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ノーマン・ミネタ運輸長官:9.11調査委員会で次のように証言:山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル!
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/800.html
投稿者 black9 日時 2011 年 7 月 21 日 16:28:14: gWkPHV3D8TzCo
 

http://enzai.9-11.jp/?p=5220
無実の911被災者なのに『NY弁護士との共謀罪』容疑で米国監獄に652日間も投獄された冤罪被害者ジャーナリストの報道サイト  7月20日
(ボーイングの行方)
http://www.nbbk.sakura.ne.jp/
ノーマン=ミネタ運輸長官の証言
http://www.nbbk.sakura.ne.jp/911/mineta.html
より
【引用開始】
2003年5月23日の9.11独立調査委員会の第2回公聴会でミネタ氏(Norman Y. Mineta)は証言しています。チェイニー副大統領の言った命令とは撃墜命令だと思ったと語りました。この出来事とよく似た出来事は実際にあり報告書に書かれています。ミネタ氏の証言を根拠としていないだけのことです。ミネタ氏は目撃した時間について思い違いをしていたようです。
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陰謀説論者の言い分
「9/11の真実を求める学者たち」
運輸省長官のノーマン・ミネタはホワイト・ハウスの地下壕で、航空機がペンタゴンにぐんぐん近づいているとき、チェイニー副大統領が「命令は依然として有効なのですか?」と尋ねた若い将校を厳しく非難するのを目撃した。この命令は同機を撃ち落すことではあり得なかったはずで、その反対だったはずだ。どうしたらそんなことがあり得るのだろうか?
(引用元: 『TUP速報591号』「 9/11の公式発表は『でっち上げだ』とエキスパートが主張」 2006年3月12日 または 『日刊ベリタ』「ビル崩壊『物理的にありえない』 調査委に公平さなし 米専門家グループが発表した『9・11の疑惑』」 2006年03月20日掲載 )
―――――――――――――――――――――――――――――――――

ベンジャミン=フルフォード『暴かれた 9.11疑惑の真相』
ノーマン・ミネタ運輸長官は、9.11調査委員会で次のように証言している。
「9.11当日の9時20分ごろ、ホワイトハウス下の大統領緊急作戦センターに向かった。そこではチェイニー副大統領が指揮をしていた。航空機がペンタゴンに向かっている間、若い男性が入ってきて副大統領にこう言ったと思う。
『(航空機がペンタゴンの)50マイル先です』『30マイル先です』と。そして『10マイル先です』となったとき、その若い男性は副大統領に『命令はまだ有効ですか?』と尋ねた。すると副大統領は振り向き、首を激しく振ってこう言った。『もちろん有効だ。何か違うことでも聞いているのかね?』と。
それの命令とは、明らかに『スクランブルをかけないように』という内容だったと思う。なぜなら、その航空機は50マイル、30マイル、10マイルそれぞれ離れた位置で確認されており。それでもなお迎撃されなかったからだ。宣誓した上での尋問、さらには副大統領の弾劾によって答えが出るだろう」

9.11調査委員会は、報告書の中に上記のミネタ氏の証言を記載しなかった。そして、同氏の証言を録画したビデオも調査委員会のウェブサイトから削除された(*9)。
(引用元: 『暴かれた 9.11疑惑の真相』扶桑社、2006年9月11日、p123)

注: *9 は、「ストリーミングビデオ:リー・ハミルトン・9.11委員会副委員長によるノーマン・ミネタ運輸長官への尋問」http://www.911truthmovement.org/video/hamilton_win.wmv
ですが、同じ映像が、
“911Truth.org/ The Mineta Testimony: 9/11 Commission Exposed, by Gregor Holland, July 22, 2005 “ にあります。ストリーミングではなくファイル。
“Clip #1: Lee Hamilton questions Mineta( Windows Media (1.81MB)、 Real Media (1.83MB)、Quicktime (13.96MB))”。 このサイトはフルフォード氏が紹介しているビデオクリップがあるサイトです。
【引用終了】
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ノーマン・ミネタ
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%82%BF
より
【引用開始】
略歴
1908年(明治41年)に渡米した静岡県清水町久米田出身の父・国作と三島市大宮町出身の母・かね(旧姓:渡邊)のもと、カリフォルニア州サンノゼで2男3女の末っ子として生まれる。第二次世界大戦中はワイオミング州の日系人収容所に収容され、ここで慰問に来たボーイスカウト団員のアラン・シンプソン(後、ワイオミング州選出上院議員)と知り合い、生涯の盟友となる。
1953年、カリフォルニア大学バークレー校ビジネススクール学士課程を卒業。この年米陸軍に入り、日本や韓国で情報将校を務める。その後、父親の経営するミネタ保険会社に勤め、1967年サンノゼ市会議員に当選した。

1971年にはハワイを除く米本土では日系人として初めて、大都市サンノゼ市長に当選。1974年にはやはり米本土では初めて米国下院議員に当選した。1995年まで20年以上にわたって下院議員を務め、その間大部分は運輸委員会に所属した。
その後、ロッキード・マーティン社副社長を経て、2000年から2001年までビル・クリントン政権で商務長官。2001年から2006年まで共和党のジョージ・W・ブッシュ政権でも運輸長官を務めた。2001年9月11日に発生した米国同時多発テロ事件では、米国史上初めて全民間航空機の緊急着陸を命令した。

2001年11月、ミネタの地元のサンノゼ国際空港は、ミネタの長年の功績を顕彰して、同空港の正式名を「ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港」と改称した。
現在はヒル&ノールトン社の副会長を務めている。
【引用終了】  

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