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人を動かす D.カーネギー パート1 人を動かす三原則
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投稿者 たけしくん 日時 2015 年 2 月 19 日 21:02:22: IjE7a7tISZsr6
 

(回答先: 人を動かす パート2(20)  D.カーネギー 人に好かれる6原則 6.重要感を与える−誠意を込めて(1) 投稿者 たけしくん 日時 2015 年 2 月 19 日 20:21:24)

「人を動かす」D・カーネギーを読んでいこうと思います。

まずは、目次から

パート1 人を動かす三原則

パート2 人に好かれる六原則

パート3 人を説得する十二原則

パート4 人を変える九原則

付録 幸福な家庭をつくる七原則

1.盗人にも五分の理を認める。

三十年前に、わたしは人をしかりつけるのは愚の骨頂だと悟った。

自分のことさえ、自分で思うようにはならない。

神様が万人に平等な知能を与えたまわなかったことにまで腹を立てたりする余裕はとてもない。

といったのは、アメリカの偉大な実業家ジョン・ワナメーカーである。

他人のあら探しは、なんの役にも立たない。

相手は、すぐさま防御体制をしいて、なんとか自分を正当化しょうとするだろう。

それに、自尊心を傷つけられた相手は、結局、反抗心をおこすことになり、まことに危険である。

われわれは他人からの舐讃を強く望んでいる。

そして、それと同じ強さで他人からの非難を恐れる。

こういったぐあいに、悪い人間ほど自分のことは棚にあげて、人のことをいいたがる。

それが人間の天性なのだ。

ところが、これは悪人だけの話ではない。われわれもまた同じだ。

人を非難するのは、ちょうど天に向かってつばをするようなもので、必ずわが身にかえってくる。

他人の欠点を直してやろうという気持は、たしかに立派であり賞賛に価する。

だが、どうしてまず自分の欠点を改めようとしないのだろう?

他人を矯正するよりも、自分を直すほうがよほど得であり、危険も少ない。


自分の家の玄関がよごれているのに、隣りの家の屋根の雪に文句をつけるなと教えたのは、東洋の賢人孔子である。

死ぬまで他人に恨まれたい方は、人を辛辣に批評してさえおればよろしい。

その批評が当っていればいるほど、効果はてきめんだ。

およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。

相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということをよく心得ておかねばならない。

若いときは人づき合いがへたで有名だったベンジャミン・フランクリンは、後年、非常に外交的な技術を身につけ、人を扱うのがうまくなり、ついに、巌仏米大使に任命された。

彼の成功の秘訣は「人の悪口は決していわず、長所をほめること」だと、みずからいっている。

人を批評したり、非難したり、小言をいったりすることは、どんなばか者でもできる。

そして、ばか者にかぎって、それをしたがるものだ。

理解と、寛容は、すぐれた品性と克己心をそなえた人にしてはじめて持ちうる徳である。

英国の思想家カーライルによれば、偉人は、小人物の扱い方によって、その偉大さを示す」

2.重要感を持たせる


人を動かす秘訣は、この世に、ただひとつしかない。

この事実に気づいている人は、はなはだ少ないように思われる。

しかし、人を動かす秘訣は、まちがいなく、ひとつしかないのである。


すなわち、みずから動きたくなる気持を起させること、これが、秘訣だ。

かさねていうが、これ以外に秘訣はない。

人を慨かすには、相手のはしがっているものを与えるのが、唯一の方法である。

人は、何をほしがっているか?

アメリカの第一流の哲学者であり教育家でもあるジョン・デューイ教授も、同様のことを、少しことばをかえていいあらわしている。

つまり、人間の持つもっとも根強い衝動は、重要人物たらんとする欲求だというのである。


この欲求は、食物や睡眠の欲求同様になかなか根強く、しかも、めったに満たされることがないものなのだ。


リンカーンの書簡に「人間はだれしもお世辞を好む」と書いたのがある。

すぐれた心理学者ウィリアム・ジェームズは、「人間の持つ性情のうちでもっとも強いものは、他人に認められることを渇望する気持である」という。


これこそ人間の心をたえずゆさぶっている焼けつくような渇きである。

他人のこのような心の渇きを正しく満たしてやれる人はきわめてまれだが、それができる人にしてはじめて他人の心を自己の手中におさめることができるのである。

自己の重要感を満足させる方法は、人それぞれに違っており、その方法を聞けば、その人物がどういう人問であるかがわかる。

自己の重要徳を満足させる方法によって、その人問の性格が決まるのである。


凶悪犯ディリンジャーと、大富豪ロックフェラーとの重要なちがいは、自己の重要感を満たすためにとった方法の差である。


2.重要感を持たせる(2)


1928年、南極探検に、アメリカの百万長者たちは資金の援助をしたが、それには、南極の山脈に援助者たちの名を冠するという条件がついていた。

あの偉大なシェークスピアでさえ、自分の名に箔をつけるために、金を積んで家紋を手に入れたのである。


他人の同情と注意をひいて自己の重要感を満足させるために、病気をする人も、ときにはある。


専門家の話によると、現実の世界では自己の重要感を満たせないので、狂気の世界でその満足を得ようとして、実際に精神に異常をきたす人もあるということだ。


自己の重要感を渇望するあまりに、狂気の世界にまではいって、それを満たそうというものも、世のなかにはいるのだ。

だとすると、われわれが正気の世界でこの望みを満たしてやることにすれば、どんな奇跡でも起すことができるはずではないか。


シュワッブはまだ三十八歳の若さだった。

アンドルー・カーネギーが、このシュワッブという男に、どういうわけで、百万ドル、すなわち一目に三千ドル以上もの給料を支払ったか?

シュワッブが天才だからだろうか?ちがう。

シュワッブがこれだけの給料をもらうおもな理由は、彼が人をあつかう名人だからだと自分でいっている。

どうあつかうのかとたずねてみると、つぎのような秘訣を教えてくれた。

これは、まさに金言である。

他人の長所を仲ばすには、ほめることと、励ますことが何よりの方法だ。

上役から叱られることほど、向上心を害するものはない。

わたしは決して人を非難しない。

人を働かせるには奨励が必要だと信じている。

だから、人をほめることは大好きだが、けなすことは大きらいだ。

気に入ったことがあれば、心から賛成し、惜しみなく讃辞を与える。

これが、シュワッブのやり方である。


ところが、一般の人はどうか?まるで反対だ。

気に入らなければめちやくちやにやっつけるが、気に入れば何もいわない。

どんなに地位の高い人でも、小言をいわれて働くときよりも、ほめられて慟くときのほうが、仕事に熱がこもり、出来ぐあいもよくなる。

その例外には、まだ一度も出あったことがない

実は、これが、アンドルー・カーネギーの大成功の鍵なのだと、シュワッブはいっている。

カーネギー自身も、他人を、公私いずれの場合にも、ほめたたえたのである。

彼がみずから書いた墓碑銘は、こうである。

「おのれよりも賢明なる人物を身辺に集むる法を心得しものここに眠る」。

真心をこめて感謝するのが、ロツクフェラーの人あつかいの秘訣であった。


名優アルフレッド・ランドも、「わたしにもっとも必要な栄養物は、自己評価を高めてくれることばだ」といっている。

われわれは、子供や友人や使用人の肉体には栄養を与えるが、彼らの自己評価には、めったに栄養を与えない。

牛肉やじゃがいもを与えて体力をつけてはやるが、やさしいほめことばを与えることは忘れている。

やさしいほめことばは、夜明けの足のかなでる音楽のように、いつまでも記憶に残り、心の糧になるものなのだ。

もっとも、餓死寸前の人間が草でも虫でも手あたりしだいに食べるように、何もかも鵜のみにしてしまう讃辞に飢えた人々も世のなかにいることは事実だ。

莫国のヴィクトリア女王でさえ、お世辞を喜ぶ傾向があった。

時の宰相ディズレーりも、女王に対しては、お世辞をふんだんにいったと、みずからいっている。
結局のところ、お世辞というものは、利益よりはむしろ害をもたらすものだ。

お世辞は、偽物である。

偽金と同様、通用させようとすると、いずれは、やっかいな目にあわされる。

お世辞と感嘆のことばとは、どうちがうか?

後者は真実であり、前者は真実でない。

後者は心から出るが、前者は目から出る。

後者は没我的で、前者は利己的である。

後者はだれからも喜ばれ、前者はだれからも嫌われる。


「相手の自己評価にぴったり合うことをいってやること」。

米国の思想家エマーソンは、「人間は、どんなことばを用いても、本心をいつわることはできない」といましめている。


人間は、何か問題があってそれに心を奪われているとき以外は、たいてい、自分のことばかり考えて暮らしている。

そこで、しばらく自分のことを考えるのをやめ、他人の長所を考えてみることにしてはどうだろう。

他人の長所がわかれば、見えすいた安っぽいお世辞などは使わなくてもすむようになるはずだ。

他人の真価を認めようと努めるのは、日常生活では非常にたいせつな心がけであるが、ついおろそかになりがちである。


子供にとって、親が示してくれる関心や、賞讃のことばほどうれしいものはないのである。

人問は例外なく他人から評価を受けたいと強く望んでいるのだ。

この事実を、決して忘れてはならない。

深い思いやりから出る感謝のことばをふりまきながら口々をすごす−これが、友をつくり、人を勤かす秘訣である。

D・カーネギー「人を動かす」より

3.相手の立場に身を置く(1)


夏になると、わたしはメーン州へ魚釣りにゆく。

ところで、わたしはイチゴミルクが大好物だが、魚は、どういうわけかミミズが好物だ。

だから魚釣りをする場合、自分の好物のことは考えず、魚の好物のことを考える。

イチゴミルクをえさに使わず、ミミズを針につけて魚の前に差し出し、「ひとつ、いかが」とやる。

人を釣る場合にも、この常識を利用していいわけだ。

われわれは、自分の好きなものに興味を持つ。生涯持ちつづけるだろう。

しかし、自分以外には、だれも、そんなものに興味を持ってはくれない。

だれも彼も、われわれ同様、自分のことでいっぱいなのだ。

だから、人を動かす唯一の方法は、その人の好むものを問題にし、それを手に入れる方法を教えてやることだ。

これを忘れては、入を動かすことはおぼつかない。

たとえば、自分のむすこにたばこを吸わせたくないと思えば、説教はいけない。

自分の希望を述べることもいけない。

たばこを吸うものは野球の選手になりたくてもなれず、百メートル競走に勝ちたくても勝てないということを説明してやるのだ。

この方法を心得ていると、子供でも、子牛でも、またチンパンジーでも、意のままに動かすことができる。

人間の行為は、何かをほしがることから生まれる。

人間の行為を支配する力ににつぎのようなことばがある。

「人間の行動は、心のなかの欲求から生まれる……だから、人を動かす最善の法は、まず、相手の心のなかに強い欲求を起させることである。

商売においても、家庭、学校においても、あるいは政治においても、人を動かそうとするものは、このことをよく覚えておく必要がある。

鉄鋼王アンドルー・カーネギーも、もとはスコットランド生まれの貧乏人にすぎなかった。

彼は、若いころすでに、人を動かすには、相手ののぞむことがらを考えて話すよりほかに方法はないと悟っていた。

3.相手の立場に身を置く(2)


人を説得して何かやらせようと思えば、口をひらくまえに、まず自分にたずねてみることだ

―「どうすれば、そうしたくなる気持を相手に起させることができるか?」

これをやれば、自分勝手な無駄口を相手に聞かせずにすむはずだ。


たとえ、わたしが相手を説きふせて、その非を悟らせたとしても、相手は引きさがるまい。

自尊心がそれを許さないだろう。

自動車王ヘンリー・フォードが人間関係の機微にふれた至言を吐いている。

「成功に秘訣というものがあるとすれば、それは、他人の立場を理解し、自分の立場と同時に、他人の立場からも物事を見ることのできる能力である」。

実に味わうべきことばではないか。

まことに簡単で、わかりやすい道理だが、それでいて、たいていの人は、たいていの場合、見のがしている。

その例は、いくらでもある。毎朝配達されてくる手紙がそれだ。


たいていの手紙はこの常識の大原則を無視している。

一例として、全国に支社を持つある広告会社の放送部長から各地方放送局長あてに送られた手紙をとりあげてみよう(かっこ内はわたしの批評である)。


拝啓、弊社はラジオ広告の代理業者として常に第一流たらんと念願しています。


→(君の会社の念願など、だれが知るものか。こちらは頭の痛くなるような問題を山ほどかかえている。家は抵当流れになりそうだし、大事な植木は虫にやられて枯れかかっている。株は暴落。けさは通勤列車に乗りおくれるし、昨夜はどうしたわけかジョンズ家の舞踏会に招待されなかった。医者には高血圧だの神経炎だのといわれる。そのうえ、どうだろう、いらいらしながら事務所に着くと、この手紙だ。ニューヨークあたりの若造に手前勝手なよまいごとを聞かされてたまるもんか。この手紙が相手にどんな印象を与えるかわからないようなら、広告業なんかやめて、羊の洗剤でもつくったらどうだ。)

わが国の放送事業発足以来、弊社の業績はまことに顕著で、常に業界の首位を占めてきています。


→(なるほど、君の会社は大規模で、業界第一だというんだな、で、それが、どうした。たとえ君の会社が、ゼネラル・モーターズとゼネラル・エレクトリックの二大会社を合わせたより何倍も大きいとしても、そんなことはどうでもいい。こちらは、君の会社の大きさよりも自分の会社の大きさのほうが気になっている。せめてばかな小鳥の半分ほどの神経でも持ち合わせていたら、それくらいのことはわかりそうなものだ。君の会社の自慢を聞かされていると、こちらがけなされているような気がする。)

弊社は常に各放送局の最近の状況に通じていることを念願しています。


→(また、君の念願か!ばかやろう。君の念願などにかまっておれるか。こちらの念願は、どうしてくれるのだ。それにはひとこともふれようとはしないではないか。)

つきましては、貴局の週間報告をいただきたく、代理業者にとって必要と思われる事項は、細大もらさずお知らせください。

→(ずうずうしいにもほどがある。勝手な熱を吹いたあげく、高飛車に報告をしろとは何ごとだ。)


貴局の最近の状況につき、至急ご返事願えれば、互いに好都合と存じます。敬具

→(ばか!こんなおそまつなコピーの手紙をよこして、至急返事をくれとはあきれたものだ。たぶん、こいつを秋の木の葉のように全国へばらまいているんだろう。“至急”とは、なんだ!こちらも、君と同様、いそがしい。ところで、君はいったい何の権利があって、偉そうに命令をするのだ。“互いに好都”手紙の最後になって、やっとこちらの立場に気がつきはじめたようだが、こちらにどう好都合なのか、これでは、やはりわからない。)


追伸

ブランクヴィル・ジャーナル紙の写しを一部同封いたします。貴局の放送にご利用願えれば幸甚に存じます。


→(追伸で、やっと“お互いに好都合”だという意味がわかった。なぜ、はじめにそれを書かないのだ。もっとも、はじめに書いたとしても、たいしたかわりはなかろう。だいたい、こういうばかげた手紙を平気でよこすような広告業者は、頭がどうかしているのだ。君に必要なのは、こちらの状況報告ではなくて、ばかにつける薬だ。)


広告業を本職とし、人に物を買う気を起させる専門家であるはずの人間でさえも、こんな手紙を書くのだから、他の職業の人々の書く手紙は、推して知るべしである。


3.相手の立場に身を置く(4)


きょうもまた数千のセールスマンが、十分な収入も得られず、失望し疲れはてて街を歩いている。

なぜだろう?彼らは常に自分の欲するものしか考えないからだ。

われわれは、別に何も買いたいとは思っていない。

それが彼らにはわかっていないのだ。

われわれは、ほしいものがあれば、自分で出かけて行って買う。

われわれは、自分の問題を解決することには、いつでも関心を持っている。

だから、その問題を解決するのに、セールスマンの売ろうとしているものが役立つことが証明されさえすれば、こちらから進んで買う。

売りつける必要はないのである。

客というものは自分で買いたいのであって、売りつけられるのはいやなのだ。

それにもかかわらず、セールスマンの大多数は、客の立場で考えて売ろうとしない。


良い例がある。

わたしはニューヨーク郊外のフオレスト・ヒルズに住んでいるのだが、ある日、停車場へ急ぐ途中、ロング・アイランドで多年不動産仲介業をやっている男に出あった。

その男はフオレスト・ヒルズのことをよく知っていたので、わたしの住んでいる家は建築材料に何を使ってあるのかたずねてみた。


彼は知らないと答え、庭園協会に電話で問い合わせてみろという。

それくらいのことなら、とっくに承知している。


ところが、その翌日、彼から一通の手紙が届いた。

きのうたずねたことがわかったのだろうか−‐−電話をかければ一分とかからない問題だ。

手紙を開いてみると、そうでない。


きのうと同じく、電話で聞いてみろとくりかえし、そのあとで、保険に加入してくれとたのんでいる。

この男は、わたしの肋けになるようなことには興味がない。

彼自身の肋けになることにのみ興味を持っているのだ。

相手の立場に身を置き、相手の立場から物ごとを考えるという、

たったひとつのことを学びとっていただければ、成功への第一歩が、すでに踏み出されたことになる。


3.相手の立場に身を置く(5)


他人の立場に身を置き、その心のなかに欲求を起させるということは、相手をうまくあやつってこちらの利益にはなるが先方には損になることをやらせることでは決してない。


双方が利益を得なければうそである。

先に紹介した手紙を書く側と受け取る側の双方が、その手紙の提案を実行することで利益を受ける。

大学でむずかしいラテン語や微積分をやった人たちでも、自分自身の心の働きについては、まるで知らないことが多い。

ある受講者のひとりが、仲間を勧誘してバスケット・ボールをやらせようとしていた。

彼は、皆に向かって、こういった−

「皆にバスケット・ボールをやってもらいたいんだ。

僕はバスケット・ボールが好きで、何回か体育館へ出かけて行ってみたが、いつも人数が足りなくてゲームがやれないんだ。

この前など、二、三人しかいなくて、ボールの投げ合いをやってるうちに、ボールを当てられて、ひどい目にあった。

あしたの晩は、諸君、ぜひ来てくれたまえ。僕は、バスケット・ボールがやりたくてしかたがないんだ」。

彼は、相手がやりたくなるようなことは、何もいわなかったわけだ。

だれも行かないような体育館には、だれだって行きたくないにきまっている。

彼がいくらやりたくても、そんなことは、こちらの知ったことではない。

それにわざわざ出かけて行って、ボールを当てられてひどい目にあうのは、まっぴらだ。

もっとほかにいいようもあったはずだ。


バスケット・ボールをやればどういう利益があるか、それをなぜいわなかったのだろう。

元気が出るとか、食欲が旺盛になるとか、頭がすっきりするとか、とてもおもしろいとか、利益はいくらでもあるはずだ。

「まず相手の心のなかに強い欲求を起させること。これをやれる人は、万人の支持を得ることに成功し、やれない人は、ひとりの支持者を得ることにも失敗する」。


3.相手の立場に身を置く(6)

わたしの講習会に参加したある聴講者の話だが、彼は、いつも自分のおさないむすこのことを心配していた。

その子がひどい偏食で、とてもやせていたのである。世間の親の例にもれず、彼は妻といっしょになって小言ばかりいっていた。

「お母さんは、坊やにこれを食べてもらいたいんだよ」。

「お父さんはね、坊やがからだの立派な人間になってもらいたいんだよ」。

こういわれて、この子が両親の願いを聞き入れたとすれば、それこそ不思議だ。

三十歳の父親の考え方を三歳の子供に呑み込ませようとするのはむりだというくらいのことは、だれだって知っている。

にもかかわらず、この父親は、そのむりを通そうとしているのだ。

ばかな話だが、そのばかさかげんに、彼もやっと気がついて、こう考えてみた−「いったいあの子は、何をいちばん望んでいるだろうか。

どうすれば、あの子の望みとわたしの望みを一致させることができるだろうか」。

考えればわけのないことだった。

子供は三輪車を持っており、それに乗って家の前の道路で遊ぶのが大好きだった。

ところが、二、三軒となりに手におえないガキ大将がひとりいて、そいつが、三輪車を取りあげ、わがもの顔に乗りまわすのである。

取りあげられると、子供は、わっと泣きだして母親のところへ帰ってくる。

母親は、さっそく飛び出して、三輪車を取りもどしてやる。

こういうことが、ほとんど毎日のようにくりかえされていた。

この子は、何をいちばん望んでいるだろうか?

シャーロツク・ホームズをわずらわすまでもなく、考えてみればすぐわかる。

彼の自尊心、怒り−こういった内心の強烈な感情が彼を動かして、そのガキ大将を、いつかはこっぴどくやっつけてやろうと決心させていたのである。

「お母さんのいうものを何でも食べさえすれば、いまに、坊やはあの子よりも強くなるよ」。

父親のこのことばで、偏食の問題は、たちまち消えてしまった。

子供は、そのガキ大将をやっつけたいばかりに、何でも食べるようになったのである。


3.相手の立場に身を置く(7)


「自己主張は人間の重要な欲求のひとつである」。


これは、ウィリアム・ウインターのことばであるが、われわれは、この心理を、仕事に応用することができるはずだ。


何かすばらしいアイディアが浮かんだ場合、そのアイディアを相手に思いつかせるようにしむけ、それを自由に料理させてみてはどうか。


相手はそれを自分のものと思いこみ、二皿分も平らげるだろう。


まず相手の心のなかに強い欲求を起させること。


これをやれる人は、万人の支持を得ることに成功し、やれない人は、ひとりの支持者を得ることにも失敗する。


1.盗人にも五分の理を認める。


三十年前に、わたしは人をしかりつけるのは愚の骨頂だと悟った。

自分のことさえ、自分で思うようにはならない。

神様が万人に平等な知能を与えたまわなかったことにまで腹を立てたりする余裕はとてもない。

他人のあら探しは、なんの役にも立たない。

相手は、すぐさま防御体制をしいて、なんとか自分を正当化しょうとするだろう。

それに、自尊心を傷つけられた相手は、結局、反抗心をおこすことになり、まことに危険である。

われわれは他人からの舐讃を強く望んでいる。

そして、それと同じ強さで他人からの非難を恐れる。

こういったぐあいに、悪い人間ほど自分のことは棚にあげて、人のことをいいたがる。

それが人間の天性なのだ。

人を非難するのは、ちょうど天に向かってつばをするようなもので、必ずわが身にかえってくる。

他人の欠点を直してやろうという気持は、たしかに立派であり賞賛に価する。

どうしてまず自分の欠点を改めようとしないのだろう?

他人を矯正するよりも、自分を直すほうがよほど得であり、危険も少ない。

自分の家の玄関がよごれているのに、隣りの家の屋根の雪に文句をつけるなと教えたのは、東洋の賢人孔子である。

死ぬまで他人に恨まれたい方は、人を辛辣に批評してさえおればよろしい。

その批評が当っていればいるほど、効果はてきめんだ。

およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。

相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということをよく心得ておかねばならない。

成功の秘訣は「人の悪口は決していわず、長所をほめること」だ

人を批評したり、非難したり、小言をいったりすることは、どんなばか者でもできる。

そして、ばか者にかぎって、それをしたがるものだ。

理解と、寛容は、すぐれた品性と克己心をそなえた人にしてはじめて持ちうる徳である。


2.重要感を持たせる


人を動かす秘訣は、この世に、ただひとつしかない。

すなわち、みずから動きたくなる気持を起させること、これが、秘訣だ。

人を慨かすには、相手のほしがっているものを与えるのが、唯一の方法である。

人は、何をほしがっているか?

人間の持つもっとも根強い衝動は、重要人物たらんとする欲求だというのである。

この欲求は、食物や睡眠の欲求同様になかなか根強く、しかも、めったに満たされることがないものなのだ。

リンカーンの書簡に「人間はだれしもお世辞を好む」と書いたのがある。

「人間の持つ性情のうちでもっとも強いものは、他人に認められることを渇望する気持である」という。

これこそ人間の心をたえずゆさぶっている焼けつくような渇きである。

他人のこのような心の渇きを正しく満たしてやれる人はきわめてまれだ

それができる人にしてはじめて他人の心を自己の手中におさめることができるのである。

自己の重要感を満足させる方法は、人それぞれに違っており、その方法を聞けば、その人物がどういう人問であるかがわかる。

他人の同情と注意をひいて自己の重要感を満足させるために、病気をする人も、ときにはある。

自己の重要感を渇望するあまりに、狂気の世界にまではいって、それを満たそうというものも、世のなかにはいるのだ。

われわれが正気の世界でこの望みを満たしてやることにすれば、どんな奇跡でも起すことができるはずではないか。

シュワッブがこれだけの給料をもらうおもな理由は、彼が人をあつかう名人だからだと自分でいっている。

他人の長所を仲ばすには、ほめることと、励ますことが何よりの方法だ。

上役から叱られることほど、向上心を害するものはない。

わたしは決して人を非難しない。

人を働かせるには奨励が必要だと信じている。

だから、人をほめることは大好きだが、けなすことは大きらいだ。

気に入ったことがあれば、心から賛成し、惜しみなく讃辞を与える。

気に入らなければめちやくちやにやっつけるが、気に入れば何もいわない。

どんなに地位の高い人でも小言をいわれて働くときよりも、ほめられて慟くときのほうが、仕事に熱がこもり、出来ぐあいもよくなる。

その例外には、まだ一度も出あったことがない

「おのれよりも賢明なる人物を身辺に集むる法を心得しものここに眠る」。

真心をこめて感謝するのが、ロツクフェラーの人あつかいの秘訣であった。

名優アルフレッド・ランドも、「わたしにもっとも必要な栄養物は、自己評価を高めてくれることばだ」といっている。

われわれは、子供や友人や使用人の肉体には栄養を与えるが、彼らの自己評価には、めったに栄養を与えない。

牛肉やじゃがいもを与えて体力をつけてはやるが、やさしいほめことばを与えることは忘れている。

やさしいほめことばは、夜明けの足のかなでる音楽のように、いつまでも記憶に残り、心の糧になるものなのだ。

「相手の自己評価にぴったり合うことをいってやること」。

「人間は、どんなことばを用いても、本心をいつわることはできない」といましめている。

人間は、何か問題があってそれに心を奪われているとき以外は、たいてい、自分のことばかり考えて暮らしている。

そこで、しばらく自分のことを考えるのをやめ、他人の長所を考えてみることにしてはどうだろう。

他人の長所がわかれば、見えすいた安っぽいお世辞などは使わなくてもすむようになるはずだ。

他人の真価を認めようと努めるのは、日常生活では非常にたいせつな心がけであるが、ついおろそかになりがちである。

子供にとって、親が示してくれる関心や、賞讃のことばほどうれしいものはないのである。

人問は例外なく他人から評価を受けたいと強く望んでいるのだ。

深い思いやりから出る感謝のことばをふりまきながら口々をすごす−これが、友をつくり、人を勤かす秘訣である。

魚釣りをする場合、自分の好物のことは考えず、魚の好物のことを考える。

人を釣る場合にも、この常識を利用していいわけだ。

われわれは、自分の好きなものに興味を持つ。生涯持ちつづけるだろう。

しかし、自分以外には、だれも、そんなものに興味を持ってはくれない。

だれも彼も、われわれ同様、自分のことでいっぱいなのだ。

だから、人を動かす唯一の方法は、その人の好むものを問題にし、それを手に入れる方法を教えてやることだ。

これを忘れては、入を動かすことはおぼつかない。

たとえば、自分のむすこにたばこを吸わせたくないと思えば、説教はいけない。

自分の希望を述べることもいけない。

この方法を心得ていると、子供でも、子牛でも、またチンパンジーでも、意のままに動かすことができる。

人間の行為は、何かをほしがることから生まれる。

「人間の行動は、心のなかの欲求から生まれる…

人を動かす最善の方法は、まず、相手の心のなかに強い欲求を起させることである。

商売、家庭、学校あるいは政治においても、人を動かそうとするものは、このことをよく覚えておく必要がある。

彼は、若いころすでに、人を動かすには、相手ののぞむことがらを考えて話すよりほかに方法はないと悟っていた。


3.相手の立場に身を置く


人を説得して何かやらせようと思えば、口をひらくまえに、まず自分にたずねてみることだ

―「どうすれば、そうしたくなる気持を相手に起させることができるか?」

これをやれば、自分勝手な無駄口を相手に聞かせずにすむはずだ。

たとえ、わたしが相手を説きふせて、その非を悟らせたとしても、相手は引きさがるまい。

自尊心がそれを許さないだろう。

「成功に秘訣は、他人の立場を理解し、自分の立場と同時に、他人の立場からも物事を見ることのできる能力である」。

たいていの手紙はこの常識の大原則を無視している。

きょうもまた数千のセールスマンが、十分な収入も得られず、失望し疲れはてて街を歩いている。

なぜだろう?彼らは常に自分の欲するものしか考えないからだ。

われわれは、別に何も買いたいとは思っていない。

それが彼らにはわかっていないのだ。

われわれは、ほしいものがあれば、自分で出かけて行って買う。

われわれは、自分の問題を解決することには、いつでも関心を持っている。

その問題を解決するのに、セールスマンの売ろうとしているものが役立つことが証明されさえすれば、こちらから進んで買う。

客というものは自分で買いたいのであって、売りつけられるのはいやなのだ。

それにもかかわらず、セールスマンの大多数は、客の立場で考えて売ろうとしない。

この男は、わたしの肋けになるようなことには興味がない。

彼自身の肋けになることにのみ興味を持っているのだ。

相手の立場に身を置き、相手の立場から物ごとを考えるという、

たったひとつのことを学びとっていただければ、成功への第一歩が、すでに踏み出されたことになる。

まず相手の心のなかに強い欲求を起させること。

これをやれる人は、万人の支持を得ることに成功し、やれない人は、ひとりの支持者を得ることにも失敗する。

三十歳の父親の考え方を三歳の子供に呑み込ませようとするのはむりだというくらいのことは、だれだって知っている。

ばかさかげんに、彼もやっと気がついて、こう考えてみた−「いったいあの子は、何をいちばん望んでいるだろうか。

どうすれば、あの子の望みとわたしの望みを一致させることができるだろうか」。

この子は、何をいちばん望んでいるだろうか?

彼の自尊心、怒り−こういった内心の強烈な感情が彼を動かした。

「自己主張は人間の重要な欲求のひとつである」われわれは、この心理を、仕事に応用することができるはずだ。

すばらしいアイディアが浮かんだ場合、そのアイディアを相手に思いつかせるようにしむけ、それを自由に料理させる。

相手はそれを自分のものと思いこみ、二皿分も平らげるだろう。

まず相手の心のなかに強い欲求を起させること。

これをやれる人は、万人の支持を得ることに成功し、やれない人は、ひとりの支持者を得ることにも失敗する。  

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