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書籍:ほんとうの自分の作り方
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/151.html
投稿者 管理人さん 日時 2010 年 9 月 30 日 16:32:38: Master
 


http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061495860/asyuracom-22

「自分って何?」の答えは、聞き手に自己を物語る中で形成される。〈自分〉を見つめ直し、たしかな生き方をつかむ方法を説く。

〈自分〉は発見されるのではない。
それは聞き手との語り合いの中からつくられる――
人生の意味というものは、どこかに転がっていたり、埋もれていたりするものを、そのまま拾ったり掘り起こしたりして見つかるといった類のものではない。自分なりの解釈のもとに自己を語り、聞き手の解釈を理解する努力をし、その聞き手の理解の枠組みからもわかってもらえるように工夫しながら語り直し、再び聞き手の反応を確認する。こういった作業の積み重ねの中で、自分が経験してきたことがらの意味が、ひいては人生の意味が、知らず知らずのうちに生み出されているのである。――本書より


アイデンティティは物語として保持される。

P66
━━━━━━━━━━━━━━━
映画や漫画の切り離された1コマを見せられても、
前後のコマをいくつか見せてもらわないとには、
いくら想像力を働かそうとしても、
そこに書いてある場面の意味がつかめない。

僕たちは、ある特定の視点をとらないかぎり、意味ある世界を体験することができない。

どんなストーリーの映画なのかについての情報が与えられれば、ある1コマが何を意味する場面なのかを推測することが可能となる。

それと同じで、ある自己物語を手に入れ、その文脈を目の前の現実にあてはめることで、身のまわりの出来事に意味を見いだすことができるようになる。

日々の生活に意味が感じられない、無意味な毎日が虚しくてしょうがないという人は、目の前の現実に意味を与える文脈として機能する自己物語を持っていないのである。
━━━━━━━━━━━━━━━

毎日が虚しいのは、意味を感じさせてくれない現実に問題があるのではなくて、現実に意味を与える文脈を投げかけることができない自分自身に問題があるのだ。

気持ちの持ちようで色あせていた世界が輝いてくるなどと言われたりするのも、こうしたメカニズムをさすものと言える。

世界と自分を意味ある形につなげてくれる自己物語を持つことで、目の前の世界に意味があふれてくる。

意味を経験する前提として、現実の出来事と自分をつなぎ、世界を意味づける物語的枠組みを獲得する必要があるというわけだ。

P21
どこかに「ほんとうの自分」があるはずだといった自分さがしの物語は、充実した生活を組み立てるのが難しい多くの人たちにとって、ひとつの救済措置として機能している。

けれども、こういった自分さがしの物語に安住しているかぎり、自分らしい生活や充実した日々を手に入れることはできない。

やはり、今ここで動き出さないかぎり、何も変わっていかない。

アイデンティティとは、生きる方向性
ドン・キホーテの原理 ある物語を読んで、その登場人物に自分を重ね合わせることで、自らのアイデンティティを構築する。これは人任せの自己物語で、危険である。
ウェルテル効果 自殺のニュースを聞いて、自殺が増える連鎖反応
アイデンティティは物語として保持される

しかし、今の時代は、

自己物語がない−アイデンティティ拡散 自分がだれだかわからない。

生きる筋書きのない時代
将来展望がもてない、前へ踏み出せない
引きこもり も自己物語を持てなくて自信がない状態

迷い多き時代
生き方が社会的に定まっていない時代 銀行員がロックをやっても個性
社会的役割がなくなると 定年になってアイデンティティがなくなる
生きる筋書きが欠けている
役者がシナリオ作りまで求められる
社会的に認められる自己物語が必要

自分は発見されるのではなく創造される
納得のいく自己物語がなければ、自分がわからない
自己物語を失った現代人の危険性

自己物語はアイデンティティを作る
物語としてのアイデンティティ
言葉が心の現象に形を与える
自己物語が僕たちの心理や行動を導く
僕たちはわかりたがりやなのだ
自己物語は硬直する

自己物語が変わると世界も変わる
人生の意味がわからない
出来事の羅列の世界から意味ある世界へ
ラベル付けが記憶を変容させる
自己物語をもつことで意味ある生活が手に入る
身にまとった自己物語を脱ぎ捨てる難しさ
自己物語が変われば現実の意味も変わる
自己物語とズレている経験も汲み上げる

心理学者のロジャースは、自己概念と経験のズレが小さいことが健康につながるという。

自己物語の書き換えで過去も変わる

自己定義はある種の封じ込め

ある物事を定義するということは、その物事が持つ意味を限定するということ

定義することによって、定義されたものはそれ以外の可能性を失う

ある物語を自己のものとして採用するということは、
別の物語を生きる可能性をとりあえずは捨てるということ。

拘束されることを嫌い、可能性を開いておくことにこだわりすぎると、いつまでも自分は宙ぶらりんの不安定な状態に置かれることになる。

僕たちは自己物語を通して物事を考えたり感じたりする

論理的思考と物語的思考

人生の節目には自己物語の書き換えと語り直しが必要
 相互に自己物語を承認し合ってきた仲間との語らいを通して、納得のいく形で自己物語を書き換えていく。
 自分がこれまで生きてきた、そして今も生き続けようとしている自己物語へのこだわりや、それと自分が現に置かれている現実状況との間のギャップについて語り合う中で、断念することは断念し、付け加えるべき新たな要素を付け加えながら、全体としての物語筋も徐々に組み換えられていく。
 新たな自己物語創出の必要に迫られているときこそ、語り合える仲間、語り合いの場が求められる。


自己物語は聞き手によって形成される
語ることと聞くことの意味
妄想は、聞き手に納得されない経験(いつも誰かに見張られている。尾行されている)
自分の経験を他者に承認してもらい、共有してもらうことで、世界の中に自分の経験を位置づけることができる。
聞き手の納得する語り方を身につけていないとき
なるほどと思えるような、いかにもありそうな説明によって構成された語りをするということ。
それをするためには、人が一般にどんなふうに自己の経験を語るかということを熟知している必要がある

小さい頃から友達と一緒に遊ぶことがほとんどなく、ゲームを相手に一人遊びしていたような子が、自己の経験を社会化するのに失敗し、妄想的な世界の住人になるようなケースがある。

大切なのは、身近な人たちとの語り合いを十分に経験することを通して、自己の経験を社会化するための語り方を体得すること
その意味で、近所に遊び集団があまり見られなくなり、いろんな友達とかかわり合いながら育つということがなくなった最近の若者達の間で、「自分がわからない」といった訴えが急増しているのも、当然予測されたことと言える。

自己物語の原型は、家族の語り合い
価値があると思えるエピソードが 個人の記憶となる
事実よりも物語としての真実さ
人は行き詰まったとき、聞き手を求める
目の前の現実に対して無力になってしまった自己物語を、今の現実により即した有効な自己物語へと書き換えていくことが課題
語る中で何かが見えてくる。語るということは、まだ意味を持たない解釈以前の経験に対して、語ることのできる意味を与えていくこと
聞き手を前にして語ってはいるものの、そこで行われているのは、自分にとって納得のいく自己物語、しかも新たな現実に対しても有効に機能する自己物語の綴り方の模索。何度も何度も語り直す中で、納得のいく適切な文脈が生み出されていく。
よく「吹っ切れた」などと言うが、それは今の現実を取り込むことができ、それを前提とした前向きの将来展望を持つことを可能にするような、新たな自己物語を手にしたことを意味する。

自己開示の三つの効用 カタルシス効果、自己洞察効果、不安低減効果。
カタルシス効果:自分について他者に知らせること。胸の奥深く押し込められていたものをだれかにぶちまけることによって、気持ちがスッキリし、すとれすが軽減される。
不安低減効果:同じような体験をした者同士が自己の内面を打ち明けあうことによって、他の人も同じような思いや悩み、症状を持っていることを知り、それによって自分の反応が正常なものであることが確認され、不安が低減すること

自己開示がうまく機能するためには、くどい話や愚痴にもじっと無批判に耳を傾けてくれる聞き手の存在が必要。同じような体験を持つ被災者同士が語り合う場が必要。
語ることで、新しい自己物語が生まれる
聞き手は語り口を左右する
聞き手が新たな視点を誘発する 相手に事情がわかるように話して聞かせているうちに、これまでと違った視点からの回答がふと思い浮かぶ
文化的文脈の力

深い関わりから新しい自己は発見される
自己に出会うためには、二つの相反する方向に行き来することが必要。他者に向かう。自分自身に向かう
この両方向の動きの循環の中で、自己のあり方が点検され、自己の創造が行われていく。
一人自分自身を見つめるだけでは成り立たない。
自分を見つめるだけで自己の創造の動きが生じるということもあるが、それは前もって他者との深いかかわりを充分経験している場合に起こること。

他者と向き合うというのは、心を開き合うこと、単なる世間話をするようなかかわりではなく、自己をさらけ出してつきあうことをさす。そこでは自分の考えていること、感じていることが素直に語られ、お互いの思いが共有される。しかし、人と人はあくまでも他人同士だ。ものの見方も違うし、感受性が違う。同じ出来事に対しても、それぞれの受け止め方に多少なりともズレがあるのがふつうだ。自己への気づきを得るためには、そうしたズレを実感することが必要なのだ。

それには、お互いの生きている文脈のズレがクローズアップされるような深いかかわりを持つことが前提となる。つきあい始めの頃は、お互いに遠慮がちなところがある。相手の様子をうかがいつつ、できる限り相手のものの見方・考え方を尊重しようとする。自分を抑えて、相手に合わせようとする。自分の文脈、つまり自分のものの見方・考え方を相手に強引にぶつけることがないため、相手のものの見方・考え方と真っ向から衝突するようなことはない。

だが、つきあいが進んで親密な間柄になると、お互いに自分の文脈を相手に遠慮無くぶつけるようになるため、相手の思いがけない反応にあきれたり腹を立てたり、ちょっとしたことで口論になるなど、相手のもつ文脈との間のズレが鮮明化してくる。

心理的距離が縮まると、ちょっとしたズレも気になってくる。心理的距離が遠かった頃にはまったく気にならなかったズレがクローズアップされ、なんとかその溝を埋めようという試みが始まる。そうしたことの背景には、わかりあいたいという強い欲求が働いているのだ。

こうして、親しい間柄では、なぜそんな考え方をするのだろう、どうしてわかってくれないんだろう、との思いが強く働き、わかりあいに向けての交渉が行われる。最初の頃はおおらかにかまえてくれていたのに、親しくなるにしたがって口うるさくなったとか、議論を仕掛けてくるようになったとかこぼす人がいるが、深く関わるとどうしてもそういった感じになりがちである。

それぞれの価値観や感受性がぶつかり合うような深いかかわりの中では、自分の思いを相手にわかってもらうように語るというのがしつこく行われる。相手が「何を言っているのかわからない」「どうも納得がいかない」などと言いたげな反応を示したら、言葉を換え、また論理が筋立てを変えて語り直すことになる。

人との語り合いの場で、僕たちは相手にすぐ通じないからといって簡単にあきらめたりはしない。自分のものの見方・感じ方と他人のそれとの間に大きな溝があるということは、いろいろな関わり合いの中で、充分に経験済みである。そこで、相手になかなか通じないときには、何とかわかってもらおうと語り直すことになる。相手のものの見方・感じ方の見当をつけ、相手の視点に立って受け入れやすい論理や筋立てを考え直しつつ、語っていく。

そうしたやりとりを繰り返すうちに、相手の視点が知らず知らずのうちに自分の中に取り入れられていく。相手にわかってもらえるように自己の体験を語り直すということは、相手の視点に立って自己の体験を見つめ直すこと、つまりこれまでとは違った視点で自己の体験を見直し、語り直すことを意味する。そこに自己についての新たな発見があるのだ。深いかかわりの中で自己が発見されるというのは、そういうことだと考えていいだろう。

語り合いが新たな意味を生み出す

新たな物語的文脈をもって過去の経験や目の前の出来事に向かい合ってみると、以前とは違った見え方になってくる。一
人で深刻に悩んでいたこと、何かのきっかけで親友に思い切って話してみることで救われるというのは、よくあることだ。
ひとつひとつの出来事そのものに意味があるのではなくて、それを見る側がもつ文脈が意味を与える。
自己発見のためにはお互いの価値観をぶつけ合うような深い交わりをもつことが大切。
親友との遠慮無い率直な語り合いの中で、恋人とのだれにも見せたことがないプライベートな部分の交わりの中で、過去の経験が違って見えたり、自分自身の長所や短所に対する評価が一変したりする。

語ることは経験を整理すること
僕たちの経験のまわりには、あらゆる意味が漂っている。
見る側が用いる文脈によって、可能性として漂っている無数の意味の中から、一つの意味が引き出される。
つまり、語ると言うことは、語られる以前には確定していなかった意味をその対象に与えること。
さまざまな意味づけが可能な多義性をもった僕たちの経験、それだけ取り出されても何を意味するものであるかがわからない僕たちの経験に、特定の意味を与えていくためには、語るということが必要なのだ。
語ることによって、無数の可能性の中から一つの意味が確定する。

語り合いを通して経験の意味が明確になる
語り合いの場で相互承認が得られた自己物語は、社会的な根を持つ安定したものになっていく。

それに対して、語る相手をもたず、他者からの承認を得られないままの、独りよがりの自己物語は安定感に乏しい。
社会的承認が得られていない自己物語を抱える者は、自信を持ってその物語を生きることができない。

カウンセリングは語りの場
人とかかわるのを避ける時
カウンセリングの場で行われるのは、一般に自己の探求そして自己理解を促進するための語り合いである。
自己の過去から現在に至る経験に意味のある筋道をつけてくれる物語的文脈の探求。
自己理解とは、納得のいく自分なりの物語を手に入れること

カウンセラーはプロの聞き手

アイデンティティは語った言葉に左右される

語ることが自己をつくっていく
語ることからすべてが始まる
語り始めるときには自分の姿を本人もはっきりとつかんでいない。
出会いが新たな聞き手をもたらす
人は相手によって語り分ける
生きる意味がわからないのは−人間関係の希釈化、自己を語り合うような深いかかわりの欠如。
自己を語ることは、人生の意味を創造する。
深く語り合う場が欠如しているということは、いろいろに自己を語り分ける機会に恵まれてないことを意味する。

人生の意味というものは、どこかに転がっていたり、埋もれていたりするものを、そのまま拾ったり掘り起こしたりして見つかるといった類のものではない。

━━━━━━━━━━━━━━━
人生の意味は、自分なりの解釈のもとに自己を語り、聞き手の解釈を理解する努力をし、その聞き手の理解の枠組みからもわかってもらえるように工夫しながら語り直し、再び聞き手の反応を確認する。こういった作業の積み重ねの中で、自分が経験してきたことがらの意味が、ひいては人生の意味が知らず知らずのうちに生み出されているのである。
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視点が違えば意味づけも違う

人の振る舞いは相手が抱くイメージに拘束される
自己定義をめぐる対立と相互変革
相手の反応で変化する語り口
聞き手が導く自己物語
自己物語には相手が抱く文脈が取り込まれている
押しつけられた自己物語への反乱
どんな説明をするかで結果は違ってくる

言い訳も自己物語に影響する
その場しのぎの言い逃れ
アドリブ的な一言も自己物語に影響する
自己提示の方向に自分が変わる

僕たちは自らの語りに束縛される。カウンセリングといった語りの場で人が生まれ変わることからも明らかだ。

僕たちは、自分を首尾一貫した筋道をもっている存在と見なしたがる傾向がある。
日々の行動に、過去から現在に至る諸々の経験に、うまくつじつまの合う説明をつけてくれる物語筋、それを僕たちは切に求めている。

それが、自分さがしと言われるものであり、自己物語の探求である。自己物語は、語りの場で探求され、綴られていく。

P182
自分を変えたいとき−聞き手を変えれば自分も変わる
「自分」は変えられるか?
僕たちは自己物語の文脈に支配されている

トラウマの文脈による支配?なにをやってもうまくいかない。トラウマがある人間はダメなのかぁ。。。

優越の文脈による支配?人より優位でなければならない。本当に自分がやりたいことがわからない。

対抗同一性の文脈による支配?少数派であること、反主流派であることに積極的な価値を置き、自らの正当性や創造性を主張し、多数派や権力体制に激しく対抗する生き方。相手が強大であればあるほど闘争心が湧いてくる。そこらのへなちょことは違うんだ、といった意識で自分自身を奮い立たせていく。

なかなか変わらない自分 手のかかる相手に振り回されるが、母親のように面倒を見ることに一種の心地よさを感じ、自分の存在価値を実感できる。同じパターンを繰り返す。

僕たちは、今の自己物語から抜けられないのか?自分を変えたいのになかなか変わらないと嘆く人の場合、実は慣れ親しんだ自己物語から思い切って脱する覚悟ができていないのではないか。

自己物語の文脈が変われば、世界の意味が一変する

アマゾンレビューより

みんな悩んで大きくなった, 2010/2/2
By Ricco -
レビュー対象商品: <ほんとうの自分>のつくり方 (講談社現代新書) (新書)
明確な指針を示したHowTo本や自己啓発本を期待されているとしたら肩透かしを喰らうかもしれません。
「あぁしろ、こうしろ」的な押し付けがなく、「こういう考え方ってアリじゃない?」みたいな表現が続きます。私はそこに惹かれて購入しました。
”自分とは何か”というテーマは、ややもすると陰に篭ったイメージを与えますが、本書はそうならないよう著者が注意を払っているところが随所に読み取れます。
どんな環境で、どんな生き方をしていようとも、「自分って何?」という疑問は必ずあると思います。その答えは、自ら捜し求めるしかないのですが、本書はそのきっかけを掴ませてくれるものと思います。
また、自分とは何かを考えていくうちに、逆に他人とは何か、ということにも言及されています。結局、「みんな悩んで大きくなった」という、なんか懐かしいCMのような。
本書を手にし、何かきっかけが掴めるといいですね。





2 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 「自分さがし」の道で迷ったら読む本。, 2009/11/21
By daphnetin (東京) -
(VINE メンバー) (トップ500レビュアー)
レビュー対象商品: <ほんとうの自分>のつくり方 (講談社現代新書) (新書)
現代は「こう生きるべき」という明確な社会的な強制力が働かず、
選択の自由度が確保され、個人に対する縛りが緩くなった結果、
「自分らしい生き方」は各人が見出してくるべきものとされ、いわば
働き方をはじめとする生き方全般のシナリオを書くことと、それを
演じることまでもが求められているといえます。

そのような中で、社会という座標軸の中での自分の位置決めをする指標として、
社会的な意味合い持つ自己、つまり社会的自己を他者との対話の中で
確立していくことが現代を生き抜くには重要であると著者は主張します。

その自己は発見されるものではなく、対話の中で自分が持つ文脈と他者の
文脈の中で相互に影響しながら磨かれるものであり、同じ文脈で語って
相手に承認されればその文脈は固定・強化され、また相手が語る自己とは
異なった文脈を取り入れながら変化するものでもあり、人生の節目においては、
この自己の物語を積極的に書き換えて安定化する必要があると述べています。

これが、端的には物事を多面的に捉えることができる新たな視点の
獲得であるといえますが、特に引きこもりがちの若者は自己が不安定で
あるがゆえに他人の反応を気にして自己の物語を語ることの恐れ、ますます
自己物語の承認が得られない、という悪循環に陥りがちといえます。

後半2章では、この自己の語り方・聞き方と積極的な自己変革についての
方法がその意義を含めて述べられていますが、ここでの主要な論点はきちんと
言葉を選んで語ることと、自己を安定化させるために相手を固定化させず選ぶこと、
という2点に尽きると思います。

専門的な言葉を排して著者が語る言葉はさすがに物語ることを薦める人物で
あるだけにわかりやすく、「自分さがし」という道に迷っている方には
是非お奨めしたい書です。





10 人中、8人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 「ほんとうの」自分探しに終止符を打つための本, 2008/5/7
By マストロヤンニ (東京都) -
(トップ1000レビュアー)
レビュー対象商品: <ほんとうの自分>のつくり方 (講談社現代新書) (新書)
「ほんとうの」自分を探す行為は、

まるで猿がらっきょうの皮をむく行為に

似ているかもしれない。

中身=「ほんとうの」自分を探して

皮をむいていったら、何もなくなってしまった!!

タイトルが、自分「探し」ではなくて

「つくり方」であるところが、類書と異なる。

まるで『青い鳥』のように、目からウロコが落ちる

かもしれません。

「ほんとうの自分」に興味のある方、すべてにおススメ!





7 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 この本、出会えてよかった!, 2004/11/1
By "とぷとぷ" -
レビュー対象商品: <ほんとうの自分>のつくり方 (講談社現代新書) (新書)
2年ほど前自分探しというテーマにぶつかり、それからと言うもの探して、探して、アイデンティティーに関する本を読みまくり、頭の中はいつも???ハテナの飛び交う毎日でした。 もう疲れ切って、あーもう自分探しなんかしてたら、脳みそからまって変になるう~、もうヤメヤメ、わたしにはそんな高級なもん関係ないんやって、あきらめたところでこの本と出会いました。 ほんと、救われましたよ。 わかりやすい文章で、とっても納得できて、腑に落ちるとはこういうことなのねと今はすっかりスッキリ。自分って何?って思ったときには、遠回りしないでまずこの本を読んでみて!





14 人中、11人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 人生生きるのが楽になる!, 2003/1/29
By カスタマー
レビュー対象商品: <ほんとうの自分>のつくり方 (講談社現代新書) (新書)
著者は自己心理学の確立を目指し、現在最も中心となって研究活動を行っている榎本博明。彼はこれまでの数多くの研究成果から「自己物語」という理論を打ちたてている。自分とは何か、それがわからなくてどうやって生きていったら良いのかわからない、その問いに対して自分というものを捉える枠組み―自己物語を作り、その中にうまく組み込んでいけばいいし、組み込めないような事柄はその物語を微修正することで対応していけばいい。つまり自己物語の確立こそが、自己理解が高められ、生きることを楽にするといえるのである。このようなことが大変わかりやすく、著者自身の実体験を交えながら時にユーモラスに書かれている。

 

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コメント
 
02. めむめむ 2010年10月19日 11:28:29: lmDW19lBDnz8g : F9ykjpgDYl
五感で感じた同じ現実ですら、変わったものにみえる...つまらない、明るい、平和だ、困った、なぜこんなに寒いの、雲がアイスクリームだ、そろそろ手入れを、あれまだ時期とちがう?、あっあそこちょっとずれてる、

この私ですら同じ景色にこれだけの文字で彩れる...

今の私は多分生きる意味をまだまだ必死でもがいて探しているんやろうなぁ、

頭でわかっていてもなかなかできません??

自身の心にに素直になれれば、あとは知的好奇心が強ければでOKと考えていた、また過ち見ぃつけたの自分ていうか、ひょっとして、それがそれでやっとスタートラインですかぁ??


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