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原発まで8キロ、車のタイヤが突然パンクした 「この恐怖はすさまじい。戦場のほうがまだましです」
http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/630.html
投稿者 sci 日時 2011 年 5 月 24 日 02:32:41: 6WQSToHgoAVCQ
 

http://diamond.jp/articles/-/12377
【第43回】 2011年5月24日
森 達也 [テレビディレクター、映画監督、作家]
原発まで8キロ、車のタイヤが突然パンクした
「この恐怖はすさまじい。戦場のほうがまだましです」

 県道252を左折した車は、県道391を直進する。運転席でハンドルを握る安岡卓治がくぐもった声で、「たぶんあと10分くらいで第一原発に着くな」とつぶやいた。

 ただしこれは推測だ。おそらくはそんなことを言ったのだと思うけれど、断定はできない。なぜなら安岡の口はこのとき、防塵マスクでしっかりと覆われていた。実際には何を言っているのかよくわからない。

 僕にとっては初の映画作品である『A』、そして2作目『A2』のプロデューサーを務めた安岡とは、もう15年の付き合いだ。助手席に座りながら窓の外にビデオカメラを向け続けている松林要樹は、2年前にドキュメンタリー映画『花と兵隊』を発表している。リアシートに座る僕の横で放射測定器の目盛りをじっと見つめている綿井健陽は、戦場写真家でビデオ・ジャーナリストであると同時に、ドキュメンタリー映画『リトル・バーズ』(プロデューサーは安岡)の監督だ。

 つまりこの車内には、「日本を代表する」ドキュメンタリスト4人が、乗り合わせているということになる。ただし全員インディーズ。今どき珍しい三畳一間のアパートに暮らす松林を筆頭に、全員の共通項は貧乏であること。本音では「代表」なんかしたくない。

 4人は防塵マスクで口を覆い、顔の上半分には防塵用のゴーグルを、さらに長靴とビニール手袋を装着して、タイベック製のつなぎ型防護服を着用している。だから誰が誰なのか、外見だけでは判別できない。

 この防護服の素材は高密度ポリエチレン不織布。感触はほとんど紙だ。空中に飛散する塵からの防護には役立つかもしれないけれど、放射線を防ぐことはできない。

 これらのグッズは昨日、工場や土木現場の作業服関連商品専門店であるワークマンで購入した。念のために放射線防護関連商品も探したけれど、当然ながら見つからなかった。それはそうだろう。一般の人にとって放射線被曝は、決して日常的なリスクではない。つまり店に置いたとしても、売れることはまずない。でもそれは3月11日以前の話。もしもワークマンに放射線防護服や防護マスクなどが売られていたら、今ごろはおそらく大ヒット商品になっているはずだ。

 とにかくこの装備だけでは不安だった。しかも天気予報では、午後に雨が降るらしい。ならば空中に飛散する放射性物質が、雨の滴とともに落下してくる。肌の露出は、できるだけ回避しなくてはならない。

 そこで4人は、ゴーグルやマスクの隙間に、べたべたとガムテープを貼った。手首や足首にも巻き、さらに余ったガムテープで、顔や頭をぐるぐる巻きにした。ゴーグルが鼻の付け根に食い込む。目尻が引っ張られる。首が固定されて呼吸もうまくできない。おまけに髪までぐるぐる巻きにしてしまったから、後で剥がすときを考えたら憂鬱になる。でも仕方がない。被曝を考えれば、痛みくらいは我慢しなくては。

次のページ>> 雨の中でのタイヤ交換、相当に被曝したと思う

 この扮装で三春町(原発からはほぼ50キロメートル圏)の宿を出てからほぼ1時間。ずっと重苦しい沈黙が車内を覆っている。喋りづらいだけではなく、やはり相当に緊張していたことは確かだ。

 30キロ検問でやはりタイベック製の防護服を着た警察官から、「危険ですからこれ以上入ってほしくありません。でもどうしても行くというのなら、あとは自己責任でお願いします」と告げられた。確かにそうだ。原子炉冷却や電気系統回復という任務を背負った消防員や東電関係者はともかくとして、この4人は原発周辺の町の様子と(できるなら)原発正門の映像を撮るために来た。しかも自分たちの意思で。自己責任は当然だ。

 25キロメートル地点にも検問があった。でも警察官の姿はない。この先は立ち入り禁止であるとの表示とともに、道路がバリケードで封鎖されている。ところがすぐ脇には迂回路がある。そこは封鎖されていない。当然のように迂回路にハンドルを切る安岡を、3人はじっと見つめている。30キロ検問を超えたあたりでは時おり一般車と擦れ違ったけれど、さすがにこの地点を過ぎたら、ほとんど見かけなくなった。
雨の中でのタイヤ交換、
相当に被曝したと思う

 車は走り続ける。そして計測器の数値も上がり続ける。福島第一原発まで直線距離で8キロメートルに近づいたところで、ワゴン車の左前輪が突然激しい音をたてた。数秒後に車はがたがたと揺れ始め、「○×※△▲◎!」と叫びながら、安岡は急ブレーキをかけた。

 4人は無言で顔を見合わせる。マスクとガムテープで顔を覆われているから、喋ろうにもうまく喋れない。でももしマスクやガムテープがなかったとしても、やっぱり言葉はなかっただろう。

 事態としては明らかにパンクだ。これ以上は走れない。そしてこのエリアでは、携帯はまったく繋がらない。たとえ繋がってJAFを呼んだとしても、原発から8キロメートルのこのエリアに来るはずはない。

 つまり自分たちでタイヤ交換するしかない。

 この時点で綿井が持参していたウクライナ製の簡易放射線測定器の数値は、3.23マイクロシーベルト/時を示していた。出発前に東京で計測した数値のおよそ100倍。しかもこれは、窓を閉めきった車の中の数値だ。もしも外で計れば、もっと凄まじい数値になるはずだ。

 車を停めてから数分が過ぎた。4人は無言で窓の外を見つめている。20分ほど前から強い雨が降り始めている。放射性物質を大量に含んだ雨だ。もしもこんな展開のドラマを見たとしたら、あまりにご都合主義的なストーリーだと思うはずだ。まるで漫画のような展開だけれど、実際に今、自分たちが直面している現実だ。要するに文字どおりの自己責任。でも8キロメートル地点でのパンクは、まさしく想定外のハプニングだ。

次のページ>> 「がんばれ」や「負けるな」はまだ早い

呆然としていても仕方がない。助けなど来ない。やむなく全員で車の外に出て、タイヤを交換した。工具がなかなか見つからず、交換し終えるまでに30分はかかり、全員が雨でぐっしょりと濡れた。ガムテープの隙間から滴が入ってくる。拭こうにも拭けない。相当に被曝したと思う。

 ようやく替え終えたけれど、予備のタイヤではあまりに心細い。結局この日は、ここから先に行くことをあきらめた。つまり心が折れた。

 翌日、折れた心をもう一度修復して、今度はコースを変えて浪江町を目指し、再び第一原発近くに行くことを目論んだ。ところがこの日は30キロメートルの検問を過ぎてすぐ、放射線測定器は異常な上昇を始めた。目盛りを眺めながら、「計測が追いつかない」と綿井が悲鳴をあげる。30キロ検問を過ぎてからたった数分で、測定値は10マイクロシーベルト/時を超えた。要するにX線CTによる撮像を、常時受けている放射線量と考えればよい。しかもこの数値は車内だ。

 この後も数値は上がり続け、またも雨が降ってきた。放射性物質をたっぷりと含んだ雨だ。結局は浪江町の赤宇木部落集会所の駐車場で、これ以上は危険と判断して、車をUターンして引き返した。ただし一瞬ではあるけれど、僕は車の外に出た。集会所内に誰かがいるかもしれないと考えたからだ。実際にここに至るまで、何台もの車と擦れ違った。自衛隊や消防隊の車ではない。一般車だ。つまり住人たちは、避難所と家とを行き来している。当然ながら彼らは測定器など持っていない。どれほどに強い放射能でこの地域が満たされているか、知る術はない。もしも誰かがいたならば、すぐに退去したほうがいいですと言うつもりだった。
「がんばれ」や「負けるな」はまだ早い

「日本は強い国」

「今、私にできること」

「がんばれニッポン」

「日本の強さは団結力です」

 この撮影から戻ってきた3月下旬以降、こんなフレーズやキャッチコピーが、メディアを媒介にして少しずつ広がり始めている。これらのフレーズやキャッチコピーに対して、大きな声で異を唱えるつもりはない。基本的には同意する。がんばれとは僕も思う。できることをしなくてはならないとも思う。でも違和感がある。何かが違う。微妙な何かだ。微妙ではあるけれど、決定的な何かだ。

 人は群れる生きものだ。だからこそ不安や恐怖に駆られたとき、結束と集団化を求める。オウム以降のこの社会や、9.11以降のアメリカを例に挙げるまでもなく、大きな事件や災害に遭ったとき、この傾向は加速する。特に敵が見えないとき、不安や恐怖はさらに増幅し、敵を作り出そうとする。つまり仮想敵だ。その現れとして愛国心や公共心などが強調され、集団の動きに合わせない個体に対しては、強い反発と排除が働くようになる。

次のページ>> 「だって銃弾や爆撃は、とりあえず目に見えますから」

 群れることそれ自体に問題はない。でも群れはスタンピード(暴走)を起こしやすい。9.11以降のアメリカが明らかに理のないイラク侵攻を強引に整合化したように、オウム以降の日本が北朝鮮を仮想敵国に設定しながら国内的には厳罰化を進めたように、スタンピードを始めた群れに抗うことは難しい。人はこうして同じ過ちを何度も繰り返す。

 原発周辺を撮影する前には、陸前高田や大船渡、石巻などの被災地も回った。家族を失い、瓦礫をさまよいながら遺体を探す遺族たちに、「がんばれ」とか「負けるな」などの言葉を、誰がかけることができるだろう。少なくとも僕はできない。口が裂けても言えない。でも避難所のテレビからは、頻繁にこのフレーズが流れている。

 他に言葉がないことも確かだ。とはいえ言葉を仕事にする者として、「言葉がない」とか「絶句した」などの慣用句は使うべきではない。

 ならば沈黙するしかない。焦って言葉を紡ぐ必要はない。今はまだ茫然自失の時期だ。徹底して自失すればよい。一緒に泣いてもいい。いずれにせよ、「がんばれ」や「負けるな」はまだ早い。

 今後、間違いなく日本は変わるだろう。経済への打撃は大きいし、エネルギー政策も変換を余儀なくされる。産業構造も変わるかもしれない。そして何よりも、(まさしくオウム以降と同様に)多くの人の意識が変わる。

 僕の家は千葉県と茨城県の県境にある。撮影に出発する前に、計測器で家の周囲の放射能値を測定した。綿井が居住する川崎のほぼ10倍という数値が出た。

 もちろんこれをもって、人体に影響があるかどうかはわからない。ほとんどの専門家が言うように、この程度なら「直ちに」影響はないと考えるべきなのかもしれない。

 でも朝起きて窓を開けて外気を吸いながら、この大気は以前とは組成が違うのだとふと思う。微妙な違いだ。微妙だけど決定的な違いだ。現段階で深刻な影響があるかどうかはわからないけれど、かつてとは変わったことだけは確かだ。

 同じように日本も変わる。良い方向か悪い方向かはわからないが、人々の意識が変わった(変わる)ことだけは確かだ。これもまた、とても微妙ではあるけれど、でも決定的な何かだ。

 車から降りた僕は、赤宇木部落集会所の扉を何度かノックしたけれど、返事はなかった。しんと静まりかえっている。どうやら無人のようだ。大急ぎで車に戻り、乗り込む前に、雨に濡れたレインコートや長靴をその場に脱ぎ捨てた。乗り込んで扉を閉めると同時に、リアシートに座ってカメラのレンズを向けていた綿井が、「この恐怖はすさまじい。戦場のほうがまだましです」とつぶやいた。

「……僕は戦場取材の経験がないので比較はできないけれど」

 そう言う僕に、綿井はカメラのファインダーから目を離してから、静かに言った。

「だって銃弾や爆撃は、とりあえず目に見えますから」  

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コメント
 
01. 2011年5月24日 02:53:15: 8y6sYR1ASI
取材にはランフラットタイヤが大事という教訓ですね。
戦場ではパンクで死んでる人もたくさんいるのですか。

02. 2011年5月24日 09:43:55: HYHUspnQ6g
工作員であるsciは投稿をやめるべき。原発に関心があることを装うための投稿であることがみえみえだ。

03. 2011年5月24日 10:56:53: C2wwpTOQvY
>銃弾や爆撃は、とりあえず目に見えますから

見えないだろう。


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