★阿修羅♪ > カルト8 > 571.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
中田安彦『日本再占領』の検証@
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/571.html
投稿者 ♪ペリマリ♪ 日時 2011 年 9 月 27 日 20:52:00: 8qHXTBsVRznh2
 

『真実であることが衆人環視のもとで検証されることに
耐えられないような言論や情報はどうせ死滅していくのである』

上記は『最高支配層だけが知っている日本の真実』の巻末に、
編集主幹として記した中田の言葉である。
これは中田君自身のことである。
彼の最新刊『日本再占領』は、前提としての占領史に問題が多い。
なぜ中田安彦はすぐにバレるようなウソをつくのだろう。


以下『日本再占領』より抜粋。


はじめに

日本は、再び、アメリカの占領下にある。
にわかには信じられない話だろうが、これが本書で展開される内容である。
そのために私は、客観的と言い得る証拠を可能なかぎり集めた。


第1章


終戦直後に、何があったのか。それは言うまでもなく、「国体」が崩壊寸前までいったのである。非常に大雑把に言えば、明治維新を経て、日本は大日本帝国憲法という一種の「王権神授説」に基づく国家体制=国体をつくっていたのである。天皇を現人神として崇め奉るという形で国民の行動原理(エートス)が形成されたわけだ。それがガラガラと崩れたのは、神国日本のアメリカに対する完膚なきまでの敗北であった。それを象徴するのが昭和天皇の玉音放送、それに続く天皇の人間宣言である。連合国最高司令部(GHQ)の総司令官のダグラス・マッカーサーの意向もあり、日本の占領統治には天皇の存在が必要だった。ゆえに、昭和天皇は他のA級戦犯と異なり、何も罪を問われなかった。アメリカと結託した海軍の米内光政らが、陸軍の東条英機らを”スケープゴート”として差し出した。この終戦処理の結末によって、日本の急性アノミーは最悪の状態は避けられた。


以上抜粋。


>アメリカと結託した海軍の米内光政らが、陸軍の東条英機らを”スケープゴート”として差し出した。この終戦処理の結末によって、日本の急性アノミーは最悪の状態は避けられた。


これはSNSIのパクリ本のお題でもあったが、事実無根である。
アメリカと結託したのは海軍ではなく宮中重臣グループである。
米内が昭和天皇の信頼が特に厚い海軍の重臣であったことは事実であるが、
彼は東条を生贄に差し出していない数少ない証言者の一人である。

米内光政の調書の際立った特徴は、昭和天皇の『独白録』と同じ論理であること、
すなわち天皇の開戦決定を弁護し、松岡洋右は名指しで非難しているが、
東条の責任についての直接の言及がないことである。

海軍悪玉説をデッチあげるなら、米内は人選ミスである。
陸軍に全ての責任転嫁をしている海軍重臣はむしろ岡田啓介であり、
際立っているのは元連合艦隊参謀長・福留繁である。

中田は本書で鳩山由紀夫の祖父・鳩山一郎にもしばしば言及している。、

>政治学者の片岡鉄哉(故人)の『日本永久占領』には「吉田君のしたことを全て逆にやる」と公言した鳩山が、吉田の「独善秘密外交」を嫌っていた大衆から喝采を浴びたことが書かれている。要するにこれは、大衆の怒りに乗じた”ポピリュズム”の動きだった。


鳩山一郎に対する尋問はCIC(対敵諜報部)によって行われたが、
鳩山一郎も東条英機と武藤章を大政翼賛会の主導権を握った軍国主義者として、
告発している。


以下吉田裕『昭和天皇の終戦史』岩波新書より抜粋する。


この鳩山の供述書のなかで注目に値するのは、彼の中国観である。すなわち鳩山は、日本と中国はお互いに経済的提携を行う必要があったにもかかわらず、中国の内部に日本とのいかなる提携も拒否する強硬派が存在していたため戦争となった、また、日本人は中国に、満州国と同じような共産主義の進入に対する緩衝国家を創出する必要があると感じていた、などと供述している。

いうまでもなく、ここでは中国に対する日本の侵略がまるごと肯定されており、そこに鳩山の「自由主義」の大きな限界をみてとることができる。

以上抜粋。


孫の鳩山由紀夫についてだが、中田は『日本再占領』の中で、
鳩山由紀夫の論文がアメリカの警戒を呼び起こしたのは、
『戦前に鳩山そっくりの構想を掲げて登場し、
後に総理大臣となった人物がいたからだ。近衛文麿である。』
と、近衛の論文「英米本位の平和主義を拝す」を引用し、
アメリカの印象を最悪にし対米交渉を行き詰らせた原因にしている。

これは近衛に対して公正を欠いている。
アメリカの印象を最悪にした日本現代史上最大の怪文書、
『田中上奏文』(田中メモリアル)をさしおいて、
近衛の若書きの論文に原因を帰するのは公平とはいえない。

さて米内らが東条をスケープゴートにしたという中田のデマに話は戻る。
前掲書の著者の吉田裕によると、関係者のほとんどの供述が、
天皇擁護と陸軍悪玉説のスタンスを取っているという。

以下吉田氏の同書より抜粋。


在米留学中のわたしの日課は、ワシントンDCの国立公文書館に通って国際検察局(IPS)の資料に目を通すことだった。直接の関心は、戦犯容疑者の尋問調書である。
これは1970年代半ばに初めて公開されたもので、粟屋憲太郎氏の先駆的業績を別とすれば、これを使った本格的な歴史研究はいまだに存在しない。

膨大な英文資料群であるから、わずか10ヶ月間の留学期間ではとても調査しきれなかったが、この調書を調査するなかで、大きなショックを覚えたことを今でも鮮明に記憶している。

それは、多くの日本人容疑者が尋問に対してきわめて協力的だっただけでなく、日本が戦ったあの戦争をいささかも弁護することなしに、逆に日本を破滅に導いた戦争責任者として、特定の人物を名指しにさえしていたからである。

そこには、明らかに集団としての隠された意図のようなものが感じられた。
日本側関係者の東京裁判への積極的協力は何を意味するのか。


以上抜粋。


集団としての隠された意図は天皇擁護と陸軍悪玉説である。
米内はこの集団の意図に添って証言している。
しかし米内は天皇のお気に入りである東条には言及しない。

ただし天皇自身は英王室に宛てた親書で、
開戦は仕方なく同意したのであって本意ではなかったこと、
東条に強引に押し切られたとして責任転嫁をしている。

以下、吉田裕氏と粟屋憲太郎氏らの、
戦後占領史と東京裁判の検証のダイジェスト。


45年の末頃から、天皇の側近グループによる戦犯裁判への対策が本格化する。
米内はこの側近グループのメンバーの一人として捉えるべきである。
長身白皙イケメンの米内は昭和天皇のお気に入りだった。
昭和天皇は好き嫌いが激しく、気に入らない人間には人格攻撃も辞さない。
そのお気に入りの米内が、GHQフェラーズ准将から
「東条に全責任を負担せしめるようにすることだ」
という提案を受ける。

「東条に次のことを言わせてもらいたい。
『開戦前の御前会議において、たとい陛下が対米戦争に反対せられても、
自分は強引に戦争まで持っていく腹を決めていた』と」

フェラーズは天皇がシロであることを日本側で論証することも求めた。
この情報が米内から宮中に伝えられた結果、
『五人の会』による天皇の聞き取りが始まる。
東京裁判対策のための『昭和天皇独白録』である。
とりわけ重要な役割を果たしたのが寺崎英成と松平康昌。

寺崎英成は駐米大使館の野村吉三郎大使の元で働いていたが、
実際には近衛首相に直属する特殊な地位にあり、
野村大使の承認なしで行動する慈雨雄図権限を持っていた。
諜報網の統括と破壊工作を受け持っていたようである。

日米開戦と同時に寺崎は抑留され、42年交換船で帰国する。
46年吉田茂外相が寺崎を宮内省御用掛への就任を要請する。
「陛下のスポークスマンとなり、天皇制護持に全力を尽くしてくれたまえ」

寺崎は国際検察局の捜査課長・元FBIのロイ・モーガンとは旧知の仲、
妻のグエンはフェラーズ准将の遠縁に当たる。
寺崎はモーガンやフェラーズと頻繁に折衝を始める。
寺崎の役割は宮中とGHQのパイプ「極秘情報提供者」である。

例えば松岡洋右を「領土拡張主義者」として名指しで非難して、
戦争を推進した人物に関する具体的情報を宮中代理としてIPSに提供する。

寺崎は御用掛に就任した同年5月、第二回天皇・マッカーサー会談を皮切りに、
高度に政治的内容を含む計5回の会談の通訳にもあたっている。
この寺崎こそはアメリカ軍が長期に渡って駐留することを要請した、
昭和天皇の『沖縄メッセージ』のメッセンジャーである。

カウンターパーツは中田のウリで、
『日本再占領』にも日米のカウンターパーツが勢揃いしている。
しかし中田も副島も体制側に配慮してか、
最大のカウンターパーツである昭和天皇には一言も触れない。
昭和天皇は寺崎を使ってマッカーサーをバイパスし、
ジョン・フォスター・ダレス国務長官に折衝したのである。

「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を
軍事占領し続けることを希望している。」

「アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、
長期の‐25年から50年ないしそれ以上の‐リースをするという
フィクションの上に、なされるべきである」

中田はこの最大のカウンターパーツに触れないで済ますために、
「吉田ドクトリン」という建前を使ってお茶を濁している。


以下、学問道場の広報より抜粋。


「1246」 『日本再占領:消えた統治能力と第三の敗戦』(成甲書房)に載せきれなかった一章(2

 ここでも重要なのは占領統治下の日本をアメリカはいかに「ソフト・パワー」を使ってうまく管理したか、ということである。

 ここで話を更に進めると、ライシャワーの近代化論と「菊クラブ」の面々は夫々コインの裏表である。吉田茂首相が打ち出した「経済優先・軍備は後回し」という後に「吉田ドクトリン」と言われた枠組みを体現していたのが「菊クラブ」である。この吉田ドクトリンとは、日本の安全保障はアメリカに任せて、日本は「エコノミック・アニマル」としてまずは戦後復興を成し遂げて大国化すべきであるというスタンスである。

 吉田茂は樺山愛輔らの戦前からの親英米派の流れに位置づけられる外交官あがりの政治家である。吉田ドクトリンはアメリカが日本を「反共の防波堤」にするという国家戦略を逆手にとって、「日本は戦後復興の名目のもと、アメリカに基地だけを提供してアメリカの安全保障の傘、核の傘に依存しましょう」というやり方である。このおかげで日本は朝鮮戦争とベトナム戦争に参戦することを強いられずに済み、余計な人命を失わずに済んだ。その意味で吉田ドクトリンは冷戦期には極めて有効な日本の国家戦略だったといえる。その有効性は中国台頭という大きな安全保障環境の変化が起きている今、大いに問われている。

 言い換えると、「日本が弟でありアメリカが兄である」ということで、兄は弟を守るというのが吉田ドクトリンの考え方であるが、この思想を裏付けたのが日米が共に近代化を成し遂げたとする「ライシャワー史観」だったのである。


以上抜粋。


中田の人を煙に巻く文章を読むことほど徒労感を覚えるものはない。
前述の昭和天皇のダレス宛メッセージがバイパスしたのはマッカーサーだけではない。
「軍事基地は貸したくない」と参議院外務委員会で答弁した吉田の頭上をもバイパスしたのである。

昭和天皇はおそらくはいかなる政治家よりも安保体制の守護者であり、
いささかでも揺らぐことに強烈な危機感を持っていたと思われる。
象徴天皇となった戦後も安保体制のチェックを定期的に入れている。

戦後占領史のねじれとタブーの中心にいる昭和天皇を抜きにして、
『再占領』を騙る中田の言論には、検証に耐えられる『真実』があるのだろうか。


再び宮中グループのキーパーソンに戻る。

松平康昌は元福井藩主・松平春嶽の孫で生粋の宮廷官。
キーナン主席検察官と来日早々から頻繁に接触し、
IPSの尋問にも積極的に協力して戦争推進者を告発、
キーナンからの依頼で東条の法廷発言を撤回させる説得工作もしている。

組んだ相手はあの田中隆吉である。
実際の説得役は東条と一緒にスガモに拘留されている元内大臣・木戸幸一被告。
彼らは見事な連携プレーで東条に責任転嫁させている。

木戸被告が提出した『木戸幸一日記』は検察側の有力な証拠書類となり、
陸海軍の軍人被告にとって大きな打撃となっている。
吉田茂の協力者植田俊吉も78名に及ぶ戦犯リストをIPSに提出。

田中隆吉は裏切り者として指弾されたが、東条工作の後で松平康昌に招待され、
非公式に「今回のことは結構であった」という天皇の「お言葉」と共に、
「御下賜品」として「ジョニーウオーカー、レッドラベルのウイスキー」を下賜されている。


そもそも東条に責任転嫁をする発想の元祖は近衛である。

「自分としてはこのまま東条にやらせる方が良いと思う。
それは、もし替えて戦争がうまく行くようならば当然替えるがよいが、
もし万一替えても悪いということならば、
せっかう東条ガヒットラーと共に世界の憎まれ者になっているのだから、
彼に全責任を負わしめるのがよいと思う」

近衛は日米開戦に反対の立場で内閣総辞職後、
3年4ヶ月もの間、天皇への拝謁を許されていない。
しかし戦局の悪化に連れて明確な戦後構想を持つ近衛の周りに、
反東条・早期和平に転じたグループが結集する。

○岡田啓介・米内光政ら海軍系の重臣グループ

○海軍内の反東条・反嶋田グループ

○陸軍内の反主流派グループ

○吉田茂・植田俊吉ら外交官僚のグループ

○鳩山一郎ら同交会系議会人グループ


「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存じ候」
有名な近衛上奏文の冒頭であるが、
この上奏文は吉田茂と植田俊吉の協力で事前に作成。

また近衛と高松宮は、ポツダム宣言即時受諾の方向で木戸を説得している。
宮中グループの中で際立った働きをしている高松宮は、
占領軍が駐留すると高輪の高松宮邸を政治工作の場として提供、
GHQの関係者を盛んに招待し、情報のネットワークを作り上げる。
高松宮の活動を支えていたのが右翼の安藤明である。

宮中グループは東条ら陸軍に責任を押し付け切り捨てることによって、
東京裁判を戦後の保守勢力の再編成を図るために利用することに成功する。
昭和天皇はマッカサーが辞任するに当たって、
東京裁判の首尾が上々であったことのお礼の口上を述べている。


副島隆彦は『ザ・カルト・オブ・ヤスクニ』という小論で、
富田メモを取り上げ、A級戦犯合祀を反対する平和主義者としての天皇を強調し、
「この大御心が分らないのか?!東京裁判に従え、世界の趨勢に従えということだ」
と学問道場で疑問を呈する会員を罵っている。
副島隆彦の『属国論』の底の浅さ、限界はここにある。


「そもそも天皇の意に反して戦争に赴いて犠牲となった戦没者たちは、
いかなる意味で英霊なのだろうか。

自存自衛の戦争を掲げる靖国イデオロギーの担い手たちにも、
昭和天皇は平和主義者だった、昭和天皇は戦争に反対であった、
との主張が多々見られるのである。

つまり天皇の意を体した戦争に殉じたはずの英霊たちは今や、
実はあの戦争は天皇の意に反した戦争であったと宣告されているのである。

これ程の欺瞞と悲劇性があるであろうか」

(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波書店より)

以上。


中田君、
君らがデマをマンガ本にして売っているのを読みました。
米内の悪魔笑いが凄かったです。  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2011年9月28日 03:51:44: ylrAAErxz6
X 「英米本位の平和主義を拝す」
○ 「英米本位の平和主義を排す」

どこから引用が始まるのか、どこからどこが投稿者の述べたところなのか、非常に見づらい。


02. ♪ペリマリ♪ 2011年9月28日 09:23:33: 8qHXTBsVRznh2 : LfI8WtB7aY
>>01
訂正、ありがとうございます。


もう一つ訂正させていただきます。


野村大使の承認なしで行動する慈雨雄図権限を持っていた。

野村大使の承認なしで行動する自由権限を持っていた。

>どこから引用が始まるのか、どこからどこが投稿者の述べたところなのか、非常に見づらい。

○引用部分は、

以下抜粋。 以上抜粋。

で区切ってあります。

○私の意見は、

以上抜粋。 の後で述べています。

○ダイジェストの部分は、

以下、吉田裕氏と粟屋憲太郎氏らの戦後占領史と東京裁判の検証のダイジェスト。

と前書きしてあるところから始まります。

○ダイジェストの部分の途中で引用がある場合、

以下抜粋。以上抜粋。と区切ってあります。

以上の標記のようにご覧ください。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 重複コメントは全部削除と投稿禁止設定  ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定 削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > カルト8掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > カルト8掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧