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A級戦犯に海軍軍人がいないのわなぜですか?、教えてgoo(それは、海軍に米国のパシリがウヨウヨしていたからだと思います)
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/125.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2010 年 12 月 23 日 12:03:04: 4sIKljvd9SgGs
 

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1657596.html
A級戦犯に海軍軍人がいないのわなぜですか?
役に立った:7件
質問者:kodon 投稿日時:2005/09/18 20:28 困り度:
陸軍大将等は沢山処刑されましたが海軍軍人で東京裁判で起訴された人はいないと思いますが、事後法でも起訴する方法がただたんにみつからなかっただけなのですか?適当な解釈があれば教えてください。

質問番号:1657596

この質問への回答は締め切られました。

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参考になった:0件 No.15
回答者:reny 回答日時:2005/09/19 20:26
極東裁判について一言二言書き加えておきます。

マッカーサーをフィリピンのバターン攻略戦で破った本間雅晴中将は銃殺刑にされましたが、処刑の日時は昭和21年4月3日午前0時53分。4年前にバターン第二次攻撃を命じたその日その時刻が選ばれています。

本間中将は死の前に「私はバターンの責任を取って殺されるが、広島や長崎の無辜の市民の死はいったい誰の責任なのか」と語っていました。

極東裁判が単なる復讐劇以外のなにものでもないことと、日本への原爆投下だけでなく、ベトナムでの枯葉作戦やイラクでの劣化ウラン弾の使用など、政府が力関係の上で述べることができないことでも、私たちはそれがアメリカという国の戦争犯罪である、と言う認識は持っていた方が良いと思います。

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この回答へのお礼ありがとうございます。本間中将はそのように処刑されたのですか、A級戦犯の処刑を天皇誕生日にしたり、復讐のための裁判だとゆうことを如実にしめしていますね。このようなやりかたは中国人もアメリカ人もおなじですね。


参考になった:0件 No.14
回答者:10pph 回答日時:2005/09/19 15:52
東京裁判の適用範囲は単に対米英戦ではなく、
1928年から1945年に至るまでの平和に対する罪と共同謀議(A級戦争犯罪)、それと通例の戦争犯罪及び人道に対する罪(BC級)が対象です。

少なくとも、ノモンハン事変や張鼓峰事件、フランス領インドシナに対する侵略には海軍は関わっていないです。

大陸での出来事が多いので、被告に陸軍のものが多いのは仕方がないと思います。

それから、絞首刑になった7人のうちの一人の松井石根陸軍大将は南京虐殺事件の責任を問われて有罪になっていますが、本来であればこの罪はB級戦争犯罪でA級ではありません。この事件の責任は実行部隊の連隊長が負うべきものですが、連隊長は皇族であったため、その罪をかぶってのものとなっているようです。

ソ連の検事にいたっては、1928年から1945年の範囲を逸脱して、日露戦争に関する陳述まで行っているのには、呆れます。
日ソ中立条約を違反して宣戦布告した事を他の事実で覆い隠そうとしたとしか思えません。

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この回答へのお礼ご回答ありがとうございます。ソ連がそのようなことを言っていたとはしりませんでした。かって有色人種に負けたことは許せないことでしょう。


参考になった:0件 No.13ベストアンサー20pt
回答者:tanuki4u 回答日時:2005/09/19 13:59
あえて、皆さんと別意見。
添付書籍は、元陸軍の方が書かれた、海軍主犯説です。
この本を読んで、私の意見を書くならば。

海軍は戦前からアメリカと交渉チャネルがあったが、陸軍は仮想敵がソ連であり、中国であったため、アメリカとのチャネルが少なかった。実際には陸軍は自分のチャネル(中国やソ連)と和平交渉をしておりました。
また、陸軍には、検察側に都合のいい証人がいたこと
http://taiwanx.exblog.jp/i5

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334933076/ref=ase_mixi02-22/250-1440357-0875447

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この回答へのお礼ご回答ありがとうございます。私も貴方のような解釈のしかたもあるのではないかと考える一人です。戦後海軍はよく戦ったように語られているが、陸軍はアッツ島に始まり沖縄まで全島玉砕し、バターン、インパール等評価できないものが多く語られ、マレー半島攻略戦、インドネシア攻略戦あまり語られることがないような気がします。海軍は海戦時より敢闘精神で司令官は戦っていたか疑問だとおもいます。真珠湾攻撃のとき軍事施設を攻撃対象から外していたこと、出港中の空母捉をえようとしなっかたこと、珊瑚海海戦で追撃線をやらなかったこと、ルンガエン湾に戦艦武蔵の突入をあきらめ途中反転させたこと、決定的なことはミッドウエー海戦です、司令官が指揮した海戦はすべて中途半端な海戦です。ガ島攻防戦で大和、武蔵も参加させず充分な補給も行わず、陸軍将兵を餓死させ、南方諸島を占領したのは石油その他物資の補給が目的であったはずなのに、その航路の警備をおろそかにしていたとしかおもわれない。米軍潜水艦の餌食になった船がいかにおおいか。あれだけの駆逐艦をもちながら輸送艦の護衛ができなっかたことはふしぎでならない、その結果最後には特攻戦を若者にやらせてしまうことになったのではないか。大本営発表も陸軍は嘘はなかったとおもうが、海軍はミッドウエイ海戦いごほとんど嘘を発表していたようだ。戦艦大和も零戦も国民が知ったのは戦後のことで陸軍隼戦闘機のように歌まで作って宣伝していた。戦後陸軍は全く評価されないようなきがするが、米軍にはなにか陸軍に心理的に恐ろしさ感じたが、海軍には弱さを感じていたのではないか、と言ふのも海戦時太平洋で米英以上軍艦を保持しながら将官が指揮した海戦で勝利したのはないとおもいますが間違いですか?


参考になった:0件 No.12
回答者:10pph 回答日時:2005/09/19 00:50
陸軍出身で戦後、国会議員になった人はいました。

辻政信中佐:ノモンハン事変の首謀者、ガダルカナル島作戦の命令者

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この回答へのお礼ご返事ありがとうございます。辻政信が国会議員だったとわ知りませんでした。


参考になった:0件 No.11
回答者:10pph 回答日時:2005/09/19 00:28
10番の回答に補足します。
中曽根首相のような軍歴を持った人は多くいます。
軍隊もしょせんは学歴社会でした。
大卒者は短期間の訓練を受けただけで直ぐに少尉になってしまいます。
尉官から上を将校と呼びますので、大卒者はだいたい将校になってしまいます。
学徒出陣のあの学生達も、訓練を終えて戦地に送られるころは少尉だったのです。

高級将校で政治家になった人は源田実ぐらいしか思い浮かびません。
職業軍人から自衛隊幹部を経ての国会議員だからはじめっから政治を志していたわけではないと思います。
これはレアケースです。

多くの将校は部下を死にいたらしめた結果をもって、とても国家の行く先を左右する政治家にはなる資格がないと自覚していたでしょう。

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この回答へのお礼ご返事ありがとうございます。


参考になった:0件 No.10
回答者:10pph 回答日時:2005/09/18 23:06
東京裁判では、海軍軍人から、嶋田繁太郎、永野修身の2名が起訴されています。
永野修身は裁判中に獄中死したため、最終的な判決はありません。

また東京裁判とは別にGHQ裁判というものが行われており、豊田副武海軍大将(連合艦隊司令長官)が起訴されていましたが、1949年9月6日に無罪判決がでています。

そもそも、A級戦犯が28名起訴されたのは、裁判会場に被告席が28しかなかったためというのが通説です。
そのため、ソ連の横やりで当初は予定に無かった重光葵と梅津美治郎を加えたため、阿部信行元首相と真崎甚三郎陸軍大将が外されています。

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この回答へのお礼ご回答ありがとうございます。戦後海軍軍人で政治家になった人はたくさんいますが、陸軍軍人で政治家になった人がいないようなので、戦犯裁判が関係しているのかな、と思ったものですから。靖国分嗣問題の張本人の中曽根元総理も終戦時たしか海軍主計中尉だったようにきおくしています。


参考になった:0件 No.9
回答者:buchi-dog 回答日時:2005/09/18 22:21
まず、「海軍軍人で東京裁判で起訴された人はいないと思います」は事実誤認です。

海軍大将で海軍大臣・軍令部総長を務めた嶋田繁太郎氏は、東京裁判においてA級戦犯として起訴され、終身刑を宣告されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6

また、「都市を占領して市民を殺戮するとか、捕虜を虐待するとかの機会が海軍の上級軍人にはほとんどありませんでした」も事実誤認です。

多数の海軍関係者が、各地で行われた戦争裁判でB級戦犯・C級戦犯として訴追され、刑罰を課せられました。

ちなみに、ソ連は関東軍等を武装解除してシベリアに拉致し、その地で戦犯裁判を行いました。その際、「ソ連に対する敵対行為」を理由に、「ソ連の国内法に基づき重労働20年」等の判決を受けた人が多数いました。A級戦犯に対する東京裁判は一応裁判の形式を整えていましたが、他の戦犯裁判というのは、そうしたいい加減なものでした。

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この回答へのお礼ご回答ありがとうございます。ソ連も米国もいかに野蛮国で戦争に勝ったらなんでも出来る思っていたかがよくわかりました。


参考になった:0件 No.8
回答者:newtype4702 回答日時:2005/09/18 21:34
http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub3-6.html

 補足ですが山本五十六などの主だった海軍の軍人は、アメリカの日本大使館に「駐米武官」として赴任した経験があり、日米の国力差を熟知してしたためアメリカとの戦争には「反対」もしくは「勝ち目がない」と冷静に考えている人が多かったようです。←これで「戦犯」にされてしまったら、ちょっと可哀想な気がしますが。ご存じなければ、井上成美・山口多聞などを検索してみてください。「海軍・駐米武官」でも探せます。
 ただハル・ノートや陸軍の発言力に押されて、開戦阻止は難しかっただけではないでしょうか。でも海軍軍人は知性を感じられて、私は好きです。
 大西瀧治郎海軍中将についての評価は微妙ですが。次のページを参考にしてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%

参考URL:http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub3-6.html

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この回答へのお礼ご回答ありがとうございます。いずれにしろ罪人ではないはずですね、なぜ小泉首相はかれらにたいして、罪を憎んで人をにくまず、などよくいえたものですね。


参考になった:0件 No.7
回答者:ipa222 回答日時:2005/09/18 21:34
アメリカに降伏する処理を行ったのは海軍と一部政治家です。
彼らは天皇を巻き込むことによって非常に困難な仕事を成し遂げました。
それを妨害した陸軍が主として戦犯になったのは当然と言えば当然です。

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この回答へのお礼ご回答ありがとうございます。日本国として敗戦責任の総括をしなければならないとおもいました。


参考になった:0件 No.6
回答者:w210 回答日時:2005/09/18 21:10
これはわたしの個人的な意見です。

東京裁判は戦争を始めたことと、その指導に対して責任を問われたように思います。A級戦犯ですね。それまでは戦争裁判は戦争責任を問わないのが通例だったのにこれは今でも議論の的になっています。

海軍は一環して戦争そのものに反対していました。陸軍がドイツに傾倒し三国同盟を結ぼうとしていたときに海軍は指導者たちが反対しましたからね。海軍はイギリス海軍を手本にして発展した経緯もあり、考え方もリベラルと言われました。米内光正、山本五十六、そして最後の大将と言われた井上成美。この3人が特に有名です。最後まで反対しましたが、暗殺を恐れて政治から現場へ山本が移り、人事異動で米内と井上が去ったあと同盟が結ばれてしまいました。このあたりの経緯と後の戦争指導がA級戦犯には該当しない、と判断されたのだと思います。
海軍主導でのA級と思われる犯罪行為は、
・真珠湾奇襲
・特攻戦法の実施
くらいでしょうか?
この責任者は山本大将と大西瀧治郎中将ですが、ともに戦死または自決しています。このそれぞれの実践部隊の指揮官だった南雲中将と宇垣中将もともに死んでいます。
戦争で最も消耗したのは海軍で主な人物はほとんど死んでますからね。それに引き換え陸軍は末端の兵士ばかりが犠牲になっているので主導者がたくさん生き残りましたね。もうひとつ、天皇を裁かないということを決めていたので、その引き換えではないですが、陸軍将官はかなり裁かれていますね。
事実、陸軍の指導はかなりお粗末でインパール作戦などは作戦とは言えないほどお粗末で兵站を無視したため大勢の兵士が戦わずして死にましたからね。陸軍にはあまり全体を見渡して指導した人はいなかったように思います。米軍には海軍は評価されたけど、陸軍は戦争責任の対象としてしか見えなかったのかも知れません。

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この回答へのお礼ご回答ありがとうございます。陸軍のインパール作戦にかんしては、インドのチャンドラボースの要請で、実施した作戦でインドでは感謝されているとゆうことを最近本で読んだことがあり、日本でいわれているように何の価値のない作戦でわなさそうです。


参考になった:0件 No.5
回答者:cubics 回答日時:2005/09/18 21:01
A級戦犯は「平和に対する罪」ですから、戦場における個々の犯罪ではなく、それを指揮した者に対しての起訴ですね。
ですので、No.1 さんのおっしゃるように、政治の中枢にいて戦略を決定する立場の者や、戦争遂行を煽った者に限られています。
捕虜虐待や残虐な戦闘行為については、A級には該当しませんが、それに責任のある指揮官はA級戦犯とされました。
陸軍出身者が内閣を初めとして、当時の日本の戦争遂行に深く関わったこと、残虐な戦闘行為は陸軍が関係する戦闘と不可分な関係があることなどにより、結果として、陸軍関係者が多く、海軍関係者が見当たらないということになったのでしょう。

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この回答へのお礼ご回答ありがとうござます。ただ貴方がおっしゃられる残虐な戦闘行為とはどうゆうことかぞんじませんが戦闘員どうしで戦って残虐でない戦闘などあるはずがありません。非戦闘員の殺傷は残虐以外なにものでもないと思います。


参考になった:0件 No.4
回答者:daikon2002 回答日時:2005/09/18 20:58
当時、日本の主導権を持っていたのは陸軍でした。組閣も陸軍出身の軍人の方が多いです。また、中国侵略を率先してやったのも陸軍です。海軍は主に海戦だったので戦犯に当たる行動は出来なかったのでしょう。
もし、真珠湾攻撃を考えた山本五十六が生きていたら戦犯になっているかもしれませんね。

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この回答へのお礼ご回答ありがとうございます。山本五十六がもし生き残っていたらおそらく八つ裂きにされたでしようね。


参考になった:0件 No.3
回答者:chico-is 回答日時:2005/09/18 20:53
及川大臣 井上清美 山本五十六が海軍の三羽がらすとも言われていましたが、戦争に成るとして三国同盟反対を一度は成功させました。

海軍は戦争の開戦阻止に全力でした。
その為に開戦の指導者がいないためにA級では裁けませんでした。
BCきゅうはNO2さまのご指摘通りだと考えます。

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この回答へのお礼ご回答ありがとうございます。


参考になった:0件 No.2
回答者:old98best 回答日時:2005/09/18 20:42
主な理由は、A級戦犯になるような戦争犯罪を起こす機会が無かったという事だと思います。
都市を占領して市民を殺戮するとか、捕虜を虐待するとかの機会が海軍の上級軍人にはほとんどありませんでした。
爆撃で市民を殺傷した戦争犯罪は、それを訴追すると連合軍の方が同じ事をもっと数多くやっていることが追求されてしまうので、東京裁判では訴追しなかったようです。

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この回答へのお礼ご回答ありがとうございます。あまりふかく考えることでわないようですね。


参考になった:0件 No.1
回答者:6dou_rinne 回答日時:2005/09/18 20:42
まずひとつは海軍は海軍固有の問題はともかくとしてあまり政治の中枢にはかかわらなかったのでそういう面では該当者がいなかったということです。
また海軍がかかわった大規模な一般人の虐殺や違法行為もなかったのでそういう該当者もいなかったということです。
ただ、戦争で戦ったと言うだけでは戦争犯罪ではありませんから。

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この回答へのお礼ご回答ありがとうございます。あまり特別ないみもなさそうなことがわかりました。
 

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