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咲くやこの花姫
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/273.html
投稿者 1984 日時 2011 年 10 月 27 日 11:15:04: 3SipOypTxKjgk
 

といえば、海幸、山幸のか〜ちゃんなのですが、王仁(わに)がこんな一句をのこしています。

「なにはづに さくやこの花 ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな」

みなさんのポカ〜んとした顔が想像できるのですが、これは百人一首の一句です。

そうです。カルタです。かるたの語源はポルトガル語の「紙」だそうです。

なんで今更歌留多の話を持ち出したか、というと、「ちはやふる」がおもしろいからです。

「ちはやふる」神代も聞かず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは
by 在原業平朝臣(ありわら の なりひら)

は、2007年から連載されている少女漫画だそうです。

ちょうど先日、第4話が放送されたとこです。
http://www.ntv.co.jp/chihayafuru/

カルタに青春をかける主人公?!とぶったまげたわけです。

作者 末次由紀
監督 - 浅香守生
# シリーズ構成 - 高山直也
# キャラクターデザイン・総作画監督 - 濱田邦彦
# 美術監督 - 清水友幸
# 撮影監督 - 藤田賢治
# 色彩設定 - 橋本賢
# CG監督 - さいとうつかさ
# 編集 - 木村佳史子
# 音楽 - 山下康介
# 音響監督 - 三間雅文
# プロデューサー - 中谷敏夫、田村学、岩佐直樹
# アニメーション制作 - マッドハウス
# 製作著作 - 日本テレビ、バップ

脚本 柿原優子、加藤綾子 1-4話

千早 瀬戸麻沙美
新  細谷佳正、寺崎裕香
太一 宮野真守、高垣彩陽

みなさん、素晴らしい出来具合です!

加留多対戦方式:
http://www.geocities.jp/kumadaikaruta/about/whats01.html

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
「奈尓波ツ尓昨久矢己乃波奈」
応神天皇の崩御後、菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)と大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が互いに皇位を譲り合ったため、3年間も空位となっていたが、のちに難波高津宮において大鷦鷯尊が即位して仁徳天皇となった際、その治世の繁栄を願って詠まれた歌とされている。
なお、この歌に詠まれている花は桜ではなく梅である。

百人一首一覧: http://www.karuta.org/data/all.html
001 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
あきの 天智天皇
002 春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山      
はるす 持統天皇
003 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
あし 柿本人麻呂
004 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ
たご 山部赤人
005 奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき      
おく 猿丸大夫
006 鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける      
かさ 中納言家持
007 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも      
あまの 安倍仲麿
008 わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり      わがい 喜撰法師
009 花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに
はなの 小野小町
010 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関
これ 蝉丸
011 和田の原 八十島かけて 漕き出でぬと 人には告げよ あまのつりぶね
わたのはらや 参議篁
012 天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ      
あまつ 僧正遍昭
013 筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
つく 陽成院
014 陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに      
みち 河原左大臣
015 君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ
きみがためは 光孝天皇
016 立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む
たち 中納言行平
017 ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
ちは 在原業平朝臣
018 住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ      す 藤原敏行朝臣
019 難波潟 短かき蘆の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや      
なにわが 伊勢
020 わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ
わび 元良親王
021 今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
いまこ 素性法師
022 吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ
ふ 文屋康秀
023 月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
つき 大江千里
024 このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに
この 菅家
025 名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな
なにし 三条右大臣
026 小倉山 峰の紅葉ば 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ       
おぐ 貞信公
027 みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ
みかの 中納言兼輔
028 山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば      
やまざ 源宗于朝臣
029 心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花      
こころあ 凡河内躬恒
030 有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし      
ありあ 壬生忠岑
031 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪      
あさぼらけあ 坂上是則
032 山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり      
やまが 春道列樹
033 久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ      
ひさ 紀友則
034 誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに      
たれ 藤原興風
035 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける      
ひとわ 紀貫之
036 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ      
なつ 清原深養父
037 白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける      
しら 文屋朝康
038 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな      
わすら 右近
039 浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき
あさじ 参議等
040 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで
しの 平兼盛
041 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
こい 壬生忠見
042 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは       
ちぎりき 清原元輔
043 逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり      
あい 権中納言敦忠
044 逢ふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
おおこ 中納言朝忠
045 哀れとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
あわれ 謙徳公
046 由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな   
ゆら 曽禰好忠
047 八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり
やえ 恵慶法師
048 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな
かぜを 源重之
049 みかきもり 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ 物をこそ思へ
みかき 大中臣能宣朝臣
050 君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな       きみがためお 藤原義孝
051 かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしもしらじな 燃ゆる思ひを
かく 藤原実方朝臣
052 明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな
あけ 藤原道信朝臣
053 嘆きつつ ひとりぬる夜の 明くる間は いかに久しき 物とかは知る
なげき 右大将道綱母
054 忘れじの 行末までは かたければ けふをかぎりの 命ともがな
わすれ 儀同三司母
055 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ
たき 大納言公任
056 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの あふこともがな
あらざ 和泉式部
057 めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな め 紫式部
058 有馬山 ゐなの篠原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする        
ありま 大弐三位
059 やすらはで 寝なましものを 小夜ふけて 傾ぶくまでの 月を見しかな
やす 赤染衛門
060 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立       
おおえ 小式部内侍
061 いにしへの 奈良の都の 八重ざくら けふ九重に にほひぬるかな
いに 伊勢大輔
062 夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
よを 清少納言
063 今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな
いまわ 左京大夫道雅
064 朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々のあじろ木
あさぼらけう 権中納言定頼
065 恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
うら 相模
066 もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし      
もろ 前大僧正行尊
067 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ
はるの 周防内侍
068 心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
こころに 三条院
069 嵐吹く 三室の山の 紅葉葉は 竜田の川の にしきなりけり      
あらし 能因法師
070 さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこもおなじ 秋の夕暮れ
さ 良暹法師
071 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 蘆のまろ屋に 秋風ぞ吹く      
ゆう 大納言経信
072 音に聞く たかしの浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ
おと 祐子内親王家紀伊
073 高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ      
たか 前中納言匡房
074 憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを
うか 源俊頼朝臣
075 契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり      
ちぎりお 藤原基俊
076 和田の原 漕ぎ出でてみれば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白波 わたのはらこ 法性寺入道前関白太政大臣
077 瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
せ 崇徳院
078 淡路島 かよふ千鳥の なく声に いく夜ねざめぬ 須磨の関守      
あわじ 源兼昌
079 秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ
あきか 左京大夫顕輔
080 長からむ 心もしらず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ      
ながか 待賢門院堀河
081 ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる      
ほ 後徳大寺左大臣
082 思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり      
おも 道因法師
083 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる      
よのなかよ 皇太后宮大夫俊成
084 永らへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき
ながら 藤原清輔朝臣
085 夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり
よも 俊恵法師
086 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな      
なげけ 西行法師
087 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ      
む 寂蓮法師
088 難波江の 蘆のかり寝の ひと夜ゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき
なにわえ 皇嘉門院別当
089 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
たま 式子内親王
090 見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず
みせ 殷富門院大輔
091 きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
きり 後京極摂政前太政大臣
092 わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそしらね かはく間もなし
わがそ 二条院讃岐
093 世の中は つねにもがもな 渚漕ぐ あまの小舟の 綱手かなしも
よのなかわ 鎌倉右大臣
094 み吉野の 山の秋風 小夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり      
みよ 参議雅経
095 おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖
おおけ 前大僧正慈円
096 花さそふ あらしの庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
はなさ 入道前太政大臣
097 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
こぬ 権中納言定家
098 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
かぜそ 従二位家隆
099 人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は      
ひとも 後鳥羽院
100 ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり      
もも 順徳院  

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コメント
 
01. 2011年10月27日 13:29:04: B93ZYBQSHY
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0834.html
それでは話を元に戻すが、そのニニギがそうやって上陸した九州のどこかで、ニニギはアタツヒメという女性と出会い、これを娶ったのである。一夜の契りなのにすぐに妊娠したというので、その貞操が疑われたという女性だ。
 
この女性は誰かというと、薩摩半島の西に野間半島があって、そこに阿多という地域があるのだが、その阿多の女というので、アタツヒメとなった。ここは阿多の隼人が君臨していた地域で、アタのハヤトは大豪族だった。
 
もっともアタツヒメは俗称で、別名は諸君もよく知っているコノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜)なのだ。絶世の美女で、姉はイワナガヒメというひどいブスだったというのだが、むろんあてにはならない。
 
ところが、出雲神話ではこの姉妹はオオヤマツミノカミ(大山津見)の娘だということになっている。これは困る。オオヤマツミの子はアシナヅチ・テナヅチで、その娘は例のヤマタノオロチの犠牲になりそうになった可憐なクシナダヒメ(櫛名田)だ。そのクシナダを娶ったのがスサノオだ。なぜ、そんな娘がニニギの近くに出没することになったのか。
 
ところがまた他方、『日本書紀』では、ニニギが娶ったのはカアシツヒメ(鹿葦津)で、その別名がコノハナサクヤヒメだったと記している。どーも混乱している。何かがおかしい。

02. 2011年10月27日 16:55:06: FL3HBMFVVs
ニニギが二人いれば、おかしくない。どこにも”個人”とは書いてない。
ニニギの意味をしらべるべし。

3. 五葉 2015年8月01日 13:26:53 : eZOJXfj4b2E4w : bBk1pJdCrU
「なにはづに さくやこの花 ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな」

みなさんのポカ〜んとした顔が想像できるのですが、これは百人一首の一句です。

この短歌は、百人一首の中にはありません。
一句は俳句の言い方。短歌は一首だと思います。

コメント投稿できないみたいですね。


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