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正しく怖がる放射能7 逆転する「炉心作業員・被曝限界」と「小学校・安全線量値」
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/409.html
投稿者 sci 日時 2011 年 6 月 07 日 09:28:25: 6WQSToHgoAVCQ
 

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110604/220427/?ST=print
日経ビジネス オンライントップ>IT・技術>伊東 乾の「常識の源流探訪」
逆転する「炉心作業員・被曝限界」と「小学校・安全線量値」

正しく怖がる放射能【7】

2011年6月7日 火曜日 伊東 乾

 この原稿がアップロードされるの6月7日は、東日本大震災と福島第一原発事故が起きてから88日目にあたります。より細かくいうならば、3月15〜16日にかけて大量に放射性物質が噴出してから85日程度、3月20日近辺の、事故後関東地方に降った最初の雨から約80日が経つ勘定になります。

 これは何を言っているのか・・・? 当初、取りざたされたヨウ素131の半減期「8日」の約10倍の期間が経っている。広域におよぶ新たな放射性物質の放出がないとすれば、福島原発事故の影響を考える上で、新しい段階に入りつつある、と考えることができると思うので、このような数字を挙げてみました。

半減期と影響の軽減

 このシリーズではやや久しぶりになりますが、少し理科の内容をおさらいしてみましょう。「半減期」という言葉の意味は、その期間を経るうちに、放射性物質の半数が崩壊して娘核(核分裂で生じた2つの核)となる時間を意味します。

 先ほどあげた「ヨウ素131」が仮に「10」あったとすると、8日経過したら半分の「5」がヨウ素131のまま残っていて、残りの「5」はキセノン131という別の原子核(ないしその先の娘核)になってしまって、残っていないことを意味します。この「娘核」が再び放射性物質で人体に有害な影響を及ぼすケースでは困ることになりますが、ヨウ素131の場合は(幸いにして?)崩壊後の娘核は健康に影響のあるようなものではありません。半減期が8日、ということは

8日経つと 1/2
2倍の16日だと 1/4
3倍の24日だと 1/8
4倍の32日だと 1/16
・・・

と減少していって、6月に入る頃には

10倍の80日だと 1/1024
11倍の88日だと 1/2048

とヨウ素131については急激に残量が少なくなっていくわけです。しかし、それなら安心できるか、と問われると、残念ながら「ヨウ素131の残量は減った」としか答えられません。

 もっとはっきり言うなら、同時に噴出されたセシウム134(半減期約2年)やセシウム137(半減期約30年)、あるいはストロンチウム90(半減期約29年)など、より半減期の長い放射性物質はまだ十分に減っていませんし、福島第一原発至近の地域では、事故後に漏出を続けている放射性物質による2次的な汚染や、その影響が強く懸念されるからです。その最たるものは、原発内で事態の収拾に当たっている作業員の人たちでしょう。

週刊ポストの「僕は原発作業員」

 そんな中で先週、衝撃的な報道記事を目にしました。小学館の雑誌「週刊ポスト」に、今後断続的に掲載される、として初回稿が載った「僕は原発作業員」という記事です。書かれたのは鈴木智彦さんというライターです。

 どれくらい多くの「日経ビジネスオンライン」の読者が鈴木智彦さんのお名前をご存知か分かりませんが、私にはなじみのある筆者でした。私より少しお若い鈴木さんは、かつて「実話雑誌」の編集長をしておられたと思います。「実話雑誌」というものも、ご存知ない方には縁が薄いかもしれません。端的に言うと刑務所の中と外をつなぐ役割を持つ雑誌、さらにありていに言えば「ヤクザ雑誌」のことです。

 私も30歳を過ぎるまで「ヤクザ雑誌」を目にすることはありませんでした。初めて手にしたのは大学物理学科時代の同級生、豊田亨君が地下鉄サリン事件の実行犯として逮捕され、弁護士から連絡をもらって(今は取り壊されて残っていない)かつて木造だった小菅の東京拘置所に接見に行った1990年代末の頃でした。

 拘置所の接見待合室というのは独特な空間で、ほかではなかなか見られない人間模様が展開されています。やたらと派手なネクタイをした、ひと目みてそのスジと分かるお兄さんもいます。ジャージ姿の子分を連れた親分らしい人、家族が収監されているのでしょうか、子連れのアジア系や中東系女性を目にすることもあります。

 拘置所の中には「差し入れ屋さん」という、塀の中にいる人に缶詰やお菓子を差し入れる、専用のお店があります。そこで売っていた雑誌の中に、どこでも目にする週刊誌などのほか、あまり他所では見かけない「実話雑誌」があったわけです。「僕は原発作業員」の鈴木智彦さんは、こうしたジャーナリズムの一線で20年来、体を張ってきた方として、多くの記事を拝読してきた筆者さんでした。

「潜入ルポ」がさり気なく教えるもの

 鈴木さんの記事はのっけからタブーの(少)ない調子で書かれています。

 「早急な結論かもしれないが、これまで取材した実感で言えば、原発はヤクザのシノギのひとつといっていい」といった表現を紙に印刷された活字で目にしたのは、少なくとも福島の事故以降の大手マスメディアでは初めてだったように思います。

 日常的に暴力団と接している筆者が、そうした情報源も利用しながら、人手不足にあえぎながら懸命の復旧作業に取り組んでいる福島第一原発に、作業員として潜入して現在進行形のルポルタージュを書いている。以前から原稿を通じて知っている筆者の方が、決意をもって現地の業者に「就職」、掛け値なしに本物の作業員として体験する現実を(いろいろ制約もあると想像しますが)大手メディアに出稿しているわけで、その迫力は凡俗の記事とちょっと違うレベルにあると思います。

 この記事の詳細にご興味がある方は、どうぞ週刊ポストをご覧いただきたいと思いますが、衝撃的なこの記事の中で、私が最も注目したのは、あまり目立たないかもしれない以下のような記述でした。

 「進まぬ作業に業を煮やした政府は、1F(福島第一原発)に限り、年間被曝線量の上限を250ミリシーベルトに引き上げた。が、これは素人丸出しの危険な数値として、現場では嘲笑され、完全無視である。
 東電から実務を丸投げされている二次受けメーカーはそれぞれ、100ミリ、30ミリ、18ミリなどと異なる上限を再設定した。炉心周りに強いメーカーの上限が18ミリと圧倒的に低いのも、プロならではの正当なリスク回避が理由だろう。」
(鈴木智彦「僕は原発作業員」週刊ポスト 5月31日号から)

 もっと人目を引くような内容が満載されているこのルポルタージュの中で、上記の数字の記載は極めて地味で、注意を留めない読者が多いかもしれません。

 しかし、ちょっと待って欲しいのです。「年間線量」といえば、現地の学校や幼稚園などで設定された「20ミリシーベルト」という数値を思い出されないでしょうか。

「深刻な作業員不足」の2局面

 文部科学省は、義務教育学校や幼稚園、保育所などの空間放射線量の参考値として「20ミリシーベルト/年間」という値を提出、4月末に高木文科相が行った記者会見や一連の発言は、歴史に残る国恥的な記録として長く留め置かれるべきものと思っています。それ以上に各種訴訟の責任対象として、この人の名を覚えておいたほうが良いかもしれません。従来の放射線管理区域の規制値や労災の適用、過去の判例などと見比べても、明らかに破綻した数値で、内閣参与を勤めていた小佐古敏荘教授が明確にこれを指摘して辞任したのも記憶に新しいところでしょう。

 しかし、こうした数値はもともと一般になじみの少ないものですから、どうも軽視されたり、記憶にとどめられ難かったりする傾向が見られます。後続する文科省の発表でも「実際に線量はどんどん下がっている」式のものが多いわけですが、測定値がどう変化するか、という現象と、国が何を「基準値」あるいは「参考値」と見なすかは、天と地の違いがあります。端的にいえば前者は観測結果でしかなく、後者は決定者に各種の責任が伴う数字だということです。

 全国の原子力発電所では、現場作業員の不足が深刻な問題になっている、と伝えられます。とくに炉心に近いエリアでの作業は、熟練したスキルを要求されることも少なくないということで、2重の人手不足が懸念されています。

 第1は、言うまでもないことですが、危険な作業ということで新たな志願者が大変少ない、ということです。だが、いろいろ経緯があるようで、職安などでの求人は手控えているといいます。

 しかしそれ以上に重要なのは第2の点、つまり「限度いっぱいまで線量を食って(浴びて)しまった作業員は、再びその業務に就労することができない」という現実です。もちろん被曝による健康リスクも影響は甚大です。2次下請けとしては、いくら業務が降ってきても、きちんと仕事ができる作業員がいなければビジネスが成立しません。国のように野放図なことは言えない、長年の経験に基づいて自主的に年間線量の限度を設け、作業員の確保に努めているわけです。

 ここまで確認したうえで、もう一度よく見てみましょう。

原発炉心近くで就労する作業員に対する年間被曝限度線量
 ――18ミリシーベルト/年
国が義務教育学校校庭や幼稚園で「安全」と強弁した線量
 ――20ミリシーベルト/年

 この逆転は、いったいどういうことなのでしょう。すぐさま思い出されるのは

「(政府の数値は)素人丸出しの危険な数値として、現場では嘲笑され、完全無視である。」

というルポルタージュの記載です。あるいは、現場で作業員が払底してしまったら、せっかく仕事をもらっても完遂できないし、仮にミスなどあった日には責任を問われる2次下請け以下の現場企業と、問われる責任など最初から考慮しているように見えない政府発表の「250ミリシーベルト/毎年」の違いということもできるでしょう。

 さらに言ってしまえば「年間20ミリシーベルト」「毎時3.8マイクロシーベルト」を越える場所でも「短時間遊ぶのであれば問題なく」「冷静に対処してほしい」といった高木さんという方が、何の責任も取る用意がない、何よりの証左だと思います。

 この高木さんにはぜひ、最低1度は、45分程度でいいですから、福島の学校で子供たちとドロだらけになって一緒に遊んでいただきたい。どうせもう60も過ぎてるんですから新陳代謝も落ちているわけだし、仮にたくさん被曝しても余命に大した変化はないでしょう。それと、5歳、10歳、15歳という細胞分裂の盛んな子供たちとでは、そもそも体からして根本的に違います。

 みんなと同じものを食べ、同じ水をのみ、同じ空気を吸った上で、内部被曝を一切考慮しない「安全性」を自ら喧伝した事実の重さを、この方には自分の体で責任取ってもらう必要があると思います。

「正しく怖がる」って何だろう・・・?

 このシリーズのタイトルとして記している「正しく怖がる」という表現は、『これからの「放射能」の話をしよう』(4月5日)で引用した寺田寅彦のエッセーから借用したものです。夏目漱石の門人で東京帝国大学理学部物理学科教授でもあった寺田は、1936(昭和11)年の浅間山の噴火に際して、むやみに恐れるのでもなく、また過大に楽観するのでもなく、「正しく怖がる」大切さを述べたのでした。

 しかし2カ月ほど記す中で、途中から読まれたのだろう読者の方から「(伊東は)何を根拠に自分が正しく怖がっていると思い上がっているのだろう」式の、すっとんきょうなコメントをいただくケースも出てきました。そこで改めて「正しく怖がる」ということを、確認しておきたいと思うのです。

 一番のポイントは「自分が今、下している判断が本当に正しいのか」と常に不断に問い続ける姿勢と思います。あるいは、古代ギリシャ・アテネでソクラテスが問うた「己の無知の知」への問いが最も大切、と言ってもいいでしょう。

 事故後の状況だって随時変化している。昨日は妥当だったことが、今日も通用するという保証はありません。面倒かもしれませんが、安全のためには、逐一確かめてみなければ。そんな中で、もう1つ「正しく怖がる」上で最も重要と思うのは

「明らかな誤りを、決して見逃さない」

という姿勢だと思うのです。仮に王様が裸だったら「はだかだ」と言うべきだし、文科大臣ということになってる人がおかしければ、「たわけもの」と指摘しなければなりません。世慣れた大人のすることではないかもしれません。しかし、科学に裏づけられた放射線安全基準を守るには、「王様は裸じゃないか!」と断言できる子供の直裁さ、あるがままの現実を見抜く目が必要不可欠と思います。

 諸々の経済効果まで勘定に入れながら、防護服など防備を固めた作業員が、原発炉心近くで作業する際の、下請け企業が己の責任のもと、独自に設ける「年間線量限界」が18ミリシーベルト/年とある横で、

「学校校庭が年間換算20ミリシーベルト強の環境でも、子供はお外で元気に遊んだ方がいい」

と、一切の責任を明示しないまま、素人(が国のけっこうな判断職にいることが大間違いであり亡国状況と思いますが)が何やら発言するのと、どちらをどう参考にするか。もちろん乱暴に一緒に議論することはできませんが、何かが明確に示されているのも事実です。それを直視する必要があると思います。

 是は是、非は非、と逐一判断してゆく以外に「正しく怖がる」方法などない、というのが、私自身これを書きながら、強く感じるところです。

(つづく)


伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

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伊東 乾(いとう・けん)


1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。  

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コメント
 
01. 2011年6月07日 12:23:52: vJW61Ise0M
伊東 乾はいい加減な知識で、ろくに調べもせず思いついた事を書くことしか出来ないゴミ。

一般人とレベルが一緒だから、一般人が気が付く頃に問題に気が付く。
後藤や小出の様に10年以上前から指摘し研究してきた人物は、一般人より先に問題を提起し我々に有益な情報を与えてくれるが、伊東乾は手遅れになってから騒ぎ出す無能。


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