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〔映像史料〕プロパガンダ動画「福島の原子力」(1985年) 低気温のエクスタシー
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/825.html
投稿者 ジリノフスキー松田 日時 2011 年 7 月 06 日 20:13:54: YsYC0m30wm2Rw
 

http://alcyone.seesaa.net/article/213569438.html

著作権処理済み。

http://www.kagakueizo.org/2011/01/post-332.html

1985年 27分 (カラー)

【製作者の声】
1966年12月から建設が開始した東京電力の原子力発電所。原子力発電の仕組み、建設工程を詳細に記録した劇場上映用映画。この時代、映画館で盛んに上映されていたことが伺える。

この作品は埼玉文化振興基金助成金によりデジタル化、配信


               ↓


NAGAOKA Yoshiyuki(フリーランス記者)
https://twitter.com/#!/dokuritukisya/status/80686418791374848
これらの映画を見て、何とも切ない気分になった。ほかでは考えられないほど安全には注意を払っている、この地方は過去数百年、地震や台風、津波などの大きな被害を受けたことがない、防波堤があらゆる波にも堪えられるよう実験をしたとか、原発の“安全性”を宣伝しておきながら、この有様だ。


NAGAOKA Yoshiyuki(フリーランス記者)
https://twitter.com/#!/dokuritukisya/status/80686632151416832
ほかの地域の人間なら仕方がないが、「福島原発の建設」の映画では、曲がりなりにも自社の原発が立地する町なのに、双葉町や大熊町の読み方も間違えるいい加減さも非常に気になった。東電の地元に対する理解もこの程度だったということなのだろう。

NAGAOKA Yoshiyuki(フリーランス記者)
https://twitter.com/#!/dokuritukisya/status/82138792244428800
科学映像館にもうひとつ興味深い映画があった。「原子力発電の夜明け」
http://www.kagakueizo.org/2009/03/post-76.html
(66年、40分、企画・第一原子力産業グループ)。東海村にできた日本初の原発の建設の過程を描いたものだ。出力はかなり小さかったはずなのに、巨大な建造物だったことに驚く。

NAGAOKA Yoshiyuki(フリーランス記者)
https://twitter.com/#!/dokuritukisya/status/82139302355673089
「原子力発電の夜明け」は、文部省や原子力委員会が推薦したのは当然としても、日本PTA全国協議会とともに、東京都教職員組合や日本ジャーナリスト会議までもが推薦していた。「原子力(核)の平和利用」なる幻想を、当時の「革新」側の一部も積極的に共有していたことを確認できたのも収穫だった。
 

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コメント
 
01. 2011年7月06日 22:21:42: h6cbKB908I
原子力の危険性を知っていて、原発推進を阻止しようとしていたひとは
過去どれだけ無力感にさいなまれたか、その立場にたたなくても、想像を
絶する。
なにしろ、国・官僚(役人)・経済産業界・地方自治体・学者・マスコミ
の全包囲網は強力無比だ。国民の殆どは完全に洗脳されている。
こんななかで、脱・反原発の主張はいかに正論であっても、むなしく無視
される。
京大原子炉研究の6人のかたがたをはじめ脱原発を主張されてこられた研究者・
技術者、原発反対運動をしてこられたかたがたに、あらためて敬意を表したい。

それにしても、まだ原発利権側が作った原発安全美化コマーシャルに洗脳
され続けている国民の多さにも驚く。


02. 2011年7月07日 01:18:23: oqMzWSaKco
確かに東電と政府は原子力に関して
国民を誤った方向に誘導した
しかし今現在国民を誤った方向に誘導しているのは
放射能が怖い怖いと煽っている人達だ
君たちは日本人を混乱させ腑抜けにさせ
日本をアメリカの再占領に導いている
日本の危機に団結して立ち向かわなければいけない
人々の団結力を破壊して
なにもせずにただ逃げろと煽る
逃げた日本人はもう何も自分ではなにもやらない
誰かが何かをてくれるのを期待するだけの
ただの意気地なし

03. 2011年7月07日 06:22:44: oz33FCcPgo
貴重な興味深い記録ですね。

この映画が製作された背景には、おそらく1979年のスリーマイル島事故があるのでしょう。

原発は危ないという不安を解消するために作られたと思われます。

もっとも製作の翌年1986年には、はるかに悲惨なチェルノブイリ事故が起きており、
この映画がどの程度効果があったかはわかりません。


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