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村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ  我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/568.html
投稿者 sci 日時 2011 年 6 月 10 日 22:59:51: 6WQSToHgoAVCQ
 

http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040019000c.html
村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上)

 9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)

 「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。(バルセロナ共同)

村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下)

毎日新聞 2011年6月10日 18時55分(最終更新 6月10日 19時09分)
村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下)

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)

<最初から読む>村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上)

毎日新聞 2011年6月10日 19時00分(最終更新 6月10日 19時09分)
 

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コメント
 
01. 2011年6月10日 23:50:47: P2yQuAK3HI
 うれしい。感動。村上春樹さんありがとう。投稿者さんに感謝

02. bunngaku 2011年6月10日 23:50:53: tdhE4Pf39C.ro : z3JPTJSWDM
 文学、芸術。この原発事故以来、私は小説も映画も観ることが出来なくなった。現実がフィクションを越えてしまったからだ。しょせんフィクションは平和なときの慰め、刺激に過ぎないのかという気がしている。恐らく創作する人はそれ以上の「挫折」を感じているのではないか?
 その{挫折」を表現することが、いま創作者に課せられている。
 村上氏の講演はそれなりに素晴らしいが、なお「挫折」感が足りないように感じる。
 まだみんな模索中なのだろう。いつかそれが言葉となり、表現となるように。
 戦後日本はそうして始まったのだ。苦渋と後悔の中から思想と言葉を生み出してきたのだ。そしてそれを忘れてしまった時今回の事故が起きた。
 私たちはまた戦後をやり直す時がきたようだ。
 自らの根源を問うような過激な議論が起こるべきだろう。

03. 2011年6月11日 00:02:20: A4GQ7o9O02
もうずいぶん昔読んだので確かでないが、オッペンハイマー博士は、一筋縄ではいかない。ウラン、ダイヤモンドのオッペンハイマー帝国、ロスチャイルドのウラン鉱山王、リオチントジンクまでいきついた、原子力利権にからまった人物であると、広瀬隆の著書でよんだことがある(ソースは忘れてしまったすみません)
オッペンハイマー博士の言葉もそのとおりにうけとるのは、素直すぎる気もするが・・・

04. 2011年6月11日 00:13:12: HYHUspnQ6g
 Sci氏は、工作員としての投稿を止めよ。この投稿中で、原発は津波のせいだという発言があるが、村上氏の語りを借りて、津波のせいだという認識を阿修羅読者に植え付けようとするのを止めろ。工作員は去れ。原発はたかだか震度6弱の地震によって壊れ、電源車の用意もおざなりであったがためにメルトダウンに至ったのである。津波のせいではない。工作員は見え透いた投稿を止めろ。
 そして、三流文学者の講演などを投稿するな。はっきりいって、村上氏は三流だ。まず、地震で壊れたという認識を持てていない。次に、原子力発電が、効率性によって選ばれたと発言している点で、現状認識が間違っている。無理やり発電単価が安いことにして強引に推進したのであって、発電単価は一番高いものだというのが正しい認識。
 あのな、哲学者を騙せるわけがないだろう。ドアホ。Sci氏は、東電かどこかからカネをもらって、こういう掲示板で巧妙に過った認識を流布しようとしているわけだ。管理人は良心があるなら、sci氏の投稿ができないようにブロックすることを切に願う。

05. 2011年6月11日 00:14:27: VXd2AmT2Uk
本当に効率が理由なんだろうか?
原発がなくても、ほかの発電方法で、必要な電力需要は満たされるとすると、原発は、電気エネルギーの問題ではないことは明白だ。

非核三原則を持ちながら、核に手を染めたそのゆがんだ歴史こそが理由だと思う。


06. 2011年6月11日 00:27:59: esmsVHFkrM
心に染みる。

そのとおりだ。僕らはどこかで間違えてしまった。日本をここまでにしてしまった世代の一人として慙愧に耐えない。

あの戦争による惨禍と亡国の後に日本人は大切なことを学んだはずだった。それは、村上が正しく指摘するように核にたいする恐怖と、もうひとつ、忘れてならないのは、2度と戦争をしないということだった。

われわれ日本人がこの核惨事から立ち上がり日本の復興を行うとするならば、それは、それは今までの日本を続けることではなく、日本の国の形としての再生であるはずだ。

核反対と戦争放棄の国民的教訓を今思い出すこと、そして、それを基本に日本の再生を果たすことなくして日本の明日はない。


07. 2011年6月11日 00:49:38: VXd2AmT2Uk
村上氏の言っていることは、一般受けする程度のものでしかない。

想定外の津波が原発事故の原因で、効率を求める社会が原発を必要としたという、間違った認識のもと、発言されるのは、少し迷惑な感じを受けた。

もう少し村上氏に勉強してから発言してもらいたかった。ざんねん。


08. 2011年6月11日 01:09:58: EuxgeF3kjg
>>04>>05>>07

・「効率」がいいとは発電単価だけの問題ではない。交付金、利権、その他もろもろ関係者にとっての経済効率だ。

・津波だろうが地震だろうが原因はどうでもいい。事故は必ず起きるということが大事。


09. 2011年6月11日 01:21:02: COhvc5Hzbs
村上春樹氏らしい文章ですね。決して自分は政治的なものにコミットしない、常に一段高い所にいるかのよう、そして実は非情に巧妙に体制側へ非難が向かないようにする。他のコメントにあったように、事故の原因を津波にしたことなど、彼は間違いなくそれが原因の主ではないことが分かっていて、敢えて津波が原因だと言っている。東電や所謂原子力ムラのことなどひと言もない。あるのは「我々日本人」という言い方。彼の論理で言えば、補償は日本人全員で行うべきで、東電の責任は追及できない、すべきでない、ということになる。また一億総懺悔で、以上終わり、ということだろうか。

10. 2011年6月11日 02:18:28: EuxgeF3kjg
>>09
・だから津波が原因だろうが地震が原因だろうが関係ないんだって。
原因はなんであれ事故は必ず起きると言うことが一番大事。
原子力ムラが認めている津波が原因が正しかったとしても、
原子力ムラは甘い想定で津波を防げず事故を起こしたということは変わらない。

・積極的に原子力ムラの中にいる連中は論外だが、無関心なままで連中をのさばらせ、
今でさえものさばらせている大多数の国民がいることは間違いないだろ。
間違いなく一億総懺悔するべき。そしてその贖罪の証明として、徹底的に東電と原子力ムラを追求し叩き潰すべき。


11. 2011年6月11日 02:27:45: HYHUspnQ6g
08さん

間違っています。津波のせいにして不可抗力であったとしたいのです。あれだけ国際基準のモーメントマグニチュードを採用するように地震学者が気象庁に申し入れてきたのに、聞く耳を持たなかった気象庁が、今回の地震からいきなり素早くモーメントマグにチュードを採用して、地震の規模を大きく見せようとするプロパガンダに手を貸したのも、東電に責任はないという世論を作るためです。実は、新潟の中越地震よりも小さな加速度(ガル)で、いとも簡単に福島第一原発は壊れてしまったのです。たいした加速度の地震でもなくて壊れたのは、耐震設計が無茶苦茶であった人災であり、津波のせいでは100%ありません。過去にも大津波は来ており、国会でその点を突っ込まれているのに電源車のバックアップも無視してロクに対策をとらなかったのでメルトダウンへと至りました。要するに天災ではなくて、人災・政治災害です。従って、東電には賠償責任が100%あります。これが正しい認識です。想定外とかいっているのは、「責任取りたくない・カネ払いたくない」と言っているのと同じです。
 従って、他の原発でも大した加速度でなくても、いとも簡単に壊れます。津波対策の防波堤なんか作っても無駄。直下型の地震が起こればバンバン壊れます。逆にいうと地震で壊れない原発を作るなら、一つ作るのに10兆円とかかかるでしょう。それだと採算が合わないです。だから、原発は廃止すべきです。


12. 2011年6月11日 02:37:57: HYHUspnQ6g
06さん

責任を追及しましょう。一億総懺悔は、話がおかしいのです。
権力握っている人が、責任取らなくて逃げてしまうのを許しているから、いつまでたっても良い社会にならないのです。もちろん責任を取らせるのは難しいですが、責任の所在だけははっきりさせてことあるごとに発言しましょう。支配階級は、みんなで互いに友達になっています。友達同士は、喧嘩しませんし、責任の追及もしません。だから、意識の高い市民の数が増えないと、いけないのです。


13. 2011年6月11日 02:45:06: HYHUspnQ6g
 スペインのカタルーニャ賞の選考委員は、頭が悪いのか。
岩波書店や、講談社といった大手出版社の編集者がいつもやっているように、殿様バッタみたいに有名だから飛びついたのか。日本でたくさん売上をあげた有名な小説家だから賞を授与したんだろうが、クオリティの高い小説を見つけられないなら、賞など止めた方がよい。『宣告』とかクオリティの高い小説はほかにもある。三流の小説家に賞を付与したのを恥だと思え。スピーチの内容も、責任の所在を明らかにせず、また市民社会の様態について日本と諸外国を比較しさえしないようなひどいものだ。こういう三流の人間が吐く言葉でもって、世界を変革できるわけがない。

14. 2011年6月11日 02:47:10: EuxgeF3kjg
>>11
もちろん連中の意図はわかってる。
しかし、たとえ津波原因だとしても、

>過去にも大津波は来ており、国会でその点を突っ込まれているのに電源車のバックアップも無視してロクに対策をとらなかったのでメルトダウンへと至りました。

のは確実なので、連中の免罪には一切ならない。

にもかかわらず連中が免罪できると思ってるのはなぜか。
それは国の指針や基準を守っていたんだからというところ。

たとえ今回は地震で壊れたのではなくても、
もしくはたとえ10兆かけようとも、次の地震で壊れない保証は一切ない。
というか、地震以外の原因で壊れない保証も一切ない。

だから、原因云々に関わらず廃止すべきなんです。


15. 2011年6月11日 02:55:15: EuxgeF3kjg
>>12
一億総懺悔は必要。
東電への免罪とイコールだと勘違いしてるようだが絶対に違う。

つまるところ、意識の低い市民の数が多すぎたからこういう事態を招いた。
そして「一億」がそのことに懺悔しない限り、またもや連中は免罪されるだろう。


16. 2011年6月11日 02:58:43: EuxgeF3kjg
>>13
責任の所在は明らか。
無関心に任せて原子力ムラを増長させてきた国民。
そのことはなんら間違っていない。


17. 2011年6月11日 03:38:38: GCziX3ujBY
けっこう村上春樹の愛読者だった時期のある者として。

村上さんはだいぶオブラートにくるんでものを言うくせがありますが、
事故の原因を津波に意図的にすりかえている、というのは深読みと思います。
村上さんは、阿修羅を読んだり、武田邦彦の動画を見るようなタイプではなく、
「日本の原発は大地震が来たらみんな壊れるような耐震設計になっている」
なんてことを、知らないかも知れません。

彼の美学からか、または「政治は大嫌い」だからか、まあ、ストレートに政治的な物言いは絶対にしないでしょうが、それでもこの講演の中では相当はっきりと意見を述べています。いわく、

「原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました」

「原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。」

「原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。」

「我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。」

「日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。」

ちゃんと明確に語っているではないですか、核にノーと叫び、原発に疑問を呈する「非現実的な夢想家」にならなくてはなりませんと。

春樹さん、相変わらずカッコつけ屋な上、欧米人の講演を聴いてるような翻訳調の語り口が抜けないのがアレですが、反核・脱原発の演説ですよ。


18. 2011年6月11日 03:45:41: GCziX3ujBY
追伸

17ですが。読み返してみて、この講演、反・脱原発のアジテーションとしてはぬるいっちゃぬるいですが、これは彼の授賞式での講演だし、アジテーターではないのですから許してあげましょう。


19. 2011年6月11日 03:51:02: evSC25VapI
7さん、13さんに同意。9さんには激しく同意。一見整った文章ですが、読み終わって読んだ時間が無駄に感じられました。

20. 2011年6月11日 03:56:08: GCziX3ujBY
さらに追加。すんません。

講演の仕込みは、ヴィクトール・E・フランクル講演録かなんかで、してそうな香り。

「我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。」なんて、まんまってくらい似てるし。
そのぶん、欧米人には非常に伝わりやすい内容になっているけれど。


21. 2011年6月11日 10:29:57: mqCkBjRTAQ
日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。
という一言で、このスピーチは肯定できます。
       FROM 春樹ファン

22. 2011年6月11日 11:12:04: PvBxu1Flfg
よく言ってくれた!
日本人の本音を世界に向けて発信してくたことに感謝!


23. 2011年6月11日 11:30:14: P2yQuAK3HI
 倫理観のかけらもない強欲なだけの原発屋、たまらんだろうな、この時期に世界の村上春樹からこんな言葉を全世界に向けて発信されちゃったんだから。さあ、どう応えるか、新聞・テレビ・週刊誌・ごちゃごちゃ言ってる知識人・原発だいじと叫んでいるアナタ


24. 2011年6月11日 11:34:19: Xds4kgeg7k
彼が核に対して「ノー」と発言した、このことが意味があると思います。

細部に関しては、事実と違ったり甘い点がありますが、他の著名人や芸能人達の
惨状に比べれば「ノー」と明言したことを素直に嬉しく思いました。


25. 恵也 2011年6月11日 13:14:25: cdRlA.6W79UEw : 2x7q7qWS4U
>>02 村上氏の講演はそれなりに素晴らしいが、なお「挫折」感が足りないように感じる。

俺は十分に挫折感も表現できてると感じる。
無常という言葉は挫折感の最高の奥ゆかしい表現。

安全で豊かな国家日本を目指したのに、原発マフィアにマスコミを占領され
「電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力
 発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました」

この表現は村上氏自身にも原発を止めれなかった無念さが表れてる。
止めようとする人間には「非現実的な夢想家」というレッテルを貼られる。
さすがに文学的才能のあふれた方だ。

>>13 責任の所在を明らかにせず

責任の所在は電力会社だよ。
電力会社のやる気がなければ何も進まない。
政治権力者にも原発推進派はいたけど、こいつらは電力会社の走狗に過ぎん。

金を出し、金をもうける連中が主犯であってそれ以外は従犯。
政治家の中では中曽根康弘が有名だが、こいつだって電力会社の援助があって
こそ総理大臣まで上り詰めたわけだ。


26. 2011年6月11日 21:25:48: 7zfcgDNO9M
「べきだった」て、こいつはいつも後だしジャンケンだな。w
やってなかったのならまずは謝罪だろ。w
自分ひとりがいい子になろうとばかりしてやがる。
こんなやつ、一ミリだっておれは評価しない。以上。

27. 2011年6月11日 23:28:02: NPlZX5kocI
原発にNOといっているので彼は味方です。

反原発政権を立ち上げ
福島の放射能対策を、小出先生にも協力していただき何とか進め
この国難を乗り切るためにも、村上氏の知名度は必要です。

東電が人命よりも利益を追求したのは火を見るよりも明らか。
この利権構造をこそ変えようと彼は言っていませんか?

彼には文才というタラントがあり
小沢氏には政治力が
小出先生には専門知識が
孫氏には経済力が。

それぞれのタラントをフクイチの終結に
ぜひ活用していただきたい。
この国にまだまだ人材はいるはず。

お金と頭脳と権力は
国民の生活の救済のためにこそ
使っていただきたいです!政府・東電さん。


28. 2011年6月12日 00:06:42: KYLf19w2yM
昔から、原発は、危険で人間の手に負えないと、反対した賢い人たちからの 発言も多くあったはずなのに 
そんな賢者の言うことは、無視をして

原発を推進した議員さん

推進する前に、放射能や、原発についての危険性を、自分で考えたり、調べようともしなかったのですか?
あなた達は、無責任すぎます。
今回の惨事の原因の一端は、あなた達にもあります。

権力者の言いなりになり、長いものに巻かれていさえすれば、安泰だと思う事は、大きな間違いであり
結局は、とても危険な目に合わされるということが、今回、はっきりと分かりました。



29. 2011年6月12日 01:55:43: yIsZh3Lkng
村上春樹さん,すばらしい!

30. 2011年6月12日 05:59:50: EVXXDW76CA
村上春樹程度が、感動を呼ぶほど、カタルーニャも、日本も、お馬鹿になった。阿修羅も、ひどいレベルだ。

31. 2011年6月12日 06:42:50: GCziX3ujBY
阿修羅って、村上春樹に関心がない読者が多いんだなー。
まだ1000アクセスも行ってないよ。

やっぱここ、おじいが多いんだろうな。
「村上春樹程度」って言ってる人は、翻訳ですごい仕事をしていることとか、
知らないでしょうね。


32. 2011年6月12日 20:08:57: cvW5CdfPCg
08様に賛意
村上春樹氏の国際賞受賞講演を視聴し、全文をプリントアウトして読み返しました。村上氏は電源装置損壊・損失は津波ではなく地震によるものであることは十分に認識しています。そのことは効率ということで政官財の責任を追及したことにより、また電力会社によってマスコミが買収されたと見方によれば国の恥になるようなことまで指摘していることによって明らかです。
政官財とマスコミとの関係については日本に限らずどこの原発国家にも共通することであり、共感が得られることだと思います。
原発村の住人に堕した多くの文化人の中にあって、国際的な場で多くの国民の意志を代弁してくれたということに感謝し評価しています。

33. 2011年6月12日 20:19:39: yDKG9tnngI
>31 村上春樹は好き嫌いのはっきり分かれる作家だからなあ。自分は「おじい」ではないけれど、好きか嫌いかと言ったら嫌いな方に入る。
翻訳も色々してる事は知っている。尤も最後に読んだのは相当前ではあるけどね・・・。
このスピーチはあまり頂けないね。
スピーチを文字に起こすと迫力が無くなってしまう事は多々あるから、実際に聞いたらまた違うのかもしれないが、どうもね・・熱が感じられないのだ。いつもの事かもしれないが。
第一「我々日本人は」じゃなくて「人類全員」だろ。
しかも彼はこんな事を喋っているが、事故前にはどういうスタンスだったのだろう。何も興味が無かったり、漠然と「必要だろう」と考えていたりした程度だったら笑わせる。
こういうスピーチは、事故前からずっと「反原発」のスタンスを取ってきた人間にだけ許される種類のものだと思う。


34. 2011年6月14日 11:53:32: 54iUuauWE6
何故、村上春樹は日本語で語ったのか。
そのことが重要です、何故、英語ではなかったのかが。
世界中で村上春樹のスピーチは広がっています。
彼の言葉だからこそ受け入れ、目覚めて気づく人々が世界中にいること。
そのことが大切です。


35. 2011年6月14日 13:31:25: EGaQ73B5yp
カタローニャって「英語圏」でしたっけ?(笑)


村上ムーミンは、自分のメッセージを
通訳に託した。けっきょくオナニーなんだよね。
あるいは、コミュニケーションにまで心がむかわなかった
「つぶやきハルキ」(笑)


36. 管理人さん 2011年6月21日 01:01:58: Master
2重投稿削除に伴うコメントコピペ

01. 2011年6月21日 00:24:01: rWmc8odQao
「人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。」

なるほど…そうかもしれません。
そして、確実に言えることは「核のゴミ」は必ず次世代に継承されるということです。

池田香代子氏
「「100,000年後の安全」は、原発から出される高レベル放射性廃棄物を地中深くに埋設する、フィンランドの国家施設「オンカロ」を描いた映画です」
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51797452.html

今、次の世界へ持っていくもの、ここで終わらせるもの。それをしっかりイマジンし、決定したいものです。


37. 2012年4月18日 23:48:56 : oDZLjorBrU
>>08さん
確かに>>07の言う事はおかしいですが私は>>04さんと>>05さんの言っている事も理解出来ます。

私も福島は地震で配管が壊れたのが真実だろうと思っていますし、電気は足りている筈なのに、ここまで政府が執拗に再稼動すると言うのは、石破氏も言っていますが、政府はやはり核を持つ為にどうしても原発を止められないのだろうと思わざるを得ません。
しかしこの世界に名だたる地震国で原発をやって、核を持つ事は、日本はただ自爆装置を持つ事になるだけなのに・・・それでも仙谷は再稼動しか目もくれない。


38. 2012年9月06日 19:36:01 : cmlXhqYY0s
>>10 EuxgeF3kjg
>・だから津波が原因だろうが地震が原因だろうが関係ないんだって。

ヤッパリ少し違うと思うんですが?
たった震度6くらいの地震であんな大事故を起こしてしまったって事は、不可抗力の津波のせいにしてはいけないと思います。
震度6くらいの地震はいつでも起り得るんですから。
今まで政府や電力会社は運良く事故を隠し通せたってだけでしょう。

つまり日本を取り囲んである54基の原発は地震が起こればいつ爆発してもおかしくないって事ですよね。

それに地震じゃなくても配管や電線やコンクリートの劣化による事故とか、配管の疲労による切断とか、さびによる穿孔とか人為的ミスによる事故も有り得ます。

それらは何百年に一度の津波よりも頻度は並外れて高くなると考えられます。

もちろん何百年に一度の津波が去年来たから明日来ないとも断言できませんが。

だから。


39. 2012年10月01日 09:58:08 : cmlXhqYY0s
>>12 HYHUspnQ6g さん
>支配階級は、みんなで互いに友達になっています。友達同士は、喧嘩しま
>せんし、責任の追及もしません。
>だから、意識の高い市民の数が増えないと、いけないのです。

そうですよ!
既得権力者達は、「金」というトリモチで全部くっつくのです。
彼らは「金」と言うかぐわしい匂いに敏感です。
それさえ差し出せばみんな即オトモダチ。
そしてその全てがコンクリートのように固まって高い高い壁となり国民の前に立ちはだかるのです。
でも
           ありの一穴
     
         思う念力岩をも通す

         思う 一念岩をも通す
         
          一心岩をも通す

いろいろありますが、それだけ長い事虐げられた人々の心の強さを表しているのでしょう。

私が子供の頃先年98歳で無くなった母に教えられたのはこのうちのどれだったのかさだかではないのですが、確か意味は「雨だれだって毎日同じところに落ちていればいつか岩に穴を開ける事だって出来る、為さぬ堪忍するが堪忍なさぬは己が為さぬなりけりだ」と。

教えが立派過ぎて、とうとう蟻の一穴もあけることが出来ず67歳になってしまいましたが。

今こそ雨だれの一滴となり母の教えをまっとうするぞ!

                  今日この頃888194



40. 2013年4月14日 11:25:43 : vMy76a7j0k
村上さんの作品でノルウェーに森があるって初めて知った読者です!

つまりバカのままでいろって言っているんですね!


41. 2013年4月14日 11:32:12 : kiuxeKSfZU
>> 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

この文のある碑はぶち壊したほうが良いだろう。
過ちと言えば、日本が過ったとしか取れない。しかし、実際には
マッカーサーが述べているように、あの戦争はアメリカから日本を
守る自衛戦争だった。教科書に載ってるような侵略戦争ではなかった。
自衛することは世界の諸国も認めており、国連も認めており、これを
否定する国、人は存在しない。
その自衛戦争を過ちとかいうのはサヨクかぶれ、自虐としかいいようが
なく、戦争で散っていった人々を愚弄するなにものでもない。
即刻、撤去すべきだろう。


42. 2013年4月14日 16:52:33 : Xi75bddQt2
広島の原爆の「過ち」ってのは
日本が核保有国にならなかったという「過ち」だよ。

日本が核を所有して米国に落とす力があれば、
米国は広島に原爆を落とさなかった。
それが日本の過ち。

つまり万難を排して核武装しろっていう教訓さ。


43. 2013年4月14日 17:46:26 : FJwlgJYhLg
団塊の良心、村上春樹はもとより、大江健三郎さんしかり、日本の良心はNOという答えで人間の尊厳を守っている。金に踊らされた安部といい、麻生といい、米国の奴隷となった馬鹿たちの饗宴に付き合いきれない。良心なき日本人が、国を崩壊させようとしているのだ。良心ある人々の正義の行動に賛同する。-悪名-

44. 2013年4月15日 00:20:17 : FFVOKBAUf6

理由は簡単です。「効率」です。 は誤謬

理由は簡単です。「金」です。 と言えたら賞を狙えるかも


原発は最大規模の非効率で危険な発電工場だよ


45. 2013年4月15日 09:34:38 : 9sVXJCEbos
> 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

安らかに眠っていたはずの、このスレがこんどの村上氏の本の発売で息を吹き返した。
「過ち」ではないのだから、良しとしよう。

>>44
>理由は簡単です。「効率」です。 は誤謬

事故後の今なら正しい。事故前だと「効率」と思っていた人は結構いたのではないだろうか。


46. 恵也 2013年4月15日 10:49:27 : cdRlA.6W79UEw : IjQm3Fifzw
>>07 想定外の津波が原発事故の原因で、効率を求める社会が原発を必要とした
>>  という、間違った認識のもと、発言されるのは、少し迷惑な感じを受けた。

間違った認識とはいえません。
日本人の多数派はこの認識です。

俺自身は津波の前の地震で1号機配管が壊れていたのが原因だし、原発単価
は他の単価に比べると高いと思ってるが、マスコミの論調は村上氏の理屈。
まだ日本ではアンタの認識は少数派の認識であり、見解の相違と言うべき。

多数派の国民の心に響く言葉は、同じ認識である必要があり村上氏の言葉は
国民に届きやすい言葉と言うべきで、アンタの言葉じゃ届かないよ。


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