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政五郎と金四郎
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投稿者 1984 日時 2011 年 12 月 29 日 12:37:16: 3SipOypTxKjgk
 

八切止夫著、江戸侠客伝 6−8より抜粋:

http://www.rekishi.info/library/yagiri/index.html

江戸の相政


惣嫁のいる土手

「五文渡しの舟が出るぞお…」
 
船頭が掌を筒にして呼びかう鎧の渡しは、今は証券街中央の兜橋の所だが日暮れ時になると、小網町行きの客でごった返す。「早くゆかぬと間に合わぬ」武家奉公の折助仲間や、お店(たな)者がひしめき合うせいである。
 
というのは、対岸の裏河岸は千葉から蛤や浅利を運んでくる行徳河岸だが、その先の稲荷堀の酒井雅楽頭中屋敷の黒板塀にそった蠣殻河岸の土手に、上総あたりの娘たちが、その頃の天井知らずの物価高には、とても普通の稼ぎでは追いつかぬのか、秘かにこの辺りまで舟で来だして、「惣嫁(そうか)」とよばれる客引きをしだした。
 
すると、これがまだ素人同様ですれっからしていないから、「ありゃ良い‥‥」とすっかり人気をよんで渡し舟で先を争い、男たちがわれ先にと集まってくるのである。
 
が、いくら男が詰めかけてきても娘達は嬌声をかけ呼ぶわけではなく、客がつくと叢の茂みの中へ、かき分け入ってゆくだけだから静かなものである。
 
だからそれに眼をつけた政五郎は、ここの土手へ隣町新右衛門町小間物屋の娘美代を、なにくわぬ顔で連れ出してきてからが、「いい月だよなぁ」といいつつ、土手の叢に転がっている一組ずつの組み合わせを、恥ずかしがる娘に指さし覗かせ見せ、「郷に入ったら郷に従えってことがあらぁ、ここへ来たら皆さまと同じようにしなくちゃあ、いけねぇんだよ。いいね」
 
いってきかせて押し倒そうとしたが、「こわい‥‥」と美代はおびえてしまい、「盃事をあげるまでは」と胸を突っぱって政五郎をよけ、身体を起すと海老みたいに丸まって震えだした。そして泣き声たてて、「いやん、帰る」といいだした。
 
のち新門辰五郎と並んで、大江戸最後の任侠と謳われた相模屋政五郎も、この時はまだ十九才。だから止むにやまれぬ血気の盛り。「とても祝言するまで、お預けくった犬みたいにチンチンして、いや出しっ放しで待って居られるかい」と突き出した物をもて余し、「いいよ、美代ちゃんがそんなに冷たいんなら‥‥おいらにだって覚悟があるよ。惣嫁というのは誰の嫁にもみんななってくれるんだ。銭を結納にもってゆきさえすりゃあ、すぐその場でああして寝てくれるんだ」
 
客と別れ一人になった女を見つけ立ち上がりだした。これには美代も周章てて、「いやん‥‥」すねるように裾をつかんだ。「なら、こっちで間に合わせてくれるかい」「だって、そんな‥‥おそがい[名古屋弁で『怖い』の意]、怖いわ」
「大丈夫だってことよ、なぁ、おいらのことを美代ちゃんが好きだって証拠ぐらい、見せてくれたって良いじゃないか」
 
ようやく云いくるめ捻じ伏せてしまい、のけぞる美代の上へ覆いかぶさったとき、「‥‥かりこみだ」と突然の叫びがした。「お手入れだぁ」女たちの悲鳴が聴えた。
 
ぞめきお素見(ひやかし)に化けた下っ引連中が、永久橋の本多肥後守上屋敷脇から甚左衛門横町まで、地引き網みたいに張っていたらしく、土手っぷちの下から、「わあッ」と狩りの勢子(せこ)よろしく、ときの声をあげて這い登ってくるなり、「御用だ、神妙にしゃあがれ」
 
口々に喚いて逃げ惑う女や男の肩口へ、情け容赦もあらばこそ十手を叩きこんだり、抱えた六尺棒で滅多打ちをくれだした。「なんで、こんな大捕物になりゃあがった。この土手に天下を狙う大伴の黒主(くろぬし)でも匿(ひそ)んでいやがったんか?」泡をくった政五郎は、「起きるんだ。早く逃げちまおう」と美代の手をひっぱった。ところが、「痛い‥‥竹箒の柄でも身体に刺さっているみたいで動けなんぞできゃしない」
 
地べたへ釘づけに貼りつけられでもしたような、憐れっぽい声をだして美代は、「良いから貴方だけ逃げて‥‥」
 
自分でも起きようと腰を浮かしはしたが、それもならず、掌で土手の草をむしるようにして突っ張りつ、悲壮な叫び方をした。
 
が、そういわれても、ではお先にと逃げ出しもならず政五郎は、「確りしな、お美代坊、おいらがおぶって行ってやろう。背を貸すよ」
 
あべこべに向かって己が腰を屈めたとき、「助けておくれよう」と土手下から逃げてくる女達が、横から突き当ってきた。
 
だから身体を浮かした恰好の政五郎は、もろに弾みをくって転がり落ちた。
 
しかも悪いことに土手の下積みの石の角に、いやという程脾腹(ひばら)をうってしまった。
 
そこで、美代のことが気になっても今度は自分が立てぬことになって、「うんうん」蹲(うずくま)ったまま唸っていると、ガタピシ軋む木輪の音が地響きみたいに伝わってくる。痛む下腹を抑え伸び上がってみれば、荷車に何人もの女が縛りつけられてゆく処。「そうかぁ‥‥女狩りだったのか。ここら辺りに出る上総女は泳ぎが巧いから、水の中へ逃げられないよう、あっしてくくってゆくんだな」政五郎は泣き叫ぶ声をききつつ考えた。
 
そして、(夜鷹狩りなら、れっきとした新右衛門町の小間物屋の娘の美代には係り合いもなかろ)
 
ほっとして夜空を仰ぎみたが、「まだ、あの侭で寝転がっているんじゃあ、夜露に当って毒だろ」
 
すこし痛みがおさまると、もとの場所までよじ登っていってみた。
 
が、何処を探しても一向に見当たらない。「美代ときたら十七にもなるのに、からっきしねんねで甘えん坊だ。さっきだって女ならうちの阿袋さんにしろ、平気でいつも自分からやりたがってることをしてやっただけなのに‥‥まるで死にそうに暴れやぁがった。しかしあの騒ぎには仰天し泡くって、てめぇでさっさと家へ帰ったんだろう」と、また鐙の渡しから政五郎もひとりで戻った。

檻に入れられた女達

口入れ屋といっても、日本橋界隈の丁稚小僧の年期奉公だけを扱っている相模屋は、暗くなると表の大戸をしめてしまう。
 
そこで裏木戸から潜りこんで勝手口で、泥塗れの手足を洗いでいると、「どうした。喧嘩でもしてきおったか」
 
物音をききつけた父親の貞右エ門が姿をみせ、気難しく叱言を浴びせかけた。「そんなんじゃねぇ。捕物の巻き添えをくったんだよ」と、むくれていい返したところ、「こっちへ早く上がってきなさい」
 
怖い顔をして自分の居間までつれこみ、「喧嘩口論なら大事はないが、捕物の見物などし、巻添えにされ、もし間違えられて御縄を頂戴し牢へつれてゆかれでもしてみぃ。この相模屋の暖簾に傷がつくではないか」
 
頭ごなしにがみがみ文句をつけられた。
 
そこで政五郎が閉口して手をふり、「阿父っつぁん。巻添えといっても土手から滑り落ちて、ちょっぴり手足をすりむいただけだが、女狩りなんだから間違ってもおいらがしょっぴかれるわけはねぇ」
 
いいかえしたところ、文句をつける継穂(つぎほ)がなくなって、貞右エ門はしょうことなしに横を向き、父子の間だが座が白けた。そこで、「なぁ阿父っつぁん。なんで目明かしってのは、あんなに精出して女なんか捕えるんだろ」
 
首をすこし曲げて尋ねかけてみると、「そいつは、おまえ‥‥」と貞右エ門は、「‥‥目明かしや下っ引きというのは、南北奉行所へ出入りを許されているが、『同心何某様御知(みし)り』といった門札を貰う程度の扱いで、びた一文のお手当も頂いちゃいねぇ。やつらの給金や盆暮節季の銭も出所は一切、新吉原からなんだ。だから吉原の商売の邪魔になる無許可の岡場所は放ってもおけんから、やつらは嗅ぎ廻って岡場所を根絶やしにしようと、見つけ次第に踏み込んではしょっ引く。そこで『岡っ引き』ともいうだろうが‥‥」
 
訊かれたのに気をよくしたような口調で、「捕まった女たちは吉原会所から各女郎屋へくばられ、そこで年季なしの生涯只働きの勤めをさせられる‥‥まぁ世の中に仕込みが掛からぬこんなぼろい話もない。そこで会所では月決めの手当の他に、捕まえてきた女一人にいくらと奨励(はげみ)金をやるらしい。元手いらずに儲かるから下っ引きは仲間でくんで、夜鷹まで網にかけて御用弁にするんだ」と教えた。
 
口入れ屋稼業で時には身売りの相談をもちこまれ、女衒(ぜげん)を通じて吉原へ世話をする貞右エ門にとっては、岡っ引きのそうした捕物は、いわば商売の邪魔。だから口から唾をとばして伜にしゃべっている最中。「旦那。新右衛門町の小間物問屋さんから‥‥此方の若旦那は戻っていなさるか?とのお使いがみえてますが」と番頭が知らせにきた。「えッ、お前は小間物問屋の娘を連れ出していたのか」びっくりした貞右ヱ門にどなられ、「美代ちゃんは堅気なお店(たな)の娘‥‥間違って連れてゆかれたとしても大丈夫でしょう」
 
父親のてまえ照れ隠しに頭をかくと、「この馬鹿ったれめが‥‥そうならそうと何故すぐ小間物問屋さんに教えに行かなんだ」
 
泡をくった貞右ヱ門は店へ駆けてゆくと、大戸の潜りから入ってきて、提灯片手に土間に立っている使いの番頭に、「わしが一緒に伺ってお話しましょう」
 
あたふた出かけていった。政五郎も気になったが、一緒について行けば向こうの親爺にも怒鳴(どや)しつけられそうなので、自分の部屋にひっこんでその侭布団をかぶって寝てしまった。
 
朝になってみると父親の貞右ヱ門は小間物問屋へ行ったまま、まだ戻っていないという。「事の起こりはお前じゃないか。男らしくしゃんとして行っておいで」
 
心配して一晩中起きていたのか赤い眼をした阿袋に、追い立てられるように新右ヱ門町へゆくと、そこの主人と一緒に父親は弾正橋を渡った八丁堀の宗印屋敷前の囲地(かこい)へ出かけているとの話。朝飯前のかったるい腹をかかえ、福島町から橋を渡り、恐い顔をした門番が立っている松平越中守上屋敷の、白壁について松屋町まで出て、教わった囲地へつくと、「わいわい」心配そうな顔をしたのが人垣を作って、しきりと中を覗きこんでいる。
 
が、見廻したところ、貞右ヱ門も小間物屋の主人の姿も混じっていない。そこで番人の目を盗んで中へ入りこむと、構内にはいくつもの建物がある。薄暗くてはっきりとしないが、「てえッ‥‥」眼がきくようになると政五郎は、己が目を疑うような叫びをあげた。
 
皮つきの丸太で組んだ檻が並んでいて、女がかためてそこへ放りこまれている。
 
柵の間から手を出し救いを求めている恰好のもいるが、あらかた泣きつくし喚きすぎ精根つきはてた様子で、放心したように重なりあって座りこみぼんやりした侭である。
 
が、夜鷹でも抱主というか親方がいるらしく、それが下っ引きの云うなりの銭を払って檻までくると、迎えにこられた女は狂喜せんばかりに出口へ這ってゆく。
 
女衒とみえる人買いや、近在の街道筋の女郎屋や飯盛女を仕入れにきたのが、顔を丸太格子にくっつけんばかりに覗きこんで、「手足の小さな女が道具が良い」とか、「見掛けさえよければ客がよくつく」などと勝手なことをいっては吟味し、下っ引きに銭をつかませると、てんでに女を連れ出してゆく。だから政五郎は、(うちの阿父っつぁんは知ったかぶりをして、吉原へ納める為に女狩りをするんだといってたが‥‥これじゃあ、下っ引きの連中の自侭な商売じゃないか。こんな儲け口ばかりに憂身をやつしていやぁがるから、泥棒も捕まらねぇんだ)呆れ返っていると、その肩を背後から、「こら何をしとるか」貞右ヱ門に突かれ、「美代さんを乗せてゆくんだ。近間だから町駕をよんでこい」
 
振返るなり耳が痛くなる位に怒鳴られた。

腕に桜の刺青(もんもん)

天保四年(1832)、政五郎が二十三歳になった春。
 
風邪をこじらせて貞右ヱ門が亡くなり、「相模屋」の跡目をつぐ事になった。 だが、あれから女房にした美代は、どうも相変わらずの蒼い顔で寝たり起きたりの暮らしだった。
 
なにしろ四年前。素人娘を承知で、惣嫁と一緒くたに荷車に縛りつけていった岡っ引は、親許から纏ったものを引き出し、それから戻ろうとする魂胆だったが、囲地(かこい)へ放りこんで家へ戻ってしまった後。
 
張り番に残った下っ引き連中は、そうとは気づかず、「一人おぼこい小娘がいたじゃねぇか」「どうせ明日になりゃあ吉原のちょんちょん格子か、何処かの地獄宿へやられる娘だ」
 
もちろん貞右ヱ門と美代の親が囲地を教わって、その頃には引き取り方に銭をもって迎えにゆき、充分に間に合ってはいた。だが、いくら戸を叩いても、美代にかわるがわる挑んでいた連中の耳へ届くはずもない。
 
ようやく朝になって入口の貫木(かんぬき)のとれた頃には、美代はもう死んだようになっていた。
 
駕でつれ戻って本道(いしゃ)をよび煎じ薬を呑ませたが、そんなことで本復するわけがない。

「もとはといえばうちの伜の政五郎が、とんだ所で連れ出したばっかりの災難ゆえ」
 
昔気質の貞右ヱ門が嫁に貰いにいったが、「ひどい傷物になってしまった娘。今さら貰って頂けるものではありません」
 
小間物問屋も義理固く突っぱね断ってきた。しかし当人の政五郎にしてみれば、「こんな事はなんでもないよ」と口説いてしまった手前、今になって、(何人もに悪戯(わるさ)された後では真っ平御免)とも言えぬので、自分で是非にと頼みにいった。小間物問屋も口では強いことをいっても可愛い娘のことゆえ涙をこぼして喜び、「それではお言葉に甘えさして頂いて」と相模屋へ嫁によこした。が政五郎一人でさえ痛がって腰を抜かした程の美代の事なので、同じ晩に続けざま何人にも朝まで輪番制に突かれてしまっては、腰の蝶番がもろに外れてしまったものか、嫁にきても殆ど寝たり起きたりで半病人の有様。
 
しかも、その時の恐ろしさが骨の髄まで身にしみこんでいるらしく、今だに、「恐いよぉ」と夜中にうなされる事がある。
 
それも時たまなら仕方がないが、ひどい時にはそれが毎晩のように続く。これでは政五郎も堪ったものではない。
 
といって美代が可哀想だから、女遊びをしにゆく気にもなれない。そこで通り三丁目の大通りを越した呉服橋よりの樽新道の「丸定」という賭場へ手慰みに通いだした。
 
すると、時たま隣合せに座る御家人くずれらしい男が、賭場の帰り道で、「貴公の所は口入れ屋だそうだが、わしのような者の奉公口はないか」改まった調子で話かけてきた。そこで、「さぁ今いわれて直に御返答もできません。が、何とか心当りを当ってみましょう」と、その場は別れたが、なにしろ両腕から桜の刺青(もんもん)が覗いている侍くずれでは、お旗本の用人の口があっても世話はできない。
 
が刺青があるからといって、まだ固苦しい武家言葉が唇の端ばしから洩れるのを、町火消や材木屋へも話は持ってゆけない。
 
そこでその侭にして放っておくと、次に逢った時には、「先日依頼した件、なんとか早急に計ってくれぬか。実は屋敷から持ち出してきた物も、どうやら底をついてきたのだが‥‥」切羽詰ったように頼みこまれた。「仕方がねぇ。じゃ、いっそのこと今夜からでも汚い所だが、わっちの家へ来なすったら如何さまで‥‥そうすりゃ人探しにくるのも多いこったから、相対ずくの相談で、とんとん拍子に巧く口が決まるかもしれません」
 
刺青などしている割にはすれてもいないし、人品骨柄いやしくない育ちとみて、政五郎は侍言葉の若者を家へ連れ戻った。
 
ところが、この金四とよぶ若者は見掛けによらず、四角い文字も達者ですらすら書ける。その上、二一天作の五と政五郎には何度やっても、数が合わない算盤がパチパチとこれまた器用にこなせる。そこで、「口入れ屋といっても年季奉公のお店(たな)者だけの周旋では面白味がない。武家屋敷の供揃えが臨時仕事ゆえ儲かるが、請求書や受書の計算を勘定して出すのが大変だったが‥‥こりゃ良い。他所へ世話するより此方が使いたい」と政五郎は帳面つけをさせて感心し、「どうだい金さん、おめぇさん俺が処の帳つけをみちゃあくれないか」ときりだした。
 
もちろん落ち着き先を探していた処だから、金四の方とて否やのあろう筈もなく、「では、よろしく」と箔屋町へ一緒に寝泊まりする事となった。が、十日、半月とたつと、「つかぬ事を伺うが、ご妻女は嫁にこられた時から、あないに具合が悪いとか‥‥」
 
どうして半病人の女をよりによって貰ったのか、といわんばかりな顔をしてみせた。
 
そこで政五郎は、丁度さし向いで盃を交わしあい、酔っていた時でもあったから、「これまで他の者にゃあ、女房の恥だし俺にとっても聞えの悪いことゆえ、これっぽっちも口外した事はなかったんだが‥‥」と愚痴まじりに四年前の、蠣殻河岸の捕物で美代が災難にあった話を洩らし、「なぁ金さん、お上御政道ってのは正しくなくっちゃあいけねぇのに、その裾の方の木っ葉役人ってのは利得に眼がくらみ、罪咎もねぇ者に、とんだ阿漕をしゃあがるよな」
 
盃の端をがりがり噛りそうに怒りをぶちまけ、口惜しがってくだをまいた。「そうか。ちいとも知らなかったが、御上御用の岡っ引てのは、そんな非道を致して居るものか」金四も若いだけに、すぐかっかとして眼をすえっ放しに、「仇を討とう」と、これまたいきり立った。

身代わり仇討ち

「大丈夫ですかい、金さん。おめぇさん、あんまり危ないこたぁしねぇがいい」
 
さすがに政五郎は心配して止めたが、「まかせておけ」と金四の方は、髷をといた上へ手拭いを冠り、落ちないように鬢止めにした頭をふってみせ、両手を突っ張り、「似合うかい」
 
美代の普段着をつけた女姿を見せてから、「今日の捕物が亀島河岸だってのは間違いなかろうな。もし違っていたら事だぞ‥‥」
 
夜鷹の茣蓙みたいに長刀を菰にくるくる包んで、小脇に抱え込み、にやっと金四は歯をみせた。「そこは金さん抜かりはない。よい上玉が捕えられたら注文先があるゆえ、銭はたんまりはずもうと巧くもちかけ、まんまと今夜の捕物の話は番頭に聞き出させたんだ」
 
にっこり政五郎もうけあうと、「この恰好じゃ歩いてもゆけまい、紺屋町まで駕を呼んでもらおうか」「呼んでありやすから、おっつけ迎えには来ましょうが、お一人で大丈夫ですかい」
 
しきりに政五郎は気を揉んだが、「茶番にひと暴れしてくるぞ‥‥」
 
駕がくるなり、さっさと乗り込んで、今の神田鍛冶橋にあたる地蔵橋までゆき、そこから岡崎町の御組屋敷の並んだ通りを、与作屋敷の坂になっている河岸へでた。
 
まさか今夜手入れがあるとは知る由もない女たちが、湊町の御船手奉行のお止め場からぞろぞろ川口町へわたってくる艀(はしけ)人足共へ、「ちょッちょッ」鼠鳴きで客引きしていて、月明りでも三十人の余は立ち姿がみえる。
 
そこで金四が、(こりゃ横になっているのも加えたら、五十の余にもなろうが)と目算している処へ、「御用だあッ」という声が響いてきて、「かりこみだァ」
 
橋をふさがれ水谷町の方から、袋の口が締められるように下っ引の群れに追われた女達が悲鳴をあげて逃げてくる。
 
がすぐに六尺棒で背後から足を払われ、情け容赦もなく後手に縛られてしまう。「まるで獣を追いこんで捕まえるみたいだ」
 
初めて眼にする狩り込みに、金四が茫然としていると、下っ引連中が側へ寄ってきて、「今晩は俺達が可愛がってやり、明日からは野っ原でなく家根(やね)のついた所で商売させてやる。さあ、とっとと来やぁがれ」
 
夜鷹の一人と思い、つかみ掛ってきた。
 
が、金四は肩を沈め、相手をすってんどうと投げ飛ばしてしまうと、六尺棒で足を払ってくるのには、ひょいと飛び上がり、ついでに爪先で向こうの胸倉を蹴りあげた。これには、「手向かいしゃあがるのか?」
 
びっくりした下っ引の面々も後へ退り、「神妙にしゃあがれ」遠巻きにして囲んだ。
 
しかし金四は菰包みの侭の刀を降り回し、「どけ」と下っ引を蹴散らし、縛られた女達の処へ駆けこんでゆくなり、「さぁ早く逃げろ。ここは食い止めてやる」
 
片っ端から縄を切りほどいて助けてやり、抜き放った太刀を振りかぶった。すると、「てへえッ」驚いた下っ引連中は、どぎもを抜かれてか一人も掛ってはこなかった。
 
そこで金四は着ていた女物を丸めて肩に担ぐと、襦袢一枚の恰好で相模屋の裏口から、「おう、巧くいったぞ」と、ざんばら髪で帰ってきた。そこで政五郎も話をきき、「ああたってお人は、たいしたお方だ」すっかり舌をまいて感心した。
 
処が二月あまりたった頃合い。番頭が、「お酉さまで吉原(なか)も忙しくなるから人手増やしでしょう、今晩あたり大掛かりな女狩りをやるって、また、下っ引が言ってました」
 
八丁堀へ奉公人の目見得をつれてゆき耳にしてきたのを教えた。だが金四に知らせ、(また女装して出かけられ怪我でもさせてはいかぬ)と気遣った政五郎は、「そうかい。じゃあ今夜は騒々しくなるだろうから、早仕舞にしな」
 
何食わぬ顔でいってのけ店の大戸も早くおろさせた。しかし、むしゃくしゃしていた。「おまえさん、縁側で一杯おやりなさいな」
 
この処また時候の変り目で元気のない美代だったが、気を使って酒の仕度をしてきた。「いいって事よ、それよりおめぇは寝てな」
 
床をとってやると、政五郎は身を案じて無理矢理に寝かしつけた。
 
すると庭から金四が帳面をもって、「本日の付け合せを‥‥」と姿をみせた。「こりゃあ」と政五郎は困った顔をしたが、「まぁ一杯」手にしていた猪口をだした。「これは恐れ入る」と金四は、酒の相手ほしさなのかと縁側へそのまま腰をおろした。
 
が、くみかわしているうち、つい、「じつは今晩またなんですぜ」洩らすともなく、政五郎はしまったと想ったが口にした。「そうか。やろう。だが助けるなら囲地の中まで入って皆かためて面倒みたいな」
 
金四がはりきったので政五郎も引き込まれ、「金さん。彼処(あそこ)にゃ下っ引が役得代りに、ただで檻の女に悪さが出来るから、夜でも十人近くはとぐろをまいてる。もし檻破りをしなさるんなら、わっちも今度は行きやす」
 
生き残りの薮蚊が飛んでくるのを、ぴしゃりとやりながら政五郎も口にした。
 
というのも、美代の仇をとりたい一心もさる事ながら、三年前に自分の眼でみてきた檻の有様が、あまりにも哀れにすぎたので、「まるっきりの地獄図絵だ。あんなにむごい事は許しておけるもんじゃねぇ」
 
酔いも手伝ったが、しまいには肩を怒らせ政五郎は、自分一人ででも出かけそうに腰を浮かせかけた。
 
そこで金四も、「うん‥‥」自分で言い出したものの、「大公儀北町奉行所御用の囲地(かこい)とあっては、まさか女に化けても潜りこめまい。なんとか思案や手だてを先に練っていかねば、ひとつ間違うと飛び込むはよいが袋の鼠だ」
 
盃を含みながら首をひねった。
 
しかし囲地を襲って仕返しを思い込むと、若いだけに政五郎は矢も楯も堪らない。「よっしゃ人手がいるなら賭場へでも行き、助っ人を集めてこよう」立ち上がりかけた。
 
処が美代が唯ならぬ気配に襖をあけ、「おまえさん私いとしさに仇をとってくれよう志は嬉しいが、あんな所へ入り込もうとは、飛んで火に入る夏の虫‥‥」
 
寝ながら話を洩れ聞いたとみえ、這いだしてきて政五郎の着物の裾をひっぱった。「うん」困っていると脇から金四も、「他聞を憚る事に、知らぬ者を集めるのは‥‥」
 
これも頭ごなしに反対した。そこで、「どうすりゃいい」むくれて政五郎が顔を歪めると、金四は事もなげに、「ここへよく出入りする神田め組の辰吉に、そっとわけを話し、竹梯子を担いで、ついてきてもらえばそれで済もうが‥‥」自信があるのか、僅か三人での討入りの手筈を決めた。が、美代は心配して、「行かないで」と、あくまでも繰り返してとめた。

め組の辰吉

秋の月というのは黄色いようでも青く透けている。
 
その光を浴びて政五郎は尻っ端折りをした上に、辰吉から借りた刺子半天。
 
金四もうすら寒いのに、両腕の桜の刺青をことさらに出した腹掛け一つ。そして器用に鳶口を大刀の柄口に結びつけ、長鳶の恰好でそれを背にくくりつけている。
 
辰吉は本職の鳶だけに、さも火消しの戻りのように、わざと煤けた顔をして竹梯子を、曳きずる恰好で担ぎ後からついてゆく。「これなら町方の定廻りに行きあっても、見咎められはすまい」という心安さから大手をふって、どんどん常盤町から橋を渡った。
 
しかし囲地の正面から、まさか運んできた梯子を勝手に掛けられはしない。
 
そこで白魚橋に面した川っぷちの白土塀に、長く尾を曳いた影のみえる柳の木をみつけ、それに匿れるような恰好で青竹の梯子をたてかけ、塀の上によじ登ると梯子も引きあげ地面へ逆に降ろした。そして、辰吉に、「済まねぇ、これで助かった。後は表の木戸口なり裏口なりを叩っ壊して帰るから、おめぇはもう戻ってくんな」
 
礼をいって引き揚げさせようとしたところ、「ふざけちゃいけねぇ。駕屋じゃあるまいし目的地へ送ってきたからって、はいさようならと戻ってゆけるもんか。友達甲斐のねぇ事をいいやぁがるな」頑として帰ろうとしない。
 
そこで前に来たことがある政五郎が先登になり三人揃って建物内に入りこむと、鼻をつく汚臭のむんむんする檻が並んでいる。「こうなると女も色気がなくなるもんだ」
 
突き当たりに一つだけともっている松仕手たいまつの明りで、辰吉がおっかなびっくり覗きこんでいるのに、政五郎は小声だが、「ぐずついちゃあ居られねぇんだ」と背中をつついて腰にさしてきた鋸の一つを手渡し、早く丸太格子をとせっついた。
 
濡らした方が音がしないというので竹筒をもってきた政五郎は、辰吉がごしごしやっているのに水をかけ、どうにか一本切り放し、「下の一本をやれば中から出てこられよう」
 
代って政五郎が鋸をひいていると、「ちょッとってば‥‥」
 
向いの檻の女が目ざとく見つけ声をかけてきた。そこで手をあかした辰吉が、「間ってな、そっちも順にあけて逃がしてやるからな」といってやったのだが、「きえッ」
 
脅えきっている処だから、すぐ辰吉が巻き舌で答えたのに驚いたのか悲鳴をあげた。すると誘われたように他の檻からも、「ひえッ」笛を吹くような叫び。そのうち、「た、助けてぇ」と泣き喚く騒ぎとなってきた。だから辰吉が舌打ちして、
「女ってのは悋気の深いもの‥‥此方の檻から手掛けたので、てっきり情婦(まぶ)か何かが助けにきたもんと勘ぐりゃあがって‥‥」
 
いまいましがっていると、丸太の切れ目から這い出してくる女達へ金四が手を貸して引っ張ってやりながら、「早くこれだけでも囲外へ逃がしてやれ」
 
一喝するように背後から浴びせかけた。
 
というのは、騒ぎをかけつけた下っ引き連中が、手に手に樫の棒をふり廻し、「檻破りとはふてぇ事をしゃあがる」「叩っ殺しちまえ」駆けてきたからである。
 
政五郎はかねて覚悟はしていたから、「よっしゃ」と鋸でひき切りにした皮丸太を抜き出し、これを構えて一足進みでて、「来やぁがるか」とばかり怒鳴り返した。
 
しかし金四は、その前へ出て己れの体で遮り、「俺は宿なしで貴公の厄介者だが‥‥おぬしにゃ店もあるし女房どのもいる。ここは勇み足をせんと、辰吉を助け女達を逃がしてやったがよい」身代わりをかって出ようといいだした。しかし、「そう云われたって‥‥」
 
政五郎は力味かえって拒もうとしたが、「駄目だ」頭ごなしに一喝された。
 
相模屋の店にいる時は主人と帳づけの間柄のうえに、金四は転がり込んできた居候だが、やはり武家出というのは違うもので、こういう時ぴしゃりとやられると、「うん」政五郎は丸太を放り出し裏へ抜け、まごまごしている女達を上の辰吉の処まで、押し上げるように登らせてから、又これを一人ずつ地面へ逃がしてやった。そして、「みんな思い思いに散らばれ。いいか、いくら食う為とはいえ、金輪際もう夜の商売なんかするこっちゃねぇ。ひとつ捕えられたら骨(こつ)になるまで舐(しゃ)ぶられるんだ」
 
いって聞かせて、また塀の上へ駆け戻り、「組の竹梯子だから放ってもおけまい。済まねぇが持ち戻ってくれろ」と辰吉の方へ梯子を押そうとしていると、「そっちじゃねぇ」と下からの声。
 
振返ると、巧く逃げ出してこられた金四が土塀内から手を出して呼ばわっている。そこで梯子を引っぱりあげて旧(もと)へ戻し、追われてきた金四を塀の上にあげ、「いいですかい」と、また竹梯子を一回転させて地面へおろすと、「それっ」とばかりに滑り降り、辰吉ひとりに担がせていては足が遅くなるから、政五郎や金四も梯子の後先に首をつきこんで、「わっしょい、わっしょ」お祭りみこしのように逃げ出した。


江戸の洪水

しかし一度なんなくやってのけ、たとえ何人でも女を救い出し、岡っ引の鼻をあかしたとなると、やめられる事ではない。
 
天保五年の春は、二月七日から月半(つきなか)まで三回も続けて大火があったから、その火事騒ぎにまぎれて、め組の辰吉の手引きで囲地を二度も襲って捕えられている女達を助けた。
 
が、こうなると町方でも、(相模屋の政五郎がくさい)目星をつけてきたらしい。うろん臭い奴らが様子を探りに、「ひとつ働き口をお願いしやす」
 
殊勝ったらしい口調で入れ替り家の中を覗きにくる。
 
しかし相模屋は店の者の食事も弁当屋の仕出しをとっているから、女っ気は蒼い顔をした美代一人しかいない。いくら嗅ぎ廻っても、囲地にいたような白粉臭い女なんか影も形もないから、すごすごと戻ってゆく。そこで政五郎が、(ざまぁみろ)内心ほくそえんでいると、「おう政五郎ってのはお前さんかい」
 
十手の先で暖簾の端をもちあげ、ぬうっと入ってきたのがいる。誰かとみると、町木戸の番太郎上りだが今では、「堀留の弥平」とよばれるところの岡っ引。「こりゃ親方、滅法このところ陽気もよくなっていいお日よりで‥‥」
 
当らずさわらず愛想よく出迎えると、「そんなことを聞きに来たんじゃねぇ」
 
仏頂面で十手の先で己れの顎を持ち上げ、「おめぇ親代々の結構な稼業をしていながら、夜遊びがすぎるんじゃねぇかい」
 
三白眼でぐっと睨みすえてきた。「へえ、このことで‥‥」
 
政五郎が壷をふる手真似をしてみせると、「そんな手慰みじゃねぇや、とぼけるな」
 
噛みつきそうな顔をしてみせたが、相模屋は箔屋町で代々の家作持ち。町内の顔というものがあるから、流れ者が根をはやした岡っ引風勢(ふぜい)では、おいそれと手が出せぬのか、「おう邪魔したな」
 
いやみたっぷりに唇をまげて出ていった。
 
話はそれだけだったが、(岡っ引の弥平と相模屋が張り合っている)と噂が弘まったらしく、岡っ引に咎められたり狙われたりしている連中が、それを伝えきき、「ひとつ、お盃をやっておくんなせぇ」
 
陸続きという程でもないが日に二人三人とやってきた。丁度、春さきの参勤交代の時節。お供揃えの人手が不足して猫の手を借りたい程ゆえ、政五郎は片っ端から、「働いてくれるなら良かろう」と子分にした。そこで、翌天保六年には、その頭数が三百にもなる大世帯となった。
 
もちろん遊ばせておくわけではなく、仕事には出しているが、これだけの数になると一割位はいつも残ることになる。「美代を貰って頂く時に何かしようと思ったが、それではおまけを付けるようで本人も辛かろうと見送ったが‥‥ああごろごろされていちゃあ、塩梅の悪い日でも美代は横になれなかろ」と新右ヱ門町の小間物屋が大工をよこして、若者部屋の増築を二棟もしてくれた。
 
そこで去る者は追わず来る者は拒まずをしているうち、夏には五百からに頭数が増えた。
 
さて六月に入ると、一日から休みなしに雨が降り続き、とうとう二十七日には、「溢れてくるぞ」という騒ぎになった。
 
そこで江戸橋から一石橋までの、日本橋の高札場を挟んで並ぶ蔵屋敷から、「河岸縁りに土嚢を積んでくれ」という注文がきて、蓑笠つけた政五郎が、「日本橋の此方岸には得意先の青物市場もある。それに御高札の立て棒に水などかぶられたら、日本橋っ子の名折れになるぞ」
 
居合わせた七、八十人の若者をひきつれ、蔵屋敷から出してもらった古俵や叺に泥をつめ、「いいかい。隙間なく積み上げるんだぜ」
 
自分も縄を引っ張って結びつけていると、「やい相模屋、ここにいやぁがったか。天網恢恢祖(てんもうかいかいそ)にして漏らさずというが、おめぇが囲地破りして逃がした女の中で、恐れながらと訴人してきたのが居るんだ」
 
現れた堀留の弥平が背後から怒鳴りつけ、「それッ召捕ってしまえ」
 
伴ってきた捕方にいいつけた。
 
これには政五郎も呆れ、土嚢の上から、「何をいってやぁがる。この連日の雨で小石川新堀が溢れ、こっちへも水が及んでこようと大騒ぎしているってのに、馬鹿も休み休みいやぁがれ」怒鳴り返した。しかし、「ちゃんとして証人が出た以上、いくら土地者のおめえでも、お上御威光にかけて見逃しなんぞ出来るもんか。神妙にしゃあがれ」
 
弥平は十手を振って土嚢に登ってきた。「よしゃあがれ。仕事の邪魔だ。どかねぇと泥俵の中へ突こんで、川ん中へ放りこむぞ」
 
政五郎も樫棒をかまえ仁王立ちになった。
 
すると、ふりしきる豪雨の中から、「わあッ」雨をはね返すような喚声が近寄ってくる。そこで何だろうと耳を澄せば、「親方‥‥捕的(とりてき)の加勢だぁ」
 
脇で身構えていた棒頭が大声で怒鳴った。
 
ここ二年ごし、しばしば松屋町宗印屋敷の囲地を荒され、せっかく銭にしようと集めてきた女達を逃がされ、面白く思っていない下っ引連中が、相模屋召捕りときいて駆けつけ、「堀留の‥‥合力にきやした」
 
翁稲荷や通一丁目の聖天橋稲荷の方角から、それぞれ五人十人、雨の中を鉄砲玉のように飛び込んできたのである。
 
驚いたのは蔵屋敷の役人達で、吹きぶりの中へ飛び出してきて、てんでに声を嗄(か)らし、「まあ待て、待て」「ここに並ぶ四十棟の御蔵には、ご府内旗本八万騎の御扶持米が入っていて、これを流されては吾らは詰腹ものじゃ。頼む、鎮まれ」
 
両手をひろげて捕方を抑えようとしたが、「人数を揃えなくちゃあ捕えられない相手。ここで見逃すってことぁねぇ」
 
頑として聞き入れようとはしない。
 
青物町、呉服町、平松町の町内年寄家主もそれぞれ集まってきて、「ここで溢水されたら、御蔵米だけでなく吾ら町内も流され、女子供の溺れ死にもでよう」「土嚢積みに手を貸しなさるのならまだしものこと‥‥邪魔しようとは何たる了簡」
 
よってたかって捕方に文句をつけたが、「何をいってやぁがる、お上の御用すじに文句をつけるんか」
 
普段はぺこぺこして銭貰いに歩く奴が、いたけ高になって十手を振り廻しては脅す。
 
ところが、そこへ政五郎召捕りの噂をききつけ子分共も、これまた篠つく雨をつき、「親分の大事」とばかり、次々に駆けつけてくる。
 
こうなると政五郎のいいつけで懸命に、泥俵を黙々と作っていた連中も、「棒頭、もう我慢がならねぇ許してくんな」
 
堪りかね畚(もっこ)担ぎの天びん棒を握って、次々と集まってくる。そこで兄い株の棒頭も、(もし弥平が側へよってきたら叩きのめす)気でいたところゆえ、大きく合点して、「よっしゃ」と一同の指揮をとろうと、土嚢の山から駆け降りようとすると、「てめぇら喧嘩しに‥‥此処へ来たんじゃあるめえ」割れ鐘のような政五郎の声。
 
その一喝に子分共が縮まっていると、政五郎は自分が代って弥平の立っているところまで、ひとりでとっとと進んでゆき、「どうでぇ親分、ものは相談だが、この俺一人さえ縛られたら、この侭で土嚢積みはさせてくれるのかい」と声をかけた。「あた棒だ。てめぇさえ神妙にしゃあがるなら、他の半端人足なんかにゃ用はねぇ」「そうかい。なら縛れ」
 
政五郎は両手を前へぐっと突きだし、「おいみんな、仕事の邪魔にならねぇよう、俺はこの姿で引き立てられて行くんだ。てめえらは日本橋一帯を守るために築く土堤だ、息ひとつ抜くこともならねぇぞ」
 
駆け集まってきた後の連中にも、きっとして云い渡した。


調度よい話

この天保六年六月二十七日の江戸大洪水の被害はひどく、本郷、飯田橋から本所深川まで、すっかり水に浸って、流された人家二千、溺死者千六百、馬匹二百という惨状だった。
 
が日本橋界隈だけは相模屋一家の死者狂いの土堤づくりで、殆ど被害を受けずに済んだから、町会所へあつまった各町の肝煎や家主が連名で、月番南町奉行筒井和泉守へあて、「相模屋政五郎放免方」を願い出た。
 
日本橋の高札場を冠水から救った上に、公儀蔵米を浸水から救った手柄もある事ゆえ、奉行じきじきに調べてみると、政五郎が両三度松屋町囲地へ忍びこんだのも、もとはといえば、物盗りに入ったわけではない。
 
吉原会所から云いつけられて、岡っ引が、只働きさせよう為に集めてあった女達を逃したのは、いわば彼ら目明しのアルバイトの邪魔をしただけで、公儀には係り合いのない話。
 
そこで即日放免のうえ、「洪水の節の相模屋の働き神妙と、小普請奉行どのよりも、御褒めの言葉があった」
 
青ざし一貫文の下され物まで出た。
 
奉行所の門まで送られて出てくると、日本橋三十二町の名代がずらりと出迎え、町内の鳶の頭が木やりをうなって箔屋町まで行列をたて、鞘町と塗師町の角までくると、「相政」の白文字を浮かした揃いのはっぴ姿の子分一同が、ずらりと町の両側に並び、「お帰りなさいやし」挨拶する声が打ちあげ花火のように響く。

これを人垣の後から覗き見したのが、いまの人形町の先の源氏店、芝居では、「玄次店」の名になっている傾斜の巷で、小料理屋をやっている芳野という器量の良い女。これが政五郎の牢やつれした青い顔を、じっと穴のあく程見詰めていたが、人ごみに揉まれ当人は気づく筈もなかった。
 
さて芳野は、かねて話のつけてある修験者正一法印という者の、拝み堂へすぐその足でおもむき、加護の護摩をたいている最中だったが、「政五郎が出てきましたよ。早くなんしておくんなさいまし」とせかした。「そうか、今日が出所であったか」
 
法印も周章てたが、すぐ御弊を担いで相模屋へと出かけた。「せっかくですが法印さん、いま親分は町内の年寄連中の祝宴につかまっていなさるが、おっつけ此方へ戻ってこられる取りこみのところ、ひとつ御用は明日にして頂けませんか」と子分が出てきて迷惑がるのに、「何をいう、ここの内儀さんの加持祈祷にいつもくる正一じゃが、今日はすぐにもお祓いせんと命にかかる事柄が起きたゆえ、それで取る物もとりあえず、かくは急いで参上したのじゃ。すぐ取次がっしゃい」と怒鳴った。
 
こと人命に関するというのでは放っておけない。そこで法印を奥の間に通したところ、「これは御内儀様、てまえ拝み堂で護摩をたいていたところ、御顕示があり案じて駆けつけて参ったが、やはり兇相がでている。こりゃ今夜のうちにも御寿命がつきてしまおう‥‥」じっと美代の顔を見据えたまま、白紙をつり下げた榊でお祓いしつつ口をつぐんだ。
 
これには美代も、びっくり仰天。「え、今夜にも死んでしまいまするのか‥‥せっかく夫が戻ってくるというに」と泣きくずれた。法印は鹿爪らしい顔をして、「戻ってこられるゆえ、それで、お命が危ないのじゃ」と、はっきりいってのけ不審がる美代に、「夫どのが戻ってござらっしゃったら、何をされまするぞ」大数珠をまさぐりつきいた。「はい、いま町内のおよばれで寄り道してますけど、戻れば私のつけておいた漬物で、お茶づけなど食べまするが」「その後は‥‥」「はい、寝ます」「横になられてからは?‥‥」畳こまれ、「そりゃ御牢にずっと入ってました事ゆえ‥‥久しぶりに」と顔を赤らめた。「そうじゃ。それが命とりになるのじゃ」
 
法印はきめつけるようにずばり一言。
 
そして、おろおろする美代に優しく、「幸い、わしの加持している女ごに、困った人をお助けしたいと申す奇特な女ごが居る。如何であろう身代わりをさせなすったら‥‥」
 
やんわりした口調で有難そうに話した。「ほんとうでございますか」ほっとしたように美代も愁眉をひらいた。そこで、「まこと有難いことで‥‥」と礼金を包んで法印を帰すと、戻ってきた政五郎が、何も知らずに寝間へ入ろうとするのを、周章てて押し止め、「わたしは半病人みたいな具合で嫁にきて、おまえさんには行き届かぬことばかりで済まなく思ってますが、ものはついで、これからなさろうことも、なんとか他所で間に合わせておくんなさいまし」両手を合さんばかりにして頼んだ。
 
これには政五郎も呆気にとられ、「馬鹿も休み休みいえ、おまえという女房がありながら、別に隠し女なんか作れるかよ」
 
むきになっていいはったが、「初め悪ければ後悪しで、私のあすこが今も病むのは、おまえとてよく知ってもいよう‥‥助けると思っていうことをきいておくれ」
 
法印にいわれたお告げまで荒いざらい口にした。しかし政五郎にすれば、逢った事も見た事もない女の話ゆえ渋い顔をして、「今から行けったって、おらぁいやだ」と断った。そこで困った美代は、「向こうは待っていなさるんですよ。せめて行くだけでも顔をみせに行っておくれな」
 
拝まんばかりにかきくどいた。だが、「浮気は男の甲斐性というが、なにも女房にすすめられてまで‥‥」政五郎はごねて首をふった。
 
そこで美代は色白な蒼い顔をくもらせ、「これからはおまえも何か付き合いが多くなろうが、わたしがこの有様では客人の持てなしどころか‥‥着替えて挨拶に出るのもおっくうな話。ところが小料理屋をもっている人がそうなったら、何かにつけて利便ではないのかえ」といいだした。「うん」そこまでいわれては仕方もなく、「では、どんな女か逢うだけでも逢ってみよう。もし反吐の出そうな女なら、いくらおめぇにいわれても願い下げだ」
 
ふくれっつらで駕にのせられ、仕方なく芳野のやっている小料理屋まで行ってみると、「‥‥まぁ来て下さいましたか」
 
涙ぐんで迎えられる有様。それに客商売とはいいながら、これまで男苦労を重ねてきた女らしく、扱いのこつを知っているから、「煙草」といえば「煙草盆」、よく気がつく。
 
政五郎が酔ったふりをして絡んだり、文句をつけて厭味をずけずけ口にしても、「すみません」と詫びっぷりもそつがなく、すこしも逆らおうとはしない風情。
 
今も昔も、男はえてしてこういう女に弱い。
 
すっかり情が移ってしまって、その晩泊めることになったが、美代と違って自分からは注文もつけない。されるが侭になってはいるが、それで締めるところは固くしめてくる。
 
そして頃合を見計らったように、堪らなさそうな声をはりあげ、やがて恥しそうに床から出て両手をつき、かしこまって、「申しわけありません」と神妙に詫びをいう。「なにも謝ることはあるめぇ」と政五郎はいぶかしがると、芳野は長襦袢の袖口をくわえたまま、消え入りそうな声で、「お道具がぴったり調度に合いましたのか、こんな天にも昇るような心地になりましたのは‥‥恥しながら生まれて初めてのこと。とんだ取り乱した処をお目にかけ堪忍しておくんなさいまし」と涙声を出す有様。「道具とか調度とか建具のような話をされても判らないが、丁度良いのは俺にも判る。そうかい俺の持物がお前にはぴったりか」「はい、世の中には浜の真砂のように男も女も多うございますのに、まるで貝合せのようにぴったりした御方に逢えるなんて女冥利」
 
両手を前についたまま泣き崩れるのに、「そうかい、合縁奇縁ってのはこの事か‥‥なにも大きな声を発したから聞き苦しいと、それで随徳寺をきめこむような俺は野暮天でもねぇ」と政五郎も唸りながら慰めた。

吹けよ川風

さて自分の持物がぴったりだというようなのが現れてきては、政五郎とて男の端くれ。口で嬉しいとか良いとはいわぬが、箔屋町の店にいるよりは芳野の許ですごすことが多くなった。
 
しかし子分が何百とふえた政五郎が、そう気侭な事もできない。時には、「親分どうぞお戻りなすって」と迎えにこられる事もある。
 
もちろん、よくせきの事で呼びに来るのだから、店へ帰ると二日や三日は鼬(いたち)の道。
 
すると入れ換って頬冠りしたのが、裏口からすいと帳場へやってきてあがりこみ、「だいぶ熱ツ熱ツだそうだが、まさか本気で惚れちまったんじゃなかろうな」「まさか親方‥‥いやですよ」
 
芳野がすねてぶつ真似をしても、「てめぇ枕を重ねているうちに本惚れしたんと違うかい‥‥此方は今日か明日かと上首尾の知らせを待ってるってのに、寝首をかくの絞め殺すのといった初めの広言は何処へやら‥‥てんでだらしがないじゃねぇか」「だって、もうすこし安心させてからでなくっちゃ、なんともなりませんのサ」「聞いたふうな口をききゃあがるな‥‥」「そうあせらずに待っておくんなさいまし」
 
頬冠りはむしりとったが渋い顔をみせる相手に、芳野が口答えしたところ、「この前の洪水騒ぎのごたごたで十手取縄は返上し、日本橋界隈にも居られん事になって、今は他所へ逼塞中だが、これでも俺は、堀留の弥平とよばれた男。あんまり軽く見ちゃあいけねぇよ」凄い顔をした。そして、「ここ二、三日は来てねぇようだが、明日の晩あたりは政五郎め来やあがるだろう。女のおめえの手を借りようとしたのが此方の誤り。こうなったらやっぱり下っ引をくびになり、彼奴に遺恨を含んでいる奴らをつれてきて、俺が始末はつけてやる。いいか、泊りにきたら手練手管でたらしこみ、骨抜きにしちまって寝かしとけ」言い残して、さあっと消えていった。
 
さて政五郎は、そんな事とは知らず翌日。「また、おまえさん泊りにゆくのかえ」
 
自分からすすめた事なので文句もいえぬ立場だが、そこは美代とて女の身、やはり怨めしそうにして見送る眼差しを背に、いそいそと出かけていって、「あら、よく来ておくれだね。待ち焦がれた、あたしゃ蛍みたいに身を焦がしていた
んですよ」「ちぇッ嬉しがらせをいやぁがるな」
 
さしつさされつ盃をかさね、いよいよ店もしめ、二人きりの床入りとなると、「三日ぶりだから、その分なんとかしておくれな‥‥」
 
はりついた芳野は、これでもかこれでもかと政五郎をせめるから、さすがに疲れはて、「もう、おれは駄目だぁ」
 
のびてしまって背を丸めての高鼾(たかいびき)。どさっと蚊帳の釣り手を切られ、投網を掛けられた恰好になっても、まだ白河夜船。「‥‥ここで殺されちゃ後が困る。何処ぞへ担いでいって重石をつけ沈めちまいな」と聴こえる芳野の声もうつらうつらの夢心地。
 
外へ三人掛りで運び出され、夜風が蚊帳の網目から当ってきて、初めて、「なんでぇ、何をしやがる」
 
寝呆け声で喚いたが、もう後の祭り。「騒ぎゃあがるな、もう直ぐだ」
 
肩を抱え込んでいるのが政五郎の頭を突く。
 
だから何が直ぐかと網目から覗くが、俯伏(うつぶ)さったまま担がれているので地面しかみえぬ。
 
が匂ってくる風は塩っぽい感じがする。
 
そこで政五郎は鼻をひくひくさせ、(吹けよ川風っていうが、こりゃあ浜町河岸へ持ってゆき水ん中へ沈めやがる気か)
 
はっとして体を動かそうとしたが、「じたばたしゃあがるな‥‥」ぐるぐる巻きの蚊帳の上から、拳固で殴られるだけの話。
 
いくらもがいても埒があかぬ。政五郎も、これにはすっかり酔いもさめはてて、「えい、どうしようか」とあせるのだが、なんとしても身体の自由がきかない。
 
川風が次第に迫るように吹きつけてくるのに、担がれていてはなんともならぬ。「もう川の流れが聴こえてきゃあがる」
 
さすがに政五郎も男らしく覚悟はつけたが、最後の気力をふりしぼって、「た、助けてくれ」むだだと思ったが叫んだ。
 
すると気のせいか、ぴたぴた叩きつけるような音をさせ草履裏が響いてきた。そこで政五郎は、おやっと想った。が次の瞬間。「あッ」という間もなく政五郎はどしんと、川端の柳の根方へ放り出された。
 
だから巻きついた蚊帳を両手でかきむしって引き裂き、やっと立ち上がって、三人を相手に立ち廻っている侍の背中に、「こりゃ危うい処をお助け下すって済ンません‥‥手足だえ動かせるようになったら、この政五郎、二人や三人の相手にゃ、びくともするこっちゃござんせん」と礼をいいながら声をかけたところ、「おう相模屋の親分か‥‥」
 
はね返ってきた声と振り返った顔は金四。これには、あけた口がふさがらず、「なんだ。えれぇ処でえれぇお人に逢ったもんだ‥‥あの洪水の前から姿がぷつり消えてしまわれたので、こりゃ手入れがあると早耳で仕入れ、それで行方知れずかと思ったらば、お侍姿とはこりゃ又どうして‥‥」「うん面目ない。世話になりながら無断で退散したような恰好で、合せる顔もない話だが‥‥異母弟に家督を継がせようと両腕へ痛い思いで刺青までほり、市井無頼の徒
に混じって賭場通いに身をもち崩していたのだが、父の病死のため親類縁者に無理矢理に家に戻されてしまい、小普請奉行公事方という目付のような御役を拝命。忍びで見廻りに出ているところで、この寄寓。逢いたかったぞ」と金四こと遠山金四郎は、懐かしそうに側へ寄ってきたが、にやっとすると、「親分どうしなすった。下帯もはずしっ放しで前がとがっていなさる」と指さした。「えッ‥‥」あわてた政五郎は素っ裸なのに初めて気づき、落ちている蚊帳を腰へまきつけたが、思い出したように辺りを見廻し、「喋っているうちに野郎共、早いとこ消えやぁがって、らちもねぇ影もみえねぇ」とむくれきった。


南町奉行遠山左ヱ門尉

弘化三年(1846)五月。土佐高知の山内侯は、江戸留守居役の広瀬源之進、吉川喜四郎の両名の者をよび、さて改まった調子で、「従来当山内家の鍛冶橋屋敷には、神田白壁町仙台屋与五郎が五十名の人足を入れて、出火の節は相勤め居るが、町火消の中に浅草を組の新門辰五郎という者がいて、彼ら勇み肌の者は、山内家の火消し『置き消』、つまり恰好ばかりで役立たずと罵笑し居るとかきく。まことに残念であり不快である。よって辰五郎に匹敵するような任侠を見つけて参れ」
 
土佐二十四万石の貫禄にかけても、即日出入りの火消しを取り換えろとの厳令がでた。
 
だが、当時江戸八百八町に名を知られたのは、近くでは「鍛冶橋外の栄吉」「鉄砲洲の伝蔵」「大川端の和吉」「新馬の小安」「品川の阿波安」
 
それに日本橋河岸の元締めをしている佃の吉、内藤新宿で貫目所(かんめじょ)仕切りをしている八幡万吉。数え出せば十指にあまるが、「土佐山内侯のお達しだから」といって、「へえ」と有難がって入れ替わるのが、はたして居るかどうか、これは判らない。
 
それに、いま売出しの新門辰五郎の「を組」いろは四十八組の町火消の向うをはって、大名火消とて対抗するとなると、それ相当の貫目(かんめ)もいる。いくら殿様が、「即刻致せ」といっても何ともなるものではない。
 
そこで留守居の二人は切羽詰って、「これは南町奉行遠山左衛門尉さまにお伺いをたてるしかあるまい」「あの方は小普請奉行公事方から勘定奉行公事方を歴任され、天保十一年より北町奉行になられたが、桜の刺青があるとかないとか南町奉行の鳥居耀蔵(ようぞう)に告げ口され、三年で大目付に飛ばされなすったが、又ぞろ昨年より今度は南町奉行に返り咲かれた御方‥‥市井にはお詳しそうじゃから御教示頂こう」
 
すぐさま同道して役宅を訊ね相談をした。すると遠山金四郎は即座に膝を叩き、「新門辰五郎に匹敵する男伊達は、天保大洪水のとき日本橋河岸を、しかと守り抜いた相模屋政五郎しかあるまい」と答えた。
 
そこで、その当時から、ずっと江戸勤めだった広瀬源之進は思い出したように、「その節、政五郎に対し小普請奉行より青ざし一貫文の御褒美が出ました由ですが、あれは遠山さまがそちらに御在職中でありましたゆえの、ご配慮にござりましたか」と口にしたが遠山金四郎はそれに答えず、「政五郎というは、お上とか大名などは屁とも思っとらん骨太な男じゃ‥‥一貫文のことなど口に滑らしてみい。いくら土佐二十四万石を鼻にかけて使者にたっても、浪の花をぶっつけられて戻ってくるのが関の山じゃろ」
 
呵々大笑してのけた。そこで両名は、「なんとしてでも政五郎を引っ張り出しませぬと、われらは主命にそむく事とあいなりまするで、なにとぞ御知恵を拝借したく‥‥」
 
青くなって平身低頭した。そこで、「うむ」と暫く金四郎も考え込んでいたが、「聞くところによると政五郎は前の妻女に死に別れたあと、京橋白魚屋敷元締幸右ヱ門の娘のお照に惚れられ、それを後添えにしているが、死んだ新右ヱ門町小間物屋の娘美代という先妻への愛慕はきつい由。
 
だが、今の嫁に気兼ね致し墓もまだじゃときき居る。土佐二十四万石をもってすれば青山の石勝に交渉し、一日で戒名くらいは手分けして彫らせられよう」と言い放った。両名は喜んで、「これは良い事をうけたまわりました」
 
厚く礼をのべ、すぐ石屋へ駆けつけ、他からの注文で磨きをかけている大きな石塔を譲りうけ、これに美代の戒名俗名を前後左右から一字ずつ手分けして刻ませ、これを芝増上寺にある山内家の菩提所に建ててしまった。
 
そして翌日。
 
今では箔屋町を引払って広い白魚屋敷に「相政」の高張り提灯を出している政五郎の許へ、駕を仕立てた山内家の両名の者が迎えに行き、「増上寺へご参拝を」とつれだした。このとき政五郎は三十六才の男ざかり。(何故おれが芝へなどお詣りにゆくのか)
 
不審には想ったが太っ腹な男のことゆえ、「そうですかい」と何もいわずに芝へきた。
 
しかし増上寺の塔頭の山内家の御墓の横に死んだ美代の墓をみた時には、はあっとひざまずいて、「ううん」と両目をとじ、さっと手を合せ、「俺は初手からお前にいやな想いや、辛い目にばかりあわせ‥‥死んでも卒塔婆だけのまんまで今日まできた。許してくれろ」
 
しまいには墓石に抱きつかんばかりにして、声は殺していたが眼を真っ赤に腫らしていた。
 
案内してきた両名の留守居役は、(この男にも、こうした泣き所があったのか‥さすが遠山金四郎は何でも見通しだ)
 
すっかり感心しながら、さておもむろに、「ひとつ、おてまえに頼まれてほしい事があるのだが」と一部始終を物語った。
 
すると政五郎は拳固で頬をこすり、「わっちはたとえ千両箱をつまれても、金持やお大名に頭を下げるのは大嫌えな男で、虫けらや雑草なみにしか扱われねぇ町の者(もん)の味方のつもりで居やしたが‥‥死んだ美代の墓を山内の殿さんの側へ、こんなに立派に建てられちゃあ、土ん中に何も入ってなくとも、忠義をしなくちゃあいけますまい」
 
まるで墓石に話しかけるように、その場で直ちに承諾した。
 
しかし鍛冶橋の山内家上屋敷へつれてゆかれ、殿様にお目見得のときは、「大名火消といっても近間の出火なら町屋も救いにゆきます。ようございますか‥‥だから弱い町の者(もん)のために、土佐二十四万石の御権勢をお借りしやす」
 
はっきりと念を押すような口のききかたをした。「うん。いいたい事をいいおる。が、まあ、それ位でなくば物の役にはたつまい」なんとかして、いろはの町火消を打ち負かしたい一心の山内侯は、言葉咎めもせず、「仕度金じゃ」と千両箱を下げ渡した。
 
すると政五郎はその金で百人分の法被と鳶口。竜吐水五台を作らせたはよいが、三百両近い余りが出ると、それを呑み食いにあてず、洲崎、板橋の安女郎で借金十両以下の女を、三十人そっくり身受けして田舎へ戻した。

この噂をきいた遠山金四郎は、「やつならやりそうなことだ。おおかた死んだ前の嫁の追善供養のつもりだろうが、古今東西、てめぇが抱いたことも顔をみたこともねぇ女郎の証文をまいて里帰りしてやるような素っ頓狂な奴も他にはあるまい」
 
すっかり呆れもし感心もして、忍びの恰好でたずねてゆき、「昔、帳づけに拾って貰い厄介になった礼もある。いくらでも町奉行を利用してくれろ」と、ざっくばらんに申しでたが、「そいつはいけねぇ。昔の金さんだったら、手に余ることはみなおっかぶせられたし頼みもしたが‥‥南町奉行の遠山さまじゃ駄目だ」
 
大きく手をふって政五郎は辞退した。「気兼ねや遠慮はいるまいが‥‥」
 
心外な顔をされると政五郎は舌をだし、「おれが町方役人を大嫌いなのは、あぁた先刻ご承知でいやしょう。なのに町奉行ってのは、それの元締さんじゃござんせんか」と笑いとばした。
 
そして遠山金四郎が嘉永五年[1852]三月二十四日に南町奉行をやめるまで、政五郎は一度たりと頼みごとには行かなかった。
 
が、安政二年[1855]十月二日の江戸大地震の際。
 
政五郎は子分をつれて倒壊した遠山家へ駆けつけ、圧死した金四郎を掘り起こし、「ワンワン」屍に取りすがって、辺りかまわず男泣きをしたと伝わっている。  

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