だと考えることになるだろう。北韓が民主化しなければ統一できないというのは、北韓が消える時まで統一しないということと同じだ。統一に至っていない段階でも本当に多くのことができるというのが、金大中の知恵だった。そして多くの面で成功したと見る。

和田 北韓民主化は北韓に要求することではない。自然な発展が可能なようにしなければならない。もちろん、北韓のような国では強力な指導者の死亡が変化の契機になるが、死亡を祈ることはできないことだ。金正日の強力な執権に期待しながら彼と交渉しなければならない。それが進展だ。性急な民主化は混乱を招くことになる。最も重要なことは、韓半島の平和、北韓の平和だ。これが必要条件だ。

パク 戦後、非常に多くの人々が第2の韓国戦争の可能性に言及してきた。政治家、学者、言論人、市民を問わず、理念的政治的動員のためにそのように言ってきた。ところが、私は韓国戦争以後、韓半島に第2の韓国戦争は構造的に想像自体が不可能なことだったと主張してきた。多くの資料もこういう解釈を後押ししてくれると信じる。今の経済、軍事、世界対面水準に照らし現在はより一層その可能性が低いと見る。

和田 (頭を横に振りながら)そんなことはないだろう。南側の人々が2回目の戦争を望まない限り、戦争は起きない。私が見るには南側の人々の意志が決定的だ。

カミングス 想像できないと思う。戦争が始まって60年が過ぎて、両側は武器を発展させた。北側は核兵器を、南側は高性能装備を、そして米国は全てのものを持っている。戦争が起きるならば、とても破壊的であって、誰も得るものがないだろう。日本も多分介入することにならないだろうか。

和田 もちろんだ。

パク 今日に関する問題に移ろう。期待が高かった米オバマ行政府の対北韓政策に対する失望の声が高い。北韓の核問題、6者会談、北-米関係…。ほとんど全てのものが詰まっていて理解できなくなっている。私もやはり相当に失望している。なぜこのように積極的解決意志と政策を見せられずにいるのか。

和田 対北韓政策はとても残念だ。もう米国への希望を失った。日本の専門家たちは常に米国が北韓に対して何らかのアクションを先に取ることを期待している。それでこそ日本も動くことができるという意味だ。今は日本が自主的に動かなければならない。だが、オバマ政府が軍事的動きを韓半島で取りはしないと見る。適切でもないし可能でもない。

カミングス オバマ政府に対する失望には同意する。2000〜2006年のブッシュ行政府の政策が続いている。ジョン・ボルトンが背後にいた非核化、安保イニシアチブなど、いわゆる‘PSI’談論と違わない。これを北韓に適用するだけのことだ。とても残念だ。しかし北韓にもオバマ行政府との悪い雰囲気を助長した面もある。昨年4月の長距離ロケット発射や韓国殉国烈士の日だった5月25日の核実験などは、オバマが「げんこつを開けば握手する」と言った後に起きたことだった。北韓としては役に立たない仕事をしたわけだ。特にオバマ政府が解決しなければならない課題が山積していた状況を考慮すれば、より一層そうだ。今まではとても不運な状況だったが、最近オバマ側に10年前の対北韓政策資料が伝えられたという話が国務部から出ている。2000年末にあった(計画・施設の)凍結、ミサイル除去、関係正常化などに関する話だ。国務部にその方向に動きたい人々がいるという意味だ。この間、北韓に対しては大統領が提示する特定の方向が提示されていないようだ。方向を提示したのはヒラリー・クリントン国務長官だった。韓国海軍が実施する西海訓練に米軍が参加するのか(飛行機を送るのか)有無を巡り戦っているという報道を今日読んだ。大統領が決定しなければならないが争っている格好だ。ブッシュ行政府もずっとそうだった。北韓に対し強硬派と穏健派がずっと争っていた。オバマが注意を注いで政策を統制することができるようになることを願う。‘10年前の未来’に戻るように推進することを希望する。

パク 6者会談中止、開城工業団地萎縮、金剛山観光中断、天安艦事件など悪化した今日の南北関係はどのように解決すれば良いのだろうか? 短期的には道が見つからない。この程度まで後退するとは思わなかった。出口がない。平和を熱望する韓国市民として本当に苦しいと言うしかない。李明博政府は金大中-盧武鉉政府の産物である開城工業団地の存在が南北対決と衝突を防いだという構造的要因から見習ったら良いだろう。出口は結局、南北首脳会談と南北対話復元、6者会談再開、北韓-米 対話再開、この3つだと考える。

和田 多少悲観的だ。天安艦に関連して、ひとまず調査団の調査結果として北側が攻撃したと結論付けた声明を出した以上、李明博大統領は戻ることはできない。北韓は認定もしない。現時点では南北関係は悪化した状態で留まるほかはない。状況を適切に調節し最悪に駆け上がらないようにすることが必要なだけだ。外国が南側政府を助けるべき時だ。日本政府が新しい肯定的な接近法を試み北韓説得に出なければならない。

カミングス 膠着状態だ。去る6・2地方選挙を見れば、李明博政府はすでにレイムダックだ。北韓も現政権とは共助しないだろうし、次期政府を待つといった状態だ。したがって数年程度はそのまま今のような膠着状態が続くと見通すことができる。米国が北側と6者会談や直接交渉を通じてこれを破ることはできる。そうなると李明博政府も反対せずについて行くと考える。日本政府もこれを支持するだろう。オバマ行政府が試みるならば膠着はこわれうるが、そのようにするかは分からない。

パク 私は人間の情熱と理性を同時に信じる楽観主義者だ。特に巨大な悲劇を体験した人々の知恵を信じる。私が韓国社会を批判しながらも愛する理由だ。生涯を通じて永らく韓国問題を見守ってきた専門家として韓国と自国に対する知恵と省察の話を望む。

和田 私は韓国の人々が状況をありのままに冷静に理性的に理解する能力があると信じる。こういう信頼はずっと堅持している。日本政府は今秋に新しい対北韓政策を始めることを願う。日本社会も併合100周年の歴史をよく見直し、北韓に対する理解を変え政府を助けるようになることを願う。

カミングス 例えば、真実委(真実・和解のための過去史整理委員会)は南北葛藤と左右葛藤の中でお互いに対し、または両側に対してよく理解できるようにしたし、これは韓国戦争以来、最高の努力だったと考える。これを追求しながら韓国社会に冷静ながらも現実的で役に立つ態度を培養したと考える。米国もこれ以上、問題を起こすばかりではなく、韓国関連史を理解し助けを与えようと努力するような関心が生じることを願う。

パク 戦争60周年をむかえる今日の特別対談が、平和と和解の観点で韓国問題を見るのに役に立つことを期待して希望する。過去の悲劇は私たちの蒙昧を覚ます理性の通路であるためだ。韓国市民として私は韓国の悲劇が今後、韓国と東北アジア、世界平和に向けた知恵の資料になることを願う気持ちだ。そのような場合、韓国人は経済と民主主義発展に劣らない平和創造を通じて世界に貢献できると信じる。

整理/キム・ウィヒョン,チェ・ウォンヒョン記者 circle@hani.co.kr

 

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コメント
 
01. 2010年6月27日 16:52:47: FqDvXxU8vI
そもそも、現状を冷戦で説明しようとするから、無理があり過ぎ矛盾を内包した侭で語られない真実が幾つも眠り続ける。
右翼神話である冷戦の語を外して見ると世界はとても平明だ。
但し、其れには麻薬経済や戦争経済と言った、右翼が決して表沙汰にしては口に出来ないが実にどっぷりと漬かっている「タブー」をも語らなければならない。
麻薬経済では(旧日本軍がベースを敷いた)北朝鮮も米英イスラエルも地続きで、そも絶対的な対立など存在しないのだが、しかし米国式資本主義の理屈は其処でも健在で、南米に新興勢力としての「投資」と「見返り」に因る「安さ」を求めたから、北朝鮮が1980年代後半以降「浮き上った存在」に近くなってる。
とは言え、老舗としての看板は流石で、今もイスラエルは戦争前に買い付けで沖貿易しに来るし、時々北海道の漁船を轢いて通る。
それら裏事情をあから様にしたくないが故の、右翼神話「冷戦」だし「拉致問題に於ける家族会の強硬姿勢〜制裁一辺倒で話し合いなどするな!口が腐る!〜」だ。
利権に奉仕する存在とは、見る位置さえ変えれば実に定点観測し易い。

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