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革命の指導者」で始まり「革命の対象」となったカダフィ かけはし
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投稿者 ダイナモ 日時 2011 年 3 月 24 日 21:39:00: mY9T/8MdR98ug
 

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韓国はいま

「独裁の達人」の42年執権の秘法と没落のコード


 驚くなかれ42年、長い歳月だ。リビア最高指導者ムハマル・カダフィ(69)はこの長い期間、いかにして独裁の刃を振り回すことができたのだろうか? 「卓越した」能力だ。エジプトのホスニ・ムバラク大統領も長期執権をしたけれども30年にして追い払われた。42年間、執権した「独裁の達人」、カダフィの「独裁の秘法」は醜悪だ。

包装されたエセ民主主義

 まやかしと愚弄とは独裁の達人の最大の秘法だ。彼は「カダフィ式社会主義」を目指す独特な理想的政治、経済体制を提示した。1977年に発表したいわゆるジャマヒリヤ(Jamahiriya)、つまり大衆執権民主主義だ。代理人や中間者なしに直接に国民権力の実行が可能な「イスラムを土台とする大衆直接民主主義」によって包装されたジャマヒリヤの核心は大衆会議と国民委員会だ。すべての国民が一種の拡大された班常会(韓国における行政組織の末端単位、日本のかつての隣組のようなもの)または地方自治会のような組織に参加し、委員会がその結果をカダフィのところまで伝達し施行する。このような政治思想は1976〜78年にまとめられたカダフィの政治思想書〈グリーンブック〉に示されている。
 この本で彼は国民権力を強調し、完全平等主義、労働賃金の廃止、土地の制限的私的所有など理想的政治・経済体制を描いている。カダフィは現世界のすべての政治制度は「互いに対立する統治機構間の権力闘争の所産」だと見なす。議会は「国民に対する虚構的代表機構」、政党は「新たな独裁的統治機構」、政党政治は「民主主義の仮面をかぶった詐欺的茶番劇」などと考えた。国民投票制は賛成または反対のどちらかひとつだけを選ぶことができるとの理由で「最も抑圧的かつ独裁的な制度」「民主主義に対する詐欺」だと批難する。
 けれどもジャマヒリヤは当初の意図がどうだったにせよ現実的にはカダフィにすべての権力を集中させ、独裁を拡張するのに最適な制度だった。パク・ヒョンド明知大・中東問題研究所責任研究員は「民意が収れんされて上向式に展開されるというよりは、統治者であるカダフィが指示すれば大衆は承認する役割に満足する下降式制度へと転落した」のであり、「代議民主主義の弊害を補完するというよりは、むしろ全体主義へと仕立て圧制者の道具として利用した」と批判した。
 チョン・サンニュル明知大・中東問題研究所研究教授も「政党もない議会もないカダフィのひとり独裁体制を大衆の直接民主主義として合理化した」し「権力のけん制と均衡、自由権など最小民主主義を実現させられない状態で、分配の正義など最大民主主義を実現するというもので、カダフィはけん制を受けない権力であり、リビアは権威主義的警察国家であるにすぎない」と批判した。
 〈グリーンブック〉は一方ではコメディ劇だ。このような一節もある「女子は女性であり、男子は男性だ。産婦人科の医者によれば女子は毎月月経がある一方、男子は男性であることから生理を伴わず生理痛もない」。リビア人たちは、このような〈グリーンブック〉を大学卒業の時まで、くどくどと暗唱するという。

部族間を分断し対立を煽る

 分離統治は帝国主義諸国家がアフリカ植民統治の時代に使った常套手段だ。そのよくない作法をカダフィは学んだ。1951年の独立以前にリビアは3つの地域に分かれていた。ソ・ジョンミン韓国外国語大・国際地域大学院の中東・アフリカ学科教授は「韓国人は理解しがたいが、リビアでは都市化されている今も部族による忠誠心が国家に対する忠誠心よりも強い。中央政府が部族の影響力を克服できない所が多い」と説明した。
 ベドゥイン遊牧民の後孫であるカダフィは海外訪問の際、ベドゥイン伝統の天幕設置にこだわる。カダフィはこのような強力な部族主義を活用して14大部族、全部で約500の部族の間に葛藤を助長し、グループ分けをしながら国を統治した。カダフィは支持する部族には資金や武器を支援するかわりに、反対の部族には徹底した弾圧を行った。
 もちろん要職は自らの部族であるカダファ部族が占めた。米国外交協会(CFR)ロバート・デニン専任研究員は「部族間の葛藤のせいで、抵抗勢力がひとつに団結してカダフィに対決することが難しい状況だ」と指摘した。このためにエジプトやチュニジアでは軍部が大統領退陣のカギを握ったものの、リビアでは主要部族がカダフィを支持するのかどうかがカギだ。
 この間、抵抗している部族は厳しく報復された。1993年10月、リビア最大の部族であるワルファラ部族が自身を除去しようとするやいなや、カダフィはワルファラ部族の多くの指導者を処刑した。ワルファラ部族は1990年代中盤以降、権力から排除されたし、この部族の土地から石油が大量に生産されるが、その恵沢は回って来なかった。カダフィはリビア第2の都市である東部のベンガジを根拠地とするワルファラ部族やチュワヤ部族の忠誠を引き出すよりは西部のトリポリを新首都に定め、東部をなおざりにした。東部で反政府デモが始まったのは異常なことではない。
 ベンガジはイタリアによる殖民支配当時、オマル・アルムクタルが革命を指揮した後に処刑された所で、抵抗精神がそもそも高かった所だ。リビアの反政府デモは、おろそかにされていた東部のワルファラ、チュワヤ部族中心の反政府デモに対抗して、リビア西側に基盤をおくカダファ部族やマガリハ部族が対決する様相で展開された。これをめぐってアラブ衛星放送〈アルジャジーラ〉は2月23日、「カダフィが撒いた通りに刈り取っている」と指摘した。

国民の反西欧感情を活用

 カダフィは西欧が育んだグエムル(怪物)だ。1969年9月1日、カダフィは国王イドリス1世が病気治療のためトルコの保養地に行った隙をついてクーデターを起こし、無血革命に成功した。
 リビアは1911〜43年に及ぶイタリアの植民地を経て、1951年に独立国家として発足したために、カダフィが西欧の支持を得ていたイドリス国王を追い出し、イタリアの戦没軍人の遺骸除去、石油の国有化、米国および英軍基地の閉鎖などに踏み出すと、リビア人たちは歓呼した。カダフィは石油の国有化などによって稼ぎ入れた収入を住宅や医療など福祉関係に投入した。
 カダフィは国民の反西欧感情を思いっきり活用しつつ、西欧と「一線を画している」指導者として自身を包装した。カダフィは、王政を打倒して共和政を樹立したアラブ民族主義者カマル・アブデル・ナセル・エジプト大統領を英雄として崇めつつ、民族主義的アラブ統一運動を主唱した。いわゆる「汎アフリカ主義」を掲げ、それは失敗しはしたものの、リビア、エジプト、シリアを連邦国として作りあげようとする試みを行った。パク・ヒョンド責任研究員は「エジプト・ナセルの革命を見て革命を夢見ていたカダフィが、エジプトから吹いてきた市民革命によって危機に追いこまれるだなんて、アイロニーだ」「彼は革命を輸出するという誇大妄想にとらわれ、国をダメにした指導者だった」と指摘した。
 米国は、カダフィが自身を西欧に抵抗する指導者として包装する口実を提供した。1986年、米国は西独の米軍将校クラブで起きた爆発事件によって米軍人が死亡すると、リビアを背後勢力と見なした後、爆撃を敢行した。この時、カダフィの養女など民間人200人が亡くなった。カダフィはその報復として1988年にスコットランド・ロッカビ上空の旅客機爆破事件をひき起こし、米国人189人など270人の命を奪った。
 カダフィは時として西欧が差し出した手を握った。2002年に対テロ分野で米国と共助しはじめた後、03年には大量殺傷兵器の開発放棄を宣言し、04年9月に米国は貿易の制裁を解除した。04年、トニー・ブレア英国首相(当時)は「リビアが西欧とあついパートナーになるとともに全世界が利益を手にするだろう」と語った。以後、英国はリビアで英国産のミサイルおよび防空システムの販売、石油および天然ガスの探査権などを確保した。
 07年12月にはベドゥインのテントがパリに設置された。リビアには原子炉、淡水化工場、エアバス旅客機21台などを販売する約100億ユーロ分の取引がなされた。08年にカダフィが核兵器の開発を放棄すると明らかにし、ロッカビ事件の遺家族たちに18億ドルを補償した後、コンドリジャ・ライス米国国務長官(当時)はカダフィが39年間、鉄拳統治をしていたリビアを訪問して握手した。その年、シルビオ・ベルルスコーニ・イタリア首相は植民統治に対する賠償を申し立て、リビアに25年間、50億ドルを投資することを約束した。同年、カダフィは黒いサングラスをはめ特有の衣装をまとって、イタリアで開かれた主要8カ国(G8)首脳会議にアフリカ連合(AU)議長の資格で出席した。09年9月には米国を初訪問し、国連総会で長広舌をふるう機会を得た。
 ディビッド・キャメロン英国首相は今年2月22日のクウェート議会での演説で「過ぎる数十年間、英国などは(中東地域の)安定のために統制力を持った政権が必要で、改革・開放は地域の安定を脅威におとしいれるという理由で我々の利益と価値との間で選択をしてきた」のであり「我々は時々このような計算をしたということを率直に認めなければならない。間違った選択だったことを明らかにする」と語った。米国などが民主主義を掲げながらも、国益のためには独裁者と手を握ってきた代価をリビア人たちが支払ってきた。

親衛軍事組織や傭兵を強化

 カダフィ大佐だ。リビアには少将も大将もいない。彼はクーデターで執権した後、自分より高いすべての階級を廃止し、潜在的クーデター勢力を除去した。エリート階層反対勢力の成長も、その芽を摘んだ。〈CNN放送〉は、このために「エジプトは制限的な抵抗組織、言論の自由、集会の自由があって、ムバラク追放に決定的な役割を果たしたが、リビアはカダフィが絶対権力を行使したために対抗組織がない」と指摘した。正規軍は4〜7万人だと伝えられている。だがカダフィのカダファ部族が主要な地位を占める。米国ブルッキングス研究所は「エジプトとは違って、リビアは軍隊が国家を維持するのに必要な結束力や統一性を持ってはいない」と指摘した。リビアで一部の軍人がデモ隊に合流したにもかかわらず大きな影響を及ぼしていないのも、このためだ。
 その代わりに、カダフィは親衛軍事組織を育てた。革命委員会の指示に従っている革命守備隊は5千〜1万人と伝えられる最精鋭の部隊を養育した。約12万人規模と伝えられる保安軍や民兵隊は、自身に忠誠を誓う息子や核心的側近が指揮する。7番目の息子カミスの「カミス旅団」も革命守備隊の所属で、デモ隊に対する武力鎮圧に乗り出した。米国戦略国際問題研究所(CSIS)は「民兵隊が正規軍を統制し、カダフィの安全について責任をもっている」と語った。
 傭兵たちもカダフィを支える。チャド、ニジェールなど、アフリカ出身の傭兵によって構成された「イスラム汎アフリカ旅団」所属の2500人はカダフィ親衛勢力とともに反政府勢力と対決した。ソ・ジョンミン教授は「リビア人たちは自己の部族に対するプライドが強い上、カダフィが外国人傭兵によってデモを鎮圧するとともに、各部族がそれを許しがたい状況へと作りあげた」と語った。
 問題はカダフィが退いた後の対案勢力が存在しないという事実だ。エジプトではエルバラダイ前国際原子力機構(IAEA)事務総長が反政府デモの初期に求心点となり、イスラム原理主義勢力であるムスリム同胞団などが対案勢力として論じられたのとは違って、リビアではこれといった対案勢力が言及されない。このためにカダフィ退陣後の権力の空白や大混乱が到来するだろう、との憂慮が提起される。求心点となる野党勢力が存在せず、部族と軍部、イスラム原理主義勢力、自由主義者などの葛藤の過程で、政治の安定に相当な期間がかかるだろう、との推測が出てくる。

内外で石油の資本力を利用

 カダフィは石油販売の収入を独裁のカネづるとして活用した。リビアは1961年に石油を輸出しはじめて現在、石油はリビア輸出の95%、国家収入の75%を占める。リビアは世界の原油供給量の2%にあたる1日169万バーレル(世界17位)を生産し、アフリカで3番目、世界で12番目の大石油輸出国だ。埋蔵量は443億バーレル(世界9位)と推定される。
 豊富な石油販売代金に支えられたカダフィの資本力は反対勢力を買収する資金源だった。カダフィは石油の収入によってアフリカなどの反政府勢力を支援し、対外的な影響力を行使した。石油のおかげでリビアはチュニジアやエジプトよりもよりましに暮らすことができ、独裁に対する不満をある程度は抑えられた。リビアの1人当たりの国内総生産(GDP)は1万4400ドルだ。
 けれども国民に回った石油販売の恵沢は微々たるものにすぎず一方、カダフィ一家にはおびただしいものが転がりこんだ。リビアの人口全体の3分の1近くは依然として貧困ライン以下で暮らしている。石油を販売した豊富な資金は権力を守る傭兵を使うことに使用した。
 また石油はカダフィが欧州と交渉をする立派な手段だった。毎日、イタリアは37万6千バレル、フランスは20万5千バレル、ドイツは14万4千バレルを輸入するなど、昨年リビアが生産した石油の85%を欧州が輸入した。米国が2004年に禁輸措置を解除した後、百社を超える企業がリビア石油の開発に乗り込んだ。量的には世界原油生産量の2%にしかならないものの、リビア産の石油は高品質なので代替が容易ではなく、威力はそれほどに大きかった。
 今、カダフィは反政府デモが大きくなると、石油を西欧を脅かす道具として使っている。彼は石油生産施設の破壊などによって脅しつつ、外国に干渉しないよう警告した。一方、東部の諸部族は石油生産施設などを掌握した後、統制権を主張しており今後、内戦の火種となる見通しだ。米国情報分析企業「ストラトフォー」(STARATFOR)は「カダフィがどうなるにせよ今回の事態が事実上、東・西2つの政治組織、石油生産施設の2分など、長い衝突の火種を再び撒いた」と分析した。

 いずれにせよ、カダフィ独裁の最大の秘法は戦闘機によって反政府のデモ隊を爆撃するという常軌を逸する暴政だ。27歳でクーデターに成功したカダフィは「革命の指導者、私が革命だ」と主張してきた。独裁の達人カダフィは今日、革命の指導者ではなく、逆にその対象となっている。(「ハンギョレ21」第850号、11年3月7日付、キム・スンベ記者)
 

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